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2015年12月26日 (土)

2885 休稿

今晩から帰省旅行のため1週間あまりオフラインで休稿です。

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2884 地球益

企業は利益を上げない事には存続することが叶いません。しかし、企業が利益を上げれば上げるほど、逆に地球が痛めつけられる事になるのは皮肉な話です。経済を回すには、先ずは第一次産業の人たちが原料(多くは地下資源です)を掘り出さなくてはなりません。資源や化石エネルギーを仕入れたメーカーは、先ずは一次製品を作ります。鉄とかセメントとかの原材料の類です。いわゆるメーカーは、その一次製品を仕入れ、加工を施して二次製品を作ります。ここでもエネルギーが必要で、かなりの量の廃棄物も出ていしまいます。それがそのまま最終製品になる場合もありますし、それが皿に上位のメーカーの部品となって、更なる加工や集積(組立)が行われて、複雑な工業製品になるのです。しかし、車産業などはいわば最終組立業なので、廃棄物などはあまり出さないでしょう。

しかし、最終製品は消費者に買られてしまえば終わりという訳ではありません。メーカーは、使用に従って製品が「適度に壊れる様に」設計しますので、いわゆる耐用年数に到達すれば、やがては買い換えられる事になる筈です。問題は、用済みの古い製品です。一般的には製品には、金属やプラスチックや電気部品など多くのモノが集積されていますので、そのままでは処理できません。これまでは、大型のクラッシャーで破砕し、電磁石で鉄とそれ以外に荒っぽく分けて、使い道がないモノは破砕ダストとして、最終処分場か埋立地に持ち込まれて「処分」されていたのです。

しかしながら、結果としては処分場が満杯になりもはやこの方法が持続できないものであることが明白になってきたのです。地球にこれ以上の負荷を掛けないためにする事は多くはありません。徹底的な修理を繰り返しての再使用(リユース)と、最終的に使えなくなった製品の「完全分解によるマテリアルリサイクル」なのです。製品は徹底的に分解しさえすれば、ほぼ純粋な材料に分別する事が可能です。鉄、アルミ、銅、ステンレス、数種のプラスチック、数種のゴム、などなどです。これらを混ぜてはいけません。徹底的に分別して、使えるモノは掃除して再使用し、使えないモノは部品メーカーに送り返してマテリアルリサイクルに回すしかないのです。つまり必要なのは、製造工場に匹敵するほどの規模を有する「解体工場」なのです。出来れば、両者では可能な限りエネルギーを節約して、人力を活用して貰いたいものです。地球益のためにも、正規雇用を増やすためにも・・・。

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2015年12月25日 (金)

2883 バイオマス暖房・給湯計画

新年に計画中の自宅には、バイオマスボイラを入れて、給湯と暖房を行う予定です。バイオマスを燃やせば、当然の事ながらCO2が発生しますが、少なくとも燃やす燃料である木質ペレットは、樹木がこの「数十年内に固定した二酸化炭素」の塊である事は間違いありません。しかも今住んでいる市内で製造している木質ペレットは、フローリングの材料である杉合板の端材から作られており、元々焼却処理していた廃棄物の流用ですから、CO2を新たに発生させる訳ではありません。

考えてみれば、石油や石炭などの化石燃料も元はバイオマスである訳で、但しそれらは地球がひどく温暖であった化石時代に、現在より大気中の豊富であった二酸化炭素を、植物やプランクトンが吸収して炭素固定したものであり、広い意味ではバイオマスだとも言えます。

かと言って、それを野放図に燃やしていたのでは、既に400ppmを超えるレベルまで達した大気中のCO2は、ますます増加し、結果としては太古の温暖期の様に温暖化し、氷河や極氷の多くが消失する事態にもつながるでしょう。つまりは、バイオマスというものは、ある世代が生きている間にコントロール(植林や伐採などを指します)出来る範囲でしか利用してはいけないもの、だと言えるでしょう。

自宅の計画では、ボイラ小屋に設置するペレットボイラで温水を作り、貯湯タンクに蓄えます。暖房は、それを使ってファンコイルユニットで温風を発生させ、それをダクトで床下に回す、「床下暖房」を採用する事にしました。タンクから給湯も行い、風呂の追い焚きの熱交換器もタンク内に追加します。夏場は、太陽熱温水器の力も借りるので、ペレットの消費は最小限で済むでしょう。これに照明などの最小限の電力と、調理用だけのプロパンガスがあれば、つましい新居のエネルギーがどうにか賄えるでしょう。ゆくゆくは、少しずつ太陽光発電を増やして、部分的な電力供給(セミオフグリッド)も追加する予定です。計画や工事の進捗は、今後折に触れて報告する事にしましょう。

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2015年12月24日 (木)

2882 昭和の評価2

2879の続きです。今のリーダーは、前回登場時は「美しい国、日本・・・」などと言う小奇麗なキャッチフレーズで、今回は「戦後レジームからの脱却」などと言う訳の分らないフレーズを掲げて再度トップの椅子を獲得しました。しかし、いわゆる「戦後」から、既に70年も経過した今、それ振り回したりするのは、戦後生まれのリーダーとしては全くの時代錯誤かナンセンスと断ずるしかないでしょう。戦争放棄・不戦を掲げた今の憲法は、かつての厳しい東西冷戦を掻い潜るには最適の「看板」だったと言うしかないでしょう。だからこそ、東西冷戦の前線である、朝鮮半島やベトナムや中東で、B国の「兵站」を一手に引き受けた結果、景気が高揚し、産業が隆盛して先進国の仲間入りをしても、世界からひどいバッシングを受ける事無しにここまでこれた筈なのです。

その看板を外そうなどと目論むのは、全くの筋違いだと断言できます。この国は、人材と科学技術と経済活動で生きていくしか道はないのです。積極的平和主義などとオブラートでくるんだ「軍備拡大」など、最も選択してはならない方向でしょう。積極的平和主義などではなく、アジアの小国には、何は無くとも「絶対的平和主義」しかないのです。

昭和の総括というか評価には、戦争突入に至った経緯の詳細な分析と、戦後の世界秩序が現在の混沌に陥った原因の特定が必須です、しかしながら、過去の歴史を評価するのは比較的容易ですが、現在進行形の出来事を正しく評価するのは、実は結構難しい様なのです。比較的、それができ易いのは、現役から一歩退いて、社会を客観的に眺めやすい立場の人たちが、積極的に発言していくしかなさそうなのです。現役の人たちは、特に政治家はもちろん評論家でさえ「当事者」なのであり、当事者に自己分析や自己評価を行うことは基本的には出来ない相談だと言えます。という訳で、仕方がないので、投稿者も分析力も不十分で、無責任な立場ではありますが、この人気の無いブログでの投稿を続けていく事にします。

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2015年12月23日 (水)

