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2016年11月28日 (月)

3173 徒然に思う事2

続きです。金銭欲や物欲を捨てるのは結構簡単な事の様な気もしますし、実は最も難しい事なのかも知れません。難しいと思うのは、例えば悟りを開いた人は、欲望から解き放たれるのでしょうが、普通の人間にはそこまでは出来ないものだからです。投稿者の様な普通の人間に出来ることと言えば、ホドホドで満足するといった程度でしょうか。ホドホドの家に住み、ホドホドの食べ物を食べて、ホドホドの仕事で、ホドホドより少し足りない位の収入を得て、ホドホドの満足感を得て暮らす、と言うホドホド人生を指します。

とは言いながら、人によってそのホドホドの物差しがかなり(或いはひどく)違っているのは全く困った事ではあります。例えば、4人家族がそれぞれに車を乗り回すのは、高級車でなくホドホドの車種であれば、ホドホド生活と言えるのかどうか、その判定は人によっても違ってくるのでしょうか。もちろん、数十年前に遡れば、自家用車が一家に1台もあれば、羨ましがられた時代がありましたが、メーカーのコストダウン努力と、コマーシャリズムと、石油価格が結果的に数十年前とあまり変わらない、それどころか物価水準を考えれば逆に異常に安いまま推移している奇跡が、車を贅沢品から外してしまったのかも知れません。

しかし、数十㎏の人間を移動させるのに、1トンを超える乗り物を使うのは、どう逆立ちして考えても、やはり贅沢だと思うのです。10㎞程度の通勤なら自転車やバイクで十分でしょうし、5㎞程度なら徒歩でも通勤できる筈なのです。雨の日や雪の日は、冷たさや寒さを感じながら、夏の暑い日は、ダラダラと汗を流す、季節を感ずる暮らしも良いものだと思うのです。投稿者は、サラリーマン時代の30年余り、ほぼ毎日自転車で通勤していましたが、単純計算でも地球を2周する分の距離は走った事になります。だからこそ、高齢者ビギナーになっても、若者並みのペースで山にも登れる体力が維持出来ているのだと思っています。この歳になって、やっと贅沢ではない低いレベルのホドホド人生の何たるかが分かってきて、それを楽しむ事が出来るようになった気がしています。

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3172 徒然に思う事

ある時期からこのブログは、環境ガチガチのブログから、随筆ブログに変わってきました。と言うのも、環境について考える事=人間の生き方(価値観)について考える事だと気が付いたからです。温暖化に急ブレーキを掛けなければならないのは、自然環境の悪化、取り分け気象異常による人間社会への「ブーメラン被害」は避けなければならないのは勿論、資源の温存と言う側面でも必須の取組みだと言えます。それが、例えば冷暖房の温度を控える程度の、ささやかな行動ではとても急激な環境悪化は防げないでしょう。それは、真っ赤に焼けた石に落とした数滴の水滴でしかないからです。

やはり、20世紀後半の石油にダブダブに漬かった生活スタイルからどうにかして脱する道を模索しなければならないでしょう。石油漬けの生活とは、車社会に代表される様に、雨に濡れずにドアからドアへ移動したいとか、今日注文した品物を明日受け取りたいとかの欲望に支配された生活スタイルを指します。また石油漬け社会とは、その石油を使って発電し、それ電気を多量に使う「電気漬け」社会でもあります。オール電化住宅に代表される様に、スイッチ一つで、冷暖房から給湯から調理まで、全てが動かせる「超便利生活」が実現された訳です。

数十年前の田舎の生活では、人々は釜戸や七輪を使って飯を炊き、薪ストーブや囲炉裏や火鉢や炭を入れたアンカのコタツで暖を取り、地元で採れるコメや野菜や魚で食卓を賄っていた訳です。しかし、それで人々が不幸であった訳ではありません。大人数の家族が集って暮らし、家族はそれぞれの役割を担って、助け合って暮らしていたのでした。

あの時代より、少しだけ便利で快適な生活スタイルは考えられないのでしょうか。たぶん、住宅さえ、高気密・高断熱になっていれば、少しのエネルギーで暑さ・寒さを凌げるでしょうし、そこに三世代が同居すれば、一人当たりの消費エネルギーは、十分に今の半分以下に抑える事も可能でしょう。技術にのみ頼った省エネや再エネありきではなく、先ずは生活スタイルの見直しこそ喫緊で肝要な提案だと思うのです。人は、お金(経済力)やモノだけで幸福になれない事は、20世紀後半の「実験」で証明されたと思うのです。金銭欲や物欲は、それがある程度手に入ると更に強まるものだからです。続きます。

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2016年11月27日 (日)

3171 北極温暖化2

続きです。最近の気象に関するデータで気になる事があります。地表の2/3を覆う広い海洋には、1000年単位で循環する緩い海流が存在します。しかも、単に海氷面近くの海流だけではなく、場所によっては深海に沈降し、また別の場所ではそれが湧昇すると言う垂直の循環を含んでいるのです。海水に目印を付ける事ができたとして、同じ海水が元の場所に戻るのに1000年程度を必要とするという壮大な循環なのです。これは「熱塩循環」と呼ばれますが、単に物質(海水)の移動だけではない、熱の移動にも関わっている故の呼び名なのです。

さて、大西洋北上した海の表面を流れる循環流は、グリーンランド+アイスランド阻まれて行先を失い、結果的にはそこから深海に沈降を始めるのです。それが湧昇するのは、マダガスカル沖のインド洋とベーリング海だとされています。それが、この海域が豊富な漁場となっていてクジラなども回遊する所以ともなっているのです。

さて気になるデータとは、大西洋の表層を北上した循環流が、近年はどうやら北極海に入り込んでいる様なのです。つまり、大西洋のの北端で、寒気によって冷やされた循環流が、重くなって沈降すべきところ、温暖化した北極圏では十分に冷やされず、一部がそのまま北極海に流れ込んでいるのではないかと疑われるのです。もし、それが事実なら、北極海は巨大な池の様になっていて、海底はなべ底形状になっているため、入り込んだ海流と熱は、そのなべ底に溜まる筈なのです。かくして、夏場の海氷面積の急激な減少=日射による熱の流入量増大に加え、海流からの熱の流入が相俟って、北極(海)の温暖化は急加速していると思われるのです。まだ、この「ハイブリッド温暖化」についての明確な報告は目にしていませんが、投稿者としては最近ますますこのメカニズムの確信を深めているところではあります。

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2016年11月26日 (土)

