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2017年10月27日 (金)

3363 企業の劣化

企業の劣化が止まりません。次から次と「内部告発」される「品質不祥事」は、実は氷山の一角なのかも知れません。品質管理(今は品質マネジメント=QMですかね)は実は、組織運営のごく一部分にすぎないと思うからです。大きな枠組みで捉えるならば、QMは組織マネジメント=OM?(Organization Management)の一部でしかないと思うからです。この国では、組織のトップを経営者と呼びますが、この言葉の持つイメージは、金勘定をしていて、企業の利益ばかり気にしている人、というものでしょう。多くの企業には、組織(の機能)をモニターし、逸脱をコントロールしているOMが不在だと思うのです。その証拠には、品質マネジメントの長である、例えば品質管理担当の重役が、全く機能していないどころか、株主の顔色だけ窺っている経営者の片棒を担いでしまっていたではありませんか。

結局、この国の多くの企業では、組織それ自体がひどく劣化していると結論付けるしかない状況の様なのです。原因はいくつか考えられますが、20年以上に亘る景気の長い踊り場で、1円でも多くの利益を上げて、内部留保を増やす事だけに汲々として、企業はすっかり疲弊していると見るべきなのでしょう。楽をして儲けるには「手抜き」が手っ取り早いのは自明です。事務方が自ら進んで合理化を行う風潮が無ければ、利益を上げるためには製造現場で手を抜くしかないでしょう。品質管理は、最も手を抜きやすい職場である事もまた自明なのです。

もし、一連の品質不祥事を、品質部門だけの責に帰するなら、その企業はこの先も更に凋落の道を歩むしかないでしょう。そうではなくて、企業は創業時の基本に立ち返るべきだと思うのです。創業時の基本とは、つまりは創業者は市場の小さなニーズに気が付き、それに向けてささやかな製品を市場に出した筈なのです。製品やサービスで消費者のニーズを充足し、その代価を受けとり、代価の中から適正な利益を受けとり、更なる新製品の開発に勤しむ。製品の品質には責任を負い、小さな不具合にも目をつぶらず、アフターサービス(顧客とのコミュニケーション)も手を抜かない、といった企業風土に立ち返るというなのです。いま組織マネジメントを発動し、急いで歯止めを掛けなければ、この国の産業はあっという間に二流以下に落ちぶれてしまう事でしょう。ひどく心配ではあります。

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2017年10月25日 (水)

3362 このブログ

今日は取り敢えず、書きたい事が見つからないので、このブログを振り返ってみます。フリーランスになったばかりのある夏の日、何気なく始めたこのブログですが、気が付けば10年以上書き続けて来たことになります。思い返せば、最初の頃は、日に2度も更新していた事もありました。とは言いながら、人の頭の中にある事は所詮限られていて、投稿の多くは世の中で起きている事、雑誌やTVニュースで流れてきた事などに触発されて、書いてきたような気がします。

何となく、決まってきた文章スタイルとしては、たいていは3つの段落に分けて、先ずタイトルにした事象なり社会問題を自分なりに解釈・説明し、ついでそれを分析し、最後に「ではどうすれば」という投稿者なりの改善案を書いてみる、といった感じです。よく言われる起承転結スタイルの場合もありますが、形式にこだわる論文でもないし、なしてや言わゆるエッセイ(随筆)でもないので、文才も無い元技術屋で今環境屋の「独り言」というスタイルを変えずにここまで来ました。

取り敢えず、毎日書き続けて丸10年分である「3650投稿」目指して更新し続けようと考えてはいます。その後も、書きたいという気力が続く限りはジワジワと延長する事といたします。

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2017年10月20日 (金)

3361 モノの気持ち

今頭の中の1/3くらいは、どうしたら炭素繊維複合材(CFRP)に上手く穴が明けられるか、で占められている様な気がしています。そういうプロジェクトに巻き込まれているからです。前々職はその様な仕事をしていたので、まあ専門分野であったとも言えるでしょうか。モノと四つに取り組む場合、投稿者の場合先ずはモノの気持ちになって考える事にしています。

