« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »

2016年12月27日 (火)

3194 総論賛成、各論・・・

あれほど熱心に誘致し、国のリーダーまで乗り込んで行って、福一事故後の安全性をアピールして引っ張ってきた五輪なのに、今度は予算をどの組織が持つかの「押し合い」を繰り返している姿は、見にくいとしか形容の仕方を知りません。この国には、どうやら総論賛成、各論反対の根強い伝統が脈々と受け継がれている様です。

「お祭り」の細かい事が決まらない内は、子供の様にはしゃぎ、いざ役や負担額が決まり出すと途端に引いてしまうと言う「絵柄」は、何度目にし、耳にした事でしょう。今回のバタバタ劇にしても見慣れたデジャブの一つにしか思えません。

それもこれも、結局は責任を誰が取るかについて合意形成が「下手」なのだと言えそうです。これを回避するのは、やはり欧米流の「書面」による取り決めしかないのかも知れません。それも悲しい事態である事は間違いありませんが、いずれにしても「食い逃げ・逃げ得」を防ぐには仕方がないのかも知れません。

もう一つは、上下関係を明確に決めておく事でしょうか。もし国、自治体、組織委の関係(権限の強さ)が、完全に同等であるとした場合には、いわゆる「三すくみ」状態が続く事にもなるでしょう。今がまさにその状態だと言えるでしょう。三者の上にもう一人権限を付与された「議長(プロジェクトリーダー)」が座れば、多分物事が滑らかに進み始めるのだと思われます。余り時間は残されては居ませんが・・・。それにしてもプロジェクトの進め方が下手な国民ではあります。今日は短く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月26日 (月)

3193 格差社会

現代程格差が問題になっている時代は、無かったかも知れません。確かに、封建時代は支配階級と被支配階級があって、格差は存在しました。とは言いながら、同じ階級の中では、殆ど均質であったと想像しています。支配階級にしても、富の集中とは言っても、精々領地内の年貢の範囲内だったでしょうから、知れていると言っても良い程度でしょう。

然るに、現代の格差のオンパレードです。経済格差は言うに及ばず、地域格差、交通インフラ格差、学歴格差、更に国際的にも資源(有無)格差、武力格差、人種格差(差別)、宗教格差(差別)、日照(気象)格差、水資源格差、貿易収支格差、通信インフラ格差、食糧自給格差などなど、枚挙に暇がない程です。それらの格差の結果、地上には貧困禍が溢れ、その中から生まれたテロが蔓延し、その結果信じられない程の避難民が溢れる事に繋がったのでしょう。全ては、各種各様な格差の為せるワザだと言えるでしょう。

しかし、一方ではその格差の助長を進める政党の支持率が下がらなかったりもするのです。格差を助長する事になる賭博や都市への集中を加速する五輪や万博の誘致に至っては何をかいわんやでしょう。誘致をしたところで、所詮一時のお祭り騒ぎが起こるだけで、「祭りの後」の虚脱感の反動を想像するだけで憂鬱にさえなるのです。

この方向に、後戻りは無いのでしょうか。確かに、これを反省したり、好ましくはないと言う「掛け声」はあります。マスコミの特集で取り上げられる機会も増えてはいます。いくつかの提言も聞きましたが、どうにも決定打に欠ける様ではあります。やはり、ここは社会の方向を「左寄り」に修正するしか無さそうなのです。この国でも、かつて左寄りの政党が強い時代もありました。瞬間的には、政権の座に座った事さえあったのですから。しかし、ゾンビの様な右寄り政党が戦後一貫してこの国を右寄りに引っ張ってきたのでした。最近でも若者がこの傾向に嫌気がさして少し騒いだ事もありましたが、かつての勢い、例えば安保闘争時の様な勢いは当然ありません。若者の人口に占める割合(パワー)が、60年代の数分の一になっているのですから仕方がありません。どうにもこうにも、結局は右寄りで人口の大きな多数派を占める我々以上の世代が、世の中から居なくならない限り、大きな揺り戻しは期待できないのかも知れません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月25日 (日)

3192 利息の発明2

人々が、カネを貸す際に度を超えた利息を取るとか、あるいは商売をする上でぼろ儲けをしたがるのは、多分「儲けられる内に儲けておけ」と言う意識が働くからでしょう。もし、人々の生活が「揺り篭から墓場まで」保証されるならば、人々はきっとあくせく働いて、多額の貯蓄をする必要性が薄くなる事でしょう。確かに、北欧など一部の国々では、高負担ながら高福祉を実現している例が見られます。この国の様に、中負担、中福祉の国々では、多くのケースで失敗しかけている例も散見されるのです。例えば、この国やお隣のK国などでは教育費が親や子供に重く圧し掛かりますし、B国などでは医療費制度が破綻しかけている様です。

投稿者としては、中途半端はどうも上手く行かないのかも知れない、と思うようになりました。と言うのも、人々は将来に対し、不安を抱きがちな存在だと思うからです。世の中が右肩上がりで、行け行けどんどんの時代には、不安も最低限に縮小するのでしょうが、人口減で高齢化が進んでいるこの国の現状では、きっと老いも若きもそれぞれに大きな不安を抱えて暮らしていると想像しています。過度の利息のブラックローンや、率の高い証券投資話や不動産投資等や射幸心を過度に煽る高額の宝くじや、カジノ付のレジャー施設やまたぞろの五輪や万博の誘致などの話題が引きも切らないのは、そうした不安の裏返しでしょう。つまりは、「景気(に火)をつけろ」と叫んで。不安を覆い隠そうとする「策略」でしかありません。

