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2016年8月31日 (水)

3104 輻射のコントロール

熱の伝導や対流を防ぐのが「断熱」なら、エネルギーの輻射を制御するのは「遮熱」という事になるのでしょう。私たちは、これまで省エネルギーと言えば、「断熱だ」と刷り込まれていた様な気がします。だからこそ、ビルや住宅でも、壁や屋根の断熱に集中的にコストを掛けてきたのです。しかし、ここにきて屋根や、壁面や、窓の「遮熱」が注目を浴びてきました。屋根には遮熱ペイントを、壁面には遮熱サイディングを、窓には遮熱フィルムを貼るなどの方法で、太陽光からの入熱を抑えてやる方法です。遮熱面の性能にもよりますが、これは冬期の室内からの熱の放散にも有効な場合もあるので、更なる研究・開発が望まれます。

というのも、遮熱は物体からの輻射(放射)を制限するためには、その温度に応じた電磁波(この場合は赤外線ですが)の波長に見合った反射面を選択する必要があるので、太陽光の遮熱と遠赤外線の遮熱では、遮熱面の性状には微妙な違いが求められるからです。十分に滑らかな「鏡面」であれば、かなりの幅の電磁波を反射する事が可能ですが、だからと言って建物全体をピカピカの「銀色」に統一する訳にもいきません。とは言いながら、最近のビルは外から見るとまるで鏡の様に眩しく感ずるものも増えてきているのは間違いありません。

輻射のコントロールにおいて反射面の応用は、工場設備などでも考えられるでしょう。例えば、ロータリーキルンやボイラなど、エネルギーを多量に消費し、表面温度もそれなりに髙い設備からは、多量のエネルギーが輻射の形で失われてしまいます。それを、断熱材と遮熱材を組み合わせて防止するのはもちろんですが、逆に凹面の遮熱材で輻射熱を集めて、一点に集中させれば、放散エネルギーを高いレベルで「リサイクル」出来る可能性も生まれるでしょう。これは、例えば太陽光を虫眼鏡で集めて、紙を焦がすのと同様だと考えれば良いでしょう。

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2016年8月30日 (火)

3103 キルヒホッフらの功績

3102の続きです。エネルギーの伝達に関しては、黒体の概念を考え出し輻射に関して解析したキルヒホッフの名前を忘れる訳にはいかないでしょう。彼は電気回路でも自分の名前を冠した法則を導いているので、マルチタレントの人だった様です。他方で、輻射エネルギーが物体の温度の4乗に比例する事を示した、ステファンとボルツマンの功績も、同じ程度に評価すべきでしょう。

さて、輻射エネルギーです。輻射によるエネルギーの伝搬には、「電磁波」が関わっています。電磁波とは、波長によっては「電波」と呼ばれたり、「光」と呼ばれたり、「赤外線」と呼ばれたりするものであり、電波と磁波が交互に作用し合って伝搬する、と頭の中では理解していても、手で触れる訳ではないので、何か漠然としたものを感じてしまいます。しかし、それは波長にもよりますが例えば網膜で光という電磁波は、明るさや色としてとらえる事は出来ますし、また例えば赤外線という電磁波は、火に手をかざして「温点」で暖かさとして感ずる事が出来る物理量でもある訳です。つまりは、五感で捉える事が出来る電磁波は、非常に限られた波長のものだけではありますが、生き物としての人間にはそれで十分なのです。もし、電波が目に見えたとしたら、煩わしくて気が狂ってしまうでしょう。

輻射エネルギーは、感ずる事が出来る出来ないは別して、計測器を使えば計測する事が出来る物理量です。しかも、そのエネルギーは、他のエネルギーの伝搬方法、伝導や対流に比べて桁違いに大きいのです。そもそも、比べるべくもないくらい桁違いなので、比べるのが失礼なほどなのです。その証拠は、太陽を例に引けば十分でしょう。極寒、暗黒の宇宙空間で、地球が今の気温を保って居られるのは、ほぼ太陽表面からの輻射エネルギーが地球表面を暖め続けて居てくれる「お蔭」だと言うしかないでしょう。冷え続ける地球内部からの「伝導」による熱流なんぞは、時たま起こる火山噴火や温泉入浴などでしか感ずる事は出来ないでしょう。

残念ながら、輻射エネルギーは、例えば蓄熱槽などで、高温媒体の内部エネルギーとして蓄える他は、実用的な方法が発明されていません。それでも、太陽輻射を温水の形で蓄える、太陽熱温水器は重要な発明品である事は間違いないでしょう。少なくとも、一晩以上は、太陽の暖かさを「蓄える」事が出来るからです。太陽で沸かしたお風呂に浸かり、キルヒホッフやステファンやボルツマンの功績に感謝するのは至福の時間となるでしょう。

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2016年8月29日 (月)

3102 熱のカスケード利用

熱は高いところから低い方に伝わると言う「熱伝導則」が、誰の法則だったか忘れましたが、フーリエさんが、数学的に系統だてて体系化したのは間違いない様です。そのおかげで、私たちは熱伝導率なる係数を持ち込んで、単位時間あたりにどの程度の熱が伝わるかを計算できる様にもなりました。ところで、何故熱は高い方から低い方にだけ流れ、逆の現象は生じないのか、不思議ですが、実は逆流は起きているのです。しかし、統計的に見ると、圧倒的に少ないので、全体的に見れば、逆流は起きないと結論づけられるのです。

熱の流れは、ミクロ的には分子の熱運動(振動)の伝導という現象で説明できますが、気体や液体であればそれは「ブラウン運動」とも呼ばれます。その熱運動の程度が激しければ、温度が高いと表現し、程度が低ければ温度も低いと言われるのです。振動が完全に停止する様な極低温を「絶対零度(約-273℃)」と表現します。

さて、熱は高きから低きに流れるのですから、どんな高温度の熱を帯びた物質も、徐々に、あるいは急激に冷えて、やがて周囲の温度と同じになるまで熱の伝導は続きます。熱の伝導を妨げる手段としては、断熱材や遮熱材で流れを食い止めると言う方法があります。しかし、しっかりとした断熱・遮熱にはかなりのコストが掛かるのも間違いありません。そこで、断熱・遮熱はソコソコにしておいて、流れる熱を利用してやると言うアプローチを考えてみましょう。高いところから流れる水が、多段階で流れる滝(小滝)をカスケードと呼びますが、熱も燃焼温度の様に高い状態から、手洗いに使うぬるま湯の温度まで多段階で使い倒す事を「熱のカスケード利用」と呼びます。石油でエンジンを動かして動力を得て、その廃熱で吸収式冷房機や暖房機を動かし、更に低温度の熱でシャワー用のお湯を作ると言った具合です。一般的な表現では、これは「エネルギーのカスケード利用」とも呼ばれます。続きます。

