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2017年4月30日 (日)

3280 貧乏自適

今日は、適当な表題が思い浮かばないので、徒然なるままに書き出します。悠々自適と言う言葉がありますが、それに倣えば今は「貧乏自適」でしょうか。自分が蓄えたとはいえ、いわゆる年金を受け取り、頼まれた仕事を時々こなし、天気を予想して山に登れる今のせんかつ生活は、今後何年続けられるかは神のみぞ知るですが、出来れば足腰を鍛えながら、歩けなくなったら人生も終わり、を理想として暮らして行こうと思っています。

借金も無く、決して贅沢ではない生活ぶりで、自分の家で暮らしていれば、それ以上望むものはなさそうですが、何か足りないものを感ずるのは年齢の所為でしょうか。自分の年齢を勘定して見て、何時も愕然とするのは、歴史上に名前を残しているいわゆる偉人の没年齢に接する時で、彼らが30代や長生きしても50代までに「結果」を残しているのに比べ、凡庸な凡人とはいえ自分は一体何を為し得て、何を残し得るのかを考えると、何時も軽度の自己嫌悪に陥ります。そんな時、高齢者のビギナーとして、若者を追い抜きながら山に登り、頂上に立った時、小さな達成感が今の人生の駆動力になっている様な気もします。

今後の人生の中で、残したいと考えているのは、自分の人生で肥やしになった失敗経験や上手く行った時のコツやノウハウ等を後進に伝える事が出来れば良いな、とボンヤリ考えてはいます。もちろん、自分自身の子供達に伝える事が出来ればそれは理想ですが、残念ながら二人とも技術や環境学には、全く興味が無さそうなので、他人でも「弟子」が出来るのが理想ではあります。かと言って、身を助ける手仕事や技を伝える訳でもなく、単なる元技術屋や環境屋のノウハウ程度では、残念ながら誰かに弟子になって貰える当てすらありませんが・・・。

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2017年4月28日 (金)

3279 引き時

何に限らず、始まりは勢いもあり比較的簡単ですが、難しいのはそれにピリオドを打って、止める時でしょう。人で言えば、引き時、辞め時と言うことになるのでしょうか。引き時が難しいのは、始める時はまだ小さかった「行き脚」が、いざ止めよう、辞めようと思った時には、かなりのスピード(慣性)になっていて、急にストップするのが難しかったり、惜しかったりする気持ちが働くことが理由でしょう。特に、後者は日本語では「未練」とも言いますが、引き時を特に難しくしている最大の原因の様な気がします。

進みつつある事態を止める方法にはいくつかあるのでしょうが、いずれにしても行き脚を徐々に小さくしていく必要があるのは自明でしょう。そうでなければ、外部要因で突然事態が終わる場合には、そのデッドエンドの壁に激突してしまう恐れさえあるからです。道路の急こう配で急カーブが連続するの下り坂に、時々「緊急待避所」がありますが、あれはブレーキの使い過ぎでブレーキが過熱し、結果としてブレーキが効かなくなる事態に陥った場合に飛びこむ場所なのです。もし、その坂に差し掛かる前にギヤを下げて、エンジンブレーキが効くように準備するなら、そんな場所のお世話にはならないで済むでしょう。

人の一生で言えば、体力も気力も充実していて、行け行けドンドンの時期もある事でしょう。しかし、どんなスーパーマンであったとしても、ピークアウトの時期が来る事は不可避です。以前から気になっていたのは、政治家(多くは政治屋ですが)の動静です。自分の体験に照らして考えてみれば、活動のピークは50代の中盤だった様に振り返っています。まさにその時期に、現役を止めフリーランスとなったのですが、その選択肢は正解だったと思ってもいます。その後は、徐々に活動のスピードを緩めて、今に至る訳ですが、高齢者の仲間入りをした今、もし山で吹かれたり?、不治の病を得て人生にピリオドを打つ事になったとしても、あまり命は惜しまずに済みそうだとは思って暮らしています。マツリゴトに関わる先生方にも、是非還暦を越してしまったら、ソロソロ引退の準備をして貰いたいものです。老害と囁かれる前に・・・。

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2017年4月26日 (水)

3278 創エネより省エネ3

省エネに関して、ここ10年以上に亘って企業に助言し続けている「お経」があります。それは、「エネルギーを色分けしましょう」と言うものなのです。もちろん、エネルギーに実際に色を塗る事は出来ませんが、もし信号機の様に、赤、黄、青の3色の色分けをするとしたら、それそれのエネルギーの用途は何色になるかを想像して貰うトレーニングです。その際、赤色はサッカー競技で使うレッドカードに喩えて、これは即退場ですから電気エネルギーの場合は即スイッチを切ります。例えば、無人のトイレで点灯している電灯などがこれに当たります。

次に黄エネルギーですが、これは一見必要には見えるものの、実際にはサービスや製品には付加価値を追加しては居らず、もっと省エネにつながる別の手段で代用できるエネルギーを指します。例えば、工場の中で言えば「物流」に関わるエネルギーや職場環境改善のための空調や除塵のための等のエネルギーがこれに当たります。モノは、それを運ぶ事によっては決して付加価値は上がりません。前の工程から次の工程に運ばなければならないのは、ラインの設計が拙いからで、ラインが連続して繋がってさえいれば、前工程の出口はそのまま次工程の入口になる筈なのです。職場環境が、暑かったり、粉じんが飛び交っているのは、設備から大量の熱が放散していたり、粉じんを発生させる設備や作業がオープン状態に置かれており、そこから空中に粉じんが拡散しているからなのです。設備の防熱や粉じん設備をブースで囲って、局所排風装置を付けるだけで、工場の環境は見違えるほどクリーンになり、大型の空調設備は不要になるでしょう。

青エネルギーは、実際にモノやサービスに付加価値を付けているエネルギーであり、これを減らすには、サービスや工程の中身を吟味した上で取りかかる必要があり、更にチャレンジングですのでここでは割愛し稿を改めます。

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2017年4月25日 (火)

3277 情報寡占への抵抗

自分でも10年前からブログを書き続け、5年前からはFBへの投稿を始めておきながらですが、やはりネット社会、とりわけ大手IT企業への情報集積が気になってはいます。例えば、ある商品に興味があって、関連するサイトをクリックしたとたん、別のサイトのAD欄に、怒涛の如く関連する商品コマーシャルが現れ、フリックし始めます。つまりは、最初にサイト閲覧した時に「個人情報」が把握され、同じブラウザで開いている別のサイトに「関連付け」されてしまったことを意味します。表面には出ていなくとも、A氏はBやCやD製品に興味がある、という情報がいつの間にかネット空間の情報として、蓄積されてしまったのです。

