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2016年10月31日 (月)

3149 リサイクル

このブログでは「本題」の表題です。リサイクルと言えば、例えば紙や金属やPETを溶解して、再度「再生紙」を作ったり、鉄鋼原料:アルミ原料やをPETボトルの原料としたりする事などを思い浮かべます。これは、「マテリアルリサイクル」と呼びます。もちろん、例えば中古車からバンパーなどの部品を外して、修理車へ付け替えるのもリサイクルの一分野でもあります。これは再使用されるパーツ「リサイクル部品」などと言う事もあります。更に広い意味でリサイクルという言葉を使うなら、不要なプラスチックや廃油を燃やして、熱として回収する「サーマルリサイクル」という使われ方もするのです。つまりは、何らかの形で、材料や熱を回収して「再利(使)用」する事が含まれる廃棄物処理の方法を称して全てリサイクルと呼んでいるのです。

しかし、もし純粋な原料のまま回収し再度製品として使えるなら、あるいはプラスチックなどでそのまま粉砕してペレット状にしたら、そのまま射出成形機に掛けれるなら、リサイクル率は飛躍的に向上する筈なのです。リサイクルを阻害しているのは、原料の汚染や異種材料の混入だと言えます。というのも、素材メーカーで同じ呼び方のプラスチック、たとえばPETやPEやPSやPPなど、でもその組成や製造工程は、規格の中で微妙に異なるでしょうし、もし許容範囲内だったとしても、それらを混合した場合には、元通りの純粋な材料に戻せる保証は無いでしょう。完全なリサイクルは、容器や製品を、作られて流通してきた経路を、全く逆向きに戻さない限り、実現は難しいと言えそうです。

だからと言って、諦める事もありません。廃棄物の分別の工夫は無限にあると思うからです。プラスチックの分野だけで言っても、破砕後に比重差で分け、風選で分け、視覚センサーで判別し、紫外光や赤外光やレーザー光で分け、最後は人間の目や分析計で分けるならば、廃棄物もほぼ100%の分別が可能となるからです。もちろん、コスト的に成り立つか否かは重要な問題ですので、なるべく廃棄物として捨てない努力、容器の再使用(リユース)やそもそも矢鱈とプラスチックの容器入れて売るのを止める(リデュース)、は優先的に不可欠でしょう。

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2016年10月29日 (土)

3148 先端産業?2

高強度・軽量の素材を多用し、空を飛ぶ乗り物を作ったり、宇宙空間に打ち上げるロケットを作る事だけが、何も先端産業ではないでしょう。物事には、必ず「目的」があり、それを達成するための「手段」が必要なのですが、いわゆる先端産業と呼ばれる分野では、得てして「手段の目的化」が起こっている様に見えるのです。空を飛んで旅行して移動時間を短縮するのはまだ理解できるにしても、ロケットを不要衛星のゴミで宇宙空間が汚れるほど打ち上げるのに、どれほどの必要な目的が見出せるのでしょうか。ましてや、何か月も研修者を宇宙に滞在させて、骨の廊下のメカニズムが分かったとして、その成果を何に役立てるのでしょうか。

飛行機による旅行時間の短縮したって、そもそもその旅行の目的が物見遊山や爆買いだけだっとしたらどうでしょう。何も海外にまで出かけなくたった、国内にだって見るに値する景色や史跡も多い筈なのです。たとえ宇宙実験で、骨の老化のメカニズムが判明したにせよ、運動嫌いの人の骨を強化するだけでは十分ではないでしょう。運動をしながら、筋肉と骨を同時に強化する必要があるからです。多額の旅行代金や国家予算を使いながら、不要品(ゴミの事です)を増やし、軟弱な人を増やすだけだったとしたら、悲しむべき事でしょう。

そうではなくて、私たちはもう一度「目的」に立ち返らなければならないと思うのです。では目的とは一体どの様なものが考えられるのでしょうか。何がなくとも、目的としては「持続可能性」を確固たるものとする事を挙げなければならないでしょう。私たちが、この世に生を受け、寿命を全うするのは、言うまでもなく「望ましい(持続可能な)社会を次世代に引き継ぐ」という使命を、万人が均しく負っている筈なのです。たぶん続きます。

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2016年10月28日 (金)

3147 先端産業?