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2016年8月28日 (日)

3101 環境エネルギー

環境エネルギーとは、エネルギーを必要とするすぐ周囲で調達できるエネルギーの事で、太陽光を主とした再生可能エネルギーと殆ど重なりますが、同義ではありません。例えば、電力や石油エネルギーを利用した工場の生産活動から出る「廃熱」や、他の場所よりやや高い温度が得られる「地熱」や、もしその地域から石油やメタンガスが産出するなら、それもまた環境エネルギーと言えます。実際、千葉や秋田などでは、天然ガスが湧きあがってくる地域があって、爆発事故になったり、安全のために無為に燃やされたりしている例もあるのです。

さて、そうは言っても、殆どの場所で確実に期待できるエネルギーとしては、やはり「太陽光」を柱に据えるしかなさそうです。もちろん、太陽光は夜は使えませんし、雨や曇りの日もまた頼りに出来ません。しかし、電気や熱に変換して蓄える事により、その不便をかなり解消する事は可能です。取り分け、お湯の形で熱を蓄えるのは、設備も投資額も最小限で済む筈です。つまりは、保温を施したタンクがあれば良いのです。200リットルもあれば一回分の入浴は賄えるでしょうし、その倍以上あれば、給湯や暖房の熱も賄えるでしょう。

更に言えば、もっと多くのお湯を貯めておけば、冷房にも使える可能性が出てきます。それはデシカント冷房の熱源とする方法です。デシカント冷房とは、デシカントを使った除湿機と同じ原理で、珪藻土やゼオライトの様なデシカントに室内の湿気を吸収させ、蓄えたお湯の熱で、その湿気を室外に吐き出させる仕組みを指します。もちろん、室内の温度を上げない様に、顕熱交換器は必要ですが、それにしても必要な電気エネルギーとしては、小さなファンを動かすだけなので、小さな太陽光発電を併用すれば問題ありません。主たる環境エネルギー源としての太陽光を使えば、少なくとも住宅の冷暖房と給湯エネルギーが賄えるとすれば、この国の石油や電力エネルギーのデマンドは、多分1-2割は削減可能だと思うのです。それを実現しないで今後も石油や原発に頼り続けるのは、ただただ勿体なく、大きなため息しか出ません。

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2016年8月27日 (土)

3100 モンスター

モンスターが主役のホラー映画では、モンスターの恐ろしさは直接的には見せず、小出しにして未知の恐怖を演出するのが常套手段です。人間は、未知なるものにこそより強い恐怖を感ずるものだからです。残念ながら、ホラー映画を論ずるほど、熱心に映画を見たわけではないので、ここでは「モンスター台風」である、台風10号について考えてみます。この台風がモンスターである所以は先ずはその進路です。多くの台風は、太平洋高気圧の縁を回る様に最初は西向き、その後北上して、やがて偏西風に流され始めて速度が上がり、速度をドンドン速めながら、やがてベーリング海に消えていくと言う普通の盛衰なのですが、10号は全く異なります。

「彼女(昔は台風を女性名で呼んでいましたので・・・)」は、比較的高い緯度で台風になったものの、南下しながら西の方向にヨロヨロと進んでいきました。その後、完全にUターンし、元来たコースを折り返しながら日本に近づきつつあるのです。しかも、海水温が高いエリアをうろつきながら、その勢力もますます増強しつつあるのです。しかも、この間気まぐれな偏西風(ジェット気流)の活動は非常に弱かったのですが、今後や徐々に蛇行を強めながら、「彼女」を誘っている様なのです。

未知なる恐怖は、実は今回の台風そのものではありません。そうではなくて、今回の台風を操る偏西風と海水温度の異常事態なのです。通常吹くべき偏西風が吹かなかったり、北半球と南半球のジェット気流が交わったり、極端な形で蛇行したりするのは、結局は極地方と赤道地域、その間にある中緯度域の温度差が縮まった事が原因でしょう。結果として、中緯度域の海水温が上昇し、台風を勢いづかせます。また、同じ原因で極から吹き出す風が弱くなり、その吹き出しがコリオリの力で曲げられて生まれるジェット気流をも弱めるのです。弱い流れは当然の事ながら蛇行もし易くなるのです。しかし、本当のモンスターはと考えてみれば、それは緯度方向の温度差を小さくさせた「未知なる力」である事が分かります。それは、「単なる温暖化」だけなのか、それともエントロピー増大則に関係する未知なる害悪なのか、私たちはまだ真実を十分に知っている訳ではない様なのです。残念ながら。

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2016年8月26日 (金)

3099 小規模分散2

小規模分散システムのメリットについてもう少し考えてみます。3098の例として、電力を挙げましたが、考えてみれば電力が「電気のまま」で利用される割合は非常に小さい事が分かります。つまり、電気(電子)をそのまま使っている機器としては、例えばパソコンの様な「電子機器」に限られるという事です。その他の電力を利用している機器は、「電力」と呼ぶように、電気のパワーを動力、熱、光、磁気力などに変換して利用しているという事です。電気のパワーを利用した場合には、そのパワーは、最後は必ず「低温度の熱」になって環境に放出されるのです。

つまり、電力の利用と廃熱の発生は必ずペアになっている点は非常に重要な点です。同様に、電力を起こす場所(発電所)でも、電力の発生と同時に、不要な熱が発生してしまうのです。火力発電所では、蒸気を水に戻すコンデンサーから海水中に、ボイラで石油を燃やした廃熱が高い煙突から大気に、不要な熱が捨てられています。CO2を出さないと主張されている原発だって、廃熱を海水中に捨てざるを得ないのです。

大規模分散システムでは、この廃熱の利用がままならないのです。というのも、発電所から電力の需要家や熱の需要家が遠く離れているので、熱輸送の方法が見つからないからなのです。低温度の熱だって、暖房や冷房には十分使えますし、かなり低くても家庭用の給湯温度としては十分使い道があるでしょう。

