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2017年2月13日 (月)

3231 ウィルスとしての文化(論)

最近ブログに書くネタが少なくなって来たような気がしていましたが、考えてみればここしばらく本を殆ど読んでいない事に気が付きました。単身赴任の数年間は、仕事が入っていない時は暇を持て余して、夏は山々に入って彷徨し、冬は読書に勤しんでいたものでしたが、竟の住み処を構え連れ合いと再び同居を始めると、何かと雑用が増えて、本から離れてしまっていた様なのです。そうなると、人間の頭の中身などは知れているので、毎日ブログを書き続けていると短期間の内に「ネタ切れ」になってしまう様なのです。ネタは、読書や人との密な交流から生まれてくるものらしく、最近は頭の中が少し薄まっていたかも知れない、と反省した次第です。

早速図書館で、少し前話題になったYNハラリの人類の全史と題された本を借りてきたのでした。上巻は誰かに借りられていたので下巻から読み始めましたが、この壮大な文明論はなかなかに刺激的でもありました。その中で少数意見として引用されていた、いわば「ウィルスとしての文化論」に強く共感してしまいました。そこでは、文化は、その文化圏に所属する人間の体を「宿主」として増殖するウィルス様に、その社会の構成員の利益などには頓着なく、文化それ自体の繁栄と存続のために、人間を利用するものだ、と言うやや乱暴とも言える考え方なのです。

しかし、投稿者なりに、例えば経済活動に置き換えてみると、何故かすっきりと理解出来る様な気がしてくるのです。文化を、例えば「マネー」に置き換えてみましょう。つまりは、お金は決して金持ちのためにあるのではなく、お金は自分自身を増殖させるために、貧乏人を踏み台にしつつ、金持ち達を利用しているに過ぎないとも考えられるでしょう。ある金持ちが、ビジネスや利殖に失敗して落ちぶれようが何しようが、お金は次の宿主(他の金持ち)に乗り換えて、更なる増殖を続けるだけなのです。お金=ウィルスと見做せば、今の文明=自由主義経済が持続する限り、お金の量が減る事などあり得ないという結論になりそうなのです。いわば、お金=ウィルス論も成り立ちそうな気がするのです。

この見方を文化(文明)に敷衍すれば、人権と自由主義経済と科学技術を是とする今の文明は、人類が滅びようが、自然が取り返しがつかないくらい破壊されようが、人類を利用して行き着くところまで突き進んでしまう、と言う悲観的な結論に至ってしまいそうなのですが・・・。残念ながら。

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