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2017年5月18日 (木)

3291 問題発見力

この国の技術者(に限らず国民全般)に欠けているものを考えると、やはり問題発見力だと言うしかありません。それもこれも、結局この国の教育に中身に起因すると断ぜざるを得ません。この国の教育は、大学教育ですらTeaching/Learning Systemに染まっているとしか言えません。つまり、教師や講義者が一方的に授業を進め、生徒・学生はただ聞いて、ノートに取ると言ったスタイルが殆どなのです。そもそも「授業」と言う言葉がダメな根源です。先生が、生徒に知識を「授ける」と言っているのですから何をかいわんやでしょう。生徒は、先生を絶対に超えられないのです。

学問は、生徒・学生が自ら志して学び取るものであって、決して一方的に授けるものではないでしょう。望ましい教育とは、本来Education/Study Systemでなければならないとおもうのです。これは、教育者側は、生徒・学生の学ぼうとする意欲を掻き立て、学ぶ側も受け身の姿勢から一歩踏み出して「学び取り」に行くアプローチを指すのです。

では、どうやれば後者が可能となるかですが、そこで必要なのが「問題発見力」だと思うのです。人は問題にぶち当たると、それをどうにか解決しようと努力する存在でしょう。そもそも、問題意識も無しに、何かアイデアや提案などがポロリと生まれる筈もありません。必要が母となって発明が生まれる様に、社会的問題(課題)を特定して、初めて社会をより良くしようとする力も動き出すのです。若く可塑性が髙い学生の内に、この問題発見力を磨き、自分の身の周りに、あるいは社会システムに在る、大小の問題を嗅ぎ分けて、それを特定する能力を磨く必要があると思うです。

もちろん、そのためには授業のスタイルも一新する必要があるでしょう。教育者側は、現実の問題やそれを示唆する様なテーマを提示し、学ぶ側に徹底して議論させ、問題とすべき事を特定する能力を磨かせるべきです。その上で、その問題を解く議論もさせる事になります。もちろん、出た結論を否定や批判してはなりません。もし、明らかに間違っているとしても、それを気付かせる別の問題を提起して、議論を元のレールに戻すのは教育する側のテクニックになるでしょう。悩ましいのは、教育者がより確からしい知識や価値観を持ち合わせていない場合には、これらの問題発見力や解決のための議論をミスリードしてしまう事にもなってしまうので、彼らの責任が増してくる事です。長くなりそうなので続きとします

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