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2018年1月29日 (月)

3398 RJの行方

投稿者の前々職は、航空機メーカー勤務でした。仕事の中で、Bラジルとの共同開発リージョナルジェット(以下RJ)の開発にも、現地で深く関わりました。その中で、広く世界の航空機事情を見聞する機会にも恵まれたのでした。一方、この国ではM社が中心となって、悲願でもあったYS-11後継の、国産旅客機の開発に着手したのでした。残念だったのは、それがお国が後押ししたオールジャパンの取組みにはならなかった事だと振り返っています。何故なら、ブラジルでのRJ開発時に発生し、解決してきたノウハウが、M社での開発に生かされなかった結果、同じ様な問題で躓き、五度に亘るスケジュールの後ろ倒しを余儀なくされたからです。

製品の開発で最もモノを言うのは、実は「経験」である事は自明です。経験が無いゼロからの開発では、石橋をソロソロ叩いて渡るしかなく、場合によっては何度かの後戻りも起こり得るからです。取り分け、既存製品を超える性能を狙う場合には、いわゆる「開発要素」も多くなり、計画時には予想できない障害にも多くぶち当たるものなのです。経験が豊富であれば、その経験値で新規開発に当たってもリスクの予測と事前回避もし易くなるでしょう。残念ながら、この国の戦後の航空機産業の歴史は、朝鮮戦争時のB軍機の整備、今は博物館でしか見られない古い国産旅客機の開発、いくつかの自衛隊機の開発などしかない寂しいものである事は認めざるを得ないでしょう。

その中で、新たな「国際商品」であるRJの開発は、実は至難のワザだと言わざるを得ない事業だった訳です。その意味では、オールジャパンの人材を集め、Cナダの様に国の支援も仰いで、取り組むべき一大事業ではあったのでした。今となっては、以上の事は後知恵となってしまいましたが、今回の国産RJの開発も、残念ながらYS-11同様、「技術で勝ってビジネスで負ける(売れない)」という失敗プロジェクトになるだろうと予測しています。そのことは、B国エアラインからM社に突き付けられた、40機もの大量キャンセルという報道でも明らかになりつつあります。

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2018年1月27日 (土)

3397 ネット通貨2

3396でネット通貨を取り上げたのはタイミングとしては偶然なのですか、奇しくも昨日に「ネット銀行強盗」が起こった様です。電子マネーやネット通貨は、サイバー空間上の口座にある数字(デジット)に過ぎませんから、何重にもなっている筈の鍵が破られると、それこそアッと言う間に強盗が成立してしまう訳です。普通の銀行などで金庫が破られて、札束や金(ゴールド)や貴金属が奪われた場合、形のあるモノが奪われて移動するのですが、サイバー犯罪の場合は、良くて鍵破りの痕跡がログとして残るだけで、奪われた数字がこれまた瞬時に別の複数の口座に、何段階にも亘ってばら撒かれた場合、いわゆる(ネット)通貨ロンダリングもアッと言う間に成立してしまうと想像しています。

現金や、現金代わりの電子マネーは、それなりに価値が裏付けられてはいますが、ネット通貨は投資(や投機)対象ではあっても、日常的に決済する通貨としては明らかに「不適」なのです。今回のデジットの紛失が、どの様に保証されるのか素人には知る由もありませんが、少なくとも投機目的でデジットを保有していた人たちには、何らかの「お灸」が据えられて然るべきでしょう。

ここでの結論としては、便利なものは、受けられる便益と引き換えに、それなりのリスクを覚悟しなければならないという点です。これは、何も通貨に限った話ではなく、例えばスマホやAIスピーカや自動運転車、あるいは空飛ぶ車などの便利商品も、事情は全く同じでしょう。成りすましやシステム異常などを考えれば、犯罪や重大事故の温床になり得る筈なのです。今日は短く。

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2018年1月26日 (金)

3396 ネット通貨

Bットコインをはじめ、種々のネット通貨が流通している様です。長い歴史の中で考えるに、いにしえの時代から、いわゆる「兌換通貨」が普通であった訳です。それは、通貨が紙(紙幣)に変った近代においても、例えばある時期までの$の様に、国が通過の値打ちを保証する「兌換紙幣」が流通していて、その存在感を示していた訳です。しかし、例えば兌換紙幣の価値の裏付けとしての「金(Gold)」の量が有限である限り、通貨量(経済規模)が天文学的額に膨れ上がってしまった今、通貨価値の総額の明確な裏付けにはとても対応できない事は明らかです。