2881 PDA?A

PDCAは、言わずもがなですが、各種のマネージメントシステムで、お経の様に唱えられる、Plan Do Cheak Actionサイクルの頭文字です。しかし、最近気になるのはC(Check)です。一応チェックしたとしても、一体何のためのチェックか、焦点がボヤケている事が多いのです。その理由は、計画がボンヤリしている事にあります。計画がボンヤリしているのは、目標が計測可能なものではなくアイマイになっているためです。目標がアイマイなのは、理念や方針が的外れになっているからです。

と言う風に、PDCAのサイクルを逆に回してみれば、システムがしっかり機能しているかどうかが「チェック」出来そうです。それよりなにより、表題でPD[A]Aと書いた[A]は、実はAnalysis(分析)の頭文字なのです。チェックと分析は似たようなイメージの言葉ですが、重みが全く異なります。チェックとは、行動が計画通り出来ているかどうかの確認程度でも許されますが、分析は定量的あるいは定性的な評価を加えて、問題点(あるいは上手くいった点)を客観的に掘り下げ、掘り出す行為なのです。

残念ながら、正解が用意されたテスト問題やマークシート方式で育ったこの国の人々は、この分析という行為が苦手です。例題を習った後に、数字をや背景を「入れ替えた」だけのテスト問題の正解を見出すのは、容易な作業だと言えるでしょう。しかし、現実の問題には例題が無い場合も多いでしょうし、ましてや正解など見つからない場合もあり得るのです。しかし、その中でもより正解に近いActionを起こすには、より確からしいAnalysisが不可欠だと思うのです。企業に限らず、この国の政治は、これまでPDまでで完結してきた様な気がしてなりません。だからこそ、ふと気が付けば国立競技場の建設費や五輪の予算が何倍にも膨らむ事態に陥るのです。まさに、状況をチェックし、数字を分析する立場の人が不在なのです。誘致活動のために、原発事故の収束に関しての分析に「方便(ウソとも言います)」まで使って、綿密なプレゼンを準備したにも関わらず、計画段階で早くもひどい綻びが出ているのです。計画の分析が出来ていなかった証左です。

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2015年12月22日 (火)

2880 都市計画?

何処の都市にも町にも都市計画を担当する部門があります。これは想像ですが、そこで働く担当者の多くは、土木工学などを学んだ「技術者」が多いのではないでしょうか。しかし、技術者だけで立派な街並みが出来るとはとても思えません。というのも、ある都市なり町のあるべき姿といういうものは、その地域の歴史や風土などのバックグラウンド、更にはそこに住まう人々、さらに言えばその地に息づく文化まで考慮に入れないと、ロクなものにならないでしょう。技術者の得意分野は、「ハード面」に加えて「コスト面」しかなく、その他の視点はすっかり抜け落ちてしまいます。

例えば、津波で洗われた地域を、嵩上げしてすっかり新しくした町を「計画」する場合、町が出来たとしてもそこに住みたいと感ずる人は、想像するに半数以下になってしまうでしょう。入れ物が出来たとしても、そこに息づく文化や地域のコミュニティや祭りや、学校を中心とした行事が消えてしまっているからです。人を引き付ける魅力の無い町は、単なる建物と道路があるだけの入れ物でしかありません。町には、適度の暖かさと、いかがわしさと、住まう事による安堵感と、地域に対する少しの誇りも必要だからです。

全く新しく都市を計画・設計すのはいわば神の様な能力を求められてもいるのです。もちろん、そんな万能の人はたぶん居ないでしょうから、何人かが共同で計画を練る必要があるのでしょう。たとえ船頭が多くなっても出来る限り多様な人々を巻き込まない限り、完成しても人影が薄い寂しい町が出来てしまうことになるのでしょうか。

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2015年12月21日 (月)

2879 昭和の評価

このブログは、環境面から見た20世紀、取り分け投稿者自身が目撃した、高度成長期以降の20世紀を総括する事を念頭に、約8年ほど前からほぼ毎日書き続けています。振り返ってみると、割れながら良く書くネタが尽きなかったものだと呆れてもしまいます。当然の事ながら、過去の振り返りと総括の上に立って、反省点を挙げて、それに対する改善案を書く事を中心にしてきましたが、それもこれもゴミの山(実際のゴミも、社会システムとしてのゴミも)を子孫に残しては申し訳ないという、「単なる老婆心」から始めたブログでもあったのです。

その意味で、いわゆる戦後から高度成長期を通じ、反省なく突っ走ってきた投稿者以上の年代は、第一線からは退いた今、痛切な反省文を書かなければならないと思うのです。自分達の世代は確かに我武者羅に働いて、それなりの富も蓄積できたことは間違いないのですが、同時に見えるゴミも、見えないゴミも多量に残して来たこともまた間違いのない事実でしょう。各地の最終処分場は、満杯の一歩手前ですし、核のゴミ処理の目途も立っていないにも関わらず、また福一の事故処理も殆ど進んでいないにも関わらず、またぞろ再稼働を推進しようとしています。原発の再稼働に多額の投資をする位なら、そのお金を全額再エネ投資に向ければ、COP21の国際公約のCO2削減率なんぞは、あっという間に達成可能でしょう。

しかし、もし2030年時点で26%のCO2削減という公約が、原発の全数再稼働を想定したものであるとすれば、何をかいわんやでしょう。実は、その可能性が結構高いのですが・・・。ソロソロこの国も、場当たりで口先だけの公約という「悪い慣習」を止めにしなければならないのです。もちろん忘れっぽい我々国民も猛省が必要ではあります。続きます。

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2015年12月20日 (日)

2878 グローバリズム

これもやや重い表題です。今の混沌とした世界を眺めるにつけ、かつての大国のいわゆる帝国主義の黒い遺産と考え込まざるを得ません。中東や、アジアや、アフリカの直線かそれに近い国境線を見るにつけ、緯度・経度で勝手に境界を引いた大国の横暴の明確な証拠にしか見えません。民族学的やあるいは地政学的な国境は長い歴史の中で、明確に存在した事でしょう。そこに踏み込んだ大国の横暴によって、国境を越えて難民や移民となって拡散した土着の民族は、流入した先でフリクションを起こし、局地的な紛争を数多く引き起こしました。とりわけ、遊牧を生業としていた民族は、広く拡散してしまったのでした。

大国の横暴は、結局は安い鉱物・石油資源の採掘権争いや、安い労働力を使った安い商品作物の収穫を目指したプランテーションにその典型を見る事が出来ます。地下資源や太陽光に恵まれない北の先進国は、自国内の資源や食糧自給率では、国力を維持する事も出来ないため、帝国政策によって、更新国から富を奪い取ってくる政策を続けた訳です。現在は歴史で学ぶ「大航海時代」も結局は、海外進出(侵略)の偵察部隊だったことは間違いないでしょう。

