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2015年8月12日 (水)

2773 アナロジー

あるモノ、あるいはあるコトと、別のモノ(コト)の類比をアナロジーと言いますが、時々ふとモノ(コト)同士が頭の中で結び付きます。廃棄物の処理の観点から、原発と下水につながっていないトイレは、よく引き合いに出される例ですが、投稿者の中では、使い方によっては非常に危険であるという点で見れば、原発はむしろ車に近い存在の様な気がするのです。両方とも、安全に運用する限りにおいては、確かに便利で有用な「文明の利器」とも言えるかも知れません。しかし、それも「安全に運用すれば」という大前提の下で言える相似性でしかありません。安全の歯止めが外れた途端、車は凶器となり人を殺める道具になり下がるでしょうし、片や原発は、大量破壊や放射線被害の咆哮を始めることでしょう。

その意味で、昨日のセンダイの「再稼働事件」を見る限り、人々はスリーマイルやチェルノブイリやフクシマから、殆ど何も学ばなかったと言うしかなさそうです。車でさえ、アクセルペダルに、泥除けマットが引っかかった程度のトラブルでさえ、暴走し大事故を起こします。原発は、車に比べても、そのシステムは何ケタも複雑になっているシロモノですが、単にオペレータでしかない車のドライバーも、原発の運転要員も、シナリオが想定されていないトラブルには、殆ど無力と言うしかないでしょう。つまり、オペレータの役割は、車ではアクセルやハンドルやブレーキを操作して、目的の場所に自分と車を移動させる事であり、一方で原発のオペレータとは、マニュアルに従って、計器の針を決められた範囲内に納まる様に、アクチュエータを少し動かして調整する事でしかないのです。

車の運転における「外乱」は、例えば坂に差し掛かった場合でしょう。同じアクセル開度では車の速度が落ちるので、ドライバーはアクセルを少し踏み込むでしょう。原発にでの似たような外乱とは、夏場の日中における冷房負荷の増加などになるでしょうか。負荷上昇で発電機の回転数は低下するので、それを調整するためにタービンにはより多くの蒸気が送られるでしょう。その結果、蒸気溜まりの圧力が下がるので、制御棒を引き上げて核分裂を少し激しくする様に「調整」するのです。しかし、車と原発の好ましくないアナロジーは、暴走を始めようとするシステムが「本質安全」になっていない点にあると思うのです。つまり、異常なエンジンの回転数上昇や核分裂のオーバーシュートを検知した場合、何らか別の手段で「安全にかつ完全に」システムを停止させる仕組みになっていないという事なのです。もし、車がその様になっていれば、非常の場合エンジンと車輪の間の非常用の継ぎ手が外れてブレーキが利くでしょうし、フクシマがその様な(本質安全の)システムとなっていれば、津波で電源が失われた瞬間に、原発を「冷温停止」に導いた筈なのです。そうなっていなかったのは、両者の間の「危険なアナロジー」と言うしかないのです。

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