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2016年9月29日 (木)

3133 休稿

今日は、完成した自宅の正式な引渡し日で、取り敢えずはアパートに置いている事務所の引っ越しをするため、夕方までバタバタでオフラインとなり休稿です。来週も、今度は家族の引っ越しのため、引き続きの休稿となるやも知れません。

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2016年9月28日 (水)

3132 休題(自宅完成2)

建物が完成しましたが、自宅のボイラ小屋へバイオマスボイラを設置するのは多分年末の二期工事となります。取り敢えずDIYによるガス給湯器の取り付けが完了しましたので、お湯が使える様になり、住むための準備は完了。後は、単身住まいのアパートからの簡単な引っ越しが残るだけですが、ボイラ室の作業でぐったり疲れました。もちろん達成感はありますが・・・。とはいうものの、新しく家を構えると、役所の手続きやら、電話工事の依頼やら、まだまだやるべき事が山ほど残っている様です。なので、今日もブログ投稿もそこそこに、あちこち走り回ります。

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2016年9月27日 (火)

3131 休題(自宅完成)

6月初めに着工していた自宅がついに完成。役所の検査が数件続くため、引渡しは明後日ですが、太陽熱とバイオマスを使った暖房・給湯システムは、システム全体の面倒を見てくれる業者が居なかったのと、予算を節約するため、DIYで行く事しました。太陽熱温水器とバイオマスボイラを、自分で調達し、自分の責任で勝手に結合して一つのシステムにします。その過程はFBでも公開していますが、取り敢えず住めるようにする1期工事がまだ残っているので、今日の投稿はここまで。https://www.facebook.com/yutaka.hatanaka.73

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2016年9月26日 (月)

3130 安全率(SF)

元技術屋としては、時々「安全率(Safety Factor)」が気になる事があります。中でも、安全率が十分には取れない航空機は、長年その業界でサラリーを貰っていた身としては、特に気になる分野でもあります。今日も、何やら旅客機の片方のエンジンが停止して、片肺飛行で空港に引き返したとか。数日前には、米軍の戦闘機の墜落事故の報道もあり、やはり耳をそばだててしまいます。航空機の安全率が低いのは当然の事で、もし航空機のそれを陸上の機械並みに大きく取れば、きっと重過ぎて、乗客を殆ど乗せる事が出来ない旅客機や装備を殆ど積めない戦闘機や爆撃機になってしまうことでしょう。

そうならないためには、安全率は極限までそぎ落とす必要がある訳です。もちろん、そうするためには単なる机上の(今はコンピュータ上か)の計算だけでは不十分で、必ず実体での破壊試験や疲労試験が義務づけられてもいるのです。例えば、旅客機の翼に実際に荷重を掛けて、具体的には翼を吊り上げて「万歳状態」にして、翼の付け根がどのくらいの荷重で折れてしまうかを試験するのです。疲労強度も万回単位に上る旅客機の離着陸を想定し、実際に翼に上下の繰り返し荷重を掛けるのです。離陸時は上向きの揚力を受け、着陸後は翼はその中にたっぷり積み込まれている燃料の重さで下に垂れてしまうからです。そして実際に疲労破壊を起こすまで、繰り返し荷重を掛ける事になります。

しかし、決してそれで安心できる訳ではありません。実際の航空機の運航には、予期せぬ天候などによる突発事態も起こるからです。例えば、ウインドシェアやダウンバーストあるいは上空の乱気流による衝撃荷重、あるいは気象やパイロットミスによるハードランディングも頻繁に起こりうる衝撃荷重の例となります。当然の事ながら、その衝撃荷重は、強い慣性力で回転しているエンジンのタービンにも影響を与えずには居ないでしょう。例えば、軸受への衝撃荷重や、タービン翼への強い振動などが考えられます。その様な履歴を持った航空機が、何千機も日夜の区別なく世界中を飛び回っているのです。考えてみれば、怖い話ではあります。今程度の低い事故率で運行出来ているという状況は、実は奇跡的なのだと言うしかないでしょう。飛行機は、出来れば乗りたくない乗り物の一つです。

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2016年9月25日 (日)

3129 卵かニワトリか

日曜毎の政党間の議論番組にはイライラします。毎回、先ず景気刺激ありきか、それとも財政再建が先か、と言った不毛の議論が延々と繰り返されるからです。借金を重ねてでも、景気を要して、結果税収も増えるとする与党と、それは借金の先送りで将来世代が苦しむ悪政だとする反対野党のせめぎ合いです。これは、まさに卵が先かニワトリが先かという循環論そのものだと言えるでしょう。似たような循環論で何時も忘れらているのは、実は理念だと思うのです。結局、この国をどういった方向に持ってくのか、その基本理念が不在なのです。

景気は何のために良くしなければならないのか、そのためにはどういった手を組み合わせて打っていくのか、その過程で国民には一体どの様な努力(あるいは我慢)を期待しているのか、そこがスッポリ抜け落ちているのです。普通の国民であれば誰しもも、景気が良くなって、税収が増え、インフラや福祉がさらに充実する、と言われれば何となくその気になるでしょう。それが、何となくの現政権の高い支持率につながっているのでしょう。

各政党には、是非「この国のあるべき姿」で、し烈な議論を重ねて貰いたいものです。経済規模など、別に人口に見合ったサイズで十分でしょう。かつてのバブル時代、泡と膨らんだ不動産価値で国の資産価値を評価したところで、それが弾けると結局元の木阿弥に戻った経験を忘れてしまったとでも言うのでしょうか。

ましてや、海外からの大型客船が着岸できる様に、地方港湾の整備に何兆円だかを投ずるなどという、無茶苦茶な計画を聞くに至っては呆れるしかありません。今の、海外からの旅行ブームは円安期のバブル現象であると何故誰も言い出さないのでしょう。円高に傾いて、日本観光が割高なものになってしまえば、ガランとした地方空港同様「閑古鳥」が、声高に啼く事でしょう。日に数便しか飛行機が離着陸しない地方空港の建設国債は、立派な借金であり、税金の塊です。その見込み違いの責任を誰が取ると言うのでしょう。何やら、愚痴のオンパレードになってしまいました。たぶん建設的な提案の稿に続きます。

 

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2016年9月24日 (土)

3128 地震の季節?