3170 北極温暖化或いは正のフィードバック

北極圏の温暖化が加速している様です。例えば11月は、例年より20℃も気温が上昇していて、海氷がなかなか結氷しないのだとか。それは、夏の間北極海の浮氷が融けて、太陽光により海水が暖められてしまっているのが原因ですが、加えてこの時期に北太平洋からの暖かい風が北極圏に向かって入っている様なのです。北極圏の気象は、1時間ごとに髙い精度で地上と衛星から監視されていますので、これは確かなデータによる分析です。

その昔(たぶん数十年前までは)、北極圏は文字通り「極寒」の地でした。中学校の地理で習ったかすかな記憶によれば、地球上の最低気温は、北極海沿岸にあるベルホヤンスクで記録されたのです。その気温はと言えば、確かマイナス80℃を下回っていたと記憶しています。現在その地域の最低気温は、多分40-50℃上昇している筈です。B国の次期大統領がどの様にコメントしても、これは明らかな「人為的」温暖化の証左でしょう。自然現象だけでは、数十年間で数十℃という変化は、大きな火山噴火や巨大隕石の衝突でも起こらない限りないあり得ないでしょう。

その意味で、世界の平均気温が100年以上かけて1℃くらいしか観測されていない事を考えれば、北極圏ではその変化を「大きく先取りしている」と言えそうです。先取りしているという意味は、変化が「増幅」されているとも言えそうですが、実は北極圏では「正のフィードバック」が生じて、温暖化が加速している様なのです。正のフィードバックとは、普通の言葉で言えば「悪循環」の事で、温暖化が進み、夏季に浮氷が消滅するに従って、日射エネルギーが海水に蓄積され、冬季の結氷が遅く、かつ厚みも薄くなる、という悪循環を指します。

ここまで書いてきて、何か人間社会にも通ずる現象の様にも思えてきました。例えば、お金がさらにお金を生み出す、あるいは吸い寄せる正のフィードバック現象や人口がますます都市に集中してスラム化する都市現象を想起しました。人間が絡む現象の底には、何か共通する力が働いているのかも知れません。

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2016年11月25日 (金)

3169 寒さの限界値

昨日からの冬型で、今朝は積雪もあり、この辺りでも氷点下に少し突入した様です。まだバイオマスボイラが入っていない我が家では、暖房器具は居間にあるエアコンだけの状態です。家の各所に仕掛けた温度計群によれば、外気温がほぼ0℃の現在、床下温度は11℃前後、室温は暖房の全く無い2階の寝室で9℃くらい、今パソコンに向かっているこの事務室で11℃くらいです。屋内でも薄いダウンジャケットを羽織り、靴下に室内履きを重ねれば寒さは感じませんが、流石に手先は冷たいです。仕方がないので、マウスパッド代わりに小さな電気アンカを置いて凌いでいます。

さて、通常の暮らしの中でどのくらいの気温であれば我慢出来にくくなるのでしょうか。これは、実は人種や生まれついての体質の様なものも関係しそうですが、多分10℃前後に限界値の境界がありそうに思えます。人種という視点では、いわゆる白人は熱を多く産生する「褐色脂肪細胞」が少ないので、体表面の温度が低い分、寒さはそれほど感じない様なのです。彼らは、多分10℃くらいなら快適で、一桁の気温に下がってやっと上着を羽織る気になるのでしょう。一方、南の地域で子孫を増やした黒人や褐色の人々は、日焼けに強い肌と、豊富な「熱源細胞」に恵まれて、暑さには強いのですが寒さにはめっぽう弱く、15℃を下回ると耐えられなくなる様です。

私たち日本人は、多分南北の人種の遺伝子が混在しているでしょうから、中間でしかも上下にばらついているものと想像できます。ちなみに投稿者の場合は、長年の観察?結果からほぼ11℃と結論しました。今の室温が11.3℃なので、限界付近で暮らしている事になります。それにしても、バイオマスボイラの到着が待ち遠しい今日この頃です。

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2016年11月24日 (木)

3168 断エネ

節酒や節煙に対して、それを完全に断つのはふつう断酒や禁煙という言葉が当てられます。そう言えば、省エネに対する同様の言葉が見当たらないと思い、ここでは勝手に「断エネ」という言葉を作りました。一体、私たちは「エネルギー」を断っても生きていけるのでしょうか。たぶん、無理でしょうね。なにしろ、エネルギー(特に熱)が無ければ、生米を噛み砕かなければなりませんし真冬に寒さで震えながら暮らさなければならないのですから。とは言いながら、注意して探してみると、投稿者の住んでいる地域のあちらこちらに先人が暮らしていたとみられる洞窟がいくつか見つかるのです。その中には、火を燃やしたり暮らしの痕跡が残っているものもいくつか残されています。

雪深いこの地方で、一体先人はどの様な暮らしぶりだったのか、非常に興味深いものがあります。もちろん、冬には洞窟の入り口に雪囲いを施した事でしょう。でもそうなると、中でたき火をするには煙の出口が無くなるので、困った事になります。もちろん、彼らには現代人に劣らない程の「知恵」があった筈なので、何らかの解決方法を編み出していた事でしょう。例えば、お隣の国の「オンドル」の様に、地面の下に煙の通るトンネルを巡らせていたかも知れませんし、獣の皮や樹皮を使って、煙突の様なものを作って煙を外に出していたかも知れません。

さて、人間が生きていくのに最低限必要な煮炊きや凍え死なない程度の暖房は、絶対に必要不可欠なものなので、ここではそれを「サバイバル(必須)エネルギー」と呼び、エネルギーとしてはカウントしない事にします。それを超える、「快適さを追求するためのエネルギーを、改めて「快適エネルギー」と定義し直す事にしましょう。今後このブログでは、それを可能な限り減らすのが、今回の表題の「断エネ」と呼ぶ事にしましょう。

さて問題になるのは、人々の我慢の限界です。例えば、昔の話になりますが、いわゆるオイルショックの頃、人々は街のネオンを消し、トイレットペーパーは短めに切り、家族はなるべく一部屋に集って暮らして照明や冷暖房を節約し(そう言えば冷房は殆ど普及していなかったなー)、テレビは深夜には放送を休止していたのでした。あれを我慢と呼ぶなら、私たちはまだまだ大きな「我慢のし代」を抱えて暮らしていると言えます。投稿者の家は、バイオマスボイラの導入が遅れており、初雪が降っても小さなエアコンだけの暖房で凌いでいますが、この分なら一冬くらいは「我慢」が出来るかも知れないと思う、プチ断エネ生活のこの頃です。

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2016年11月21日 (月)