そうではなくて、私たちは現実に真っ直ぐに向き合い、数十年後のあるべき姿を見据えて、そこに向けて地道な努力を傾けて行く必要があると思うのです。人口は、例えばこの国の国土サイズでは、例えば今の半分程度が適正なのかも知れません。もしそうであるなら、そこに向かって、年寄りは簡単には寝たきりにしないで、生涯現役が貫ける様な工夫が必要なのです。老人が寝たきりになって重荷になる社会は、若い世代の不安を煽るからです。寝たきり老人をベッドに括りつけて彼らに何の生き甲斐が残るのでしょうか。三輪自転車や車いすや新しい移動手段を準備してでも、何とか活動度を維持していないと、寝たきりになってしまうからです。

そうそう利息の発明の話でした。いずれにしても、活動レベルの低下は、別の格差(健康格差)の原因にもつながってしまうでしょうし、同時に働けなくなって、莫大な医療費を使う事は、経済的な格差の大きな原因にもなってしまうのです。利息の発明による経済格差と共に、健康格差は、どうにか解決しなければならないこの国の大問題ではあるでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月24日 (土)

3191 利息の発明

格差の拡大が幾度となくマスコミで取り沙汰されていますが、その根本原因や根本対策に言及される事はついぞありませんでした。持てる者と持たざる者を分けた元凶は、実のところ「利息」ではないかと、投稿者は疑っています。Yダヤ人が発明したと言われる「利息」ですが、利息は少しだけ余剰を蓄えた者と、その余剰を少しの間だけ借りた者との間の富の差を、利息の2倍分だけ広げた事でしょう。貸した者は利息を受け取り、借りた者は利息を支払ったからです。

それは、長年の商慣習の歴史の中で、例えば保険制度を生み出し、更には株式会社等の種々の経済システムを生み出し続けてきたのでした。保険会社は、海運などのリスクを請け負う代わりに掛け金を受け取り、株主は投資をした見返りに配当を受け取る、更には銀行は、Yダヤの発明に従って貸した元金に加えて利息を受け取る権利を履行するのです。マンションが持てる程富を蓄えた者は、それを転売したり貸したりして、生活に必要な額以上の収入を得て、それを利息を得ながら蓄えるか、あるいは新たな投資に振り向ける事でしょう。

一方で持たざる者は、教育を受けるために奨学金と言う名のローンを背負い、その元金と利息の返済に、若い労働力や生命力をすり減らすしかないのです。人間は、一体何と言う仕組みを発明してしまったのでしょうか。満ち足りたCリスト教徒は、過剰な収入の中からささやかな寄付を行う事で、救いを求めるのでしょうが、シェイクスピアの有名な著作ではありませんが、極言すれば、Cリスト教は最早完全にYダヤの仕組み(金儲け主義)に取り込まれてしまった、と嘆くしかなさそうです。

さて、この呪縛から逃れる術はあるのでしょうか。それは、新たな経済システムなのか、禅の様の精神的な思索に価値を求める宗教なのか分かりませんが、多分100年待ってもそんなものは現れない様な気もする今日この頃ではあります。たぶん商業主義によって、冬至後に日が長くなり始める(太陽が復活し始める)時期に当たる「明日を誕生日とされた人」を祀る宗教の、イブの日に感じた所感です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月23日 (金)

3190 高速増殖経済?

Mんじゅからの連想で、着陸できそうもない今の世界経済についても考え込んでしまいました。洋の東西を問わず、諸国の当面の主要な課題は、たぶん景気の浮揚であり、経済成長にあるでしょう。もしそうでなければ、国民の支持もおぼつかないからです。物質的に今より貧しいレベルの生活を受け入れる様に主張する政権など、支持を得られる訳もないでしょう。と言うことは、世界の経済は、今後も高度を上げ(お金を増やし)続けるしか選ぶ道は無い事を意味する、と言う想像を受け入れざるを得ないのです。

そう言えば、このブログを始めた最初の頃(10年ほど前)、実はこの事を書いたのを思い出しました。飛行機が着陸するためには、徐々に高度を下げて、飛行場(着陸地点=社会の目指すべきゴール)にアプローチしなければならない筈なのですが、高度を上げ続けている限りにおいては、もし燃料が切れた場合には「ハードランディング」、今流行の表現では「不時着」するしかない事に気が付いたからでもあります。最近、TVでお金の特番があった様ですが、マンションを多数保有する様なお金持ちが、さらにお金を集める経済の仕組みは、核分裂を繰り返せば、プルトニウムの割合が増えると言う、夢の原子炉Mんじゅの「虫の良い」技術とビックリするほど似ているのです。ここでは、それを高速増殖経済とでも呼んでおきましょうか。

しかし、残念ながら私たちは、「利得」を得るためには他方で必ず「廃棄物」が発生する、という法則から逃れる事は出来ないのです。発電所からは、多量の排気ガスや使用済み燃料が発生しますし、商品を消費すればそれに比例してゴミが出る訳です。従って、経済成長を続ける限りに、私たちは自分たちが出した「ゴミや廃棄物」にまみれて暮らすしかないのです。ゴミ屋敷やし尿処理が出来ていない畜舎を想像して貰えば良いでしょう。それとて、ある限界を超えれば、破局的な大量の犠牲者を伴うデザスターを起こす可能性が大なのです。今世界中の、政治家や学者や宗教者や私たち自身が、叡智を集めて考えなければならないのは、如何にしたら人々に「物欲」を放棄させるかと言う、ただ一点だと思うのです。高速で膨張する現象は、いずれ爆発的に崩壊する(あるいは破局を迎える)原理からは逃れられないからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月22日 (木)