ブラウザやネット通販やSNSは、ますます寡占化が加速していると言えるでしょう。つまりは、ビッグデータがますます大きく「育って」いるのです。怖いのは、それが一握りの企業に集中しているという事実で、これが悪用されれば、人々の消費行動や、ひいては政治信条などのマインドコントロールまで影響を及ぼすケースだって考えられるでしょう。つまりは、誘導したい方向の商品や政治信条に関するニュースなどを繰り返し差し込んでいけば、「意識下」での刷り込みが起こり、知らない間に強く影響を受けている事態も起こり得るでしょう。

私たちは、そのことをワキマエた上で、ITに接し、情報を受け取るべきでしょう。望んでもいない情報に誘導されないためには、やはり自からも情報発信を続けていくしかなさそうです。一方的に(パッシブに)情報を受け取るだけでは、どうしてもそれを評価しあるいは批判的に受け取る姿勢が弱くなるからです。自分で考え、情報発信をしていく中で、ネット上で異なる意見に接し、複数の意見を並べることで、物事の本質により近いものが見えてくると思うのです。その意味では、日々流れてくる情報に対して自分なりのフィルターを備えておくことと、受け取った情報を吟味し評価するだけの見識は養っておきたいものだと、再度ココロを引き締める今日この頃です。

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2017年4月23日 (日)

3276 創エネより省エネ2

創エネのネタは限られますが、省エネのネタは事実上無限です。一番簡単な省エネ方法は、スイッチを入れている時間、つまりは運転時間を短くする事です。それまで110時間動かしていた(点灯していた)機器を、9.5時間に短縮すれば、それだけで5%の削減が確実になるでしょう。時間短縮作戦です。ダラダラとしていた残業を、スパッと定時で終わる様にするだけで、かなりの省エネになるでしょう。

別の切り口は、蓄エネです。例えば、断熱材に覆われた蓄熱剤(材)、例えば水やコンクリートや砕石などですが、それに余った熱を蓄えて、必要な時に取り出せば、その間はエネルギーの消費を抑える事が出来ます。もう少し凝ったシステムでは、熱を相変化の形で蓄える事が出来る化学物質を使う場合もあるでしょう。無機材では、比重が大きく従って比熱値の割には蓄熱量が多い、精錬残渣なども有望でしょう。熱媒体としては、無害な水や空気で十分ですが、蓄熱温度が100℃以上になる場合には、鉱物油を使わざるを得ないかも知れません。

電力もバッテリーを使えば、簡単に蓄えて、必要な時には取り出しが容易なエネルギー源です。例えば、太陽光発電でピーク電力を超えた量が発電出来る場合には、低くなったFIT価格で買電するよりは、自家消費に回した方が有利になる場合もあり得ます。何故なら、蓄電と自家消費によって、電力会社との契約電力(ピーク時の電力)を低く抑える事ができ、1-2ランク下げる事が可能なら、基本料金がかなり低減できるからです。

オーソドックスですが、お金の掛かる省エネは、やはり省エネ型設備に更新する事でしょうか。エアコンやコンプレッサーなどは、一時に比べ50%程度の省エネ性能を実現している製品も多いのです。耐用年数が来ている設備は、経営者としては、ダラダラとエネルギーを垂れ流さずに、スッパリと更新すべきでしょう。更に続きます。

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2017年4月22日 (土)

3275 引いて見る

カメラワークが得意な訳ではありませんが、目を引く写真はズームインとズームアウトを上手く利用して、主題を浮き上がらせているテクニックを使っていますが、これは世の中の動きを眺める際にも重要だと思っています。例えば、国会でKゴイケ事件が、さながらこれが国政の問題点の全てであるかの様に連日テレビ中継されましたが、鋭く切り込んだつもりの野党が、ブーメラン現象によって血を流したり、同じ趣旨の質問と答弁がダラダラと繰り返されるに至っては、茶番芝居にしか見えないのは、投稿者一人ではない筈です。

その時、一つの方法として、引いて眺める(ズームアウトする)のが好ましい姿勢でしょう。具体的には、長い国会の歴史を少し振り返ってみるのも良いでしょう。政治家の言動を官僚や企業が「忖度」するなどと言うことは日常茶飯事だった筈です。たった?5億円で、首相経験者が巣鴨に収監されたのは、そんなに遠い昔ではないでしょう。隠し政治資金として、政治家自身の懐に入れるためや票や資金集めのためのパーティ開催などで、表に出せないカネがどれだけ動いたかを考えれば、氷山の一角しか報道されない事を考えれば、想像の域を超えるでしょう。私たちは、日々の報道の派手さに惑わされず、冷めた、少し引いた目で事態を眺める必要があると思うのです。

引いた目で見る時、上に書いた様に時間を遡ってのロングスパンで眺める手法の他に、視点を変えてみるのも良い方法でしょう。政治をカネの視点から見る他にも、政治家の離合集散の様子を、椅子取りゲームの野心の視点から見るのも面白い視点になるでしょう。絶対多数を取っている様に見えるJ民党ですが、もし中道勢力が党を割り、M進の右より勢力と手を組めば、新たな党も組める筈です。それでなくとも、J民党だってかつての自由党と民主党の寄せ集め党だったではありませんか。引いてみて、別の角度から眺めて、今の社会や政治の流れを冷静に評価したいものです。もちろん、その結果「ではどうあるべきか」への提言を発信する事も怠ってはならないでしょう。このブログは、そのために書き続けています。

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2017年4月21日 (金)

3274 道徳ではなく倫理

最近時々道徳教育なるものが取り沙汰されることが多くなりました。国会でも取り上げられることも多いですが、たまたま質疑や答弁を聞いていて、片腹が痛くなるのは、投稿者だけではないでしょう。そもそも道徳とは人間の集団(社会とも言いますが)の中で、行動すべき社会規範の様なものをまとめた、「べし・べからず集」だと理解しています。最近の教科書は手に取ったことはありませんが、子供は親に孝行しなければならない、国民は国のために汗をかかなければならない、食べるなら、パンより和菓子を大事にしなければならない、などなどが書いてあるのでしょうか。

「政治家倫理さえ」わきまえていない先生方が、手を振り上げながら道徳教育を云々している国会風景の中継に接する時、片腹が痛みは最高潮になります。人は、社会の一員である前に、まずは人間でなければならないはずです。政治活動費やその他の出費を誤魔化しておいて、事務所や秘書の所為にするなどは朝飯前で、官僚に「忖度」させるために、強くニオワすなどは日常茶飯事でしょう。方法は簡単です。担当のお役所に、事務所から政治家の名前を出して、なぜ~をするのか(あるいは~をしないのか)といった「質問」をぶつければ良いだけです。たった、それだけで官僚の忖度が引き出せるのです。道徳教育を云々する前に、まずは自身の倫理観を深く反省すべきでしょう。