3167 環境温度(熱)2

環境温度が重要なのは、単に暑さ寒さの感じ方に関わるという理由だけではありません。何度も書いている様に、熱(振動)は、激しい(温度が高い)部分から、緩やかな(温度が低い)部分に流れ(伝わり)ますから、温度差が非常に重要なファクターになる訳です。難しい方程式は好きではないので、すっ飛ばしますが、伝熱は温度差に比例するので、例えば室内と外部の温度差が大きい程、冬は建物内部から(夏は建物内部へ)の熱の流れが大きくなるのです。つまり、暖房冷房に要するエネルギーが大きくなる訳です。極端なケース、例えば家の内部と外部の温度差が無い(小さい)場合、つまりは春秋には、冷暖房負荷は非常に小さくなるのです。全く当たり前の話です。

さて熱の流れ(熱流)を小さくするには、何は無くとも、室内外の温度差を小さくすることに尽きますが、かといって真冬に室内温度を10℃以下にする訳にもいきません。仕方がないので、壁や窓など建物の熱の出入りの係数(熱貫流率)を可能な限り小さくする、つまりは断熱性能を高める事になるのです。とは言いながら、例えば魔法瓶に様に、内部を鏡の様にピカピカにし、壁の間に真空層を挟んんで、かつ建物の気密を最大限高める、というのは現実的ではないでしょう。

結局、建物の断熱を費用対コストが最大となる様に施工し、同時に地熱や太陽熱や地下水などの環境熱を最大限に取り込んで、冷暖房エネルギーを最小限に留める、という現実的なアプローチをするしか無さそうなのです。取り分け、投稿者が日本の住宅の弱点だと思うのは、基礎と床下構造なのです。新しい住宅では、もはや床下に通風口を設ける従来工法は殆ど無くなり、べた基礎が殆どですが、それでも基礎の底面のスラブや立ち上がり部は、地面から水分を吸い上げて、床下の環境温度を随分下げているのは間違いないでしょう。

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3166 環境温度(熱)

環境温度(熱)とは、このブログでの勝手な造語で、言わゆる身の回りの物体が持つ温度を指します。例えば、大気の温度、流水や地下水の温度、土壌の温度などです。建物について言えば、床下の温度や屋根裏の温度、あるいは壁や基礎のコンクリートの温度なども同様に環境温度と言えるでしょう。人間の気温の感じ方は、このブログも縷々書き連ねていますが、要は体を取り囲む環境温度の平均値を「気温」と感じますので、環境温度が重要となる訳です。ちなみに、温度とは、熱(振動)の指標であり、熱は温度の原因となる物理量という事になります。

例えば、今日(11202000)現在の、温度計で示される気温は外気温は9.8℃で室内は17.3℃ですが、床(下)温度は14.7℃、壁温や天井温は放射温度計では、ほぼ17℃前後となっています。この結果、体が感ずる気温(体感温度)は、概ね17℃前後であり、セーターを着ていれば寒さを感ずる事はありません。寒がりの連れ合いが居る居間では、エアコンを入れたりしていますが、今ブログを書いている事務室を含め、他の部屋には暖房を入れていません。この冬は、環境温度がどの程度まで低下すると、体が耐えられなくなるのか、自分の体で実験(耐寒実験)をしてみようと思います。もちろん、体は耐えられても、例えば手先や足先が冷た過ぎれば、仕事に差し支える訳で、そこは「部分暖房」を使わない訳にはいきませんが、投稿者の場合はUSB電圧(5V)で暖まる、小さなブランケットをマウスパッド代わりに使い、カイロやベルト型のヒーターも使って凌いでいます。

その意味では、手足に関しては、環境温度はやや高めに保たれているので、あまり寒さを感じないで済みそうです。加えて、人間の「寒さのセンサー」は、背中から首筋と手足に集中しているので、ここをガードしたり、体感温度を上げたりすれば、さらに寒さを意識しないで過ごせるのです。環境温度から体感温度の話に脱線しましたが、要は環境温度は体感温度の大元となるという当たり前の結論になってしまいました。たぶん続きます。

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2016年11月19日 (土)

3165 価値観の転換2

価値観の転換は、そんなに簡単に進むものではないでしょう。これまでの短い?人生の間の観察によれば、大多数とは50%を超える事ではなく、おおよそ2/3に達する必要がありそうなのです。つまり、喫煙率で言えば30%前後に低下して初めて「嫌煙権」がパワーを強めてくる事になる訳です。もちろん、これは何に関わる大多数かによっても境界は変ってくるでしょう。間接喫煙を強いられたからと言って、非喫煙者は苦痛には感ずるのでしょうが、我慢できない、あるいは直ちに健康被害を発する訳でもないでしょう。しかし、非喫煙者の割合が増えるにつれて、我慢の限界(しきい値)がドンドン下がってきて、僅かなタバコの匂いも許せなくなってしまう様なのです。

価値観の転換とは、つまりはしきい値の境界の移動という事にもなりそうです。「世間の常識」が変れば、しきい値も移動し、結果としてはそれまでは「僅かな」影響と考えられていたものが、一度しきい値を潜った瞬間、「許しがたい」影響に変質するのでしょう。

投稿者の専門とする「環境」に引き寄せて考えれば、例えば路上へのゴミやタバコの吸い殻のポイ捨ては、ずいぶん減ってきた事は間違いないでしょう。つまりはポイ捨ては「悪」であるとの文化が出来上がった証左と言えます。一方で、温暖化論議について言えば、彼の国の次期大統領が、温暖化のメカニズムに真っ向から否定するなど、まだまだ「文化」にはなっていないでしょう。一方で、欧州のいわゆる「環境先進国」では、既に文化として定着しつつある様に見えます。根は、同じ民族でありながら、欧と米で文化に差が出るのは、やはり社会背景が違うのだろうと考えるしかなさそうです。つまり、比較的質素=質実を是とする欧州文化と、Aメリカンドリームを理想とし、お金がそれなりに手に入ると湯水の様に消費=浪費をしたがる国との差という事になるのでしょうか。

さて、この国はどうでしょう。1900年代(特に戦後)B国流の「文化的生活」にすっかり洗脳された、貧しかったこの国は、やはり日本流ではありますが、便利な電化生活や車生活を追求してきたのでした。たとえ住宅事情が「ウサギ小屋」のままだとしても、です。そろそろ、この国も本物の文化を確立させる必要があると思うのです。それも、世界の何処にもない「日本流」の文化です。モノを大切にし、賢治の詩を理想とし、環境への負荷を最低限に抑え込む、という文化です。それには、このブログの投稿者の様な「環境人間」が、世の中の2/3に達する必要があるのかも知れません。先は長そうです。

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2016年11月18日 (金)