3189 直陸出来ない飛行機

FB上の、廃炉決定のMんじゅを指して、「まるで着陸(廃炉)が出来ない飛行機の様だ」、とのコメントが胸に刺さりました。と言うのも、元技術屋としてツラツラ振り返るに、我々技術屋が果たしてその装置や機械や設備の廃棄まで想定して作ってきたか、と言う痛烈な反省が湧きあがるからです。例えば、車です。自動車リサイクル法が出来て以降、確かに少しは分解を想定した車体や部品の設計が考えられては居るのでしょうが、当然の事ながら分解しやすさは、他方で使用中の緩みやすさや外れやすさと言うリスクも生ずるわけです。

そうなると、設計者がユーザーの安全性を重視すると言う「御旗」を掲げるならば、当然の事ながら緩みにくいナットなどを多用するしかないでしょう。そうだとしても、かなりの部分は技術屋の「言い訳」だというしかありません。少しだけコストを掛ければ、ワンタッチで結合し、緩みにくく、かつワンタッチで分解できる様なボルトナットや結合方法の採用が可能だからです。1円でもコストを削る事を要求される開発現場では、つい言い訳をしたがるのも無理もないのかも知れません。しかし、例えば素材の種類を統一するくらいの努力は、コストアップにも逆行しませんし、リサイクルの立場から見ると、グッと楽になる筈なのです。つまり、車の数万点の部品の素材が、もし10種類くらいに分類できれば、どんなにリサイクルが楽に出来るか容易に想像できるでしょう。

Mんじゅの場合、廃炉の障害は、減速材として多量に使われている金属ナトリウムの存在だと想像しています。水で冷却する通常の原発に比べ、高速増殖炉と呼ばれる「Mんじゅ」で使われている金属ナトリウムは、中性子をあまり減速させない冷却材としての必然性があって採用されては居るのですが、では放射能で汚染されたナトリウムの処理方法など、技術者の頭の中には殆ど無かったであろうと想像しています。それより、多額の税金を背負っているが故に、一日も早く動かすという圧力が強かったに違いありません。だからこそ、安易に管路の中に折れやすい形で温度計の鞘を取り付け、それが折れてナトリウム漏れ事故を起こしてしまった訳です。もちろん事故当時は、放射能で汚染された金属ナトリウムの処理方法など、全く想定外だったに違いありません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月21日 (水)

3188 冬至

今日は冬至ですが、冬至は始めでもあり終わりでもあると言えます。始めとは、つまりは冬至は本格的な冬の幕開けでもあるという意味です。昼の長さが一番短いこの時期は、太陽の全く当たらない北極圏に、冷たい空気が蓄積し、それが本格的に放出され始める時でもあるのです。これまでの寒気は、北極気団の凸凹によってもたらされたものなので、長続きはしなかったのですが、これからの2か月ほどは、寒気団にすっぽり覆われ易くなる期間に入るからです。

一方で、昼の長さが最も短いと言うことは、今日を境に昼の長さが短くなるのが終わり、それが逆転しはじめる日である事を意味します。この頃に、洋の東西を問わず種々の行事が集中しているのもごく自然の成り行きとも言えるでしょうか。実際には、12月に入るとすぐ、夕方の日の入りの時間は既に遅くなり始めては居るのですが、相変わらず日の出時間は遅くなり続けて居るので、トータルとして昼の時間は、冬至まで短くなり続けて居ると言う訳です。

さて今年の冬は、ドカ雪でしょうか、それとも小雪の暖冬でしょうか、それとも普通の冬でしょうか。もっとも、最近の普通の冬は、投稿者の子供時代に比べれば、小雪の暖冬と言うしかないのですが、今年も一旦降った雪がすっかり消えてしまったので、雪の無い正月になるかも知れません。北国秋田でも、それが普通の冬になってしまった感があります。今日も短く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月20日 (火)

3187 Oスプレイ考

今やアブナイ乗り物の代名詞になりつつあるOスプレイですが、少し冷静に眺めてみます。軍用機ですから、今回の様な空中給油とかの軍事上のオペレーションがあり、天候の悪い日にも飛ばなければならないでしょう。今回の事故が例えば、空中給油中にホースとプロペラが接触して事故に至ったと仮定しても、この機体の弱点に関しては指摘しておかなければならないでしょう。

第一の弱点は、飛行モードの切り替え時にある、遷移モードである事は明らかです。垂直離陸モードは問題ないでしょう。タンデムローターのヘリコプターと変わるところはありません。しかし、ローターを徐々に前方に傾けて、水平速度を上げるにつれて、ヘリが飛行機に「変身」するのですが、では水平速度が何ノットの時が最適で、その前後にどれほどの幅が許されるのか、疑問の残るところなのです。構造上の制約から、この機体の翼面積は、通常の固定翼の輸送機に比べて小さいのは仕方がないでしょう。しかし、Oスプレイは輸送機なのです。それなりの重量の貨物を積んでいますから、その荷重によって遷移速度が変ってくる筈なのです。と言うことは、パイロットの知識や操縦の技量に著しく依存する機体であると言えるでしょう。なまじっかの訓練で乗りこなせる機体ではない事を再認識すべきでしょう。

