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2015年11月30日 (月)

2858 何時か来た道

Nスぺで20世紀初頭の大恐慌に至る道のりを映像で振り返っていました。好景気に乗ってカネを借りて、株を買って富が増えた様に見えても、それはバブルでしかない訳で、一体何度同じ過ちを繰り返せば済むのか、人間の業を改めて感じざるを得ません。放任に近い自由主義経済が良いのか、計画経済が良いのか、それとも全体主義や軍国主義などの力による統制径座が良いのか、私たちの祖先や私たち世代も、迷いながら、揺れ動きながらヨタヨタと進んできた訳です。

しかし、二度の大戦を経て、私たちは曲がりなりにも、かなりのLessonns & learns を得た筈なのです。右肩上がりの経済成長が、何時までも続く訳がない、というのもその一つでしょうか。有限の地球上で、有限の資源を・エネルギーを使いながら、持続的な経済成長など、地球環境が許容しない事は、小学生だって十分理解してくれるでしょう。なのに、戦後の高度成長期の密の味を知っている年配者や政治屋は、それを直視しようとはしないのです。三本の矢だか、新三本の矢だという口先だけのプロパガンダで、その原則を打ち破れる筈もなりません。

何時か来た道を繰り返さないためには、やはり別の道を探さなくてはならないでしょう。その別の道は、登山に喩えるならば、登りルートでは無い様な気がします。トラバースルートか、もしかすると緩やかな下りルートかも知れません。とりわけこの国では、既に人口減少社会に突入していて、かつ高齢化の急激な進行も顕著になっている訳です。なのに無理なGDPの目標を掲げて、ラッパを吹かなければならない、この国の政治の底の浅さを嘆かずにはいられませんし、これほど虚しい公約(だとすれば)も珍しいでしょう。かつての総理の「所得倍増」政策などは、朝鮮戦争とベトナム戦争などの軍需景気に運よく乗れた、ある時代だけの夢であったと言うしかありません。先ずは、足元を見回す必要があるでしょう。自分たちの足元を踏み固めずして、諸外国の成長を頼りにする様な他力本願はすべきではありません。隣国の爆買いも、間もなく成長の限界と共に跡形も無く消え去る事でしょう。あの「ローマクラブ」の賢人達の言葉は、今なお正しく、今後とも噛みしめるべきだと思っています。

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2015年11月29日 (日)

2857 周回遅れ3

2855で、エネルギーインフラの必然性に言及しましたが、更に付け加えます。現在の電力偏重のエネルギーインフラは、間違いなく硬直化していると断言できます。何故なら、ほぼ化石エネルギーや原発の1次エネルギーに依存した、2次エネルギーである電力は、輸入割合の高さという点で硬直化しており、電気事業法など言う法律よって過保護されている事によって硬直化し、加えて電力網というハードウェアよって三重の意味で硬直化しているからです。それぞれは、今の国の政策が大きく転換しない限り、その硬直は修正されないのでしょう。

 

確かに電力の自由化は予定されてはいますが、それは三つ目の硬直がやや緩和される程度のささやかな中身に過ぎません。哀しい事ですが、国の政策の転換を待つのは、百年河清を待つに等しいと言えそうです。何故なら、今の制度は100年ほどの時間を掛けて固まり、コンクリートの様に時間とともにジワジワとその強度が高まった強固なシステムだからです。とりわけ、高度成長期の通過が、このシステムの硬直化を固定化したと振り返っています。

 

この国でも、かつてエネルギーの多様化が叫ばれた時期もあったのです。それは、二度に亘るオイルショックというタイミングです。この時には流石のお国も危機感を持ち、多額の税金を注ぎ込んでサンシャイン計画やムーンライト計画などと言う対策を立ち上げたものでした。その中での成果として現在につながっているのは、残念ながら太陽光発電程度しか残っていない様に見えます。大国や産油国の思惑に激しく揺さぶられながらも、国や私たちは、結果的には比較的低価格で推移してきた化石燃料や、知らぬ間に50基以上に拡大した原発によって、確実に進んだエネルギーインフラの硬直に気付かなかったか、あるいは気付かないフリをしてきたと反省するしかありません。周回遅れはその結果生じたのです。その対策は稿を改めます。

 

 

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2015年11月28日 (土)

2856 劣化

国や企業の劣化には、いくつかのパターンがありそうです。もちろん、それを率いるリーダーの劣化が第一番目に来るであろうことは、数々の歴史事実が証明するところです。その意味で、今の国のリーダーも吟味に掛かるべきでしょう。しかしそれが簡単ではないのは、そのリーダーが退いて、やがて少し前の過去(=歴史)にならないと、正確な評価は出来にくいと言う点にあります。出来にくいのですが、それをやらないと将来に亘って禍根を残す事にもなります。優れた批評家の登場が望まれる所以です。

別の劣化パターンがあります。それは、国民や社員のサイドの劣化の結果、国や企業の劣化が進むと言う方向です。分かり易い指標は、例えば「平均年齢」です。高齢化は、知識や経験の蓄積や裏付けはそれなりに期待できるにしても、パワーや柔軟性や創造性が徐々に失われ、いわゆる「硬直化」が進む事にもなるでしょう。その結果、国や企業の「失活(≒劣化)」が進むのです。