そもそも倫理とは、人として他の人とのあるべき関係を導くものであると理解していますが、人としての倫理観が薄い輩が、道徳教育を議論する姿が正視に耐えないのです。このブログは、批判を目的とはしてはいませんから、今回も「警鐘」に過ぎませんが、かなり大きな音で鐘を打たざるを得ないのです。道徳の前にまず倫理です。

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2017年4月20日 (木)

3273 創エネより省エネ

人間の生活は、ますますエネルギーインフラに頼る様になってしまいました。ガソリンで動く車が、EVに置き換わっても、その事情は変わりません。石油インフラが減って、電力インフラの比重が高まるだけの事です。その中で、お国の政策としては、いわゆる新エネの拡大や20世紀型のアブナイ技術である原発の再稼働に、あまり好ましくない新規石炭火力などで、増加する電力需要を賄おうとしています。しかし、一時は持て囃された「省エネ」の掛け声が、最近下火になっているのはどうした事でしょう。

省エネは「ネガワット」とも呼ばれ、省エネ努力で減った分は、さながら発電量が増えたのと同じ効果がある上に、当然の事ながら新たな設備投資は不要なのです。つまり、省エネ10%を達成することは、今の電気の使い方で需要増加分への対応として、発電能力を1割増やすのと、全く同じ結果を生み出すのです。

10%の省エネなど、国が掲げる2030年度3割省エネ(CO2削減)目標や最終的な2050年:80%削減目標に比べれば、誤差の範囲内でしょう。それどころか、3割削減の目標先取りもそれほど困難ではないでしょう。何故なら、1970年代に私たちは今の半分のエネルギーを使いながら、十分幸福を感じながら暮らしていたからです。増えたのは、紙がOA機器になり、スイッチさえ入れれば快適を生み出す電化製品の数と、便利に移動できる車などの交通手段と、今日注文すれば明日に手元に届く便利過ぎる物量システムなどが歯止めなく増えた結果でしょう。

省エネの考え方は比較的簡単です。企業の収益や日常生活に直接影響を与えない設備や家電は、先ずはコンセントを抜けば良いのです。これは「ヤメル」省エネです。通路を必要以上に明るく照らしている電灯や部屋の隅を照らしているだけの電灯も間引いてやれば良いでしょう。「ヘラス」省エネです。一番骨が折れるのは、効率を「タカメル」省エネでしょうか。しかし、例えば冷蔵庫やエアコンや自販機などは、冷媒の工夫や熱交換器のブラッシュアップで、既に50%程度の省エネは達成していますし、まだまだ効率を上げつつあります。問題は、今動いている膨大な数のエアコンや冷凍・冷蔵設備の電力消費です。投稿者としては、当面はフロンや代替フロンが使われている冷媒を、炭化水素系を含むノンフロン冷媒に交換するビジネスの拡大が必須だと思っています。冷媒の交換だけで3割程度の省エネの達成は十分可能だからです。たぶん続きます。

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2017年4月19日 (水)

3272 ボタンの掛け違え

最近、この「ボタンの掛け違え」という言葉が気になりだしました。例えば、海外で起こっていることをいくつか思い返すと、まずはEU離脱問題が想起されます。ある時期、EUの拡大ブームがありました、そこにいくつかの問題、例えば難民流入問題などが投げ込まれ、それを嫌がる国々の右向きで内向きの勢力が、難民排除の掛け声を上げ、それがEU離脱問題に波紋を投じてもいるのでしょう。E国が離脱を決め、Fランスも離脱を表明する大統領候補が有力の様です。しかし、E国が抜けた後の「ボタンホール」は一体どうなのでしょう。ボタンが取れてボタンホールが開いたままの衣服というものはかなり情けないものです。隙間風が入りますし、下着が見えたりもするでしょう。かといって、その下のボタンを掛けても、衣服が片側だけずれ上がってしまい、その滑稽な状態は話にもならないでしょう。

そうかと言えば、C国のリーダーがB国を訪問して、晩餐会の最中に、数十発のミサイルをSリアの基地に向けて発射させるといった「暴挙」があり、しばし世界がその対応をどう評価すべきか躊躇するという事件もありました。情けない事に、この国のリーダーは背景や状況をよく吟味をすることなく、早々と「支持」を表明したではありませんか。開いた口が塞がりません。

同じような事がこの国でも起こっているでしょう。安定性を重視する傾向のあるこの国の人々は、危なっかしいM主党(ある時期からはM進党などと訳の分からない党名になりましたが)を見限り、J民党に回帰してしまいましたが、3本の矢などという故事を持ち出して、政策を打ち出した今のリーダーの人気にも陰りが濃くなってきました。そのそも、3本の矢は政策でもなんでもなく、単なるキャッチフレーズに過ぎなかったのですが、汗をかかない手段である財投や金利誘導と円安という外的要因も重なって、曲りなりにも経済がそれなりに回っている状態だといえるでしょう。しかし、ここにきて穏健で結構上手くいっていたB国が、突然「先の読めない」リーダーを選んだ結果、ボタンの掛け違えが顕著になってきた様なのです。

この国のリーダーは、新リーダーがその席に座る前からB国に飛び、ボタンを掛けてもらおうと必死ににじり寄りました。正式な就任後は、彼の別荘にまで出かけて行って2日もゴルフに興じる始末です。B国の真面目な顔の副リーダーがアジアに回ってくると、この国の副リーダーが大歓迎の満面の笑みを浮かべてカメラに収まるチグハグな写真が気になります。この国は、それが長期的に見てこの国の将来に資するか否かは全く度外視して、B国が差し出したボタンホールには、無条件にボタンを掛けてきたのです。それをB国追随ともいうのでしょうが、逆に言えば、B国以外が示したボタンホールは無視せざるを得ないとも言えるでしょう。「善隣外交」などという言葉は最早死語になってしまった様で、まるで戦争が間近に迫っている時代にも似た殺伐とした昨今です。

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2017年4月18日 (火)

3271 中間技術でどうでしょう3

中間技術のもう一つの条件と言うか側面ですが、それは顔の見える技術になります。大量生産品を前にして、それが生み出される量産ラインの作業者を想い浮かべる事は多分あり得ない話でしょう。ましてや、それを企画した人や設計した人達がどんな人なのかは全く見えません。消費者は、それが量販店に並んでいた時に、たまたま店に入り、たまたま他社の同様製品よりデザインや機能を少しだけ気に入ったので、つい買ってしまった筈です。