さて、現代の世界を覆い尽くすカオスです。グローバリズムの反意語は、ローカリズムとなるのでしょうが、やはり紛争の種を減らすには、どうしても人種や宗教にも大いに関係する文化毎のモザイクを作り直さなけれなならないと思うのです。その際何処まで行っても難しいのは、資源の偏在という問題です。アラブには、石油資源の多くが偏在している故に、何時までも紛争の火種になり続けているのでしょう。しかし、考えてみれば石油やLNGなどの化石燃料を、有益な富と位置付けているのは、結局はそれを大量に消費している、先進国を中心とする工業国である事は間違いありません。工業国は、エネルギーや資源を消費しつつ、工業製品を輸出する事によって外貨を稼ぎ、豊かな生活を維持しているのですから、ローカリズムへの逆戻りには結構抵抗もある筈です。とは言いながら、足元を良くながめれば、地域資源や地域エネルギーも結構ある事に気が付くでしょう。現在の「経済性」で考えれば採算に合わなくとも、私たちはそれを最大限利用する事が、結局はグローバリズムに伴う紛争を減らす唯一の方法だと見ています。

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2015年12月19日 (土)

2877 絶対正義・絶対悪

ちょっと重い表題です。もちろんM・サンデルの様に、精密にかつ深く掘り下げる事は出来ませんが、時々正義についても考えます。その中で、正義やその反対の悪の間には、境目のないグラデーションがあると思うようになりました。絶対悪というものは明らかに存在するでしょう。理由なく、あるいは財産などを奪う目的で、他人を殺める行為は。どの様な時代背景にあっても絶対悪であった筈です。しかし、一方の絶対正義というものがあるのかどうかに関しては、かなり疑問を持たざるを得ません。というのも、正義は悪の否定の結果として存在するのではなく、正義を肯定する行為は、必ず誰かの利益をも肯定する事になるからです。

何故か。一般的に正義は、大多数に正しいと認められる必要があるでしょう。勧善懲悪のドラマが語るのは、「絶対悪」を「絶対正義の味方」が懲らしめる構図なのですが、もちろん人類の殲滅を図る様な絶対悪は存在しませんし、それを懲らしめる神の様な絶対的な正義も存在しないと思うからです。そもそも、あるグループにとっての神は、他のグループにとっては極悪のシンボルに見える事すらあるのです。そもそも宗教戦争とは、まさにそうしたものでしょう。

結局、正義とは、多数決での多数にとっての正義でしかないと言うしかないのです。その多数が、たとえ99%であったとしても、それが残りの1%にとって不利(あるいは不利益=悪)と映るなら、それは99%分の正義でしかない事になるでしょう。大多数にとっての正義とは、つまるところ、かなりの程度、あるいはとっても「正義っぽい」と表現するしか無さそうなのです。正義という言葉を使うには、それを正義と認めるグループとその中での大多数をしっかり定義してから用いる必要があると思っています。この国にには「大義(名分)」という言葉もあります。封建時代ではない現代でも、政治屋などはしばしば使いたがります。上の文脈に沿って言うなら、今リーダー的立場にある政権にとっての正義(あるいは大義)とは、結局30%を少し超える程度のグループにとっての正義でしかないと言うしかないでしょう。さもこの国の大衆の支持を全部集めているかの様な、あのリーダーっぽい人の言動が腹に入らないのは、きっとそれをわきまえた奥ゆかしさがないと言う理由なのでしょう。

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2015年12月18日 (金)

2876 耐寒訓練?

投稿者の事務所には暖房設備がありません。正確には、電気エアコンがあるので、冬季でもある程度の暖房は可能ですが、使っていないのです。しかし、ここ北国では冬季には何も暖房をしない場合、室内温度は数℃まで下がってしまいます。体は、フリースやダウンベストを着ればどうにかなりますが、座っていれば足先やお尻が冷えるし、キーボードやマウスに触れば、手先がかじかみます。そこで、部分暖房をする事としました。足元には、小さな電気アンカ、マウスの下も薄い「平型アンカ」、座布団の下にはUSBで暖まる小さなクッションを入れています。消費電力は、合計でも50wに満たないでしょう。

ちなみにエアコンを入れると400-500w分の電力が増加するので、今の局所暖房のざっと10倍のエネルギーが必要だと言う計算になります。この国では、2030年時点で、マイナス26%の排出ガ削減を目標としている様ですが、この事務所では既にマイナス80%以上の削減を達成している事になります。この数字は、2050年時点の、根拠のない閣議決定の数字と一致しますが、偶然ではなく、この数字を聞いた時に実際どの様な生活になるのか実行してみようと思い立ったからでした。

さて、特に冷え込む日には、更に40wのレフランプを点灯します。机の上が明るくなって、しかもランプの下は、陽だまりの様に暖かくなるのです。白熱電球による暖かさは、LEDで実現できないもので、まさに小さな太陽といったところです。これを付けると電力はほぼ倍になりますので、時々しか点灯しません。全体として、ここ北国での生活は、雪山での「耐寒訓練」の様なものだと思っていて、熱を発する道具が手元にある分だけ、非常にズボラな訓練にはなっている様です。

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2015年12月17日 (木)

2875 北極の過熱

北極圏の今年の気温が、この110年(1900年以降)で最高を記録し、なんと平均を1.3℃も上回ったのだそうです。春先の浮氷の面積も最低で、しかもその氷の70%は薄い、出来たばかりの氷だったとか。薄氷は、夏場にはすっかり解けてしまいますから、海面が太陽光を吸収し易くなり、北極圏の気温上昇は加速する事になります。今年の暖冬傾向をエルニーニョの所為にする予報士も多いのですが、それよりなにより冬将軍のエネルギー源である北極の冷気(北極気団)がすっかり弱っている事こそが根本原因でしょう。

こんな冬の初めに暖かい年は、実は春先にドカ雪に見舞われる事も多いのです。つまり、冬の始めには弱かった北極気団も、流石に数か月間も太陽から遠ざかっていると、徐々に強くなるのです。冷たい空気が十分に蓄積された冬の終わりごろか早春に、溜まった冷気を一気に吐き出すと言うカラクリです。こうも北極が暖かくなると、予報士は暖冬でもエルニーニョだけに責任を押し付けられなくなるでしょう。つまりは、近年の暖冬傾向は、エルニーニョなどの気象(振動)の問題ではなく、ついに長期レンジでないと観測出来ない「気候変動」の問題になった様なのです。

さて、温暖化に歯止めが掛からないとすれば、私たちは適応して行かなければならないでしょう。しかし、ご先祖様たちが、大きな気候変動を潜ってこれたのは、実は過去の気象変動はかなりゆっくりと進んだのが幸いした様なのです。例えば、小氷河期や逆の温暖期への移行は、多分千年単位の時間レンジの中で進んだのでしょう。しかし、現在の「激しい」気象変動のスピードは、多分1970年代以降の僅か50年ほどで激化したので、人類が経験した事の無い様な「適応力」が試されようとしているのです。私たちが、適応するのに必要なものは必ずしも科学・技術ではありません。そうではなくて、本当に必要なのは知恵と工夫、それに加えて体を鍛える事だと思うのです。ナマクラな体では、来たるべき気候変動の激震に耐える事などおぼつかないでしょう。暑くても寒くても、冷暖房などろくに使わないで、知恵と工夫と鍛えた体と衣服の調節で乗り切って行かなければならないのでしょう。

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2015年12月16日 (水)

