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2016年6月30日 (木)

3055 メカケミ?

いわゆるメカトロという造語は大分前に流行し、事典にも定着した様ですが、ここでは「メカケミ」という造語を提案しようと思います。メカトロはメカニクスとエレクトロニクスの造語ですが、メカケミは想像通り、メカとケミストリーを組み合わせた造語です。今やロボットや工場設備や車などでは、メカトロニクスが多用されていますが、寡聞にして投稿者の知る限りでは、メカケミに関連したニュースは殆ど目にしません。もちろん、メカノケミカルという言葉は以前からあり、機械的な混練などで化学反応を促進させるほどの意味で応用もされてはいますが、ここで提案するメカケミとは全く意味が異なります。

ここでのメカケミは、化学反応を機械的な力に変換すると言う意味を持つ言葉なのです。分かり易い例で言えば、動物の筋肉は、まさにメカケミの典型だと言えるでしょう。その仕組みは一言で説明できるほど単純ではありませんが、NETから少し引用すると下記の様になります。「大脳皮質から出された運動指令は電気信号として脊髄を下りて、脊髄にある運動ニューロンに伝達されます。電気信号が神経伝達物質としてアセチルコリンを介して筋線維に伝わるとアクチンフィラメントとミオシンフィラメントとの間に架橋が形成され、アクチンフィラメントがミオシンフィラメントの中央へ滑走します。このとき、両フィラメントの長さは変わりませんが筋節が短縮するので筋肉の収縮が起こります。」

メカケミを応用して、耐久性のある人工筋肉が実現できると、例えばロボットは重たいバッテリーを背負うと言う制約から解放される可能性が出てくるのです。代わりに、少量の化学物質が入ったボトルだけで長時間活動できる筈なのです。今のロボットのパワーの限界は、動力を発生させるモーターのトルクと、関節を動かすためのリンクや歯車の強度に依存しています。モーターや間接歯車を大きくすれば関節や腕が太くなり、重くもなりバッテリーも大きくならざるを得ません。しかし、人間の腕くらいの細い人工筋肉でさえ、数十キロの力を出せる事を考えれば、ロボットの小型、軽量化はグンと進む事でしょう。メカケミ筋肉は柔軟性もあるので、介護ロボットも人間への接触も柔らかく出来るでしょう。たぶん続きます。

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2016年6月29日 (水)

3054 プログラミング教育?

お国が、小学生からプログラミング教育を導入する事を決めたとか。それ自体に異議を差し挟む気はありませんが、その決定に至ったプロセスについては、少しモノ申したいと思います。それは、そもそも何故子供のうちからプログラミングを仕込まなければならないのか、その目的を明確にしていない様に思うのです。つまり、プログラミングは一つの手段に過ぎず、では一体何のためのプログラムを作るのかが明確でないと、子供たちのモチベーションが保てないでしょう。モチベーションの低い学習は、遊びに流れるか、あるいは興味を失っての苦行に陥るだけなのです。

もちろん、今や世の中で使われる多くの機器にはマイコンが仕込まれ、プログラムに従ってコントロールされているのでしょう。その意味で現代の車は、マイコンとプログラムの塊と言っても過言ではないでしょう。しかし、ここでも再度目的のチェックが不可欠です。人間を楽にする便利機能は、見方を変えれば、人間を無能にすると言う望まない結果を生むかも知れません。より理想的なプログラムとは、実は人間が意識しないでその能力を少しずつ向上させる様なものかも知れないのです。何のためのプログラムを考えないでプログラムを作れば、単なる手順(シーケンス)の自動化に過ぎないでしょう。

そうでなくて、目的のしっかりしたプログラムには、その目的をよりスマートに達成するための単純化や、場合によっては「学習機能」も追加する必要があるかも知れないのです。取り敢えず、プログラムのやり方だけを教えるのは、使い方や危険を知らせないで道具を与える様なものでしょう。本来の目的を見失ったまま、プログラミングの技術だけを身に付けた若者が、一体どんな暇つぶしゲーム、あるいは逆に世の中に害を及ぼすアブナイプログラムを生み出すか、心配だけが残ります。

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2016年6月28日 (火)

3053 熊モン

くまモンには悪いのですが、最近山や里で本物の熊モンが暴れている様です。東北では何人もの犠牲者も出てしまっています。投稿者も山に登るのが好きなので、登山中に何度か熊モンを目撃はしていますが、幸いな事に山道での鉢合わせという最悪の事態は経験していません。熊モンは、非常に敏感な嗅覚と、多分良い聴覚を持って居るので、音を出す鈴やラジオなどの持参である程度は防衛出来るのでしょうが、安心のためにも「クマ除けスプレー」の持参は必要でしょう。

それにも増して重要な事は、山道を歩く際には、五感を研ぎ澄ましながら歩く事でしょうか、動物は縄張りを主張するために、糞尿や匂い腺によるマーキングを行います。熊モンは非常に強い匂いを残しますので、人間のそれなりの嗅覚でも十分感知できるのです。匂いがキツイ場所には、直前に熊モンが居たか、あるいは今まさに居るのかも知れません。茂みがあって見通しが効かない場合は、遭遇する危険が非常に高いと言わざるを得ないでしょう。投稿者の場合殆どが単独登山なので、この様な状況でそれ以上の前進を中止したことが数回あったのです。

熊モンの行動の最優先は、食糧の確保です。春先は、山菜とりわけ根曲がり竹のタケノコが柔らかく、甘いので、人も熊もそれを狙って藪に分け入るのです。もちろん、子連れの母熊は、小熊の分も栄養を付けなければならないのと、小熊を守るためにも戦いの姿勢を強めます。この春数件続いた死亡事故は、不運にもヒトの血の味を憶えてしまったらしい「スーパーK」と名付けられた個体によって、犠牲者がひどく傷つけられてしまった結果の様ですが、多くの場合熊モンは人を威嚇するために攻撃をする様なのです。もちろん、もし人が甘い食べ物の匂いを振りまきながら歩く場合には、それに引き付けられた熊モンの方からが積極的に近づいてくる可能性もありますが、人と山菜を奪い合う春先はもちろん、エサが少なくなる夏場やブナ・ドングリなどの不作が予想される秋口まで、ユメユメ油断することなく山に入りたいものです。

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2016年6月26日 (日)

3052 MAITEDサイクル

いわゆるPDCAサイクルというものがあります。計画し、実行し、チェックし、次のアクションに結び付けると言うサイクルで、ISOなどでも管理手法の基本の「き」となっているものでもあります。しかし、多くの企業やシステムでは、サイクルを回すそもそもの目的を見失い、毎年同じ様な目標や計画をコピーし、さもPDCAを回している様に「格好付け」をする、「堂々巡り」に陥っている様に見えます。小さくても問題点を見つけてそれに対応している企業はまだマシですが、所詮これも「モグラ叩き」の域を超えてはいないでしょう。

そうではなくて、ここで提案するサイクルは、先ず計測(Measure)から入るのです。計測とは、数値化、データ化する事ですから、状況の見える化と言い換えても良いでしょう。次に、その結果を分析(Analysis)します。絶対値や割合や時間的変化や効率などなどを客観的に分析し、評価するのです。本来の目的を頭においた上で、分析の結果浮き上がってきた問題点を解決するための方策を、工夫(Improve)するのです。

工夫を実行してもすぐに上手く行くとは限りません。特に、安定している工程をイジる場合には、品質の変化(悪化)にも注意を払う必要もあるのです。そのためには、試行(Trial)が不可欠でしょう。試行の結果、再度新たな工夫に逆戻りしなければならない場合も多いのです。つまりは、先に進めるかの評価(Evaluation)が不可欠なのです。その結果がGoであれば、やっと実行(Do)の段階に進むのです。もちろん、その結果は再度計測して、目標なり目的に照らして効果が出た事を確認しながら前に進まなければならない事は言わずもがなです。

もし本当に、企業がこのMAITEDサイクルの実行を決意してくれるなら、例えば省エネでも30%の削減も夢ではない事は請け負います。何しろ、このサイクルは投稿者が数社の省エネへの取組みの指導で、既に試行(Trial)済みだからです。上記のプロセスの頭文字を集めたものがMAITEDサイクルという訳です。これは全くの投稿者のオリジナル造語なのでが、MAITEDが遠くない将来にISOシステムにも採用される事を淡く期待しています。