もう一つの弱点は、いくつかの事故の映像を見る限り、横風への弱さにあると感じました。通常の固定翼機も確かに横風は苦手ですが、離陸速度がある程度高いので、複数の方角に向いた滑走路を持つ空港では、可能な限り向かい風の角度になる様に離着陸をさせる事も可能でしょう。しかしヘリパッドは、この様な設計になっていないので、横風を受けたまま離着陸をしてしまいがちです。離着陸時はヘリなので、機体は二つのローターで吊り上げられた状態になるでしょう。そこに横風が吹くと、機体はまるで「振り子」の様に振動を始めるのです。この振動周波数に横風の「息」が動機した時に最悪の事故につながるのです。これを避けるには、離着陸時には固定翼機と同等の注意を払う必要がある筈なのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月18日 (日)

3186 随想

このブログは、ほぼ毎日書いているので、3650回目の投稿で一応丸十年と言う事になりますが、忙しかったり、旅行不在の時などは投稿できない日も結構あったので、振り返って数えてみると(20068月から書き始めたので)既に10年間以上は書き続けている勘定です。最初、環境ネタだけで、毎日、それもこれほど長く書き続ける事は想像できなかったのですが、書き始めてみると書かない日は何か落ち着かなくなってしまい、たとえ一行でも書いて投稿することを続けました。

人は、不思議なもので、書くことによって考えがまとまり、それを日々記録していくことによって、自分の考えにも一貫性が出てきた様に振り返っています。つまり、初めに「こうなのではないか」と書くと、次には「こうに違いない」となり、最終的には「こうなのだ」と確信し、それを断言する様にもなります。もちろん、可能な限り本やネット情報などで調べて、自分の考えの補強をしたりもします。実データなどによる確認です。

環境問題を突き詰めて考えていくと、結局問題の核心は「持続可能性の崩壊」である事が分かります。資源の枯渇にせよ、環境汚染問題にしても、ある時期を基準として悪化傾向が見られなければ、その状態は持続可能である事になるでしょう。然るに、現代の様に進歩や開発による「経済成長」を是とする世界では、変化(増大)を是とする訳ですから、持続可能性からは逸脱してしまうのです。なにしろ持続可能性が髙いと言うことは、結局は変化が無い事、あるいはプラスとマイナスが相殺する「ゼロサムゲーム」を意味するのですから・・・。今日は短く。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3185 環境ビジネス3

環境ビジネスは、小さくて、地産地消であればそれで必要かつ十分な条件と言う訳ではありません。何より、最重要な要件は持続可能性なのです。例えば、山の木を伐り倒しても、それが持続可能となるためには、木材を利用した世代が、同時に同じ量の森林が再生する様に、植林と森林の手入れを行う必要があるのです。次の世代か、次の次の世代になるかは分かりませんが、それを怠らなければ、森林は見事に再生する事でしょう。そこまでやって、やっと持続可能性が担保されるのです。たった今が、FIT制度で利益が出ると言う理由で、バイオマス発電所を建設し、不足するバイオマス燃料を輸入して補うなどと言う枠組みが持続可能である筈がないでしょう。

今ある環境をこれ以上変えない、あるいは先人が手入れして守ってきた森林や里山を、可能な限り人が入って維持をするのも立派な環境ビジネスだと言えるのです。ここで強調したかったのは、環境ビジネスと言うものは、結局は「持続可能性」を柱に据えて、地元で持続的に手に入る資源(その殆どが太陽エネルギー起源ですが)を使って、地元の小さなニーズを満足させつつ行う、小さなビジネスである必要があるという点なのです。

例えば、大規模なバイオマス発電、例えば水素ビジネスや水素自動車、例えば廃棄物のエネルギー利用(ヒートリサイクル)、例えば大量の輸送やエネルギー消費を伴うリサイクルビジネス(紙や金属やプラスチックなど)は、それぞれ大規模でかつ持続可能ではないという理由で、環境ビジネスの大きなまな板からは速やかに降ろさなければならないでしょう。その上で、環境ビジネスの小さなまな板を多数用意して、より多くの「人手」を掛けた真の環境ビジネスへの脱皮を図らなければならないのです。それを、ここでは「日本型環境ビジネスのゴール」と呼んでおきましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月17日 (土)

3184 環境ビジネス2

今から書く事も既に書いたような気もしますが、まあいいでしょう。環境ビジネスの筆頭に挙げるべき必須要件として、「運ばない事」があります。今は、まさに「運ぶ時代」であり、人々が大した用もないのに「移動したがる時代」でもあります。しかし、モノを運んだからと言ってモノの付加価値が1円でも上がる訳では無く、人がタダ遠くに移動しただけで賢くなった訳ではないでしょう。もちろん、モノには輸送料が載せられますし、人も移動すれば少しは見聞が広がる事もあるのでしょうが、それはモノ価値や人の見識とは無関係なオマケに過ぎません。

さて移動させる事にそれほどの意味がないどころか、移動にはかなりのコストもエネルギー消費も発生するのです。特に嵩張る、軽いモノを運ぶ場合には、その輸送コストが顕著になるのです。例えば、嵩比重が0.2以下の木材チップを運ぶ事を考えてみましょう。10トン積み程度の車体を持つトラックに、大きな箱を乗っけてそこに山積みにチップを放り込み、上にネットを掛けて運ぶ事を想定しても、実際に運べるチップの量は低い方の数トンしか期待できないでしょう。チップの持つ熱量を考えても、トン当たり1万円程度しか値のつかないチップを、一回数万円掛かる距離を輸送する場合、下手をすれば価格は倍に跳ね上がる事になるでしょう。結局これでは、折角カーボンニュートラルのバイオマスを使って、熱や電力を生み出すにしても、化石燃料も燃やしているので、二酸化炭素排出への歯止めは効かないのです。