2874 削減目標

COP21が終わりましたが、例によって希望的観測による「努力目標」を立てて終了してしまいました。この国も一応2030年時点で2013年比で26%だかなんだかの削減(努力)目標がある様です。しかし、忘れ易い私たち大衆が、忘れてはならない数字は、お国はは既に2050年時点で80%を削減すると言う「極めて楽観的な目標」を既に「閣議決定」という拘束力のない(薄い)努力目標を一応打ち出していると言う事実です。

とは言うものの、これを閣議決定したお歴々が、2050年に対して何の責任も持っていない訳です。この閣議決定とは、単にこれからの時代を担う若者に、粉骨砕身の温暖化効果ガス削減を期待し、無責任な努力目標を達成して貰いたいと言う願望に過ぎない訳です。もし、真面目に今あるこれらの「目標」を達成しようとするなら、単純計算ですが、COP21目標でも年率-2%、閣議決定目標(もしそれを目標と呼ぶなら)年率-5%で削減し続けなければ、届かない事になるのです。COP21でも閣議決定目標でも、それを達成するための具体的な手段については言及していません。単に、今後の科学・技術の進歩に「期待」しているに過ぎないのです。

物質やエネルギーの保存則により無から有を生み出す事は出来ません。しかも、化石燃料を欲し出してはいけない訳ですから、私たち地球表面に暮らす生き物としては、結局太陽光の恵みの範囲内で暮らす事が求められる訳です。しかも、太陽光は、他の生き物(植物を含む)や食糧生産とシェアしなければなりませんので、あるべき社会に向かうためには、先ずはあらゆる建物の屋根を太陽光発電や、太陽熱温水器で覆い尽くさなけれなならないでしょうし、山の木も持続可能な形で利用し、バイオマスとして資源利用する必要もあるでしょう。海岸線には、風車の林を築き、あらゆる水の流れには大小の水車を入れる必要もあるでしょう。そこまで努力すれば2050年時80%の削減も見えるかも知れませんが、問題は誰がそのコストを負担するかです。結局この件もいつもの「総論賛成、各論反対」という悪いパターンに陥るのでしょう。続きます。

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2015年12月15日 (火)

2873 人口誘導

2872の続きです。高度成長期には大きな人口流動が起こりました。戦争特需をきっかけとした、急速な工業化と並行してのエネルギー転換(石炭⇒石油)により、農村や炭鉱からいわゆる太平洋ベルト地帯、取り分け京浜地域と阪神地域、加えて北九州地域へ、どっと人口が移動・流入したのでした。想い起せば、投稿者の最初の任地であった神戸にあった造船所では、朝晩に正社員だけでも3万人を優に超える人々が通勤する壮大な風景が見られたものでした。急激に膨張した生産現場を支えるために、新たに中途採用された現場作業員の多くは、実は北九州の炭鉱で働いていたのです。 石炭に替わって、この国のエネルギー源となったのは言わずもがなですが、石油です。それを運ぶために、次々と20万トンを超えるクラスのタンカーが建造されたのでした。石油の消費量はグングンと増加し、ピーク時には20万トンクラスのタンカーが、ほぼ3日に1隻の割合で、中東から原油を運び続けたのでした。それでも、急激に増加したエネルギー需要は賄えず、国に主導された形で電力各社は、S40年代以降は原発建設のアクセルを踏み続けたのでした。最初は、震災で事故を起こした福一の様に、B国メーカーのライセンス生産、追ってそれをコピーした国産の原発が次々に建設されたのでした。 さて、都市に集中した人口は、製造業が自動化の推進や国外生産の増加によって、人手が余ってくると、結果的には都市人口を支えるために流通業やサービス業(いわゆる第3次産業)が膨張し、それが工場からはじき出された労働力の受け皿となってきた訳です。 しかし、ここにきて第2次産業も、第3次産業もその膨張代がもはや残っていない事が明らかになってきた様に見えます。何故なら、国内では人口減少が明白になり、一方でモノ造り産業のかなりの部分が、C国やK国などに肩代わりされシェアの低下が明らかになってきたからです。こうなれば、残された道は結構限られた言うしかありません。はっきり言うなら、農林業分野です。現状では食糧と木材の多くは輸入で賄われ、同様にエネルギーの殆ども輸入されているからです。これを、国内の放置された山林や、耕作放棄地を利用して賄う事が出来れば、それはそのまま「内需」の拡大につながる訳です。農林業は、かなり人手の掛かる産業だと言えます。人々は、キーボードをチェンソーに持ち替え、車の運転の替わりにトラクターや林業機械を動かす必要があるでしょう。田舎の暮らしは、自然に囲まれてストレスも小さく、暮らしに要する現金も少なくて済むのです。いまや都市から田舎への人口移動の有効な政策だけが必要とされているのです。

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2015年12月14日 (月)

2872 ファクター4or10

COP21が成功裏に終わりましたが、もちろん途上国をGHG削減に巻き込んだ事は良いとして、各国への削減量の割り当て(Quota)が決められなかった事など、不満足な点も多く、諸手を挙げて喜べる結果とまでは言えないでしょう。かつて、温暖化に歯止めを掛けるアプローチとして、豊かさを2倍に、資源消費当たりの生産性を2倍にすると言う、いわゆるファクター4が話題になりましたが、その後それではとても目標に届かない、ファクター10が必要だと言う「厳しめの意見」が出されました。

しかし、いずれにしても「豊かさ」をあまり犠牲にしないどころか、逆に向上させると言う「虫の良い」考え方であり、如何に科学・技術が進歩したとしても、とても実現可能だとは思えません。これは、日本の社会が1970年代にそうであった様に、生活や生産におけるエネルギー消費を半分にして、なおかつ食糧生産に投入するエネルギーも半分にして、しかし豊かさを今以上に実感できるとはとても想像できません。

そうではなくて、私たちの「物質的豊かさの基準」を半分以下に大きく切り下げるしか方法はないと思うのです。かつてオイルショックの時がそうであった様に、夜の12時になれば、ネオンサインを消し、深夜放送を自粛し、その頃は影も形も無かったコンビニも、夜間は店を閉める事になっても、別に豊かさを犠牲にする訳ではないでしょう。ヒトにとって夜は、家族の団らんや睡眠に当てるべき時間であり、煌々と照明を灯しながら、無理をして活動する時間ではない筈です。その結果、小売り業界などでは売り上げが減るのでしょうが、経費も人件費も削減できますから、浮いた資源は、それでなくとも人手不足が深刻な、農林業や福祉産業へ振り向ければ良いでしょう。小売り業で新たな産業に参入するのに気が進まないのなら、人材派遣業としてでも良いでしょう。但し、派遣期間は可能な限り短くし、本雇いにするための法律は必要です。結果として、都市から地方への人口の流れも作れるでしょう。地方への人材派遣は、いわば「試し移住」ともなる訳です。何故か話題が、人口減少問題に反れましたので、ァクター4や10は別の稿で取り上げることとします。

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2015年12月13日 (日)

