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2015年2月15日 (日)

2625 地方再生

たぶん何度目かの同じタイトルです。地方再生を地方創生と呼ぼうが呼ぶまいが、お国が予算を付けようが付けまいが、ここままでは多くの地方で少子高齢化が進み、年率数%の割合で人口減少が進むでしょう。高齢化率が上がり切って、人影も疎らになった田舎では、もはや再生も創生もあったものではありません。規模が大きくても小さくても社会を構成するのは人そのものだからです。しかし、どんなに小さくてもある限度以下の規模(サイズ)では、いわゆる社会を形成する事は難しくなる事でしょう。というのも、社会はいくつかの分野での役割分担が行われ、その「相互関係が持続」する必要があるからです。モノや食糧を作る人、それを運ぶ人や売る人、そして食材を調理をして提供する人、行政サービスを受け持つ人、医療や介護を引き受ける人などなど、いわゆる「籠に乗る人担ぐ人、そのまた草鞋を作る人」といった、コミュニティの中の仕事の分担やモノやお金の「持続的な循環」が必要なのです。

その循環が続くにはある規模以上のサイズが必要だと思うのです。地方の中核市であれば、最低でも4-5万人以上が欲しいでしょうし、その周りに点在する集落であれば、最低でも数十戸で数百人の規模が必要でしょうし、それらの集落の中心にはやはり小さくても小学校の分校は必須です。そこには、折に触れて人々が集い、元気な子供の声が響く必要があります。

なのに、現状の集落は、人が亡くなれば亡くなっただけ人口が減り、若者や子供の姿が消えた集落や、町にはいくらお金を注ぎ込んだとしても、再生は叶わない夢でしょう。その状態を指して「限界集落」などと揶揄されて呼ばれる訳です。地方再生や創生などと札束を振り回す前に、遮二無二でも人口回復にこそ力を入れるべきでしょう。殆どのお金は、若い世代の移住政策のために使えば良いでしょう。新たな産業を興すのは大変で、時間も掛かりますが、伝統的な生業(ナリワイ)を小さな規模で復活させるのはそれほどハードルは高くはないはずです。その地域で成り立つ伝統的な生業とは何か問うならば、それは地域のお年寄りに聞け、ということになります。

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