「スモール イズ ビューティフル」では、中間技術を整地作業に例えています。つまり、大規模技術は、例えば大型の重機(ブルドーザ)と想定すれば、スモール技術はレーキやクワによる手作業になるでしょう。中間技術とは、エンジンはついているが、人がハンドルを握って一緒に歩く小型の土木機械を使った作業という事になるでしょう。大型で、遠隔操作機も使える大規模技術に比べれば、中間技術は一目でその作業が確認でき、細かい調整も可能でしょう。結果としてみれば、整地作業の出来栄えは、作業スピードを別にすれば中間技術に軍配が上がる筈なのです。それは、機械を運転する人が整地しながら、一緒に歩くことにより、小さな凸凹にも気づくことができ、修正する事が可能となるのです。

工場の例でいえば、ロボットやコンベアを駆使した完全自動化ラインを大規模技術として、手作業の家内工業をスモール技術とすれば、中間技術は機械設備も活用する「半自動ライン」に相当するでしょうか。そこは、人の目や手がしっかり行き届いているモノづくりラインなのです。もし、製品に関して顧客の細かい要望が入ったとしても、この様なラインでは即日改善が可能となる一方、大規模技術の向上では、ラインの手直しにかなりの期日が必要になる筈なのです。結局は、機械だけに頼るのではなく、人がしっかり関わるということが、すなわち顔の見える技術の要件なのです。それを、モノづくりはいわんやサービス産業でさえ、ITとかIoTに頼りきってしまおうとしている現代の風潮に、投稿者としては危機感を禁じ得ないのです。

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2017年4月16日 (日)

3270 中間技術でどうでしょう2

3269の続きです。さて、顔の見える「中間技術」とは、具体的にはどんなものになるのでしょうか。投稿者なりに提案してみたいと思います。このブログは、前日の晩か当日朝に、30分程かけて書いて投稿しているのですが、もちろんそんな短時間で、中間技術論に関して良いアイデアがポンと出る訳ではありませんが、少し頭を働かせてみます。

M.シューマッハの定義による中間技術は、先ずは小さな投資、具体的には個人事業主として投資出来る程度の設備から生み出せる製品やサービスと言うことですから、何らかの形で建屋があるとして、その中の設備としては、併せて数百万円相当の中古設備が数台置いてあるというイメージでしょうか。その中で、数人が働き、年間(低い方の)数千万円を売り上げると言ったビジネス規模になるでしょう。もちろん、最初から全国区を狙ったりしては「スモールビジネス」にはなりませんから、先ずは地元の市場を考えなくてはなりません。

ビジネスには、B to BB to Cが考えられますが、もちろん生み出す製品やサービスによって、前者に重点を置くのか、後者なのかは決めなければなりません。後者の場合は、顧客は個人と言うことなので、先ずは個人のニーズを把握する事から始めなければなりません。その地域には、どの様な人達が住んでいて、主に何を求めて、あるいは何に困っているのかを知る必要があります。マズローの欲求5段階を引くまでもなく、ニーズにも段階があって、特に顧客が困っている事を解決する製品やサービスには強いニーズがある筈です。例えば、北国では寒い冬季を乗り切るために、暖房や給湯のための光熱費が頭痛のタネになっています。しかし、それは年間を通じてのニーズではないため、単に暖房手段だけを提供しても、ニーズを充足する事は出来ません。年間を通じて必要な給湯の熱源とはなり得ないからです。

であれば、冬季は暖房と給湯に、中間期と夏季は給湯に使えて、しかも石油やガスやオール電化より光熱費が安く上がる熱源には強いニーズがある筈です。家庭用ですから、その熱源の大きさは限られてくるでしょうし、大きな設備も不要でしょう。売値で、1台100万円前後と想定すれば、それを年間数十台生産するラインは、それ程大きな規模とはならないでしょう。1週間に1台も出荷すれば十分だからです。電装関係は、基本的な機能さえ設計できれば、外注で簡単に調達できるでしょうから、後は本体構造を作るだけです。それすら、近くの鉄工所を使って製作できますので、社内には組立と調整及び出荷試験をする機能があれば十分でしょう。出荷数が増えれば、アフターサービスを充実させる必要がある事は言うまでもありません。続きます。

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2017年4月15日 (土)

3269 パーキンソンの法則

パーキンソンの法則とは、「役人の数は仕事量とは関係なく、一定率で伸びる」、および「仕事と言うものは、与えられた時間いっぱいまで伸びる」と言うものの様です。日頃の報道や自分自身の企業での経験を振り返ってもイタク納得できる法則ではあります。水が容器の形によってその姿を変える様にと言う比喩はあまり適切ではなさそうです。むしろそれは、例えば気体が、容器の形や容積に合せて、膨張収縮をする様だと言うのがより近いアナロジーかも知れません。より大きな容器に移し替えられた気体は、その圧力が低下するでしょう。分子の密度で言えば、ボイルとシャルルが証明したシンプルですが非常に重要な式に示される様に、容器の容積に反比例する形で低くなるからです。

仕事の密度も多分同様の法則に従うのでしょう。ヨーロッパのいくつかの国々の労働生産性がこの国のそれより何割も高いのは、仕事の合理化や長いバカンスを取得する報酬と引き換えに集中が出来ている証左かも知れません。少なくとも、ぼうっとしている時間が、かなり少なくなっているのは間違いないでしょう。少し前まで、この国ではちょっと仕事をして一段落すると、喫煙室に走って行ってタバコを吹かし、そこで暫し雑談をしてから席に戻る、と言った行動が茶飯事だったと振り返っています。

それと言うのも、どうやらこの国のワーカーには、仕事の目標を定めて、計画的にそこに向けて追い込みを掛けると言った風潮が弱い様なのです。追い込まれれば、確かにねじり鉢巻きをして、長時間の残業を掛けて「やっつける」事はどの企業や役所でも行われている行動でしょう。逆に言えば、追い込まれるまではボチボチと仕事を進めておいて、最後にガーッと仕上げてしまうパターンが好きだ、と言うことでもあります。結局日々の仕事でも、午前中はボチボチ仕事を進め、午後も眠気をこらえながら仕事をつづけ、3時のコーヒーブレークが済んだ頃から馬力を上げ始め、残業時間になってやっとトップスピードになる、と言うのが多くのサラリーマンの仕事ぶりなのでしょう。働き方改革やワークライフバランスなど、キャッチフレーズをいくつ並べても、「働き方の文化」を変えない事には、一向に事情は改善しないでしょう。さて、何から始めればパーキンソンの法則を打ち破れるのでしょうか。たぶん続きます。

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2017年4月14日 (金)

3268 中間技術でどうだろう

この言葉は、多分M.シューマッハの著述で知った様な気がします。書名は「スモール イズ ビューティフル」ですが、新書となっている小さな本を再び手に取ると、ビッシリと付箋が貼られ、重要な部分には赤の傍線が引かれているので、若い頃に熱心に何度か読み返し、強く影響を受けた事が明らかです。その中で、今も明確に自分の語彙に残っている言葉が「中間技術」なのです。サイズ的には、もちろん重厚長大ではなく、単純な軽少短薄でもない、いわば等身大の技術を指します。