炭素繊維は、非常に強靭で切れにくい様に作られています。加えて、その硬さは尋常ではなく、普通刃物に使われる工具鋼では、あっと言う間に刃こぼれや刃先の摩耗を引き起こして切れなくなってしまう程です。しかし、炭素繊維自体の硬さは誰も計測した事が無いのです(と想像しています)。というのも、金属類などの硬さは、硬さ計と呼ばれる装置で、ダイヤモンドのコーンを、

良く磨いた試料の表面に押し付け、そのキズの深さで硬さを表現するものだからです。しかし、細い糸にその様なキズをつけて計測する事は不可能です。従って、その糸を刃物で擦って、その擦り減り方から硬さを推定するしかないのです。

さて、その繊維の気持ちになって考えると、繊維(糸や布)を切る際にも経験する事ですが、使うハサミの刃先が磨り減ったものや、カシメが緩いものは上手く切れないのです。つまり、繊維を切るには、鋭い刃先とそれを受け止める相方が必須だと言う結論になりそうです。さて、CFRPを切る場合、鋭い先端を持った刃物は必須として、そのせんだん力を受け止めるものは何になるでしょう。取り敢えずは、マトリックスとしてのエポキシ樹脂しか考えられませんが、それだけで繊維がスパッと切れるのかどうか、頭の中で繊維になった自分と、それを引き裂こうとする「敵」である刃物の戦いを想像しつつ、引き続き考え中です。もしかすると逆に考えた方が早いかも・・・。

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2017年10月18日 (水)

3360 徒然に

急に仕事が忙しくなってきました。ボチボチと引き受けていた企業の環境経営システムの審査も、担当できる業種の範囲が広がりましたし、趣味として注目し情報を集めていたバイオマスエネルギーも、成り行きでプロマネを引き受ける事になったT県の企業支援プロジェクトも、殆ど同時並行で忙しくなってしまったのからです。出張で出歩く事も多く、したがって家でゆっくりブログを投稿する機会も減ってきてしまいました。サラリーマンを50代に初めのかなり早めに卒業して以降、一応「環境屋」を名乗ってきましたので、格好よく言えば「時代が追いついてきた」とでも言っておきましょう。

取り分け、バイオマスエネルギーの内、木質バイオマスの熱利用とエネルギー利用、バイオガス(メタンガスやシンガス)に関しては、ビジネスとして動き始めたベンチャー企業に直接的に関わる事になって、今後更に忙しくなりそうです。

もちろん、もっと自分の時間が持てる様になった暁には、いくつかのやりたい事を抱えてもいます。一つは、太陽熱で冷房を行う「デシカント冷房」の実験です。ゼオライトや珪藻土を使ったデシカントで湿度を吸収し、その分の水分を補給する際の気化熱で冷房効果を実現するもので、ファン以外は殆ど電力を使わない冷房機が実現できる筈です。もう一つは、SVOです。これは、廃植物油を濾しただけの油で、直接エンジンを動かし発電するもので、同時に出る廃熱も利用すれば、いわゆる小規模でも熱電併給が簡単に実現できるでしょう。いずれも、具体的なエレメントに関しては目星がついているので、後は実験場所を確保して、実際に形にするだけなのですが、その場所と時間と少しのお金の目途は立って居ないという寂しい状況です。もう少し若ければ、ファンドでお金でも集めて頑張れるのでしょうが、この歳になっては・・・。取り敢えずは、目の前の仕事をやっつけて、お金と将来の時間を作る事に勤しむことにしましょう。

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2017年10月10日 (火)