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2016年6月25日 (土)

3051 歴史の逆転2

ヨーロッパで、一つの歴史の逆転が起こりました。E国のEU離脱が決まったと言うニュースが全世界を駆け巡りました。ヨーロッパを1枚の経済圏、同様のシステムで染めると言うEUの夢は、結局は究極の国際経済圏の実験であり、究極の国際化の実験でもあった訳です。つまりは、モノも人も自由に国境をまたいで移動させる、という実験だったのです。もちろん、EUに参加している全ての国々が、それなりの水準で国力が揃えば、この実験も順調に進んだのでしょうが、如何せん国力や国民の生活水準に、あまりにも大きな格差が残った状態での融合は、流石に無理があったのでしょう。

ジョンブルの国、E国には流石にかつての、日の沈まない世界帝国の盟主としてのプライドも残っていたのでしょう。特に年配世代にとっては、EU前の状況も知っている訳で、独仏に牽引されがちなEUのシガラミに嫌気も差していたのでしょう。そして、歯止めの効かない人の流入です。入ってくる移民にとって、魅力に映るのは多分手厚い福祉政策でしょう。垣根が無ければ、人は住みやすい土地に移動するものです。

3050にも書いた様に、歴史の逆転の必然性は、あらゆる事態は落ち着くところに着陸するべきである、という点にあります。有限な資源やエネルギーを使って、無限に経済成長を続ける事は出来ない相談だからです。たとえ、人口が右肩上がりに増えたとしてもです。今の文明を一日の暮らしに喩えるならば、時刻は既に夕方に差し掛かっていると思うのです。、私たちは落ち着いた夕方や夜の暮らしを過ごすために、まだ残照が残っている間にその準備をしておくべきだと思うのです。歴史を逆転するにはたぶん混乱も生ずる事でしょう。経済も乱れそうな気もします。それは、さながら泥で濁った水をグルグルかき回す様なもので、やがて泥は重い粒から沈殿し、層別に積み重なる訳です。混乱した事態は、少しは時間を掛けないとSettle down(沈殿)しないのです。

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2016年6月24日 (金)

3050 歴史の逆転

自分で書いておいて、3048の「歴史の逆転」という言葉が気になり出しました。一般に歴史は後戻りする事は無い、時は逆転できないとは思われてはいるのでしょう。確かに、H.G.ウェルズらが夢想したタイムマシンでもない限りそれは無理だとは思います。しかし、日々の暮らしや社会の仕組みであれば、それは部分的には可能の様な気がします。例えば、1970年代以前の暮らしを思い起こせば、車の数は今ほど多くはなく、エネルギー消費も現在の半分以下で暮らし、社会システムも確かに回っていたのでした。地方では、薪ストーブによる暖房が当たり前でしたし、車が持てない場合の足も、自転車や単車でどうにか間に合わせていたのでした。

電化製品はと言えば、各家庭にあるのは、電気釜や白黒テレビや扇風機程度で、そろそろ洗濯機や冷蔵庫が普及し始めた時期だったでしょう。クーラーやエアコンは、普通の家にはまだ普及しておらず、カラーテレビ、車、エアコンのいわゆる3Cと呼ばれた三種の神器は、高度成長期に中間層がぐっと厚くなってから急速に普及したのでした。しかし、時代の勢いはそれに留まらず、今や車は一家に複数台、各居室にはエアコンが付き、大型テレビや大型冷蔵庫と、更には給湯や調理まで電気で賄う「オール電化」が住宅設備の売りになる時代になったのです。

しかし、1970年代に勃発した石油ショックの歴史や、現在のこの国のエネルギー自給率のデータを紐解くまでもなく、私たちはエネルギー供給の殆どを他国に依存している状況は、全く変わってはいないのです。少なくとも、エネルギー使用量やその構成は、もう少し前の時代に逆戻りさせる事は可能でしょう。Dイツなどでは、既にエネルギーの25%以上を再エネで賄う目標を達成していますし、更なる高い目標に向かって突き進んで(後戻りして?)いるのです。リーダーが口を開けば「景気」の事しか話さない、情けないこの国とは理想の高さが大きく異なる事は認めざるを得ないでしょう。私たちは、そろそろ穏やかな「着地点」を定め、そこに向かって徐々に高度(例えばモノやエネルギーの消費量)を下げざるを得ない時代に入ったと思うのです。それを歴史の逆転と呼ぶあれば、その通りです。間違っても「エンジンを吹かす」べきではありません。ますます「軟着陸」が困難になるからです。

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2016年6月23日 (木)

3049 隠ぺい体質

企業の隠ぺい体質には全く困ったものです。その例には枚挙に暇がありません。隠しおおせなかった一部の隠ぺいのサンプルは、TVでの「謝罪会見」で日常的に目にする事が出来ます。技術データのねつ造、財務諸表の誤魔化し(赤字隠し)、事故隠し、不具合(リコール)隠しなどなど、悪事の種類はそのあくどさ加減に差はあるのでしょうが、それこそ企業の数だけ、更に言えば企業数に部署の数を乗じた数だけ存在してもおかしくは無いでしょう。

各部署では、敢えて経営層まで上申する必要が無い程度のトラブルは、部署の長が握りつぶすでしょうし、経営層はやはり、株価に悪影響を及ぼすネガティブニュースは、間違いなくひた隠しにする決断をするでしょう。もちろん、積極的に隠す場合も、公表を取り敢えず見合わして、遅らせるケースもあるのでしょうが、いずれにしても悪いニュースを喜んで公表する企業は稀有でしょう。オイコノミアではないですが、これは企業における「情報の非対称性」あるいは「情報の一方通行原理」とでも言えるでしょうか。良い情報は通すが、悪い情報は社内で止めるか握りつぶすと言う傾向を意味します。

ではどうするかですが、企業はミスや不具合に対して、その重大性(Sevierity)と拡大性(Growth)を常に評価し続ける必要があると思うのです。それが、会社の業績や評判(その指標としての株価)に悪影響を及ぼすほど、更にそれを放置すればさらに事態が悪化すると予想されるほど、それは小さい内に早く公表して、対策を打つべきなのです。マンションの基礎杭の穿孔電流データにのねつ造にしても、車の燃費データにしても、会社の粉飾決算にしても、ごく初期にそれに気づいた人は必ず居た筈です。少なくとも、それを実行した本人と直属の上司は。それを更に上に報告しておけば、あんなことには・・・、です。重大性と拡大性の継続的な評価は、如何なるシステムにおいても最重要のチェックポイントだと断言しておきましょう。

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2016年6月22日 (水)

3048 EU問題

環境問題とはあまり関係が無さそうなE国のEC離脱問題を少し考えてみました。そう言えば、この国には2回ほど行ったことがあります。EUの一員とは言いながら、通貨としてはいまだにポンドに拘っていますし、日本と同じように頑なに左側通行を死守しているのです。もちろん、日本の左側通行はこの国のシステムを真似ただけなのですが。従って、この国でレンタカーを借りて田舎道を走ると、全くストレス無しにドライブを楽しむ事が出来るのです。

さて、E国と日本の最大の共通点はと言えば、どちらも島国であると言う点でしょうか。島国であるが故に、例えば交通システムが「大陸」と異なっていても、問題なく独自路線を進む事が可能となります。歴史的に見ればEUが出来る前は、EECECと言った、経済関係だけの国際条約の枠組みがあった訳ですが、EUになって人の移動もほぼ自由になった結果、想定外の弊害も起こってきたのです。それまでの人の移動と言えば、精々隣国に出稼ぎに出るくらいのものだったのでしょうが、今は遠く離れた、それも生活レベルの高い国々めがけて、人々が大量に移動する事態も起こったのです。

今起こっているEU問題とは、いわば国境問題だとも言えるでしょう。人々が、国境に隔てられてモザイクの様に暮らしていた時代は、基本的に国際間問題とは国境の線引き問題だったのです。しかし、国際化が進んだ今、国境問題とは(抽象的な)国境の壁の高さと検問の甘辛の問題だと思うのです。E国でいま議論がされている問題の本質は、取り払った国境の「フェンス」や検問所でのモノや人の通過基準を再度厳しくするのか、それとも現状のままかという議論なのです。一般的に考えれば、昔の様に国境に隔てられて暮らせば平和は維持されるのでしょうが、国際化が進んでしまった今、歴史を逆転させるのかどうかは難しい問題でもあります。いずれにしても、「リトマス試験紙」としてのE国投票結果を見守るしかありませんが・・・。