3164 価値観の転換

最近、文化の変質による価値観の転換が気になります。と書けば、なんだか難しそうですが、卑近な例を挙げるなら、例えば嫌煙権や分煙が思い浮かびます。数十年前を思い起こせば、大人の半数以上が喫煙癖を持ち、事実上どこでも喫煙できました。テレビでも喫煙シーンが出てくるのはごくありふれており、俳優も「さも煙たそうに、しかし美味そうに吸う」喫煙演技を研究していたことでしょう。

しかし、今この時代、都会の一定の地域では歩き喫煙は罰金を取られる「軽犯罪」ですし、レストランでも禁煙タイムを設定するとか、そうでなくても「分煙」は普通でしょう。企業の中でも、喫煙所を設定するのは、最早あたりまえの時代になったのです。つまり、この数十年、取り分けこの世紀に入って、嫌煙権や分煙は先進国においては「文化」として、ほぼ定着したとみてよいでしょう。それ以前は、タバコの嫌いな人は我慢するしかなく、今は喫煙者が肩身が狭い想いをしながらコソコソと喫煙コーナーやベランダで喫煙するしかない訳です。

偶然ですが、昨晩のTEDでは、B国の銃問題を取り上げていました。つまり、人口を軽く超える銃が市井に溢れているという「異常状態」の話題でした。今は少なくなりましたが、私たちの子供の頃は「西部劇全盛」の時代で、その中では銃による決闘シーンや銃撃戦が当たり前の様に放映されていたのです。さながら、日本の時代劇での立ち回りシーンの様な位置付けでしょうか。しかし私たちは、帯刀が当たり前のドラマを「時代劇」と呼んで、明治以降を描いた演劇や社会とは完全に分離して眺めていますが、B国では未だに「銃社会」という時代錯誤文化を抱えたままなのです。なにしろ、テレビの通販番組に「銃専門」の時間帯があるという程の、時代錯誤だと言うのです。

彼の国の銃文化が、過去のものとなるのに一体何人の犠牲者が必要なのでしょうか。既に、市民の銃保持に反対する人が半数を大きく超えているのは間違いないのでしょうが、喫煙の例で言えば7-8割の人々が、市民の銃保持は異常事態で取り締まるべきだ、と声を上げない限り、B国の銃文化の変質は起こらないのでしょうか。悲しむべき事ではあります。

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2016年11月17日 (木)

3163 PDCAは万能ではない

ISOの各システムでは、PDCAサイクルを回す事を基本として強く要求しています。しかし、考えてみなければならないのは、多くのケースでは、それが「堂々巡り」の原因になってしまっている点です。というのも、そもそも計画段階のPが果たして適正か否かは、実行後のCでは十分確認できるものではないからです。何故なら、このシステムは、計画に対して実行が上手く行ったかどうかはチェックできますが、計画そのものが妥当であったかどうかまではチェック出来ないからです。ゴールに対して、計画が妥当であるかどうかには、先ずは計画を立てる前に、計測(見える化)と得られたデータに基づいた分析(Analysis=問題の見える化)が必要になると思うのです。

その分析によって、問題点を掘り起し、それを解決するための計画案が出てくる、という順番になるべきなのです。計測には確かに手間が掛かりますが、計測とその分析に段階で、原単位かそれに類するデータも得られる筈です。例えば、空調機の電力量は毎月の請求書から容易に読み取れますが、では晴れた日と曇りの日で、あるいは外気温や湿度との関係で、時々刻々の電力がどの様に変化するか、と言ったデータは、何らかの手段で計測を行わない限り、得る事は叶いません。でも、もしその様なデータが手元にあれば、例えばエアコンの設定温度を1℃変化させた場合、どの程度(何%)の省エネになるかも比較的容易に推計する事が出来る様になるのです。

その様なデータに基づいた、省エネ行動の計画を立てる事が出来るなら、例えば前年比5%の省エネ達成という目標・計画も確実に達成可能となる訳です。即ち、例えばビルの電力量の50%を占める空調の電力を、調整する事によって、夏場は○○℃、冬場はXX℃だけ控える事によって10%削減可能という試算が出来、結果としてそのビルの消費電力削減5%が、確実に実現可能となる訳です。もし、その設定温度が作業に差し支える(暑すぎる、または寒すぎる)というのであれば、例えば運転時間の短縮との併せ技でマイナス5%を達成すれば良いだけです。多くの事業所で行われているPDCAサイクルは、結局は成り行きに任せ、出た結果に対して理窟を付けて「反省文」を書いているだけに終わっているので、堂々巡りに陥る羽目になる訳です。たぶん続きます。

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2016年11月15日 (火)

3162 スーパームーン地震?

スーパームーンの前後には大きな地震が多いのだそうです。確かに、地球サイズに比べても、結構大きな(直径で約1/4)月によって生ずる引力によって潮汐の満ち引きが起こっている訳で、その引力が薄皮である地殻の変形にも影響を与えない筈はありません。事実、歴史的に見ても大きな地震は満月の前後に集中している様ではあります。地殻が別の地殻に乗っかっている場所や断層が上下関係にズレ易い場所では、もし内部の歪が限界に達していて、ごく僅かの力のバランス崩れが地震につながるかも知れません、月の引力がそのそのきっかけになってもおかしくはないでしょう。

それが、月が地球に最接近する68年振りの「ウルトラスーパームーン」であれば尚更となるのでしょうか。地球と月の距離はざっと40万㎞と言われますが、その距離が数%短くなるスーパームーンでは、それだけ距離の自乗に逆比例する形で大きくなるからです。実際、今回もニュジーランドでは大きな地震が起こった様ですし、この国でも歪の蓄積した場所も、取りわけ東南海エリアでは増え続けて居る様です。

さてそれが事実だとして、私たちはどう行動すれば良いのでしょう。もし、大地震が満月、特にスーパームーンの前後に集中する事が、統計的にも十分裏付けられるなら、その時期だけ短期間地震に備えるのであれば、それは出来そうな気もします。オオカミ少年の逸話ではないのでしょうが、もちろんその警報に慣れてしまう、という心配はあるのでしょうが、何もココロの準備が無い不意打ち状態に比べれば数段マシでしょう。ほぼ1か月毎の満月の日を、地震を思い起こさせる日(地震の怖さ思い出す日)にするのも一つの自衛策とはなるでしょう。

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2016年11月14日 (月)

