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2015年7月28日 (火)

2767 前提(条件)

ある議論を進めるには、その議論のための一定の条件が必要でしょう。それを「前提条件」などと呼びますが、それは科学的な議論でも、政治論でも同じだと言えます。多くの科学的な議論は、実のところその時点まで積み上げられた、事実(らしきもの)または推論や仮説の上で行われます。つまり、「もし~が正しいとすれば、○○は××になる筈だ」、といった論法になるでしょう。従って、多くの研究者が正しい(と思った)論文などを発表し、それが新たな論文の前提となって議論や研究が前進する事になります。その意味で、ある課題に対して書かれた論文が、もっとも多く直接、または間接に他の論文に引用された場合、それがいわばもっとも事実に近い知見だと思うしかなさそうです。

さて、政治の世界です。この世界は、実は科学の様にはスッパリとは割り切れません。何故なら、それは人の集まりである社会(世間)の政(マツリゴト)であるからです。マツリゴトの前提は、決まり事(ルール)と権力でしょう。書いたものであれ、不文律であれ、ルールはそれ以前の権力によって定められたマツリゴトの前提と言えるでしょう。この国では、基本ルールとしての憲法というものが存在し、それぞれの運用面の細かいルールとして諸法律や諸法令があります。しかし、問題は基本的なルールであればあるほど、それが「抽象的」であるという点にあります。

抽象的なルールほど、その解釈は多様になるのは仕方がありません。従って、憲法にも「解釈」が入り込む余地が生まれる事にもなります。今の政権が、この事を利用してパンドラの箱を開けようと企んだのは間違いありません。その前提として、J衛隊がいわゆる憲法の狭いヘッジの上に成立しているという歴史的事実があります。そこにJ衛隊違憲(合憲)論があった訳です。この水掛け論は、時代の流れと共に一応の実績の上に、判決も出て収束している訳です。しかし、それ以上を「踏み越す」には、先のS川判決を把握しているにせよ、そうでないにせよ、再びこの議論の蒸し返しに火を着ける事は仕方がないところでしょう。つまりは、S川判決を前提とするにせよ、それ自体が玉虫色である限り、どちらの側にも前提とし得るのでしょう。やはり、ここでは改めて今度の法制案に対して新たな判決を仰ぐか、あるいは大前提である憲法そのものの修正に手を付けない限り、水掛け論は続く事になりそうです。

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