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2015年6月30日 (火)

2743 技術の劣化

B国で、民間が打ち上げたロケットがまたもや空中で爆発事故を起こしました。針の穴をも通す技術の精密さと、品質管理、実行段階での一糸乱れぬプロジェクトの遂行を求められる宇宙開発が、民間に移行してその質が劣化したとしか思われない状況です。その状況は、実はRシアでも同じかも知れません。物資輸送用の無人ロケットならいざ知らず、かつてのスペースシャトル(チャレンジャー)事故の様に、再度人命を失う事態にでもなれば、宇宙ビジネスは大きく後退する事を余儀なくされるでしょう。

既に、フロンティアとしての「宇宙開発の時代」は終わったと見るべきでしょう。確かに、人類は、まだ地球の衛星である月までしか足を踏み入れてはいませんが、例えば、一番近い火星に人を送るのさえ、実は、宇宙飛行士をかなりの危険に晒す結果になる事は間違いないでしょう。何故

なら、たった数か月のISS滞在で、自力では立てない程に、骨や筋が痩せ、自分では立てない程やつれて地球に帰還する宇宙飛行士をの姿を見れば、数年間の宇宙旅行には、大量の宇宙線被曝を含めてかなりの程度の身体的ダメージを覚悟する必要があるからです。それらを含めて考えれば、国力を競い合うと言う意味での宇宙開発は最早終わったと見るしかないでしょう。

一方で、B国やRシアなどの大国といえども、既に十分な冗長性を確保しながら宇宙プログラムを遂行するだけのバジェットを確保する力はありません。だからこその民間移行なのですが、民ベースでは、当然の事ながら収益性が重視されますから、コストを削減する必要があります。技術的な側面で考えれば、コスト削減とは即ち「安全率を削る」ことを意味します。重量が嵩む構造は薄く軽くし、何重にも準備されたバックアップシステムも、精々二重か三重くらいに留めるしかありません。それを「技術の劣化」と呼ぶか、あるいはコスト削減のための簡素化と呼ぶかは、ケースにもよるのでしょうが、いずれにしてもマンパワー的、コスト的に冗長性を削らなければならないという状況には変わりがないでしょう。いずれにしても、ISSにも宇宙空間にも、国費を注ぎ込み、人命をかけて挑むべき価値を生むモノなど存在しない事は明らかになったのであり、そんな金やマンパワーがあるのなら、それは地上の暮らす生物(ヒトを含む)の「持続可能性」を確保するために使って貰いたいものです。

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2015年6月29日 (月)

2742 相対性議論?

最近の政治ショー?を見ていると、背景に蠢くあざとい情報操作の企みを想像してしまいます。安保法制などという机上の空論が、日々マスコミのニュースの大半を占領してしまっていますが、そもそも国を挙げて、S47年のJ衛隊の合憲・違憲論議にまで遡る「蒸し返し」が、一体今この時期に必要なのか、と大きな疑問符を発せずにはいられません。それよりも重要であった筈の、原発事故の汚染水処理や廃炉準備の進捗や除染状況、あるいは震災復興事業の進み具合、更にはTPPや拉致問題の解決など、この議論の前ですっかり影が薄くなってしまっていることを、マスコミも決して糾弾しようとはしません。これらのより重要で優先度の高い問題は、さながら重大事故や重大問題から、普通の「日常茶飯事」に格下げになってしまった様な錯覚にすら陥るのです。

そもそも私たちの脳は、複数の情報のインプットに対して、その大小、優劣、強弱、美醜、明暗などを比較してしまう傾向にある様なのです。つまりは情報の「相対化」を行ってしまう性癖があるという事です。より重大な情報にだけ注意を向ける事により、自分の身に、より大きな影響を及ぼすであろう情報に反応してしまうのです。それは、比較的に矮小化となった情報は無視(軽視)されがちになる事を意味します。こんな単純な私たち(国民)の性癖を、この国でも最も賢い頭脳集団(つまりはリーダーの参謀達)が見逃すはずはないでしょう。

つまり、政治ショーの舞台で、短期的解決が困難であるためあまり取り上げて欲しくないトピックス(臭いもの)に蓋をするためには、敢えて「より重大らしい問題」を取り上げる事により、それが可能になるという原理を利用しない訳がないと思うのです。安保法制などは、まさにこの国では合憲・違憲の決着がつかない格好の問題の一つだと言っても良い典型的なテーマと言っても良いでしょう。国会の議論やマスコミの論調、あるいは世論調査の結果を眺めても、誰もその乱麻を切る快刀を持ち合わせていない事は明らかです。取り敢えずの景気対策が表面上は効奏している間は、他の重大な問題からは衆目を逸らしておくことが出来るのです。

同様に、極端に右寄りの論者を泳がして置けば、それよりやや中道に近い議論が。さも(相対的に)リベラルである様な印象を国民に与える筈なのです。マスコミ批判や極端な右寄りコメントを繰り返す、議員や評論家の背中を少し押して「騒がせておけば」、与党本体は、相対的にさも中道寄りであるかのごとき国民の心証を得る事も可能となるでしょう。これが相対性議論の意味するところです。その意味で、私たちは「おとり」の極論に乗って、強い(拒絶)反応を繰り返す事は自重し、冷静にその背景にある企みを読むべきなのです。

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2015年6月28日 (日)

2741 早池峰山+薬師岳

27日の北上市での用事のついでに、前日の26日に早起きして早池峰山に登ってきました。56年前、東北5山の連続登山の最後に登った時は、雨と視界の全く利かないガスと濡れて滑りやすくなった岩で、散々な目にあったのでした。今回は、曇りながら梅雨入り直前のまあまあの山日和で、暑くもなくスイスイ登れました。前回もですが、この山で特徴的な岩石は、緑色の蛇紋岩と、ツルツルの橄欖岩ですが、素人目にも通常の火山(若い山)では見られない、古い山塊の特徴の様な気がします。

一方、午後から引き続いて登ったすぐ向かいの山である薬師岳は、全く異なった成因の山の様にみえました。何しろ踏みつける足元の岩は、ほぼ全てがごま塩模様の花崗岩(つまりは御影石)だからです。つまり、頂上間の距離が僅か2㎞ほどしかない双子の様なこの2つの山は、どうやら異母兄弟(姉妹?)の様なのです。いずれにしても、火山の多いこの国では、北上山塊は例外的に古い地層の地域である事は間違いなく、特に薬師以南の安山岩の山塊は、地質的には安定している様で、だからこそILC(国際リニアコライダー)建設の候補地もなったのでしょう。

結局、早池峰と薬師の間の狭い谷間は、地質的には成因の異なる火成岩の境界の様な場所だという事が素人にも容易に推察できます。早池峰や薬師に、息づく植物や昆虫、動物たちも、他の山には見られない多様性に飛んではいますが、取り分け有名なのは固有種のハヤチネウスユキソウと薬師のヒカリゴケですが、その他にも岩だらけの早池峰では、狭い地域に信じられない種類の高山植物が入り混じって生えているのが強く印象に残ります。他の山々の様に、少ない種類の植物が群生しているというのではなく、いくつかの植物同士が狭い場所に仲良く同居しているという印象なのです。想像するに。上に述べた早池峰に特徴的な岩石から、微量に溶けだしてくるミネラル分が、多種類の植物に好まれた結果なのでしょうか。

もう少し、広い地域を眺めれば、福島の山々から蔵王や栗駒、焼岳、岩手山、秋田駒や八幡平や十和田・八甲田まで連なる「東北の背骨」は、確かに火山帯が作った山の連なりなのでしょうが、一方で岩手県の北上山地や、福島県の阿武隈山地は、間違いなく海底の火成岩が、太平洋プレートに持ち上げられて地上に現れた、古い地層で出来ているユニークな山塊だという事なのでしょう。今後何度か訪れてみたい興味深い地域ではあります。

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2015年6月26日 (金)