3359 後ずさり2

3357の続きです。3357で経済最優先で人々の幸福が後回しになっていると指摘しましたが、それはある時期に「目的と手段の逆転」が起こってしまったからだと振り返っています。経済(お金)が、ある程度のレベルにないと、確かに幸福な生活は送れない様な「錯覚」に陥ります。錯覚と書いたのは、それが事実ではないからです。お金で殆ど全てのモノやサービスが買える様になる以前、私たちは必要なものは可能な限り自分達で賄い、自律的な生活を送っていた筈です。しかし、そのような生活はやはり不便なので、人々は大家族を形成して、互いに助け合いながら暮らしていた筈です。助け合いは家族内に留まらずに、コミュニティ単位の相互扶助も機能していたと数十年前を振り返っています。

家族やコミュニティの中で、それぞれの人は自分で出来る範囲の役割を分担しながら、実はそれなりの生き甲斐も感じていた筈なのです。何故なら、ヒトは好奇心の動物であると同時に、生き甲斐(やり甲斐)を糧に生きる存在だとも思うからです。自分で出来る役割をこなす中で、人々はより工夫を重ね、個人としての技も向上した事でしょう。これは、お金さえ出せば一定の品質以上の製品が手に入る社会とは明らかに、人生の質が違っているでしょう。つまり、製品やサービスを「買って」、あるレベル以上の生活を送るために(それを目的にして)自分の時間や能力を売っているのが現代の社会だと言うことも出来るでしょう。

ここに目的と手段の逆転が起こる余地があるのです。つまり、価値交換の手段であった筈のお金が、今やそれを手に入れるための経済活動自体が、社会のそして人々の目的にすり替わってしまった様なのです。このままでは、私たちはヒトらしさのココロを経済に売り渡して、いわば守銭奴として生きる道を突き進む事になってしまうでしょう。ここでの結論としては、私たちは人間としてより良く生きるために、少し後戻りをして、お金に関わらない経済(例えば自給自足や物々交換経済など)で、少し昔の様に人が関わる部分を増やしていくべきだと思うのです。急な方向転換は社会の混乱にもつながるので、先ずは都会に暮らす人たちは、それが可能な人から投稿者の様に田舎暮らしを始めてみるのアプローチをお勧めしておきます。

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2017年10月 9日 (月)

3358 モノ造り大国の崩壊?

またまた品質偽装事件の発覚です。建設、食品、輸送機(車)、原発?、そして素材産業などなど。最早、偽装は産業分野に無関係になった感があります。この国の繁栄の寄って来たるところは、戦後の粗製乱造時代から、B国式の品質管理を導入する中で育まれた、人材力とモノ造り(の高い品質)であった筈なのです。然るに人材力は、少子高齢化の中の理系・技術系離れでジリ貧状態が続いている事に追い打ちを掛ける品質偽装の横行です。隠しに隠していた偽装を、他社が公表したので隠しおおせないと判断したのか、あるいは内部告発があったものか、真実は各社の品質マネジメントの壁の中ですが、大いなる危機感を感じないでは居られません。

というのも、かつての品質管理ならいざ知らず、現代の品質マネジメントでは、トレーサビリティが必須とされているからです。その心は、素材製造から製造、販売、アフターサービスから最終的には製品の廃棄に至るまで、トレースの糸が繋がっていなければならないとされているからです。その重要な裏付け証拠となる品質記録(或いは原発など使用中の設備では点検記録)そのものが、日常的に偽装されている疑いがあるのです。これは、モノ造りの基本の「き」となる、品質ドキュメントが信用できないという非常事態であり、品質マネジメントの更に上を行く、マネジメントシステムを導入しなければ、この国のモノ造りは完全なる崩壊が免れない様に思うのです。

品質管理のシステムに関しては、戦後の品質管理から⇒品質保証⇒品質マネジメントを歩を進めてはきましたが、品質マネジメントを監視するシステムが必要である事を意味するのです。多くのモノ造り企業は、ISO9001など品質管理システムの認証を取得し、毎年の外部審査を受けてはいますが、1日或いは数日の審査で、ましてや文書の抜き取り審査だけで、根深い偽装を見抜く事など到底出来ない相談です。何故なら、その道のプロ中のプロが行った巧妙な偽装を、モノ造りの明るい専門家とはいえ、その道では素人同然の審査員が見抜ける筈もないからです。投稿者も、環境マネジメントの審査を担当する立場ですが、外部審査は「書類審査」に偏ってしまう傾向は否定できないでしょう。