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2016年6月21日 (火)

3047 原発耐用60年だって?何をバカな

原発の耐用年数(寿命)が一気に+20年で、60年に延びる(延ばされる)だそうです。余りの大盤振る舞いに、元技術屋としては「仰天」しています。つまり、天を仰いで、言葉も出ないのです。とは言いながら、懸念は山ほどあるので、ここで書き連ねておかない訳にはいかないでしょう。

先ずは、原子炉は格納容器や建屋を除けば、主要な構造は「金属」で出来ていると言う点に注目しない訳にはいきません。金属の弱点として、腐食(応力腐食割れ)が起こる事、疲労限界がある事、特に鉄系材料では水素脆性が起こる事などが挙げられます。腐食は、原子炉を冷やす水の中に微量ながら酸素が溶け込んでいるため、検査の度に炉を開放する度に、腐食環境が発生する事になるでしょう。また、総延長が何十キロ、何百キロになるのか想像もつきませんが、その中を水や蒸気や海水が流れる配管や熱交換器は、流体の流れによる機械的なアタックでの「キャビテーション・エロージョン」の発生も避けられません。また、流体の流れによって、配管や熱交換器が「振動」する事によって、例えばサポート付近で疲労破壊を起こして破断する事故も実際に起こっているのです。誰が全ての配管や熱交換器の金属部材が薄くなっていない事、60年先まで疲労限界が来ない事を「100%保証」出来ると言うのでしょう。「ふざけるな」と叫ぶしかありません。

その他にも、例えば発電タービンの低圧段では、蒸気温度が低くなり一部が水(ドレン)に戻る事によって、タービンブレードをアタックするのです。かなり以前ですが、C部電力のH岡発電所を見学に行った際に、これによって破壊されたタービンブレードが展示されているのを見て、身震いがしたものです。原子炉工学が門外漢の投稿者にさえ、30分程で上の様な懸念を挙げる事が出来るのです。各分野の専門家が少し突っつけば、山の様な懸念材料が湧きだす筈です。

20年の寿命延長にGOサインを出した先生方は、確かに原子炉工学の専門家ではあるかも知れませんが、その中に冶金学や流体工学や振動工学や脆性破壊の専門家もしっかり混じっているとも思われません。「彼ら」は20年後にはたぶんお隠れになっているでしょうから責任は取らなくて済む訳ですが、これは間違いなく「亡国の結論」だと断ずるしかありません。3.11は、強烈な津波と、それを予測できなかったために生じた人災とが重複した不幸な事故でしたが、寿命延長後に発生する事故は、「完全なる人災」になるのです。誰がその責任を負えると言うのでしょうか。やはり天を仰いで深いため息を吐くしかありません。兎にも角にも、原発推進政権には、明確なレッドカードを出して即刻退場願うしかないでしょう。

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2016年6月20日 (月)

3046 機能展開図

表題を、絵を描かないで、言葉だけでいい表すのは難しいのですが、世の中を構成するシステムやモノなどは、「機能展開図」で表現できると思っています。例えば、あるモノ(車)を機能展開すれば、人たモノを運ぶ機能や天候に関わらず移動できる機能やあるいは移動するオーディオルーム機能や、移動する居間機能?、更に言えば電気自動車などは非常用のバッテリーとして、住宅に電力を供給する機能すら兼ね備えています。更に、それらの機能を「何のために?」という問を発して遡ると、より高次の機能を定義する事も可能です。例えば、オーディオ機能で言えば、「移動中にも良い音質で音楽を楽しむ」という高次の機能が定義できそうです。

ある機能は、もしかすると別の仕掛けで代替できる可能性もあります。例えば、一人か二人の移動であれば、車の替わりに二輪車や自転車を使うという選択肢もあるでしょうし、将来ドローンが人を持ち上げるくらいの馬力を持つ様になれば、空中を移動する事も可能になるかも知れません。つまり、機能は横展開も出来るのです。これを絵にすれば、機能定義のネットワーク図が描ける筈なのです。つまりは、頭の中の考えを絵に描くための一つの方法になり得るでしょう。

話はここで終わりません。ある機能を実現するために、その裏にモノ(道具や製品など)あるいはサービスなどの場合はそれを提供する仕組み、つまりは「構造」が必要です。構造とは、何らかの形を持ったモノや(会社などの)組織であるとも言えるでしょう。

もう一つ忘れてはならないのは、その機能を必要とする「ニーズ」なのです。ニーズが無ければ、いくら便利な架電やサービスを考えて実現しても売れる事はないでしょう。これを、イメージが湧くように形にして表してみると、機能の団子を真ん中に挟んだ、3個の串団子を想像すれば良いでしょう。もちろん、上下には機能を実現する「構造」と、それを必要する「ニーズ」が位置するわkです。3個を繋ぐ串は「情報」に相当します。つまりは「こんなモノ(サービス)が欲しい」あるいは、「こんなモノ(サービス)はいかがでしょう?」と言った情報を指します。これを、投稿者は勝手に「団子三兄弟の法則」と名付けています。

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2016年6月19日 (日)

3045 パイを分け合う

3044で最初に書いたシェアの話に戻ると、シェアを広げるには大きなコストも発生します。例えば、広告宣伝費であり、また例えば原料や製品の輸送費でもあります。広告宣伝だけで、超巨大企業にのし上がった、あのD通という会社も思い浮かぶ様に、何しろシェア獲得にはカネが掛かるのです。右肩上がりの時代には、それでもまだ良かったのでしょう。無理をしてもシェアを取れば、経済成長で翌年には更に数量が稼げるからです。

しかし、人口減少時代に入り、右肩下がりの21世紀において、同様の路線で進めるとも思えません。今後は、むしろシェアを分け合う事が必要となるのかも知れません。出来れば、地域によるシェアの棲み分けを行い、近隣の地域とで緩く重なる様なイメージでしょうか。競争が無いわけではありませんが、少なくとも我武者羅なシェア争いではない状態です。原料調達や製品配送の輸送コストも最小限で済むでしょうし、地元でさえ名前が知れていれば、無理に宣伝広告費を注ぎ込まなくとも、安定的な売り上げが確保できる筈です。ネット時代ですから、もし本当にコスパが高く、値打ちのあるモノであれば、通販でも簡単に買える訳で、自然にシェアも伸びるでしょう。

パイを分け合う事には、他のメリットもありそうです。リサイクルも容易になるのです。例えば、かつては、一升瓶という「液体容器」がありました。また例えば、牛乳瓶やラムネ瓶という「飲料容器」もありましたが、実は殆どの容器は、地域からは出ないままに、グルグルと数十回も再利用されていたのです。耐久財と言っても製品には必ず寿命がありますから、地域で作られたモノが地域で寿命を迎えて廃棄されても、それをリサイクルの流れに載せるのは容易なのです。シェアありきの大量生産、大量消費時代には、モノの流れが(工場からごみ捨て場への)一方通行だった事を考えれば、地域主義色の濃い経済は、より持続性可能性の高い社会システムだとも言えるのです。

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2016年6月18日 (土)

3044 ブラッシュアップ

現代の自由競争を是とする経済社会では、いわゆる「シェア」を取る事が、事業活動の最優先事項の一つであり、場合によってはそこに多くの資源を投入する経営を得意にしている経営者も多い様です。そのため、少し前の経営方針に「選択と集中」を掲げた企業も多かった訳です。かつては、何にでも手を出した「多角経営」や「総合重工」あるいは「総合商社」も、得意分野に経営資源を集めて、その分野のシェアを握ろうと考えたのでしょう。

シェアを、他の企業から奪うのは大変な作業です。QCD(品質・コスト・納期)いずれの点でも、他をリードする必要がありますし、何より「ブランドイメージ」を市場に植え付けなければなりませんので、通常は長い期間を要する筈なのです。しかし、実際には多くの企業はシェアを広げつつ、しかもパイそのものを大きくする「両得」を狙うのです。競争力を強めるためにコストを絞るのですが、売り上げや利益額を確保するためには、数で稼ぐしかない訳です。注意しなければならないのは、経営者の手柄は「利益額」の大きさにあるのであり、決して「利益率」ではない訳です。