投稿者の見方としては、実は今の国や企業の悲惨とも言うべき劣化は、両者が同時に進んでしまった結果ではないかと疑っています。悪いリーダーの特徴は、打ち出す政策が場当たり的で、大衆に迎合するポピュリズムに走り、将来に対するビジョンをロクスッポ持ち合わせていないと言うものですが、それが批判に耳を貸さない唯我独尊であれば殆ど絶望的だと言うしかありません。今のリーダーにその傾向を見出すのは、投稿者だけではなさそうです。一方で、社会の活力を失わせる元凶である少子高齢化ですが、これはそれこそ数十年先を見越した強力な対策を打たない事には、ズルズルと悪化する現象だと言えるでしょう。1970年代に存在した第二次ベビーブーム世代が、一体何故に第三次ベビーブームを作る事なしに、ズルズルと出生率の低下を招きそして今に至ったか、明確な分析を見た記憶がありません。

劣化は、金属の錆や木材の腐朽と同じで、静かにしかし確実に進むものだと自覚し直さなければなりません。見通して憂うるべきは、5年後の五輪の時代ではなく、30年後、50年後の社会と、その時代に生きているであろう子孫(子や孫)の幸福なのです。

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2015年11月27日 (金)

2855 周回遅れ2

周回遅れを取り戻すためには、環境政策を一気に加速するしかありません。しかし、政局に固執し、自衛権の拡大や原発再稼働などにしか興味を持たない政治屋や国の行政を待っていては、何時までも埒は明かないでしょう。そうではなくて、埒は自分達で明けるしかないのです。埒とは、馬場の囲い(つまりは規制)の事ですから、埒外(規制に無関係)の行動で、結果として埒をこじ開けるアプローチが必要だと思うのです。

規制の多くは、企業や国民が限度を超えてオーバーシュートする事を防止するためにあります。つまりはブレーキです。具体例を挙げましょう。例えば電力関連の法律です。電気事業法なるものがあります。法律を読む気も起きないので、ボンヤリ認識している程度のイメージで書き進めますが、電力会社という「地域寡占企業」である9社の寄って立つ根拠がこの法律でしょう。電力という、民生や企業活動の基盤であるインフラの、安定供給を保証するための法律でもあります。しかしながら、近年になってこの法律があるが故の弊害や矛盾も目立つようになってきたのでした。経済が一本調子の右肩上がりの時代には、それらは覆い隠されてきたのですが、ここにきて経済が右肩下がりで、かつ温暖化防止という別の埒に包囲されて、電力業界は右往左往していると言うのが実情でしょう。

それもこれも、便利で非常に使い易いエネルギー源である電力への過剰な依存が原因ではないかとみているのです。スイッチさえポンと入れれば、照明も、空調も、工場コンベアのモーターも、電車も、今では車でさえ動き出します。送電線網という、いわば古い形のインフラに縛られたエネルギーシステムは、一見強固に見えますが、実は脆いシステムでもあるのです。発電するための熱源である、原子力や天然ガスや石油や石炭という化石燃料はほぼ100%海外に依存していますので、そのサプライルートは、まさにこの国の生命線でもあります。

そうではなくて、エネルギー源やそれを配送するインフラは、もっと多様で柔軟であるべきだと思うのです。可能な限り、消費地の近くで調達したいのです。それは、また再生可能なものでもあるべきでしょう。エネルギーインフラは、法律で決められるべきものではなく、これらの必然から導かれる必要があるのです。更に続きます。

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2015年11月26日 (木)

2854 田植え気質

良い事、正しい事を実行するに時期は関係ありません。障害を取り除きながら、出来るだけ速やかに実行すべきでしょう。然るにです。この国には、「田植え気質」が厳然として残っている様なのです。田植え気質とは、いわゆる何かを行う際には、必ず他者(同業他社、他国)の行動を睨んで、結局は横並びでしか行動を起こさない状況を指す投稿者の造語です。

これの何処が悪いかですが、例えば「雪崩現象」という弊害が挙げられます。売れ始めた商品があると、同業他社も遅れまじとばかり類似の商品を開発して市場になだれ込む結果、価格競争に陥り、結局は値崩れ、収益悪化という悪循環に陥るのにそんなに時間は掛からないでしょう。この国の家電や食品やOA機器等の市場への登場と、退場の歴史を思い返してみれば、思い当るフシも多いでしょう。いわゆる「ヒット商品」の寿命の短いことは呆れるほどです。

更に、横並びの「田植え気質」の悪い点は、横並びの結果牽制し合って進むスピードが遅くなる事です。つまりは「様子眺め」の期間が長くなり、結果として市場にソッポを向かれる可能性が高まるのです。例として挙げるのは申し訳ないのですが、やっと初飛行に漕ぎつけた初の国産ジェット旅客機も、開発の決断時期とプログラムのべた遅れは市場の興味を失わせるに十分すぎたと言えます。何しろ、カナダやブラジルに10年以上の遅れを取った訳ですから・・・。市場はワガママですから、欲しい時にはすぐ欲しい訳で、いくらコスパが良くても、遅れてきたやつには冷淡に振舞います。

そうではなくて、大きなボリュームで大きな利益が出なくとも、先ずは小さな規模で開発し、市場の反応を味見しながら進む戦略で十分なのです。その結果良い感触が得られれば、更に製品の質のブラッシュアップを図りながら、徐々に進めば良いでしょう。小さな規模であれば、不具合やユーザーの要望を加えてのバージョンアップも容易でしょう。ブラッシュアップの中で、他社には真似のできない工夫(例えば、意匠や特許などの知財)でガードしていくべきでしょう。続きます。

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2015年11月25日 (水)

