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2017年5月23日 (火)

3296 安全の品質

経済性やコストパフォーマンスを追及すればするほど安全性は犠牲になってしまうという「逆比例」の関係にあることは認めなければならないでしょう。科学・技術の世界では、経済性を追求する中では、結局「安全率(Safety factor)」を減ずるしか有効な方法は見つからないからです。例えば、安全率を2.0程度まで高めた設計をした場合、旅客機は飛び上がるのがやっとで、乗客は殆ど乗せることが出来ないというシロモノが出来上がってしまうでしょう。安全率を、部位によって1.2程度まで削って、更に全体的な安全率のバランスを調整して、やっと乗客を載せられる「ペイロード」が確保できる事になります。

車も同じで、ハード面や事故を起こした時の安全性を考慮すれば、たぶん「戦車の様な車」になってしまう筈です。それ対して。コストと安全性の妥協をドンドン進めて、今ある様な薄い鉄板をスポット溶接で組立てる「モノコック構造」に至ったのでしょう。車の安全率については、専門家でもないので承知していませんが、鉄板の腐食や道路からの振動なども考慮して、それなりに髙く設定されていると想像しています。

しかし、問題になるのは、設計段階の強度余裕ではありません。製品を作る生産体制というか企業体質(あるいは企業文化)こそその核心だと思うのです。最近のニュースでも、企業の不良隠しが何件か報じられていますが、隠さずに公表されたリコール案件でさえ、実際の発表までは葛藤があった筈なのです。リコールの公表は、企業にとっては利益を減ずる大きな原因になり得ますし、大きなリコール公表は時に企業存続を脅かす問題にも拡大する惧れさえあるからです。そう考えれば、安全は、製品の品質と同様に企業文化の中で育む「品質」の一部であると言わざるを得ないでしょう。ポイントは、経営層やセールス部門、あるいはファイナンス部門の圧力に負けずに、企業活動の各関門で必要なチェックを重ねながら製品を作る事に尽きるでしょう。安全品質を無視したイケイケドンドンの企業体質が、これまでどれだけの企業を潰してしまったか思い出せば、それは自明なのです。やや抽象的になりましたので続きます。

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