とは言いながら、利益率を高めるのは比較的単純な話です。製品の付加価値を上げて、市場で単価を高める事を「許容して貰えば良い」だけなのです。そのためには、ソコソコの品質で大量生産をするというこれまでの手法は通用しません。個々の製品やサービスに、必要な手間を惜しまず、磨き上げる必要があると思うのです。もちろん、物理的に磨く訳ではなく、製品やサービスのブラッシュアップあるいはバージョンアップという意味においてです。ところで100円ショップが注目されて久しいのですが、その存在価値を想像すれば、あれはいわば「新しい形のオモチャ屋」ではないかと思うのです。確かに、100円の実用品は並んではいますが、大多数の商品は特に必要とするものではない筈なのです。ながめつつ、手に取って「何かに使えないか」と考える楽しみのためにそこに通う人も多いと想像しています。

そうではなくて、メーカーやサービス業には、所有して、または受けて大きな精神的な満足を得るモノやサービスを提供して貰いたいのです。モノであれば、使う度に五感が嬉しくなるデザイン、機能、手触り、音、匂い?、振動などの要素が必要でしょうし、サービスであれば何度もリピートしたくなるものである必要もあるのです。いわば、受ける度に新たな発見や感動があるサービスと言ったものになるのでしょうか。続きます。

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2016年6月17日 (金)

3043 幸福論?

TEDのスーパープレゼンが好きで、よく見ます。昨日も、幸福な人生とは何かについての再放送がありました。ハーバード大の、700人余りの市民を対象とした75年間も続く追跡調査の根気よさにも感嘆しますが、それに長く関わってきた研究者の、到達した結論もまた印象的でした。つまり、人の幸福の尺度は、名誉でも、社会的地位でも、ましてやカネでもなかったのでした。幸福だと感じている人の尺度は、家族や親しい他人との人間関係が、如何に豊かでしかも良好であったかだと言うのです。確かに、人間はコミュニケーション手段として、言葉を発明し、現在でもそれを豊富にし続けています。英語圏では、いまだに年に数百もの新しい単語や表現が生まれていると聞いたことがあります。

その豊かな言葉や、表情などのボディランゲージを駆使して、人は人と繋がりたがっているのでしょう。しかし、私たちは今ある意味での危機を迎えているのかも知れません。その大きな元凶は、PCやスマホなどを通じたネットコミュニティへの過度の依存です。ネットを通じてのコミュニケーションでは、完全な形でのコミュニケーションは無理だと思うのです。完全なコミュニケーションは、単なる言葉の往復だけではなく、相手の語気やイントネーションや息遣いも感じながら、顔の表情や全身で表現されるジェスチャーまでも加えたものであるからです。

さて、わが身を振り返って、これまでの人生で十分な人間関係が築けたかと反省してみると、それなりはであったかと総括できそうです。学生時代、長い重工時代、その後の中小企業時代を経て現在のフリーランスになり果てた?時代を通じて、繋がってきた人達とは、現在でも良い関係を維持できているとは思ってます。もちろん、折々に便りを送るとかがあまり出来ないという、「筆無精」の性格が災いして、メンテナンスは十分だとは言えませんが、彼らと再びのつながり(Reunion)が出来ると、その間の無沙汰を融かす事は容易です。

ここで、言いたかったのは、ハーバードの研究は、経済(=カネ)や科学技術の恩恵である便利製品(モノ)を盲信し、猛進している、この国の国民に重要なのは、GDPでなくGNH(総幸福度)である事を再度確認し、それを上げるための重要なヒントを与えているのではないか、という点なのです。

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2016年6月16日 (木)

3042 バックキャスト

「バックキャスト」という考え方があります。これは、先ず理想とする「鋳型」を想定し、それに向けて中身を詰めていくと言うアプローチ法を指します。このアプローチ法が優れているのは、ゴールの形がかなりの程度明確なので、そこに近づく行動に、あまり迷いや無駄が出なくて済むと言う点にあるでしょうか。これに対して、現状から出発し、過去から続く延長線上に将来像を見出す、「演繹法」というアプローチもあるでしょう。この国を含め、多くの社会が採用しているのもこの方法に頼っています。国の施策や予算も、前年度や直近の年度の延長線上で編纂される訳です。

しかし、現時点からの延長線上に将来像を描く場合、もし現在のベクトルが余り正しくない場合、ズルズルと好ましくない方向に外れて行く事になり兼ねません。そのため、ある時代の政権や国の施策が偏っている場合、別の政治勢力が台頭してきて、それを修正する様に機能するのが、民主主義で理想と言われる二大政党制なのでしょう。とは言いながら、たった二つの政党の間で転がしたとして、果たして国が正しい方向に導かれるか?と問われれば、それは「否」でしょう。何故なら、拮抗するそれぞれの政党(政策集団)の党是が必ずしも「正しい」とは言えないからです。もし、真に正しい答えが一つ存在するとして、そもそも政党が複数あること自体が納得できない話になるでしょう。

問題の本質は、誰も最も正しいと思われる「鋳型」を示す事が出来ない点にあります。国のあるべき姿、その中で国民が果たすべき役割、更に言えば私たちの価値観は、倫理や哲学の問題なのですが、政治や政策とはそのための手段に過ぎないのであり、方法論に過ぎないのです。政治屋はその意味で単なる工事屋に過ぎなく、あちこちのホコロビをトンカンと直し続けるイタチゴッコを見る思いです。真の政治家の役割とは、理想を掲げ将来の「鋳型」を示す事しかあり得ないでしょう。日本中をトンネルや橋や新幹線で繋ぎまくる「日本列島改造論」は論外としても、事実としてはその亡霊がこの国を支配し続けている様にも見えます。国家百年の計を唱える政治家の出現を待ちたいところですが、百年待っても現れない可能性も高いのかも知れません。

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2016年6月15日 (水)

3041 エンジンを吹かす?何をバカな・・・

字ばかりで、あまり人気の無いこのブログは、単なる投稿者の独り言であり、批判のための批判はしないモットーなのですが、腹に入らない事は、やはり苦言を呈しておくしかありません。さて、ラジオから流れてくる最近の街頭演説によると、Aベノミクスは、更にエンジンを吹かすのだそうです。しかし、元技術屋の端くれとしては、「効率」という事を抜きしては、結論を誤ると警鐘を鳴らさない訳にはいきません。

さて、Aベノミクスの本質は、三本の矢なのだそうですが、最初の二本はお金で勝負しようと言うものでしょう。車で言えば、お金とはガソリンの様なものでしょう。エンジンを吹かすための燃料です。国がお金をどうこうしようとすれば、税金や国債を使った財政出動か、あるいは日銀を口説いての金利政策くらいしか弾は無いでしょう。しかし、考えてみなければならないのは効率です。車において、注ぎ込んだ燃料の持つエネルギー(熱量)以上に、馬力を引き出せるものでしょうか。カルノーはこれをきっぱりと否定しています。つまり、エンジンには内部抵抗や排気やラジエータからの熱ロスがあり、車には走行抵抗や空気抵抗による「機械ロス」が付きまといます。従って、車全体としては、技術者がいくら頑張っても20%前後の熱効率しか実現できないのです。

他方で、経済効率です。もし、お国が投じたお金以上に税金が回収できるなら、経済効率は100%を上回るでしょう。たとえ、短期間ではそれが実現したとしても、やがては厳しいしっぺ返しが始まる筈です。自然現象でも、経済でも同じでしょうから、無から有は絶対に生まれないのです。政策で、ミニバブルを起こす事は可能でしょうが、3034に書いた持続的な開発ゴールとは、真反対のベクトルをもっていると切り捨てるしかありません。

他方で第三の矢が何だったのかと振り返れば、やれInbound観光客の爆買い期待とか、地方自治体に丸投げしての「地方創生」だとか、税金をばら撒いての「一億総活躍」だとかの、中身の薄い(無い)お題目でお茶を濁している状況です。繰り返しますが、無から有は絶対に生れません。地道に、基本的な(固い)ニーズに対応した経済を展開する中でこそ、しっかりした経済基盤が固まってくるものだと指摘しておきます。

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2016年6月14日 (火)

