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2015年4月20日 (月)

2687 大学は出たけれど

新社会人が世の中にデビューした時期でもあり、今の教育制度を少し考えてみたいと思います。さて、高校進学率は100%近いとして、大学にも50%が進み、専修学校なども入れれば、7割以上がいわゆる高等教育を受ける時代になった訳です。それで、この国の知的水準が上がったかと問われれば、そこには大きな?を付けざるを得ないでしょう。何故なら、世代別人口が年々先細りになるこの時代、大学や専修学校の門は、受験数に照らしても広すぎるので、そもそも「選抜」が十分にはなされていないので、受験勉強の必要性が問われているとも言えそうです。

それらなら、希望者は原則全員入学させて、大学の中での進級に厳しい基準で臨めば、やがてドロップアウトする学生も増えて、晴れて卒業する学生は、それなりの水準に達している事でしょう。同時に、大学を社会人にも開放し、社会人も安穏としたサラリーマン生活を送るのではなく、企業と大学を往復しながら、よりレベルの高い大学教育に自ら寄与する必要もあるのでしょう。もちろん教授陣も、うかうかできないでしょう。何しろ、分野によっては自分より高度の業務経験をしている「学生」も入学してくる訳で、逆に教えられる部分も出るかもしれません。海外には、大学を社会人に広く開放している例も多く(というより殆どの大学で対応しているものと想像します)、この国の大学がやや改善されたとはいえ、例外的に門が狭すぎると言えそうです。

大学にしても、大勢が入学して授業料を払ってさえくれれば、経営も楽になるでしょうし、卒業するためには学生にはそれなり努力が求められますので質も向上できるでしょう。入学試験時に、偏差値や試験結果で足切りを行う現在の選抜方法では、学生は入学するやいなや遊びほうけて学生生活をエンジョイに血道をあげ、結果ボーっとしたまま卒業する事になります。就職試験を受けなければならない時期になると、何十社もエントリーして、足を棒にして企業訪問を繰り返すだけで、運よく就職できたとしても実力の無いまま卒業してしまった学生は、無力感に苛まれあっと言う間にドロップアウトしてしまうでしょう。少子化社会であればあるほど、若者にはしっかりした教育を受けさせて、次世代を背負って貰う必要がある筈です。

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