2853 周回遅れ

この国の環境行政は、ヨーロッパのいわゆる環境先進国に比べれば、残念ながら「周回遅れ」の状態にあると言うしかないでしょう。例えば、原発の廃炉スケジュールです。Dイツでは、30数基の原発の半数は、既に廃炉が完了したか或いは廃炉作業途中にある様です。残った原発をあと何年かけて全数を完全廃止するかもしっかりとスケジュールに載っていて、国民の多くも政府の政策に賛同しており、政府や電力会社への疑念は持っていないでしょう。

一方、この国では、あの福島の過酷事故で、原子炉のメルトダウンか多分メルトスルーを経験し、命がけの冷却作業と酷い放射能汚染を起こして一度は懲りた筈なのに、事故からたった数年後には、またぞろ再稼働を表明し、実際に再稼働を強行したのでした。それも、明確な廃炉スケジュールさえも示さずにです。

また、廃棄物処理に関しても、焼却灰や不燃物の最終処分場の逼迫が近いと言われながら、相変わらずこの国ではゴミは燃やすしか知恵が働かない様なのです。確かに、ダイオキシンの発生が少ない立派な焼却場が各地に建設され、日夜多量の重油や灯油を使いながらゴミを処理している様に見えます。しかし、ゴミは本来燃やすものではなく、細かく分別して再利用やリサイクルすべきものなのです。例えば、割れてしまった陶器だって、それは純度の高いセラミックスであり、立派に再び陶器として再生可能なのです。ましてやガラス瓶などは、色別に分類すれば完全にリサイクル可能でしょう。というより、ビンはそれに飲料や調味料を入れて販売しているメーカーに完全に戻せば、20回くらいは再使用可能な容器なのです。かつて、お酒や醤油などは、一升瓶という国内のスタンダード容器で流通していたものでした。そのビンは、大切に扱われ、作り酒屋や醸造元にリターンしながら、それこそ割れるか、キズがついて使えなくなるまで、こき使われたのでした。

私たちは、この先人たちのモノを大切にするココロをすっかり忘れてしまった様なのです。もし、ペットボトルの肉厚を厚くし、ガラス瓶と同じように再使用するシステムを確立すれば、既に2000年前後にリユースを法律化したDイツにやっと追いつける事になりますが、現在の容器リサイクル法では全くレベルが低すぎます。10年の遅れを周回遅れとすれば。既に2周以上も遅れている事になり、全くお話にもなりません。たぶん続きます。

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2015年11月24日 (火)

2852 価値創造2

投稿再開です。さて新たな市場を切り開くためには、2850で述べた様に、新たな価値を創造するしかありません。言葉を替えれば、モノ(やサービス)に、これまでには無かった、あるいはこれまでより高い付加価値を載せるしかないのです。これまでと同じ付加価値であれば、競合する製品やサービスとの「終わりのない価格競争」に巻き込まれるしかないからです。その競争に勝つために、これまでの企業の合言葉はただ一つ「コスト削減」の大号令だった訳です。結果として、手が付けし易い部分としての人件費を削るために、例えば終身雇用に代えて有期の派遣者雇用拡大などの小手先の手段を弄してきたのでした。

しかし、例えばヨーロッパの小国Sイスでの精密工業に於いては、1個が1000万円と言った値段を付けた時計を製造・販売していたりする訳です。世界に何個もない、あるいはたった1個しかない時計に、大きな価値を認め、多額のお金を払う顧客もかなりの数は存在する様で、ニーズがあり市場があれば、たった数百個の金属部品が大きな付加価値を生み出すことだって可能でしょう。同じ程度の部品数を持つ量産品は、一方で数千円程度でたたき売られてもいる訳です。量産メーカーでは、可能な限り自動化を進め、一方では安い賃金の職工さんを雇って、日夜コストダウンに勤しんでも、流通業者によってまとめて取引され、最終的には量販店で叩き売られるハメに陥るのです。

ハンドメイドの超高級品と、大量生産品の一体何処に違いがあるのでしょうか。例えば、時計として時間を刻む正確さで言えば、量産品だってクオーツや電波を使って、正確さでは高い水準をクリアしている筈です。たぶん大きな違いは、それを購入し所有した顧客の満足度の違いだと言えそうです。量産品ではない希少価値やあるいは手間暇を掛けた製品だけが放つ「質感の高さ」とそれを実現する職人の技と言った、有形・無形の価値にお金を払うのでしょう。さて、企業各社は、先ずは自社の製品やサービスを改めて見回すべきでしょう。それを生み出すためにどれだけの工夫を積み重ねてバージョンアップをして来たか、生み出すためのワザをどれだけ磨いてきたか、同業他社に比べて、どれだけ希少価値(プレミア感)を演出してきたか、等多くの点で反省し、巻き返しを図るべきでしょう。市場が求める、本当に優良な製品やサービスは、口コミでもジワジワと広がって行く筈なのです。

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2015年11月18日 (水)

2851 休稿

旅行のため数日休稿です。世の中には何の影響もありませんが・・・。

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2850 価値創造

新たな産業を興すためには、やはり新たな価値を創造する必要があるでしょう。人々は、自分が欲しい価値にしかお金を払わないからです。しかし、勘違いがあるのは、多くのメーカーは、もしあれば便利だとと思われるモノを、無理やり市場に押し込んでくる場合が多い事です。その例は枚挙に暇がないでしょう。例えば、昔は単純だった家電に、これでもかという程「てんこ盛りの便利機能」を追加してきたではありませんか。テレビ、調理器具、食器洗い機、洗濯機、自走掃除機、などなど、スマホに至っては、出来ない事を数えた方が早い?程の進化を遂げています。それは、家電が本来備えるべき機能のブラッシュアップではなく、マイコンを使っての家電のロボット化に過ぎないのです。

