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2017年1月31日 (火)

3221 品質管理

最近自宅にペレットボイラを入れ、それで沸かしたお湯による暖房・給湯生活を始めました。それまでは、非常用と位置付けたガス給湯器とエアコンに頼る生活でした。さて、そのペレットボイラには、最初値段が高いが広く流通している銘柄のペレットを入れてスタートしたのです。しかし、流石に流通経費がたっぷり入っている商品は値段が高いので、どう計算しても石油ボイラなどよりは割高になります。地元で容易に手に入る銘柄には、実は地元産のペレットもあるので、最初からそれを基本とする様には考えていたのです。

その地元産ペレットは、木工廃材を利用しているので、燃焼ガスに有害物が無い事の確認や、熱量、灰分等の検査はクリアしていたのですが、灰分の多いのが欠点とされていたのでした。従って、一般家庭で普及しつつあるペレットストーブには、頻繁な掃除が必要であるため敬遠されていた様でした。とは言いながら、地産地消を理想としてペレットボイラを入れた投稿者としては、どうにかして地元エネルギーを有効活用したいと、工夫を重ねているのです。

問題は、この燃料を燃やすと燃焼皿に灰と燃えがらがうず高く残り、長い時間の燃焼が継続できなくなるのです。仕方がなく、時々(45時間毎)にボイラを止めて、燃焼皿を掃除しなくてはならない「面倒くさい燃料」だった訳です。しかし、この燃料には意外なメリットもあったのです。原料には、製品を磨いた研磨粉も多く混じっているので、出来たペレットが非常に緻密なのです。スカスカの市販ペレットは、着火し易く灰も少ないのですが、すぐ燃え尽きてしまいますが、一方地元産は、火が着きにくい一方で、燃え尽きるまでに長い時間が掛かり、更に燠になってもコークスの様に長い時間(15分程)燃え続ける燃料だったのです。これを市販燃料並みの条件で燃やすと、燃料が燃焼皿にうず高く溜まり、火が立ち消えてしまうのでした。そこで、思いついて燃料供給量を思いっきり絞ってみました。ざっと言えば、初期設定の半分くらいです。しかし、これが大成功、オマケに灰落とし装置の働く間隔を短くした結果、長時間の連続運転が可能になったのでした。

ここで言いたかったのは、石油燃料やガスの様にJISで厳密に規定されている訳ではないペレット燃料は、品質の幅が「倍も異なる」と言う点です。ペレット燃料が広く作られ流通するためには、工業製品と同じく、品質管理の幅をある程度狭くし「使い易い燃料」とする努力が欠かせないと思うのです。国が重い腰を上げるのは一体何時になるのでしょうか。トホ。

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2017年1月30日 (月)

3220 雪のないアラスカに想う

雪のないアラスカの海岸でシロクマがションボリとうなだれる写真が、ネットで注目を浴びている様です。この時期雪がなく、しかも海が凍結していない北極海沿岸では、流氷に乗って息継ぎの浮上するアザラシなどを狙う狩りを行うシロクマにとっては、まさに死活問題に直結するでしょう。日本などの中緯度地域に多少積雪が多いからと言って必ずしも北極の気温が十分に下がっているとは言えないでしょう。その証拠に、冬将軍(寒波)が来たからと言って、それが長続きする訳でもなく、すぐに将軍が息切れしてしまう事でも容易に想像できるでしょう。

かつて、北極海沿岸はマイナス60℃以下に下がるのが普通でしたが、現在は下がってもマイナス40℃ほどまでしか下がらない様なのです。寒気がマイナス40℃もあれば、暖かい日本海の水蒸気を使って、日本に大雪をもたらすには十分かも知れませんが、北極海を氷結させるには全く不十分なのです。D.Tランプがなんと詭弁を弄して言い張ろうとも、これが温暖化の影響でなくて、一体何だというのでしょうか。

ネットで公開された写真を見て、何も感じない人に何を言っても無理かも知れませんが、シロクマが暖冬に耐えなければならないのであれば、温暖化の元凶となっている我々人間は、夏の暑さや冬の寒さに耐えて、温暖化効果ガスを減らす努力をしなければならないでしょう。その方法に関しては、このブログでも縷々書き連ねては来ましたが、何は無くともまずは地下から掘り出す石油や天然ガスや石炭などの量を減らす必要があるでしょう、化石燃料は、堀り出した分に比例して、確実にCO2量を増やすことにつながるからです。CO2により加速された温暖化は、凍土地帯の地下に氷結されていた、未分解の有機物の夏場の融解によって分解され、メタンを発生させて、さらに温暖化を加速させるという「悪循環」を引き起こすのです。

さらに恐ろしいのは、海洋に溜め込まれていると推定されている「ミッシングシンク」と呼ばれる多量のCO2が、海洋温度の上昇によって大気中に放出されるという別の悪循環です。まさに、悪循環の自乗です。必要な行動は、一に省エネ、二に再エネ、三四が無くて五に我慢でしょうか。

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2017年1月29日 (日)

3219 劇場型XX

今や「つぶやき」だけで政治や世界情勢を動かしてしまう時代になってしまったようです。何しろ、影響力のある人のツイッターをフォローしている人が五万と居る上に、その中身を一々マスコミも「フォロー」してくれる訳で、SNSとマスコミの相乗効果が今や最強のパワーを持つコミュニケーションという事でしょう。短いつぶやきが、為替相場や株価に跳ね返り、あるいは国と国との関係悪化や好転にさえ強いインパクトを与えている状況を眺めるにつけ、時代は変わったもんだ、と大きな吐息が漏れそうです。

かつて、劇場型政治が注目された時期がありました、今や政治の状況を何と表現すればよいのでしょう。劇場型XXというのは、役者が舞台の上で脚光を浴びながら、派手な「立ち回り」を演ずる様子を皮肉った表現です。しかし、劇場である限り、役者や劇場やマスコミで目立つようなパフォーマンスが求められますが、SNS*マスコミの場合は、やや趣が異なるでしょう。SNSとマスコミが、さながら「コダマ」の様に反射し、あるいは互いに増幅し合う訳で、影響の広がるスピードと範囲が、半端なく大きいのです。

この悪弊に対処するには、やはり無視するか、あるいは「またやってる、やれやれ」程度のリアクションで受け流すしかないでしょう。SNSやマスコミは、ネタに飢えていますので、どうしてもオーバーリアクションに陥ってしまう性癖を持って居るのです。やれやれ、難しい時代になったものだ。今日は短く。

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2017年1月28日 (土)

3218 〇〇を励行する

続きです。乱麻を解きほぐすもう一つの方法は、たぶん格差を埋めるために、小さくても何かをすることでしょう。この国には、寄付(喜捨とも言いますが)という習慣はあまり根付いてはいないような気がします。しかし、いざ震災や風水害や大規模火災などに際しては、かなりの人々が義援金を贈ろうと郵便局などへ駈け込んでもいます。しかし、本当に大切なことは、日ごろから社会の格差を埋めるための小さな行動の積み重ねではないかと思うのです。

