« 2778 リスクマネジメント | トップページ | 2780 動物の思考 »

2015年8月19日 (水)

2779 でしかない・でもある

時々この違いが気になります。「でしかない」、というのは帰納的な考え方で、還元的なものの見方から生じます。例えば。この国の国民性を論ずる時に、シャイであるとか、和を尊ぶとか、あるいは勤勉であるとかのキーワードで論ずるのは、「でしかない」論になります。確かにそれらの要素は、他の国に比べればやや目立つ特性に様にも映りますが、もちろんそれだけが結論であるならば、論考の方向を誤るでしょう。

シャイを裏返せば、自分が上手く主張できず、劣等感の様なものを抱えている可能性がありますから、例えば外部からの過度のプレッシャーを受け続けた場合、感情が反転し突然凶暴さを表すケースも考えられるでしょう。また、和を重んずるあまり、その輪に入れない人(達)を仲間外れにする、いわゆる「イジメ」の要素も和の裏には見え隠れするのです。更に言えば、勤勉であるのは確かに国民性の一要素ではあるのでしょうが、一方で「勤勉なフリ」をして、大多数の間に埋没する事を隠れ蓑として、それなりに楽して上手く世渡りをしている輩も多いと想像しています。

一方で、「でもある論」は、演繹的でかつ統合的な議論を引き出します。もちろん、これも度が過ぎると、訳が分からなくなる危険性を孕んではいますが・・・。例えば、日本はアジアの一員「でもある」訳ですが、どうしてもその中にスンナリとは溶け込めない何かを抱えて戦後の歴史を重ねてきた様な気がします。また例えば、日本は世界的に見ても工業国ですがもちろんそれだけではなく、やや廃れたとはいえ田舎に行けば、農林水産業もそれなりに残っている訳です。農林水産国「でもある」で、物事は多面的に捉える必要性を感じます。しかし、むやみに多面的に捉える事は、時に物事の本質を見失う危険性も孕んでいるとも言えるでしょう。結局、両論を時と場合によって使い分ける必要があるとの当たり前の結論になるのですが、これをモノに例えるならば、被写体を写真に写す際に、カメラに広角や接写や望遠レンズに付け替えるのと似ているのかも知れません。

|

« 2778 リスクマネジメント | トップページ | 2780 動物の思考 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/185422/62112415

この記事へのトラックバック一覧です: 2779 でしかない・でもある:

« 2778 リスクマネジメント | トップページ | 2780 動物の思考 »