重厚長大産業のビッグスケールの技術も、いわゆる最先端の軽少短薄な技術も、いずれも莫大な額の設備投資が必要である事は間違いないでしょう。前者は向こうが霞んで見える様な建屋に、同じく見上げる様な設備が並んでいる産業でしょうし、後者は巨大なクリーンルームや高真空設備やレーザー発振装置や精密な計測機器が必要でしょうし、エネルギー密度の集積も高いでしょう。結果として、天文学的な額の設備投資を必要とする訳です。一方、伝統的な技術はそうではありません。狭い仕事場に、立派ではありますが手に馴染んだ別の職人の手による「道具」整然と並べられた場所から生み出されます。

中間技術とは、上記の大と小の中間的な投資で始められる産業を指すのですが、しかしそれだけではなく、彼は「顔の見える技術」でもあると説くのです。誰に顔が見えるのかと言えば、それは、その中間技術から生み出される製品を強く必要としている消費者に対してなのです。消費者のニーズによって引き寄せられる製品を、中間的な設備投資から生み出す顔の見える技術がまさしく「中間技術」なのです。具体例については次回に続きます。

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2017年4月13日 (木)

3267 かと言って軽少短薄?

3266の文脈では、では軽少短薄に走りさえすれば良いのか、と突っ込みが入るかも知れませんが、決してそうではありません。家電や半導体の凋落は、かなり深刻です。航空機産業などを眺めても、例えばCFRPなどの素材としてのシェアは確かに握ってはいますが、それを使って飛ばしているのは、欧米の機体メーカーです。Mビシが少しやる気を出した時には、既に小型機市場でさえ、入り込む余地は非常に狭まっていたのです。仕方なく、国内の航空機(部品)産業は、汲々として海外下請けに勤しんでいるという状況なのです。

つまり、大きなインフラ関連の重厚長大産業も、最先端を狙った軽少短薄産業も、どちらも行き詰っている様に見えてしまうのです。特に後者に関しては、理由は明白です。つまりは、無理に作り出された需要を見込んだ産業だから、と言うしかないでしょう。安ければ買うだろうと、家電製品の大量生産に走った結果、大きな在庫を抱え、結果としては値崩れを引き起こした家電業界は好例そのものです。同様に、LCCの台頭で、値崩れしてしまった旅行業界も、先日の新興旅行代理店の倒産騒ぎの様に、歪で邪道なビジネスに走る結果を招いてしまったのでしょう。

何処も、どの産業も「地に足がついていない」のです。固く締まった万年雪が、雪崩を打って崩れ落ちる事は決してありません。地面に接している部分が、それこそ底堅いからです。しかし、新たに降り積もった雪は、そこが傾斜が急な斜面であれば容易に崩落するでしょう。表層雪崩です。これまで、生まれては消えて行った産業の多くは、地固めや事業拡大に際しての「引き締め」が足りなかったのがその原因であることは明らかです。バブルの崩壊とは、まさにビジネスの引き締めを怠った当然の罰だとも言えるでしょう。

さて、この稿での結論は単純です。先ずは底堅い需要を探し当てる事です。衣食住の基本部分は間違いなくそれに該当するでしょう。次のステップは、慎重な起業や事業拡大でしょう。一発当てるのではなく、小さくても数多くの弾を撃ち、それを確実に当てるのです。観光や、贅沢な車や高級家電などは、いわば景気の泡に乗っかった危うい需要と見定めなければならないのです。そんな事よりは、先ずは今ある売れ筋の製品やビジネスをバージョンアップし、ロングテールに仕立て上げる事こそが大切だと思うのです。

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2017年4月12日 (水)

3266 重工長大産業の限界

同じ様な表題で何度か書いたような気もしますが、最近の世情を眺めていると、再度警鐘を書き記して置く必要がありそうに思うのです。T芝の巨額赤字や不良債権隠しがやっと、と言うか一応俎上された様ですが、額は少なくともM菱やH立など、原子力に関わる企業でも同様の損害を出している筈です。それと言うのも、過去のある時期お国が原発再加速政策を打ち上げ、重工各社がそれに乗っかって事業拡大を図った時期があったからです。手っ取り早い事業拡大策は、つまりは企業買収でしょう。各社は、大金を握りしめて欧米の原子力企業の買収に走ったのでした。

重厚長大産業のシンボルは、かつては鉄鋼、造船業でした。しかし、途上国の親切な技術指導に力を入れた結果、K国やBラジルやC国などにお株を奪われ、シェアを大きく減らしたのでした。造船業の凋落は、日々悪化していると報じられる通りです。その後、重工はローリングストック(鉄道などです)産業に力を入れましたが、それもC国にコピーされて国際入札では苦戦しています。ならばと力を入れた航空機産業も、B社に上手く立ち回られ「万年下請け」に甘んじている状況です。起死回生策として、半世紀ぶりで開発中の国産旅客機は、開発のべた遅れで立ち上がったとしてもビジネスとしての成功には「赤信号」が点滅している状況です。

結局、重厚長大産業とは、社会インフラ産業であると括弧で括る事が出来るでしょう。この国の社会インフラは、殆ど煮詰まってしまい、今後は維持に力を入れなければならない時期に入っています。一方で、途上国が求めている社会インフラは、決して原発や新幹線やジェット旅客機ではない事は明らかでしょう。求めているのは、それ以前の基本的なインフラ、例えば水道事業や基本的でシンプルな(投資の小さな)流通インフラである事は自明です。結局、20世紀型の産業である出番はほぼ終わったと考えるべきなのでしょう。輸出を考えるのであれば、輸出先の国情を踏まえた製品を並べるべきでしょうし、国内産業として考えるなら、作ってしまった膨大なインフラを長持ちさせるためのメンテナンス産業にこそ力こぶを入れるべきでしょう。T芝の躓きを詳細に検証し、他社も早急な路線転換を始めるべき時です。リニア新幹線など作っている余裕は、この国には残されてはいないのです。

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2017年4月11日 (火)

3265 バイオマス生活

ペレットボイラで給湯・暖房する暮らしを始めて3か月が経過しました。炊事はLPGで行っていますし、寒がりの連れ合いは寒い日はエアコンを動かしていますから、完全にバイオマス・非電化生活ではありませんが、まあまあ良い生活スタイルではないかと思っています。

燃料は、地元産のペレットを、車で数分走ったところの農機具店で購入するのですが、10袋(100㎏)買って帰ると、これで約2週間程度の給湯・暖房が出来る量になります。金額で言えば、3,500円なので、一日当たりでは冬場で200円前後と言うことになるでしょうか。我が家のシステムは、太陽熱温水器も併用しているハイブリッドなので、春先でも太陽熱が採れる日は、ペレット燃料の消費は半分以下になります。夏場の晴天日は、間違いなく太陽熱だけで間に合うでしょう。