小規模分散では、この低い温度の廃熱が有効利用できる範囲が広がるのです。エアコンの廃熱は、50℃程度はありますので、上手く設計すれば夕方に風呂に入れるくらいのお湯は作れるでしょう。モーターだって長く回せば、やはり巻線はかなりの温度に上昇してしまいます。屋根に上げた太陽光発電パネル(PV)でも、夏場にはかなりの温度(数十℃)には上昇してしまいます。マズイ事に、PVはパネルの温度が上昇すると1-2割は発電量が目減りしてしまうのです。ですから、これらの低温度の廃熱を上手く熱交換して利用する技術は、非常に重要でありながら、しかし殆ど実用化されていない事は悲しむべき事と言うしかありません。小規模分散型システムでこそ、エネルギーの多面的利用が実現し易いと思うのです。

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2016年8月25日 (木)

3098 小規模分散

大きいことは良い事ではありません。大量生産・大量消費の時代に持て囃された「大規模・集中化」ですが、もはやそれは死語になりつつあります。例えば、電力網です。かつて、電力は地方に分散する水力発電所や石炭火力発電所を核とした、ローカル企業が林立していた時代がありました。一時は40社を超える数の電力会社が存在しましたが、関東大震災を契機に集約が加速していったと言われています。現在は、10社体制まで集約化が進み、今の電力網が確立しました。もちろん、一国でありながら50Hz60Hzの混在と言う珍しい形でですが。

さて、大規模化の弊害ですが、いくつか考えられる中で、最大の問題点は送電線から生れるかも知れません。野を超え、山を越える送電線は、建設も大変な作業ですが、その維持もまた大変な労苦を求めます。災害などで、送電線網が切断されると、その影響(停電や電力制限)は長く続くでしょう。また送電線(アルミ線)の電気抵抗は、多大なジュール熱を発生させ、発電所からの正味電力に比べ、大きなロスが生まれます。荒っぽく見積れば、およそ10%弱は送電の過程で失われています事になります。送電線の建設や維持費用は当然の事ながら、電力料金に上乗せされていますから、知らない内に我々は費用を負担しているのです。他方で火力発電所や原発は「法定検査」がありますので、殆どの発電所では余剰設備を抱える事になります。数か月間の検査期間中は、予備の設備を動かす訳で、夏季のピーク電力対応を含め、30-40%の余剰設備を抱えているものと推定されます。これも電力料金のアップ要因となります。

一方で小規模分散システムとした場合は、これらの無駄をかなりの程度回避する事が出来そうです。もちろん、小規模システムでもメンテナンスを怠れば故障(停電)も生ずるでしょう。しかし、規模が小さければ小さい程、停電は狭い範囲に限定されるのです。送電ロスも生じませんし、究極の分散システムである、太陽光による屋根発電においては、夏季の冷房負荷のピークと発電ピークが上手く重なると言う、決定的なメリットが享受できるでしょう。このシステムでは、電力会社が保有する発電所は、むしろバックアップ的な使い方となるのです。

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2016年8月23日 (火)

3097 地域循環

ここでの「循環」とは、モノ・カネの循環を指します。高度成長期以前を思い起こすと、元々地域はそれぞれの狭い範囲内で、モノ・カネを循環させていました。少し規模の大きな町には、色々な家内工業や職人が居て、地域の需要を賄っていたのです。食糧はもちろん、刃物、桶・樽、調味料、農林業機械などなど、一通りの事が地域で賄えたのです。しかし、高度成長期を迎え、大量生産・大量消費を前提とする社会では、モノは設備の整った大規模工場で生産する方が「能率が良い」とされたのです。能率が良いとは、経済効率が良いとの意味ですが、一方でそれは「環境効率」が良い事は意味しません。というのも、自動化された大規模な工場では、確かに人手は最少で済むでしょうが、エネルギー消費は多大で、材料効率(部止まり)は低く留まるのです。

他方、かつての手工業は、多くの人手を掛けながら、しかしエネルギーは余り使わず、廃棄物も最少で済むのです。何故なら、かつてはエネルギー単価が高く、金属材料そのものも高価だったからです。相対的に、人件費は安かったので、手工業が成立していたのでした。しかし、環境負荷の面から考えると、大量生産・大量消費の時代は終わりにしなければならない事は明白です。エネルギーや材料の調達面、使用済み製品の廃却処理場の面から考えても、既に限界を超えてしまっているからです。

そうではなくて、私たちは再度地域循環の輪を広げ、新しい形でのモノ・カネの循環を取り戻さなければならないと思うのです。例えば、ドイツには「シュタットベルク」という、公共サービスを賄うシステムがありますが、日本で言えば水道局の様な仕組みですが、それにとどまらず、エネルギー、交通、熱供給などより広い分野の社会インフラをカバーしている点が特徴となっています。サービスを受ける側は、地域内で代金を支払うので、例えば石油会社の灯油を買う場合に比べ、地域内にお金の循環が生まれます。もちろん、そのエネルギー源は地域内に求める必要があります。バイオマスや風力やその他の再生可能型エネルギー源です。地域には、いわゆる「未利用資源」や「未利用エネルギー」が多く眠っている筈なのです。それらは、今は確かに「未利用」ですが、かつてはしっかり利用されていた筈なのです。それらを「新しい形で利用」すれば良いのです。その形は、大規模化ではなく小規模分散型である事は言うまでもありません。

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2016年8月22日 (月)

3096 台風多発

細かい雨台風が、数多く発生しています。台風のエネルギーは、主に水温の高い海洋から得ています。きっかけとなる小さな渦が、そのエネルギーを吸収して雲が成長し、地球の自転によるコリオリの力によって回転力を加えて台風に成長するのです。この夏は、いわゆる、夏の太平洋高気圧の張り出しが弱く、無風帯の海水温が高いので、いくつかの台風の卵が同時に発生しやすい状況にある様です。しかも、その台風の卵たちが北上してくる海域の水温は、例年に比べて3-4℃も高いので、台風に発達する段階で、更にたっぷりと湿気を吸収してから日本に近づいてくる訳です。

台風を加速するのは、上空を流れるジェット気流なのですが、これも現在は弱まっているので、台風はノロノロと迷走し、やがて北に向かいます。しかし、大型の台風を発生させる条件は整っていないので、小さな雨台風が数多く発生する年に当たっている様なのです。