何やら関東沖での「ナマズ」の動きが不穏です。考えてみれば、太平洋プレートが西方向に動いた3.11震災後、少なくともそれに接するフィリピン海プレートとの間に大きな歪が溜まっている事は間違いないでしょう。特に、大陸側のプレートである北アメリカプレートと、太平洋プレート、フィリピン海プレートの三者が接する「Y字三叉路」は、最も危険で、かつ地震の予測が難しい地点でもあるのでしょう。つまり、A:Bの関係を解析するのは比較的容易でも、A:B:Cの三者がどう動くかは、人間関係でも特に「三角関係」と言われるほど微妙なバランスの問題でもある訳です。大陸プレートの三角関係を、国土のすぐ近くに抱え、かつ国土の西半分がユーラシアプレートに載っている日本は、実はもっと複雑な「四角関係?」にあると言え、地震発生という点から見ると、世界的に見ても、稀に見る困った場所にある国だとも言えそうです。

3.11の様にあるプレート間で起こる大地震や断層で起こる地震は、互いに相関しながら比較的短い期間(例えば数年~10年程度)で、連続して起こる傾向があります。ある場所地震が起こって歪が解放されても、地殻が連続している事実を考えるならば、他の場所で解放されたのと同程度の歪が移動して蓄積されたと考えるのが自然だからです。思い浮かぶ歴史上の地震でも、例えば秀吉の時代に起こった「天正地震」と「伏見地震」は、互いに接した地域で10年ほどの間に連続して発生しているのです。

3.11から5年半経過した現時点ですが、追い打ちを掛ける大地震の発生に、心掛けだけでも備えておく必要がありそうです。以上は、今朝起きた時に感じた「胸騒ぎ」ですが、杞憂に終わればと思う一方、プレート間に溜まっているであろう歪を想像するにつけ、近い将来の再度の大地震は不可避なのだ、と覚悟を決めるしかないのかも知れません。

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2016年9月23日 (金)

3127 PBL

PBLとは、Project Based Learning、つまりは学生が実際のプロジェクトの課題を解決しながら学びを進める事をさす言葉です。それで何が良いかですが、何より「問題解決能力」が磨かれる事が挙げられます。全ての学問は、何らかの問題を解決するために存在する、と言ったらやや言い過ぎにはなるでしょうが、自然科学にせよ、哲学などの人文科学にせよ、あるいは環境学にせよ、やはり何らかの課題を抱えて進んできたと思うのです。それが、純粋に自然の謎であっても、人間社会の問題であっても、あるいは人間のココロや体の問題であっても、それらを解決するためにこそ学問が編まれてきた筈なのです。

学問のための学問、ましてや大学入試のためや、企業が人材を選別するために、ヒトをランク付けすることが目的の学問であってはならないでしょう。であるならば、PBLが教育現場でもっと重視されるべきだと思うのです。PBLで問題解決能力を向上させた上で社会に送り出された学生は、いわゆる「即戦力」そのものでしょう。何しろ、行政にせよ、企業にせよ、引き続き学問を究めるにせよ、問題は山積しているからです。山積どころか、問題は日々積み重なって、ますます巨大な山塊になりつつあると言えるかも知れません。

さて、学生にどんな課題を解決して貰いましょうか。もちろん、より大きな社会問題にガップリ取り組んで欲しいのですが、学生だからと言って、それが出来ない訳ではありません。大きな問題でも、問題を小分けに切り分けるか、あるいは大きな問題でも「部分的解決」を狙えば良いのです。例えば、少子高齢化問題と漠然と考えないで、大学周辺の限られた地域を一つのサンプルとして取り上げれば良いでしょう。また、エネルギー問題などと大上段に振りかぶらないで、例えば大学や家庭の「熱需要」に切り分け、電力を熱や冷熱として使っている割合を調べて、それを再生可能エネルギーで代替する、と言った課題に取り組めば、社会全体の敷衍できる可能性があるでしょう。具体的な課題とその取組み方については、稿を改めて取り上げることとします。

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2016年9月22日 (木)

3126 「先ず科学技術ありき」ではない

批判のための批判は書かないと決めたブログなので、以下はあくまで「指摘」に留める事としましょう。お国は、何やら「高速増殖炉」を廃炉にして、原発政策の方向を切り替えるのだとか。まあ、これは1兆円の勉強代を払って得た結論なので、お金の無駄使い問題は別にして、是としましょう。しかし、新たな政策の方向が「高速炉」なのだとか。これは、政策転換と言いながら、何か言葉の言い直しだけの様で納得できません。というのも、両者は基本的には同じモノだからです。原発は止めるが、核分裂炉による発電は続ける、と言っている事と何も変わりません。

ましてや、高速増殖炉は核技術の伝承のために必要であり、そのために「もんじゅ」の存続は不可欠だ、などとノタマウ文科省や科学者の合唱には、呆れるしかないでしょう。これは、完全に目的と手段の逆転の典型例と指摘するしかないのです。そもそも、高速増殖炉は、通常原発で増え続ける核廃棄物、取り分けアブナイ「プルトニウム」の処理のための手段として開発された筈です。出来たプルトニウムを再度燃料として燃やし、結果として分裂性の核種を投入量以上に増殖させる、という夢の(というより虫の良い)科学者の言い分を真に受けた、失敗作がもんじゅだったと切り捨てるしかありません

真の目的は、化石エネルギーに頼らない「安全」なエネルギー源の確保だった筈です。その手段の一つに過ぎなかった高速増殖炉が、上手く行かない事が明白になってからも、それに関わるステークホルダー(官、学、民)が無理やり維持してきたシロモノがもんじゅだった訳です。手段の一つに過ぎないと言う証拠は、もんじゅ維持の一方で、核融合というこれも「夢のまた夢の技術」の追求を、もう半世紀以上も続けていることを挙げるだけで十分でしょう。先端的な科学技術ありきではないのです。私たちは、真の目的に立ち返るべきなのです。その際「安全な」という冠詞は絶対に外してはならないでしょう。アブナイ核種を閉じ込める核分裂も、地上に太陽を閉じ込める核融合も、この冠詞を外してしまったアブナイ科学技術の代表だと言うしかありません。

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2016年9月21日 (水)

3125 絶対的湿度

このテーマは、環境屋としては特に気になるので、繰り返し考えています。通常気象用語で「湿度」という場合は、暗黙のうちに「相対湿度」を指しています。つまり、ある温度での飽和蒸気状態を100%湿度と定義し、その実際の蒸気量を百分率で表現する訳です。しかしながら、最近の降雨の状況を眺めるに、投稿者は最早この定義では説明できないのではないかと疑っています。もしかすると、湿度100%を超えて、過飽和状態になった大気が、一気に水分を放出しているのでないか、と疑われるのです。

過飽和という、通常ではあまり見られない現象は、もちろん条件が整えば、観察できる場合もあります。飛行機雲は、過飽和状態にある高空の大気が、航空機が作る渦(タービュランス)によって、急激に凝縮し雲を作るという現象なのですが、晴れて放射冷却によって上空の大気が冷やされた日に多く観察されています。しかし、熱帯性の低気圧や台風の場合は、別のメカニズムで過飽和蒸気を抱えながら北上してくる様なのです。通常の場合は、水蒸気が凝縮して降雨となる場合は、気化潜熱が凝縮によって放出されるため、発熱現象になるのですが、一方で高い温度の海面から、水蒸気が大量に供給される結果、昇温と水蒸気供給の循環により、結果としてかなりの過飽和状態になっている事が推定できそうです。

過飽和状態の低気圧や台風が、陸地に接近すると、陸上には人間の活動から生れる微粒子(エアロゾル)がありますし、地形の影響から生れるタービュランスによって、過飽和状態の大気から一気に雨滴が凝縮する、いわゆる集中豪雨、更には記録的短時間豪雨となるのではないか、と推定しているのです。これが正しいかどうかは、専門家の詳しい研究を待たなければなりませんが、いずれにしても私たちは、かつての異常気象が通常の気象となりつつある「異常状態」に、ますます注目して行く必要がありそうです。その場合のキーワードが、過飽和状態もカバーする絶対湿度だと思うのです。