2740 株高バブル

バブル以来18年半ぶりの株高の様です。またぞろバブルの再来なのかどうかですが、間違いなくそのニオイはありそうな気がします。何より、景気が上向く決定的な要因が見当たりません。多くの投資家は、上げ潮のムードに乗っかって買いを続けているものと想像しています。円安で、輸出企業は確かに一息ついている事でしょう。同じく円安で、海外からの観光客の増加は確かに顕著ですが、C国人が爆買いをしたところで、その恩恵に与る業界は限定的でしょう。 別のバブルの例は、例えばO-ストラリアからも報告されています。都市部でのマンションや一戸建ては、最早庶民には手が届かないレベルまで高騰してしまっているとの事です。確かに、C国の金持ちが海外不動産を買い漁っているのは事実でしょう。この国でもそれは報告されています。しかし、問題はその尻馬に乗って、不動産を吊り上げようと企む輩も多いからこそ、価格がドンドンつり上がる訳です。これは、まさしく前のバブルの時観察された傾向でした。バブルは、決して一部の輩の仕業ではないのです。その波に乗り遅れまいとする普通の投資家が続き、ついには一般庶民まで投資に走る時にこそ、本当のバブルに成長し、程なくしてパチンと弾けるのでしょう。 さて株高です。本来株は、企業が資金を調達するために発行するものの筈ですが、今やそれは単なる有価証券という、財産形成の一方法に過ぎなくなっているのです。企業が設備投資のために増資を図るとか、業績が上向いて先々の利益率増加が期待できるとか、良いニュースに裏打ちされた株高であれば結構ですが、株主だけの目論みで跳ね上がっている株価にしっかりした「実体」は期待できないでしょう。隣のC国のバブルも所詮長続きなどする訳もありません。ここでは、颯爽とした「波乗り」よりは、足元を踏み固めながら地道に進むのが一番というシンプルな結論です。明日は投稿無しです。

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2015年6月25日 (木)

2739 ISSの終活

また新たな宇宙飛行士がISSに向かう様です。大枚の税金をはたいて打ち上げた、ISSJapan moduleを空き家にする訳にも行かないので、新たなミッションを無理やり作って送り込むのでしょうが、巨額の財政赤字を抱えるこの国が、何百億も費用が掛かる宇宙飛行士を送り続ける必然性が全く理解できません。ハイビジョンや特殊なカメラで、地球や宇宙の映像を撮りたいのであれば、気の利いたロボットをISSに常駐させれば済む話ですし、各種の無重力実験だって、ロボットに出来ない訳はありません。

もし、本当にそんなものがあるのであれば、「ISSの成果集」なるものを是非発表していただきたいものです。学術的で素人に説明しても分からないにしても、噛み砕いた言葉や図や写真を使って・・・。そしてそれが、どんな風に学術や私たちの生活に役立っているか説明して貰いたいのです。そうでなければ、多額の税金を使う意味が無いではありませんか。間違いなく、彼らを宇宙に送り続けている組織の役割は、単に少年少女に宇宙飛行士への見果てぬ夢を植え付ける事だけではない筈なのです。百歩譲って、ISSが「無重力状態での実験室」として必要なものだとしても、ではそこで合成できた貴重な薬品や完ぺきな合金が、果たして地上で再現できるものなのでしょうか。宇宙に工場を建設する事でしか作れないモノだとすれば、やはり天文学的なコストでしか作れないシロモノだという事になります。

ISSも、長期間に亘って日々激しい「宇宙線」に晒されて、かなりの劣化が進んでいる事でしょう。そろそろ、これをどの様に退役させるか考え始めなければならないと思うのです。打ち上げるのは簡単ですが、それを問題なく退役させるは至難のワザでしょう。何しろそのまま落下させても巨大なISSが燃え尽きるとは思えませんし、かといって宇宙空間で爆発させれば、破片が他の衛星に影響を与えるかも知れません。原発廃炉同様に、その解体には困難な技術を開発しなければならない筈なのです。何事も始めるのは簡単ですが、静かに幕を下ろすのは難しい作業なのです。何故なら、御用済みになったモノやコトに、幕を下ろすために追加で多額の税金や人材を投入すると言う合意は、なかなか得られにくいものだからです。

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2015年6月24日 (水)

2738 破局の理論

一般的な意味の破局と「破局(カタストロフィー)の理論」で定義される「破局」とはややニュアンスが異なります。その理論によれば、破局は偶然訪れるのではなく、起こるべくして起こると言い切るのです。破局が起こるにはいくつかのパターンがある様ですが、ここではある政権の破局を考えてみる事にします。

破局に至る過程は、木登りに似ています。子供が、木に登りたがるのは自然ですが、登る時には殆ど問題は無いでしょう。上を向いて、次に捕まる枝を探し、それを手で持って体を引き上げて、徐々に登って行けば良いからです。しかし、登った高さが高くなってふと下を見下ろした瞬間、下に居た友達が小さく見え、ずいぶん高く登ってきた事に「気が付いてしまい」、急に足がすくむのです。これが、ヒトが精神的に破局を迎えた瞬間だと言えます。株式投資の分野などでも同様の事が起きがちです、上げ潮の時はイケイケドンドンで「買い」に走った投資家も、誰かがふと不安を感じて、リスク分散のために「売り」始めた瞬間、たまたまそれに気が付いた他の投資家も、のめり込み過ぎた不安を共有して、やはり売りを始めるかも知れません。電子取引となった現在では、その逆向きの流れは急激に拡大するでしょう。実体経済以上の株高の現在、ブラックマンデーの悪夢が再来するかも知れません。

さて、現在のこの国の政治ショー?です。一貫して強気を通してきたあのリーダーが、景気や安保法制の決議やTPPや福一のコントロールにふと不安を感じた時が、まさに彼にとっての破局の始まりの瞬間となる筈です。その兆候は既に見え始めている可能性があるのかも知れません。例えば仲が悪かったお隣のK国との関係を急速に回復させようとしている事は、敵を増やしたくない気持ちの表れにも見えます。何より、後日振りかえれば、あの国会での憲法学者諸氏の「裏切り」が、今政権の破局のきっかけとなったと映りそうな気もします。いずれにしても、破局を防ぐには、ジリジリと後ずさりを始めるしかありません。更に強気を続けるのであれば、程なくしてAベ氏は、木から落ちる様に追い落とされ退場を余儀なくされる事でしょう。

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2015年6月23日 (火)

2737 ジャグリング政治

Oイコノミアは毎週結構楽しみにしています。というのも、毎回いくつかの経済用語が紹介されるからです。また経済学は、結局は心理学であり、社会学であり、地政学であり、つまりは「学際学」であるという事の様です。昨晩の回のキーワードは「ジャグリング」。ボールや、ボーリングのピンみたいなものを3個かそれ以上を空中に投げては受け、受けてはまた投げ上げる動作を繰り返す「芸」ですが、今回はそれが貧困の連鎖と似ているとのポイントだったのです。そう言えば、カタカナにしなくても、この国にもピッタリの表現がありました。「火の車」です。

さて国の借金である国債もたぶんその典型でしょうか。国債の利払いのために、また新たな国債を発行すると言う悪循環です。悪い状況を回避するために、それに民衆の注意が向かない様に、別のイベントを打ち上げて、衆目を引き付けると言うやり方も、ジャグリングの変形かも分かりません。国の膨大な借金や過酷な原発事故から目をそらさせるために、危なっかしい経済活性化策を打ち上げ、それが行き詰まりを見せると、今度はオリンピックや、「Collective deffence=なんたら自衛権」でマスコミを煽るなど、この国の状況もまさに、今のリーダーによるジャグリング政治とも呼べるでしょう。