さて、3092にも書いた様に、この様な傾向は長期的に固定化する可能性が髙い様なのです。即ち、従来の気候を支配していたジェット気流の、異常蛇行の固定化です。蛇行の山が来るか、谷が来るかによって、季節ごとの「平均気象」は、数十年振りの「異常気象」によって記録が破られ、その異常が固定化する事になります。それを別の言葉で表すなら、気象の振幅が大きくなっているとも言えます。これは、考えてみれば怖ろしい現象かも知れません。振動現象の振幅が「収束」する事なしに徐々に拡大していくと、最終的には「発散」するからです。かつて、アメリカ西海岸にあった吊り橋「タコマ橋」は、振動の発散によって崩落してしまいましたが、さて気象現象の発散が何を意味するのか、私たちはしっかり考えてみなければならないでしょう。

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2016年8月20日 (土)

3095 ホドホド

この国には、良い言葉や表現がたくさんあります。取り分け、程度を示す言葉は実に豊富である事は、暮らし方や身分や自分の状況を、細かく表現する事に、昔から熱心だったのだと思われます。オノマトペもあれば、日常使われる表現や四字熟語も豊富です。例えば、ホドホド、ソコソコ、人並み、無理なく、身の程、悠々自適、自給自足、無為自然、平穏無事などなどです。ご先祖様たちは、目立たず、平均的で、無理をしない、それこそホドホドの暮らしぶりを理想としていた様なのです。

それなのに、です。何時の頃からか、「大きい事は良い事だ」、「便利で楽な事も良い事だ」、「消費は美徳だ」といった、下品で安易な表現が蔓延してしまったのです。そこには、明らかに「価値の大転換」が起こった様なのです。モノが不足して貧しかった時代、ご先祖様たちは仕方がないので「ココロの満足」を重視するしかなかったのです。赤貧の中でも、短歌や俳句を嗜み、手遊びを考え出し、少ない食材から精進料理を編み出し、年に数回の祭りでストレスを昇華させるといった生活スタイルを工夫してきました。モノが豊富になり、使い捨てこそが経済を活性化する、と言った間違ったお国の政策誘導が、国の舵取りさえも狂わせてしまった様なのです。

モノを大切にし、修理をしながら大切に使って、モノの寿命を全うさせる、というスタイルこそ、日本的な暮らし方の基本だと思うのです。モノの寿命もホドホドの使い方をして、消耗部分を研いだり交換したりしながら使えば、道具だって何百年も使い続ける事も出来るでしょう。壊れたら買い換えて、古いものはポイと捨てる、こんな不遜な暮らし方はもうやめるべきでしょう。エンピツはキャップを嵌めて数ミリになるまで使うべきだし、文化包丁だって研いで、研いでペティナイフの様になるまで使い倒したいものです。ホドホドに食べて、ホドホドの暮らしぶりを崩さなければ、地球環境だって人類の生存をもう少し長く許してくれると思うのです。

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2016年8月19日 (金)

3094 元来た道

このタイトルでは、このブログを始めた10年ほど前にも書いたような気もします。人の記憶などと言うものは不確かなもので、気がするだけなのですが・・・。さて、私たちは何処で道に迷い、あるいは何処で踏み込んではいけないエリアに入ってしまったのでしょうか。それを示す言葉があります。Point of no-returnPONR=後戻り不可能点)です。その限界を超えると、もはや安全に戻る事は出来ない点であり、モノの形で言えば復元できない程の破壊を意味します。

もし、道を間違えただけならば、素直に引き返せば、元の道に戻れるでしょう。しかし、PONRを超えてしまった場合には、「遭難」が待っているだけです。PONRを超えてしまい、行方不明になった冒険家や登山家の何と多い事でしょう。人間の能力は、いくら鍛えたとしても限界があります。その限界を超える事が冒険なのですから、冒険家や登山家の遭難を無くす事は出来ないでしょう。しかし、人類全体や地球の環境自体を冒険家や未踏の荒野に比べる事は出来ないのです。何故なら、スペアが無いからです。名前を売りたい冒険家は、今後も出てくるでしょう。そして、これまでの冒険家が到達したリミットを超えようとするでしょう。しかし、地球環境や人類自体の存続に関しては、冒険は許されないのです。

PONRの例を挙げましょう。私たちは、核と言うパンドラの箱をこじ開けてしまいました。しかも、初めての核分裂の実用が原爆であり、動力としての利用が原子力潜水艦のエンジン、つまりは両方とも「兵器」であったことは、全く不幸な歴史だったと言うしかありません。幾多の国際的危機を乗り越えて、PONRのボタン(核ミサイルの発射ボタン)が、押されること無く今に至っている事は、まったくの奇跡と言うしかありません。少なくとも、私たちはこのアブナイ道具を放り出して、元のパンドラの箱に押し込む事が出来ない限り、PONRをドンドン超えてしまい、本当に後戻りできない事態に立ち至ることは断言できそうです。残念ながら。

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2016年8月18日 (木)

3093 想えば遠くに・・・

外国人観光客が月に200万人以上も押し寄せ、同時に外国人投資家が、国内の不動産を買い漁ると言った時代になりました。それで、業界によっては国内の景気が少し良くなり、GDPがやや改善したとして、それが一体何になるのでしょうか。カネのある者が、肩で風を切って闊歩し、そうではない普通の観光客が肩身の狭い思いをしてこの国の観光地を見放したとしたら、リピート客が減り、数年後には閑古鳥が鳴いているかも知れません。

不動産だって、投資家の目的は先ずは買い漁って価格を吊り上げ、続いて高く売り抜けて、大きな利益を上げる事にあるので、1980年代にあった不動産バブルの再現だとも言えるでしょう。私たちは一体何処に向かっているのでしょうか。世界の各地で紛争やテロが繰り返され、もはや安全だと断言できる場所は少なくなってしまいました。人々には、カネやモノだけを信じ、人は信じない風潮が蔓延してしまいました。将来が明るく見え、希望が持てた1970年代を振り返る時、私たちは随分遠くに来てしまった様な気がします。

私たちは、ソロソロ元来た道を戻って、家に帰る時に至ったのかも知れません。これ以上進んでも、目の前には暗い森だけがあって、日が暮れてきた今、危険な動物もウロウロしている様なのです。面白いものは無くなるかも知れませんが、家には平和があり、暖かい部屋や夕食が待っているのです。家から遊びに出てから手に入れた遊び道具(カネやモノ)を放り出し、家に帰る決心さえできれば、もっとココロ安らかに生きる事も出来ると思うのです。その想いは、最近ますます強くなるのです。

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2016年8月17日 (水)

