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2015年7月19日 (日)

2759 境界

最近読んだ本の主題は「境界」でした。つまり、この本は物事や生命や社会の成り立ちに、一体境界という一線が引けるものだろうか、という疑問を提起し、決してそうではないという論を展開しているものです。著者は生命の誕生から説き起こします。生命の始まりでは、たった一つの受精卵が、細胞分割を始める訳ですがその際、各細胞内には全く同じDNAを抱えている筈なのに、ある細胞は分化して心臓になり、別の細胞は頭(脳)に、更に別の細胞は造骨細胞などに機能分化していく訳です。その過程で、心臓細胞と脳細胞の間に明確な線が引ける筈もないでしょう。何故なら、心臓細胞はもし適当なきっかけさえ整えば、脳細胞になったかも知れないからです。

結局、私たちが目や鼻や口と名前を付けて区別している体の部分や臓器には、その出発点がたった一つの細胞から出発した事を考えても、明確な線が引ける筈もないのです。

さて、社会や国ではどうでしょう。私たちは、自治体や国の境に、県境や国境という線を引き、境の内外を明確に区別しようと努力はしますが、例えばそのボーダー付近に棲む動物や植物にとって、境界が見える訳がありません。大気は連続しており、気候もグラデーションは生まれるのでしょうがやはり境はありません。国についても、それぞれの国が政府という形を作り、そこに住む人たちを「国民」として位置づけ、憲法や法律を整備して、国としての引力を維持しようとする訳です。この国は、幸か不幸か周りを海に囲まれた島国で、境界がはっきりしている様にも見えますが、それでも海上の境界線を巡って、隣国との鞘当を余儀なくされています。

国の内部にもかなりの分野で境界が作られている様にも見えますが、それは境界を見る側が、あるフィルターを通してみる時初めて見えてくるのであって、実際に国や社会となどというものは、地政学的にも、文化的にも限りなく繋がる「連続」だとこの本は説くのです。今この国の政治は、J民と非J民の間に境界がある様にも見えますが、それは今この国リーダーが進めようとしている政策というフィルターを通して見えてくる境界であり、別の命題を持ち出せば、一枚岩の様に見える最大与党でさえ、真っ二つに割れるかも知れません。境界はアプリオリに「そこにある」のではなく、「そこに見る」あるいは「そこに作り出す」ものだと言えそうです。面白いテーマなので多分続きます。

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