3040 自家中毒

3000日以上も投稿を続けると、人間は忘れっぽい存在ですので、どうしても同じタイトルで書く事も多くなります。確かこのタイトルでも書いた様な気がしていますが、書いた内容はすっかり忘れてしまっているのです。とは言いながら、何年も前に使ったたった一つのキーワードを憶えていると言うのは、人間の記憶の痕跡が脳の何処にあって、どの様に記憶されているかが何となく想像出来て、少し楽しくもなります。このブログでは日々「環境」について書いているつもりですが、最近の投稿を読み返すと、すっかり「随筆ブログ」になってしまっている事に気が付きます。毎日、最近ホットになっているトピックスのキーワードを取り上げて、そこから書き始めるのです。今朝は、表題の言葉が降ってきたのでした。

さて、環境問題(環境汚染)の本質は、自家中毒だと言い切れます。というのも、環境汚染や悪化は、人間が必要とされる資源や物質を抽出し、利用し、廃棄する中で生ずるものだからです。鉱山から鉱物を掘り出せば、有用な鉱物を抜き出した残り(鉱滓)は完全に不要な廃棄物でしょうし、選別の過程や鉱道から排水した水の中にカドミウムなどの重金属が混じっており、鉱害が発生してしまったのでしょう。また、発電や車の利用などで、大量の化石エネルギーを消費すれば、その過程で最早地球規模となった大気汚染や温暖化ガスの一つであるCO2が増加し続ける訳です。一方で、何十万種類とも言われる人間が作り出した物質(化学物質)は、用済み後環境に廃棄され、自然に分解(生分解)されない物質は、水や土壌汚染、あるいは食物連鎖による生体濃縮によって環境汚染が長く固定される事になるのです。

人が自らの過ちで食べてはイケナイ食べ物を口にすること(誤食)や自分が体内で作り出した物質によって、腹痛を起こしたり、命に関わる様な症状を起こす事を「自家中毒」と言いますが、環境の悪化は、まさに時間を掛けて進行する人類の「自家中毒」に相違ありません。対策は、上に述べた科学技術の恩恵を出来るだけ遠ざける様に生活する以外には見当たりません。すっかり「便利中毒」となってしまった私たちには非常に難しい挑戦ではありますが・・・。

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2016年6月13日 (月)

3039 Inboundブーム

Inboundという何やら訳の分らない言葉が、日夜マスコミを賑わし、行政を惑わしています。これ(外国人観光客の急増)は、国の骨太の方針?でもあり、官民を挙げて誘致に血道を上げている様です。しかし、急造りの対策は、底が浅いのです。老舗のホテルは、二束三文で外国人経営者に買い叩かれ、そこにバスで連れ回された観光客をギュウギュウに詰め込んで、利益を貪る訳です。それでもまだ宿泊施設が不足するので、空き部屋となっているアパートやマンションを、名前を「民泊」名前を変えて貸すのだそうです。

私たちは、「ブームは必ず何時か去る」という原則を忘れるべきではないでしょう。何時かと言われれば、それは円高が加速した時であり、バスで連れ回されてギュウギュウ詰めホテルの待遇に嫌気がさしてリピータが来なくなった時であり、C国や東南アジアの国々が不景気に陥った時でしょう。少し、過去を振り返ってみれば、如何に多くのブームが、あっという間に、あるいは少し長めに続いた後に、まるでそれが無かったかのように消えて行ったかが想い起される事でしょう。ブームには必ず仕掛け人が居て、それに乗っかる人々が存在するのです。このInboundブームの場合は、仕掛け人が官であり、乗っかる側が旅行・観光業界であり、更にそれにやっと海外旅行が自由に出来る様になった東南アジアの富裕層がk乗っかっていると言う構図でしょう。

円高になって、旅行代金が限度以上に高騰したり、生活に余裕が無くなったりすれば、誰も物見遊山の海外旅行などには出かけないでしょう。9.11直後に既に証明された様に、少しの危険があっても海外旅行が絶対に必要な人は、45%しか居なかった訳です。残りの55%は不要不急の物見遊山客だった訳です。ブームが去れば、お国が口を開けばマスコミを煽っている様に、Inbound客が何千万人だかに増える事はあり得ないでしょう。何度も経験している様に、一度ブームの峠が見えたと報じられ始めると、ブームが去るのは潮が引く様に早いのです。

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2016年6月12日 (日)

3038 空き家問題

この国では今や空き家の増加が大問題です。首都圏でも空き家率が増加中だとか。もちろん、投稿者がUターンしたA田の田舎町でも深刻です。その特徴は、駅に近い、いわゆる旧市街での「歯抜け現象」だと言えます。商店街や住宅地で、飛び飛びの空き家が目立つのです。跡継ぎの居なくなった商店や、一人暮らしで頑張っていたお年寄りが亡くなって、都会に出た子や孫が、実質上放棄したケースが多いと想像しています。

一方で、駅裏に広いバイパスが出来て、ショッピングセンターや小奇麗な医院が並ぶエリアでは、田んぼが次々に埋め立てられ、新しい住宅地が誕生しているのです。銀行屋さんにそれとなく聞いたところによると、どうやら市の中でも雪深い山の麓から、町に出てくるケースも多いとか。結局は、お年寄りが冬場の雪寄せや、薪を作るのが大儀になって、先に町に降りてきている子や孫との同居を始める家族が増えている様なのです。山麓の家は、夏場には戻って暮らすのかも知れませんが、いずれ空き家(廃屋)になるのでしょう。

一体何が、この問題の根にあるのでしょうか。人口減少で空き家が増えるのは致し方ないでしょう。しかし、新しい家やマンションが次々に建てられ、その一方で空き家が加速度的に増えると言う現象はやはり異常です。その背景には、TVのリフォーム人気番組とは裏腹ですが、住宅のリフォームが殆ど進められていない事が挙げられそうです。というのも、リフォームは建築屋さんにとって面倒くさく、手間が掛かるものだからと想像しています。設計も、施工もケースバイケースの一点一様であるため、コピーして手間を省く事が出来ないのです。

ヨーロッパで見た例は違っていました、ビルでもアパートでもレンガ造りの建物に「外断熱」を施して、ピカピカのサイディングで仕上げると言うリフォームが盛んに行われていました。もちろん、それに合わせて内装にも手を加えれば、戦前からある古い建物も新品同様に蘇ります。つまりは、日本の建物とは骨格が違うと言えるでしょう。この国では、鉄筋コンクリート造でさえ、50年ほどで寿命が尽きることが前提です。木造住宅に至っては、精々3040年と言ったところでしょう。つまりは、建て替えが前提の間に合わせ建築となっている訳です。解決の方向としては、例えば建物の土台や骨格は、十分な強度を持たせて、例えば100年程度は持つ様にするのです。骨格さえしっかりしていれば、外装や内装のリフォームにより、住人のライフスタイルが変わっても対応可能でしょう。その代り、敷地にも余裕を持たせ、あるいは低層の集合住宅として、価値の下がらない建物とすべきなのです。リフォームではなく、価値の下がらないリノベーションです。私たちは、間に合わせで、古くなると二束三文になる安普請はもう止めにしなくていけないでしょう。

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2016年6月11日 (土)

3037 宇宙ホテル?