ではどうするかですが、もし同じ審査の時間を掛けるなら、品質マネジメントと審査員と、審査を受ける業界の卒業生であるモノ造りの専門家がペアを組んで審査に当たる方法がありそうです。もちろん、それで全て解決する筈もありません。偽装のテクニックなら、いくらでも複雑に細工できるからです。結局は、売上や儲け主義に走ってしまった企業体質を、根底から見直し、モノ造り企業の基本(品質第一主義=顧客の信用第一主義)に立ち返るしか、この国の企業が立ち直る道は見つからないと思うのです。

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2017年10月 8日 (日)

3357 後ずさり

最近の、国内外のカオス(混沌)を眺める時、後ずさりという言葉が脳裏をかすめました。山登りを趣味とする投稿者も、何度か山でガスに巻かれ、コースを逸脱してしまった事がありました。たいていは、尾根の平らな場所で、道が分かれている場所で、間違った道に進んでしまうと言うケースでした。それとのアナロジーで考えてみると、今は国際情勢も国内も全ての面で、行き詰ってしまった平らな尾根に差し掛かってるような気がするのです。狭い尾根や、1本道であれば迷う事も少ないのでしょうが、選択肢が多様化し過ぎた昨今、人々の価値観も多様に発散しつつある様なのです。

国際情勢では、かつての2大強国の時代から、1大国時代に。その後、C国の急速な台頭とRシアの巻き返しと、国際的なテロ活動の泥沼化と相俟って、パワーバランスはかつての様に単純な方程式では解けなくなってしまった様なのです。一方、国内も似たような状況です。一時の政権交代劇が終わってしまうと、国民の熱も冷め1強政党時代が結構長い期間続いてきました。かなり野心的な女性政治家が仕掛けた騒ぎも、結局は右と中道の間に、「右中間」なる政党もどきの誕生という局面を迎えた様ですが、中道や中道左派といったムードが好きな人達の受け皿が見つからない状況(つまりは道に迷った多数の国民)が生まれてしまった様なのです。

山で道に迷った時の鉄則があります。それは、迷った事に気が付いたら、先ずは見覚えのある分岐点まで引き返すというものです。世界が、あるいはこの国が漂流を始めた時期を思い返すに、それは多分行き過ぎた「経済偏重時代」の到来に遡る様な気がするのです。経済偏重は、国にも、国際情勢にも歪をもたらします。つまり、富める国々はますます富み、そうでない国々は富める国に搾取されてますます貧乏が加速すると言う負のスパイラルです。これが国際緊張や国内の貧富の格差拡大と無関係である筈はありません。少なくとも人々の幸福度を最優先に据え、経済指標は次位かそれ以下に下げない事には、このカオスが静まる事はなさそうに感じるのです。続きます。

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2017年10月 5日 (木)

3356 都市という場所

新幹線に乗って東京に向かう時、いつも不安に駆られます。例えば、新潟経由で向かう時、関東平野に入った途端、途切れの無い街並みが続いているからです。街は多くのインフラに支えられています。取り分け、電力、水道(+下水道)、ガスの3大インフラは、日々の生活に直結しているでしょう。道路や開放水系、通信なども勿論不可欠なインフラです。それらが、信じられない程複雑なネットワークを形成しているのですから、その維持に当たっている人達は、たぶん心休まる事はないだろうと同情しています。というのも、都市インフラは、戦後の人口膨張や都市域の拡大に伴って、「継ぎ足し継ぎ足し」の連続で拡大してきた筈だからです。