前前職で航空機製造に携わっていた事もあり、時々各地の航空機分野への参入セミナー等の講師を依頼されます。とは言いながら、ホンネで言えば、多くの企業の新規参入が実現したとしても、将来それらの企業の事業の柱になるほどの仕事量は発生しないとも見ているのです。理由は、民間航空機(主に旅客機の事を指しますが)の分野で、やっとM社が名乗りを上げたとはいえ、YS-11の生産終了f後の非常に長い時間(約半世紀です)、この国では民間航空機の開発が絶えて無かった事があります。その間は、殆どの全てのリソースを、B国の大手航空機メーカーの下請けになり下がっていたのでした。製造のノウハウを蓄積出来た後も、国も企業もリスクを取るための「手を挙げる」事もなく、諾々として下請け仕事をこなしてきたのでした。

もちろん、航空機を作るための複合材分野では、国内の大手繊維メーカーが大きなシェアを握っては居りますが、その他の航空機用材料(ジュラルミンやチタンや鉄系材料)のほぼ全ては輸入に頼っている情けない状況ではあります。国内の航空機市場は小さいので、製造された殆どの航空機や航空機部材は、輸出される事になるのですが、結果的には為替の影響をもろに被ります。円安なら何とか息が出来ますが、円高局面になると途端に赤字に転落する体質は、昔も今も変わらないでしょう。

さて、航空機産業の一体何が先端産業なのかと問われても、数十年前に実用化されたカーボン繊維+エポキシ樹脂の、いわゆる複合材や、アルミやチタンを多用した、軽量・高剛性のモノコック構造位しか思い当らないのです。それらの技術が、そのまま民生品に応用できる筈もなく、例外的にゴルフクラブや釣竿やテニスラケット等の趣味製品に応用された程度だったのです。もし、航空機の構造が、車で実現出来たとすれば、車の燃費は飛躍的に向上する事でしょう。今、1トンを超えるクラスの車でも、多分その重量を半分以下には出来るからです。しかし、コスト的に見れば、家が1軒買えるくらいの値段のスポーツカーには使えるにしても、量産車には所詮無縁の技術だと言えるでしょう。もし真面目に先端技術に取り組む気があるのであれば、品質要求だけが矢鱈と厳しくて、儲からない航空機産業に向かうのではなく、航空機材料や製造技術のコストを一桁小さくして、民生品にも使える様にする努力こと意味があると思うのです。

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2016年10月27日 (木)

3146 似非環境経営3

先にも書いた様に、省エネだけに気を使っていれば、環境経営が成り立つ訳ではありません。廃棄物も圧縮しなければ、ゴミ処分場がひっ迫しますし、水資源も限られていますし、グリーン購入や、生物多様性、更には事業に使われる化学物質も無害なものに切り替えていく必要もあるでしょう。そこで、是非作成して貰いたいのは、事業に関わるモノ、エネルギー、製品、廃棄物の出入りを示すフロー図です。事業所を□で示し、そこに事業のために仕入れるモノ、エネルギーを「入り」の→で示し、そこから出ていく製品やサービスを「出」の→で示すのです。更に、事業の結果事業所から排出される、モノの廃棄物(ゴミの事です)と目には見えないゴミ(CO2)をやはり「出」の→で示します。CO2は目には見えませんが、事業所のボイラや営業車や運搬車から直接出るものもあるでしょうし、購入電力では、電力会社の煙突から排出されるものもあるのです。