3161 Winner takes all社会2

勝者と敗者の調整は困難だと言っても良いでしょう。社会で最も困難な作業だと言っても良いくらいです。両者の立場が、精々白と灰色くらいの違いであれば良いのですが、もしそれが白と真っ黒だったらどうでしょう。仮に中間の灰色で決着したとしても、両方に不満は残るのでしょう。その様な場合には、仕方がないので墨流しの様にマーブル模様にして、両論の並走期間を設けるしかないかも知れません。そうこうしている内に、マーブル模様は徐々に混じり合い、適当な色合いの灰色で落ち着くのでしょう。それを、選挙結果の様に短い期間で決着させようとすれば、彼の国の様に軋みが生ずるのは仕方がないところでしょう。

さて、今回の国のリーダーを決める選挙で、候補者が二人だけというのは、上に述べた様にどちらの候補者が勝ったとしても、軋みが残る事になりますが、もし候補者が3人だったらどうでしょう。もし一人の候補が4割の得票数を得て、次点の候補者との決選投票になったとしても、落選した候補者の票が次点の候補者に回れば、逆転される可能性も出るでしょう。そうなれば、今回の選挙の様に候補者が好き勝手なホラを吹きまくって、ポピュリズムに走る事は抑制される筈です。つまりは二項対立の構図から「三項関係」に変る訳です。二項対立とは、白と黒が真っ向から綱を引きあう訳ですが、3項関係になれば、理想的には互いに120度の角度になった綱を3方から引き合う訳で、勝ち負けはそう簡単には決まらない筈なのです。

つまりは、落語の「三方一両損(得?)」の関係に落ち着く事になります。政策で言えば、白か黒ではなく、白と黒の意見を取り入れたマーブル模様の政策になるか、あるいは第三極の意見を取り込んだ「ピンク色」の政策になるかも知れません。要は、敗者と勝者が境界を挟んで対立しなければ良いわけで、人種差別政策の良薬は、可能な限り速やかな「平和な混血政策」ではないかと、無責任に考えています。この項終わります。

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2016年11月13日 (日)

3160 Winner takes all社会

今回の彼の国の大統領選挙で明らかになった様に、民主主義とは、Winner takes all(勝者総取り)主義だとも言えるでしょう。つまり、1票でも相手を上回った候補者が、全てを獲得できるというシステムです。今回も多分、互いに50%台前半と40%台後半の勝負だったでしょうし、その差は実際の有権者の投票比率で言えば、実は逆転していたという報道もあるくらいです。5149の得票差で勝ったWinnerは、その比率で敗者へのリスペクトを忘れるべきではないでしょう。そうでなければ、49の投票を行った人々の「腹は収まらない」ことにも繋がるからです。彼の国で、投票終了後数日を経ても、反Tランプの嵐が吹き荒れているのは、多分そこに根がある筈です。

結局のところ、民主主義の破綻は、敗者への配慮を欠く多数決という原則にあるのではないかと疑わざるを得ないのです。もちろん、全会一致などという決議もまた信じがたい事態でしょう。世の中に、100%の人が幸福になる決議など凡そあり得ないからです。敗者(looser)や底辺の人達は、standing small(ションボリと佇む)しかない訳です。もしそんなものがあるとすれば、現世代の幸せではなく、数世代後の(まだ見ぬ)子孫の幸福を考えての決議でなら、シブシブでも納得も出来る話です。何故なら、決議の賛成派と反対派の子孫は、やがて結婚して血縁関係が出来るかも知れませんし、遠い将来には、今の賛成や反対の理由にも変化が生じているかも知れませんから。

そうでなければ、安易に多数決に持ち込まず、道は遠くなっても「熟議」を重ね続ける必要がある筈なのです。年度毎に何らかの政策を打ち立てて、予算を付け、それを実行しなければならない、今の欠陥の多いシステムが必要悪だとしても、そうではない10年後や50年後を見越した、若者だけの「次世代議会」制度があっても良いとも思うのです。若者は、もし現体制に不満があるなら単に異議を唱えるだけではなく、同時にそれを克服する代案を時間を掛けて練り上げていけば良いのです。それを続けて行けば、欠陥の多いシステムも徐々にではあっても理想に近づいて行くのではないか、と投稿者としては言いたいのです。かなり楽観的ではありますが・・・。

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2016年11月11日 (金)

3159 たった一人で世界が変る?

たった一人の経営者が政治家になったというだけで、世界が揺れ動いています。これは、たった1%の富裕層が、全世界の富の半分を保有しているという構図に似ています。つまり、少数の大国がスーパーパワー(軍事力や経済力)で世界を牛耳っている世界情勢と、紙幣という紙に印刷された「ペーパーマネー」、あるいは銀行のコンピュータにインプットされた桁数の多い数字という「デジットマネー」を、握っているか否かで人間の価値までも決められてしまうマネー社会とが、同じように見えてしまう点に強いアナロジィを見てしまうのです。

そのスーパーパワーの頂点に、滅茶苦茶な事を放言する人物が間もなく座ってしまうと言う事態に世界が頭を抱えて慌てふためいているのでしょう。彼の国の大統領選挙は、ある意味人気取りのための情報戦であるとも言えるでしょう。あの手この手で相手の足を引っ張って、その争いに負けた者が退場し、そうでなかった者が「総取り」してしまう、いわば大きなギャンブルの様なものだと言えるでしょう。今回のバトルでは、セクハラだかパワハラだかの小さな?足と、セキュリティの弱い私用メールを公務に使ったというやや太い足をお互いに引っ張り合うという展開でしたが、結局は片方が引っ張られ負けてしまったという構図なのでしょうか。

それにしても、B国のシステムが、どれほど一人のやりたい放題を許すのか、これからが見ものですが、しばらくは彼の一挙手一投足を世界が固唾を飲んで見守る期間が続くのでしょう。それにしても、経済活動の原動力をモノではなくマネーだけに、国のパワーをたった一人のリーダーにこれほど集中させてしまったこの世界は、今後一体どの様になってしまうのでしょうか。富の再配分というか「格差縮小」と、政治的パワーの分散化は、待った無しの、それこそ喫緊の課題となった感があります。そのためにはどうすれば良いのか、引き続き考えて行く事にしましょう。個人があれこれ考えてもどうにかなる訳でもないのですが・・・。いずれにせよ、今度のリーダーが、どの様に既得権益に飲み込まれていくか、静観する事にしましょう。

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2016年11月10日 (木)

3158 エネルギー2

エネルギーを節約する行動を「省エネルギー」と呼びますが、3157の文脈で考えると、エネルギーの伝わる経路を塞ぐのが最良のアプローチである事が分かります。つまりは、断熱・遮熱です。一般的に言えば、熱の伝導や対流を妨げるのが断熱、物体の表面からの放射や赤外線の入射を妨げるのが遮熱と呼ぶのが適切でしょう。もちろん、冷房効率や暖房効率を上げるにも、断熱・遮熱は有効に作用するのです。