社会の凸凹のうち、高いところを凹ます行動に関しては、3217に少し書きましたが何かを止めることで少しは実現できる様な気がします。しかし、凹んでいるところを埋めるには、やはり何か行動を起こす必要があるでしょう。例えば、タイガーマスクによるランドセルプレゼンント「事件」は、単なる美談として一時期マスコミの注目を集めてはいましたが、ではその枠を広げて、何か社会の制度を改革するところまでには波及はしませんでした。結局、社会の弱者には注目は集まりますが、そこから先の行動につながらないのが、この国の人々の行動の「欠点」だとも言えそうです。いわば、一億総「あしながおじさん」の国を理想に掲げる必要があると思うのです。

喜捨する事が、日常になれば、世の中の凸凹は徐々に均されていく筈なのです。その昔、貧しい農民でさえ、托鉢の坊さんには手を合わせ、たとえ僅かでもコメなどを喜捨していたではありませんか。特定の宗教の好き嫌いを論ずる必要もないのでしょうが、結局全ての宗教などというものは、ある共同体を引きまとめるための「手段」だと言えそうです。もちろん、いくつかの宗教では、それを信ずることが目的化し過ぎて、民族間の紛争や憎しみ合いの原因にさえなっていることは悲しむべきではありますが。もう一度、宗教や社会システムを、世の中の凸凹を均すための「手段」と位置付けて、それ(喜捨)を励行することを日常する社会に戻っていかない限り、残念ながらこの世はドンドン住みにくい場所になり果てていくと考えざるを得ないのです。

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2017年1月27日 (金)

3217 〇〇を止める

絡まった乱麻を解きほぐすには、取り敢えずは今以上問題を拡大させないことが肝要でしょう。事態の悪化に、いわゆる「ブレーキ」を掛けるのです。例えば、貧困の連鎖と格差の拡大という太い乱麻を考えてみましょう。格差が生まれるのは、ある社会システムの中で、上手く立ち回れる人と、そうでない人とが存在することが発端でしょう。当然の事ながら、地球の資源やそれをお金という一つの価値に換算した「富」は有限ですので、ある人の取り分が多いということは、他の誰かの取り分が減っている(減らされている)ことを意味します。資源を持つ、例えば中東の王族や、富や情報を握る世界の1%が、富の大部分を掌握し、他方では何十億もの飢えた人々が存在することになるのです。

昔共産主義というユートピアが夢見られた時代がありました。しかし、そのユートピアが実現できたことは歴史上ついぞ無かったのです。それは、その様な仕組みの中で、力を持つもの(支配階級)と一般大衆(被支配階級)に分かれてしまい、その中で結局格差が生じてしまう事が避けられなかったからで、これは残念ながら学問や理論だけでは人が絡む社会の仕組みは上手く機能させ得ない、ということの証左でしょうか。何の欲もない無い学者が社会のリーダーになれば、ある程度は上手い仕掛けも実現できるのでしょうが、実際には社会の権力を掌握したがる、政治家や軍人がしゃしゃり出てくる訳です。途上国では、パワーによる椅子取りゲームで、常に政情が混乱するのは、そういった理由でしょう。

さて、ここでの提案ですが、私たち一般大衆にできる事はと言えば、精々「何かを止める」ことぐらいでしょうか。例えば、石油を使うのを止めて、アラブの王族をこれ以上裕福にさせるのを阻止するとか、あるいは小麦食(パンやパスタや麵)を控えて、穀物メジャーのパワーを減ずるとか、或いはたまには夜9時に寝て、電気を消す時間を長くしてみるだとか、さらに言えば1時間早起きして、5㎞を歩いて通勤して、車やバスを使うのを止めてみるとか、富める人たちをさらに富ませることに抵抗してみるのです。つまり、今自分が払ったお金が、回りまわって最後は誰の手に渡るのかをじっくり考えてお金を使う必要があると思うのです。もしそれが、一部のお金持ちだった場合には、そこで思いとどまりブレーキを踏むという行動を続ける訳です。それを、すべての持たざる者たちが行えば、格差の拡大にもブレーキが掛かる筈なのです。続きます。

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2017年1月26日 (木)

3216 快答乱麻

表題は快刀乱麻の誤変換ではありません。よく切れる大鉈(刀)を振るって困難な問題を断ち切るというのは、イメージ的には簡単そうに見えますし、問題そのものが小さい場合はたぶん有効でしょう。しかし、現代社会が抱える諸問題は、国をまたがって広がっていて、あまりにも規模が大きくかつ複雑に絡み合っています。例えば、経済と軍事バランスの複雑さは、とても常人の想像の範囲には納まらないでしょう。例えば、本来は紛争を抑える立場の先進国の企業が、裏では紛争国の下手をすれば、両方の陣営に武器を売りつけていたりする訳です。前の戦争でも、戦争初期には軍事介入を正当化するために、局地紛争を陰で糸を引くなど、両陣営が策謀の限りを尽くした事でしょう。

いずれにしてもグローバル化の世界経済の中で、多くの国々は矛盾や不満を抱えながらも、市場経済を維持するために一方では紛争を起こし、他方では日々の食料品や製品を手に入れるために交易も続けざるを得ない状況にある訳です。企業は企業で、利益を上げて株主を喜ばせるために、民生品を売ると同時に、裏では武器に流用されるかも知れないグレー製品もドンドンと作って売り捌いているのです。そうして、貿易摩擦を起こしながら、先進国は他の国を踏み台にしながら利益を上げて、より高い繁栄を目標に掲げる事になるのです。かくして、絡まった乱麻は、ますます固く締まって、解決の糸口さえ見えなくなってしまったのでした。

そうではなくて、絡まった乱麻を解くには、麻糸を切るのではなく、一本いっぽん解きほぐしていくべきだと思うのです。糸の一本とは、社会を構成する個々の企業であり、社会構成員の個々人になる訳で、社会を実際に動かしているのは政府でも行政府でもないでしょう。かつて、JFKが「国が国民に何をしてくれるかではなく、国民が国のために・・・」と言った様に、他力本願では何も変わらないでしょう。私たちが、もし現代の社会の問題、例えば非正規労働、例えば貿易摩擦、例えば国境を巡っての紛争問題、例えば少子高齢化、例えば環境問題などなどに、それぞれの立場で絡まった糸を解く努力をし、同時に声を上げて行く必要もあると思うのです。乱麻を解くために私たちにも取り組めそうな具体策については、思いつき次第投稿する事にしましょう。

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2017年1月25日 (水)

3215 聞く耳

B国の新しいリーダーは、どうやら言いたいことは言うが、聞く耳を(あるいは聞くための小さな耳しか)持たない人物の様です。もちろん、パワフルなリーダーは唯我独尊タイプも多いのでしょうが、一応民主主義の先頭を走っていると自負している国のリーダーたるものは、やはり他者の意見には耳を傾けるべきでしょう。それを採用するかどうかに関しても、理路整然たる説明も不可欠です。そのためには、その価値判断の基準とすべき、いわゆるポリシーが欠かせないと思うのです。