ジャグリングを回避するには、小さな余裕を積み上げて、大きな余裕にする事が必要の様です。財政の赤字は、先ずは徐々に赤字幅を縮めることから始めるのでしょうが、それが黒字にならなければ、借金は未来永劫減らないのです。政治は「ショー」なのかも知れませんが、福一事故の現実に蓋をする事は許されませんし、ましてや堂々巡りの憲法論議で、マスコミのニュースを埋め尽くしてしまうなど、言語道断のジャグリングと言えるでしょう。何処に、この国の「余裕」を見つければ良いのでしょうか。まだ、たった?国民の6人の1人しか貧困状態ではない今の内に、何らかの手を打って、貧困の連鎖を断ち切る方策を打ち、結果として生活保護世帯が減り、結果として殆どの国民が税金を払える様になれば、国の債務も無くなり、皆が幸福に暮らせるようになるのかも知れません。

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2015年6月22日 (月)

2736 温暖化問題再々考

温暖化は、CO2を始めとする、言わゆる「温暖化効果ガス(GHG)」の増加によるものか、それとも長期の温暖化と寒冷化を繰り返す、「超長期の気象サイクル」の一断面なのか、未だに論争は続いている様です。しかし、結果として北極海の氷や陸氷の面積はドンドン減少し、一方で巨大ハリケーンあるいはゲリラ豪雨の頻発や、逆にバイカル湖を含む、シベリア・中央アジアの少雨傾向など、異常な気象が固定化しつつあるのも事実です。上記の論争は、結局「卵が先かそれともニワトリが・・・」論争と本質は変わらない様な気もするのです。

それは、温暖化に関連する気象変動が、更なる温暖化を招くという、悪循環の典型だからです。温暖化により極氷の面積が減少すると地表面の反射率(アルベド)が減少し、夏季の極地方の海水温が上昇し、海水中に熱を蓄えます。これが、次の冬季の結氷が弱くなる原因となり、悪循環のスパイラルが回るのです。同時に、極地方の温暖化は夏季の凍土融解も招き、沼地となったツンドラ地帯からは多量のメタンガス(強力なGHG)が発生する更なる悪循環も招きます。結果、今や夏場には北極海を船が航行できる時代になり、一方で、何万年も凍土に閉じ込められたマンモスの氷漬けの生の化石?が次々と出土する事になります。

この悪循環を切るには、単なるCO2削減対策だけでは、全く不十分だと言うしかありません。何しろ、1割、2割の削減割り当てでも、各国がブーブー言ってCOPの結論が出ない事でも分かる様に、国際的な利害を調整しながら、ヒトの欲望を抑える事は殆ど出来ない相談だからです。であるならば、やれる事は限られてきます。私たちの起こすべき行動のキーワードは、このブログでも、多分100回以上繰り返している「持続可能性」しかないと思うのです。つまり、今行っている行動やこれから行う行動に選択肢があるなら、「どちらの行動がより持続性が高いか?」という問に答えながら前に進むという考え方です。

従って、この基準に照らせば、何十年あるいは100年以上採可年数があるからと言って、有限な地下資源に頼るのは子孫の幸福のためには間違いでしょうし、太陽光の利用(いわゆる再エネ)の採用は、正しいと判断できます。温暖化問題は、持続可能性の危機の問題であり、単にCO2排出量問題に「還元」するのは、国際的な経済問題と絡んでくる事もありミスリードを引き起こすと思うのです。これも明確な結論の出ない終わりの無いテーマではあります。

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2015年6月21日 (日)

2735 フリップフロップ社会

表題は、元々は電子回路の呼び名で、0と1の二値を取る得る回路を指します。それは、結果としてコンピュータを生み出し、今日のデジタル時代を作り上げた功労者とも言えるでしょう。しかしながら、悲しい事にこの回路は、例えば0.5とか0.25とか0と1の間の値を取る事は出来ないのです。そこが、アナログとの決定的な違いではありますが、それは現実の社会でも起こり得る問題でもあります。

例えば、政治の世界です。たった3割の支持率しか持っていない政党が、2/3以上の議席を奪うなどと言う事態は、まさに政党のフリップフロップとしか言えないでしょう。その少し前は、20%を少し超える程度の支持率の政党が政権の座に座っていたのでした。政治の世界では、これを「雪崩的勝利(あるいは敗北)」などと呼びますが、いわば保守とリベラルの二値の世界だと言う事も出来ます。これはとても危険な状況であるとも言えるかも知れません。

そうではなくて、この世の中にはアナログな中間値も絶対に必要なのです。それをこの国の文化では、「好い加減」と言ったり、「塩梅」と言ったりしていたのでした。世の中や自然界は決して二値の世界ではない筈です。確かに、斜面に積もった雪は、何かのきっかけで動き出し雪崩になってしまう事もあるのでしょう。だからと言って、自然界には積雪状態と雪崩の二値しか存在しないかと見れば、多くの積雪はやがて雪渓となって、ジリジリと目には見えないスピードでずり落ちたり、あるいは気温が高くなるにつれて、ポタポタとゆっくり解けだしていくのです。その現象は、とても(0,1)のデジタルで記述できる筈もないでしょう。

まして、人間の行動においておやです。人間の脳は、神経細胞と脳内伝達物質によって情報を処理しているのでしょうが、それは決して単純なフリップフロップ回路ではないでしょう。何故なら、同じインプットが別々の人に入ったとしても、そのリアクションは個人によって、微妙にまたはひどく違っているのが普通である事でも分かります。最近のフリップフロップ社会(=デジタル社会)には、アナログ回路で「大まかに」チェックを加える必要性を感じます。そうでなければ、部分部分の判断は正しくても、全体としては間違っているという矛盾に陥るでしょう。さて安保法制や如何。

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2015年6月20日 (土)

2734 総合戦略?

中央のお役人が放り出した第三の矢の中身である「○○版総合戦略」が、この地域でも策定が進められている様です。しかしながら、「何処も同じ秋の夕暮」ではないですが、ここでも「少子化対策」、「移住・定住奨励」に加えて「雇用増加」の3つの柱に集約されてしまいます。なにしろ毎年1万人程度の人口が減少し、2040年には半分近くにまで減ってしまうと予測されている、少子高齢化のトップランナーですから、悩みも深刻です。

高齢化は如何ともしがたいとして、少子化対策ですが、妙案がある訳でもなく、可能な限り婚活を勧め、可能な限りの多子を奨励するしかアイデアは出ていない様なのです。移住・定住の奨励ですが、これも全くお手盛りの対策で、とても「戦略」などとは呼べないシロモノなのです。精々空き家情報を流し、ささやかな助成金を積むくらいの知恵しか持ち合わせていない様です。雇用の増加こそ数値目標は掲げてはいますが、増加させたい雇用数の数字を決めるくらいは小学生にも出来る作業でしょう。問題は、新たな産業創生のアイデアが殆ど無い事なのです。相変わらず農業の大規模化・法人化、あるいは農産物の加工・販売も手掛ける6次産業化、更には東北の片田舎では全くあり得ない「航空機産業の拡大」、更には頼みの綱の企業誘致や観光産業の勧奨などなど、どこの地方でも耳にする「お馴染みのフレーズ」が並ぶのみです。

こんなものであれば、どこかの件が作ったモノを県名を変えて「○○県版総合戦略」と書き換えれば、お役人の無駄な作業が省けると言うものしょう。

そうではなくて、地方は足元を改めて見まわして、その地方の持つ固有の「資源」を掘り起こすべきなのです。資源とは言っても、何も地下資源を指すものではありません。具体的な例で言えば、かつてその地方に存在した「地場産業」の再発掘もあるでしょうし、再エネの拡大に向けた、風況、太陽光、地熱、バイオマス資源などのバランスの特徴もあり得るでしょう。また、この地域では豊富な珪藻土が採れますし、かつて地域を支えた鉱業や石油掘削産業を支えた企業もそれなりに残っているのです。これらの企業がリスクを取りさえすれば、風力発電や地熱発電の重要なコンポーネントの製造が担えるポテンシャルはあると思うのです。しかし、現状はリスクを嫌い、大企業の下請け仕事だけしか興味が無い様なのです。これでは、少子化、消費縮小、経済規模縮小、更なる人口減少というVicious spiralからは、未来永劫脱却できないでしょう。たぶん続きます。

