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2015年5月 4日 (月)

2689 目的と手段

自宅のある岐阜や愛知で色々ありまして、やっと秋田に戻り、今日からブログ再開です。さて、これも繰り返しになるかも知れませんが、このブログでは、科学も技術もあくまで人類を幸福にするための「手段」ではあっても、それ自体が「目的」ではない事を何度も強調してきました。同じ意味で、経済活動も同様に手段でしかあり得ません。科学や技術が、あるいは経済規模が年々歳々肥大化し、巨大化を続けた結果、もはやそれがそれを作った私たちの正常な制御能力を超えて、いわばモンスター化してしまった事を認識する必要があるでしょう。

例えば巨大な化学プラントを考えてみます。ある化学製品やそれと関連する製品や中間材料を製造するための巨大な「化学コンビナート」がいくつも建設されました。その中では、あるプロセスから出てくる中間物質は、隣のプラントの原料になります。それらは、相互に関連し合いながら、原料である石油や天然ガスから多種類、多量の化学製品がアウトプットされる訳です。しかし、初期にプラントを設計した技術者や立ち上げに関わったオペレータは、構造やトラブル回避に精通していた筈ですが、代替わりを繰り返すうちに単に操作方法だけが後任の「オペレータ」に伝えられるだけになるでしょう。オペレータは、プラントのファクターを調整する方法(手段)は知っていますが、そのプタントが建設されたそもそもの目的や背景に関しては、たぶん伝授されていませんので、プラントを構成する個々の装置の設計思想も知りませんし、構造に関しても取扱い説明書に載っている大まかな構造図くらいしか見る機会は無いでしょう。

不味い事に、置き場所を占める詳細な工事図面や承認図などは、書庫整理などのタイミングで処分されてしまう事も珍しくは無いでしょう。近年、高度成長期に大量に建設されたプラントや公共インフラが、修理や大改修のタイミングを迎えていますが、既に詳細図が処分されてしまっていて、例えばコンクリート建造物では鉄筋の位置などが分からず、機械装置でも初期の正確な寸法が判然とせず、補修のし様も無いケースが増えているのです。既存のプラントやインフラではあっても、目的を完了したものに関しては、バッサリと解体してしまうことも必要で、今後計画的に進めていく必要もあるでしょう。目的に立ち返って吟味をしない事には、今目の前にある科学・技術や経済システムなどの「幸福追求手段」もその旗印を見失う結果に陥り、既に兆候を顕著にし始めている様に、カオス(混沌)の原因となってしまうでのでしょう。

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