いわゆるビジネスマンという存在を良く表現していると思うのは、ポルトガル語のHomen de negocio.(ネゴシエーションをする人)だと思っています。つまり、ビジネスパートナーとDealするためには、丁々発止のネゴが不可欠だからです。双方が条件を出し合い、折り合ったところで双方が「Deal」と叫べば、商談は成立する訳です。つまり、双方が「落としどころ」は意識しているにしても、最初から明確なポリシーやシナリオがある訳ではなく、出たとこの「押し引き勝負」がビジネストークの基本だと言えるでしょう。

そのビジネストークの達人として、ここまでのし上がってきた人物に、そもそも政治的な方針(ポリシー)を出せと言っても詮無い話ではあります。彼は、とにかくツイッターや会見コメントで言いたい事を言うつもりなのでしょう。それに、相手が食いついてきたら「しめた」ということで、やっとビジネストークの入り口に立ったと考えれば良いだけです。ツイッターの一言一句(のエサ)に反応する、各国の対応やマスコミの報道を見て、彼(彼ら)はほくそ笑んでいるはずです。たぶん、相手の言い値の半分でセリ落とすためには、彼は1/4ほどの買値を提示することでしょう。言い値を100とすれば、買い手の25と売り手の100からビジネストークをスタートする訳です。最悪?で、双方の中間で落ちたとしても60程の値段で落ちるでしょう。この国には、B軍の駐留経費を全額払え、と詰め寄り、現在の負担と全額負担の中間値でも勝ち取れば、彼のビジネス政治は完結するのでしょう。やれやれです。

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2017年1月24日 (火)

3214 負荷=進歩

更に続きです。人間の能力を高めるには「適当な負荷」を掛けておく必要があるでしょう。筋肉についてみても、それを太くするのはウェイトトレーニングに勝る方法はきっと見つからないでしょう。一本の筋繊維を太くするには負荷を掛ける必要があるでしょうし、もっと負荷を掛けて筋繊維の一部を切る程度の負荷を掛ければ、回復過程でより強くて太いものに置き換わる訳です。マッスルマンは、これに加えて筋を増強するためのプロテインやサプリをモリモリと口にするのです。

他方、脳についても同様の事が言えるでしょう。歳を取ってもボケない様にするには、やはり適当な頭の体操を必要とするでしょう。つまりは、記憶する訓練と、それを出力する訓練、あるいは新たなアイデアを生み出すなどのトレーニングです。もちろん、机上のトレーニングだけでなく、細かい手仕事や芸術作品や工作なども立派な「脳トレ」であり、頭の体操と同様の効果が期待できるでしょう。32113213に書いたAIからの文脈で言えば、私たちの能力・脳力への負荷を減ずる目的であるならば、全くのNGだと言うしかありません。

そうではなくて、AIは、私たちの致命的なエラーをカバーするか、あるいは単調で過大な負荷を減ずるためなどに絞って用いる必要があると思うのです。さもないと、AIに過度に頼るかも知れないこれからの世代は、数世代後には無能集団になる可能性すらあるでしょう。つまり、スイッチを押すか、コンピュータに声で命ずるか「しか」出来ない種類の人間が出来上がってしまうのです。硬いモノを噛まなくなった結果、細く華奢になってしまった現代の若者の顎の「退化」を目にするたびに、人間の能力減退や器質的な退化は、結構早いスピードで進みそうな、悪い予感もするのです。さて、高齢者の仲間入りをしたので、能力を上げるのは難しいかも知れませんが、低下を食い止めるトレーニングでも続けるとしましょうか。

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2017年1月23日 (月)

3213 無能化

3211の続きです。主に人間の能力を補完したり、あるいは人間の判断を補助するのがAI開発の目的なのでしょうが、機械(あるいは人工知能)に高度なコントロールを任せる、と言うことは、結局それまで発揮していた人間の能力を不要化し、それが続けばやがて人間の能力が退化すると言うことを意味するのです。卑近な例で言えば、今簡単なAIを使って、ローマ字かな変換を行わせ、それを漢字変換しているのですが、この変換ソフトは学習能力を持って居るので、一時期のいわゆる「ワープロ」時代に比べれば、かなり賢くなっている筈です。しかし、その一方で投稿者自身の漢字を書く能力は、確実に減退している事を感じています。

もしそれが、音声入力を全面的に使う事にして、パソコンと対話しながらテキスト入力をすると決めた場合、キーボードを間違いなく打つために、訓練した指先を動かす能力は不要になるという事を意味します。それを可能にしていた小脳や入力した文字を確認し、咀嚼しながら修正していた能力(脳力)は使わなくなり、やがて退化する事でしょう。いわゆる「要不要」の法則です。使う能力や器官はますます磨かれ、使わなくなったものは退化・縮小する訳です。

人間は、いわゆる「ヒューマンエラー」を犯してしまう存在ではありますが、それはシステム設計でかなりの程度回避する事は可能ですし、一方でそれを修正し再発を防ぐ学習能力も備えている筈なのです。アナ・デジ両時代を生きた古い人間として、AIに全面的に頼る「自動運転車」にはどうしても納得がいかないのです。機械としての車をコントロールする能力を放棄し、車を転がす事の危険性は、AIがらみの路上での事故の他に、私たち自身の能力減退面にもあると思うのです。

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2017年1月22日 (日)

3212 ペレット暮らし開始

待望久しいペレットボイラがついに我が家に入りました。早速、ボイラで作ったお湯で、暖房と給湯を始めたのですが、いくつかの問題が出ましたので、記録しておきます。システムは、太陽熱温水器にペレットボイラを追加すると言う構想で、太陽熱集熱器に循環している不凍液を、循環ポンプ共用で、ボイラからの熱回収にも使う設計です。当然の事ながら、不凍液を加熱して、その不凍液で水を加温する訳で、熱効率的には損失が大きくなる筈です。これは、このシステムのデメリットとして最初から織り込み済みでした。

その他の問題ですが、一つは給湯システムの仕様です。既製品のN-リツ社製の太陽熱温水システムの貯湯タンクを採用したのですが、200リッターでやや小さめでした。少しお金を足せば300リッタータンクも手に入ったのですが、二人暮らしには小さめで十分だろうと踏んだのが間違いでした。75℃程度の貯湯温度では、バスタブにお湯を張ると、水が補給されかなり温度が下がるのです。水を撹拌しなければ、タンク内は上がお湯、下が水に相分離するのですが、他方でボイラを運転していると下側の加温コイルに熱が入るので、タンク内の水は対流し、全体的に温度が低下するのです。当面は貯湯温度を80℃に挙げましたが、恒久的には補助タンクを追加して、二つのタンクを連通させる予定です。

もう一つのシステムは、暖房システムです。自作の熱交換器は、12㎜径の銅管20mをコイル状に巻いただけのものを、木箱に入れただけのものですが、問題が二つ発生しました。一つ目は、床下の温風循環用に設置した換気扇の騒音です。静かな田舎では、夜になるとブーンと言う小さな音も耳につくのです。特に連れ合いはこの音に敏感過ぎる様でした。対策としては、DCモーター搭載のサーキュレータを「静音モード」で使う事にしました。もう一つの問題は、暖房能力です。上記の熱交換器では、熱交換器出口での温度が、+7℃くらいしか上がらないのです。冬で、外気温度が零下になる日には、床下温度も10℃くらいに下がりますので、狙っていた20℃の床下温度に届かないのです。これは、夏場の改造工事で、今の倍の40mに拡大する事で解決できそうです。その他の状況(例えば経費など)については続報で。