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2015年6月19日 (金)

2733 航空機病

お隣の国では、中東発のウィルスに悩み切っている様です。このウィルスの感染力は幸いな事に感染力はそんなには強くない様ですが、どうやら数メートル以内に近寄って、同じ場の空気を呼吸すると飛沫感染が起こる様ですが、それは例えば同じ飛行機に乗り合わせても、感染者のすぐ近くに座っていた人か、あるいは機内サービスCAなどに二次感染のリスクが発生する邸でしょう。

しかし、最大の問題は感染がヒトと航空機をキャリアとして、一気に数千キロ離れた場所に飛び火すると言う点なのです。エボラウィルスなど激烈な症状を呈する病気は、国際社会を上げて封じ込めようと躍起になるのですが、MERSは、潜伏期間もそれなりに長い事もあって、網をすり抜ける可能性も高い様です。また、今回のMERSは殆どが病院内での感染で広まった様で、病室は感染者と被感染者が狭い空間で、密に接触するという点で、飛行機の中よりむしろ危険な場所だと言えるでしょう。

この種のウィルスは、例えば風邪インフルエンザやSIRSの様に、豚や家禽を宿主として忍者の様に変容し、渡り鳥をキャリアとしてヒトや家畜(家禽)に感染して発病するウィルスでしたが、その意味でウィルス病も新たな段階に入ってきたとも言えるでしょう。他に適当な呼び名が浮かびませんので、これを「航空機病」と呼ぶ所以です。さて、どうするかですが、航空機による旅行や観光が、これほど濃密に行われる様になった時代、この種のウィルス病を水際で食い止めるのは至難のワザだと言うしかありません。書くなる上は、ヒトの免疫力を高める食べ物や薬の研究に期待するしかなさそうです。何しろ、「敵」は、有能な忍者の様にワクチンを作っても、それによって得られた免疫網をかいくぐる様に、変身を繰り返す強者ですから・・・。インフルエンザウィルスとワクチンのイタチゴッコの歴史がそれを如実に物語ります。

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2015年6月18日 (木)

2732 このブログは?

今日は特に書きたいネタが見つからなかったので、このブログの紹介です。このブログは毎日書くように努めています。つまりは、今回まで2700日以上書き続けている勘定です。7年以上にもなる訳です。思い起こせば、これを書き始めたのは、サラリーマンを完全に卒業して、フリーランスになった直後でした。仕事は自分で探さなければならなくなって不定期になったため、結構暇な時間が出来たので、その時々にあれこれ考えた事を、まとめてみようと思ったのがきっかけでした。開いた事務所は、「○○環境カウンセラー事務所」としたので、ブログの切り口もギンギンの「環境ブログ」としてスタートしたのでした。そう言えば、最初の事は書きたい事が山ほどあって、日に2回投稿した事もありました。

ブログを書くには、先ずタイトルを決めます。タイトルは、日々のニュースなどを聞いて感じたことを「環境(保全)」という切り口で洗い直します。出来れば10個くらいまとめて考えます。それとは、関係なしに日々徒然に感じた事も書き残す様にしてきました。絶対避けるべきは、単なる他人や政治家の批判です。もし批判したとしても、それに加えて、「ではどうすべきなのか」という前向きな提案もつけ加える様にしてきたつもりです。固有名詞も出来るだけ避ける様にして、イニシャル程度に留める様にしてきました。

加えて、環境という切り口では、その背景に「持続可能性」というリトマス試験紙に照らして判断する事を実行してきたつもりです。つまり、どんなに素晴らしい科学や技術があったとしても、それが将来世代の幸福につながらないものであれば、直ちに止めるべきだという視点です。何故なら、全ての生き物は、ヒトも含めて、環境に順応するように進化し、環境と共存してきた筈であって、生き物自身が環境を汚し、破壊して蔓延った場合、例外なく環境によって駆逐されてしまった歴史があるからです。全ての滅び去った文明は、例外なく戦争だけで消えたのではなく、環境からのしっぺ返しで消滅したと思うからです。

という訳で、投稿者は今後も、東北の「定点から」変わらない視点で、世の中を観察して行こうと思っています。

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2015年6月17日 (水)

2731 ポスト2020

そんなことは無いと思いますが、もし万が一、間違って、瓢箪から駒が出て、まあまあの景気が2020年まで続くと仮定しても、その後の展望は何も見えていません。今は円安に後押しされ、、頼みの綱の観光客も五輪に向けてそれなりに上向くでしょうが、その後は景気と共にガタリと落ち込んでしまう事でしょう。

三本目の矢とやらの成長戦略も、結局中央のお役人があれこれ考えるのが面倒くさいと投げ出してしまい、地方で勝手に考えて提案する事にした様なので、多分多くの地方(県や政令都市レベル)が少ない知恵を絞った成長戦略も、ズッコケてしまう事は火を見るより明らかと言えるでしょう。何故なら、県は県の都合しか考えていないし、地方のお役人の視野も多分相当に狭いものだからです。県レベルから、生の世界市場が見える筈もないでしょうから、何か新たな産業や雇用の種を考えたとしても、精々地場産品や昔からある観光資源などを、どうにかして目一杯活用する程度の(小手先の)戦略しか思いつかないのです。何より、計画を立ててもそれを担いでくれる若い人材も、地方では人口がグングン減り続けていますから、マンパワー不足も免れ得ないでしょう。そんなこんなで、2020年は、あっと言う間に到来してしまうでしょう。国立競技場問題などの五輪騒動でバタバタしている内に2020年が来てしまい、それが終わって秋風が吹き始めると、この国の経済には寒風が吹きすさび始める事は容易に想像出来ます。

そうではなくて、目の前の課題とは切り分けて、誰かが2020年後にこの国が目指すべき社会や国の青写真を描いて見せなければならないです。5年などという年月は、お国は中期などと言う呼び方をしますが、それこそまさにあっという間に過ぎ去ってしまうでしょう。従って、描くべきは10年刻みのマイルストンだと思うのです。その上で、50年を展望しなければならないでしょう。今から50年前と言えば、1960年代後半になる訳ですが、流石にあの時代に現在の様な社会を見通した人は、SF作家や漫画家くらいしか居なかったのですが、それはその後の20-30年の変化が余りに目まぐるしかったからです。人口が減り始め、変化のスピードが鈍った現在、50年後の青写真を描くのも、50年前に比べれば、比較的楽な作業だとも言えるでしょう。念を押しておきますが、青写真は意志を以って「描く」ものであって、決して「予測するもの」ではない事は銘記すべきです。

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2015年6月16日 (火)

2730 入口=出口

全ての「流れ」のある現象には必ず入口と出口が必要です。もし、入口はあるが出口が十分確保できない場合、事態は袋小路状態になり、フンづまり状態に陥るからです。例えば、どんなに素晴らしい発明や技術を使った、素晴らしく便利な機械が出来たとしても、十分なニーズが無ければ、売れる筈もありません。メーカーが、売れる事を見越して無理をして大量生産体制を作ったとすれば、そのラインが動き出してしまえば大量の在庫を抱えて途方に暮れる筈です。

さて、この国の最近の動きです。経済は、間違いなく「流れ」ですから、いくらお国が躍起になって「お金を印刷」しようとも、それが銀行の倉庫(金庫の事です)に積み上がってしまっては、景気浮揚もなにもあったものではないでしょう。確かに、多量のお金が出回れば、決まったモノを買うのには、それまでより多くのお金が必要となり、見かけはインフレになるでしょうが、しかしこれはアフリカあたりで報じられている「ハイパーインフレ」と本質的に変るものではないでしょう。真のインフレは、モノ自体の動き(需要)が活発となって、それを供給する産業も活発になり、結果として経済が成長すると言うモデルであるべきでしょう。先ず通貨の流通量を増やす事から始めた、Aベノミクスの出口は、一体何処に見つかるのでしょうか。