システムは、自分でざっと熱計算した上で、太陽熱温水器のセットとペレットボイラを別々に購入して、スチール物置(ボイラ室)の中に自分で設置し、設備屋さんに配管を繋いで貰いました。結果としては、温水タンクに組み込まれている熱交換コイルがそれほど能力が高くなく、ペレットボイラで生み出した熱が不凍液を暖め、それが温水に熱交換される割合が低い結果、ボイラとしての熱効率は50%を少し超える程度ですが、既製品なので仕方がありません。加えて、貯湯量が200ℓと少な目なので、油断をして貯湯温度が低めだと入浴中にお湯の温度が下がってしまい、風邪をひく「危険性」もあります。理想的には、もっと熱交換コイルの面積が大きく、貯湯量も少なくとも500ℓ程度は欲しかったところです。

もう一つの失敗と言うか不満は、ペレットボイラと太陽熱の切り替えが、完全手動なので切り替えのためにわざわざ屋外のボイラ室に行かなければならない点です。これは、今度電動の3方コックを追加して、遠隔で切り替え出来る様に改善する予定です。また、貯湯量が少ない点も、300ℓ程度の予備の貯湯タンクを追加して、2タンク方式へのシステムアップも検討中です。昔を思い出すと風呂に入るためには、薪を用意してそれを焚きつけて風呂を沸かす必要がありましたが、それに比べれば、点火さえすれば後は自動燃焼のペレットボイラは、随分楽だとは思いながら毎日風呂焚きをしている今日この頃ではあります。

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2017年4月10日 (月)

3264 還歴?2

還「歴」の例をもう少し続けます。かつて、宰相とまで呼ばれた人がLッキード事件の収賄罪で収監された時、受け取った金額は確か5億円程度だった様に記憶しています。当時の庶民感覚からすれば、3億円事件でもそうだった様に、天文学的な数字の金額だと感じたものです。時代は下って、現代の社会でも8億円もの国有財産が、忖度か何かで消えてしまったと聞くと、やはりかなりの金額だとは感じますが、最早それはワイドショーが囃したてる「話題」程度にしか扱われていない様なのです。現在でも当然収監に値する罪だとは思うのですが、これは、悪い歴史が繰り返し過ぎて国民の感覚がマヒしてしまった結果なのかも知れません。

60年前との比較で思い起こせば、高度成長期に打ち上げた「列島改造計画」と言うものがありました。いわゆる土建屋リーダーが、日本列島をトンネルや橋で結び、高速道路網や新幹線網を張り巡らすという大きな構想でした。60年以上の時が流れて、結果としてそれはほぼ実現できた訳ですが、それに匹敵する様なデカい計画は立てれそうもない今のご時世、今のリーダーは20兆円程のリニア新幹線でお茶を濁すしかなかった様です。代わりに、6年前の震災被害復興事業での嵩上げ工事や、原発事故の収拾作業+廃炉工事で、天文学的な額の「負の予算」を積み上げ続けているのでしょう。その意味では、景気の主導をインフラ事業に充てる「国債」で賄うという手法は、時を経てリサイクルされている様なのです。

マツリゴトの世界を振り返ってみると、いわゆる保守合同の55年体制は今のリーダーの祖父が深くかかわって出来たと理解しています。それから、月日が巡ってその孫が政権の舵取りをしているのは、やはり還歴の一現象に見えてしまいます。と言うより、現リーダーはまさにそこを狙っているのではないかとさえ思えるのです。つまり、祖父が築いた保守の基盤をガッチリと固めたいという願望のことです。そのためなら、N本会議であろうが、ナントカ学園であろうが、何でも利用して地固めを進めてきたのだと見えるのです。もし、彼がなにかのシンボルだとすれば、それは日本の「政界の系譜」だと言えるでしょうか。天皇家が100代以上遡れるとしたら、政界の系譜は精々明治維新に遡れるだけでしょう。むしろだからこそ、皇室をシンボル以上に持ち上げ、戦争責任を逃れた政界の系譜を守るために、腐心する様に見えるのです。以上は、最近の投稿者の感想でした。批判ではありませんので念のため。

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2017年4月 9日 (日)

3263 還歴?

還暦と言うのは、単に干支が5回まわって、60歳になる事だと思っていました。しかし、最近還暦とは、つまりは還「歴」も意味し、過去の出来事は、60年も経つと直接的には人々の記憶から忘れ去られ、たとえ過ちの歴史であってもそれは繰り返されるものだ、と言う教えでないかとさえ思うようになったのです。

具体例を挙げましょう。例えば、五輪や万博誘致です。60年代、70年代は、この国にとって飛躍の時代でした。オイルショックに振り回されたとはいえ、産業は拡大して経済規模は成長の一途を辿り、人々は「所得倍増計画」に踊っていたのでした。投稿者の様な年代の人間は、学校を出て社会に入っていく中で、その躍動を体感し、享受した世代と言えるでしょう。その中で、前回の東京五輪や、大阪万博はまさに経済成長のシンボルでもあったし、実際にも社会インフラを拡充し、国威発揚(もはや死語ですが)の証でもありました。

さて、今また2020五輪であり、関西への万博誘致活動の兆しがある様ですが、彼らは一体何を狙っているのでしょうか。あの高度成長期の真似事をしようと考えるのであれば、それは間違った選択か、あるいは悪い夢想に過ぎないと断ずるしかありません。見かけは、歴史が巡ってきた様にも見えるかも知れませんが、それは形だけの還「歴」であって、全くの還暦ではないからです。まして、その開催目的が単なる「経済活性化」だけだとすれば、何をかいわんや、でしょう。

別の例では、かつてO宅壮一がテレビ番組の劣化を指して「一億総白痴化時代」と評した昭和の時代から、めぐり巡って今は「一億総ネット化時代」とでも言うべき社会になったと言えるでしょう。賑やかなだけの娯楽番組を一方的に受け取るだけのテレビ生活は、確かに人々をアホにするかも知れません。しかし、自分の興味があるコンテンツだけをググるネット生活も、考えてみれば思考停止の白痴化現象と言えるかも知れません。O宅が憂いたのは、人々が自分の頭で考えなくなる事、結果として思想的にも「為政者にとって操作しやすくなる」国民が生まれる事だったのではないかと想像しています。今は、ネットでツブヤクだけで、世論を操作できる「便利な時代」になったという点では、まさに還歴でしょうか。長くなりそうなので稿を改めます。

 

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2017年4月 8日 (土)