一方で、決済に人手を殆ど必要としない電子マネーは、その流通量が日々、それも飛躍的に伸びている事も間違いないでしょう。なにしろ、時代の流れに乗り遅れていると思っている投稿者でさえ、日常的に犬の鳴き声がする電子マネーや交通系の電子マネーは常用しているのですから・・・。ただし、使い過ぎを避けるため、電子マネーへのチャージは、面倒でも現金で行う事は励行していますから、小銭の釣り銭が無く、千円札数枚以上の現金を持ち歩かなくなったため、単に財布が薄くて済むというメリットしかないのですが・・・。

投稿者の見方としては、後者の電子マネーの拡大は間違いないにしても、誰がその裏付を行うかが明確になっていないネット通貨は、全く不安定なものであり、その流通量の拡大には否定的な立場です。例えば、ネット通貨として「預金」を持っている人々は、その価値の乱高下に、枕を高くして寝る事は出来ない筈です。そのそも、サイバー空間であるモノの価値が勝手に上下する事などあってはならない事態でしょう。電子マネーに似ているものとして、例えば先物取引の権利や債券などというものもありますが、それらにしたって、短期に何倍に膨らんだり、何分の1かに目減りする事などは考えられないでしょう。ここでの結論としては、ネット通貨は単に経済の拡大で溢れかえった通貨のはけ口に過ぎず、マネーゲームの道具でしかないと見ています。触らぬカネ(ネット通貨)に祟り無しです。

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2018年1月24日 (水)

3395 ディーセントワーク

SDGsの17の目標の中にも取り上げられているディーセントワークを改めて取り上げます。ディーセントワークとは、3381にも述べた様に、「働き甲斐のある生業」とでも訳すべきなのでしょうが、多くの人々は、夫々にとって、仕事は飯のタネとなる(代価を受け取るための義務としての)仕事であり、それ以外の何物でもないと主張するかも知れません。しかし、もし心底そう思って働いている人々が大多数であるとしたら、それ程不幸な事態はないとも思うのです。

つまり、どうせ同じ仕事をするのであれば、その仕事が限られた人々ではあっても、社会の中の誰かの助けになり、感謝されるものであれば、どれほど「働き甲斐」が生まれる事でしょう。どんな仕事であれ、その代価として受け取るサラリーは、最低限家族の生活を支え、家族には感謝されてはいるでしょう。しかし、仕事の枠を少し広げるだけで、同じ仕事をこなしていても、より多くの人から感謝され、より強く働き甲斐を感ずる事は可能なのです。

例えば、道路工事で片側車線で交互通行をしている場所を通過する事がよくありますが、その際単に旗だけで車を止めるのはなく、同時に「お急ぎのところ、交互通行へのご協力感謝いたします」などと書かれた看板を掲げてあれば、ドライバーも気持ちよく時間待ちが出来るでしょう。客商売であれば、モノやサービスと一緒に無料の「笑顔を売る」のも同じような行動でしょう。

それらの行動をよくよく考えてみれば、それは関係した相手への「感謝」に裏付けられたものである事が分かります。働いている全ての人々が、その労働の代価を受け取る事ができるのは、その仕事に関わっている全ての人々の「お蔭」であると意識を切り替えることさえできれば、世の中は感謝で溢れかえる事でしょう。感謝は、邪魔にならないどころか、相手を幸福にさせ、感謝する側には「働き甲斐」をもたらす魔法でもあると思うのです。感謝の出来る仕事が、つまりはディーセントワークでもあると思う所以です。

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2018年1月22日 (月)

3394 寒波

寒波はよくクリスマス寒波、年末寒波、立春寒波などと、時期に応じて呼ばれたりもします。今度の寒波は、しかしいわゆる「大寒」の時期に重なっているので、それが来襲したからといって驚いたり、パニックに陥ったりするのは筋違いでしょう。冬場には、北極海に冷たい空気の寒気団が居座るのは、まさに自然な現象だからです。むしろ、異常であるのはその寒気団が、丸い形ではなく、歪なタコ足形状をする事が多くなった事でしょう。冬場は太陽光が全く差さない北極圏に、寒気が溜まるのはごく自然なのですが、何らかの原因でそれが歪な形になってしまう事が異常であり、その原因を考えてみるべきなのです。