そうではなく、環境ビジネスの「基本のき」は運ばない事、つまりは限りなく地産地消を目指さなければならないと思うのです。もし運ぶとしても、精々半径10㎞以内に留めないと、化石燃料の浪費に歯止めは掛からないでしょう。田舎であれば、結構身近に余っているバイオマス(整理木やモミ殻や木屑等)が見つかる筈です。そんな田舎程、暖房や給湯目的で、遠くから小型タンカーやタンクローリーで運んだ石油燃料を多く消費していたりするのです。小規模で簡単な設備があれば、薪やバイオマスチップを狭い範囲で流通させる仕組みは作れるでしょう。必要なものは、やる気のある若者(もちろん高齢者でも良いのですが・・・)と小さな資本だけなのです。先ずは、自分の家の需要を賄った上で、ボチボチと近所の需要も満たして行けば良いのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月16日 (金)

3183 環境ビジネス

この表題も何度となく取り上げた様な気がします。忘れっぽくなったので、以前の投稿はさておきまた新たに書いてみます。ここでは、環境ビジネスで大きな利益を上げても良いのかについて考えてみます。いわゆる、今の環境ビジネスのモデルは、たとえばFIT制度を利用して、儲かる内に再エネで利益を上げるものとか、あるいは廃棄物処理に困っている事業所に、処理業者が処理料を提案し、それなりの利益を上げるとか、更には省エネにつながる様な製品を作って売るとかが挙げられるでしょうか。

しかし、全てのビジネスで言える事でしょうが、利益の一部はビジネス拡大のため、あるいは将来のための投資に回されるでしょうし、回す必然性もあるでしょう。そうでなければ、そのビジネスは「ジリ貧」に陥ってしまうからです。それを怠ったがために消えて行った企業やビジネスの何と多い事でしょう。枚挙に暇がない程です。しかし、環境ビジネスの神髄が「持続可能性の強化」にあるとするならば、過大な利益はご法度だと言うしかありません。たとえ、利益の大きな部分が再投資に回されたとしても、拡大・再生産は持続可能ではないからです。

結局環境ビジネスとは、どの様な形をとるにせよ、「スモールビジネス」でである必要があり、設備も可能な限り人力を主体にしたもの、つまりは「道具」に頼るものであるべきだ、と投稿者は思うのです。もし、ある人が環境ビジネスを志すにしても、メシを食っていくためには、いくつかの環境ビジネスを組み合わせたものとするのが理想形だとも思うのです。ここでは、環境ビジネスとなり得るスモールビジネスとは、別の言葉で言えば、ご近所の困り事やニーズを、環境に配慮しながらきめ細かく解決していくものと言っておきましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月15日 (木)

3182 エコプロ2016

先週、BSで開催の「エコプロダクト2016」を短時間ですが冷やかしました。個々のブースを覗き込んだ訳ではなく、一応通路をジグザグに歩いて、目についたブースを除いてみる、と言う何時ものパターンで進みました。その中で、目についた展示と感想をいくつか書き残します。

1) 太陽熱+デシカント冷房のハイブリッド空調(給湯):太陽熱温水器メーカーとデシカント空調メーカーのコラボで、かなり小型のシステムのパンフレットを手に入れましたが、まだまだ家庭用までは小型化が出来ていない様子で残念でした。

2) ノンフロン冷媒:これまでの空調機は、冷媒としてフロン(オゾン層破壊や温暖化の超悪玉)や少し悪玉の代替フロンを使っていましたが、いよいよノンフロン空調機や冷蔵庫が主役になってきた様です。その中で、フロンで動いている既存のシステムを、ノンフロンで置換してしまうビジネスが注目です。この方法では、フロン空調機が機器はそのままでノンフロン空調機に変身できる訳です。しかも、機器の調整(具体的には圧縮率等)の調整を行えば、3割程度の省エネも達成できるのだとか。設備更新を伴わないので、投資も最小限で済む妙手になり得るでしょう。

3) 体脂肪率の高い藻:「体脂肪率」が50%もある藻が開発された様です。これの大量培養が可能となれば、その藻から絞る油を直接燃やしたり、エンジンを動かしたりできるので、いわば「池の油田」が実現できる様になりそうです。

4) 層流技術:これは3178に詳しく書いたので省力

5) 木材の活用:今回改めて考えさせられたのは、木材の活用の更なる拡大が必要だという事です。木材は、材木として家具や建物に使われる他、極限まで純粋にし微細化したナノセルロースファイバー、木材を貼り合せた多様な合板や集成材などなど、その可能性はますます拡大している様に見えるのです。それらに使われなかった「端材」や「枝葉」は、薪やチップやペレットとして、立派な燃料になって、再び空中に戻り、植物の光合成サイクルに入って行くのです。つまりは、本質的にカーボンニュートラルである殆ど唯一の素材だ、と言う事も出来るのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月14日 (水)

3181 たかがつぶやき、されど・・・

B国の次期大統領のツイッター機関銃(砲?)が止まりません。その意味で、彼のツイートは世界で最も注目を集めるつぶやきだとも言えるでしょう。何より、経済への影響が半端ではありません。一企業を名指しすれば、差された企業の株価が乱高下し、B国の近い将来の積極的な経済政策に言及すれば、世界中の株価が吊り上る結果につながります。Rシアとの関係を改善する人事を発表した途端に、Rシアを後ろ盾とする彼の国では反政府勢力の拠点が激しい空爆を受けて陥落したりもする訳です。まさに機関砲どころか、言葉のミサイルと言っても良いかも知れません。