また、これも目には見えませんが、部品の洗浄に使われる有機溶剤は、蒸発のために目減りしますが、その中には強い温暖化効果を示すものや、あるいはオゾン層を強力に破壊する成分が含まれるものもあるのです。これらを、例えば温水洗浄に切り替えるなどの方法で事業の中から追い出す必要もあるでしょう。

グリーン購入について言えば、今日多くのモノで環境負荷、あるいは「カーボンフットプリント」と呼ばれるデータが手に入りますので、同じ文具(例えば紙)であってもより負荷の小さな銘柄を選べばよいのです。その際、その分野のトップランナーのデータを参照すれば、グリーン度の判定役立つでしょう。

生物多様性について言えば、アプローチは比較的簡単です。多様性は、環境のグラデーションから生れるからです。工場、あるいは事務所と道路との間に緑地を設け、それも芝生だけで覆うのではなく、種々の樹木や灌木や花や苔や雑草を多様に配置するのです。そこには、鳥や小動物や昆虫などが多様に入り込む筈なのです。これは、現在の都市郊外で見られる、耕作地と放置された山林という構図ではなく、その間に適当に人間の手が入った「里山」が生物の多様性を育むのと全く同様の現象なのです。

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2016年10月26日 (水)

3145 似非環境経営2

似非環境経営には、何が不足して「似非」になっているのでしょうか。投稿者は、改善されたPDCAサイクルを提案しています。それは、APDCAとでも呼ぶべきサイクルです。PlanDoCheckActionの前に、新たなAAnalysis(分析)を加えるのです。野放図経営は、環境負荷を計測する事すら怠っていますが、環境経営に取り組んで先ず行うのが「負荷計測」なのですが、多くのケースでは計測した事に満足してしまい、そのデータの評価や分析が甘くなっているのです。

分析のためには、例えば1か月刻みの電力データでは、殆ど何も見えてきません。せいぜい夏・冬と春・秋の中間期で、冷暖房に係る電力に差があるのが分かる程度の分析しかできないのです。それでも何もデータが無いのに比べれば数段マシなのですが・・・。更なる分析のためには、1週間単位で、それも時間を追った分析が必要となるのです。それで何が見えるかと言えば、例えばピーク電力値が確認できます。電力料金の基本料金の元となる「契約電力量」とされるものと同じです。30分以上継続する最大電力が、そのまま契約電力量となりますのです、時間を追った分析では、週の曜日のどの時間帯にピーク電力が生ずるかが容易に分析可能なのです。もし、ピーク電力が、例えば朝一番とか、昼一番に生じているとすれば、それは設備の電源を同時にONにする事が原因となっている筈です。不必要は設備の電源投入時刻をずらす事により、労せずして基本料金を引き下げる事も容易なのです。契約電力1kw当たりでは1000円以上に相当するでしょうから、10kw引き下げれば、月々1万円の電気代が浮く勘定です。年間12万円も浮けば、古い蛍光灯や水銀灯を明るく省エネタイプのLED照明に更新する予算も楽に取れると言うものです。

省エネや工夫で浮いたお金を、新たな省エネ投資に回せば、これまでと同じ事業を続けていたとしても、自然に省エネ体質に近づくのです。これを、分かり易い言葉で「省エネサイクル」と呼びます。これを実現するためにも、最初に述べたAPDCAサイクルで、しっかりと分析をする必要があると言う訳です。更に続きます。

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2016年10月25日 (火)

3144 似非環境経営

環境経営の審査でささやかな収入を得ています。その中で感ずるのは、やはり有効なお金の使い方をしている企業が少ないと言う点でしょうか。環境経営にしっかり取り組めば、大幅な経費節減も可能なのに、多くの企業では「それなりの取組み」しか行っていないのです。それなりに、とは、環境経営と言いながら、せいぜい事務所の「紙・ゴミ・電気」減らし程度しか取り組んでいない、という意味です。もちろん、何もしないより「マシ」ではありますが、お金と時間を使って、ささやかにコピー用紙と一般ゴミと事務所の電灯の始末をしたところで、成果は知れているでしょう。