国際宇宙ステーション(ISS)に、何やらホテルモジュールが追加されたとか。金属製のハード構造ではなく、繊維補強の軟構造による膨張式で内圧によって風船の様に膨らむ構造なのだそうです。技術的な点で言えば、強度的には十分かも知れませんが、一方では金属に比べて「宇宙船」の遮蔽能力が落ちると思われ、搭乗者の宇宙線被ばく量が高くなる懸念があります。

それより、何より宇宙滞在のための「宇宙ホテル」というコンセプトが腹に入りません。果たして、宇宙船の窓から暗い星空や、青く輝く地球を眺めるためだけに、膨大な資源を浪費して良いのでしょうか。お金は、そこに滞在できるお金持ちのものなので、勝手に浪費して貰って結構ですが、往復に使われるロケットの大部分は使い捨てで、たとえ再使用できるロケットが出来たと仮定しても、膨大な量に達する燃料は、ため息が出るほどのエネルギーを持って居る筈です。それを地球上で利用すれば、どれだけの人が何日間暮らせるのか、誰か試算した人は居るのでしょうか。宇宙からの景色であれば、4Kカメラの画像で十分でしょう。無重力を体験したいだけなら、航空機でも数十秒間なら体験可能でしょう。

宇宙空間の「開発?」など「夢のまた夢」である事が既に十分証明されているではありませんか。宇宙空間には、闇と低温と真空と無重力しかないのです。無重力以外であれば、地上で簡単に実現できるでしょう。無重力でさえ、地中に深い穴を掘れば、1分くらいなら持続できるでしょう。無重力を利用して医薬品や完ぺきな合金を作るのであれば、多分それでも間に合うでしょう。宇宙ホテルを構想した人は、何かはき違えているに相違ありません。折角打ち上げたISSの寿命が尽きるまでに、ホテルモジュールで一儲けしようと考えたのかも知れませんが、間違いなくそうは問屋が卸さないでしょう。あたら優秀な能力を持った宇宙飛行士を、宇宙線被ばくの人体実験に供する上に、税金をムシャムシャ食ってしまう宇宙アパート(ISS)などは、一日も早く店じまいにして貰いたいものです。

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2016年6月10日 (金)

3036 周回遅れFIT

FIT制度の本家本元であるDイツでは、この制度を間もなく終了させる様です。元々FIT制度は、導入コストが高い再エネ発電設備の設置を加速させるため、例えば売電と買電の比率を、4倍程度に設定して、投資の回収期間を短縮させ、促進するための制度でした。しかし、その仕組みでは必要なインセンティブの原資を税金で賄うのではなく、電力需要家の料金に上乗せした形で調達するのです。従って、FIT制度を長い期間(Dイツの場合16年余り)続れば続けるほど、電力料金は消費者が耐えきれない程高くなり、しかもそれが20年以上も持続すると言う消費者に厳しい制度でもあります。

従って、いずれにしてもFIT制度はある時点では打ち切る必要がある訳ですが、徐々に買取り価格を下げるのか、又はある時期にスッパリと切るのか、その決断が難しい制度でもあるでしょう。打ち切り時が難しいのは、再エネの充足率の数値目標が明確でないのが原因として挙げられます。というのも、再エネ投資は、投資の申請・認可から実際に稼働するまでは、数年は必要となる訳で、行政側としては現状と数年先までの認可状況から、打ち切るタイミングを計るのはそれほど困難ではない筈なのです。

さて、この国のFITは、実のところ初期の買取り価格は、Dイツ程大盤ふるまいではなく、2倍強程度からスタートしました。これは、実のところスロースタート法と言えるでしょう。その後、太陽光は加速し過ぎ、風力はソコソコ、バイオマスはボチボチと言うより出足が悪いため、毎年の様にFIT価格の見直しが行われてきたのでした。

想像するに、本家のDイツの消費者は、しかしそれを現世代から将来世代への贈り物という意識で、負担に耐える覚悟をした訳です。しかし、この国(の消費者)に、それだけの覚悟があるかと問われれば、大きな疑問符が付くでしょう。例えば、電力料金が今の3割増しになると言われれば、FIT制度に反対する企業や消費者の割合が、大多数になると見ています。FIT制度は、目標値を決めて、それが達成された暁にはスッパリ止めると言うメリハリこそ大切だと思うのです。この国は、何時も海外、特に欧州の制度を真似る事から始めるのですが、周回遅れで制度をグズグズ続ける傾向にあるのは情けないと感ずる事も多いのです。たまには、制度のトップランナーになって貰いたいものです。

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2016年6月 9日 (木)

3035 解体工場

隣町にリサイクル事業所があります。ここでは、手作業を多用して、受け入れた廃棄物を徹底的に分解し、素材毎に分別します。例えば、パソコンも筐体、基盤、ケーブル、ファン、ハードディスク、・・・、と言った具合に、メーカーの組立工程とは逆の順番で分解するのです。もちろん、基盤やハードディスクなどは更に分解する訳ではなく、専門のリサイクル工場に送って、最適な?方法でマテリアルリサイクルされる訳です。

この様な方法は実はメジャーではありません。手間が掛かるからです。もっと荒っぽいリサイクル方法は、廃棄物を一緒くたにして破砕し、磁選や風選や比重差分別程度の自動分別機に掛け、分別後は金属関係はリサイクルをしますが、残りは焼却や埋め立て処理に送る、と言ったラフな手段で「リサイクル」を行うのです。これでは、正しい意味のリサイクルとは言えないでしょう。

理想は、「解体工場」だと思うのです。これは、最初に述べた様な工場に近いイメージの工場になります。つまり、機器を分解するのですが、その際には機器別はもちろんですが、可能な限り部品メーカー別に分別します。ハードディスクと言っても、いくつかのメーカーがあり、部品構成や原材料も微妙に異なる事でしょう。しかし、それを作ったメーカーであれば、ビス1本まで、素材や製造方歩まで熟知していますから、厳密な意味でのマテリアルリサイクルが可能となるでしょう。もちろん、分解専門の事業所が究極の理想ではありません。全ての製品を、最後はそれを製造したメーカーに送り返すのが、マテリアルリサイクルの理想なのです。全てのメーカーには、製造工場とは別に分解工場を作る事を義務付けるのです。例えば、車メーカーで言えば、組立ラインと分解ラインがある訳です。廃車は徹底的に分解され、部品単位まで分別されます。それを法律で義務づければ、ほぼ100%近いマテリアルリサイクルが可能となるでしょう。事実、Dイツには、廃車を元々のメーカーに送り返す法律が出来ていて、有効なリサイクルが行われている例もあるのです。必要な事は、先ずは理想像を掲げる事だと言えます。その上で、現実を徐々にでも理想に近づけるのです。

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2016年6月 8日 (水)

3034 SDGs

国際会議などでも議題に取り上げられる事も多く、最近は、マスコミには頻繁に出てくる言葉ですが、どうにも具体的なイメージが湧かない言葉でもあります。SDGsとは日本語にすれば、「持続的な開発目標」とでもなるのでしょうか。しかし、この言葉が「具体的」ではないのは、何を何時までにどのれネルで達成すれば「持続的」であるかの定義が無い事です。開発であるからには、現状を打破して何かを変える事が必須でしょう。そうでなければ、開発ではなく現状維持と呼ばなくてはならないでしょう。

持続可能社会とは、厳密に言えば、地下資源には手を付けず、地上にある資源だけで継続できるものでなければならないでしょう。地下資源を消費すれば、必ず地下資源を掘り出す際に排出される不要物、例えば鉱滓なども蓄積し、化石燃料の消費では、CO2などの温室効果ガスやNOx、SOxなども大気中に蓄積していきますので、間違いなく環境の持続性は担保されません。しかし、エネルギーとして再エネ、バイオマスや風力や太陽光などを使う限りにおいては、持続性はどうにか確保されるでしょう。

SDGs社会を標榜するなら、少なくともインフラに関して言えば、スクラップ&ビルドが基本であり、人口減少地域においては、それに応じての縮小もやむを得ないでしょう。スクラップの場合には、取り壊した残滓のリサイクルも100%を目指し、跡地も含めて元あった環境に近づける事を実行する必要もあるでしょう。実際、ヨーロッパの「環境先進国」では、川のコンクリート護岸を剥がして草の生えた土手に戻したり、湖のコンクリートで覆われた岸を、剥がして砂浜に戻したりしてもいます。その結果、淀んでいた川や湖の水質が改善し、魚や鳥も戻ってきたのでした。人工インフラの完全復旧の例と言えるでしょう。

SDGsの実現のためには、先ずはマテリアルリサイクルを完全実施(限りなく100%)し、社会を回すための化石エネルギーや地下資源の消費を取り敢えず半減を目指す省エネ技術を磨き、経済規模を適正な規模まで引き締め、再エネを社会のベースとなるまで(例えば4割以上に)引き上げ、と言った具体的な数値目標を掲げた上で、国民の覚悟を引き出す事が必要だと思うのです。掛け声だけでSDGsは、そこらの電柱に貼ってある交通安全標語と何ら変わりがありません。標語だけで交通事故が減ったと言う話は、寡聞にして知りません。

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2016年6月 7日 (火)

3033 二項対立?