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2016年9月20日 (火)

3124 汚いエネルギー

これは、言わずもがなですが、原子力エネルギーの別の呼び方です。元々、開発の動機が不純でもあります。原子炉は、当初半年間も浮上しないで動き回れる原子力潜水艦の動力源として開発されたのでした。一方で、陸上の発電所、いわゆる原発は、使用済み燃料棒から、プルトニウムという原爆の材料を取り出す事も主要な目的として数多く建設されたのでした。その結果、何が起こったかと言えば、全部で7000発とも8000発とも言われる、大気圏や地下での原爆実験だったのです。1960年代、地球上の放射能レベルは、歴史上最大値を記録したのでした。

さて、原発です。核分裂の結果、原子炉から放出される、種々の危険な「核種」を遮蔽するために、ジルコニウム合金のシース(鞘)、その周りの水、更に厚さ100㎜前後の鉄製の圧力容器、これらは更に厚さ数メートルにも及ぶコンクリート製の格納容器に納められているのです。これだけ、厳重に遮蔽されているのは、核分裂が如何に汚い反応であるかの証左と言えるでしょう。だからこそ、原発の所在する自治体では、いざという事態を想定して「避難シナリオ」を準備し、訓練を重ねる必要も出てくる訳です。原発の本家本元のB国でさえ、十分安全な避難シナリオが立てれないと言う理由で一部の原発が廃炉に追い込まれていると言うのに、はるかに狭い国土に50基前後の原発がひしめきあっていて、しかも地震大国であるこの国では、相次いでの原発再稼働が予定されているのです。

最早何をかいわんやです。私たちは、一日も早く原発を放棄して、廃炉作業を加速すべきなのです。原発を放棄すれば、それを補うための再生可能エネルギー産業が必要となり、新たな需要や産業=雇用が拡大する筈なのです。誰が一体、頭の固い原発主義者の頭に冷水を浴びせるか、あるいは鉄槌を下してくれるのでしょうか。福一の過酷事故だけでは学習が足りなかったとでも言うのでしょうか。景気刺激より先ずは、安寧な暮らしを優先すべきである事を何故言い続けないのでしょうか。3.11から5年半過ぎました。この国の人々は、75日も過ぎれば怒りを忘れ、750日?(数年)も過ぎれば、辛さも痛みも完全に忘れてしまう性向がありそうです。残念ですが・・・。

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2016年9月19日 (月)

3123 VPP2

続きです。VPPがエネルギー問題のベストソリューションという訳ではありません。それどころか、これは単なるピークカット手段の一つに過ぎないと考えるしかありません。というのも、VPPの前提が、「エネルギー問題=電力供給問題」になっているからです。ボルタやエジソンや、日本の電力網を築いた先人は確かに偉大ではありますが、一方では私たちは知らず知らずの間に「電気中毒」という病に冒され続けてきたと思うからです。電気中毒とは、全ての機器を電力エネルギーを動かし、熱を作り、IoTで通信を行わせ、自動で快適な暮らしが最上だと思い込む病を指します。別名「便利中毒」とも呼べる病でもあります。私たちは、ついに自動運転の車まで実用化しようとしているではありませんか。

自動運転の電車ならまだ理解できます。実際、この国で殆どの電車はATCでコントロールされており、運転士のミスを自動でカバーしてくれる様になっています。もちろん、カーブでの過大な速度まで完全に補正してくれるまでにはまだ時間は掛かりますが、少なくとも衝突や追突の心配はないでしょう。しかし、車は違います。1台の車が、どの様な角度でハンドルを切るか、あるいは道路の状況に応じて、その様な速度で走るかは、実は無限大の選択肢がある筈です。それを、どの様なカメラで、あるいはセンサーで検知、その情報をどの様に処理して、車の運転をコントロールするかを、ただ1台のコンピュータに任せるのは余りにも「危険な賭け」というしかありません。電気自動車の動力は電力です。ガソリン車のメリットは、と言えば、それは運転者が意識を失ってアクセルから足を離したら、車は自動減速を始めると言う点でしょうか。しかし、自動運転の電気自動車のコンピュータが暴走した場合にはその限りではないでしょう。

私たちの正しい選択肢は、多分エネルギーの多様化だと思うのです。エアコンをガンガン使って、その結果ピークが立ってしまった電力の供給を心配するのではなく、例えば「デシカント(除湿)冷房」や太陽熱なども利用して、電力を可能な限り使わないアプローチを探すべきなのです。投稿者は、今自分の家を使って、その実験を行うべく準備中です。その結果については、このブログでも折に触れて紹介していく事といたします。

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2016年9月18日 (日)

3122 VPP

VPPとは、Virtual Power Plant(仮想発電所)の略ですが、つまりは蓄電池などで深夜電力を蓄えておき、日中のピーク電力時にそれを放出して、発電所の発電能力を抑制しようというもので、ピーク電力が小さくなる分発電所投資が抑えられるので、原発の縮小政策にとっても追い風となる良い方向だと言えるでしょう。とは言いながら、それを大規模なものとして、例えば発電所に併設するか、あるいは中規模のものを変電所レベルにおくか、あるいは完全に分散化して各事業所や各住宅に設置するのかは、重要な問題だと思うのです。

先ず課題をどうとらえるかですが、それが真夏の日中に立つ冷房負荷を中心とした数時間のピークに対処するものであれば、例えば車のバッテリーに毛の生えた様な小型の蓄電システムで十分でしょうから、投資は最小限で済むでしょう。各戸にバッテリーとインバータがセットになったものを配置すれば良いので、比較的簡単にピークカットが出来そうです。しかし、更に踏み込んで、昼と夜の負荷を均して平準化を図ろうと目論む場合には、バッテリー容量は、電気自動車に近いものとする必要があるので、投資額は一桁大きくなりそうです。

もちろん、そんな面倒な事をしないで、もっと規模の大きな蓄電システムを電力会社の投資によって建設すれば良い、と考える人も居るでしょう。いずれにしても、投資を負担するのは消費者自身であることには変わりないので、自分で投資するか、あるいは電力料金としてそのコストを「分割して」負担するかの問題となるでしょう。とは言いながら、小規模分散システムの方が、実際に消費家が電力会社から買う電力量を減らせる訳で、いわば根本的な手段に近いとも言える訳です。もちろん、これに小規模な分散型太陽光発電を組み合わせるのがベストである事は言うまでもありません。続きます。

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2016年9月17日 (土)