しかし、その裏でロボット化された便利機能は、人々の能力を奪い取っている事を忘れてはならないでしょう。例えば、ワープロが人々の漢字書き取り能力衰退させた様に、掃除機がホウキを使う手の器用さを低下させた様に、食器洗い機が整理・整頓が出来ない人を増やした様に、何より車が人々の運動能力をひどく弱めた様に、便利なモノは間違いなく私たちの各種能力を低下させているのです。

では、本当はどの様な製品が求められるのでしょうか。それは、使えば使う程人間の能力が向上する製品でしょう。それには、今ある家電製品から、便利と言われる機能を全て取り去ったシンプルで必要不可欠な機能だけを残した製品を想像してみる事も大切です。初期の車には、自動変速機はついておらず、エアコンすら標準では設定されていませんでした。エンジンルームはシンプルで、エンジンは丸見え、素人にもオイルやプラグの点検が出来たのです。しかし、今の車では、殆どがカバーで覆われ、電子化された結果エンジンルームは「ブラックボックス」になってしまったのです。人が雨に濡れずに、しかも最小限のエネルギーで移動するにはどの様なビークル(移動体)が最適なのか、改めてゼロから考えてみる事も必要でしょう。それが車の進化形であるにせよ、自動運転車やハイブリッド車だけが答えではない筈です。もしかすると、「人力アシスト付きハイブリッド車」?などと呼ばれる様な、自転車の進化形になるかも知れない訳ですです。これなら、移動時の人の運動を必要とするので、同時に足腰のエクササイズも出来るので、人々の運動能力も高める事も可能です。

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2015年11月17日 (火)

2849 経済学の限界

出演している芸人の穏やかな性格が好ましく、時々Eテレの経済番組を見ます。しかし、経済学の、我が学問こそが世の中の仕組みを全て見通しているものだ(と主張しているかは不明ですが)、の様な自信過剰な態度には、実は納得していません。というより、この学問は殆ど全てが「後付の理窟」の様に見えてしまうのは、投稿者だけでしょうか。世の中で起こってしまった経済活動に関わる現象を、後になって考察してみると、その現象を表す近似曲線や漸近線を持つグラフを描くと、どうにかそれが説明できるので、経済学のある数式が出来上がった、というケースが多いと、経済の素人としては勝手に想像してしまうのです。

何より、経済学自身に、新たな産業を創造する力はないと思っています。つまり、現象を説明する学問ではあっても、決してゼロから創造する学問ではないからです。ある経済活動で、お金が儲かっている、あるいは損を出しているカラクリや原因は分析できても、そこから何か新たな産業が生まれてくる事は稀でしょう。何故なら、お金を媒介とした経済活動は、社会的手段ではあっても決してそれ自身が目的とはなり得ないからです。

本来、人々が衣食住を維持するための持続的な生業を支える事が、経済活動の目的でなければならないでしょう。然るに、です。近年の経済活動が、お国の年金資金や郵貯などの莫大な資金が、投資ではなく「運用」に使われている事を考えれば、まさしく目的と手段が逆転していると言わざるを得ないのです。ファンドマージャーが、どこでお金を回して、年金資金を増やして(減らして)いるのかは知りませんが、この国の将来の飯のタネとなるべき産業に、政府マネーが先行投資をしているなどという良いウワサはついぞ聞いた事がありません。逆に、B国の不動産マネー(何とかプライムローンの事です)やお隣のC国の似たような債権に投資などして、何とかショックで痛い目に遭い、数兆円を失ったなどという悪いウワサが流れるばかりです。イカンイカンまた愚痴ってしまいました。次回はもう少し前向きな提案を考えてみます。

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2015年11月16日 (月)

2848 経済的渇き

お金がお金を呼ぶ(生む)のは、多分自由主義経済の基本原理の様なものかも知れません。そうでなければ、例えば企業の存続はあり得ないでしょうし、経済活動から税金を吸い上げて動いている国のマツリゴトも立ち行かなくなるのかも知れません。しかしながら、それが限度をひどく超えてしまう世界を私たちは経験していませんし、それを正確に想像する事は難しいのではないかと考え込んでいます。古典的な経済学が教える様に、真っ当な経済活動の結果、企業が収益を上げて成長する経済モデルは、もしかすると成り立つのかも知れませんが、いわゆる投資による利殖とは一体何を意味するのか時々分からなくなります。人または企業によっては、投資(投機)で生計を立て、あるいは企業の存続を図っているケースも多いのでしょうが、その活動で一体誰が得をして、誰が損をしているのか、さっぱり分からないのです。経済規模(いわば流動性=通貨です)が一定の場合はもちろん、誰かの得(不労所得)は、即ち誰かの損(投資損失)になる筈なのですが、一方で通貨量は日々恐ろしい勢いで増加している事も事実です。

基軸通貨である$は、日々信じられないスピードで印刷されているのでしょうし、円や他の通貨も事情は同じです。誰がそれを可能にしているかと言えば、遡ればそれは自然の採掘国家だという事になります。掘り出された資源を、工業国が自国で印刷した通貨で買い上げ、それで経済活動をあるレベルで維持できる訳です。もちろん、通貨は紙で印刷されたものばかりではなく、電子化された流動性の割合も多いのでしょうが・・・。