2871 冬将軍とエルニーニョ

エルニーニョは今が最盛期の様で、この冬は少なくとも北国では歴史的な暖冬傾向です。逆に、日本の南岸を低気圧が通過するチャンスが増えて、都会での積雪の回数は増えるかも知れません。さて、ここで考えてみたいのは、エルニーニョと北極気団の関係です。というのも、地表の気象現象は、季節的に大きく変わる太陽光の照射によって支配されていますし、受け取った膨大な熱は、海流と大気循環によって低緯度地域から極地域へ運ばれているからです。いわゆる南北循環です。エルニーニョそのものは、赤道付近における東西循環の異常なのですが、それが日本などの中緯度地方の気象現象にも大きく関与している訳です。ならば、更に広域で見れば、極地域の気象にも無関係でないと想像ができます。

と言うか、投稿者は逆にエルニーニョ現象そのものが、北極気団の消長によって引き起こされているのではないかと疑っているのです。南極は、分厚い氷床で覆われているので、長期的に見ても安定なのですが、北極の氷は浮氷なので、年によって、特に夏場の面積は大きく変化しています。長期的傾向では、その全体面積が大きく減少している事は、度々報道される「温暖化報道」でも良く知られている事実です。

北極の氷が厚く、北極海地域の気温が十分に下がり、したがって北極気団が十分に蓄積されている場合、そこからは強い寒気が吹き出します。その場所は大きくは2か所になります。一つは、北米大陸であり、カナダやアメリカの北部地域になります。もっとピンポイントで言えば五大湖付近になるでしょう。もう一つはシベリアです。シベリアへの寒気の吹き出し口として重要な位置づけにあるのは、バレンツ海です。ロシアとスカンジナビア半島に挟まれたこの地域から、北極気団の寒気が吹き出し、ロシアや中央アジアを通って、日本などに寒気団をもたらすと言う機序になります。エルニーニョはそれとして、今年の場合このバレンツ海気流が弱いのです。従って、寒気団がなかなか降りてこない結果、この超暖冬をもたらしている様なのです。

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2015年12月12日 (土)

2870 ストック社会

今この国はフロー社会と呼ぶべき状態だと思います。フロー社会とは、常にモノやお金を動かし続けなくては成り立たない(成り立ちにくい)社会だと定義できそうです。モノが流れないと、お金も動かず、いわゆる不景気になるでしょう。そのため、Aベノミクスで打たれた対策では、せっせとお金を印刷してお金の流れを増やすことによって、逆にモノの流れを刺激しようと考えたのでしょう。それが主客転倒であることは確かですが、彼のブレーンの考える限界だったのでしょうか、それともすぐに効果の出る安易な政策にすがったのでしょうか。

この様なフロー社会への転換は、戦後の高度成長期に明確になった様な気がします。この時期を通じて何があったかを思い起こせば、起こったのは朝鮮半島やインドシナ半島などにおける戦争・紛争でした。現代の戦争は、物量に頼る消耗戦ですから、多量のモノが戦地で消耗され、後方ではそれを補うために多量に生産されるのです。この国は、B国という戦争好きの国の後ろで、後方支援を引き受けた訳です。それが、信じられない様な高度成長をもたらし、人々の生活スタイルも、大きい事は良い事で、大量生産・大量消費を是とする風潮が出来上がったのでしょう。

さて、ストック社会です。この様な社会では、既に十分な社会インフラが出来上がっており、それをメンテナンスしながら使う限りにおいては、それ程の資源や物量は必要としません。具体的に言えば、既存インフラの3%程度の物量を投入すれば、インフラの維持は可能だからです。日々の生活スタイルに於いても、成熟した社会では、例えば食糧のストックも増えるでしょう。余裕があって賢い人は、ある食材の旬の時期に、安くなったその食材を大量に買いこみ、調理してビン詰にする、冷凍庫を使う事でしょう。そのために、大きな食糧棚や冷凍庫を持ち、計画的にそれを使って行く事でしょう。

もちろんこの国には十分なストックが出来ました。経済性で考えれば、海外から鉄鉱石と石炭を買ってきて、新たに鉄を作れば良いのでしょうが、考えてみれば、この国には十分なレベルの鉄のストックもある筈です。ただ単に、その適正なリサイクルが十分に行われていないだけなのです。つまり、鋼種を減らし、厳密に分別すれば、使用済みの屑鉄は品質の低いスクラップではなく、純度の高い原料鉄に蘇るのです。

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2015年12月11日 (金)

2869 バッズ課税

消費税増税がマスコミで取り上げられない日はありません。今のトピックスとしては、どの範囲の食糧に軽減税率を適用するかという「些細な問題」です。政治屋が良く使う作戦の一つとしてしばしば目にするのは、何か小さな問題をさも重大な問題の様に取り上げ、長い時間を掛けて検討したかの様な「アリバイ」を作る事でしょうか。ある政治課題に対して、国会で何をどの様に議論したかではなく、合計で何時間議論したかが彼らの重要な指標なのです。

さてそれはさておき、バッズ課税とは、環境や社会に悪影響を与えるものや行動により重い税を課すと言う考え方です。燃費が悪い重い車に、より高い税金を課す例や、温暖化効果ガスを出す化石燃料の消費に課す「炭素税」などが挙げられます。これを敷衍すれば、犯罪などの社会悪にも、課税(犯罪の場合は罰金?)することによって、発生を未然に防止する効果がある程度期待できるでしょう。交通違反の反則金も、目の玉が飛び出るくらい高ければ、交通違反や事故がかなりの程度低減できるかも知れません。

バッズ課税の対局は、グッズ減税です。社会にとって好ましい行動については、減税(場合によっては報奨金)を約束する訳です。課税者(国や自治体です)が認めたボランティア活動や寄付行為や他者への親切などに対して、減税やクーポン(地域通貨)などで褒賞する制度がもっと拡大すると、もしかするともっと住み易い社会になるかも知れません。アメとムチの使い分けは、為政者にとって最も多用される「手」ではありますが、甘いだけのアメではなく、好ましい行動をした人が正しく評価され、その結果行為者が精神的な満足感も得られる褒章制度は、世の中をより良く導くかも知れません。ノーベル賞程の多額の報奨金は必要ないでしょう。しかし、お国のリーダーのパフォーマンスに利用されるだけの「なんとか栄誉賞」や「なんとか勲章」ではなく、本当に大衆から祝福され、受賞者が名誉に感ずる褒章制度があって良さそうです。

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2015年12月10日 (木)

2868 原発城下町⇒環境都市

今日では、環境都市の代名詞とも呼ばれるフライブルク市ですが、その歴史を少し遡ると、実は環境破壊に痛めつけられ原発城下町になりかけた過去が見つかるのです。1970年代、この街を含むヨーロッパの広い地域が、重化学工業の原料でありエネルギー源でもあった石炭の多量消費に伴う大気汚染と、強烈な酸性雨という環境問題に苦しんでいました。とりわけ、フランスとドイツの国境線に近いルール地域は、石炭の一大産地であり、石炭を使った重化学コンビナートのメッカでもあったのです。当時、川は工場排水によってドス黒く汚染されて生き物は棲めず、森は酸性雨によって枯れ果てていたのでした。