3121 技術慣性

慣性という言葉は元来物理用語です。もちろん、そうでない社会現象などでも喩えとして用いられる事はありますが、ここでは特に「巨大技術」について考えてみます。そもそも、巨大技術とはナショプロに俎上する様な大規模な技術を指しますが、具体的な例としては、核融合技術、宇宙ステーションとその関連プロジェクト、高速増殖炉、かつての一連の発電用原子炉実用化技術、核燃料サイクルなどなどが挙げられます。そこに共通する要素として、多額の国費の投入という事実があるでしょう。つまりは、国策プロジェクトである訳です。人間は、多額のお金を注ぎ込むと、それが惜しくなってくる様です。例えば、高速増殖炉には、1兆円を超える国費が費やされたと言われていますが、多くのトラブルを抱えながらも「廃炉」の決断が出来なかったのは、お金の慣性が強かったに違いありません。

この国には、似たようなナショプロも多かった様に振り返っています。投稿者が思い出すだけでも、まず原子力船「むつ」が挙げられます。原子力潜水艦が存在しながら、その原子炉を載せた商船が実現できなかったのは、技術的には実現可能ではあっても、その船が着岸できる港が無かったからに他なりません。港のある地域の住民が、原子力船の入港を忌避するのです。同様のリアクションは、米国の原子力空母や原潜に対しても示されたのでした。では、人工の太陽を目指す、核融合炉はどうでしょうか。これは、技術的な困難のために数十年にも亘って、巨額の国費を注ぎ込みながら、未だ慣性の目途は立って居ない様ですが、これも今更中止すると言う選択肢は、考えられない話なのでしょう。リニア新幹線は、無理やり感はありますが、どうやら実現に向かっている様で、宮崎の実験線、山梨の実験線や実験に投じた税金が無駄になるのは避けられそうですが、これは路線のインフラは巨額に上るのでしょう、車両自体の価格は航空機とあまり変わらないのが幸いしたのでしょう。

結局、技術的な慣性とは、そのプロジェクトに注ぎ込まれた税金の多寡によると言えそうです。1億円や2億円のプロジェクトであれば、見込が立たなければ中止するのも容易ですが、数百億や兆円という単位になると、そのプロジェクトに関わっている役人や従事者の「生活」も掛かってくる訳で、急には止まれなくなる訳です。それは、車は数十メートル停止できるでしょうが、列車であれば数百メートル、大型船に至っては1㎞ほども、その慣性による空走距離が必要となるのと似ています。

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2016年9月16日 (金)

3120 豊洲雑感

東京BSの展示会などを冷やかす時には、時々東京駅から銀座、築地を経由して、今話題の新しい豊洲市場の横を通って、7-8㎞ほどを歩きます。豊洲は、隅田川の河口の浅瀬を埋め立てた「埋立地」であることは、そこを歩いてみればすぐ分かります。埋立地には、先ずは岸壁を築き、そこに浅瀬を浚渫した砂や砕石を入れ更に山を削った山土で覆って、埋立地が出来上がります。新豊洲市場の不運は、そこが石炭ガス工場の跡地だったという事でしょう。石炭ガスを作る過程では、種々の(有害な)副産物も出た事でしょう。それを利用した化学物質も作られた筈です。かつて、ルール地方には巨大な石炭産業が存在しましたが、その跡地は土壌汚染のため、多くが再利用されないままに放置されている光景を見たことがありました。

そうです。土壌汚染の回復は、非常にコストの掛かる作業なのです。覆土工事は最も単純ですが、その土砂を何処から掘り出して、それをどうやって運搬するかはコスト上の大問題です。その他に、地下に大電流を流して、有害な化学(有機)物質を短時間で分解してしまう方法もありますが、この方法で重金属類も除去できる訳ではありません。コンクリート箱作戦は、その意味では、空洞の部分の土砂の運び込みが節約できるというグッドアイデアではあった訳ですが、ベストソリューションという訳ではありません。というのも、コンクリートと言えども、通常は完全な水密、気密材料ではないので、地下水も、気化した化学物質もある程度は透過してしまう訳です。もちろん、緻密で水密を確保できるコンクリートも存在はしますが、当然の事ながらそのコストは、数倍に跳ね上がることでしょう。

結局、コンクリート箱作戦は、セカンドベストではあると言えるのでしょうが、それが密室で決定された事に何か(政治的)胡散臭さを感じずにはいられないのです。今の広報で、完全覆土に比べてどれほどのコストが節約できて、その分をコンクリート箱にした事によって、誰が得をしたのか、豊洲市場が安全に使えるかの検証と同時に、密室での暗躍や決定にもグサリとメスを入れる必要がありそうです。

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2016年9月15日 (木)

3119 ErP(環境設計指令)

EUは、地域全体に波及すべきルールとして、多くの指令(プロトコル)を発しています。環境関連だけに絞っても、製品に含まれる有害物の排除(RoHS=例えば鉛ハンダなどの禁止)はもちろん、化学物質の使用制限に関するもの(REACH)、家電や車や容器のリサイクルに関するもの(WEEEELVなど)、省エネに関するもの、生物多様性の保護に関するものなど枚挙に暇がありません。その背景には、危険なものや人体や環境に有害なものは、EU地域に入れない、持ち込ませないと言う「大原則」があると思うのです。

ErPは、その中では新しいプロトコルで、初期に作られたプロトコルの多くが、規制を目的とするものであったのに対し、新しいプロトコルは、いわゆる将来に向けた「指針」になりつつあるのは、日本における公害と、公害関連の法制のイタチゴッコの歴史にも通ずるものがあります。つまり、環境悪化などの問題が起きて、慌ててそれを防ぐための「規制法」が作られるという時期があって、その後は徐々に産業や消費者を望ましい方向に誘導するための「指針法」、例えば○○基本法と言った名称の法律が整備されてくる訳です。

さてErPです。これは、製品を作るための原材料調達に関わる環境負荷を始め、製品の使用に関わる環境負荷(例えば省エネ性能)、使用中の保守性や使用後のリサイクル性まで、いわゆる製品の揺り篭から墓場までに、「環境負荷の低減」や環境の持続可能性への配慮をした設計を求めるもので、現在の完成度は別にして、製造業全体を規制する究極の指針法とも言えるものと言えるでしょう。残念ながら、この国にはこの様なプロトコルを作る機運も、社会的背景も見られません。言葉だけですが、この国が世界に冠たる「環境先進国」であるという「間違った思い込み」が、方向を誤らせている様に思うのです。続きます。

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2016年9月14日 (水)

3118 CE(循環経済)

アルファベットの略語が続きます。CEとはサーキュラーエコノミー(循環経済)の略です。この国でも、リサイクルの美名のもと、金属やPETや紙などが、マテリアルリサイクルのルートに乗せられて、循環しています。循環というのは少し言い過ぎで、PET以外の殆どのプラスチックは、異なった種類の材料が混入するため、完全な原料に戻す事は出来ず、プラスチック混合物として、例えばプラスチックパレットやプラチックコンテナなどとして、一方通行のリサイクルルートに流れているのが現状なのです。

プラチック製品や容器には、確かにPEPPPSなどとプラスチックの種類は明記されてはいますが、PET以外のプラスチックには着色のための顔料や、成型を容易にするための可塑剤などが、特に決められたルールもなく混入されています。これが、容器やプラスチック製品を純粋な原料に戻す事を阻害している訳です。