考えてみなければならないのは、何も実質的な経済活動が行われていないのに、お金だけが湧いて出る仕組みでしょう。それは、間違いなくゼロから生れる訳ですから、一方に搾取される人々が存在しないと帳尻が合いません。バブル経済で生まれた実体の無いお金は、結局バブルの崩壊によって萎んでしまった訳です。最後にババを握っていた人たちが、売り抜けた勝ち組にお金を貢いだようなものです。それが、仕掛けとして理解出来ていたとしても、人々は投資や投機を止める事はありません。お金自身が、さながらブラックホールの様に意志をもって、お金を拡大し続けている「生き物」の様になりつつあるのかも知れません。残念ながら、お金自身の飽くなき渇きは終わる事が無さそうな予感もします。

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2015年11月15日 (日)

2847 有機質飢餓

ヒトが自然、取り分け植物や動物との触れ合いを遮断されると、何らかの精神異常が現れそうな気がします。ヒトは、基本的には森の中で生まれ、草原と森の間の環境に適応して進化してきた動物です。その証拠は、この国の例では縄文人が森で暮らし、弥生人が、森の近くの開けた土地で田や畑を耕して暮らしていた遺跡を眺めれば納得がいく話でしょう。

しかし、2845にも書いた様に、現代人は人工物で囲まれた都会に暮らし、同じく人工の無機質で作られた家で眠るのですから、下手をすれば24時間、あるいは何日も自然と触れ合わないで過ごす事も珍しくはないでしょう。もし自然との触れ合いが遮断された場合に、ヒトが何らかの異常をきたすと仮定した場合、当然の事ながら感受性の個人差により「閾値」には違いがある筈です。またもし、閾値の低いヒトがそれなりの割合で存在すると考えた場合、取り分け都会の中で、異常な行動を起こす人々が増える傾向にも頷けるでしょう。閾値の高い(というか野太い)人は、多分問題なく都会の様なコンクリートジャングルにも住める人たちです。しかし、感受性が強い(つまりは閾値が低い)人々は、自然が持つ有機質(植物や動物たちです)からの遮断に対し、過剰にというより正常に反応し、精神的な不安定や異常をきたすと想像しています。

例えば、都会の生活にはどうしても馴染めない子供を、島や山村などに「留学」に出すと、活き活きと行動する多くの事例が報告されています。都会に住むには感受性が強すぎる子供が、長じて精神に闇を抱えた異常な大人になる前に、彼らを自然の持つ「有機質のシャワー」を浴びさせる必要があると思うのです。田舎で自然にまみれて成長した子供には、現代的な意味でのココロの闇は存在しないと思うのです。

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2015年11月14日 (土)

2846 感覚遮断

ヒトの感覚の大部分を遮断してしまうと、最終的には発狂すると言われています。宇宙飛行士の適正検査には、完全に密閉された空間で例えば1週間過ごす様なやや過酷なプログラムもある様ですが、それにしても電灯はついているでしょうし、外部とのコミュニケーション手段も確保されている筈で、レベル的には楽な「感覚遮断試験」だと言えそうです。

一方で、生まれたばかりの赤ん坊を、壁や天井が真っ白に塗られた部屋で育てると、正常な感情の発露が見られないという別の報告もあります。また正常の感覚を持ったヒトが、光もなく音もない部屋で長期間過ごした場合、五感は「飢餓状態」に陥り、やがて幻視や幻聴、更には通常ではない勘定が生まれ、それが続くとついには精神異常を引き起こすという順序で人格も崩壊してしまうのです。

何故、この様な話題を引っ張り出してきたかと言えば、それは現代人が何らかの飢餓を抱えて生きているのではないか、と最近考え込む事が多くなったからなのです。特に、日本の様ないわゆる工業国(先進国)では、一見モノが市場に満ち溢れ、表面上は食べ物も含めて何らの不自由も無さそうには見えます。しかし、モノには満たされているのでしょうが、精神的には飢餓を抱え込んでいると思われる現象が多々観察されるのです。精神的な飢餓は、最初に書いた「感覚遮断」にも似て、閾値の低いヒトには、ある種の精神異常をもたらすのではないかと疑っています。生活的には何らの不自由がない人が、ある日突然異常な行動を起こす例は、3日と空けずニュースになっているのがその証左だと見ています。大した理由も無いのに通りすがりの他人を傷つけ、あるいは自傷したり、あるいは器物を破損したりする行動です。次回以降にいくつかの感覚遮断あるいは飢餓の例を挙げてみたいと思います。

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2015年11月13日 (金)

2845 モノ化社会

2842で脳化社会と書きましたが、それを突き詰めれば「モノ化社会」でもあると言えそうです。つまり、脳が人工物を考え出し、それを実際に作って社会に送り出す訳です。人々は、作り出された人工物こそがモノだと勘違いし、元々あった自然物をもはやモノとは意識しなくなったと思うのです。かつて家を作る材料であった木や草(例えばカヤです)や泥(土壁です)に代わって、工業材料であるコンクリートや金属やプラスチックで作られた建物に住む様になり、それこそが本当の家だと思うようになったのでしょう。