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2017年1月21日 (土)

3211 AI時代

長いシリーズもののEテレ「時空を超えて」を良く見ます。モーガン・フリーマンは役者であり単なる語り部なのでしょうが、語り部を務める中で、彼自身も何となく広い視野を持ち始めているんだろうな、と感ずる事が時々あります。さて、AIに関しては、多分複数回取り上げられていると記憶していますが、もし今度急速にAI時代に入るのだとすれば、そのAI時代への入り口を目撃している世代の一人としては、やはりその行方が気になるところではあります。

AIが徐々に賢くなっているのは確かでしょう。人々は、かなりの分野での「判断」を、AIに任せはじめてもいます。例えば、経済での投資案件の判断とか(つまりは、株や債券売り買いのタイミングです)、あるいは技術的には機械のコントロールとか(車などではかなり前からブラックボックスるが搭載されています)、既にかなりの部分が人間の手を離れた部分でAIが「勝手に」判断を下している状況が起こっています。アナログ時代に生れ育ち、人生の後半になってデジタル時代に働き、暮らした「アナ・デジ」世代としては、やはり0(ゼロ)と1(イチ)の間が気になる事は否定できません。つまり、Oと1の間には、0.01とか0.75とか0.9999だとかの「中間値」が存在する訳で、それを0だ1だと判断する(しなければならない)AIがあり、やはり最後のところではその判断を100%は信頼できない自分が居るのです。

AIが用いろ桁数は、コンピュータの長足の進歩で、十分大きくはなった事でしょう。それでも、最後の桁を繰り上げるのか切り捨てるのかで、AIの下す判断が、右と左に分かれる事はあり得ると思うのです。あるいは、判断に用いる「データ」(これは多くの場合人間がALに食わせるのですが)の信頼性の低さによって、計算の誤差が累積し、下す判断が大きく狂う恐れも出てくる事でしょう。ここでの結論は、私たちは過度にAIに頼ったり、100%信頼してはならないだろう、と言うことにします。それは、私たちの判断能力を低下させ、AIの命ずるままに行動する「AI人間」が増える危険性を増長することに繋がるからです。

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2017年1月19日 (木)

3210 「自動」車

近い将来には、自動運転車を自動車と呼ぶ時代が来るのでしょうか。投稿者としては、そうはなって欲しくないと感じています。事故率は、人が運転する場合より、もしかすると低くなるのかも知れませんが、不幸にして自動運転車との事故に遭って亡くなられた人は、果たして何に殺されたとみれば良いのでしょうか。機械?、AI?はたまたただ乗っていただけの「乗客」なのか、怒りのぶつける先が不明確にもなると思うのです。

何より、その車に乗っている人が、車が「走る凶器」になり得るとの認識が無いままに、単なる移動手段として大した用も無いのに無為に動かす事態は、避けなければならないでしょう。と言うのも、車は自動で運転されるにしても、目的地を入力するのは人であり、その人が絶対的に「正気」であるとは限らないからです。もちろん、車には対人センサーが装備され、人を事故に巻き込む可能性は限りなく低いのでしょうが、例えば経年劣化や事故によるコンピュータの部分破損や断線によりAIが暴走したり、踏切の中でエンコしてしまう可能性は否定できません。

たとえ、航空機並みにハードやAIをチェック出来たにしても、航空機事故がゼロに出来ない様に、台数が圧倒的に多い自動車に於いては、事故率が同じと仮定しても、件数は無視できない数に上るでしょう。結局どこまで行っても、事故はヒューマンエラーと機械の故障のいずれか一方、またはその複合によって必ず起こり、その確立をゼロにする事は出来ないのです。では、理想は何かを考えてみるに、やはり車は人間が、ある技量を身に付けた上で運転すべき「機械」であり、AIは、例えばアクセルとブレーキを踏み違えても急発進しないとか、追突を未然に防止する様な「インターロック機能」に限定するべきだと思うのです。人間は、概ね0.5秒毎に、視認をリフレッシュすると言われていますが、もちろん安全装置を付けたとしても、自動運転でない限り、例えば人が意識を失った時の事故は避けられないかも知れません。しかし、被害者としても訳の分らない「ブラックボックスのAI」に殺されるよりは、そうでない方が諦め易い様な気がします。幸いな事に、人生で事故の当事者になった事はありませんが・・・。

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2017年1月18日 (水)

3209 コスト削減?

今の社会の閉塞感を招いた根源を振り返って考えるに、K政権下の規制緩和政策に大きな根があった様な気がします。当時のこの国のリーダーのお題目は、「○○民営化」オンリーだった訳ですが、結果として労働法制の規制緩和がグッと進んでしまったのでした。つまりは、非正規で雇える労働者の枠がほぼ青天井で開かれたのでした。経済の停滞で、コスト削減の「ネタ」に困っていた企業は、待ってましたとばかり、労務費に手を付け、非正規労働者を増やしたのでした。非正規雇用制度での、雇用者側の最大のメリットは、当然の事ながら給料に連動して支払わなければならない各種企業負担費用の削減である事は明らかです。雇用保険や健康保険など、企業が負担する(あるいは労働者にとってのFringe benifit)費用がほぼゼロになるので、コストにいわゆるオーバーヘッドがグンと軽くなるのです。

企業は、労働市場の自由化までは、労務費は固定費であり、コスト削減は現場の工程や業務改善や省エネ・省資源でひねり出していたのですが、労務費に手を付ければ、あっけない程楽にコスト削減が出来たのでした。楽に利益が増やせる「麻薬」は、あっという間に社会を席巻し、非正規で働く労働人口を急拡大させたのでした。景気の低迷期は、企業としても採用を抑制せざるを得ず、大学を出ても非正規職にしか就けない時代も長く続き、若者から希望を奪ってしまったのでした。

この国の産業界の悲しむべき行動は、「コスト削減だけ」に偏重していた事に、多くの企業経営者は意識がありませんでした。利益を上げるためには、例えば製品の付加価値を上げる、と言う選択肢もある訳です。家電が売れない時代に、非常にコンパクトで機能の高い掃除機や調理器具が、たとえ値段が割高でも売れる理由に経営者は気付くべきでしょう。私たちは、乾いた雑巾を更に絞るコストダウンはさておいて、モノやサービスの付加価値を上げ、更にはこれまで存在しなかったカテゴリーの製品を開発する事に注力し、新たな市場を切り開くべきなのです。そうすれば、若者に希望を与える職場が増え、僅かなコスト削減のために、工場を世界のあちらこちらに移動させる苦労も減る筈なのです。投稿者が考える具体案については続きます。

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2017年1月17日 (火)