3092 大気循環の異常

地表の気象は、大きくは大気の循環の状態に左右されます。間接的には、海洋の温度や大陸への日射量に影響されますが、その影響は大気に伝わって発現するのです。従って、大気の動き(風)が、地域の気象を大きく支配する事にもなります。一番規模の大きな風は、偏西風などの上空の風、いわゆるジェット気流でしょう。ずっと下層の風としては、低気圧や高気圧の気圧差によって生ずる地上風があります。これらの風は、地球の自転の影響を受けて、回転しながら吹き渡ります。高気圧からは時計回りの風が吹き出し、低気圧には反時計周りに風が吹き込みます。中層では、低気圧の上空へ吹き上がった風が、高気圧の上に降り注ぐのです。

これまでは、ジェット気流は北半球と南半球で分かれて吹いていました。しかし、近年両半球のジェット気流が、赤道を越えてつながる「クロスオーバー現象」が観測される様になってきたのです。これは一体何を意味するのでしょうか。北半球と南半球の上空を、整然と西から東に流れていた風が、赤道を越えて混じり合うのですから、そこには間違いなく大きな蛇行が生じ、南北半球の大気が混合することによるカオス=異常が生ずると予想できます。性質の異なる流体が混じり合う時、そこには渦が生じ、完全に混合するまでの間には、様々な「異常」が見られるでしょう。

それは、例えば暖かい気団と冷たい気団がぶつかり合う「前線」で起こる気象現象からも容易に想像できるでしょう。激しい上昇気流と下降気流によって、豪雨や突風などが引き起こされ、時には被害も起こるのです。それが、より巨大なスケールで起こるのですから、その影響は予測さえ難しいでしょう。何しろ、この現象は人類が初めて目にする現象な訳ですから・・・。私たちは、この現象を「目を皿にして」観察し、小さな気象異常にも注目してその拡大にこそ注意を払うべきなのです。

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2016年8月16日 (火)

3091 湿度のコントロール

いわゆる空調(エアコン)の制御は、温度コントロールに偏り過ぎていると思っています。温度は確かに体感温度に関しては支配的なファクターですが、快、不快の尺度を持ち込むならば、温度は、湿度、輻射温度、風速などの中の1要素に過ぎないのです。取り分け、高温時の高い湿度は、いわゆる不快指数を高め、熱中症の危険因子ともなるのです。日本の夏が厳しいのは、日射による高温に加えて、季節的なモンスーン気候に伴う高い湿度が相乗的に襲ってくるからでもあります。

現在のエアコンは、コンプレッサーで圧縮した冷媒を、急速に膨張させる事によってブライン(冷却剤)を作り、それを熱交換器に送って空気と熱交換する仕組みなのですが、結果的に空気中の湿度の一部は凝縮水となって湿度も下がる事になります。しかしながら、弱冷状態では除湿能力は十分ではなく、仕方なく設定温度を下げざるを得ない状況に陥るのです。

ここでは、除湿能力を高めた、「除湿冷房機」を開発してみたらどうかとの提案をしたいのです。デシカントを使って、先ずは湿度を大幅に下げ、オマケ程度に温度も下げるのです。湿度が、例えば40%以下のカラカラ状態に下げておくと、気温が30℃近くに上がっても、体の不快感はそれほど大きくはないでしょう。加えて、窓や壁や天井からの熱の侵入を遮熱材や断熱材で防いでおけば、不快感はほぼ無くなる筈なのです。熱中症計は、実は温度と湿度と輻射温度を同時に計測する計器ですから、そこに示される数値こそ重視すべきデータになるでしょう。この数字をコントロールするエアコンこそ、理想的な冷暖房機器になる筈です。温度と湿度が高く、不快な夏が来るたび、エアコンメーカーの考え方が修正される事を願わずにはいられません。

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2016年8月15日 (月)

3090 時間という尺度

終戦の日というタイミングで、歴史に想いを馳せ、時間について少し考えてみます。時間は、基本的には天体の運行、狭い意味では地球の自転、公転の時間が基準になっています。12進法を採用していた当時の先進国が、一日を24時間、1時間を60分などという、ややこしい刻み方を採用してしまったので、我々はそれに倣わざるを得ませんでした。もちろん、1365日と1/4日は、誰が数えても同じなので、それは飲み込む事にしましょう。

さて、時間の尺度が日単位であった時代はきっと平和でのんびりしていた事でしょう。今日出来なければ、1日遅れて明日に延ばすしかなかった訳です。しかし、人々が日常的に時計を目にし、その針の指す時刻を気にする様になって以降、私たちの生活は「針に追われる」生活になったのでした。朝○時に起きて、X時の電車に乗って、学校や会社に行き、12時に昼食を取り、夕方△時に帰宅する、という生活スタイルを指します。腕時計や懐中時計に「秒針」が追加されたのは一体いつ頃だったのでしょう。せわしく動く秒針は、慌ただしい現代の象徴とも言えるかも知れません。

時間は、いくらでも細かく分ける事は可能です。例えば、レーザー光の世界では、今やフェムト秒(10のマイナス15乗秒)という、単位が普通に使われる時代になりました。しかし、ここでは、例えば「短針しかない時計」を提案したいのです。せめて、1時間くらいを基本単位として暮らすライフスタイルを提案したいものです。時刻も、○時X分と表示するのではなく、○時頃、X時少し前などの表現で十分でしょう。待ち合わせでも、待たされる方はお茶でも飲みながら、あるいは文庫本を読みながら相手を待てば良いでしょうし、会社の勤務形態だって、大体の時間に出勤し、規定の勤務時間が終われば帰る、と言ったアバウトなもので良いでしょう。会議が必要なら、全員が集まる「コアタイム」に短時間で効率よく開催すれば良いだけです。時間を細かく分ければ分けるほど、私たちは自分達をせわしく暮すライフスタイルに追い込む事を認識すべきでしょう。物差しや時計は、目盛が細かい程正確であると言うものではなく、実用的な桁の目盛で十分だと思うのです。

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2016年8月14日 (日)

3089 新しいエネパ

3006で書いた「エネルギーパフォーマンス(=エネパ)」の枠を更に広げてみます。3006では、製造業や輸送などでのエネパを議論しましたが、もっと広い視野でというかより抽象的に考えてみれば、使った単位エネルギー当たりに得られた「利便や満足感」の大きさという指標が定義できそうです。例えば、乗用車に乗って移動する場合、石油を1リッター使って、10㎞の距離を移動した結果、雨にも濡れず、夏の暑さも感ずる事なしに、僅か10分で到着したとします。歩いて行けば、ずぶ濡れになったり、大汗をかきながら2時間以上も掛かるでしょうから、快適さと2時間近くの節約が、1リッターのガソリンの消費によって得られた「利便」という事になるでしょうか。

