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2016年11月18日 (金)

3164 価値観の転換

最近、文化の変質による価値観の転換が気になります。と書けば、なんだか難しそうですが、卑近な例を挙げるなら、例えば嫌煙権や分煙が思い浮かびます。数十年前を思い起こせば、大人の半数以上が喫煙癖を持ち、事実上どこでも喫煙できました。テレビでも喫煙シーンが出てくるのはごくありふれており、俳優も「さも煙たそうに、しかし美味そうに吸う」喫煙演技を研究していたことでしょう。

しかし、今この時代、都会の一定の地域では歩き喫煙は罰金を取られる「軽犯罪」ですし、レストランでも禁煙タイムを設定するとか、そうでなくても「分煙」は普通でしょう。企業の中でも、喫煙所を設定するのは、最早あたりまえの時代になったのです。つまり、この数十年、取り分けこの世紀に入って、嫌煙権や分煙は先進国においては「文化」として、ほぼ定着したとみてよいでしょう。それ以前は、タバコの嫌いな人は我慢するしかなく、今は喫煙者が肩身が狭い想いをしながらコソコソと喫煙コーナーやベランダで喫煙するしかない訳です。

偶然ですが、昨晩のTEDでは、B国の銃問題を取り上げていました。つまり、人口を軽く超える銃が市井に溢れているという「異常状態」の話題でした。今は少なくなりましたが、私たちの子供の頃は「西部劇全盛」の時代で、その中では銃による決闘シーンや銃撃戦が当たり前の様に放映されていたのです。さながら、日本の時代劇での立ち回りシーンの様な位置付けでしょうか。しかし私たちは、帯刀が当たり前のドラマを「時代劇」と呼んで、明治以降を描いた演劇や社会とは完全に分離して眺めていますが、B国では未だに「銃社会」という時代錯誤文化を抱えたままなのです。なにしろ、テレビの通販番組に「銃専門」の時間帯があるという程の、時代錯誤だと言うのです。

彼の国の銃文化が、過去のものとなるのに一体何人の犠牲者が必要なのでしょうか。既に、市民の銃保持に反対する人が半数を大きく超えているのは間違いないのでしょうが、喫煙の例で言えば7-8割の人々が、市民の銃保持は異常事態で取り締まるべきだ、と声を上げない限り、B国の銃文化の変質は起こらないのでしょうか。悲しむべき事ではあります。

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