さて、CEを推進しているのは、やはり環境先進地のEUです。EUCEで重視しているのは、「耐久性」、「修理可能性」、「リサイクル可能性」ですが、その前提として、環境配慮設計(エコデザイン=ErP)があるのは言うまでもありません。ErPについては稿を改めます。加えて、リサイクル率を高めるため製品を構成する部品個々に、材料の表示を義務付けているのです。その上で、リサイクルに関して、初等教育の段階で子供達にリサイクルの必要性と、具体的方法を教え込んでいるのです。

結局、CEを実現するために、上流の原材料メーカーから、製品メーカー、流通、消費者に至るまで、循環型社会の糸をピンと張る必要があるという事でしょう。単に、循環型社会の実現とか、3Rの推進とか、掛け声だけの計画は終わりにしなければならないのです。必要な行動は、綿密な制度設計と、それを守らせるためのアメ(インセンティブ)と少しのムチ(ペナルティ)、何より幼児期からの環境教育でしょう。ErPについては続きます。

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2016年9月13日 (火)

3117 MA&Mその3

保守作業で最も重要なものは、実は清掃なのです。取り分け、熱交換を伴う設備・機器においては、熱交換面の清掃こそが、初期の効率を維持するためには、最重要作業だと言えます。しかしながら、熱交換を良くするために熱交換面は凸凹になっていたり、更にはフィンが植えてあったりする訳です。という事は、平滑な面の清掃に比べて、伝熱面の清掃はかなり困難であると言えそうです。加えて、コストの制約から、多くの機器においては、汚れが蓄積しても、それを効率的に清掃するための設計が欠如しているものさえ散見されるのです。

伝熱面を清掃するためには、スケーラやワイヤブラシと言った機械的な方法の他、石油系の溶剤や界面活性剤を加えた水(温水)あるいは、酸やアルカリに傾けた水(温水)で洗う必要があります。伝熱面の内部や外部を流れる流体(ガス)の種類によって汚れの種類も程度も千差万別です。加えて、完全な洗浄のためには、その設備やプラントを完全にシャットダウンする必要もあり、それは経営者にとっては余分なコストだと感じてしまうでしょう。プラントをシャットダウンした上に、清掃のためのコストの負担は、多くの経営者に忌避される作業なのです。従って、設備は、たとえ効率の低下が生じたとしても、出来れば壊れるまでは使い続けたいと言う誘惑からは逃れられないのです。

そうではなくて、全ての設備や装置には、年間に取得価格の数%(1-3%)は保守費用として予算を組む必要があるのです。もし、ある設備をシャットダウン出来ないならば、一見無駄にも見えますが、予備として同じものをもう1台準備する必要があるのでしょう。しかし、これは大きな無駄にはつながりません。これによって、設備を常に新品同様の高い効率で動かす事が出来ますし、それぞれの設備は手入れが行き届く結果、設計寿命以上の長きに亘って使い続ける事も可能になるのです。この項終わります。

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2016年9月12日 (月)

3116 MA&M2

設備や機械の適切な保守は、実は省エネルギーにもつながります。多くの設備や機械においては、その性能は経年に従って低下します。動くものであれば、エンジンや油圧装置など可動部のある者は、その部分の抵抗が増えて、エネルギー効率も低下するからです。また、ボイラや空調機や熱交換器など、エネルギーの授受を行う設備においては、汚れが蓄積するとやはり効率が低下するのです。

摩擦抵抗を減らすのは、「潤滑油」です。動く部分のある機械には、例外なく潤滑油が施されているのです。サラサラのタービン油を強制的にポンプで回すタイプ、機械が動く事によって潤滑油が滴下する様に仕組まれるタイプ、あるいはグリスの様に半固体の潤滑油を予め仕込んでおくタイプなど、単独であるいは部位によってそれらを組み合わせながら、潤滑が行われているのです。摩擦を低下させることを目的とした学問を、トライボロジィと呼びますが、残念ながらこの学問はそれほど重要視されていない様な気がするのです。技術屋のカンですが、もし世の中の全ての設備や機械を、トライボロジィの専門家が診断し、潤滑を最適化したと仮定すれば、この国で使っているエネルギーの10%ほどは間違いなく節約可能だと見ています。

潤滑を要する面は、互いに限りなく凸凹を無くさなければなりません。ボールベアリングであれば、内外のレース面やボールは、限りなく鏡面に近いものでなくてはなりません。寿命が近くなったベアリングでは、その面が荒れてきて、あるいはフレーキングが生じて、回転音に異常が生じます。かと言って、平面同士が擦れ合うスライド面においては、互いに完全な平滑面であることは逆に有害になります。この場合は、面と面の間に潤滑油を溜めておく「ポケット」が必要なのです。それは手で触っても感じるかどうかという非常に浅いものでありますが、不可欠な凸凹でもあるのです。その凸凹を機械加工だけで作るのは実は難しく、未だに「キサゲ作業」という職人技に頼るところが大なのです。更に続きます。

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2016年9月11日 (日)

3115 MA&M

アルファベットの略語が続きます。これは、MA?とは全く無関係の投稿者のオリジナル造語です。最初のMは、Monitor(監視)、AAnalysis(分析)、次のMMaintenance(保守)のそれぞれの頭文字です。全ての企業や、企業に限らず、自治体や一般家庭だって、何らかの設備を使用しているでしょう。インフラだって、例えば発電設備やガス・水道、道路関連にも設備は組み込まれています。それらの設備は、経年に従って、あるいは突発的な事故によって劣化したりして、やがて動かなくなるのです。しかし、手入れの悪い設備や機械は、それが造られた時に想定された「設計寿命」に比べ、実際の廃棄までの期間がかなり短くなっているのです。

原因は、まぎれもなく日常の手入れを怠った結果である事は間違いありません。手入れとは、何なる掃除ではなく、潤滑油の交換、寿命部品(例えばボールベアリングなど)の交換、更には電気関係の絶縁状態の確認・清掃、燃焼機器(ボイラなど)や熱交換器などの伝熱面の清掃、水流による管路などの腐食、そして何より鉄鋼などで造られている構造の経年腐食などへ、対応し、それを補修しながら、上手く使い続ける事を指します。

何処をどの様に低入れすべきかは、実はメンテナンスマニュアルに書かれている筈ですが、多くの場合は、単に潤滑油やフィルターの交換時期、その他の安全上の注意書き程度でお茶を濁しているものも多いのです。そこで、必要な事が、「(常時)モニター」なのです。設備や機械の重要なポイント、例えばモーターやポンプの軸受温度を常時モニターしておけば、もし軸受が摩耗してきた場合には、その温度が上昇傾向になる事で、寿命が近い事が判断可能です。あるいは、回転機械であれば、その機械が持つ通常時のノイズレベルをモニターしておけば、異常時にそのレベルが大きくなる事で事前にそれに気が付くでしょう。