それらの維持に関しても、予算の関係もあるでしょうから、計画的な更新とは程遠く、問題が出た場合の手当てだけで済まして来たと想像しています。水道であれば、たぶん水漏れヶ所や健康にとって好ましくない古い鉛管が残っている部分の更新程度でしょう。下水道に至っては、今更掘り返しての補修は出来にくいので、既存の下水管の内側を洗浄した上で、内側にライニングを貼りつけると言った苦肉の策で対応している様です。

さて、そんなインフラに支えられている都市ですが、問題は災害時です。ありがちな災害としては、大雨時の洪水でしょうか。排水処理能力(例えば時間当たり50㎜)を超える短時間豪雨で、都市は簡単に水没してしまうのです。しかし、これはホンの日常的な災害に過ぎません。都市にとって最も怖い災害は、当然の事ながら地震でしょう。インフラが地面ごと大きく揺さぶられる訳ですから、地中に埋設されているインフラはひとたまりもありません。地盤の異なる場所では、揺れ方にも差が出るし、大小の地割れや埋立地の液状化によって、インフラはズタズタに引き裂かれる訳です。関東大震災は確かに大きな被害が出ましたが、都市域の狭さやささやかなインフラの規模を考えると、関東平野全体が大きな都市の様になってしまった現在、来たるべき大震災での被害は想像も出来ない規模になるでしょう。

ここでの結論としては、何に付けても便利な都市は、その裏返しとして、田舎の何倍も何十倍ものリスクを孕んでいる場所だと言うしかなさそうです。どうして人々は、都市に群れて住みたがるのかのか、田舎が好きな投稿者としては、さっぱり理解できません。

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2017年10月 4日 (水)

3355 田舎暮らし

徒然の感想です。我が家は、田舎町の市街地の外れに建っています。つまり、道路を隔てた先は田んぼや畑で、庭先にはカエルや虫、時にはヘビも遊びに来てくれます。投稿者としては、もっと田舎に土地を求めたかったのですが、連れ合いの強い希望でシブシブここに決めたのでした。

さてこの秋、その家の敷地に地続きになっている45坪ばかりの土地を買い足して、一応庭や畑が作れる様になりました。しかし、季節は既に秋が深まってきたので、年内は元田んぼで水はけが悪い土地なので、排水を良くするためにDIYで暗渠を埋めて、業者から10トンばかりの土を入れてもらった上で、数本の木を植えて春を待つ事になります。庭の1/3くらいは耕して畑にする予定です。1/3は連れ合いがハーブなどを植えて花壇にするでしょう。残りは雑草のために空けて置くことにしましょう。

実際に自分行った外回りに作業や、これからの計画を考えるにつけ、人間はコンクリートに囲まれた都会では、「精神的に健康」には暮らせないのではないか、と思うこの頃です。土(地面)は、ヒトの祖先が木から降りて、暮らす事に決めた場所でもあります。一握りの土には、数えきれないほどの微生物が蠢いていて、植物や虫や動物の揺り篭になってくれます。ヒトは、その植物や動物の命をいただいて生きている訳で、コンクリートの都会が食糧を生産してくれる筈もないでしょう。都会は「消費地」に過ぎないのです。食糧自給率が100%を大きく超えていて、その気になれば、自分でもささやかに食糧を作る事も出来る田舎暮らしに戻って数年になりますが、少しだけ健康寿命が延びそうな予感がしている今日この頃です。

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2017年10月 2日 (月)

3354 モーダルシフトの前に

モーダルシフトは、いわば環境「対策」に過ぎないと言えるでしょう。対策とは、何か問題が出てきた、後からそれに対処する後手の行動とも言えるのです。問題の本質は、こと輸送に関して言えば、近年では輸送量が増えすぎて、輸送に関するエネルギーが、まさに主要な環境負荷となっている点なのです。問題の本質に迫らず、単に増えすぎた輸送エネルギーを、モーダルシフトによって効率化し、削減できたとしても、それは解決にはつながらないでしょう。