住宅やビルなどの居住空間を暑さ、寒さから遮断するのに断熱工事が有効である事は言うまでもありません。折角エネルギーを使って、居住空間を暖め(あるいは冷やし)ても、壁や窓から熱(エネルギー)が放射や入射で逃げたり、流入したのでは投入したエネルギーの大きな部分がムダになるでしょう。そのために、グラスウールや発泡材の断熱材が壁や天井裏に詰め込まれる「断熱工事」が施工される訳です。

しかし、この国では明らかに壁の断熱材が薄すぎる住宅やビルが大多数であるという事実は否めません。多くの住宅では、内壁と外壁の間、つまりは柱の厚み(75㎜程度)しか、断熱材が入れられないのです。しかも、断熱性の低い(例えば低密度のグラスウールなどの)断熱材しか奢ってもらえないのです。加えて、窓は単板ガラスですから、壁や天井や窓や床から、つまりは部屋の6面から、熱(エネルギー)が自由に出入りできるのです。これでは、いくらエネルギーを費やして冷暖房をしても、その効果は減殺されるでしょう。事実、電力エネルギーのピークは、真夏の晴れた午後に発生しているのです。その時、全てのビルや住宅には、強烈な真夏の日差しが襲い掛かり、炎熱地獄状態になっているでしょう。寒い冬場は全く逆で、折角暖めた部屋の空気によって、壁や天井や床も暖まってくるのですが、そこから二次的に放射されるエネルギーが建物構造を突き抜けて、外に逃げてしまうので、それを補うために暖房器具をドンドン運転しなければならないのです。何は無くとも、ビルや住宅の断熱・遮熱が省エネの基本のキである所以です。

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2016年11月 9日 (水)

3157 エネルギー

以前にも書いたような気がしますが、結局エネルギーとは、分子(原子)の熱振動や気体・液体の場合はブラウン運動の激しさの度合いによって決まる指数の様なもので、特殊なエネルギーとして、電子の流れである電気エネルギーや核エネルギーなどがあるのだと理解しています。それを統一する様な理論もあるのかも知れませんが、たとえあったとしても浅学にして投稿者に理解できないでしょう。

さて、その熱振動やブラウン運動は、より激しい物体や場所から、そうではない場所に向かって移動する性質があります。それには、3つの伝わり方があると学校の理科でも習いました。つまりは、伝導、対流、輻射(放射)の三態です。これを別の言葉で言えば、伝導とは個体間の熱振動の移動であり、対流とはブラウン運動の拡散であり、輻射とは振動している分子(原子)からの直接的な電磁波の放射であるとなるのでしょうか。その意味で言えば、例えば理想的な暖房を考える際の一助となりそうな気がします。床暖房や湯たんぽやカイロは、伝導を主とした暖房方法であり、エアコンは空気の対流を利用して室内空気のブラウン運動を活発にする仕掛けですし、反射式の電気ヒーターや石油ストーブは、輻射を主体にした暖房方法だと言えるでしょう。

しかし、その暖房効率は、伝導>輻射>対流の順に悪化するのです。特に、対流は常にエネルギーを供給し続けないと機能しない暖房法である事は注意を要します。エアコンや温風ヒーターを切った途端に寒さが押し寄せてくる訳です。もちろん、壁や天井が暖まっている間は、そこからの輻射が期待できるので、スイッチを切ってもしばらくは寒さは感じないかも知れません。

究極の暖房は、結局は「身に付ける暖房」でしょう。体に一番近いところに付けるカイロは、小さいけれど十分に暖かさを感ずる事が出来る「優れモノ」であると言えるでしょう。同様に、床暖房も足や体の一部が密着すると言う理由で、比較的効率の高い暖房法だと言えます。もし、可能なら、繊維自体が発熱する衣服があれば、最少のエネルギーで暖房が出来る究極の暖房法となる事は間違いありません。現在でも「発熱繊維」なるもので出来た下着はありますが、それは体から出る水分を熱に変えるなどのパッシブなものなので、本物の発熱繊維とは言い難いシロモノではあります。小さな充電式電池で、一日中発熱する衣服が開発されれば、寒風の中屋外で働く人達にとっての福音となるでしょう、きっと。

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2016年11月 8日 (火)

3156 赤外線を見直す2

赤外線が、生き物のエネルギー源だとしても、それを蓄える事は出来ません。電磁波の一種でもある赤外線は、物体や生物に当たると反射するか、あるいは物体表面の温度を少し上げて、より波長の長い(エネルギーレベルの低い)赤外線となって、宇宙に飛び去るのです。物体表面の温度を上げるのは、赤外線が持つエネルギーが、物体を構成する分子に伝わり、分子の「熱振動」が少し活発になる(=温度が上がる)からなのですが、赤外線自体のエネルギーレベルは、元々低いので、太陽光の様な強い輻射でも、皮膚が少し暖かく感ずるほどか、精々温水が作れる程度に留まるのです。

さて、そうではありますが、赤外線を上手く活用するか否かは、生き物の快適性やひいては生き死にも影響を与える訳で、あだや疎かには出来ません。物体には、二次的に赤外線を出しやすいもの、あるいは赤外線を吸収しやすいもの、更には反射し易いものなど、物理的に大きな違いがあります。例えば、黒鉛(グラファイト)や金属酸化物の多くは、その物体の温度が上昇した時、より多くの赤外線を放出する機能が髙いのです。反対に、鏡面を作り出せる金属(金・銀やステンレス鋼やアルミ、スズなど)表面は、赤外線の殆どを反射してしまいます。それは、石油ストーブなどの発熱体の後部が、鏡面になっている事でも分かるでしょう。また例えば、表面にススを付着させた様な(黒体に近い)表面では、赤外線のエネルギーン大奥が吸収される訳です。太陽熱温水器の集熱面が、マットブラックになっている所以です。

同様に、繊維の中にも赤外線に関して機能を持つものも開発されてきました。発熱繊維と呼ばれる、水分を吸収して少し温度が上がるもの、あるいは温度の上昇した空気を抱え込むもの、更には体温を受け取って、赤外線を体に送り返すものなどがありますが、いずれにしてもその着用によって、寒冷期の体感温度をやや上昇させる事が出来るものとなっています。

この項をまとめると、最終的に赤外線機能の再重要な因子は、「体感温度」であると言えるでしょう。赤外線を受け取って寒くなく暑くなく、暖かで快適な体感温度に感ずる様に、住居や衣服や冷暖房によって、積極的に調節している動物が、唯一人間であると言えるでしょう。もちろん、動物も夏毛や冬毛や脂肪の厚みによってパッシブには調整はしているのでしょうが、体温が限度以下に下がれば凍死してしまうしかないのです。

