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2015年5月18日 (月)

2701 構想のスケール

ブログの再開です。さて昨晩O阪の都構想が、実を結ぶことなく幕を引きました。しかし、考えてみれば、政治や経済の「東高西低」を是正するのに、単に市府を都に塗り替えれば済む話だったのか、改めて考えてみる必要がある様に思うのです。市府制に確かにダブりや無駄はあったのでしょうが、かといって単にそれが都になるだけで解消できると考えるのは幻想でしょう。役人はそれほど無能ではないので、自分たちが作り出した無駄やダブりは、石にかじりついても守ろうとするでしょう。彼らは、一度手にしたものは死んでも離さない努力をするし、そのための知恵も能力も持ち合わせている人種だからです。

この構想を打ち出した人が反省すべきは、構想のスケールの小ささだと言うしかないのでしょう。もし彼が、国家百年の計から構想し、「だから今の段階ではO阪を都に直す必要があるのだ」と説き起こしたならば、コンサバな高齢者も少しは投票行動を変えたかも知れないからです。都になりさえすれば、全てが変り住民も幸福になるなどと、単純なロジックで押し切ろうとしたのは、ある意味で住民を軽く見ていると思われても仕方がないでしょう。有能な弁護士さんは「語るに落ちた」のかも知れません。有権者は、微妙なところで、それに小さな反発を覚えたのかも知れません。あるべき未来像から現在論ずる手法を、「バックキャスト手法」と呼びますが、Q阪都構想のその先に、然るべきこの国の将来像が描けていれば、もしかすると、この構想を打ち出した人は、将来この国のリーダーになり得たかも知れないと、やや残念な気持ちも残っています。というより、それは買いかぶりに過ぎず、やはりそれほどのスケールの人材ではなかったと言うのが事実だったかも知れませんが・・・。

いずれにしても、今の国のリーダーにせよ、今後その後釜を狙っている候補者にしても、政権の座に座った時に為すべき事を、100年のタイムスケールで論ずる器でなければ、結局誰がやっても、政党のお面すげ替えゲーム、あるいは椅子取りゲームから脱する事は叶わないでしょう。かくして、戦後レジュームから脱却する事は、今後とも夢のまた夢となるわけです。

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