一冬に強力な寒波が、何度か来たからと言って、温暖化に歯止めが掛かった訳ではないのは明らかです。むしろ、寒気団がタコ足形状になっていて、その足の間は極端に温暖化してしまっていると表現した方が適切だと思うのです。先週も、1月だというのにまるで3月の様なポカポカ陽気の日が続き、人々がすっかり春気分になっている状況での「普通のやや強い寒波」来襲ですので、数年ぶりの「大寒波」などと騒ぎ立てる事態になっている訳です。

北極気団は、近年は上に述べた様にタコ足型になり易い傾向にありますが、そのタコ足は上から見ると徐々に回転していますので、上手く予想すればかなり前もって寒波(或いはその間の温波?)の来襲は、前もって知る事も可能なのです。現状の気象予報は、精々1週間先の寒波を知らせるだけですが、これを1か月予報を織り交ぜて予報してやれば、社会の混乱は最小限に抑える事も可能でしょう。

さて、今回の寒波です。今回の寒波も、タコ足寒波である事には変わりはないので、それが冬中続く訳ではないわけで、精々1週間以内にピークは通過する筈です。子供の頃を思い起こせば、「本物の寒波」が来た冬には、何度も豪雪に襲われ、除雪が道路に厚く積もった雪の上を学校に通った記憶があります。それに比べれば、最近の寒波などは可愛いもので、ピークを越せば、積雪量もドンドン目減りしてしまうでしょう。やはり全体的に眺めれば、温暖化は着実に進んでいるのです。

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2018年1月16日 (火)

3393 改めて「時間」について考える

時間は、現代文明にあっては、ますます価値を大きくしつつある「概念」なのではないでしょうか。金持ちにも、貧乏人にも時は同じように流れます。しかし、金持ちは時間と共に(例えば利子や配当)などでますますリッチになり、逆に貧乏人は、同じ時間の経過の中で必要不可欠の支出や利息を払いながらチマチマと暮らす事になっている様です。つまり、時を味方に付けた人々と逆に敵に回した人達では、時間という概念には雲泥の差がある事になるのでしょう。

しかし、それは「時はカネなり」と考えた場合の話であって、全ての人々にこれを当て嵌めるのは間違っているでしょう。つまり、お金が無くても「ココロ豊か」に時を送っている人は、たぶんそれなりに多いと想像しています。投稿者も、実際はどうあれ、出来ればそうありたいと願って日々を暮らしている一人ではあります。時の流れに逆らわず、自分が置かれた環境に感謝しつつ暮らせば、その様な境地に少しは近づけるのではないか、とも思っています。つまり、時間と価値(特に富)と結びつけるのは間違いで、時間を如何にココロ豊かに過ごすかに心を砕いて暮らして行けば良いのだと思っています。

そのために忘れてならないは、やはり感謝の気持ちであり、同時に全ての出来事を受け入れ、結果を前向きに捉える事に尽きるとも思うのです。この世で起こった事は、この世で納まるのであり、「山よりでっかい猪は出ない」からです。M空ひばりやTレサ・テンの歌の歌詞ではありませんが、川(時)の流れに身を任せると言った境地でしょうか。ガツガツ稼いで暮らしても、貧乏で慎ましく暮らしても、その人の人生に流れる時間(天体の運行の時間)は全く同じですが、ココロが感ずる時間は多分雲泥でしょう。前者の方が、きっとあっという間に歳をとってしまうだろうと想像しています。投稿者は、50歳過ぎにサラリーマンを早期に退職し、人生の舵を切りましたが、それからの時間の流れは非常にゆったりと流れた、と振り返っています。それは、たぶんお金には変えられない「時間の流れ」でもありました。

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2018年1月15日 (月)

3392 働き方改革って?

政治家(屋)は、言葉遊びが好きなので、ブレーンやお役人は、彼らの気に入る様な「言葉」を考え出します。働き方改革もその様な言葉の一つでしょう。しかし、これほど意味不明な言葉も珍しいでしょう。長時間労働を無くしたいのであれば、単に「時間外労働手当」を極端に上げてやれば済む話で、サブロク協定なんぞで「原則○○時間以内」などとボンヤリした規制なんかは、原則破りが横行する温床になるだけでしょう。

女性にも優しい職場にしたいのであれば、男性にも育児の義務を負わせ、同時に暇を持て余している高齢者を育児に巻き込む上手い育児制度の仕掛けを作るべきでしょう。またテレワークやフレックスタイムの普及や拡大は一体何処へ行ってしまったのでしょう。閣議検定した言葉だけで改革が進むなら、政治家やお役人は不要(までは行かなくても半減で十分)でしょう。