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2016年11月 7日 (月)

3155 赤外線を見直す

寒い季節になりましたが、そんな時は寒さの感じ方について考えます。暑さ、寒さの感ずるのは、結局は恒温動物であるヒトとしては、体温を維持するための「センサー」を多く備えた事に始まった筈です。変温動物であれば、寒くなると同時に体温も下がって、限度以上に下がると穴に籠って冬眠するしかなかったのですが、毛皮を脱ぎ捨てた恒温動物としては、衣服で調節する以外に、冬は暖房を必要としたわけです。その際、暖かさの指標としては「赤外線の波長と強度」を採用したのでした。たぶん。

赤外線は電磁波の一種なので、当然の事ながら波長と強度を示す並みの高さで、エネルギーの大きさが決まります。波長が短い電磁波は、確かにエネルギーレベルは高いのですが、それは高温の物体から放射されるので、それに触れると火傷をしていまうでしょう。真っ赤に焼けた、金属やたき火(炭火)のごく間近に手をかざしている状態を想像して貰えば直感的に理解できる話です。一方で、同じたき火でも数メートル離れると、体に気持ちの良い(長い)波長の赤外線だけ届くので、快適に感じます。波長の短い赤外線は、空気の分子や水(蒸気)分子に吸収されて、届かなくなるからです。しかし、波長の長い赤外線は、例えば太陽光の中の電磁波の内、主として長い波長のもの(赤外光)が地表に届く事によって、動植物が生きていける環境が維持されている訳です。

つまり、赤外光(とりわけ遠赤外光)は、生き物にとって非常に重要なエネルギーであるが故に、ヒトもそれを感知するセンサーを発達させたと想像できます。結局、ヒトの寒暖センサーとは寒さは体表面温度(36-7℃)が発する赤外線と、同じ表面が受け取る遠赤外線の差引によって、出る量が多いと寒さを感じ、逆に入る量が多いと暑さを感ずる様に作られていると言えるでしょう。そのバランスを、パッシブに行うのが「衣服」であり、アクティブに補うのが冷暖房という位置づけになる訳です。ですので、冬場に寒い家に住んで、ガンガン暖房するのは、体にとっては赤外線のエネルギーを失う壁や窓側の体半面と、一方で暖房器具に面している半面では、センサーの働きは真反対になり、大きな「ストレス=ヒートストレス」に晒される事にもなるのです。暖房のキモは、住宅全体を低い温度に保つ一方、寒い壁や窓、あるいは浴室などで寒い場所を作らない事だと言えます。続きます。

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2016年11月 6日 (日)

3154 周回遅れ2

ピッチを上げて、欧州の環境先進国に追いつくためには何が必要となるのでしょうか。先ずは、何は無くとも原発を今すぐ諦めて、再生可能エネルギーへ完全に舵を切るしかないでしょう。再生可能エネルギーには、太陽光(熱)、風力、バイオマス、小水力、バイオ燃料などがありますが、それぞれの地域によって、資源量にはバラつきがありますが、太陽光(熱)は偏在が少ないエネルギー源でもあるので、先ずはこれをベースに据えるべきでしょう。オール電化のベースとして、3kw程度の太陽光発電を屋根に載せるのが流行ですが、太陽熱はそのままで給湯熱源として有効に活用すべきでしょう。

理想的には、太陽光発電パネルを、水で冷やして発電効率を上げる一方で、冷却水(低温のお湯ですが)を給湯熱源として利用する、ハイブリッド(熱電併給)が理想と言えるでしょう。北国では、冬季の陽光が期待できない一方、バイオマス(木材や稲わらやもみ殻など)は豊富で、日本海沿岸では風力発電も、投資が回収できるレベルで有効です。山際では、小水力発電も有望でしょう。少し歴史を遡れば、電力会社の統合前には、国内各地でローカルな水力発電会社が林立していた筈なのです。

この国の得意技は、機器の多分小型化と多機能化に発揮されてきた様に思います。家電や車その他の設備機器を眺めてみても、それは事実でしょう。ならば、再生可能エネルギー分野に置いても、ハイブリッドとりわけ「熱電併給」分野では、この得意技を生かしていけば、周回遅れを取り戻す事も可能だと思うのです。バイオマスの燃焼熱やバイオガスで発電を行った上で、廃熱を給湯に利用できる様な、小型の(家庭用サイズの)システムが作れれば、逆に世界をリードできるかも知れません。またあるいは、太陽熱を利用した冷房システム、具体的には「デシカント冷房」ですが、が開発できれば、陽光に恵まれているが蒸し暑い、東南アジアやアフリカ諸国のQOL向上にも貢献できるでしょう。

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2016年11月 5日 (土)

3153 周回遅れ

この国はどうやらパリ協定に乗り遅れるらしいです。タッチの差で乗り遅れるならまだしも、投稿者が思うに、既に周回遅れではないかと疑っています。環境先進国に一周置いてきぼりを食っている様に見えるのです。例えば、原発です。事故直後は、国中でまるで悪魔の様に忌避した原発を、熱さが喉元が過ぎれば、なんと再稼働させたいという「既得権派」の要求に従うと言う、節操のない政治決断をしたのでした。期待する方が間違っていました。確かに、この世に生を受けて60有余年経ちますが「ブレない政治家というものを見た事がありません」でした。政治家が時々口にする、「世界に冠たる環境大国」なんぞ、チャンちゃらおかしいホラ話と言うしかありません。

未だに、自動車の完全リサイクルは程遠い状況ですし、PETボトルの再使用は俎上もされていませんし、原発の廃炉計画もオザナリですし、家庭や運輸部門の省エネ目標もボンヤリしたままです。たった26%の目標すら、空約束の怪しげなものだと言うしかありません。もちろん、風力や太陽光発電や太陽熱や地熱・地中熱の利用も、明確な量的ターゲットは示されないままです。その間、欧州では着々と原発の廃炉が進み、村々には風車がそびえ、太陽光発電による充電ステーションがドンドン増え、再計可能エネルギーだけで全てのエネルギーを賄う村が出現したりしているのです。

一方でこの国は、車ではハイブリッド車のリッター30㎞程度の半端な燃費で満足し、屋根のある戸建ての太陽光発電や太陽熱温水器の段階的義務化や、バイオマスの熱利用などもべた遅れの状態です。山には、利用される見込みの無い木々が、枝払いもされずにCO2吸収力も弱ったまま立ち尽くして、一方では原発の再稼働までの時間稼ぎにと石炭火力も、静かに増え続けているのです。一体、この国は、政治家や行政は、あるいはそれを見過ごしている国民は、何を考えているのでしょう。ここらでピッチアップして、追いつく努力が絶対に必要でしょう。絶対に・・・。続きます。