昨晩のOイコノミクスで紹介されていた「トンネリング」という言葉が耳に残りました。つまりは、閉塞状態にある時、トンネルの出口の光だけを見つめてしまう傾向の事で、その先にある筈の周囲の状況が目に入らなくなる状態を示す表現です。景気回復だったら景気、安保法制=集団的自衛権の行使だったらそれしか見えない現政権の視野の狭さに大きな危機感を覚えます。出口を見通す時には、その出口の先に広がる景色を展望する「広角レンズ的視点」の必要な所以です。

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2015年6月15日 (月)

2729 修理代>新品

5-6年使い続けてきた、スキャナーもついたインクジェットプリンターが、モニターに断末魔のエラーメッセージを表示したまま動かなくなりました。ネットで調べてみると、どうやら内部の基盤の故障の様で、修理に出す必要があるとの事で、販売店で確認したら最低でも1万円は覚悟してくださいとの返事。同時にその販売店で新品を探してみたら、なんとほぼ同じ機能のプリンタは5千円を少し超える値段で売られているではありませんか。まさに、修理より新品の方が安いという、近年ではごく当たり前の?風潮の典型例だと言えます。

笑ってしまうのは、その5千円台のプリンタには値札が2枚ついていて、本体に含まれる「オマケのインク」に加え、スペアのインクセットとなっているものは1万円前後の値段となっているのです。なんと、一組のスペアインクは本体と同じ程度の値段の設定になっているのです。全く信じられない話です。ネットで手に入るプリンタだけの機能しかない機種は2千円台の様ですので、面倒くさがりの人は、インクが切れたらなんと新品を買ってしまうのだとか。全くどういう時代になってしまったのでしょうか。

インクタンクの形式も、新機種が出るたびに「改良?」され、旧機種との互換性はありませんから、古い機種の予備インクを持っていたとしても、プリンタを買い換えるとそれは廃棄せざるを得ない訳です。これまでは、百円ショップで買ってきたインクを使って、カートリッジを逆さにして、無理やり補充して使い続けてきましたが、新しい機種ではもしかするとそんな裏ワザが使えない様な「仕掛け」を入れているかも知れません。

それにしても各プリンタメーカーが。どんなに立派な「環境活動レポート」を発行して、環境経営を主張したとしても、それは単なる絵空事に見えてしまいます。何故なら、製品そのものの設計や売り方が全く環境に優しくないからです。もし、メーカーが本当に自社の製品に自信があるのであれば、インクカートリッジや印字のユニットの設計を、修理を前提に長期間固定してくれれば、上記の問題は少なくなるのです。つまり、故障しても機種をまたがって予備品に互換性が生まれますから、修理費も安く上がるでしょうし、何よりインク代も安く設定できる筈です。

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2015年6月14日 (日)

2728 積極的グリッドパリティ

2727の続きです。さてグリッドパリティとは、商用電源の電力料金を基準として、再エネなど自前の電力のコストがそれを下回るか否かのげんかいてん分岐点と定義できます。しかし、考えてみなければならないのは、商用電源は電力会社のコストに加え、FITによる上乗せ、税金、地域への交付金などかなりの「オーバーヘッド」が載っている事は留意すべきでしょう。一方自前の再エネで考慮しなければならないのは、設備の償却費やメンテナンス費用などしかありません。

もう一つ考えなければならないのは、単なるソロバン勘定だけではなく、発電設備のオーナーの意志でしょう。つまり、「何時までも化石燃料や原発には頼らない」という、再エネ投資への強い意志の事です。もし、そう言った強い意志があるのなら、それを先ずは省エネへの強い意志へ振り向ける事も出来るでしょう。3割の省エネが達成できれば、再エネに切り替えのための投資は7割に圧縮できるでしょうし、その分投資の回収期間も短縮出来るでしょう。もし15-6年掛かると試算され、二の足を踏んでいた再エネ投資も、もし10年で回収可能なら、決断のためのゲートもぐっと低くなるでしょう。

つまり、これまでの延長線上でのグリッドパリティと、省エネと再エネ投資への強い意志を織り込んだパリティとは、かなり違ったものとなる筈なのです。前者を「消極的パリティ」と呼び、後者を「積極的パリティ」と呼んでおきます。その違いは、優に2-3割程度の開きは出る事になるでしょう。それは、同じ投資額で再エネの比率を2-3割増やす事が出来る事を意味し、原発ゼロの早期実現も見えてくる筈なのです。

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2015年6月13日 (土)

2727 再エネ投資

この国では20兆円を超える金額を化石燃料の輸入に費やしているとか。当然の事ながら、福一の過酷事故以降は、原発の全面停止を受けて数兆円増加た結果、このレベルに至った訳です。しかしながら、もし私たちが、かつてのオイルショック以降に必死になって実行した省エネルギー活動を再度展開し、この20兆円の内僅か5%でも圧縮できるなら、1兆円という財源が生まれ、これをいわゆる再エネ投資に振り向ければ、この国の再エネの割合は急激に増加出来る筈なのです。

再エネ投資は、例えば太陽光発電なら20-30万円/kw程度の投資額、風力発電で言えば小型のものでは100万円/kw、大型のものならその半分て以下で建設可能でしょう。荒っぽく、平均50万円/kwと仮定するなら、1兆円もあればなんと200kw分の再エネ発電設備の投資が可能なのです。100kwは、概略原発1基分ですから、1年で原発2基分の再エネ発電量の増加が可能となる訳です。10年間では原発20基分で、20年では40基分になりますから、20年後には間違いなく原発ゼロの達成が、無理な投資をしなくても実現可能なのです。

つまり、電力消費を現状のままに固定し、原発の再稼働を前提に、そのためのエネルギー源の、苦しい「エネルギーミクス」の数字などでっち上げなくても、取り敢えず現状から5%か10%の省エネを達成し、浮いたお金を再エネ投資に回すだけで良いのです。このブログでも再々書いてきた様に、ねじり鉢巻きで努力すれば、普通の企業でも3割程度の省エネ達成は十分可能です。10%の省エネなど、まさに「朝飯前」で実現可能でしょう。オイルショックの直後は、テレビの深夜番組が無くなり、町のネオンサインは12時で消灯されたのでした。照明を蛍光灯からLEDに交換するのも結構ですが、朝早く起き、夜は早めに寝る生活に切り替えるだけで、お金を掛けなくとも10%の省エネなど造作もない話でしょう。省エネでお金を浮かし、浮いたお金で再エネ投資を行う事を、ここでは「省エネ・再エネスパイラル」と呼んでおきましょう。原発の再稼働は、エネルギー浪費とリスク増加の悪い循環に相違ありませんが、このスパイラルは「良い循環」なのです。

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2015年6月12日 (金)

2726 高齢者移住

都会に住む高齢者には、然るべき田舎に移住して貰いたいのだとか。確かに、高度成長期に開発された大規模団地は、今や高齢者の比率が極端に大きくなり、「高齢者団地」化しているところも多い様です。このままでは、都市の郊外は介護を要する高齢者だらけになり、それを支える側のパワーが足りなくなり、悲惨な結果を招く可能性が大ではあります。実際にも、既に独居老人の割合も増加の一途を辿り、いわゆる孤独死の問題も年々歳々大きくなりつつあります。

しかし、だからと言って、それを地方都市や田舎に押し付けるのもいかがなものか、とも思います。田舎こそ、少子高齢化が加速しつつあり、人口が少ない若い世代が、人口の多い年寄り世代を支えている事情は、都市以上の厳しさがある筈です。田舎が、都市よりマシなのは、お年寄りが結構な年齢になるまで、野良に出て畑仕事などに勤しむ機会が多いという点でしょうか。つまりは、生涯現役に近い暮らしが可能であるという事になります。自分が食べる程度の野菜を育て、あるいはコメを作る事は、実は高齢者の楽しみでもあり、生き甲斐でもあるとという点は忘れてはならないでしょう。

