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2017年2月27日 (月)

3235 モノの価値

長期の出張から帰って、投稿再開です。暇な時は、モノの価値について時々考えます。モノの価値は絶対的なものではなく、当然の事ながら個人や社会の持つ価値観と結果としての相対的な価値で決まるものだと思います。先ずは価値観ですが、これも人や社会によって大きな差があるでしょう。それは、ヒトを「人間」と書くように、ヒトは群れて社会を作る存在であり、その社会の中で揉まれて初めて価値観を醸成していくしかないからです。社会的に承認されない価値は、最終的には個人にとっても価値が無いと感じてしまうでしょう。

さて、今の世界で普遍的に価値が認められているものに「お金」があります。その昔「お金」は入手が難しい金属、とりわけ貴金属で作られ、その価値は当然の事ながらその重さで決まっていました。取り分け金(ゴールド)は、その希少性と現代ではエレクトロニクス向けなどのメッキ金属の仕手の重要性ゆえに、未だに大きな価値を持った金属であり続けています。とはいうものの、ゴールドが持つ価値の総量は、その埋蔵量と流通量の範囲内に限られるでしょう。

しかし、今世界中に流通している「お金=通貨」持つ価値の量は、ほとんど無限の様に見えます。各国の通貨発行を担う中央銀行が、紙幣印刷機や貨幣製造機を動かせば、事実上いくらでも発行できるからです。もちろん、いたずらにマネーを発行し続ければ、その通貨の価値は下落し、信用を失うでしょう。その意味で、現在のマネーの価値は、それを発行する国の信用の上に保証されているだけの「儚い」価値だというしかありません。もし、本当に必要なモノの供給がひじょう極端に不足して手に入らなくなった場合、相対的にお金の価値は下落し、いくらお金を積んでもモノが手に入らない事態に陥る事でしょう。つまり、お金の価値が「相対的に」下落してしまったのです。

さて、どの様な時代になっても、どの様な社会で暮らしたとしても、必要最小限の水や食料とエネルギー源などは、確実に価値を持ち続けるモノであり続けるでしょう。水や食料無しには、私たちは1か月も暮らせないでしょう。夏はともかく、寒い冬は何らかの暖房や煮炊きに使うエネルギー無しには暮らせないでしょう。かつて北米のイヌイットは、氷で出来た家に住み犬ぞりを駆使して猟に出て、海獣の生肉や干し肉で暮らしていたかも知れませんが、現代社会では猟にはスノーモビルが不可欠ですし、暖房の効いた家に住んでもいます。先ずは、衣食住の基本部分についての価値を認識し、その自給自足に少しでも近づく努力が必要なのでしょう。しかし、都会の高層マンション暮らしでどれほどそれが現実的かを考えれば、途方に暮れるしかないのでしょうね。

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