3262 時代錯誤

何故人はこれほどまでに過去に引きずられるのでしょうか。もし過去を断ち切る簡単な術が見つかり、将来を考える事に夢中になれるなら、あるいは動物の様に瞬間瞬間を生きる事だけに集中出来たら、どれほど幸せだろうと夢想します。過去に学ぶ事は、もちろん悪い事ではないでしょう。過去の失敗に学ぶ事が出来るからです。だからこそ、人は口伝や書物に書き記して、無駄な試行錯誤を回避しようと努力してきたのです。試行錯誤はもちろんムダだけではありません。試行錯誤の中から、先人の知恵を超えるアイデアが生まれる事も多いからです。むしろ、ブレークスルーのためには、過去の文献だけに頼るのではダメなのかも知れません。

しかし、同じ錯誤でも時代錯誤はいけません。「時代錯誤」と言う言葉は、専らネガティブな文脈で使われる言葉でもあります。時代錯誤は、過度な過去への郷愁から生れるものの様です。つまりは、「昔は良かった。然るに今の時代は一体なんだ・・・」と言う文脈でです。

さて、このブログは、ある特定の人や集団の行動を批判する事はご法度に決めて書いていますが、時々警鐘は鳴らしています。その意味で、残念ながら昨今のマツリゴトのレベル低下には、ガンガンと警鐘を鳴らさざるを得ないのです。その国会での議論の多くが、過去に問題になった事案と同じ道筋で、延々と繰り返されている事に国民は飽き飽きしています。いわく、利権問題、活動費の不正流用、官僚の政治「屋」への忖度問題、特定団体への利益誘導問題、敢えて敵を想定したがる外交政策、何かにつけて防衛費の増額問題、公共投資によるワンパターンの景気刺激手法問題、金利操作だけの楽チンな経済政策、(例えば復興)関連予算への無関係予算の潜り込ませ問題などなど。

一体70年代の利権政治と何が違うと言うのでしょう。「たった5億円」で、リーダー経験者が投獄された過去を振り返れば、それ以上の額の税金が消えてしまった罪は軽くはないでしょう。私たちには、過去を懐かしむ自由は許されるのでしょうが、無理やりシステムまで過去に戻そうとする力には抵抗しなければならないでしょう。もし、そんな暇があるのなら、将来世代の幸福を真剣に考えるための議論に集中しなければならない時期だと思い定めなければならない時期なのです。明治時代の何とか勅語なんか○○喰らえ、です。今回の投稿は、単なるグチでした。

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2017年4月 7日 (金)

3261 工夫力

最近の工夫力低下には、危機感すら感じます。原因はハッキリしています。私たちが、仕事や生活の中で、困る場面がメッキリ減ってしまった事にあります。人は、困るとそれをどうにか回避しようと工夫を始める存在だからです。仕事は、と言えばミスを犯さない様に、ミッチリと書き込まれた「マニュアル」が作成されていますので、日常の仕事をこなす中で、困ったり迷ったりする事は随分少ないでしょう。

一方、生活の中では、衣食住に不自由する局面は随分無くなった筈ですし、家電は自動化され、車でさえも自動化されようとしているではありませんか。子供が、疑問を持ったとして、親に尋ねるとそれはG-グルに聞けと答えておけば事足りるでしょうから、次回から子供は勝手に自分でGグル事でしょう。更に言えば、今の世の中ではモノの入手に関する不自由さは殆ど無くなってしまったのです。何故なら、ネットショッピングを使えば、欲しいと思ったものが早ければ翌日、長いものでも数日待てば宅配便で手元に届くからです。

戦後のモノの無い時代、進駐軍が中身を消費して捨てたドラム缶や缶詰の空き缶が、実は貴重な材料であったのです。それらを無駄なく使って、鍋釜や薪ストーブやブリキのオモチャが作り出され、私たちの生活を支えてくれたのでした。缶詰の空き缶の内側は、非常に美しくメッキされており、裏返すとさながら新品のブリキ板の素材として蘇るのです。ドラム缶だって、少し厚手の鉄板として、色々なものに生まれ変わらせる事が可能です。例えば、今でもモノ不足状態が続いているCューバでは、ドラム缶からスティールパンと言う楽器まで作り出したではありませんか。まさに、「窮すれば通ず」です。音楽に対する渇望が、新しい楽器を生み出したのです。

私たちは、便利過ぎる都会生活に慣れ過ぎたと言うしかありません。もっと、田舎に住んで「不便を楽しむ」必要があるでしょう。不便を感ずれば、俄然私たちの脳や手先が働き出し、色々なものを再び創り出すことでしょう。お国は、地方創生などと訳の分らない事を言っている様ですが、創生のアイデアなんぞは、先ずは不便を感じて工夫を始めるところから始まるのです。

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2017年4月 6日 (木)

3260 ハードではなくビジネスモデル

お国の産業政策を眺めるたびに溜息が出ます。いわく、農業の大規模化や6次産業化を図る、観光客を何千万人だかして観光立国になる、またIoT産業を伸ばす、、またモノ造りで言えば、航空宇宙産業を伸ばし、水素社会にする云々。しかし、考えてみればこの国が道を誤った(かも知れない)のは、社会構造の変化やモノ造りを形(構造、或いはハードウェア)からしか見てこなかった事ではないかと振り返っています。

エネルギー政策に関して言えば、石炭から石油、原発を挟んで天然ガスから水素へとの転換を図って、あるいは目指しているにしても、ソフトウェアの面(つまりは格段の省エネ技術)への目配りが抜けています。モノ造りに関してみても、造船業で稼ぎまくって、その後は技術を教えてやったK国やC国に追い上げられた末に、慣れない客船なんぞに手を出して大赤字を出すなど目も当てられません。鉄道車両についても全く同様です。技術供与した新幹線がコピーされ、海岸案件では連戦連敗になっている様です。

考えなければならないのは、簡単にコピーできるハードウェアで勝負するのはもう止めにすべきではないかと言う点です。Aップルが、携帯端末の分野でトップシャアを維持しているのは、決してハード面でリードしている訳ではないでしょう。ハードであれば、少し前だったら日本、今はK国やT湾やC国のメーカーに任せれば良いだけです。彼らは、ソフトウェアやコンテンツに集中すれるだけです。この国でも、ソロソロ形に拘る事を止めて、ビジネスモデルの構築に注力すべきでしょう。

例えば、航空機産業です。M菱重工のMRJの開発がまだグズグズと泥沼でもがいている様ですが、その間にBラジルにおいて行かれ、C国などにも追い上げられてきているのです。しかし、LCCの台頭で、エアラインは最早儲かる産業ではなくなっているのです。それは、N航の経営危機でも証明されているでしょう。そうではなくて、今の時期の海外渡航の市場を綿密に調査し、どの様な「交通手段」が最適解になり得るか、そのためのビジネスモデルはどうあるべきか、と言う視点が欠かせないでしょう。それ無しに、単にハードウェアの開発だけに注力すれば、残念ながら今度の国産旅客機もかつてのYS-11の「二の舞」に陥ってしまう結果に終わるでしょう。