単に人口を都市から田舎に移動させるだけでは何の解決にもならない事は明白です。高齢者人口が増えて、若い世代が増えないのであれば、高齢者は高齢者自身で、自分たちの生活を支える覚悟が必要でしょう。「死んでも?寝たきりにならない」という確固たる覚悟が必要なのです。その意味で、都市の多層階の住宅で、外にもあまり出ない生活の結果、多くのお年寄りが介護を要する事態になるのは避けなければならないでしょう。必要な事は、「高齢者の仕事」を作り出す事だと思うのです。それは何も金儲けをするための仕事ではありません。そうではなくて、高齢者の楽しみと生き甲斐が得られる様な「仕事」なのです。人が生き甲斐を感ずるには、それによって「抗力感」や「達成感」を感ずる事が必須です。多くの人にとって、他人の役に立つ事が、それに役立つと言われています。元気な高齢者が弱った高齢者を支える老々介護や、自分が得た知識や技を若い世代に伝える仕事などが、多分それらの候補になるでしょうし、田舎では作本を育てて、自分の食を支え、ご近所にお裾分けをする事も同様に望ましい行動になるかも知れません。移住政策も結構ですが、同時に然るべき仕事が出来る様な環境を整えない限り、単なるお役人の思いつきで終わってしまうでしょう。何時もの様に。

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2015年6月11日 (木)

2725 分不相応国

この国には「分相応」という言い方があります。しかし、東アジアの小さな島国で、しかも先の大戦の戦敗国が、戦後数々のラッキーに恵まれた高度成長期を通じて、どうにか大国(G7?)の仲間入りを果たした事を、この国の、特に政治家は、忘れてしまった様な気がします。警察組織を格上げした自衛隊は、必要最小限の正当防衛部隊であった筈ですが、今や世界の各地に出張?して、他国の補給を担えるほどのパワーの増大してきました。

しかし、地勢的にこの国の立場が変わった訳でもありませんし、人口減少局面に入った事もあり、頼みの工業力でさえジリジリと途上国に追い上げられて後退・縮小を余儀なくされている事は、いくつかの老舗大企業のリストラ報道でも明らかでしょう。確かに、かつて「Japan as No.1」と祀り上げられた時代もありましたが、それはバブルによる資産膨張現象の結果であり、一時のアダ花でしかなかったのです。事実、バブル時代に買い漁った海外不動産の多くは、手放さざるを得なかったのでした。バブル時代に背伸びしきったこの国は、たった三本の細い矢を放ちながら、未だにその影を追い続けている様に見えます。

そろそろ、この国は過去のラッキー(フロック)を忘れなければならないでしょう。その上で、足元をしっかり見つめ直し、踏み固め直した上で、来たるべき時代の「分相応な」価値観、倫理観を据え直さなければならないと思うのです。ここで言う「分相応」とは、この国の地勢的な立場、人口規模やマンパワー(科学・技術力)を前提にした国力、グローバルな視点での役割分担、世界の模範となる様な幸福の基準を指します。それは、決して経済力やお金に換算できる価値は指しません。そうでなくて、質素でもココロ豊かな社会の実現を意味するのです。奥深いテーマなので、この項、多分続きます。

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2015年6月10日 (水)

2724 「シームレス」という自己矛盾

憲法や法律などというものは、そもそも国や国民として、して良い事と、してはならない事の間に一線を引くものであり、その境界を判断する仕組みが裁判所という存在のはずです。じっくりこの意味を考えてみれば、今のお国のリーダーの主張は明らかに自己矛盾でしょう。つまり、いわゆる正当防衛のための自衛行動から、事実上戦争に近い状態の後方支援まで、「シームレスな安保法制」を作るという事は、その言葉の中に、既に自衛と戦争の間に一線が引けない状態を作ってしまうと言う論理の破綻を抱えているのです。正直な閣僚が答弁でつい舌を噛み、憲法学者が声を揃えて憲法違反であると合唱する所以です。

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2015年6月 9日 (火)

2723 温暖化再考

65日は、実は「環境の日」でした。1972年の環境関係の国際会議で、日本+セネガルの共同提案が採択され、世界環境デーに決まった訳です。この頃の日本の状況を振り返ると、この前年に環境庁が発足している点は注目すべきでしょう。この頃、日本は各地で表面化したいわゆる公害の抑え込みに必死でした。取り分け、いわゆる4大公害(裁判)への対応のため、国を挙げて取り組まざるを得ない状況だったのです。

その後、工場に対する各種の「排出規制」や、車の排ガス規制など、多くの公害ん関連法制を取り決め、国内における公害問題に関しては、かなり、あるいは殆どと言って良い程抑え込みに成功したと言って良いでしょう。企業は、厳しく規制された、水、大気、騒音と言った公害源に課された「排出規制」を守るため、設備投資を余儀なくされ、一方で公害管理者などの人材育成も行わざるを得ませんでした。排出規制を守るためには、モノづくりのプロセスの改良にまで踏み込まざるを得ないケースも多かったのです。

しかし、一方で公害問題は、実は途上国に「輸出」されたしまったと言っても過言ではありません。この国は、輸入大国となる一方で、結果的には公害が発生する様な「汚い工場」を海外に放り出してしまったのです。水銀を使う製品や化学プロセスを必要とする産業、あるいは金属精錬やメッキと言った重金属による汚染が問題となる産業、更には低レベルながら量が多い有機系廃棄物がでる食品産業など、多くの汚れ産業を国内から海外生産へ振り替え、国内をクリーンに保ってきたとも言えるのです。

温暖化は、これらの公害の後に続く、目立たず、しかし国境を超える広がりを持つ「沈黙の汚染」と言えるかも知れません。この問題に、公害対策の様な狭い地域を対象とした手段は無効です。何故なら、温暖化は私たちの生活スタイルや社会文化そのものの問題だからです。いくら温暖化に警鐘を鳴らし、小手先の省エネ活動をしたところで、私たちが享受している便利な生活を放棄しない限り、温暖化傾向にはブレーキが掛けられないのです。私たちに必要な姿勢は、不便を受け入れ、むしろそれを楽しむ態度だと思うのです。そのためには、配電盤のブレーカを落として「電気の無い日(時間)」を作り、あるいは「車に乗らない日」を作って、小さな不便を体験してみる事がいくつかのヒントをくれるかも知れません。

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2015年6月 8日 (月)

2722 ダクト感染?

どちらかと言えば、以下に書く事は2719の続きとも言えます。ウィルスが原因となる病気の多くは、基本的には空気(飛沫)感染します。詳しく述べるほど知識は深くはないのですが、感染が広がるか否かは、感染力の強さによるのでしょう。感染力が強いウィルスは、病人を見舞いに行った人や、世話をした看護人を感染させる能力を持っているほどです。

しかし、忘れてはならないのは、病院という建物の空調システムの構造です。ほぼ全ての近代的な病院には空調システムが完備されています。それによって、夏でも冬でも患者にストレスを与えない様に、病室を一定に近い温度に保っているのです。これは、病院全体がいくつかの系統の空調ダクトを介して一塊の空気で繋がっているという恐ろしい事実も示しているのです。つまり、病室には常に温度がコントロールされた空気が供給されるのですが、当然の事ながらその空気は「戻りダクト」を通じて空調機に還流します。空調機は、少量の外気と換気した上で、温度を調整してから、再度病室へ送る事になります。

このシステムでの最大の問題点は、病院内に長く張り巡らされた空気ダクトなのです。このダクト内には、間違いなく綿ボコリが溜まっている事でしょう。同時にダクト内は、カビやウィルスの温床にもなっている筈なのです。ダクトは、天井板の中に埋め込まれていますから、基本的には掃除は出来ません。建設されて10年経過した比較的新しい病院でも、空調ダクトの中には10年分の汚れや病原菌、ウィルスが巣食っているでしょう筈です。そのウィルスが、地震か何かの振動で空気中に放出されたら・・・。想像するだけでも身震いします。