事の本質に迫ろうとするなら、先ずはあまり運ばないでも成り立つ社会システムを指向すべきだと思うのです。具体的な手法に関して言えば、生産地と消費を近づける事などが挙げられるでしょう。その昔、高速道路網とトラック輸送があまり頼りにならなかった時代、長距離の輸送手段は主に鉄道でした。昔の鉄道(国鉄)は、非効率輸送の典型でもあったので、遅い、高い輸送手段であったため、人々は本当に必要な場合以外は、なるべく使わない様にして居た様な気がします。では、どうするかですが、結局必要なものは地元で調達する以外にはないのです。農産物は勿論、酒や調味料はもちろん副食品、嗜好品に至るまで殆ど全ては、地元企業(や個人企業)によって賄われて消費されていた筈です。

しかし、何時の頃からか、たぶんテレビCFが盛んになり、全国展開のメーカーが多数出現して以降だと思いますが、いわゆるブランド商品が全国規模で流通する様になって、大量生産、大量輸送、大量消費が定着したのでしょう。加えて、大量廃棄というオマケまで付いてしまって、環境負荷として新たにゴミ問題も浮上したのでした。

環境負荷を根底から削減するためには、やはり私たちは消費の本質的な部分で抑制的に行動しなければならない筈なのです。抑制的消費行動とは、結局は必要最小限(Minimum sufficient)の生活の指向とそれを地産地消(Feed locally)で賄おうとする努力に尽きると思うのです。先ずは、田舎でそれを実現し、それをモデルケースにして展開するしかないのかも知れません。時間は掛かるのでしょうが・・・。

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2017年10月 1日 (日)

3353 今更モーダルシフト?

輸送に関してモーダルシフトがマスコミでも注目され始めたのは、確か投稿者が環境人間を志した20年近くも前だった様に思います。それが、頓珍漢にもつい最近またゾロお国が、数件の企業単位の小さなモーダルシフトの取組みをモーダルシフト事業に認定し、ささやかな助成金が出るのだとか政策を始めた様です。この間の長いながいタイムラグ、つまりはお国の動きの鈍さには、やはり絶望感を抱かざるを得ません。トラック輸送を、鉄道や船などのより効率的な大量輸送手段に切り替えていく事をモーダルシフトと呼ぶのですが、今更補助金を出してまで再加速しようとする行政のセンスが全く理解できないのです。

ちゃんと工夫しさえすれば、トラック輸送より鉄道や船舶の方が断然コストも環境負荷も小さい事は自明でしょう。例えば、鉄道輸送のエネルギー効率は、トラックの10倍高いのです。つまり、同じ貨物を1/10のエネルギーで輸送する事が可能なのです。不便があるとすれば、目的地近くの駅や港に到着してからの個別配送の方法です。これも、トラックの構造を工夫してコンテナサイズを統一し、駅や港での積み替えを半自動化すれば、何の障害にもならないでしょう。トラック便だって、一度地域の配送センターに集荷し、行先別に組み替えてトラック便を仕立てるでしょう。

その組み替えた貨物を、規格化されたアルミコンテナに詰めて、牽引トラックで近くの貨物駅や港に持っていけば良いのです。駅や港湾では、そのコンテナを半自動的に貨車や船に積んで、目的地に向かわせれば良いでしょう。貨物コンテナは、行先別に電子情報を持っており、目的駅で自動的にピックアップされて降ろされます。

お国の政策は、何時の時代も「十年一日」である状況は改善しないでしょう。何故なら、お役人の役割は、今の行政をなるべく変えない様、壊さない様に「維持」する事だからです。お役人という「維持屋」に新しい政策を期待する方がドダイ無理と言うものでしょう。維持屋の他には絶対に「計画屋」が必要なのです。その昔、通産省なるお役所がありましたが、この国が右肩上がりの時代には、確かにお役所にもその機能はありました。官民が「シンクタンク」なる頭脳集団を抱えていて、将来の青写真を練っていたのです。今どこがその機能を持っているか、浅学にして投稿者は把握していません。いずれにしても、政治もフラフラと漂流しつつある今、行先が定まらない航海は不安なものです。

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