3208 SNSサイダー

脅しを別の言葉で言えば、恫喝やカマシやもっと悪い言葉で言えば、カツアゲとでもなるのでしょうか。それほど極端でなくても、買い手である立場を利用し、モノを買う時に始め信じられない様な安値を提示し、「値引きが嫌なら買わない」と売り手に値引き圧力を掛ける、「値切り」なども軽い恫喝に入るのでしょうか。B国の今度のリーダーは、どうやらこ手法の名手の様なのです。もちろん、多くの不動産を手に入れた手法をこれを駆使した事でしょうし、自身の自家用ジェット機も、メーカーの売値(定価)の1/3以下で調達したとかも伝え聞くからです。

たった140文字の中でコメントを出せば、翌日には名指しされた国や個別のメーカーが、慌てて対応やコメントを出さざるを得ない事態は、たぶんSNS時代の新たな恫喝と言っても良いのでしょう。しかし、これはSNSのルールからは、明らかに外れていると指摘するしかないでしょう。もしこれが許されるのであれば、影響力のある人物のツブヤキを使えば、為替相場だって株価だって、紛争の状況だって変える事が出来るからです。ツブヤク本人が、ビジネスの一線から退いたとしても、予め親族に同じ内容のツブヤキを流していれば、親族はそれを利用して「ボロ儲け」する事も可能になるからです。これは、新しい形のインサイダー取引に相当し、SNSルール上は禁止されている行為です。これらを、マスコミが指摘した途端に「フェイクニュース」と切り捨てるとしたなら、それはまさに独裁と呼ばれても仕方がないでしょう。

ここでは、取り敢えず「SNSサイダー(取引)」などと言う新語を提示しておきましょうか。スーパーパワーや著名人である事を利用して、弱い立場の人間に圧力を掛け、ひいては自分の側に利益を誘導する「手法」を指します。伝えられる「フェイクニューズ」によれば、選挙でも情報戦を駆使したのだとか。まさにSNS時代が生んだ新リーダーなのかも知れません。さてそれに相対する側ですが、何は無くとも私たちは「それ(恫喝)」に振り回されてはならないでしょう。それは、繁華街の店がYKZ(ヤーさん)のカツアゲには乗らない、と言う態度とも共通するでしょうか。恫喝は無視には勝てない筈だからです。

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2017年1月16日 (月)

3207 是々非々

これは好きな言葉の一つでもあります。是は是、非は非として前に進んでいくのは、人生であれ、国のマツリゴトであれ理想だと思うからです。しかしながら、これは実行上はなかなかに難しい行動規範でもあります。何故なら、国や社会的背景によって特に人によって、是と非の判断基準が大きく異なるからです。従って、言葉で「是々非々」の判断で進めると言えば、何事もスンナリと前に行けそうなのですが、実際上はそうは問屋が卸さないでしょう。

ましてや、企業運営や国のマツリゴトで言えば、一つ一つのビジネス判断や、政策毎に是々非々の判断基準がバラバラでしょうから、仕方がなく企業内や政局に「派閥」などが出来て、離合集散を繰り返す事にもなるのでしょう。マツリゴトの分野で言えば、経済政策では合意が出来ても、税制や憲法問題や外交など別分野では合意できないという、バラバラ政局がこの国の日常なのです。とは言いながら、その様な状態では、企業も国もやがては立ち行かなくなる事は必定です。最悪の場合は、一つの判断や投票結果を巡って、企業や国が真っ二つになることだって起こり得る訳です。近くは、E国でのEU脱退問題やB国の大統領選挙結果を巡ってのシコリなどが思い浮かびます。

そうではなくて、これらの是々非々の境界を巡るバトルに決着をつけるには、私たちはやはり上手い「合意形成の手法」を編み出す必要があると思うのです。是と非の境界は、多くの場合は損得が絡んでいるのですが、結局はある人の得は、別の人の損の上で達成できる事が多いので、どこまで行っても、人間の完全平等が保証されない限りにおいては、万人が納得できる合意形成は無理だと言うしかないでしょう。投稿者が考える、数少ない方法の一つは、得をする人たちを「将来世代」と決めて、是々非々を議論するアプローチです。自分たちの子孫が得をするのであれば、余程の「亡者」でもない限り賛成は出来るでしょう。その際、損をするのは現世代全体でなければなりません。そうでなければ、やはり現世代間での不平等問題が浮上するからです。現世代が、果たしてご先祖様たちの様に我慢強く、かつ子孫想いに徹する事ができるかどうか、確かにそれは「大問題」ではある訳ですが・・・。

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2017年1月15日 (日)

3206 光と影

これは、何を書いても影響力の無いブログでして、このところストレスが溜まってしまったので、少しお小言を書いてしまいます。光があれば影があり、光が強ければ影も濃くなるものです。マスコミでもて囃される様なタレントや時の人が、家に帰って一人になった時の孤独はいかほどもものか、つい考えてしまうことがあります。万人うけしそうな政策を打ち、地球儀を俯瞰しながら派手飛び回りながらODAだか、無償供与だかのお金をばらまいているいる人の、私生活では一体どの程度の深い闇を抱えているのか、つい穿って眺めてしまうのは、お陰様であまり影のない人生を送れせてもらっている凡人故の勘繰りでしょうか。

いずれにしても、いわゆる「良い恰好しぃ」には暗い影が付きまとっていると考えるのが自然でしょう。それを払拭したいがための恰好付けに違いないからです。良い恰好しぃの化けの皮が剥がれることを「幻滅」と言いますが、なかなか化けの皮が剥げずに長い間リーダーの座に座っているあの人は、その意味でなかなか大したもんだと言うしかないのかも知れません。しかし、強気がそんなに長く続くものではないことは、古今東西の歴史が教えるところでもあります。奢れるものは久しからず、(赤字国債という空手形で支払う)何本だかの矢を放ち、福島の放射能を言葉で覆い隠して五輪を誘致し、世界の途上国に半端ではないお金をバラまいたツケを払うのは、その後継者と国民であることは間違いない訳で、史上最長のリーダーの座という名誉を独り占めしての「逃げ得」など何の役にも立たないでしょう。

さて、愚痴はこの程度で切り上げて、前向きな提言でも書いておきましょうか。影ができないようにする比較的簡単な方法があります。それは、いくつかの方向から光を投げかけることでしょう。一つの光源が作る影も、他の光源が当たれば影も「半影」になるからです。もう一つの方法は、あまり大きなことを仕掛けない事でしょうか。大きな月は地球上に真っ黒で大きな影を作りますが、人工衛星や雲の塊などが完全な影を作ることはないからです。あまりに恰好を付けて、自身の名前を付けてまで政策を膨らませるリーダーには、やはりできるだけ速やかに退場して貰うしかないでしょう。この国が影で覆われてしまう前に・・・。今回はやや愚痴っぽく。

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2017年1月13日 (金)

3205 Tランプる2

彼の国の次期リーダーの、就任前のプレス会見を少しだけ興味持って注目していましたが、彼の本質が見え隠れしていた様でかなり残念なものの様でした。人を、前向き後ろ向きあるいはPositiveNegative に分けるとしたら、彼は間違いなく後者でしょう。前任者の為したことをことごとく批判し、内に籠ろうとする姿勢や、気に入らない人々を否定・排除し、壁を築こうとする姿勢は、まさに後ろ向きそのものだと言うしかないでしょう。