一方で、エネルギーの消費は、地球環境へ負荷を与えたり、そのためにコストが発生したりしますが、加えて最近は環境負荷を発生させる事への「後ろめたさ」もより強く感ずる時代にもなった様です。その後ろめたさは、誰に対するものかを察すれば、多分それは「まだ見ぬ子孫」へのものである事に気付きます。石油が潤沢に仕えた時代の我々世代が、地球環境が悪化し、オマケに石油の埋蔵量が激減して、価格も上がっているであろう将来と、その時代を生きなければならない子孫への申し訳なさなのです。

つまり、エネルギーパフォーマンスを、エネルギー消費と得られる利便の、単なる割り算だけで表現してはならないと思うのです。ココロの問題がすっぽり抜けてしまっているからです。ココロが痛んでしまう様な利便なら、それは除外して考えなければならない筈なのです。ココロの痛みとは、結局自分が得る利便が、自分以外の誰かか、まだ見ぬ将来世代の犠牲の上に成り立っている時に強く感ずるものだからです。例えば、自分の筋肉を使ってやや疲れたとしても、エネルギーを節約して、ココロの満足感が得られれば、ここで定義する新しいエネパ、即ち(ココロの満足感/使用エネルギー=新エネパ)は大きく向上するでしょう。体に楽をさせるのが20世紀型の「利便」目標だとすれば、体を動かしてココロを喜ばせる事こそ21世紀型の満足度の指標とすべきなのでしょう。

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2016年8月13日 (土)

3088 会社の機能2

会社組織を、ステークホルダーの利益からスタートした場合の代表例が「NPO法人」でしょうか。この国では阪神淡路大震災後に急激に拡大しましたが、この種の組織で残念なのは、スタートダッシュで活躍しても、設立コアメンバーが疲れてしまって抜けたり、初期の意気込みが萎えたりして、やがてはフェイドアウトしてしまうケースが多い事でしょう。投稿者自身もNPOの設立と運営に長く関わった事がありますが、やはりこの壁に突き当たり、別のコアメンバーに交替して貰って、再活性化が出来た例を目撃しています。

NPOの例では、機能を優先するあまり、組織自身の利益(あるいは運営メンバーの分け前)が殆ど確保できない結果、いわゆるボランティア組織に陥り、推進力が弱ってしまうのだと想像できます。3087で、会社組織が利益優先に走るのと逆で、機能だけを優先する(NPOの様な)組織もまた、長続き出来ないと言う例になるのかも知れません。人は、「意気込みだけでは生きていけない」生き物なのかも知れないとも思っています。

いずれにしても、利益を優先し、組織以外のステークホルダーを軽んじてもダメだし、逆に機能を優先するあまり、組織がボランティア活動化する場合も、やはり長続きしないと言う、ここでの結論になりました。これを回避するには、ボランティア活動の要素をもった活動で、利他の満足感に浸りつつ、一方では多額ではないにしても、贅沢をしなければ生きていくのに足りる程度の利益確保のバランスが重要な訳で、その意味では会社の経営者や儲けないNPO法人のトップは楽な商売であり、本当に利益と機能のバランスが取れている組織のトップには、真の意味での「高度の経営センス」が要求されるのかも知れません。

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2016年8月12日 (金)

3087 会社の機能

このブログで重視している考え方で重要な部分を占めるのは、「ものの機能」という見方です。何らかの作用を及ぼす「もの」には必ず「機能」が存在すると考えているからです。ここでは会社の言うものの機能を考えてみる事としましょう。会社には、いくつかの機能があるでしょう。例えば利益を上げると言う重要な機能が考えられるでしょう。いくら、優れた機能を有する企業であっても、適正な利益が上げられない限りその会社の存続はあり得ません。赤字が続けば、企業の再生産のための投資が出来なくなり、失活してしまうからです。

しかしながら、利益だけを優先する企業もまた、中長期で見れば、その存続は強く危ぶまれます。何故なら、企業存続の重要な源泉の一つは、顧客の信頼を得て「リピート受注」を継続させる事にあるからです。もし、企業が利益優先主義に走った場合には、間違いなく顧客の信頼を失い、徐々に、または急激に売り上げも低下してくるでしょう。それは、ステークホルダー全体を俯瞰した時に「片利」に陥っている不安定な状態に他ならないからです。理想は、もしステークホルダーが二者なら「相利=Win/Win」、三者ならその三者が相応の利益を享受する様な枠組みを必要とするからです。

結局、企業に望まれる機能としては、関係全体を俯瞰しながら、自社とステークホルダーにとってバランスの良い利益を継続的に出し続ける、努力が必要な筈なのです。とは言いながら、切羽詰まると企業は自社の生き残りばかりしか考えなくなるので、いわゆるProfitcenterd(経営優先)戦略に走る事になってしまいます。企業の「社是」として、何らかの形で「共存共栄」を掲げている企業は、一応バランスの良い経営を目標としているとは言えるでしょう。その様な、バランスの良い企業が極端に少なくなってきている現状を憂えます。

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2016年8月 8日 (月)

3086 O&M4

O&MM(保守)の部分で重要なポイントは、オーバーホール(分解整備)です。特に、回転部分やスライド部分(いわゆるメカ部分)が多い装置、車や家電と言った「機械」には、オーバーホールが不可欠なのです。というのも、例えば軸受(ボールベアリング)などにも、時間寿命があるからなのです。もちろん、殆どの機械で、軸受が設計寿命の中で時間寿命を迎える事は少ないのでしょう。とは言いながら、軸受寿命にとっての大敵は、実は「停止期間の長さ」なのです。停止ししている間、軸受のボールとレース、あるいは軸と軸受は、同じポイントで接したままになっています。停止して荷重が掛かっている状態では、そのポイントでは潤滑油が切れて、メタルとメタルの接触になっているのです。そこに、湿気あるいは静電気などの微弱な電位などが存在するだけで、金属軸受の腐食が進んでしまうのです。