そうではなくて、企業の経費の大きな部分を占めている「環境負荷」に着目し、大きなところから取り組めば、当然の事ながら得られる成果も大きい筈なのです。営業車のガソリンや、冬場の暖房用の灯油など石油系燃料が、CO2排出の6割を占めている事業所が、割合としてはそれほどでもない事務所の電灯をLEDにしたところで、経費は殆ど下がらないでしょう。この場合は、徹底して「エコドライブ」を励行し、建物の断熱を見直して、冬あまり寒くない様に少しリフォームすれば、例えば石油燃料の2割の削減が達成できたと仮定すれば、全体でも10%以上の光熱費の削減が出来ると言う計算になります。要は、環境負荷の削減にチマチマした対策を積み重ねるのではなく、具体的で大きな手をしっかり打つ必要があるのです。

もちろん、単に省エネに取り組んで経費が下がれば、めでたしとはなりません。真の環境経営とは、常により環境負荷の製品やサービスの提供を指向する必然性があるのです。いわゆる、「本業部分での取組み」です。更に言えば、エネルギーや原材料のグリーン化を推進し、更に言えば取引先やステークホルダーに、環境上の好影響を与える事も重要な役割となります。ここまでやれば、当然の事ながら「世間」も黙ってはいないでしょう。環境企業としての評判も上がり、多分売り上げも伸びて行くでしょう。経費の圧縮は、ひいては企業の贅肉をそぎ落とし、筋肉質な経営も可能となるのです。続きます。

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2016年10月22日 (土)

3142 合従連衡

この国には、「寄らば大樹の・・・」という諺があり、結構広く「拠り所」にされている様な気がします。某自動車メーカーも同様でした。しかし、考えてみればデータのメイキングは、車を売らんがための姑息な手段の一つですが、その背景には若者のクルマ離れで、そもそもクルマの市場がシュリンクした事があった筈なのです。売れなくなった製品を売るには、値下げをするか、性能を良く見せてコスパをアピールするなど、メーカー/ディーラーの打つ手は限られてくるのでしょう。

冷静に考えるならば、シュリンクした市場に対しては、やはりいくつかのメーカーには「退場」願わなくてはならないと思うのです。もしそこに、この国の行動で陥りがちな人情を絡ませて進むならば、ますます「クルマ余り現象」が加速するだけになると思うのです。クルマ産業は、確かに20世紀を通じて、Fォード社の大量生産手法、それを洗練したTヨタ社の生産方式などで売値を大幅に低下=大衆化し、爆発的な普及を実現はしましたが、所詮「20世紀型の技術」である事実は変らないでしょう。それにハイブリッドの心臓を取り付けようが、バッテリーとモーターに挿げ替えようが、それを21世紀の乗り物に変える事は出来ないと思うのです。

その背景の中で、終わりかけた企業を合併により吸収するのは、やはり時代に逆行する動きにしか見えません。萎んだものは消え去るしかないと思うのです。そのリソースを新たな市場に振り向ければ良いだけです。作るもの、作らなければならないものは多く見つかるでしょう。このブログでも、縷々書き連ねてきましたが、21世紀の産業は「再生可能型」である必然があるでしょう。そうでなければ、資源・エネルギーの不足や廃棄物の始末という難題を子孫に背負わせる事になるからです。その意味で、クルマ産業は、如何にエネルギー源を、ガソリンから電気に変えようが、再生可能でないと言う一点で合格点を貰う事は出来ないのです。合従連衡で大樹の陰に寄り集まったとしても、産業の質を捻じ曲げる事は出来ない相談です。そうでなくて、萎んだ企業は立ち止まって、進むべき方向を模索すべきなのです。もちろん、吸収される企業の様に窮地陥ってから考えるのでは遅過ぎます。日頃から、将来の路線を考えておく必要はあります。さて、クルマ産業は、一体どちらの方向にハンドルを切るべきなのでしょう。

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2016年10月21日 (金)

3141 自動運転車?