それは、大都市に林立するいわゆる「高層マンション群」を眺めても、強く生ずる印象でもあります。別の言い方をすれば、何故人々は自然に背を向けて、大都会という「人工物」の坩堝の中にに群れて暮らしたいのか、田舎で生まれた投稿者には未だに理解が出来ないのです。その意味で、大都会は、人間社会にとっては、天文学で言うブラックホールの様な存在なのかも知れません。確かに、文明が進んだと言われる国々では、田舎に住む人口が減り、都会の人口密度ばかりが高くなる傾向が顕著です。その意味するところは、結局人々は便利で清潔な人工物だけに親しみ、不便んで時には不潔は自然物を疎んじる傾向に拍車が掛かっているという証左なのでしょう。

一体、この傾向には歯止めが掛かるのでしょうか。つまり、都会人の田舎への回帰の流れが生ずるのかですが、敢えてアブナイ言い方をすれば、関東大震災規模の震災が、再び首都圏を襲うなどと言った天変地異でもない限り、流れの変化は起きない様な気がします。何故なら、人々は苦労して投資した膨大な都市インフラ諦めて、あっさりと捨て去る事は出来ないと思うからです。高層マンションという鉄とコンクリートの巣に、生涯賃金の大きな部分を投資してしまった都会人の心情も、ホンの少しは理解できる気もするのですが・・・。

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2015年11月12日 (木)

2844 Too late

昨日、国産初のジェット旅客機が初飛行に成功した様です。しかし前途は多難です。その困難は余りにも遅れた開発時期に起因します。ライバルの、乗客数レンジで100人を少し下回る小型機分野のカナダやブラジルの機体は、2000年前後に初飛行を完了していた訳で、それを追いかける立場でありながら開発作業が遅れに遅れ、ビジネス的には顧客からソッポを向かれかけていたこの時期になって、ついにというよりは、やっと初飛行に漕ぎつけたといったところでしょうか。この分野の常識として、初飛行の時点までに500機程度の確定受注が視野に入っていなければ、ビジネス的には厳しいプロジェクトになると言わざるを得ません。

然るに、この国産機の受注数は、確定分だけでは、まだ200機に届いていない寂しい状況の様なのです。このままでは、YA-11の様に、「技術で勝ってビジネスで負ける」パターンの二の舞になり兼ねません。お国も、今更ながら新幹線や原発なんぞを売り歩いている暇はないでしょう。早速飛行機が買えそうなくらい経済力が強くなった国々を訪問して、新型機を売り込むトップセールスを敢行すべきでしょう。そうでなければ、50年前の悪夢の様に、またぞろビジネスで負けてしまい、航空機産業は再び「国際下請け体質」に逆戻りするしかありません。

米国のB社や欧州のA社という巨人に追いつける筈もありませんが、Hンダジェットと国産旅客機という駒が揃ったこの時点で、速やかにCナダやBラジルのライバルに肩を並べ、追い抜かない事には、この国の航空機産業に未来はない、と断ずるしかありません。とは言うものの、2割程度の省エネ性能だけが売りならば、石油が値崩れしているこの時期、受注の積み上げはやはり困難と見るしかないでしょう。航空燃料が、安定的に?今の倍くらいに高騰する時代まで、ファイナンスが持ちこたえてくれる事を陰ながら祈るばかりです。

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2015年11月11日 (水)

2843 皆でコクれば・・・

何やらきっかけがはっきりしない偽装暴露事件が続いている様な気がします。建物が傾いて、基礎杭の寸足らずがバレたのは、不具合が表面に出てしまった偽装ですが、通常通り走っていればバレそうもない排気ガスコンピュータのソフトウェア偽装や、食品原料の偽装などは、内部告発でもないと外部の表面上の監査などではなかなか発覚しない様な気がします。

ここにきて、大小の偽装告白案件が続いているのは、きっと偽装関係者が日頃から良心の呵責に苦しんでいて、大型偽装発覚案件に続いて公表すれば、多分世間に与えるインパクトが小さくて済むのではないか、とついに告白を決心した結果ではないかと想像しています。つまり、「赤信号、皆で渡れば・・・」と同様「皆でコクれば・・・」という事なのでしょう。

しかし、考えてみなければならないのは、告白時期がいつであれ、社会的制裁の重さは変らないという点でしょう。結果としては、偽装を正常状態に戻すには莫大な費用が掛かるか、もしくは復旧が不可能な場合さえあるでしょう。加えて、偽装企業はたった1件の偽装発覚で、それまで気付いてきた社会的信用を一気に失う事にも陥ります。実のところ、企業の最大の資産は、この「社会的信用」だと思うのです。それを支える人財は。もちろん同程度に大切ですが、その人財に企業の最大の財産が信用である事を、日頃から教え込む企業教育は必須だと言えるでしょう。しでかした不始末を告白する事が正直なのではなく、顧客の期待に真摯に応え、企業の信用を愚直に守る事こそが正直なのです。不始末の火は、まだ問題が小さいボヤの内に社内で消火してしまう社内風土こそが必要です。

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2015年11月10日 (火)

2842 脳化社会

投稿再開です。「脳化社会」を最初に定義したのは、投稿者の知る限りY老孟司だった様な気がします。現代社会を揶揄し、建物にしてもインフラにしても、そこに営まれる人間社会にしても、全て人の「脳の中で作られたもの」である点を指摘し、それを脳化社会と呼んだのでした。そう言われてみれば、都会では、あの鬱蒼とした明治神宮の森でさえ、人間がデザインし、木や植物を植えた結果である事に改めて気付かされます。もちろん、それは植物の持つ力を巧みに利用している事は間違いないのですが、やはり人間の頭の中でデザインされた事には変わりありません。