3032の続きです。白か黒か、あるいは保守か革新か、と言ったいわゆる二項対立の構図は大衆も好きなので、マスコミもついその尻馬に乗って賑やかに報道しがちです。しかし、それが如何に「危険なこと」であるかについては、時々考えてみなければならないでしょう。二項対立は、結局は綱引きや、多くの対抗スポーツ、あるいは対戦ゲームと同じで、必ず勝ち負け、白黒が決着するので、観客として観る分には面白いでしょう。だからこそ、マスコミも記事を面白くし、視聴率を取るために、論点を際立たせての対立を煽る訳です。

政治ショーで言えば、増税賛成か反対か、あるいはAベノミクスが成功か失敗か、憲法改正か護憲かと言った、いわば荒っぽい論点整理しかやらないです。民主主義と言いながら、有権者は納得はしていないにも拘らず、どちらがの陣営かの二者択一を迫られる事になります。結論から言えば、政治形態の理想は、二大政党制ではないと思うのです。そうではなくて、ベクトルの異なる第三党があって、お互いに違うベクトル方向に引き合い、有権者に政治の中心を好ましい方向に動かす手段を持たせるべきなのです。

具体的に課題を挙げるなら、例えばAベノミクスが是か非かではなく、本来国の経済や税制はどうあるべきかという視点を掲げ、それに向けての将来ビジョンを掲げた政党に出てきて貰いたい訳です。それ抜きでは、現在の論点である、税収を上げて、収支のバランスを取り戻すためには、世の中の景気を上げざるを得ず、そのためには世のお金をジャブジャブにすれば良い、そうすればオコボレが民衆にも滴り落ちる筈だ、という単純過ぎるAベノミクス政策を指示するか、あるいは否定するかの二択に落ち込むしかない訳です。まさに二項対立です。

論議の焦点は、国のあるべき姿でなければなりません。その意味で上等な国としては、やはり北欧やDイツを挙げざるを得ないでしょう。例えばDイツです。この国では、2020年までに1994年比で資源の消費を半分にする、更には2050年までに1990年比で温室効果ガスを90%に抑え込む、と言った非常にチャレンジングな数値目標を掲げていますが、資源については既に15%の削減を達成しているのです。しかも、経済成長は順調に継続している様なのです。彼の国では、Fクシマの事故が報じられるや否や、原発の全廃も決めて、実際の廃炉作業も順調に進めているのです。何が彼の国のスマートさと、この国のグダグダを分けているのでしょうか。優れた政治家の輩出を阻害している、「政治屋集団」だけに責任を押し付ける事は出来ないでしょう。これは、国民の意識と選択の問題だからです。

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2016年6月 6日 (月)

3032 税のグラデーション?

政治ショーは、問題を「白黒論議」に持ち込む手法を多用します。戦争法案に賛成か反対か、あるいは増税(延期)に賛成か反対か、はたまたコンクリートか人か、といった論議の事です。しかし、物事の本質はそんなに単純ではないでしょう。白黒写真にしても、単に白(地)と黒(銀塩)の2値で割り切れるものではなく、その間には何百階調もの「灰色」が存在している訳です。何百階調というのは、控え目な数字であり、実際の自然は人間の目やカメラの画素ではとても判別できない程の階層で出来ている訳です。それに、色彩が加わるに至っては、人間はかなりの程度「端折って」認知する以外に方法はないのでしょう。だからこそ、色彩や階調を「言葉による分類」で振り分けて、どうにか表現するしか方法が無いのです。例えば、薄い赤色、濃い緑、鮮やかな黄と言った具合です。その意味で、全ての言葉は、実は自然のグラデーションを単純化して説明するために発明されたと言っても過言ではないかも知れません。

さて人間社会のグラデーションです。一応民主主義を標榜している社会では、「多数決」という物事の決め方があります。これが果たして本当に「民主的」であるかどうかについては、事あるごとに論議が必要でしょう。というのも、多数決により決め事に於いては、必ずと言って良い程「多数派工作」が蠢くからです。政治の世界における「政党(Faction)」は、まさにある企みのために集まったグループの表面上の呼び方に過ぎません。もちろん、グループの成員が、必ずしも同じ企みを持って居るとは限りません。ある党員は、親の代から続く議席を必死に守るために、またある者は政治的なパワーを利用して稼ぐために、またある人は、大きな勘違いから党に所属してのかも知れません。

ある問題の回答は、決して白黒で割り切れるものではないでしょう。それを避けるためには、安保法制にしても、複雑な国際社会の中で、「この国の立ち位置はどうあるべきか」を最初に論議すべきであり、税も上げるか上げないかではなく、先ずは「何が税の平等か」という徹底的な論議が必要なのです。必要ならば、B国寄りか離反かではなく、国毎のきめ細かいグラデーション外交が必要なのかも知れませんし。税の平等のためには、納税者毎に年度毎に税率を変えたって良い訳です。そもそも税とは、それぞれの納税者が、可能なレべルで社会を支える仕組み(共助システム)であるべきで、税で得をする人と損に回る人を二分する悪い制度であってはならないと思うのです。

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2016年6月 5日 (日)

3031 現物給与・現物納税

新しい、社会システムの提案です。今は、全てお金(通貨)でなければ、代価や給与や税が支払えないシステムですが、これをモノや体(労働)で支払えるようにするのです。主に食べ物が必要な人は、農家やスーパーや外食産業で働いて、給料の一部を現物として受け取ります。これは、雇う側からすれば現物給与という形態であり、受け取る側からすれば必要なモノを労働の提供で受け取る事を意味します。もちろん、この場合はお金とししてのやり取りは発生しませんので、お国や自治体としても課税対象の給与とはならないため、税金は発生しません。

しかし、これでは店で売り買いされる商品が激減するため、消費税もガタ減りになり、給与所得への直接税も同様に激減するでしょう。当然の事ながら、税金を受けとり行政サービスやマツリゴトを行う政府も、人件費さえ賄えない事になります。ましてや、お金の掛かる、インフラ工事や福祉や教育などは、ガクンとレベルダウンせざるを得ないでしょう。そこで、お金による税金の替わりに、現物税も可とする訳です。介護や、保育や教諭、建設関係の資格を持って居る人はもちろん、車の運転や単純な肉体労働しか出来ない人も、社会の中では役立てる局面は多い筈です。行政の仕事には、もちろん事務仕事もあれば、現業の仕事も多いでしょう。

つまり、お国の仕事も自治体の仕事も、職員とお金で動かす部分に加え、地域のプレーヤが現物、労働で支える部分を加えれば、行政サービスの量と質も維持できる勘定になります。サラリーとして、お金で受け取り、税として天引きされるのが良いか、天引き後のサラリーと同じ程度しか手取りが無くても、税金は取られず、税労働や現物で払う方が「精神衛生上良い」?のか、それぞれの人のオプションとすれば良いでしょう。もちろん、税労働や現物で支払おうとする場合は、自分が提供する資格や労働や現物の中身に関して、事前に登録して、承認を受けて置く必要があるのは当然でしょう。農家だって、何も無理やりN協さんを通じて売らなくとも、地元の学校や地域の外食産業などで、日々消費される食糧はある筈ですから、現物納税でも十分機能すると思うのです。兎に角、マネーだけに依存している今の経済活動の外に、現物や労務で支払われる経済が存在する事により、景気や物価の変動に左右されない、ベースとなる地域経済を構築してもおかしくはないでしょう。かつては(少なくとも投稿者の子供時代までは)、間違いなく地域に存在した訳ですから。

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2016年6月 4日 (土)

3030 先送り文化

消費税増税が再度「先送り」された様です。この構図は、この国ではそのこそ何度となく繰り返されている訳で、デジャブを見る思いです。先送りの意味するところは、現世代や現政権の保身行為そのものであり、問題を将来世代に先送りする行為そのものであると断ずるほかありません。全く同じ構図は、サラリーマン社長がトップとなっている企業でも目にする光景でもあります。つまり、自分が社長で居る間には、飛ばし取引をしても、トンネル企業を通した架空の取引をデッチ上げても、経理を操作してでも、つまりは違法(あるい違法スレスレ)な行為を犯してでも、「当期利益」を確保し、株主へ「配当」をしようと足掻くのです。しかし、問題は次の経営者に先送りされるだけです。売り上げが少なかった事や、実際に赤字はやがて露呈し、コンプライアンスが問われ、三役そろい踏みでの謝罪会見が繰り返されるのです。