自動車メーカーはもちろん、大手のソフトウェア企業に至るまで、2020年頃までに実用的な「自動運転車」を市場に出そうと熾烈な競争を繰り広げている様です。しかし、便利に、安全になると手放しでは喜べない話の様な気がします。というのも、投稿者としては全ての便利な自動化は、人間の能力を奪い「無力化」するのでは無いかと危惧しているからです。車を目的地に向けて運転するには、現在では頭の中にルートの地図を描き、ギヤやアクセルやハンドルやブレーキを操作して、車と自分を移動させる必要があります。この時、脳ミソを駆使し、腕や足の筋肉を微妙に動かしながら、対向車や歩行者にも注意を払いながら、しかも到着時間やさらには燃費なども気にしながら、パトカーや白バイにつかまらない程度のスピードで運転する訳です。

もしこれを、全部自動化したとすれば、ドライバー(もはや運転者ではないのですが)は、座席で腕組みをしてボンヤリと周りの景色を見るか、あるいはそれにも飽きて居眠りをするしかないでしょう。何という退屈な「ドライブ」でしょう。タクシーに乗客として乗っているのであれば、運賃を気にするとか、あるいは運転手を世間話をするとか、まだする事もありそうですが、ただ座席でする事もなく車に連れて行かれるドライブなど御免こうむりたい、と投稿者は思うのです。

もちろん、自動運転を可能にする技術自体にも心配の種は多いでしょう。機械やコンピュータは必ず故障するからです。部品の信頼性が十分に高くなったとしても、故障率をゼロにする事は出来ないでしょう。出荷時には完璧でも、経年変化や間違った使用法によりまでは防げないものです。それを回避するために、回路やコンピュータを二重に備えても、故障率は低くなるのでしょうが、やはりゼロにする事は出来ません。結局、どこまで行ってもドライバーや対向車や歩行者に犠牲を出さないためには、完全な自動運転車を実現することは出来ないのです。もし、自動運転システムの故障を、乗っているドライバーがバックアップするにしても、常時ハンドルを握って、前方や周囲に注意を払っていない限り、とっさの危険を回避する事は不可能である事は明らかです。ここまで書くと、一体何のための自動運転車かという大きな疑問が払拭できなくなります。結局、メーカー側の「先ずITIoTや自動化技術ありき」で突っ走っている風潮であるとしか思えなくなるのです。

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2016年10月20日 (木)

3140 住の重要性2

住まいの機能で最も大切なのは、やはり気象変化から住人を守る事でしょう。雨風から守る事は当然ですが、暑さ寒さあるいは湿度の影響からも守ってくれる機能が必要です。断熱性能や気密性能がその指標ですが、実は単に室内空気の温度管理だけでは不十分で、壁や窓や天井や床が、ほぼ同じ表面温度で、体を包み込む様に一様な「輻射温度」を実現することが最も重要な機能だと言えるのです。何故か、それは人間の皮膚にある暑さ(寒さ)センサーは、室内の構造体の表面温度の平均を輻射温度として認識するからです。

例えば、壁や天井が十分に暖かく保たれていたとしても、窓の保温性が貧弱で、かつ床下も寒風が吹き抜ける構造となっている場合、その家(部屋)に居る住人は、肌寒く感ずる筈なのです。窓、壁、天井や床が、ほぼ同じ輻射温度で統一されている場合には、例えば室内温度が15-17℃しかなくても、寒さは感じなくて済むでしょう。もちろん、その温度が10℃やそれ以下になると流石に寒さを感じますが、室内履きを使い、厚着をすれば、外が氷点下になる真冬を除けば、暖房もそれほど必要が無いと言えるのです。つまり、大切なのは「寒くない家」の構造であり、それは同時に「暑くない家」でもある訳です。