加えて、フライブルク市の近郊に原子力発電所の建設計画が持ちがるに至って、ついにこの地域の住民が怒って反旗を翻したのでした。「きれいな水や空気を返せ」、「豊かな緑を返せ」及び「原発立地絶対反対」などというシュプレヒコールを叫んで立ち上がったのでした。しかし、この反対運動には、雇用の減少や電力不安という痛みにも耐える必要もあった訳ですが、彼らは勇気を持って「環境を選択」したのでした。市民が太陽光や風力やその他の再生可能エネルギーに投資し、市の中心部から車を締め出し、その替わりに路面電車などの公共交通機関を充実させ、一方では徹底的な廃棄物のリサイクル運動を進めたのでした。まさに、環境悪化という逆境から、強烈な反発力で環境都市へと完全な脱皮を図ったのです。

一方で、この国はどうでしょう。交付金をエサに、多くの県や自治体が原発を受けいれ、原発が津波で洗われれば、慌てて石炭火力発電所を多数建設したりするのです。つまりは、環境よりは経済優先であり、潤沢な電気エネルギーの供給を選択している情けない国なのです。ついつい、また愚痴になってしまいました。そうではなくて、私たちは環境保全の方向にもっとグッと舵を切らなければならないでしょう。痛みは伴います。しかし、それにも耐えて環境立国を目指さなければ、この国の存在は、国際社会の中でますます影が薄くなってしまう筈なのです。

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2015年12月 9日 (水)

2867 文殊の浅千恵

昨日のクロ現によれば、S40年代に計画され、一度は臨界に達した「Mんじゅ」が廃炉の瀬戸際の様です。そもそも50年も前に、こんな物騒な原子炉が計画されたこと自体驚きですが、それにも増して、あの過酷なナトリウム漏れ事故を起こして、しかも1兆円を超える税金を注ぎ込んで、なお存続させようとしている「原子力村」の存在には、恐怖すら禁じ得ません。

思い起こせば、ナトリウム漏れは単純な事故だった様な気がします。つまり、ナトリウム配管に取る付けられた温度計用の鞘が、液体ナトリウムの流れが引き起こす乱流で振動し、根元からポッキリ折れたのが発端だった様な気がします。ナトリウムは確かに密度は水程度ですが、液体となったナトリウムの粘性は、温度によって大きくバラついていた筈なのです。想像ですが、多分取り付けられた温度計用の鞘は、従来の水や蒸気用と同様な規格のものが使われていたのでしょう。そうでなければ、短期間の内に破損する筈がないからです。ナトリウム中における、温度計鞘の寿命試験という「基本的な確認」さえ行われずに採用されたのは、Mんじゅが「実験炉」であると言う安易な位置づけに原因があるでしょう。

実験炉である限りは「商用炉」ではないので、基準も安易に作られたでしょう。しかし、考えてみなければならないのは、リスクの掛け算です。簡単のために、放射性物質を扱う原発が、通常火力発電より10倍危険だとしましょう。またMんじゅを冷却するナトリウムの扱いが、水や蒸気に比べて10倍危険だとしましょう。その両方を扱う高速増殖炉の危険性は、通常火力に比べ20倍になるのではなく、1010100倍危険なのです。これが、リスクの掛け算です。もちろん、放射能の危険も、ナトリウムの危険もこんなレベルではありませんから、Mんじゅを人間がコントロールできるとはとても思えないのです。その意味で、この実験炉こそこの国で真っ先に「廃炉」にすべき原子炉なのです。もちろん、Mんじゅが廃炉になれば、この国の原発政策は根底からひっくり返らざるを得ないでしょう。2万トンに迫る使用済みの核燃料の行先は完全に失われてしまうからです。

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2015年12月 8日 (火)

2866 環境ビジネス

最近この言葉に違和感を感じています。確かに、環境保全に関わる活動が、ビジネスとして持続的に成り立つのであれば、それは理想でしょう。しかし、公平な目で見れば、現代社会では環境と経済活動はどうしても矛盾してしまう事に気が付きます。

例えば、いわゆる環境に優しいと言われる、燃費の良い車を開発し、それを広く販売すると言うビジネスモデルがあります。しかし、そのために開発されたEVHVに大量に使われる電池ですが、車メーカーがそのリサイクル性を完全に確保してから採用しているとはとても思えません。メーカーは仕様と価格だけを電池メーカーに示し、それが市場が受け入れ可能なレベルの銘柄を採用するでしょう。使用済みの電池の処理などは、電池メーカーに一任すれば良いのですから。

上の例に限らず、現在の環境ビジネスにおいては、消費者の利便性を確保した上で、それまでより環境負荷の僅かに(あるいはある程度)低い「代替製品」を市場に投入する、という程度でお茶を濁している様に見えます。例えば省エネ性に優れる家電や車、あるいはリサイクル性の好い材料を一部に採用した製品、更に言えば太陽光発電や風車などの再生可能型エネルギー関連の製品、加えて大量に出される廃棄物のリサイクル産業などが「環境ビジネス」などと呼びならされているのです。

そうではなくて、真の環境ビジネスと言えるのは、商品のライフサイクルでの環境負荷を大きく低減し、しかもそれが持続可能である限りにおいてなのです。EVHVで誤魔化すのでなく、例えばこれまでの半分の資源とエネルギーで移動できる手段を提供するビジネスモデルはどうでしょう。その手段が必ずしも乗用車である必要はありません。ソフトウェアを開発して、サラリーマンの乗り合い通勤が上手く出来る様になるだけでも十分なのです。一人しか乗っていなかった通勤車にもう一人乗って通勤できれば、環境負荷は見事に半分になるではありませんか。運転者と同乗者には多少の不便が生じますが、それは環境のためには仕方がない不便で、十分許容可能な範囲でしょう。

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2015年12月 7日 (月)

2865 I=PAT

これはP.エーリックが環境問題に関して示した数式ですが、このブログでは、全く同じタイトルで投稿した事があります。ここではその繰り返しを書く積りはなく、投稿者としてこの式に対するニュアンスが少し違ってきた事もあり、再定義しておきたいのです。この式では、I:環境へのインパクトを示すのに、P:人口、A:豊かさ(使用する資源量)、そしてT:テクノロジーによる負荷低減率、などと定義される変数の積で表し、結局環境負荷を下げるには、右辺の3つの数値を下げる必要があることを意味しています。

しかしながら、右肩上がりの人口:Pは、伸び率がやや鈍化傾向が見えて来たとはいえ、増加傾向は今後も続くでしょう。では、それを技術革新:Tがしっかり補ってくれるかと問われても、元技術屋である投稿者としても、明快にYESとは言えないのです。何故なら、技術は経済性を度外視しては成り立たず、結局儲からない技術には、いくら環境負荷を下げる事に貢献できるとしても、実際上誰も投資などしてくれないのです。