とは言いながら、若くて、前向きで、スピーチの上手かった前任者に対する反動といういうか、揺り戻しと考えれば、そんなに奇異な選挙結果ではなかったのかも知れないとも思うのです。たとえは適切ではないかも知れませんが、美食に飽きた人が急に刺激の強い「ジャンクフード」が食べたくなる心情に少し似ている様な気もします。高い教育を受け、洗練された政治家に飽きた人々が、激しい言葉で敵をなじる、叩き上げの不動産屋を選んでしまったということでしょう。たぶん、そのアジ演説を聞いて、「多少溜飲が下がった」、という理由だけで・・・。

ここでは「Tランプる」を、前体制に抗って、反動的に大きく揺り戻しする事、とでも定義しておきましょうか。もちろん、それが良い方向であればあまり問題はないのでしょうが、批判のための批判が得意そうな人なので、心配しながらも横目で注目して行く事にしましょう。今日は短く。

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2017年1月12日 (木)

3204 地域おこし

この言葉ほど曖昧で分かりにくい言葉を知りません。そもそも地域などというものは、改めて「興さなくとも」古の頃から厳然として存在する場所だからです。興すのは地域ではなく、キャッチフレーズとするなら、例えば産業の興隆だったり、結果としての雇用増加だったり、あるいはズバリ人口減少への歯止めだったり、といった「主語」を明確にしないと正しい意味が見いだせないのです。

しかし、行政側が主語を理解しているとも思えないのは、予算を付ければそれで、何か地域が動き出すとでも思っているフシが見え隠れしているのです。地方行政では、その予算の範囲内で行政組織を再編したり、少人数の何とかおこし隊を組織したりはするのですが、では何の具体策を打ち出したかと突っ込むと、中身はやれ農産物の6次産業化だとか、産業の高度化などと銘打って、無理やり航空宇宙産業への参入を推奨したり、観光産業を勧奨するだけなのです。6次産業などと口走るためには、先ずは市場調査を行った上で、何を誰がどのくらい生産し、どの様に市場にアクセスするかと言った、明確なビジネスプランが必要なのでしょう。航空宇宙産業にしても、不便な交通アクセスや関連産業の未発達をカバーするだけの、どの様な魅力を打ち出すか、と言う戦略無しには、地方でその様な産業が成功するとも思えません。結局、いわゆる現在の「地域おこし」政策は、予算措置だけありきで、既存の枠組みに捉われた、「中身の無い」ものだと断ずるしかないのです。既存の市場に打って出る戦略では、結局はどこかに歪を作らざるを得ないのです。

そうではなくて、全く新たな市場を作る出す様な「アイデア」が必要なのです。その過程で、地域の資源、原材料や気候風土や人材を有効に活用できるのが真の新たな「地場産業」になり得るのです。言わゆる伝統産業などと呼ばれる産業も、先人が何時の頃か「新産業」として導入したものが、気候風土に馴染んで定着したものの筈なのです。このブログでも再々書いている様に、冬は雪に閉じ込められるこの北国にも、種々の資源が埋もれているのです。不足しているのは予算ではなく「アイデア」だけなのです。

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2017年1月11日 (水)

3203 再開発⇒?

梅田駅の北が再開発される様ですが、なんとそこに森を造る計画があるのだとか。確かに、荒地だった場所に、荘厳な明治神宮の森を育てた先人の例がありますから、そのミニ版と考えれば、西の神宮の森が出来るのかも知れません。ここで考えてみたいのは、「再開発」と言う言葉です。これまでは、駅前の再開発と言えば、例えば自動的に古い建物を壊し、背の高いマンションや商業施設を作る事だったり、里山だった場所を削って谷を埋め、道路を通して新たな街を作ったりと言ったもの、つまりは古い街並みや自然を一度完全に破壊し、鉄骨とコンクリートとアスファルトを使ってゼネコンが人工のインフラを「造り直す」事を一義的に指したのです。

しかし、人間が一度作ったモノを壊し、森や自然に戻す事を何と呼べば良いのでしょう。英語ではRestoreなどと言いますが、日本語としてましてや行政用語や業界用語としては適切なものが見当たらないのです。敢えてそれをここで作るなら、「再自然化」とでもしたらどうでしょうか。再自然化は実は結構難しい話です。人間が大きく作り替えた自然環境は、建物を取り壊し、舗装を引っ剥がしたとしても、例えば地下水を含む水環境やそこに棲む微生物や植物相が復活する筈もありません。仕方がないので、表面上だけでも土を入れて、植物を植えても、結局はその植木が生えていた土壌を微生物や昆虫の卵ごと移植してしまうだけで、下手をすれば一つの公園で、寒冷地の植生や昆虫類が、温暖地域のそれとごちゃ混ぜになっていたりするのです。

再自然化のためには、綿密な調査と計画が必要だと思うのです。もちろん計画と言っても、人間も浅知恵で作るものではなく、自然の再生力に任せる余地を十分広く取って置く必要があります。「自然の取り分」とでも呼んだ方が良さそうです。加えて、気の遠くなるような「時間」も重要な要素です。人間が三代かけて壊した自然の復旧には、それ以上の時間を要するからです。明治神宮は、その意味で成功した例なのでしょうが、ここまで100年以上を経過している事を考えれば、結局この森は、自然自身の再生力が100年かけて作り上げた傑作とでも言えるでしょうか。人間は、それにホンの少し力を貸しただけなのでしょう。

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2017年1月10日 (火)

3202 90秒ルール

人間の怒りは、90秒も経過すれば一応はおさまるのだそうです。もちろん、その怒りが強すぎれば、もしかすると数年程度は続くのかも知れません。投稿者にその様な経験はありませんが・・・。しかし、世代を超えて70年経っても消えない様な怒りや憎しみは、結局は教育によって何度なく「強化」された結果もたらされたものだと言えるでしょう。

その作られ強化された憎しみに、反発を以って背を向けるのは、あまりにも「大人げない」態度だというしかありません。憎しみには、それを大きく包み込む「慈愛」の態度しかあり得ないと思うのです。人々は、その意味では敏感だと言えるでしょう。お金で解決しようとして、尊大な態度をとり続ける隣国のリーダーは、彼の国でどのように見られているのかは容易に想像できます。確かに、彼の時代で犯した罪ではないのでしょうが、少なくとも親や祖父の時代の出来事であり、心の痛みとしては感じてもらいたいとも思います。

さて、世界の全ての人々が、90秒ルールで暮らせたら、どんなに平和な時代が訪れることでしょう。確かに、動物の世界では、草食動物は、肉食の猛獣への恐れは抱くのでしょうが、家族を殺されたからと言って、肉食獣への憎しみを抱き続けることなどないのでしょう。憎しみは、アドレナリンで体を痛めつけ不健康にすることは明らかです。これを書きながら、許し忘れることの重要性とその結果の幸せを改めて噛みしめています。何故なら、過去に拘泥してウジウジと他人や特定の国民一般を憎み続けることの無意味さが想像できるからです。まあ、忠臣蔵の仇討ちを美徳とするこの国の国民性と、隣国の科学技術や産業のノウハウ・設備を導入し、追いつけ追い越せと目標にしながら、心情的には教育で叩き込まれた「憎しみ」の呪縛から抜けられない人々には、何らかの共通する「遺伝子」があるのかも知れません。磁石のNN、電荷の+と+が反発し合うように・・・。