その意味で、日本の家屋で圧倒的に軽んじられているのは、窓と床下の保温だと言えそうです。単板のガラスの保温性は、非常に低く、冬の朝にびっしりと露を結んでいる様な窓は、全く話にならないレベルです。二重窓かあるいは、理想的にはアルゴンガスを封入したペアガラスが理想でしょう。加えて、基礎全体を保温材で覆って、床下を暖かく(夏は涼しく)保つ事により、冷暖房負荷は大きく引き下げられるのです。投稿者が終の棲家として構えた家は、その性能を狙ったつもりです。さて、その目論みの結果は?この冬を過ごしてみての感想は、追って報告する事に致しましょう。

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2016年10月19日 (水)

3139 住の重要性

住まいは、ヒトの生活の中心なのだ、と最近しみじみ感じます。何があっても、最後は逃げ込める「シェルター」があるという事は、ヒトの精神を安定させますし、取り敢えずは生きていく支えにもなるでしょう。住まいの要件は、暑さ寒さから身を守り、雨風を凌ぐものである必要がありますが、ヒトはその中で「自分の居場所」を確保して初めてココロが落ち着くのでしょう。それは、犬や猫などのケモノであっても、鳥や虫であっても事情は同じ事でしょう。自分の存在が肯定され、狭くても自分のスペースが確保されている「家」は、生きていくためのベースなのでしょう。

投稿者は、人生のある時期に中古の住宅を購入しましたが、やはりそこには「妥協」がありました。予算上の制約、自分が勤務していた企業への通勤距離、家族の状況などを勘案して、取り敢えずの住まいを確保した訳です。建売の安普請ながら、そこで子供達も成長し、それなりの役目を果たしてくれましたが、そこは「終の棲家」でありませんでした。そこで、還暦を過ぎてから生まれ故郷に単身でUターンし、アパート暮らしをしながら、ささやかでも生計を立てる道を模索しながら、同時に終の棲家を建てるための土地を探していたのでした。もちろん、連れ合いの意見も重要なので、何度か一緒に土地を見て回りましたが、なかなか決まりません。

ある日、アパートを出発していつもの散歩コースを、二人で歩いていた時、コースの道沿いで田圃を埋め立てて造成された土地が目に留まったのです。投稿者はあまり気が進みませんでしたが、連れ合いにとっては一目惚れだった様です。そこが、結局は終の棲家を建てるための土地になったのでした。続きます。

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2016年10月18日 (火)

3138 街路樹の伐採

老木となった街路樹の伐採が、果たして是か非かという議論が巻き起こっている様です。元々街路樹は、直線的で殺風景な舗装道路沿いに、夏には日陰も作る見た目に涼しげな照葉樹を植えて、景観を良くしようと植えられたものです。しかしながら、根の周りをコンクリートで固められた樹木は、根張りも浅く、結構な太さに成長してからも強風で倒れる事も多いのです。もちろん、古い時代に植えられて、しっかり管理されていた街路樹は、ちゃんと根を張って、立派な大木に成長している例もあるのでしょう。道路の拡幅や、改良のためにその様な立派な木を伐り倒して良いのかどうかは議論の分かれるところではあるのでしょうが、一方では樹木の「寿命」を考えて、着実に更新していく、という考え方も重要な視点だと思うのです。

つまりは、短期的な都合主義による単なる整理・伐採ではなく、樹木の代替わりを計画的に行っていく、という考え方です。これは山の人工林でも同じ事が言え、更新もせず、下草刈りや枝払いなどの管理が行われてこなかった森林は、もはやCO2の吸収能力を失い、ただ山を緑色に見せているだけのカバーに過ぎない存在に陥るのです。その様な人工林は、台風が豪雨を伴って襲来した際には、バタバタと倒れ、流木となって下流の里を襲うのです。