事実K国のMERSウィルスも、病院で(たぶん空調ダクトを通じて)感染が広がったと見られています。老人が多く入っている病院で、インフルエンザの流行時期に、同じフロアの人が固まって亡くなるケースが多いのも、看護人を通じた感染に加えて、「ダクト感染」も大きく関与していると考えなくてはならないでしょう。ウィルス病は、ダクト感染病でもあるのです。

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2015年6月 7日 (日)

2721 エネルギーミクス

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パリのCOP21で数字を示す必要があり、2030年における国のエネルギーミクスの数字が示されました。メジャーなシンクタンクの予測によると、この国のGDP2030年には、2013年比13%ほど増加するのだとか。当然エネルギー消費も、ほぼ比例して増加することになるのでしょうが、それより高い経済成長を予測しているお国は、それにも拘わらず格段の省エネ努力で、微増にとどまるとの前提を置いている様です。そのエネルギー需要に対して、国は2030年には、再エネと原子力はそれぞれ20%以上、残りをLNGと石炭が担い、石油は数%に低下するとのエネルギーミクスの数字を作りました。

しかし、この「楽観的な予測」を鵜呑みにする訳にはいかないでしょう。何しろ、2030年にはこの国の人口は現在の9割まで減少し、同時に生産人口はなんと6割にまで低下すると予測されているからです。つまり、基礎的なエネルギー消費は人口に比例するとして自動的に10%減り、生産人口の4割減は、生産性がかなり向上すると仮定しても、GDP1割以上引き下げても不思議はありません。トータルで考えれば、何もしなくてもエネルギー需要は20%以上低下する事は確実な訳で、原発などゼロにしても何ら問題は生じない筈なのです。

加えて、忘れてはいけないのは、今後の15年で、使っていない期間があったにしても原発の劣化がドンドン進むという事実です。40年で廃炉というガイドラインが、正しいと仮定しても、現在残っている原発の半分以上は廃炉にせざるを得ない訳です。従って、原発の新設は逆立ちしても無理でしょうから、2030年に原発を20%分動かすというのは、全く現実味が無い想定になるのです。今のリーダーが、もし長期政権を狙っているのだとしたら、Aベノミクス、憲法の解釈遊びなど早々に切り上げ、2030年原発ゼロ宣言を放って人気を獲得するのが得策というものでしょう

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2015年6月 6日 (土)

2720 ソーラープレーン

数日前、太陽光発電パネルだけをエネルギー源とするソーラープレーンが世界一周の途中、日本に緊急着陸した様です。ジャンボジェット機とほぼ同じ長大なウィングスパンを持つこの機体は、確かに今の技術の粋を集めたものでしょう。機体の超軽量化、太陽光パネルの軽量化と発電量のバランス、軽量化されたバッテリー、空力性能の最適化などなどです。しかし、その機体を以ってしても、世界一周の旅は、天候のラッキーに恵まれなければ、至難のワザだと言えるでしょう。しかも乗客は、パイロットを含めたった1名です。

この飛行の成功が、直ちにソーラープレーンの開発を加速する事にはつながらないでしょう。太陽電池+バッテリーのささやかなエネルギー源で、多数の乗客を乗せ得る旅客機など出来る筈もないのです。日本に立ち寄ったソーラープレーンは、大風が吹いたら主翼がめくれあがってしまう程華奢な構造です。それは、非力な推進力をカバーするために、翼面積を最大にする一方で、グラム単位の軽量化努力を余儀なくされたからに相違ないからです。

もし、実際に旅客を乗せて大陸間を渡ろうとするなら、手段は限られます。最も実現性が高いのは、浮力を気球に頼る乗り物、つまりは飛行船の様なものになります。既に戦前にも水素を浮力源とする「ツェッペリン」が作られ、果敢にも世界一周に挑戦しましたが、落雷か静電気による放電が火種となって、最も着火しやすい可燃ガスである水素に火が着いて、あえなく焼け落ちてしまったのです。

しかし、浮力源がヘリウムなら浮力はやや弱いのですが、不活性ガスなので本質的に安全です。結局、投稿者としては、再エネだけを使って大陸間を渡る乗り物を作ろうと考えるなら、ソーラープレーンではなく、ソーラー・ツェッペリンになるだろうと見ています。もちろん課題というか問題はあります。主なものは、上空では気圧が低くなるので、ツェッペリンは、気球の膨張を抑えるためと客室の与圧の制限から、高い高度では航行できない点と、ジェット機とは1ケタ遅い巡航速度故に、気流に逆らって飛ぶ事は無理なので、ジェット気流などの自然の気流を上手く利用しての航行が必須であるため、航路に制限があるという2点が挙げられます。とは言うものの、日本はこの分野で、世界のトップランナーを担える可能性も高いのです。というのも、飛行船の「袋」を構成する布に使うのに、日本初の技術を使った最強の繊維を持っているからです。カーボン繊維ではありません。その倍の強度を持つザイロンや「雲の糸繊維」です。

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2015年6月 5日 (金)

2719 SARS・MERS

10年ほど前にもありましたが、似たような名前のコロナウィルスによって世界が震撼しています。ウィルスの「戦略」は実に巧みです。といのも、ウィルス自体はさながら細胞核だけの、正確に言えば生物とは言い難く、生体の細胞の中に入り込んで、それを乗っ取って初めて増殖が出来る存在なのです。生体から飛び出して、乾燥状態となっても次に生体に入り込んで、呼吸器系の粘膜に取りつけば、新たなコロニーを作る能力を保っていけるのです。まさにゾンビ生物?とも言えそうです。

しかしながら、ウィルス自体が完全に悪という訳ではありません。それどころか、我々の進化の過程において重要な役割を果たしていると言われているのです。ウイルスの攻撃(あるいは細胞への同化)によって、私たちの細胞や遺伝子が改変され、そのプラスの部分が「進化」と呼ばれて子孫を強化し、マイナスの部分は「病気」となって宿主の健康を害し、以って弱い子孫を残す可能性を低くめてきたのでしょう。つまりは、生物を複雑に強く進化させ、弱い個体は淘汰して、いわゆる適者生存を加速した立役者でもあるという事なのです。

一方で、ウィルスは忍者の様な存在でもあります。私たちの体の中に、あるウィルスに対する抵抗力(抗体)が出来たにしても、次の瞬間には抗体に感知されない様に、表面の形を変えて、抗体の攻撃をかわす「忍術」を使います。その際、彼らは隠れ蓑として動物の体を利用するのです。インフルエンザウィルスは豚、SARSは渡り鳥、数年前に発見されたMERSは、ヒトコブラクダの様です。その隠れ蓑宿主と人との行き来の中で、感染力や毒性を磨いて、「洗練されたウィルス」に進化するのでしょう。コロナウィルスについても、有効なワクチンが開発されるのでしょうが、それが完成した数年後には、これらのウイルスは変身を遂げている筈です。つまり、ウィルスとワクチンのイタチゴッコには終わりが無いと言う悲しい結論になりそうです。

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2015年6月 4日 (木)

2718 同根

K国のフェリー事故と、今回のC国の観光船の事故原因は全くの同根だと見ています。つまり、見かけの良さと積載効率だけを考えて、細い船体に対して過大な居住区を載せた「トップヘビィ構造」に原因が見つかる筈です。更に、それなりの横風や横波を喰らっても、適正な復元力が確保できる様に設計してあれば、二つの大事故は防げたのでしょうが、逆にある角度以上傾いた結果、なんとこれらの船は船底を上にして完全にひっくり返ってしまったのです。つまり、ある限界を超えると復元できないと言う根本的な問題を抱えた船体だった様なのです。