翻って、内向きな話になりますが、小さなイジメの芽や誰かの誹謗中傷が、あっという間にネット上で拡散するのもやはりツイッターの力でしょう。一体、人々はどうなってしまったのでしょう。ある人の一方的なつぶやき(感想)の表明を、他の人が読むのはまあ良いでしょう。しかし、それに対してロクに咀嚼もしないで、更に過激な賛同意見や逆に滅多切りにする意見をすぐさまアップするのはいかがなものでしょうか。考える事なしにすぐさま「反射(反応)」してしまう、いわば「反射社会」になりつつある様にも見えてしまうのです。

しかも、その反射の強度が増幅されるのがツイッターの怖いところであることを、私たちは理解した上で使う必要もあるでしょう。反射が増幅され発散してしまう事を写真用語でハレーションを起こすとか、工学用語では「発散」とか呼んだりしますが、要はコントロールが効かなくなって、本質が飛んで見えなくなってしまう現象だと言えるでしょう。表面の現象だけに注目し、反射的に反応している限りにおいては、「では来たるべき社会はどうあるべきか」と言う本質的な議論は完全に覆い隠され、現在ある様な刹那的な社会の傾向はますます強まるのでしょう。まことに怖い現象ではあります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月13日 (火)

3180 SDGs

179で書いたESGが投資家の方を向いた経営であるのに対し、もう一つの経営に関するのキーワードであるSDGsSustainable Development Goals=持続可能な開発目標)は、同時に国際社会がこぞって目標にすべきゴールでもあります。しかし、よくよく考えてみれば。「持続可能=変わらない事」と「開発=拡大する変化」とは、実は相矛盾する概念である事に気付きます。と言うのも、持続可能であるためには、例えば使えば無くなる資源(例えば地下資源)には、一切手を出さない様にしなければなりませんし、同時にゴミや汚染物質の排出も、自然が分解できる範囲内に留めなければならないからです。

一方で、開発も今以上に資源や廃棄物を増やさないで行う訳ですから、何かを始めるためには、別の何かを止めなければならない事になり、なかなかに難しい活動になる筈です。と言うのも既存の産業や社会を支える消費活動と新たに始める産業や活動との間に、資源の奪い合いが生ずるのは確かですし、それに失敗すれば即「持続可能性」は失われる事になるからです。つまり、SDGsでは、完全に違う方向に走る二兎を、同時に追いかけなければならないのです。もしそれを目指せば、体は完全に二つに裂けてしまう事でしょう。

結局は、つかまえるべき兎は「持続可能性だけ」に絞るしかないと思うのです。それを実現するためには、何かを犠牲にして、その分を持続可能性を高めるための「開発」に振り向けなければならない筈なのです。その意味で、私たちは20世紀の後半で次々に手に入れてきた「利便」を、一つひとつ捨てて行かなければならないでしょう。利便とは、例えば人口の2/3にも上る自動車の台数(トラックバスを含みます)や、家庭で囲まれて暮らしている家電品や季節を忘れさせる空調や欲しいモノが数日内に手元に届くネット通販などが挙げられます。これらの大きな部分を諦めれば、持続可能性に向けた開発のリソースもどうにかなると思うのです。たぶん続きます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月12日 (月)

3179 ESG?

最近の企業経営のキーワードの一つがESG(Environment Social Governance)なのだとか。つまりは、環境・社会・ガバナンスに配慮した経営をする企業が評価される時代になったという事で、かなり以前のCSRや少し前のCSVをも抱合する視点での経営を意味します。何か分かった様な、曖昧として分かりにくそうな概念でもあります。環境経営に関しては、かなりポピュラーにはなってきた様な気もしますが、社会への取組みやガバナンスと言われても、さて具体的には一体何に取り組んだら良いのか途方に暮れてしまいそうです。

いずれにしても、「企業経営は利益さえ出せば正しい」と言う時代は遠く昔の話になってしまいました。企業メセナやCSRで、利益を社会に還元すれば許された時代もありましたが、やはりそれだけでは、確かに何かが足りません。例えば、「持続可能性」の視点が抜けていますし、「社会的価値の創造」と言う視点もスッポリ抜け落ちているでしょう。

もちろん環境への配慮があれば、持続可能性は少しは上がるでしょう。しかし、そもそもベクトルが持続可能性の逆向きの事業で、少しばかり環境負荷を減じたところで、「焼け石に水」とも言えるでしょう。そうではなくて、事業のベクトル自体を、グイッと持続可能性に向けて舵を切るのが、真にESGに向けた環境経営だと思うのです。他方、社会的価値の創造に関して言えば、社会的価値に関しての熟考が必要になるでしょう。と言うのも、現在の社会的価値は、将来世代に贈るべき社会的価値と一致する訳ではないからです。と言うより、両者の価値は多くの点で相反さえしているからです。卑近な例で言えば、例えば年金問題があります。現世代が、豊かな生活を求めて主張すればするほど、将来世代の権利を貪る事に繋がるからです。

結局、理想のESGを投稿者なりに噛み砕くならば、子孫のために田畑を開梱し、その水源を確保するためと、将来の町を作るための材とするためにせっせと山に木を植えたご先祖様の様に、50年後、100年後を見据えた種を蒔く経営こそその神髄だと言いたいのです。今叫ばれているESGが、殆ど投資家の方しか向いていない事には、大きな疑問を持たざるを得ません。何故なら、投資とは、富がさらに富を得るための手段でしかないと思うからです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月11日 (日)