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2016年11月 3日 (木)

3152 見える化

何にせよ見える化は大切です。3151では、廃棄物の見える化に言及しましたが、その他にも衆目から隠されている事の何と多い事でしょう。環境分野でも、エネルギーの見える化をはじめ、有害物の見える化、放射線の見える化、土壌汚染の見える化、食品添加物の見える化、温暖化への負荷の見える化、騒音の見える化、振動レベルの見える化などなど、枚挙に暇がありません。

振り返って社会活動を眺めてみても、多くは意識的に隠ぺいされていることの多い事に愕然とします。政治の世界における法案決定のプロセス、閣議決定前の根回しのプロセス、行政の予算決定のプロセス、入札・発注金額が予算の98-99%で決まるプロセス、年金資金運用のプロセス、コメや野菜や農産物の値段決定のプロセス、各種助成金の金額決定のプロセス、各種公共団体への補助金の使いみちの中身、その団体への天下りのプロセス、企業の経営状態やコンプライアンス内容、更にはリコールにつながる自社に不利な品質情報などなど、これも枚挙に暇がないどころか、社会システムが複雑になればなるほど、見える化は遠のく筈なのです。というより、なまじっか知恵のある人たちは、出来る限り見える化しない様に謀略の限りを尽くすのでしょう。システムを、外部からは容易に見えない様に複雑にする、あるいは、責任が一人に及ばない様に、絶妙な決裁(決済)システムを作る、更には国会の答弁の様に「~という訳ではないが、場合によっては~」などという回りくどい表現で、結論をボヤかすなどのテクニックを弄する訳です。

もちろん、全てを見える化するのは、精神衛生上は良くない事かも知れません。総ガラス張りの檻の中で暮らしている動物園の動物たちの様に、落ち着かない状態である事は間違いありません。普通の精神状態の人間は、多分耐えられないとは想像します。しかし、こと公金や税金を使う活動である限りにおいては、必要な時あるいは必要とする人が居る限り、随時の見える化には対応せざるを得ないでしょう。

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2016年11月 2日 (水)

3151 減容(ゴミの見える化)

先日、息子が高校時代に使っていた20年ほど前の自転車と、置き場所が無くなった事務用イスを処分しました。市の最終処分場にある受付で車ごと軽量し、廃棄物を降ろした後で再計量します。その差分、約20㎏が処理料として課金されました。約500円でした。そこでは数人のシルバーの方(と言っても投稿者と同年代ですが・・・)が待ち構えていて、多分金属と燃えるゴミと埋め立て処理される部分に分解するのだろうと思いました。自転車で言えば、リムはステンレス、フレームは鉄のスクラップとして、タイヤやサドルは燃えるゴミ?、ダイナモは?などに分けるのでしょう。

結果、埋め立て処理される目方は殆どゼロとなり、見事ゴミの減容が行われ、燃やされる部分以外は、資源として蘇る訳です。何という、崇高な仕事でしょう。これは、是非一般市民や子供達にも体験させる必要があると、しみじみ思いました。何故かと言えば、この処分場は町の中心から見ると7-8㎞山の中に入った、谷合の場所に作られていて、用がある市民や業者以外は立ち入る事もない行き止まり道路の終点にあるからです。こんな場所で、市民に見えないところで不燃ゴミの処理が行われている限り、ゴミはなかなか減って行かないとも思いました。

そうでなくて、ゴミの減容や処理は手間=コストも掛かり、埋め立て処分場の逼迫など、持続可能ではないを抱えている問題行政の一つであることを、市民に知らしめて行く必要があると思うのです。もしこれを、幹線道路にある空き地で、透明なフェンスに囲まれた場所で行うなら、市民や子供達も興味を持って眺めるでしょうし、その大変さを認識すれば、自ら分解してから持ち込むなり、もう一度考え直して修理に出すなりのより望ましい行動を惹起させる筈なのです。「ゴミの見える化」が必要な所以です。

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2016年11月 1日 (火)

3150 リサイクル2

リサイクル分野で有望なのは、リサイクルにより戻された材料が、元々の素材より品質が向上する「アップグレード・リサイクル」でしょうか。品質が向上するという事は、つまりは「純度」が上がる事を意味します。金属であれ、プラスチック類であれ、リサイクルの過程でどうしても、好ましくない不純物が混入してしまいます。しかし、絶対に不純物を入れない工夫を重ねたにしても、リサイクル材料がオリジナルの材料の性能を超える事はありません。

アップグレード・リサイクルとは、この壁を打ち破る方法で、例えば化学的あるいは物理的に、材料の純度を上げるのですが、もちろん簡単な話ではない事は想像できます。例えば、しっかりと結びついた合金から、合金元素だけを抜き出す事は至難のワザなのです。もちろん、炭素鋼から炭素を抜き出す事は、水素で還元すれば良いので比較的簡単ですが、ステンレス鋼からクロムやニッケルを分離する事は事実上無理な話になります。現状でステンレスがリサイクル出来ているのは、リサイクル材を溶解する過程で、取鍋(とりべ)分析を行い、不足している合金元素を加えて、例えば組成がJISで言う18-8ステンレスの組成範囲に入る様に調整しているのです。

しかし、例えば電気分解を使うとか、金属をプラズマ化した状態で捕集するとか、何らかの工夫を加えれば、例えば「純鉄」を分離する事は可能の様に思えます。純鉄は、事実上腐食しないので、鉄の新たな用途として注目されていますし、磁気材料や電気材料として新たな用途が開ける可能性も高いのです。二束三文の屑鉄から、高価な「貴金属」を生み出す事が、即ちアップグレードと呼ばれる所以なのです。同様に、プラチック類に置いても、同様な展開が考えられますが、こちらは分離に成功しても、材料の単価が低いので、それ程のメリットが出るかどうかは、やや疑問が残りますが、いずれにしても不要となった廃プラや屑金属を、異種のものは絶対に混ぜないシステム作りが不可欠である事は言うまでもありません。それは、かつては飲み物や液体はガラス瓶だけで流通し、ビン類は有料で回収される「リターナブル容器」であった事実を思い出す必要があります。つまり、空容器は値打ちが無いゴミではなく、有価で取引される「資源」である事の社会的合意が不可欠なのです。その意味で、この国はまだまだ「環境後進国」であると断ずるしかありません。

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