その意味で、多くの場合、機械は(動いている時ではなく)停止している間にこそ劣化が進むのです。それは、毎日過酷な条件で運用される、長距離トラックや高速バスの寿命は、実は設計寿命の何倍も長いと言う事実で証明されているのです。毎日運用される機械は、潤滑油さえ切らさなければ、部品の劣化は「自然摩耗」の範囲内に留まり、その程度は設計寿命に比べて十分に(何倍も)長いのです。

逆に稼働している時間よりも、停止している時間が圧倒的に長い、農業機械などは、まさに停止している期間内に劣化がドンドン進んでしまう訳です。機械の泥を丁寧に落とし、錆び易い部分に植物性の油などを塗り、1週間に一度くらい動かしてやる事により、これらの機械も十分に寿命をまっとうさせる事が出来る筈なのです。結局、モノの無い時代には、ご先祖様たちは、どんな機械でも後生大事に慈しんできました。しかし、モノの豊富な時代になって私たちは、あまりにもモノを軽んじて、粗末に扱ってしまっている様なのです。この項終わります。今晩から小旅行のため、休稿です。

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2016年8月 7日 (日)

3085 O&M3

OMO(運用)の中で、最も重要なポイントの一つは、実は潤滑なのです。動く部分のある、機械や設備には、必ず潤滑が施されています。多くの潤滑ポイントは、グリースが封入された軸受なのですが、歯車やスライド面やヒンジ部分なども潤滑を必要とする重要な可動ポイントでもあります。潤滑の目的は、もちろん滑りや転がり摩擦を減じて、円滑な運動を確保するためですが、同時に可動部と固定部相互の磨滅を防止する目的も兼ね備えるのです。金属と金属が相対運動をする場合、異種金属では柔らかい方が磨滅し、同種金属の場合は「かじり」が生じます。かじりと言うのは、意図しない圧接の様なものだと言えます。

しかし、コンポーネント間の相対運動部に潤滑油が存在すると、滑り摩擦も、転がり摩擦も大きく低下するのです。油膜は、さながら氷とスケート靴の間の水の膜の様に、金属間の摩擦を減ずるのです。その結果、金属同士の運動により磨滅が防止でき、機械要素の寿命が大きく伸びる事につながります。潤滑という狭い意味よりもっと広い「摩擦低減」全体を意味する言葉(学問)はTriborogy(トライボロジー)と呼ばれますが、摩擦の低減はひいては、省エネにもつながるのです。

とは言いながら、保守作業の中で潤滑はそれほど重視されているとも思えません。精々、潤滑油が規定レベルより低下していないか、チェックされる程度でしょう。しかし、潤滑油は汚染されますし、劣化もするのです。塵や磨滅した金属粉により、潤滑の界面に異物が混在し、金属部品の磨滅を加速しますし、潤滑油の酸化などの劣化によって摩擦を低減させる能力も低下するのです。保守作業の中では、潤滑油の汚濁度や性能劣化の評価を行い、油の寿命が来る前に交換する必要があるのです。もちろん、交換に当たっては機器内を洗浄する「フラッシング」作業も不可欠である事は、保守の常識と考えるべきでしょう。

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2016年8月 6日 (土)

3084 O&M2

O&Mを意識する上で、重要なポイントがいくつかありそうです。先ずは、設計寿命でしょうか。その設備やインフラや家電や車を設計する際に、一体どの程度の製品寿命を頭に置いて設計したかが問題なのです。モノには、言わゆる原価焼却期間というものが決まっていて、例えば8年とか16年とか、カテゴリー別に決まってはいます。しかし、それは税制上の決まりであって、減価償却期間が終わったからと言って、直ちに更新出来るのは、財務状態が良好な金持ち企業だけでしょう。例えば、車で言えば、減価償却期間は僅か4-6年となっています。機械装置で言えば8-10年程度、建物では20数年(木造)から50年(コンクリートの事務所など)となっています。

しかし、O&Mを適正に管理すれば、償却期間の2倍程度の寿命は十分に確保できる筈なのです。例えば農業用機械を考えてみると、償却期間は7年ほどと設定されていますが、機械が年間に稼働する日数は数えるほどでしょう。長い期間、納屋や倉庫にほったらかしにされている結果、車軸にはサビが発生し、バッテリーは劣化し、エンジンの起動もぎこちなくなるでしょう。もし、週に1回ほどエンジンを掛け、錆びやすい個所には油やグリースを塗っておくならば、多分20年位の寿命は十分確保できる事でしょう。

乗用車だって、10年あるいは10万キロで寿命が尽きる筈もありません。毎日通勤に使う様な、継続的な運用では、楽に20万キロは走らせる事が出来ます。当然の事ながら、タイヤを含むゴム部品とか、ブレーキパッドなどの消耗部品は交換してやる必要はあるでしょう。結局は、装置全体としての設計寿命の他に、それとは異なる(多くはかなり短い)部品個々の設計寿命があり、そのバランスをどう取って行くかが、設計寿命を全うし、あるいはそれを倍増するための必要な作戦になるのです。

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2016年8月 5日 (金)

3083 O&Mの重要性

O&Mは、たぶん今後の重要なキーワードになるでしょう。これは、Operation(運用)とMaintenance(保守)の略なのですが、今はどこの企業の設備でも社会インフラでも、家庭用の機器も含めて、全くと言って良い程重視されていない様に思うのです。かなり昔に遡れば、この国にはモノや設備を大切にする文化がありました。何しろ、モノが少ない資源小国だったものですから、海外から輸入した設備などは、コピーして作った部品を交換しながら、後生大事に使い込んだのでした。

しかし、何時の頃からか、規格化された量産品の設備や、行動成長期に量産された?社会インフラ、あるいは家電に至るまで、安く大量に作ると事には熱心だったものの、保守や修理は殆ど留意されなかったのでした。理由は簡単で、壊れればリプレイス需要が生まれるので、メンテナンスの必然性は弱かったのです。従って、例えば車なども、修理を前提としては設計されなくなって、ユニット毎の交換が当たり前になってしまったのです。当然の事ながら、個々のユニットの耐久性は、ホドホドに設定され、車であれば10年も経てばスクラップにして買い換える事が暗黙の前提になってしまったのです。

しかし、上手く運用し、適正に保守を行えば、設備やインフラなどと言った「ハードウェア」は、信じられない程長く出来るのです。具体例で言えば、動態保存されている蒸気機関車などは、作られてから優に100年前後は経過している筈なのです。もちろん、動く状態で保存する努力は並大抵ではないでしょう。スペアパーツなどは存在しないでしょうから、寿命が来た備品は新たに作るしかありません。でも、機械などと言うものは、潤滑油にしっかり気を使い、ギャップなどの点検項目をしっかりチェックして調整し、必要なインターバルで分解整備を行えば、人間の寿命以上に長持ちさせる事も可能なのです。例えば、1台の車を親子三代で乗り継ぐ、と言った事も実現は可能なのです。重要なKWなので、本稿は続きます。