3178 乱流を減らせ

出張がらみの1週間の旅行から自宅に戻り、今日からブログ三昧に復帰です。

この10年以上に亘って省エネ指導も仕事にしてきましたが、その中で一番難しいのは、目には見えないムダを事業者に理解させる事でした。取り分け、「乱流(渦)によるムダ」は、余程「工学」に理解が深い人でもない限りお手上げになります。つまり、乱流を起こす事が目的の機械でもない限り、全ての乱流はエネルギーのムダに繋がる事がなかなか理解して貰えないのです。乱流を起こす事が目的の機械とは、例えば、撹拌機や熱交換器などが挙げられます。前者は、ABの流体を均等に混ぜる事が目的ですし、熱交換に於いては乱流によって熱交換率が向上するからです。

さて、乱流によるムダの例ですが、その例はあらゆる「流体機械」で起こっている筈です。そもそも流体機械とは、液体や気体に流れを作るものですから、必ず「流れ」を起こします。並行な管路やダクトの中を流れる限り、流体には乱流(渦)は殆ど生じませんが、流路の段差、曲り、分岐箇所などで「ひどい渦」が生ずるのです。渦が何か役に立つ仕事をする訳ではなく、そこではエネルギーの損失(具体的には流体の僅かな温度上昇など)だけが生じている訳です。その損失は、とてもとても「ささやか」などと呼べるレベルではなく、例えば空気流で言えば、90度の曲りが1ヶ所あるだけで、なんと流体の持つエネルギーの10%が失われる程です。つまり、曲りが10ヶ所もあれば、損失は100%に達する訳で、動力としては所用の2倍必要とするという事なのです。

多くの工場やビル等では、水や各種流体、圧縮空気、空調用空気などが日夜大量に流され続けて居ますが、当然の事ながら、流路は段差や曲りや分岐だらけですから、その渦によるエネルギー損失たるや膨大な量に上ると想像できます。段差を滑らかにし、曲りを大きく取り、分岐を直角ではなく、例えば30度以下にする事で、流体機械のエネルギーは、何割も減らせる筈なのです。こんな「美味しい」省エネビジネスに手を付けないで、単に流体機械単体の効率追求に汗を流しても、焼け石に水だと断ずるしかありません。省エネは、先ずは管路・ダクトの改善から始めるべきなのです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 4日 (日)

3177 暴走事故2

九州での暴走事故の原因が、ドライバーミスであれ、車の異常であれ、どの様な状況でも、ドライバーが止めようとする限りにおいては、車はそれに応答しなければならないでしょう。もしアクセルを離しても、加速し続けたとしたら、その瞬間から車はまさに凶器に変わってしまうからです。どの様な状況でも車を止める事が出来る様にするには、エンジンで動く車の場合は燃料を切る事であり、電気自動車の場合はモーターへの給電を断ち切る事を意味します。B国の暴走事故では、どうやらフロアマットがアクセルペダルが戻るのを妨げ、車が暴走して死者を出した例を思い出します。

投稿者は、もしドライバーが緊急ボタンを押す事により、強制的に燃料や電源を遮断する仕掛けが付いていたなら、このB国の事故も多分今回の博多の事故も防げたのでないかと推測するのです。事前の策としては、低速時の異常な加速を検知し、それを暴走と判断して、やはりエンジンやモーター電源を切る仕掛け(オーバースピードトリップ)を付ける事ですが、多分車メーカーは嫌がる対策になると想像できます。と言うのも、通常の走行で、これらの安全装置が誤作動を起こすと車は勝手に減速し、スムーズな交通を妨げる事故が多発する事が懸念されるし、同時にコストアップも招くので、競争力も低下するからです。

しかし、自然減速による事故は、重大事故とはなりにくく、精々軽度の追突事故に留まる筈なのです。一方、急加速・暴走事故は、間違いなく重大事故と言う結果を招くのです。車は動く機械であるため、使用する年数が長くなるに従って「劣化」が進みます。主に鉄で出来ている車体やメカは腐食し、あるいは動きが硬くなり、更には電気系統やマイコンが誤作動を起こす可能性が高まります。しかし、その様な状況にあっても、ドライバーが必死に車を止めようとする場合には、車は止まらなければならないと思うのです。メーカーの技術者には、ここで猛省を促し、車の本質安全とはそもそも何で、それをどう実現すべきかを改めて考えてみて貰いたいのです。ドライバーの高齢化は、車自体の安全メカとは別の社会問題になりつつありますが、これも併せて考えなければならない課題でもあります。出張などのため1週間ほど休稿です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

3176 暴走事故

お年寄りのみならず、プロのドライバーの運転する車の暴走事故は、非常に衝撃的でした。映像を見る限り、ハイブリッドのオートマ車が起こした事故の様です。もちろん、ドライバー側にも何らかのミスはあったのかも知れませんが、車側の問題も避けては通れないでしょう。人間が、決定的ミスを犯しても、車側の安全装置が最悪の事態を回避する、いわゆる「フェイルセーフ」の真価が問われるのが重大死亡事故と言うものでしょう。カメラによって人やモノとの距離を測り、衝突を回避するのも確かに一つの方法ではありますが、それで万全と言う訳ではないでしょう。

暴走した車を、ギリギリ急ブレーキで止めるのではなく、そもそも暴走と言う最悪の事態を回避するのが、フェイルセーフの基本でなくてはなりません。暴走と言うのは、エンジン出力がドライバーの意に反して、異常に高まる事ですから、例えば車のスピードとエンジン回転数を確実にモニターできれば、急発進=低速時のエンジン異常回転は避けられる筈なのです。もちろん、フェイルセーフを追求すれば、例えば追い越しの際の加速も制限される可能性はありますが、それは致し方ない犠牲でしょう。命あっての物種だからです。

今回の事故を単なるドライバーミスで幕を引くべきではないでしょう。そうではなくて、車をマン・マシン一体の輸送システムと考え、異常事態には自動的にエンジンを停止し、同時にブレーキが掛かる本質安全を追求するための課題と捉えるべきだと思うのです。事故の調査が進めば、もう少し安全の本質に近づくでしょうから、今後の報道に注目する事にしましょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 3日 (土)

3175 宇宙旅行?

