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2016年5月23日 (月)

3018 生き死に

朝のラジオで、終末医療の話題を取り上げていました。確かに、この国では人間としての最後の迎え方の議論が殆ど為されていない様です。そうでなければ、もはや意識もなく、ヒトとしての寿命もほぼ全うして、体も十分に「枯れて」しまったお年寄りの、胃壁に無理やりチューブを差し込んで、数か月、ひどい場合には数年も、生かし続けるなどという「虐待」を思いつく筈がありません。人間には、生きる自由もあるのでしょうが、病気に負けてしまった場合などには、覚悟さえ固めれば、自然体で死へ旅立つ自由だってある筈です。

そうこうしていたら、昨晩Nスぺでも、人生の終い方の特集をしていました。結局、人は覚悟さえ決めれば、人生の最後を有意義に使う事も可能だと思うのです。別に、対症療法や気休めの手術を繰り返して、半年ばかり生きながらえるより、しっかりと覚悟を決めて、残された人たちに、自分なりのメッセ―ジを考えて残せば良いのです。何も、美文や麗句は必要はないでしょう。しっかりと相手を想って考えたものならたったの一言でも良いのです。

確かに命を粗末にするのは良くない事ですが、自由が保証されている筈のこの国から、自然に死ぬ自由を奪ったのは一体誰なのでしょうか。医療制度が整えられてきたのは、一体誰のためなのでしょうか。実は、象牙の塔自体のため、あるいは製薬会社のためだったかも分かりません。動物は、まともに食べる事が出来なくなったら、やはり死を覚悟すべきなのでしょう。多くの高等な動物は、自分の死にざまを晒すことなく、死を覚悟したらそれぞれの墓場に向かっていきます。ゾウの墓場は、多分そうした彼らの死に場所なのでしょう。本来病院とは、治る病気を治す場所ではあっても、不治の病を得た人が死を待つ場所ではない筈です。大変でも、手間が掛かっても、最後に看取るべき人は家族しか居ないのです。もちろん、覚悟を決めた人は、必要なら痛み止めでも何でも飲んで、出来るだけ看取る人たちに負担を掛けない形で、最後の瞬間まで生き抜くしかないでしょう。

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