その変化を、「分析」すれば、どの様な手を打つべきかが速やかに判断できる筈です。そこで、保守(補修)の出番です。そのためには、日頃使っている設備や機械の構造にも明るくなければなりません。使いっ放しの機械は、点検口やカバーを止めているネジ類もすっかり錆びつき、それを緩める事すらできなくなっている可能性もあるでしょう。そうならないためには、日頃から設備自体の外側の清掃や、ペイントの塗り直しなど、日常の手入れ(清掃)も怠ってはならないのです。MA&Mを上手く実行しさえすれば、多くの設備や機械は、少なくとも設計寿命の2倍は使える筈なのです。

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2016年9月10日 (土)

3114 ESG

これは、E(環境)、S(社会)、G(ガバナンス)という言葉の頭文字を並べた言葉です。想像できる様に、この言葉は主に企業経営に向けた戒めのキーワードだと言えます。さて、「環境」です。これは、10年近く書き連ねてきたこのブログの大テーマでもありますが、このKW抜きに、今後の企業経営は語れないでしょう。温暖化や資源・エネルギー源の枯渇や、環境汚染、更には廃棄物処理場の逼迫や生物種の絶滅まで、多くの環境危機が叫ばれながら、未だに小手先の対策に留まり、有効な手が打たれていないのです。何は無くとも、企業経営の理念の最初の一つに加えて貰いたい文言の一つなのです。

次に「社会」です。企業が「社会的存在」である事は、論を待ちません。どんな企業であれ、その存続は、社会的な存在である顧客や、顧客が形成する市場に依拠しているからです。少し前の(かなり前?)右肩上がりの時代、企業の経営者は主に株主の方を向いて、利益至上主義の経営だけでもどうにかやって来れました。しかし、これからの時代、企業は単に顧客や市場のみならず、その背景としての社会に向き合わなければならないと思うのです。具体的に言えば、たとえささやかではあっても、企業利益の一部を社会へ還元していく必要があると言う事です。少し前、SCR(企業の社会的責任)というKWが叫ばれましたが、ここでの「社会」との繋がりは、それよりはかなり深く、広く捉えて行く必要があるのです。つまり、単なる金銭的な還元に留まらず、企業の立地する地域の環境改善を含めて、製品や企業活動の中身そのものが、社会貢献に向き合っている必要があると言う事なのです。

「ガバナンス」とは言うまでもありません。企業経営という言葉では、あまりにも意味が狭いのです。つまり、「経済的営み≒利益確保」しか見ていない言葉だからです。経営者は、自分の、あるいは「経営する」企業の「腹」を全てさらけ出しても誰に恥じる事の無い「ガバナンス」を目指すべきだと思うのです。もちろん、企業経営などした事もない投稿者ですから、胃に穴が開く様な経営の労苦は想像するだけなのですが、それにしても少なくない企業の「呆れるしかない企業」の報道に触れる度、ガバナンスの不在を感じずには居られないのです。たぶん続きます。

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2016年9月 9日 (金)

3113 ブルーマウンテン戦略2

大きな変化には馴染まないこの戦略には、他にも原則が必要となりそうです。物理現象の表現の一つに「準静的変化」というものがあります。これは、敢えて言うなら、変化している事に気が付かない程の変化、とでも言えるでしょうか。荒っぽい変化は、軋みや歪を生み出しますが、経済活動に携わる人々も、大衆も、殆ど気が付かない程の経済政策があるとすれば、それこそが「準静的政策」の例になるでしょう。もちろん、あの人の何とかミクスとは対極にある政策と言えるでしょう。この政策を実現するには、最終的なゴールを見定め、そこに向けたベクトルを定めた上で、しかし非常にゆっくりしたスピードで、少しずつ手を打って行くしかないでしょう。スタンスを低く構えて、ひたすら気を長く持つしか方法は無さそうです。それは、今の数年毎に部署が変る様なお役所の人事プラクティスでは、到底実現不可能だと見るしかありません。

ブルーマウンテン戦略には、気が遠くなるくらいの時間に亘る「継続」が必要なのです。まさに、「継続こそ力」なのです。力技を使った変化ではなく、塵を積もらせて山を作る戦略だと言い直しても良いでしょう。都合により今日は短めで切り上げます。

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2016年9月 8日 (木)

3112 ブルーマウンテン戦略

3111で勝手に「ブルーマウンテン戦略」なる言葉を作ったので、もう少しこの言葉の意味を強調しておきます。この言葉の背景には、暗黙のうちに「変らないものにこそ価値がある」というコンテキストがあると思うのです。縄文・弥生の時代に遡ったとしても、人間の営みや価値観を眺めてみれば、現代と何ら変わらない部分も多いでしょう。衣食住、家族やコミュニテイとの絆、善悪の基準、パートナーを得た喜び、子が生まれた喜びと死に分かれる悲しみ、労働の満足感、などなど・・・。

一方、大航海時代を経て、新しいフロンティアの開拓、宗教にも関わる戦争や飢饉や疫病に追われる形での民族の大移動、ほぼ同時に資源やモノやカネの大量移動=流動化によって、経済のオーシャンも急速に拡大したのでした。しかし、無限に広がると思われたこのオーシャンは、実は有限であることが、近年の経済の行き詰まりであることが露呈したのです。それは当然の事だと言えます。何故なら地球のサイズが有限だからです。実際の大洋が有限である様に、人間の流動的な営みを指すオーシャンも有限なのです。

しかし、どの様な時代になっても、大自然や人間の営みの「基本的は部分」は変らない筈なのです。私たちは余計な荷物を背負いこみ過ぎていると思うのです。変わりゆくもの(オーシャン)を取り除いてみたと想像して、そこに残る「地殻」こそが、マウンテンの本質なのでしょう。その基本的なニーズを満たす営みで、既に捨て去られてしまったか、忘れられてしまった部分が「ブルーマウンテン市場」だと言えるでしょう。ここでの市場は、経済用語で言うところのマーケットの意味ではない事は確かです。ローカルの市場(いちば)を指す言葉として使いました。つまりは、大きなマーケットに対する経済活動ではなく、市場(いちば)に対する生業(なりわい)という関係を。示したかったのです。税金を注ぎ込んで、「何とか特区」をいくつも作るだけが地方創生の戦略であってはならないでしょう。地域で回る小さな営みを応援し、その地域ならではの気候や資源や伝統の技を活用した「スモールビジネス」を数多く育てる戦略でなければならないと思うのです。それに近い考え方を「里山資本主義」などと呼んだ人も居ます。続きます。

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2016年9月 7日 (水)

3111 マウンテンとオーシャン

このブログを書き始めた当初より、貫いているスタイルがあります。それは、単なる自分の行っている事の報告ではなく、また誰かの批判に陥る事もなく、可能な限り将来社会に向けた「提案ブログ」にしようと努めてきたつもりなのです。今の社会は、確かに矛盾に満ちてはいますが、そんな事は今に始まった事でも何でもなく、何時の時代にも人の集まる事によって出来た、コミュニテイや社会や国は、欺瞞に満ちており、理不尽がまかり通ってきた筈なのです。そうでなければ、一揆やデモや紛争や革命などが頻発する筈がないのです。