ビルや交通インフラなどは、まさに脳化された社会のシンボルだと言い切っても良いでしょう。建築家や技術者が頭の中で考え、確認のための計算をし、詳細な設計図を起こさない限り、基礎杭?はもちろん柱1本建てられないからです。まさに「脳が生み出した産物」そのものです。それで何が悪いかですが、それは人間の脳が、神ではないが故に完璧ではないという絶対的欠陥を孕んでいる点を指摘せざるを得ません。

例えば、地震国である建物の設計にはもちろんある想定の下に強度上のリダンダンシィを持っている事でしょう。彼の福一の原発ももちろん、地震への備えはあった筈です。しかし、人間の脳は「ある想定」を置かない事には何も決める事が出来ない癖を持っている様なのです。結果として見れば、想定外の(あるいは想定以上の)規模の災害に対しては、設計者としては為す術を持たない訳です。自然力が設計者が頭の中で考えた設計荷重や安全率を大きく凌駕してしまったからです。

結局、脳化社会は、自然の猛威の前では無力だと知らなければならないのです。人間が滅んだ後の事を想像してみれば、数十年かけて建設された都市や数千年形を留めているピラミッドや万里の長城や、その他の建設物やインフラも、やがてはあのアンコールワット遺跡の様に植物に覆われるか、あるいは風化して崩れ去るのでしょう。しかし、脳化社会となる前は、私たちのご先祖は、自然の中で、自然に抱かれて、自然を畏れながら暮らしていた筈なのです。欠陥を抱合する過度の脳化社会から、自然への回帰が必要な所以です。

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2015年11月 5日 (木)

2841 健康都市

昨夜のOクラホマ市長のTEDプレゼンが秀逸でした。人を飽きさせない話術もさることながら、デブだらけだった市を、健康都市に生まれ変わらせたアイデアと手腕は、なかなかのものだと思いました。人々は、長生きである事は特に望まないと想像しています。むしろ、ある程度の健康寿命が達成されれば、あとはコロリと逝きたいのだと思います。そのためには、例えば70代までは、かくしゃくとして動ける様に、ある程度の運動習慣を心掛ける必要があるでしょう。腸や血管を健康に保つために有益な食品を積極的に摂る必要もあるでしょう。加えて、ストレスの小さな生活スタイルも重要だと思います。

国やマスコミは、機会あるごとに地方創生などと抽象的な言葉を出して、それが一人歩きをしていますが、どこかの県か自治体で、健康県あるいは健康都市宣言をしても良いのではないかと思っています。そこに住めば、ある程度の健康寿命が確保でき、しかも寝たきり率が小さいとなると、そこに住んでみたいと思う人も増えることでしょう。そこではいわゆる「健康産業」という名のビジネス(=雇用)も生まれる筈なのです。健康都市に大規模な病院は不要です。寝たきりの長期入院患者が居ない訳ですから。同様に、老人施設も多くは要りません。老人は、自宅で短期寝たきりにはなりますが、家族に看取られて静かに息を引き取る訳ですから。

さて、その実現ですが、投稿者の持論としては、先ずは地域の中核として、病院ではなく「健院」を作る事を提案したいのです。健院では健康でピンピン生きるための知恵を、これでもかというくらい教えるのです。勿論ジムやプールも備えます。東北には、高い山も低い山も多いので、それを活用して、森林浴や山歩きを地域の特徴としても良いでしょう。健院には各種の検査機器も備えて、来院者の健康指標(絶対に疾病指標ではありません)を数値化・グラフ化して、各自の健康志向に火を着けるのです。かくして、お年寄りは勿論、壮年も青年も集って、自分の健康を自慢をしあうのです。そうこうしている内にマスコミが取り上げ、程なくして「健康都市」の原型が出来上がるでしょうから、行政がもう一押しすれば、日本で最初の健康都市が産声を上げる筈です。これも立派な地域再生でしょう。 旅行不在のため数回休稿です。

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2015年11月 3日 (火)

2840 エンジニアリングの指針

学問(科学)とエンジニアリングが決定的に違うのは、そこに経済(お金)が絡んでいるか否かでしょうか。建物で言うなら、何百年も壊れない様な、頑丈な建物を建てる事は可能なのでしょうが、それでは経済的に成り立ちません。従って、ある経済的試算の元に前提を置いた「妥協」が必要となる訳です。その妥協を合理的に行う役目を担うのがエンジニアリングだ、という事になります。今の建物、例えば高層マンションが、一体どの様な経済試算の上で設計され、建設されているかは把握していませんが、少なくとも新築で購入した世代とその子供世代くらいは、安心して暮らせ、出来れば孫世代くらいまで建物寿命があれば、購入者もある程度は納得できるのでしょうか。高度成長期に雨後のタケノコの様に建設された、いわゆる鉄筋コンクリート造の中低層住宅の多くは寿命を超えた様です。たぶん、平均すれば50年ほどでしょうか。しかし、最近の鉄骨造の高層ビルやマンションの設計寿命は、多分それを大きく超える程度に設定されていると想像するのです。とは言いながらし、多分100年を超える寿命を期待する人は少数でしょう。