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2017年4月 5日 (水)

3259 新冷媒

3258の続きです。これまで、ヒートポンプの冷媒はフロン系のガスが主流でした。フロンは、非常に安定なガスで、長期間の使用でも劣化が少ない事が理由です。しかし、あまりにも多量のフロンガスが使用され、製品の廃棄に伴って、回収されずに大気放出されたガスが、成層圏まで上昇して、オゾン層を破壊続けることが分かって、国際的な製造・使用の廃止が決議されたのでした。(1987年、モントリオール議定書など)

一方で、フロンやその後開発された代替フロン類も、オゾン層への影響はかなり軽減されたものの、強力な温室効果ガスであることが明らかにされて、この国でも「フロン類の使用の合理化及び管理の適正化に関する法律(フロン排出抑制法)」として、使用や排出規制の対象としています。その中で、炭化水素系やCO2系の、いわゆる「ノンフロン系」の冷媒が注目されてきたのです。炭化水素系は引火性の問題があるのと、CO2系はそのためのコンプレッサーの開発が必要で、既存のシステムの冷媒としては使えないなどの障害があって、未だに社会の隅々にまで浸透してしまったエアコンの多くはフロンガス系の冷媒を抱えたままになっているのです。

しかし、例えば新冷媒であるHB-156は、R-22の代替として理想的で、しかもより小さなパワーで圧縮・液化が可能であるため、1割程度の省エネにつながるというオマケも付いて居るのです。投稿者としては、もう一つ有望なノンフロン冷媒にも注目しています。これはR-1222HCFC系冷媒や、R-400系のHFC代替として開発された、R-441aやR-443aなどの炭化水素系の冷媒です。これは、省エネ効果がさらに大きく、入れ替えにより電力の3割減が可能となるものです。とは言いながら、炭化水素系はその成分がプロパンやイソブタンなどの強燃性ガスであり、システムからの漏洩による爆発・火災事故が懸念されるリスクも含むものでもあります。しかし、考えてみれば、都市ガスやプロパンガスなども屋内配管はされている訳で、同程度の安全管理でリスク対応は可能だとも言えるでしょう。

それにつけても、GM社がかつてデュポン社と共同開発し、世界中に広まった結果、地球環境に甚大な影響を与えるまでに大量に使われたフロンガスに代わる、温室効果が小さく、安全でしかも省エネにもつながる究極の冷媒ガスの出現が待たれます。世界中の化学メーカーが本気になって努力すれば、それは十分可能だとも思うのです。

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2017年4月 4日 (火)

3258 スパコン

今回は「解説もの」です。スパコンと言ってもスーパーコンピュータの話ではなく、エアコンの省エネの話題です。正しく呼べば、スーパーコンデンサとなるのでしょうか。これは、エアコンの室外機に付加する、補助的な熱交換器なのです。

エアコンは、冷媒ガスを電力を使って圧縮する事によって、液体の冷媒を作り、それを膨張弁で膨張させる時に「気化熱」を奪い、室内の熱交換器で冷たい空気を作って冷房を行う機械なのです。暖房時は、逆に気体の冷媒を圧縮する時に出る熱を暖房に利用し、室外機では冷たい外気から更に熱を奪って室内に送るのです。なので、エアコンや冷媒を使ったオール電化の給湯器を「ヒートポンプ」とも呼ぶのです。さながら、目に見えない熱を移送するポンプの様だからです。

さて、特に夏場の気温の高い日には、圧縮機がウンウンうなって仕事をしても、冷媒が十分に液化せず、気体と液体の混合物となって膨張弁に入る事も多いのです。こうなると、エアコンとしての効率は低下し、電力を注ぎ込んだ割にはあまり冷えない、と言うマズイ状態に陥るのです。冬も同様で、あまりに冷たい機体の冷媒が圧縮機に入ると効率が低下するのです。

そこで、スパコンの出番になります。スパコンは、圧縮機に入る前の冷媒を、夏は少し冷やして液化し易くして、冬は少し暖めてやり、より多くの熱を発生させる働きをするのです。この結果、エアコンとしての効率は10%以上改善するので、電気代としては約1割安く上がる事になります。夏場に、室外機に間欠的に水ミストをスプレイする仕組みと併用すれば、夏場は2割程電力が下がると見込まれます。エアコンシステム改善のためには初期投資が必要ですが、4-5年で投資は回収できるでしょう。

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2017年4月 1日 (土)

3257 避難指示解除

Fクシマ事故で出されていた避難指示エリアがかなり解除され、一時の1/3程度に縮小された様です。しかしながら、当然の事ながら元通りの生活からはほど遠い状況だと想像しています。戦後の復興期、大陸から引き揚げてきた人や、ベビーブームの中で食料増産のため、多くの地域で山間部深くまで開発され、人々が入植していったのでしょう。そんな、村々がやがて原発の城下町になって、そこに住む人や原発作業員や関連雇用の拡大で新たに住民になった人々は、それなりに恩恵も受けながら平和に暮らしていた事でしょう。

しかし、原子炉は放射能というあらゆる災いを閉じ込めた恐ろしいパンドラの箱でもあった訳です。Fクシマ事故で、最悪の見えない災いが大気中に踊りだし、野山に広がり、土壌の中に潜り込んでしまったのです。残念ながら、ギリシャ神話とは異なり、この現代のパンドラの箱の底には「希望」などは残っていませんでした。代わりに、格納容器の底には燃料デブリという長く永く災いを振り撒き続ける絶望的なモノが残ってしまったのです。

戦前戦後を通じて、先人が作り上げてきた桃源郷は、今後何十年経っても取り戻すことは叶わないでしょう。少しずつ人が戻るにしても、それは「恐るおそる」のすり足になるからです。人は、そうしなければならない時は、額に汗して頑張る存在ですが、仕方なくそうしなければならない場合は、ノロノロと引っ込み思案に行動する様です。野山に残された放射性物質は、ガイガーカウンター(やや古い言い方ですが)を鳴らしながら、あまり近づくなと警告を出し続けるでしょうから、山に入っての楽しみも少なくなるでしょうし、ましてや山菜や山の恵みもいただけなくなってしまうのです。山間の楽しみは、山に入って同化し、そこの恵みを少し分けていただく事ですので、それが奪われた暮らしは、魅力の半分以上が損なわれたのと同じになってしまうでしょう。

問題は、除染されたエリアと除染されなかったエリアの放射線の自然減が、どの程度期待できるかですが、平原にあったチェルノブイリと、起伏があって降雨量も比較的多いこの国では、良い方にかなりの差が出る事を祈るしかありませんが、過大な期待は慎むべきでしょう。汚染エリアの前途は多難であると言うしかありません。

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