民族や国家間のパワーバランスの崩れや、宗教観のすれ違いは、紛争に留まらず、大きな戦争も引き起こしてきました。それもこれも、結局は人々が地に足を着けて、地域の資源に依拠して、慎ましく暮らす事を止め、言葉だけは恰好が良い「国際化」、「グローバル化」の美名のもとに、モノ、カネ、ヒトを過度に流動化させてしまったのが、現代社会の多くの矛盾の根底に横たわっていると思うのです。

この状況を表すのにピッタリの言葉があります。それは「マウンテン」と「オーシャン」です。マウンテンとは、多分何億年にも亘って、あまり姿を変えずにそこにどっしりと座り続けて居る「変わらないもの」の象徴であり、オーシャンとは気象や海流や洪水などによって常に変化し流動する「変わり続けるもの」の象徴でもあるのです。最近マスコミで取り沙汰されるKWとして「ブルーオーシャン」などと言う、耳に心地よい言葉もありますが、「ブルーマウンテン」という言葉はコーヒー銘柄?以外では目にしません。誰も(競争相手の)居ない市場を探すも結構ですが、地に足を着けて地域資源(産物)、地域エネルギー、地域市場に注目して、地域でお金の回る仕組みを「再度」取り戻していく、「ブルーマウンテン戦略」こそ重視されるべきだと強調したいのです。またそれが、本当の意味での「地方創生」政策の中身でなければならないでしょう。

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2016年9月 6日 (火)

3110 このブログ

この、いつ終わるかも分からないブログを書き始めた頃の事を思い返しています。始めたのは、2006年の夏だったのですが、その少し前、55歳になった日を一応の区切りとして、サラリーマンを完全に辞めて、自営業(フリーランンス)になった記録として、このブログを書き始めたのでした。名刺に書く職業として何を書くのか迷いましたが、自営業の中身は「環境屋」と決めていましたので、2003年に資格認定された「環境カウンセラー」としました。その肩書はもちろん世間に認知されたものではなかったので、仕事の中身を顧客(候補も含めて)何度も説明しなくてはならなかったのです。とは言いながら、何をどうやれば仕事として認知され、お金がいただけるのか、全くの暗中模索でもあったのです。

自営業と言っても、毎日仕事や問い合わせの電話が掛かってくるわけでもないので、取り敢えず企業からの省エネ相談や、環境カウンセラーとしての学校や市民向けの出前講座には、積極的に手を上げて講師を務めました。自分から営業活動をする訳ではないので、中小機構や県や商工会の専門家派遣制度に登録して、連絡が入るのを待ちました。環境省が認定する「エコアクション21」の審査人にも合格してからは、企業の環境経営システムの審査が少しずつ増えていきました。サイドビジネスとして、特許関係のアドバイザーに応募して2年ほど採用されましたが、それなりに特許の勉強と、それなりの生活の支えにはなった様な気がします。

しかし、やり甲斐を感じたのは、企業や自治体などの省エネ診断と助言をしている時でした。エネルギーの無駄を熱診断と電力診断を通じて見つけ出し、自分のアイデアで省エネに取り組んで貰い、それなりの「結果」が出た時はささやかな謝金しか貰えませんが、それ以上の喜びを感ずる事が出来ました。何度かの省エネ診断・支援を通じて、自分なりの理論や手法を確立して、必要な計測機器も徐々に買い揃え、徐々に自信を持って助言が出来る様にもなったのでした。その一方で、仕事を通じて感じた事どもを「このブログ」に書き残す事で、自分がフリーランサーとして行った事の記録として「環境屋(環境おじさん)」の「環境ブログ」を書き続けてきたのでした。旅行移動などで抜けた日もありましたが、一応毎日書く事をノルマとしてきましたので、3650回目のブログが満10年の区切りとなる計算です。今のところ、何とか途切れること無く書き続けてはいます。

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2016年9月 5日 (月)

3109 異常気象が止まらない

昨日もNスぺで、止まらない極地域の温暖化と、融けた永久凍土から放出されるメタンガスの放出によって加速される更なる温暖化のリスクが放送されていました。何より、北半球の気象に直接影響を与える北極海とその周りの凍土地帯の温暖化は、間違いなく極を取り巻くジェット気流に影響(正確にはその風速の低下)を与えるでしょう。風は、強く吹いている時には直進しますが、風速が低下した時には、地上の地形などの影響を受けて「蛇行」するのです。

実際、先日東北地方に上陸して甚大な被害をもたらした台風は、日本海に渦巻いてた蛇行ジェット気流に引きずられて、異常なコースを進んだのでした。しかし、もはや夏場のジェット気流の蛇行が日常となってしまった感のある昨今では、それに支配される中緯度地域の異常気象も加速すると考えねばならないでしょう。ますます、暖かくなる海水温と、蛇行するジェット気流に操られる低気圧や台風が、湿潤な空気を一気に陸上に送る結果、時間100㎜を超える様な豪雨やヒョウや落雷の多発と言った、激甚な気象現象が日常茶飯事になると予測されているのです。

そうなると、20世紀では普通だった海抜が低い海岸部と都市に、人々が集中して住む、というライフスタイルを見直さざるを得なくなる様な気がします。未曾有量の短時間豪雨は、地下鉄や地下街を非常に危険な場所にしてしまいますし、頻発する落雷は、電子機器や通信を無力にしてしまうかも知れません。どの様に考えても、私たちは田舎に分散して住む様な社会に再度戻らなければならない炉思うのです。とは言いながら、今回の台風がいみじくも証明してしまった様に、谷合の山間部も危険を内在しているのも間違いありません。自分が住む場所を決める際には、「異常気象を前提に」、その上で「地形を読んで」家を建てるべきなのでしょう。

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2016年9月 4日 (日)

3108 山の津波2

3107の続きです。今回の台風による水害ですが、特徴的なのは川の水が急速に盛り上がり、数十か所で堤防を易々と超えてしまった事です。というのも、東北や北海道の河川の堤防は、豪雨の多い東海以西の河川とは、明らかに水準が低く設定されている様なのです。それは、平均降雨量も時間降雨量も、想定水準が低く設定されているからなのでしょう。加えて、東北・北海道の山々は、深い森林に覆われていて、雨や雪解け水をコントロールしながら流してもくれるのです。

しかし今回の未曾有の豪雨です。報道のインタビューでも、かなりの年配の人が「経験した事の無い程の豪雨」だったと答えていました。

多くの自然現象には「しきい値(限界の様なもの)」というものが存在し、それを超えると事態は破局的に急変(多くの場合は悪化)するのです。森林に降った雨の量が、森林がコントロールできる限界を超えると、抱えきれなくなった水は、一気に川に流れ込むでしょう。その量が、川と堤防の高さで決まる流量を超えると、氾濫原に流溢するのです。現在、川の両岸で人の住んでいるエリアは、結局最後に出来た氾濫原である筈で、それが何百年前かは分かりませんが、その時代も、最近の気候の様に、気温や海水温が高く多雨の時代だったのかも知れません。