話を都市の街路樹に戻すと、大木だけの並木も確かに美しいのですが、大木と若木が交互に並び、更新・管理が計画的にかつ適切に行われている並木もまた美しいと思うのです。一気に全部を伐採し、全部を若木に植え替えるのでなく、老木も残しながら時間を掛けて更新していく選択肢は見つからないものか、と樹木には殆ど知識の無い投稿者は考え込んでしまいました。

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2016年10月15日 (土)

3137 同根

五輪のゴタゴタと、豊洲新市場のもめ事は同根でしょう。その根には、いわゆるゼネコンとその利権に群がる輩が見え隠れしている様な気がします。当初の予算が、談合を前提としているがために、見積と提案が繰り返される度に膨らんでいく謎。それを、見かけ上少しばかり削るため、水面下のコストダウン対策(手抜き?)と、それによって浮いた裏金に更に群がる輩、これは実はこの国の日常茶飯事だと言っても間違いないでしょう。政治家と企業の裏金と、それを飲み込んで動く行政、という税金を食い物にした公共事業の例には歴史を遡ってみれば枚挙に暇がないでしょう。それは、「利権屋」の暗躍する世界でもあるでしょう。

しかし、これを根こそぎ白日の下に晒せば、この国の土台がグラグラに揺さぶれらる事もまた間違いありません。何故なら、それがこの国では通常のプラクティスであり、政治、業界、行政(つまりはマツリゴト)の常識だからです。その常識が覆れば、プラクティスも瓦解せざるを得ないからです。

さて、そこにオットリ刀で切り込んだ新知事は、どの様に鞘に納めるつもりなのか、あるいは単に議員や行政マンにかましたハッタリなのか、今後も少しばかり注目する事にしましょう。しかし、この国の産官と政治「屋」の関係は、多分当面変る事は無さそうです。という事は、やはり税金を食い物にする輩は減らないと言う事にもなります。五輪や市場がパリッと新しい施設で表面上はきれいになったとしても、その根っこの部分はちっとも変わらないのでしょう。残念ながら。以上一庶民の愚痴でした。

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2016年10月14日 (金)

3136 電気自動車社会?

ドイツでは2030年以降、内燃機関を積んだ車を作らせない法案が可決された様です。流石に環境先進国と言いたいところですが、かといってエンジン付きの車を作らせない事で、温暖化問題や環境問題の全てが解決する訳ではない事は自明です。クリーンと言われる電力を作るにも間接的には温暖化ガスは出るでしょうし、事故を起こせば危険な物質や液体がまき散らされるバッテリーを積んだ乗り物が街にあふれる訳ですし、その他にもモーターの製造に欠かせない希土類の争奪合戦など、資源問題が過激化する可能性も高いのです。電気(自動車)社会は、むしろエネルギー問題を覆い隠して、人々に問題を見せない様にする社会であるとも言えるのです。

確かに内燃機関は、燃料を「燃やす」ので、空気中の酸素を消費し、その結果としての排気ガスを出しますので、時々何らかの理由で、排気ガスが車内に入り込んで起る不幸な一酸化炭素中毒事故でも分かる様に、ヒトにとって、環境にとって害にはなるでしょう。その代り、その害を目や五感に訴えかける形で提起もしているのです。大気汚染、酸性雨、悪臭、呼吸器の病気、植物の被害などなど、内燃機関の害は目に見えるし感ずる事も可能なのです。しかしながら、遠くの発電所が発生するより大規模な害は、人々の目には触れない形で、しかし確実に拡大するのです。