しかし、地震が少ないとはいえヨーロッパでは、数百年を数える様な石積みの建物が、内装だけ模様替えして、今なお使われている例も多いのです。

技術者は、安易な経済性で妥協してはならないでしょう。基礎杭でデータをねつ造した技術者は論外で、技術者の風上にも置けませんが、設計者たるものやはり、百年を超える様な設計寿命を検討してみなくてはならないと思うのです。たとえ、50年スパンでは不経済と判定されても、それが100年スパンでは、ソロバンに乗ってくるかも知れません。鉄骨構造が100年を超えて使え程度に頑丈なら、50年後に内装をし直せば、新築同様に次の50年間の使用に耐えるでしょう。しかも、頑丈な構造はその間の大きな地震にも耐え易くなる筈です。今、首都圏を関東大震災規模の地震が襲ったと仮定して、一体どの程度の建物が無傷で残るのでしょうか。その残存割合の見通しは、基礎杭偽装事件後、ガクンと減ったのは間違いないでしょう。「安物買いの銭失い」は何時の世でも正しい言い習わしであり、常にエンジニア(リング)の座右の銘あるいは指針とすべきでしょう。

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2015年11月 2日 (月)

2839 ポストクルマ

車や二輪車の国内生産が減少の一途を辿っている様です。海外生産ではそれなりに検討はしているのでしょうが、国内の産業も、既にまやかしの経済政策の結果としての円安メリットだけに頼っている訳にはいかない時代に入っています。何より、将来像が見えていません。鉄や造船と言った重厚長大から、家電や車と言った軽い産業に転換しましたが、もっと軽いIT産業では欧米に置いて行かれ、IT関連のハード生産でもC国やK国に追い込まれている様に見えます。

この国の10年後、20年後、50年後をどうやって支えていくかを真面目に考えていく必要が絶対にあります。それは、モノを大量に安く生産し、大量に海外に輸出する様な産業ではない事は明確です。その様な社会や産業は「持続可能性」に照らして、完全に否定されているからです。その様な社会は、資源やエネルギーの供給や廃棄物の処理サイクルあるいは温暖化被害の悪化に於いて、間違いなく破綻する事が明白だからです。

そうではなくて、もっと内需に目を向けるべきなのです。内需と言っても、何もモノの消費だけを意味しません。最低限の衣食住に加えて、最大限のエネルギー自給が内需の中身とならなければなりません。今は、安く手に入っている石油や天然ガスは、需給のひっ迫と共に徐々に「20世紀の夢」になっていくでしょう。私たちは、この狭い国土で、収率を最大限にする農業と、山の木を材と燃料として有効活用す林業と、海の恵みを持続的に利用する漁業と、それを下から支える産業が何がなんでも必要なのです。例えば、バイオマスストーブやバイオマスボイラの性能は、欧米(特にヨーロッパ)に大きく後れを取っています。車産業やましてや原発産業などに拘泥している場合ではないでしょう。車産業や家電産業が束になって掛かれば、バイオマス利用機器の利便性や性能は、あっという間にヨーローッパを追い抜けるでしょう。というのも、欧米におけるそれらの産業は中小企業が中心だからです。この国の力のある企業が参入し、量産技術や低コスト技術を駆使すれば、後発でも十分に彼らに勝てるでしょう。バイオマス燃料や太陽熱利用と言った「自前のエネルギー」産業には、間違いなく追い風が吹いています。何も大型風車やメガソーラだけが再エネではないのです。

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2015年11月 1日 (日)

2838 偽装と手抜きの間

一連の作業を行う場合、初期は細心の注意を払って実行されるのですが、実績が積み重なって日常の作業に慣れてくると、手抜きをしたくなるのが人情です。しかし、手抜きは仕方がないにしても偽装は法令を破るご法度です。そうならないためには、合法的に手抜きをする方法を考えるしかありません。手抜きは、それ自体が悪である訳ではありません。というのも、実績が積み重なって、作業に習熟してくると、手順を簡略化しても品質上問題の生じない事も事実なのです。

しかし、初期の作業から、習熟した段階に移るに際しては、手順書の改定をすっ飛ばしてはならないでしょう。つまり、手を抜くのであれば、それが品質上問題が生じない事を、データとして検証した上で、簡略した新たな手順書を作れば良いのです。杭が、固い地盤に届かないのは論外ですが、理論上・データ上、掘削機の電流値が一定以上の値を示す事により確認が出来、そこから何メートルか掘り進んで既定の深さに達する事で、品質上十分であるなら、何も毎回面倒な紙のチャートを打ち出す必要はない訳です。その代り、杭ごとにID番号を付した上で、岩盤に到達した深さと、そこからの追加掘削の記録が残れば良い訳です。何故ID管理が必要かと言えば、それは杭一本いっぽんのトレーサビリティを確保するためです。

全ての杭の品質を、個々に保証するという事は、建物に地震や他の災害で、異常が発生した時も、少なくともその原因が基礎杭ではない事を証明できるのです。作業性やコストだけを優先し、アリバイ作りのためのデータ偽装なぞ、技術者の魂を売ってしまったとしか言いようがないでしょう。全く言葉もありません。もちろん、データ偽装という名の、恥ずべき偽装は、問題が発覚した横浜のマンションや数か所のビルだけで済む筈もありません。日常茶飯事のデータねつ造こそが、偽装問題の本質だからです。今回は「基礎杭問題」ですが、もちろん偽装問題は建設業界特有の問題である筈もなく、自動車業界でも、食品業界などでも、「茶飯事問題」である事は過去の偽装事件を思い起こすまでもないでしょう。品質が保証される限りにおいては、根拠のある基準を定めた上で、合法的、合目的的に堂々と手抜きを行えば良いのです。

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