いずれにしても、ここ最近の気候は、明らかに20世紀後半の気候とはかなり異なってきていて、温暖、多雨であるばかりでなく、どうやら気象変化そのものが過激になってきている様なのです。どうやら、最近の気象は20世紀後半の気象ではしきい値と考えられていたポイントを、易々と超えてしまう様なのです。その真の原因は、単なる温暖化なのか、それとも複合的な原因なのかは。いまだはっきりとは解明はされてはいませんが・・・。とは言いながら、私たちはこれからも起こるであろう災害に対処するための「構え」を平常時に準備しておかなくてはならないでしょう。何しろ、今後は、今回の様な異常気象が日常的に発生すると考えなければならないのですから。

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2016年9月 3日 (土)

3107 異常台風と山の津波

よく山に登ります。登山口へのアプローチでは、山間の幅の狭い川に沿った道を、クネクネと辿る事が多いのです。その道すがら、かなり山深い場所でも、狭い平地があると小さな集落が現れます。その昔は、子供の姿も見られたのでしょうが、今は高齢化が進みひっそりとしているのが普通です。しかし、考えてみれば川沿いの道に平地が現れるという事は、地形的にはそこは「氾濫原」であった事の証左に他ならないのです。そこは、太古の昔から、それこそ何度も何度も洪水に見舞われ、岩や砂利や砂が堆積して、今の姿になった筈なのです。

山は高い場所は自然林に、道から比較的近い場所は人工林に覆われているのが普通ですから、少々の雨で洪水が起こる事は無いのですが、今回の様に東北、北海道にしては、未曾有の集中的な降雨によって、森林の保水力を超えた量の水がドッと川に流れ込んだのでした。その結果、氾濫原が新たな土砂でリセットされてしまったという状況でしょう。

何故、東北日本では、西日本に比べて降雨量が少なかったのかと考えれば、それは海面温度に関係があるとするのが普通でしょう。台風の雲が持ち込んだ湿気の貯金は、進路途中で降らす雨量が多くなるにつれて、急速に減ってしまいます。しかし、今回はかなり高い緯度まで、高温のままであった海面から、たっぷりと湿気を供給され続けた台風が、直接東北地方に上陸し、雨雲が北海道にも掛かった結果、今回の様な予想を大きく超える災害につながったと思われます。

私たちは、今後台風に向き合う時、これまでの「常識」を捨てる必要がありそうです。これまでの常識とは、台風は台湾辺りの緯度で発生し、暖かい南の海で発達しながら北上して西日本に接近し、やがて偏西風に流されながら日本列島を縦断して北太平洋で低気圧になって消えるパターンを辿る、と言ったものです。しかし、その常識は、今回の異常台風で否定されつつあると考えるべきなのでしょう。高い緯度まで髙くなった海面温度と、吹き出しが弱くひどくなって蛇行し易い偏西風の組合せが、今回の様な異常台風が、ごく普通の台風になる可能性が出てきたと、覚悟を決めるべき時なのかも知れません。

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2016年9月 2日 (金)

3106 破局の理論2?

確か同様のタイトルで以前にも書いたような気もしますが、何を書いたか忘れたので書き直しておきます。さて、私たちは時空を何か「連続したもの」と捉える癖がある様に思います。時間も空間も、連続していて、時間で言えば過去から現在、そして未来につながっていると見做す傾向があるのです。もちろん、SFではありませんから、時間に裂け目の様なものがあって、私たちがそこに落ち込んで、大冒険に踏み込むなどと主張するつもりはありません。

そうでなくて、時空は海面の様に歪むものだと言いたいのです。時空を平面と考えた場合、歪みと言うのはその平面に高低の山谷が出来ると考えるのです。もちろん、物理的な歪みの話はアインスタインさんに任せるとして、ここで言う歪みは、もっぱら人間のココロが作り出すものを指します。その、歪みを増長させると、時空のシワは大きくなり、やがてそのシワは波の様に裏返るかも知れません。時空のシワの頂点に立っていたと考えると、下手をすれば私たちは、その頂点から波底に落下してしまうかも知れません。簡単に言ってしまえば、その落下を、破局と呼ぶのが、破局(カタストロフィー)の理論という訳です。波が盛り上がっても波の表面は確かに連続して繋がっているのは間違いありませんが、それがまくれ上がった時に、もしその表面に人が立っていたとすれば、確かに天地は逆転する筈なのです。

破局を作り出す時空の歪みを創り出す、人間の仕業です。例えば、無理な経済加速政策や経済の失策がいくつかの「バブル」や「ブラック○○デー」を生み出したのは記憶に新しいところです。工場の生産量を上げようと、現場主任がベルトコンベアのスピードを、作業者に知られない様に徐々に上げたところ、ある時点から不良数が急激に増えてしまった、というのも破局の例になるでしょう。つまり、(自然ではない)無理な圧力を生む行動や荒っぽい施策が、結果としては時空に歪みを生じさせ、やがて破局を生んでしまうのです。もちろん、Aベノミクスなる荒業も、このまま進めればその例外にはなり得ない、まさに下手な政策だと切り捨てておきましょう。

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2016年9月 1日 (木)

3105 もみ殻カスケード

3102の続きの様なものです。誘われるままに「もみ殻研究会」なるものに顔を出しています。もみ殻を燃やして先ずは、熱を利用し、残った灰をコンクリートの混和剤として、有効利用しようと言う目論見の研究会です。従って、もみ殻が余ってしまうJAさん、もみ殻を安価な燃料として見ている事業者、コンクリート製品を作っている事業者、加えて行政も名前を連ねている、ユニークな研究会となっています。もちろん課題も多く、季節的に供給量に山谷が出来る原料のもみ殻、嵩比重の小さなもみ殻を低コストで運ぶ方法、性状が好ましいもみ殻灰を作るための燃焼条件の確立、その灰を実際のコンクリートに混ぜた場合の品質確保、などなどが上がっています。

しかしながら、3102に書いた「熱のカスケード利用」に対して、この枠組みは「熱→マテリアルカスケード」であり、考え方としてはより理想的で、しかもチャレンジングだとも言えるでしょう。何しろ、この枠組みでは廃棄物=埋め立てゴミが出ない訳ですから。もちろん、田んぼから出るもみ殻を継続的に消費する訳で、結果として田んぼには抜けたシリカ分を補ってやる必要はありますが・・・。そうではあっても、これまで暗渠排水路の中に埋め込むか、燻炭として田んぼに鋤き込むか、あるいは粉砕して家畜の敷料とする程度しか用途が無く、暗渠への補助金が打ち切られて、ますます余ってくると見込まれるもみ殻の用途開発は、もみを引き受け、継続的にもみ摺りを行うJAにとっては喫緊の課題なのです。もみが吐けないと、カントリーエレベータが動かせないからです。

ここには、農業とボイラ技術のある産業やコンクリート産業など、産業横断の協力関係が必須なのですが、実のところこの様な学際というか産業際としての枠組みは実績も少なく、手探り状態であるのは間違いありません。この様な枠組みにこそ、地方創生の助成金を注ぎ込んで貰いたいのですが、実績が無いところには助成金は降りてこない、という「法則」があり、進捗が遅いのが歯がゆいところです。

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