従って、安易にTに頼る事が出来ない人類に残された道は、豊かさのレベルを大幅に切り下げるしか無さそうなのです。最小限の資源やエネルギーで、豊かさを「感ずる」には、どうしても心の持ち方=価値観を変えるしかないのです。例えば、モノの少なかった時代においても、先人は紙と筆1本で、短歌や俳句や川柳を楽しんでいたではありませんか。モノが無くても、ヒモジクとも、先人は川柳で笑い飛ばしてきました。つまりは、モノによる豊かさではなく、ココロの豊かさで満足していた訳です。どうやら、高度成長期を経て、モノが豊富になるとともに、私たちは、私たち自身の価値観をすっかりひっくり返してしまった様なのです。経済論理の抵抗が強く、なかなか資源・エネルギー効率を高められないテクノロジーへの依存などはもう諦めましょう。ひたすら豊かさ:Aの水準を大きく下げる事に集中するしかないのです。これからのキーワードは「慎ましい生活スタイル」です。

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2015年12月 6日 (日)

2864 生産性

企業が業績の指標にしたがる、いわゆる生産性としては、「労働生産性」、「資源生産性」などが定義できそうです。とりわけ、前者に対しては、絶対的なお題目である「コスト削減」のため、その指標を向上させるために、日夜血のにじむ様な努力をしてきた事でしょう。20世紀のある時期までは、製造現場を「自動化する」事に血道をあげ、流れ作業化やロボット導入を競ってきた訳です。加えて、「カンバン」を掲げた「カイゼン」を積み重ねて、乾いた布をさらに絞る様に、コストを削ってきたのでした。けれども、それでも海外の安い製品との勝負で、ジリジリと負け戦が続く中で、産業界はいよいよ主要なコストである人件費そのものに手を付けざるを得ず、あの規制緩和(破壊)型リーダーである劇場型宰相などを煽って、社会に契約社員としての働き方を拡大して、人権費を削り込んだのでした。

しかし、もう一つの生産性である「資源生産性」を置き去りにしてきた事は否めません。確かに国にでは、二度のオイルショックに懲りて、エネルギー当たりの生産性は、世界でも高いレベルを達成した事は確かです。家電や車の新製品に関しても、競って省エネ性能を前面に打ち出して、いわゆる「トップランナー」を追いかけてきた事でしょう。とは言いながら、資源生産性は化石エネルギーだけの問題ではありません。地球を掘って手に入れる、あらゆる資源全体を指すのです。とりわけ、金属資源、希土類、石油化学製品(プラスチック)なども含まれるのです。

例えば、プラスチックでも近年非常に多く使われるようになったポリエチレンの一種であるPETを考えてみましょう。今やPETはあらゆる飲料や薬品のビンとして、あるいは包装資材として、身の回りに溢れています。ビンや包装の役割は、中身を消費者に安全に届ける事にありますから、消費後には用済みになる「資源」です。例えば、500mlの飲料を消費者の胃袋に流し込むまでの、自然生産性を考えた時、かつての飲料瓶の主役であったガラスビンと比較して、資源生産性はどうなるのでしょう。ガラスビンはビンは、飲料メーカーが配達のついでに回収していました。それを洗って20回程度(キズがひどくなるまで)再使用していたのです。しかし、大量生産・大量消費の時代の要請には合わなくなりましたし、人々がビン入り飲料水を買うようになって、重さも問題となりました。結局、一方通行の生産・消費時代の「ワンウェイボトル」としてPETが選定され。爆発的に拡大したのでした。

確認しておくべきは、たとえそれがリサイクルされるとしても、「使い捨て程」資源生産性が悪い仕組みはないのです。もし、飲料ビンとしてPETしか候補が無いのであれば、それは今の2倍の厚みにして、20回以上再使用すべきでしょう。材料が2倍になったとしても、資源生産性は10倍に出来るからです。たぶん続きます。

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2015年12月 5日 (土)

2863 加工=破壊

加工とは、モノ(原料や素材)の形を変えて、ある機能を持つ形に変える事を意味します。ヒトは、かつては木材や石、今は金属やプラスチックなどの塊を削ったり、塑性変形させたり、溶接したり、組み立てたりして、道具や製品などを作り出しています(いるつもりになっています)。その延長線上で、ヒトは自然をも「加工」してきたのです。山を削り、浅瀬を埋め立て、蛇行した川の流れを真っ直ぐにし、トンネルを穿ち、谷を埋めて道を作り家を建てて来たのでした。

しかし、加工によって素材は元の形を失います。それが、自然であれば一度加工されれば、元の「天然自然」に戻す事はほぼ絶望的でしょう。覆水を盆に戻す事は出来ないからです。自然を一度ヒトの手を加えて加工してしまうと、それは内在する治癒力を使って、「新たな平衡状態」を作り出します。しかし、それは最早元の平衡状態ではなくなっているでしょう。自然への加工が、ある限度を超える事を、私たちはしばしば「自然破壊」などと呼んだりもします。加工は、ある閾値を超えるてしまうと、「破壊」と呼ぶしかなくなるのです。

例えば、川の上流にダムを築いたとします。その結果、川の流れは緩やかになり、それまで洪水の度に山を削って、海まで運んで行った川の浸食作用が大幅に弱まります。その結果、運ばれた土砂によって、河口付近に広がっていた砂浜は、やがて波の浸食作用によってみるみるうちに痩せてしまうでしょう。今日、日本の多くの砂浜で観察される通りです。谷をコンクリートを使って、ダムに加工する行為が、砂浜の破壊につながっている訳です。仕方がないので、ヒトはコンクリートで波消しブロックを積み上げて、砂浜を守るしか無くなる訳です。結果、石灰石からコンクリートを加工するために、ますます山を削る加工を止められなくなるのです。まるで、コンクリート中毒です。

同様に、山を削って、谷を埋めて作る道路も、間違いなくそれまで平衡状態にあった土砂のバランスを崩し、結果として数十年に一度の豪雨などのタイミングで、土砂崩れを引き起こすのは、時折ニュース映像で見る通りです。私たちは、加工という行為に、もっと敏感になる必要があるでしょう。その加工が、果たして自然の持つ治癒力と、結果として生ずる新たな平衡状態が、自然が許容する範囲内であるか否かは十分に吟味する必要があると思うのです。それを、環境アセスメントなどと呼びならしてはいますが、素人目に見てもホンの表層しか吟味していないのは、委員の先生方の経歴を眺めるだけでも明らかです。

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2015年12月 4日 (金)

2862 隠ぺい体質

隠ぺい体質の露呈が止まりません。こう続くと、もしかすると全ての企業には、多かれ少なかれ隠ぺい体質が内在するのかも知れないと疑いたくもなります。自分のつたないサラリーマン経験を思い返してみます。全ての企業とそこに勤務するものには、常に「コスト削減」という、強いバイアス乃至はプレッシャーが掛かっています。企業によってそのレベルには差があるのでしょうが、近年はますますその圧力が高まっていると言えるでしょう。