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2017年1月 9日 (月)

3201 ○○の一つ覚え

経済政策一本槍のこの国のマツリゴトには、強い違和感を持たざるを得ません。何度でも書きますが、景気が良くなる事と、人々の幸福度は今や比例する事もなく、もしかすると格差拡大により「逆比例」している惧れすらあるからです。何とかミクスの荒っぽい三本の矢と、結果としての円安と原油安や世界情勢にも後押しされて、どうにか恰好は付けていますが、中身の無いお札や国債の増刷だけでは迎える結果は目に見えています。つまりは、膨大な借金の後世へのツケ回しです。

経済バカは、結局は経済に呪われるだけでしょう。経済は「魔物」だからです。たかだか、アジアの小国のリーダーが、いくら旗をバタバタ振り回そうが、魔物は一瞥をくれるだけなのです。「富」という呼び名の魔物は、間違いなく爆発的に巨大化しています。しかも、それは極端な「偏在」を加速させているのです。富は、いわばブラックホールの様に強力な吸引力で新たな富を引き寄せるのです。富はあるところにはあるのです。そしてそれは肥大化し続けるのででしょう。

なまじっかな努力で、この富の集中を止める事は出来ないでしょう。明らかな価値観の転換、と言うか「逆転」が必要だからです。アルコール中毒や薬物中毒の患者を治療するには、断酒や断薬を断行して、患者から「魔物」を引き離す必要があるのです。とは言いながら、果たして私たちに「富」、直接的にはマネーですが、それを忌避する事は可能なのでしょうか。少し遡れば、田舎には確かに殆どお金に縁の無い生活が存在しました。自給できるより少し多い程度のコメや野菜を育て、時には川や海で魚介類を手に入れ、また季節には山に入って山菜やキノコを採集すれば、生活に要するお金は最小限で済むでしょう。余った農産物や食糧は必要とする人に販売したり、他の日用品と物々交換すれば、結構豊かな生活を送る事が出来る筈なのです。もちろん、マネーを価値基準とする人達から見れば、貧しい生活に見えるかも知れませんが、精神的には充実した生活と言えると思うのです。なかなかその域までに道は遠いのですが、一歩でもその方向に近づこうと努力はしています。

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2017年1月 8日 (日)

3200 熱の3R

ようやく熱の有効利用にも光が当てられ始めたようです。つまり、熱の3Rにも助成金が出るようになったということです。熱の3Rとは、助成金を出す側の定義によれば、1)熱の使用量を減らす技術、2)熱リサイクル(例えばヒートポンプ)技術、3)低温度熱エネルギーの(電力への)変換技術、なのだそうです。しかし、熱の本質を考えてみれば、1)、3)は理解できるにしても、2)には違和感を抱かずにはいられません。熱(エネルギー)は、周囲に伝熱し放熱し続けながら、徐々に温度(エネルギーとしての質の)低下していきます。つまりは、熱は温度が低下する際の落差を利用する、「カスケード利用」が真髄だと思うのです。

さて、1)の使用量を減らす取り組みには、全く賛成で何も議論の余地は無いでしょう。つまりは省エネ技術です。また、3)のエネルギー転換、例えば熱電変換素子、については、まだまだ効率は低いながら、徐々にですが実用化に近づいているのは間違いありません。最もチャレンジすべき課題は、実は低温度の熱(いわゆる排熱)の利用の高度化だと思うのです。種々のエネルギー機器や設備から発生する排熱は、その絶対量が膨大だからです。熱は、放置していれば自然に環境温度まで低下します。それを防ぐのが「断(遮)熱材」ですし、熱そのものを蓄えておくのは「蓄熱材」の役割です。

この二つの目的の材料を高度化し、かつ安価にすることができれば、熱の3Rにも弾みがつくはずです。その際重要なことは、これらの材料を、環境に普遍的に存在する資源で実現する姿勢でしょう。複雑なプロセスを必要とする材料や化学物質を使おうとすれば、その材料調達のための環境負荷も大きくなるでしょう。断熱材としては、発泡させた無機材やその粉体が有望でしょう。また蓄熱材としては、蓄熱性能は低いでしょうが、比重の大きな岩石などが候補に挙がるでしょう。水に比べれば比熱は小さいのですが、比重と量でカバーする訳です。これらを用いて、例えば設備排熱や太陽熱を蓄えてかつその温度を維持し、それをカスケード的に利用する「安価」なシステムであれば、実用化に近づけそうな予感がします。高度な材料や複雑なシステムは、環境エネルギーでもある排熱の利用には馴染まないと思うからです。

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2017年1月 7日 (土)

3199 たかがつぶやき

もうすぐ大国のリーダーとなる人の「つぶやき」が注目を集めている様です。なにしろ、そのつぶやきによって大企業の株価が大きく下げたり、あるいは為替相場が揺れ動いたりするのですから、たかがつぶやきとは言えそうもありません。日本語で書けばここまでで100字を超える訳ですから、アルファベットで140文字で一体どれほどの想いが表現できるのでしょうか。文字数を制限した場合、多くの形容詞や意味をぼやかす「オブラート」を省略し、ズバリと「本音」を書く必要がありますから、多くのツイッター文は「紋切型」にならざるを得ません。それは、読み手に取ってはアグレッシブな印象も受ける事でしょう。

しかし、忘れてはならないのは、ツイッター利用の基本ルールとして、これを「特定のターゲットに向けた攻撃や非難」に用いてはならないとされている点です。その意味で、ツイッター上に特定の国や企業名を挙げて、チクチクとあるいはグサリと攻撃する、彼の国の次期リーダーは、明らかなルール違反を犯していると指摘せざるを得ないでしょう。もし、彼が実際にリーダーの座についてからも、今の様な「攻撃」を続けるならば、良識ある人々はそれを咎めて、すぐに止めさせなければならないと思うのです。

たかがつぶやきですが、短い、強い言葉で特定のターゲットを攻撃・非難する事は、それが個人レベルのイジメであれ、企業や国レベルの攻撃であれ、民主主義を標榜する人々なら、してはならない「ご法度」である筈なのです。その良識の書けている、彼の国の次期リーダーの行動には、大きな懸念を抱かざるを得ないのです。やれやれ。

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2017年1月 6日 (金)

3198 幸福論

最近、いくつかの幸福論が発表されて話題を集めている様です。3197で言及した書もその一つですが、書籍に限らずTV等のメディアでも同様の傾向だと言えそうです。その様な幸福論が取りざたされる事態は、裏返せば私たちがかつてない程の混迷の時代に置かれているとも言えるのでしょう。物質的には、例えば戦後の特に貧しい時代が存在しなかったと仮定しても、この国の歴史上でも最も豊かな時代に生きていると言うのに、です。