人々が便利中毒から抜け出す事は、実は非常に難しい事である事は、歴史が証明しているところでもあります。公害問題が発生しても、かなり深刻な事態にならない限り、つまりは直接の被害者を生まない限り、人々は便利な化学物質を作り、化石燃料を燃やし続ける便利生活を止める事が出来ません。それが、更に便利な電気社会になっても事情はあまり変わらないでしょう。投稿者は、このブログでも縷々考え続けて居ますが、まだ明確な答えは出ていません。取り敢えずは率先垂範で、自宅にバイオマス+太陽熱のハイブリッド暖房・給湯システムを付けて、データを取ってみようと思っています。またゆくゆくは、小規模な太陽光発電+蓄電池も加えて、セミオフグリッドも実現するつもりです。

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2016年10月13日 (木)

3135 大規模停電

大規模インフラは、大規模なトラブルを招きます。電力網は、大規模インフラの代表と言っても良いでしょう。何しろ、日本をたった10個のブロックに分けたインフラである上、電力の融通ブリッジも二種類の周波数の混在によって、決して十分とは言えない状態では、ピーク電力時や発電所・変電所の事故による送電停止時には、今回の様な大規模停電の覚悟しなければならない状況ではあります。

確かに、電力自由化によって、小・中規模の発電事業者も増えては来ましたが、如何せんその電力を送るのは、大手電力会社の送電線網しかないのです。かつて、(戦前話ですが)日本の発電事業者は地方ごとに細かく分かれていたのです。それは、大規模な発電所や送電線網が無かった時代には致し方ない事だったでしょう。多くはローカルな水力発電所が、その能力の範囲内の事業者や家庭に送電するのが精一杯だったからです。もちろん、小規模システムでは大規模な停電などは起きませんが、その代わり小規模な停電の頻度は高かったでしょう。とは言いながら、停電による影響は精々工場の動力源であるモーターが停止し、家庭では電灯が消える程度に留まっていた筈です。

しかし、この時代、停電は生命にも関わる重大事故につながり兼ねないのも事実です。例えば、鉄道などの交通インフラ、通信インフラ、エレベータやエスカレータ、その他安全システムの多くは「電力」に支えられているからです。電力自由化の時代であるからこそ、私たちは電力の安定供給に更に注力するか、あるいは需要家側で蓄電システムによるバックアップなどの自衛策が必要となるでしょう。長期的視点に立てば、私たちは「脱電力」に向けての社会システムも模索して行かなければならないのも間違いありません。

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2016年10月12日 (水)

3134 投稿再開(引っ越し騒動)

新居に入って数日経過したので、引っ越し騒ぎもやや一段落し、やっと投稿再開です。引っ越しは、特に一戸建ての場合は一大イベントになってしまいます。家財道具一切の移動はもちろん、引っ越しに伴う役所、銀行、郵便局などに関する「諸手続き」が山ほど発生します。加えて、各種サービスの停止や引っ越し先での開始など、チェックリストを見る度に頭痛がするほどでした。更には、長年住み慣れた家のご近所さんや知り合いへの挨拶、新たに住人になる場所での近隣や親戚一同への挨拶などなど、なかなか落ち着いて引っ越し荷物の開梱や整理に当てる時間が取れません。

以上は、引っ越し作業や手続きの煩雑さへの愚痴ですが、それより問題なのは、記憶が不連続になってしまう事です。雑事に関することなら問題ないのですが、仕事がらみともなるとそうはいきません。場合によっては、引っ越し後に重要な書類が埋もれてしまっている可能性もあるのです。つまり「整理」と「積み重ね」は、似ている様で全く逆の行動になりがちなのです。特に書類の場合は、積み重ねによって、必要な書類が見つからなくなる事も多いのです。場所さえ広ければ、書類は横に広げて並べておきたいところです。そうではないコンパクトな家では、行方不明になった書類の捜索に結構時間が掛かってしまいます。それを防ぐには、引っ越し先での荷物の落ち着き先(所番地)を決めて、必ずそこに置く様にすることですが、それも後知恵です。この先引っ越しの予定の無い「終の棲家」の積りの家なので、このバタバタが過ぎると静かな生活に入れる、と期待しています。今日は短め。

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