ならば、何をどうすべきなのでしょうか。先ずは、政治家や経営者が率直に失政を認め、自ら頭を丸めるべきなのでしょう。具体的には、自らの給与を減らし、議員の数を減らす姿勢を示す必要があります。経営者であれば、自らメザシを食し、企業経費をバッサリ切り、それを例えば新分野に振り向ける「方針」を明確にする必要もあるでしょう。

経済の失政を、海外の経済状況の変化に責任転嫁するのは、やはり最低・最悪の政治姿勢と言うしかありません。企業の減益局面でも同じです。経済の山谷があるのは、市場経済社会では日常茶飯事なのです。投稿者のつたない経験から類推するだけでも、短期間の内に企業の売り上げは50%くらいに落ち込んだり、100%まで反発したりするのです。企業の売上見込みなどは75%(+/-25%)と考えておけば、それ程慌てる事もないのでしょう。それを、前年度よりたとえ1%でも多く売上げようとする足掻きが、例えば利益偽装などを招くのです。

増税論議に戻れば、明確な赤字減らし対策の提示無しに、単に先送りすると言う姿勢は、「新しい判断」などという口先だけの言葉など、言い訳にすらなっていないでしょう。これはまさに「誤魔化し」そのものです。約束を守らない政治家は、去るしかありません。政治家の役割は、言い訳を繰り返す事ではなく、将来を見越して裏付けのある青写真を示す事しかないのです。身を切る改革などいうものは、言葉では簡単ですが、人は自分に甘いものなので、実行は困難なのです。投稿者が生きてきた人生の中ではそれを目撃した記憶が無いのです。残念ながら。

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2016年6月 3日 (金)

3029 モノの値段≠価値

値段と価値は同じ意味か、と問われれば、違うと答えるしかありません。例えば、ラーメン一杯の値段は、時代によって上がってきました。学生時代には50円でも食わせてくれる食堂があった様な気もしますが、今は500円は下らないでしょう。しかし、インスタントラーメン1袋ではどうでしょう。昔だって、数十円はしていましたが、今でも50円売りの銘柄もそれなりに残っています。つまり、人手が掛かるものは、50年で10倍になり、工場で機械を使って作られるものは、材料費分の値上がりはあったにしても、売値が殆ど変っていないと言う事なのでしょう。その意味で、物価の優等生である鶏卵は、何万羽もの卵製造機が居る「鶏卵工場」で作られる、工業製品であるとも言えそうです。

しかし、ラーメン一杯やインスタントラーメン一袋の、食べ物としての機能、例えばカロリーや栄養価や味に、昔と今でそれほど差があるとも思えませんから、モノの持つ「価値」としては殆ど変っていない筈なのです。という事は、人の(労働時間)の価値(ではなく労賃)が変ったと考えるべきなのでしょうか。世界中のメーカーは、大量生産設備によって、モノの値段を下げながら、生産量を上げる事に汲々としてきた筈です。そうでなければ、旺盛な需要を満たせないし、何より競合相手の遅れを取ってしまうからです。そうなれば、市場でシェアを失い、企業規模を拡大する事もおぼつかなくなります。

一方で、モノの値段を下げる(あるいは値上げしない)ために、最終的に企業は人権費に手を付けざるを得ませんでした。人一人が生きていくためのコスト(リビングコスト)は、物価指数と共に着々と上がってきました。従って、正規雇用の場合は、ほぼ物価にスライドさせて賃上げせざるを得ないでしょう。しかし、正規雇用でなければ・・・です。その意味で、相対的に見れば人の労働の価値は、年々低下し続けているとも言えそうなのです。結局、現代社会は、価値を表現する手段としてのカネが主役に躍り出ていまい、モノやましてや人は脇役に追いやられてしまったにだ、と結論するしかありません。残念なことですが・・・。

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2016年6月 2日 (木)

3028 サラリーマンという働き方

人が人に、あるいは組織や企業に雇われ、給料をもらいながら働くと言う労働形態が始まったのは、多分戦国時代の事だったのでしょう。けらい家臣は領主に忠誠を誓い、給料(あるいは扶持)を貰って、領主のために、あるいは領国の維持のために働く訳です。城が出来、家臣が住む城下町が出来ると、それを支えるために色々な商売も増え、商売が上手い人は家業を拡大し、大店を構えた事でしょう。そんな店では、仕事の役割分担を進め、それを手分けするため当然雇い人も増え、労働者・使用者という形態も増加した事でしょう。しかし、一方では農家や職人の様に、自分や家族だけの労働力で一家族を養う、自営=Self employmentの割合が圧倒的に多かったのは間違いありません。

その割合が劇的にサラリーマンに傾いたのは、戦後の高度成長期でしょう。都市の企業は、旺盛な需要を満たすために大規模な工場を次々に建設し、地方の中学生や高校の卒業生をグングン吸収していったのでした。子供の頃見た、春先の「集団就職列車」の光景は今でも記憶に残っています。数百人あるいは千人を超える、中学校を出ただけの「子供達」が、夜行列車に乗せられて、一夜明ければ、列車が到着した都会で「労働者群」に生まれ変わる訳です。

結局、サラリーマンという働き方は、仕事を限りなく細分化する中で、それぞれの役割分担をするために生れ、拡大してきたと言えるでしょう。その意味では、現代は究極的に枠割分担が進んでしまった時代とも言えそうです。もちろん、それが良い事であるとは思えません。役割分担が進むと言う事は、逆に言えばその役割しか出来ない人を増やすと言う事になります。企業でうけ付けを担当する人は、経理の仕事は出来ず、工場でモノ造りに従事する事はない訳です。

一方、田舎で米作農業を営む人も、苗作りやヘリによる農薬散布や刈取り後の乾燥や精米から販売までは、N協さんに任せると言う分業をしている筈です。考えてみれば、農業と言えども、自家消費分以外は、消費者の食べる分を「肩代わりして」耕作していると言う形になっているのです。もちろん、分業を依頼する際には、現代社会では必ずお金の移動が発生します。今や、何から何まで一貫してこなして生業を立てている人は、カネや太鼓を叩いて探しても殆ど見つからないでしょう。山の中の集落で、ひっそりと自活農業をしている人は、それに近いのでしょうが、それにしても誰にも仕事の分担を依頼していないかと言われれば、お金を誰かに支払っている限りにおいては、その相手に作業を依頼しているのは間違いないでしょう。私たちは、~しか出来ないという、単能の「仕事音痴」から脱却すべきでしょう。サラリーマンと言えども、家庭菜園や簡単な大工仕事位はこなしたいものです。

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2016年6月 1日 (水)

3027 生体検知

例年この季節、各地の山では山菜取りに伴う行方不明事件が多発します。不明が報じられると、警察は大勢の人の手を借りて山狩りを行いますが、非常に非効率でもあります。例えば、乗り捨ててある車がある場所から山に入ったのであれば、非常に敏感なセンサーで、匂いや踏み跡やその他の痕跡を見つけ出し、それをトレースする方が早いでしょう。

それよりは、ドローンを飛ばして、赤外線センサーカメラで、動物の体温を検知する方が早いかも知れません。高度をある程度高くすれば、カメラがスキャンできる範囲も結構広いので、数キロ四方をスキャンするのにそんなに時間が掛からないでしょう。クマやタヌキなどの本物?の動物なら、動き回るので位置は結構変るでしょうから、動かなくて体温の高いターゲットこそ、遭難者である可能性が髙い訳です。遭難者は低体温症に陥り易い事を考えれば、事は緊急を要する訳で、何日もかけて山狩りをする訳にはいかないのです。

別の方法ですが、家電メーカーには、百円ショップで買える程度のな安い発振器とそれをトレースする検知器を開発して欲しいものです。検知器はもちろん捜索隊が持つので高くても構わないのですが・・・。周波数の種類は少なくて良いので、兎に角安い事が必須です。複数の人が同じ地域に入っていたとしても、夕方になれば遭難者以外は山から下りているでしょうから、残された遭難者の捜索に使っても混乱の原因にはならない筈です。

でも、考えてみれば警察犬の方が能力が高いかも。彼らなら、遭難者の持ち物の臭いを嗅ぐだけで、一直線に遭難者を探し出す事が出来るでしょうから。結論としては、人間の技術なんてものは、まだまだ動物の能力には程遠い、低レベルだと言う事になるのでしょうか。

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