その意味で言えば、人間の幸福感と言うものは、ある程度までは物質的豊かさに比例するのでしょうが、それがあるレベルで充足されてしまえば、むしろ両者は(物質的充足と幸福度)は、上下に乖離してしまうのでないか、と疑われるのです。その理由は、多分人間の幸福感がそれほど単純なものではない、と想像されるからです。物欲や金銭欲などというものは、多分充足されればされる程逆に強まってしまう種類の欲望なのでしょう。それは、薬物やギャンブルなどの「依存症」にも通ずるもので、いわば人間の性(サガ)とでも考えるべきなのでしょう。

そうではなくて、物欲や金銭欲を最低限のレベルで「辛抱」し、幸福感を「精神的なもの」に求めていく選択肢を取るならば、私たちの幸福度は今より高い水準で実現できるのではないか、と投稿者は考えるのです。精神的満足による幸福感などと言うものは、髙いレベルで充足されたとしても、中毒になる心配は薄いのでしょうし、かつより高い満足度を追求したとしても、それはさながら「修行者」や「求道者」の様に、自分の内なるものに向かって行くだけなので、誰にも迷惑を掛けないでしょうし、地球環境に余分な負荷を掛ける必要もないのです。寒い時期に寒修行でもすれば、暖房エネルギーの節約にはなるのでしょうし、暑い時期に積極的に汗をかけば、発汗能力も高いまま維持できるのでしょうから、むしろ自分にとっても「健康維持」と言う幸福も手に入るでしょう。節制・節約しながら日々健康に暮らしていく事は、人間にとっての究極の幸福に違いない、と思う今日この頃です。

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2017年1月 5日 (木)

3197 人類の歴史

正月のズボラ生活から、日常に復帰しての初投稿です。今日のクロ現によると、人類の歴史書が今ベストセラーなのだそうです。しかも、それが現代の著名人にも大きな影響を与えているのだとか。まだ読んでいませんが、近いうちに手に取ってみようと思います。人類の歴史に関しては、これまでも種々の切り口で書かれた書が、それこそ枚挙に暇が無い程書かれた筈ですが、この書がこれほど評判になるのは、多分人類全体ではなく、それを構成する個々人の幸福に着目したからだと想像しています。

これまでの書は、例えば人類としての進化や自然淘汰あるいは、人類とそれを取り巻く環境や他の生き物との関係を読み解いたり、化石等の物的証拠を元に論を展開したり、更には生物全体と人類を一つの系統樹で表現しようとしたり、つまりは種の塊としての「人類」を論じたものばかりだったのです。しかし、例えば農業が始まった人類の歴史のイベントを、その農業を支える個々の農民に着目して論じたものは確かにこれまで目にした事は無かった様な気がします。

学問上、集団を集団としての特徴で論ずる事は確かに可能ですが、それを個々の構成員に落として論じてしまうのは、実は「学問」としては邪道でしょう。それを論ずるのは「文学」や「小説」の役目だからです。しかも、もし学問として構成員に着目したとしても、それを裏付ける太古の時代の物証など残っている筈もありませんしそれを補うのは、あくまでも「想像力」でしかない訳です。その意味で、イスラエル人の書いたこの本に対する書評は、多分壮大な歴史小説に対するものと似た様な感じになるのではないか、と勝手に想像を膨らませています。この本を読んでの感想は、その内このブログにもアップする事といたします。たぶんですが・・・。

 

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2017年1月 2日 (月)

3196 Tランプる

昨晩のNスぺで、Tランプ後の世界の変化に関して議論していました。要は、Tランプが大統領職に座った場合、世界のパワーバランスや経済がどう変わるか、という予測であり、その分析です。しかしながら、少なくとも20世紀後半を生きてきた人間の一人としては、たった一人の(政治経験の全くない)政治家の出現によって、世界がガラッと変わってしまうとはとても信じられないのです。

政治(や外交)経験が無い「ビジネスマン」にできることはと言えば結構限られてしまい、例えば手の内を見せない、つまりは「あやふやな態度」をとることによって、相手の次の出方に迷いを生じさせ、次の一歩を踏み出すことをけん制することくらいでしょうか。ビジネスと政治は、似ている様で実はかなり異なるのではないかとみています。ビジネス取引(Transaction)の結果として、例えば直接人が死ぬことはないのでしょうが、しかし、パワーバランスを崩すような政治的決断次第では、世界の各地に紛争が飛び火する惧れさえあるのです。怖いのは、パワーを握ったビジネスマンの起こす行動でしょう。パワー(直接的には武器や軍隊)を握った人間がそれを使ってみたいと思うことは容易に想像できるでしょう。

もちろん、大人の対応としては、「それ」をチラつかせながら、パワーバランスを維持することなのでしょうが、それにしてもどの様な「チラつかせ方」であれば、緊張を緩めながらバランスを保つことができるのかは、かなり高等な「駆け引き」が必要だと思うのです。選挙戦の中だったとしても、勢いで色々な事を口走る(Tランプる)人は、やはり「要注意人物」と考えておくべきなのでしょう。

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2017年1月 1日 (日)

3195 ○○協力隊?

年末はバタバタしていて、年末にアップする予定だったこの稿が、初投稿になってしまいました。このブログは、悪口はご法度にしているので、以下もあくまで提言です。

さて〇〇協力隊なるものが各地で組織されてはいる様ですが、なかなか目に見える成果が上がっていないのが実情の様です。しかし、協力隊員の任期は多分2年程度でしょうから、成果の有無にかかわらず、また不本意ながらその地域を離れる事も多いのでしょう。そもそも、隊の名前が余り腹に入りません。誰かが地域起こしをするのに「協力」する、あるいは「お手伝い」をする、と言うスタンスが見え隠れしているとも思えるからです。

本当に地域興しをしたいのであれば、「地域興し実行隊」とか、もっと過激に「地域興し決死隊」程度のネーミングにして貰いたいものです。もちろん、名前だけで中身が変る訳でもないのですが、あくまでもう数歩前に進んだ取組みとするため、先ずは名前から入ろう、とススメているだけです。そして、隊員には給料だけではなく、実際にビジネスを興すための場所の確保と、ささやかでも予算(元手)を渡すべきでしょう。新しく興すビジネスは、最初から大きな売り上げや多数の雇用を生み出す必要は全く無いでしょう。

そうではなくて、地域ビジネスはむしろ手間暇の掛かる、昔ながらの「生業(なりわい)」に近いものでなくてはならないと思うのです。例えば、田舎の農家の庭先を見ると枝先にビッシリと成り下がっているカキ木が数本目につく筈です。カキの実を見て、さてそれをお金に変えるためには、どうしなければならないと考えれば、それを摘んで渋を抜くために焼酎を使ったり、皮を剥いて干し柿などにする必要があるでしょう。あるいは、カキの糖分を利用してアルコールを作るのも良いでしょう。必要なのは、ヨソ者の目と、若者(もちろん年寄りでもOKですが)のやる気・体力と、意外性のあるアイデアでしょう。○○決死隊の隊員が、先ず生計を立てる事が出来れば、一つの生業モデルが出来る訳で、それをコピーするか少しアレンジすれば、別のモデルも作れるかも知れません。

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