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2016年8月 4日 (木)

3082 時間の「消費」

3081の続きです。消費行動には、モノの消費とサービス(機能)の消費があると思っています。実際に手で触れ、あるいは舌で味わうことの出来るモノを買って、使ったり、食べたりする行動がモノの消費です。いわゆる耐久消費もいつかは使えなくたってゴミになるでしょうし、食べ物も消火されてエネルギーやUンチに化ける事になります。つまりは、モノはやがて消えて無くなるか、リサイクルされるか、あるいは埋め立てゴミとなって半永久的に残るかの運命を辿る事になります。

一方、サービスや機能の消費はどうでしょう。例えばマッサージというサービスを受けたとしても、受けた側の体に何か目立った変化が現れる訳ではありません。血液やリンパ液の流れが少し良くなって、硬くなっていた筋肉も少しは弛緩するかも知れませんが、モノに変化が生ずる訳ではありません。ではゲームはどうでしょう。いくつかのボードゲームは、確かに実体があり、駒やカードにも形があります。しかし、実際の遊びの中で、それらのモノの形が変化してしまう訳ではありません。ゲームが終わればご破算に(リセット)されて、新たなゲームに使うことが出来るでしょう。スマホのゲームは、それらの道具を画面の中に造っただけで、本質としては変らないでしょう。

結局、ゲームで消費しているのは、プレイヤーの持っている「時間」であって、得られるのは強い、あるいはそれなりの「達成感」になる訳です。とは言いながら、昨今のゲーム・ブームの持続に関しては、ゲームを嗜まない投稿者としては、やはり眉をひそめない訳にはいきません。結局、多くのゲーマーが持っている時間が、徒に「消費(暇つぶし)」されていまうからで、もしその時間を恋愛なり、生産的な活動に使った場合の事を考えると、この国の出生率やGDPも少しは改善するだろうに、と本当に残念なのです。

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2016年8月 3日 (水)

3081 ブームも75日

Pケモンを話題に取り上げることにも飽きたのか、既にマスコミのヘッドラインのKWとしては、既にピークは過ぎた様です。実際にも、もし3か月後にもどこかの公園やスポットに、スマホを握って人が殺到するなどの現象が残っているなら、それは別の意味で驚異でしょう。世間の噂が75日もは継続しない様に、あらゆるブームも三月もすれば、そんなブームなどまるで無かったかの様に、忘れ去られている事でしょう。もし、その痕跡が見つかるとすれば、年末に募集される新語・流行語の中にかすかに出てくるかも知れません。

このブームも、他の多くのブームと、どうやら人々は、常に何か熱中する対象を求めている様なのです。それは、何も今に始まった事ではなく、人々が群れて暮らす様になった、例えば江戸時代にもあった様なのです。何か、人々を引き付ける事件の発生を奉ずるかわら版や、それにヒントを得た芝居や浮世絵など、多分2-3か月は人々の話題に上った事でしょう。しかし、人々は直ぐに「飽きる」のです。これは、多分私たちの「脳のクセ」なのでしょう。新しいもの、他の人が夢中になっている様な事が無性に気になると言うクセです。もし、これが無いと群れで暮らす場合には、「群れからはぐれる怖れ」があるからなのでしょう。取り分け、この国の人々は、このクセが強い様なのです。

しかし、一方ではブームが去るのも早い様で、この忙しい時代、ウワサ話だって75日もは持続しないでしょうし、ブームも同じ事でしょう。もし、マスコミが1か月後もPケモンゲームを話題にし、一般の人達がモンスター探しに血道を上げている様であれば、まさに異常な状況だと考え直さざるを得ないでしょう。その時は、この投稿を取り下げる事にしましょう。熱しやすく、冷めやすいと言う、脳のクセには今後とも注意を払っていく様にしたいと思います。

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2016年8月 1日 (月)

3080 IoTしかないのか?

マスコミには、毎日の様にITとりわけIoTという言葉や文字が出てきます。日に何度もです。お国もお国で、第三の矢は、観光とIoTしかないとまで言い切っている様でもあります。果たしてそうなのか、少し考えてみます。時々というか頻繁に、目的と手段について気になります。つまり、多くのケースで目的と手段が逆転している事に気が付くからでもあります。一体誰が観光だとかIoTだとかの目的を真面目に考えているかですが、これらを提唱しているお役人は、結局は手っ取り早い目先の結果を求めているだけの様に見えるのです。結果とは、言わずもがなですが、取り敢えず景気が良くなった、国民所得が少し上がり、同時に物価が2%くらい上昇すればOKという、非常に安易なものの様です。

だったら、そのための手段は何も観光やIoTでなくても良いのでしょうし、そもそもそれらは手段ではあっても、決して目的にはなり得ないものどもなのです。もし、観光が目的なら、取り敢えずは円安を誘導して、せっせと国外からの観光ツアーや買い物ツアーを誘導すれば済む話でしょう。その内に、海外資本が割安になった観光地の土地やホテルを買収し、自国からの観光客を勝手にひっぱて来るでしょう。「統計的」には、入国する観光客は急増するでしょうが、利益は根こそぎ国外に持ち去られる事になる事でしょう。つまり、手段としての観光誘致政策は、見かけ上は今後とも成功している様に見えても、目的はさっぱり達成はされないのです。

IoTについても全く同じです。IoTを使って一体どの様な社会を目指すのかの議論をすっ飛ばしておいて、全てのモノに「ものを言わせ」それをネットで繋げる事に、一体何の目的があり、理想があると言うのでしょうか。確かに、湯沸しポットや冷蔵庫にものを言わせれば、独居老人が生きているのか、そうでないのかは分かるかも知れませんが、果たしてそれで目的(たぶん孤独なお年寄りを見守り、安寧な老後を保証するなどという)が達成されるのかは不明です。IoTの「その先」が描かれていないからです。先ずは、目的(ゴール)や将来ビジョンをを明確にして、そこに使われる手段の一つとしてIoTを位置付けるのが正しいアプローチだと思っています。「第三の矢」に感ずるモヤモヤは、その目的が明確になっていない点にこそあるのでしょう。

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