その圧力下で業務を進めようとすれば、どうすれば手抜きをして人件費というコストを下げる事が出来るか、日夜工夫を重ねる事になるでしょう。品質を下げない手抜きを、スマートな言葉に直せば「カイゼン」という事になるのでしょうが、ビルの杭打ちでも、車載のコンピュータのプログラムでも、原発の点検データでも、血液製剤のプロセスでも、結局は品質を犠牲にした手抜きでしかありませんでした。しかも、それを陰湿に隠ぺいしていたのです。その方法は、データの改ざんや、データのねつ造、あるいはコピーデータの挿入などですが、それをどの程度の経営層まで把握していたかは、それぞれのケースで違いはあるのでしょうが、少なくとも本人だけしか知らなかった筈もありません。

部下の隠ぺいを知った、あるいは悪事を指示した上司は、自分がその部署に留まる限りは、絶対に隠し通そうとするでしょう。そうこうして、数年経つうちに、事実の公表は企業の評判や存立も大きく毀損する事態になって、上層部もその隠ぺいを更に入念に隠すのです。かくして、とある人や部署から「内部告発」が飛び出して、悪事は崩壊する事になります。

率直に言えば、これは企業が本来持っている体質なので、つける薬はありません。敢えて言うなら、上層部はコスト削減圧力をやや弱く設定し、上下の風通しを良くする程度の体質改善の「漢方薬」程度しか見当たりません。残念ながら。

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2015年12月 3日 (木)

2861 爆買い

今年の流行語にもなった様ですが、昨日のクロ現でもC国人の不動産の爆買いが話題に取り上げられていました。しかし、彼らの無軌道ぶりをそしる前に振り返ってみなければならないのは、この国でもかつては世界中に爆買いに走ったと言う少し前の過去でしょう。それはバブル全盛であった時代の話です。ニューヨークの中心街ののビルの買い漁り、カネにモノを言わせた美術品の爆買い、あるいは一般市民もでかいバックを抱えて海外の買い物旅行に走り回ったではありませんか。まさに、デジャブを見る思いです。

もちろん、不動産の爆買いは投機であっても決して投資ではないでしょう。爆買いの結果として、都市における不動産価格は高騰し、オリンピック前に売り飛ばせば、かなりの利益は手に出来るでしょう。今回も、庶民が居住するために購入しようとしても不動産価格が急騰し、なかなか買えない状況に陥るのはバブル期と似ているでしょうし、オリンピック後にその不動産を持っていた人たちが、価値の急落という「ババ」を握る事になるのです。やはり歴史は繰り返し、人々は懲りないのです。少なくともC国人は、あのバブル崩壊時の当事者ではありませんから、直接痛い目に遭っている筈もありません。

法律は、常に後追いです。今回も、めぼしい不動産があらかた買い漁られてしまってから、スゴスゴと法律を手直しして規制を掛けるのでしょう。しかし、その時はすでに手遅れに陥っているでしょう。都市の上物(ビルや不動産)程度であればまだしも、リゾート地や森林などの水源涵養地などまで売り飛ばされた日には、目も当てられないでしょう。それほど元は強くなっており、逆に円は安くなっているのです。でもまあこれも長続きはしないでしょうし、何度目かのバブルもやがて弾けるでしょう。今日は短めに。

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2015年12月 2日 (水)

2860 温暖化2

2859でジェット気流の北上=北極気団の縮小を疑いましたが、もしその傾向が正しいとした場合、冬季にはまさに日本列島の真上を流れているジェット気流が、やや北上する結果、言わゆるシベリアからの季節風の吹き出しも弱まると予想できます。事実、東北地方の長期気象データを眺めてみると、この100年を通じて、東北の日本海側の積雪量は確実に右肩下がりになっていて、5㎝以上の積雪があった日数は10%以上も減少しているのです。一方で、この傾向は、大変洋側の積雪量には観測されていないので、明らかにこれはシベリア降し(=冬将軍)の力が世w待っている証左と言えそうです。

夏場の降雨も含めて、年間の降水量というデータに当たってみても、日本海側の右肩下がりの少雨傾向は確実に観測されています。日本海側の降雨は、大陸の気団と太平洋高気圧の間に形成される前線や、その谷間を通過する低気圧によってもたらされますから、北極気団の縮小は、太平洋高気圧がより北上し易い事を意味し、夏場の少雨も説明できそうです。

北極気団の縮小=ジェット気流の北上は、結局は北極海の海氷の縮小に原因があるのでしょう。夏場に浮氷面積が縮小すると、氷に比べて反射率(アルベド)の小さな海面に太陽光が吸収され、北極海の海水温の上昇を招きます。そうなると、冬場の結氷も厚みが薄くなり、北極の気温が上昇する結果、冬季の北極気団も弱まる事になります。

さて、今年も冬の入り(初雪)が遅れに遅れ、どうにか今週末くらいに予定?されている様です。エルニーニョの影響があるにしても、今年も小雪傾向になりそうです。引き続き、ジェット気流の動向には注目して行こうと思います。

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2015年12月 1日 (火)

2859 温暖化

天気予報や気象データを調べるのが好きです。毎日の様に見るデータは、地域の天気予報、天気図、ジェット気流の動き、週間寒気予報などですが、時々見るデータに気象庁の海水温度の分布図があります。現在の海水温の他、日ごとの変化、更には平年との温度差を示すデータも見る事が出来る優れものです。

http://www.data.jma.go.jp/gmd/kaiyou/data/db/kaikyo/daily/sst_HQ.html

さて今年は、初雪が随分遅いのですが、その理由の一つは、日本海の海水温度が平年に比べて1-2℃高く推移しているのも理由の一つでしょう。日本近海全体の水温が、平年より高いのです。海水温度は、いわば大気温度の平均温度に近いので、今年の冬が遅いのはやはり、暖かい日が続いているのが影響しているのです。エルニーニョという短期的な「気象振動」はあるにしても、やはり温暖化の影響が徐々に色濃く影響し始めている様に見えます。

しかし、ここにきてやっと冬の空気が降りてきた様です。下のURLでジェット気流の動きで見ると、日本の上を流れるジェット気流は、東西に流れる気流と、北極海(具体的にはフィンランドとロシアに挟まれたバレンツ海ですが)から降りてくる流れが合流している事が分かります。東西の流れは比較的乾いた空気ですが、北極海からの気流は温度も低く、それなりに湿っていますので、より多くの雪をもたらす冬将軍様の気流だと言えます。

http://earth.nullschool.net/jp/#current/wind/isobaric/250hPa/orthographic=-222.69,38.78,464

もし温暖化が本当の意味で進んでいるとすれば、それはジェット気流の流れる緯度に影響が出ると思われます。つまり、温暖化の結果北極気団が弱まれば、ジェット気流の「鉢巻き」は北上し、逆に強まれば北上する筈だからです。B国中西部の砂漠化(針葉樹林帯の後退)は、毎年10㎞近い速度で北上していると言われますが、残念ながらジェット気流の季節ごとの平均緯度のデータは見かけた事がありません。真面目に探してみる事にしましょう。

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