何故か、洋の東西で宇宙旅行ブームが来るだとか来ているとか、と騒ぎ出した様です。もちろん、それなりの体力があって、短い間の無重力旅行に、家を1軒建てるだけのお金がポンと出せる人は、少なからず居るのでしょう。しかし、それで短い宇宙旅行が出来たとして何になると言うのでしょうか。宇宙から地球を眺めたければ、衛星に載せたスーパーハイビジョン・カメラの画像を見れば十分過ぎるでしょう。今や、宇宙船の窓から自分の目で見るより、格段に鮮明な画像が地上で見られるのです。またもし無重力のスリルが体験したいのであれば、上手く設計されたジェットコースターか、旅客機を使って体験する事も可能でしょう。何も、莫大なお金とエネルギーを費やして、宇宙の入り口に入る必要までは無いと思うのです。

私たちは、何か重大な勘違いをし始めているのではないか、と思う事が最近多くなりました。確かに、今やお金さえ出せば、人に迷惑を及ぼす(倫理的にマズイ)事以外であれば、殆どの事やモノが、実現でき手に入る様になった事は間違いありません。しかし、お金やモノが、どれほど私たちの夢や想像力を消し去ったかを考えれば、恐ろしくもなるのです。これまで子供達(大人も含めて)の夢は、本や雑誌や漫画で育まれてきたのですが、実際にお金やモノを使って、夢だったものを手に入れた瞬間に、私たちの夢は完全に消失してしまうのです。ロケットでの宇宙旅行や、何でも言う事を実現してくれる(ネコ型)ロボットを手に入れる事は子供たちの夢でした。しかし、それが現実となった時に起こる事は、強烈な「幻滅」しかないと思うのです。

ところで、今の年寄り政治家の「夢」は、賭博場付きの、夢の様なリゾート施設なのだとか。少し若い実業家の夢が、宇宙旅行ビジネスの実現である事と考え併せても、情けなくて涙が出そうになるのです。政治家や、実業家の荷っている役割は、私たちの国や社会の将来あるべき姿を描いて、社会を導く事ではないか、とも思うのです。決して、今のお金持ちの夢を煽る事ではないでしょう。マスコミもこんな話題が発表されるや否や、批判もなく慌ててニュースで取り上げる事態に至っては、話にも何もなりません。書きながら、この話題に段々腹が立って来ましたので、ここで打ち切る事にします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016年12月 2日 (金)

3174 バイオマス発電?

この言葉に違和感を感ずるのは、投稿者が環境人間に近づいているからかも知れません。と言うのも、「バイオマス」と「発電」とは、なかなか馴染まない、というより極端に言えば水と油の様な関係ではないかと思うからです。熱で電気を起こすには、当然の事ながら熱力学の法則に従った「火力発電所」を建設しなければなりません。法則によれば、発電効率は発生させる熱の温度が高い程良くなります。しかし、例えば蒸気を発生させるボイラを構成する材料(主に鉄系材料)の耐熱温度の制限から、闇雲に高くすることはできません。精々500-600℃が実用的には現在の上限と言っても良いでしょう。もちろん、より耐熱性の高い金属を利用し、温度と圧力をさらに高める事も可能なのでしょうが、コスト的に引き合わないジレンマに陥るだけでしょう。

かなり頑張っても、現状の最高水準でも例えば熱効率で45%を実現するのが精々でしょう。その意味するところは、発生させた熱量の55%は、大気と海に捨ててしまうと言う事なのです。石油や天然ガスと言った、「燃やし易い」燃料でさえこうですから、燃やしにくい固形燃料である「バイオマス燃料」に至っては、そもそも発生させる燃焼ガスの温度は、かなり低いレベルで我慢しなければならないのです。それは、熱効率も低いレベルで満足しなければならないのです。

もちろん、発生させた熱を熱のままで利用する場合は、結果(熱効率)は異なってきます。一般的に、良く設計されたボイラは、90%以上の熱効率を持って居ますので、燃やした燃料の持つエネルギーの殆どが回収できるのです。従って、それを熱として利用する限りにおいては、熱を送る仕組み(例えばパイプライン)からの放熱による損失だけに留まるでしょう。これは、先ほどの発電所からの熱損失である55%に比べれば、問題にならない程小さくて済むでしょう。

その意味においては、バイオマス発電は、発電システムから捨て去れられる廃熱を、例えば暖房や冷房や給湯の目的に「カスケード利用」する事を前提にする場合のみ許される選択肢だと言っても良いでしょう。然るに、FITの買取り価格に誤魔化される形で、各地で大規模なバイオマス発電所が建設され、その熱利用がなされないプラントにどんな意味があるというのでしょう。その燃料を、海外からの輸入に頼るケースに至っては、何をかいわんやでしょう。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年11月 | トップページ | 2017年1月 »