復元力は、完全に船体重心と浮力中心のバランスのシンプルな問題です。復元力を増すには、船底に十分な量のバラスト(錘)を入れて置けば防げる単純な問題なのですが、バラストを増やすと重くなって喫水が深くなり、貨物や旅客を乗せる量(積載量)が減ってしまいます。特にフェリーや観光船の場合、車は当然の事ながら岸壁と同じ高さ、客は出来るだけ上層のキャビンに乗りたがる、それを重視するあまり、上が重い船体を作ってしまうのでしょう。運賃も上層のキャビンほど高く設定されていますので、船会社としても船を高く設計する誘惑に勝てないのでしょう。要は二つの事故の根は、安全性と経済性の優先度の逆転にあるのです。

船を含む乗り物は、旅客を安全に運んでナンボの輸送手段ですが、経済性の優先度を上げるほど、安全性は犠牲にせざるを得ません。何故か。それは安全率(Safety factor)と経済性の競合問題になるからです。船では、復元性を重視して船底バラストを増やすほど、安全にはなりますが積載重量は減らさざるを得ません。旅客機であれば旅客を多く載せるためには、極限まで安全率を削って軽く作る必要があるからです。安全性の高いエアバックを作るには、材料や工程を吟味して、丁寧に作る必要があるのですが、コストを優先すれば、より安い材料で、手間を省いて作るしかないのです。どこまで行っても、安全性と経済性は「矛盾」の関係になるのです。残念ながら両国は、経済優先の国なのでしょう。

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2015年6月 3日 (水)

2717 モノのインターネット

今後全てのモノにはインターネットにつながる仕掛けが組み込まれる方向だとか。理由は、多分誰かがビッグデータをもっともっと集めたいからなのでしょう。これまでも、携帯電話や車のナビに組み込まれた機能により、人や車の移動がかなりの程度把握され、災害時の人々の動向や車の流れや渋滞の把握・解消にそれなりに役立てられてもきました。もちろんビッグデータは使い方によっては非常に重要な視点を私たちにもたらし、多くの問題点を解消に導く事も可能になるでしょう。

しかし、全く同じデータが悪意ある輩に使われると、恐ろしい事態に招く恐れもある事はココロしておく必要があります。つまり、データののソースが特定されない「ある一つのデータ」に留まっている間は問題は少ないのでしょうが、IDを持つ「粒データ」が、何らかの方法で個人の特定につながる鍵をこじ開けられてしまうと、事態は急変するでしょう。例えば、ある個人の行動が悪意ある誰かによって常時監視される可能性さえぬぐい切れません。人が構築したシステムで、人が工夫したセキュリティ手法は、悪賢い天才によって破られるかも知れないのです。

さて、モノのインテーネットがさらに推し進められると、それが使われるか否かに関わらず、コストさえ上昇しないのであれば、あらゆる工業製品や、最終的には加工食品の類にまでチップが埋め込まれる可能性が出てくるでしょう。砂粒みたいなチップが安価に手に入る様になりましたから、製品にLOT番号やシリアルNo.をインクで印字する代わりに、容易に剥がれない方法で、チップを貼りつけてしまえば良い訳です。流通のポイントポイントにそのチップを読み取れるセンサーを配置すれば、モノの流れに関しての正確なデータが採れるでしょう。それによって、いわゆる「トレーサビリティ」もほぼ完ぺきに確保できる事になります。あるロットの製品や食品に不良が発覚した場合でも、メーカー、配送センター、卸問屋、小売り、更にはそれをカードやポインカードを利用して買った顧客まで、完全にトレースできるのです。

もちろん、上で述べた様に、このトレーサビリティの高さを逆手に取った悪事のリスクも同じ程度に高まる事への備えは必要でですが・・・。

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2015年6月 2日 (火)

2716 アキレス腱

強者アキレスの弱点はまさにココだけでした。しかし、現代の都会にはアキレス腱が多くある様に見えます。その一つですが、今回の深発地震で生じた長周期の振動に弱かったのは、液状化が問題になるウォーターフロントではなく、高層ビルのエレベータでした。長周期振動は、背の高いビルをゆっくり揺さぶり、頂上部分を左右(前後?)大きな振幅を引き起こします。その結果、エレベータの保護装置である「感震装置」が働き、エレベータが全面的に止まる事になります。

安全装置の復帰には専門職が必要なので、同時多発的にエレベータ停止が起こると、点検作業者が不足して復旧も遅れる事になります。地震の揺れの後、エレベータがハード的に問題が無い事を確認するのは結構面倒です。例えばガイドレールに異常がないか、あるいは各種の安全装置が正常に働いているか、など点検項目も多い事でしょう。火災などが同時に発生して、大勢の人が屋上や地上に避難しなければならなくなった場合、一体どうしたら良いのでしょう。

かつて見た映画「タワーリングインフェルノ」のシーンが思い出されます。あの映画の背景は、高層ビルの火災でしたが、高層ビルの地震と同時発生の火災でも似たような映画のシナリオ書けそうです。それはさておき、高層ビルからの避難の方法は今後ますます問題になる筈です。というのも、例えば浜松町の世界貿易センタービルが完成してから、既に50年近くになったと思われ、エレベータ問題に「老朽化問題」が加わるからです。何故このビルがそんなに古い事を知ってるかですが、40年以上前に、その当時では抜きん出て高い高層ビルで入社試験を受けた事を思い出したからでした。当時でもこのビルは完成してから数年経っていたと記憶しています。いずれにしても、大都市には、同様のアキレス腱が複数内在している事は間違いなく、来たるべき東南海連動地震が引き起こすであろう大きな被害を強く憂えざるを得ません。

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2015年6月 1日 (月)

2715 温故・・

Nスぺの戦後70年の総括番組、多くの証言を積み重ねてあり、それなりに見ごたえがありました。もちろん、総括や反省だけでは何も始まりません。歴史にもしもは無いわけで、あの時ああしていれば、「今の事態はずっと好転していたのでは?」などと考えても始まらないのです。むしろ、過去の70年を踏まえて、私たちの価値観や倫理観をどう立て直すべきか、または私たちの真の幸福とは、あるいは真の豊かさとは何か、を改めて考え直さなければならないと思うのです。

それが、今のリーダーの様に経済(エコノミー)しかないと言い切るっていると、この国の行く末には暗雲が立ち込めます。Nスぺでも誰かのコメントにあった様に、チャンスや危機に際して、ビジネスモデルの見直しや修正ではなく、株主の顔色を見ながら、利益率重視とリストラに走った結果、企業や産業自体の衰退を招いたのは間違いないでしょう。しかし、その原因追究や犯人探しをしても無駄で、既に時代は移っているし、人々の価値観もかなり変容しているのも間違いないでしょう。

では望まれる新しい価値観や倫理観とはどの様なものになるのでしょうか。投稿者としては、このブログでも何度も書いている様に、キーワードは「持続可能性」と「利他心」だと思っています。持続可能性とは、世代を超えて安定と安心を引き継ぐ事であり、一方で利他心は私たちのココロの中に究極の幸福感を満たしてくれる行動だからです。特に、後者の利他心は、他の人の役に立つ行動をする事によって湧きあがってくる感情ですから、必ずしも経済活動とは直結しないのです。従っていわゆるGDPなどという指標には元々馴染まないのです。しかしながら、それは人々の幸福感をお互いに高め、しかも住み易い社会になるのですから、最早それはお金の問題は超越している次元の話なのです。言い換えれば、私たちは私たち自身の拠り所とすべき価値観や幸福観の次元を一つ上げる事を成し遂げなければ、経済論者の言いなりに「カネの亡者」となって彷徨うしか道は無くなるのです。温故知新は、老・荘ではなく論語の言葉の様な気がしますが、誰の言葉であれ、過去を反省し単に新しい事考えるのではなく、新たな価値観を見つけ出さなければならないのです。出来るだけ早急に・・・。

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