そうではなくて、政策はより具体的で、かつ実行可能である事が最重要なのです。難しい事は別にないでしょう。働き方先進国の事例を一つの目標に据えて、そこに向かう10年計画を立てるだけで良いのです。10年が無理なら20年計画でも仕方がないでしょう。この国の政治社会システムで最もダメだと思うのは、中期計画でも精々3-5年、予算に至っては夏場に執行額が決定し、その年の2月頃には使い切ってしまうという、単年度予算が殆どであり、長期的な展望が持てない点にあると思うのです。考えるべきは、私たちにとって「幸せ」とは何かを掲げる事であって、その幸せを求めるための働き方は如何にあるべきかを考える事でしょう。働くことが、自分の幸福(特に生き甲斐を感ずること)に繋がり、ひいてはたとえ少人数でも他の人々の役にも立つ様な働き方こそ、目指すべきゴールだと思うのです。今日は短く。

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2018年1月13日 (土)

3391 構造改革って?

構造改革などという言葉を考え出した、お役人かリーダーのブレインかが、一体何を頭に描いて進言したのかは、役人の作文はあまりにも抽象的で具体例がないので知る由もありませんが、少なくともそれは、現在のグローバル経済の枠組みの中で、それに迎合するものである事は間違いないでしょう。貿易立国であるこの国には、それしか生きる道は無さそうに思えるからです。しかし、その様な考え方や行動は、結局は自分に跳ね返ってくる「ブーメラン」でしかないと思うのです。例えば、いわゆる構造改革の結果として、今のグローバル経済が渇望する、技術なりビジネスが提供できたと仮定しても、やがてライバル国やライバル企業に追いつかれ、追い越されてしまう事は、この国の少し前の歴史を振り返っても自明でしょう。悲しいことに、繊維、鉄、家電、車などいずれの主要産業を眺めても殆ど例外は見つかりません。

つまり、現在の「社会構造」を前提に、いくら「産業側の構造改革」を行ったとしても、結局それは後追いの対策に過ぎない訳です。対策とは、災害対策などという言い方でもおなじみですが、その対策は災害が起こらない限り発動はされないというジレンマがあります。東日本震災でも、津波被害地では、多くの場所で嵩上げ工事が行われ、ほぼ完了していると思いますが、数十年前の大津波を教訓にして、徐々に高台移転を進めていたと仮定すれば、これほどの被害は避けられた筈なのです。

さて、構造改革です。例えばAIIoTや車のEV化や自動運転化などは、いわば文明の津波だと考えても良いでしょう。その波から逃げるのか、それに乗ってイケイケドンドンで走るのか、或いはそれを下に眺めながら高台移転を進めて、それを冷静に観察するのか、私たちの「胆」が試されているとも思うのです。放っておいても、上に述べた技術はドンドン前に進むでしょうが、しかしその技術が人々を(大多数の人々)を幸福に導いてくれる保証はないでしょう。それどころか、それを享受できる一握りの人々と、それから置き去りにされてしまった大多数の人々との経済格差は、ますます拡大する事は明白です。

そこで必要なのは、ヒステリックに構造改革を叫ぶのではなく、冷静に私たち自身の「意識改革」を進めることだと思うのです。意識改革をもっと別の言葉で表すならそれは「価値観の転換」になるかも知れません。経済第一の社会で価値があるモノ(例えば、石油やお金や債券や仮想通貨など)は、価値観を転換した社会ではただのガラクタになり下がってしまう筈です。意識改革が完了した社会で多分大きな価値を持つのは、自分の手で育てた安全な無農薬の野菜やコミュニティの中でお互いに助け合う「絆」や、汗水流して山から切り出したバイオマスや、一度手にしたモノを、徹底的に使い倒し、最後は燃料や再生して再度製品に戻す「完全リサイクル」システムなどになるのでしょう。転換すべきは構造ではなく、社会の成員の意識なのです。

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2018年1月11日 (木)

3390 目標17 パートナーシップで目標を達成すること

これまで述べてきた無理難題の目標を達成するには、もちろん色々なステークホルダーが互いに私利私欲を捨てて協働作業をする事が必要なのでしょうが、残念ながら狭い範囲の活動に勤しんでいる人達には、他者の活動は見えにくいものの様なのです。つまりは視野狭窄です。本来ならば、高所大所から社会を見渡し方向を指し示す、識者なり政治家が必要なのでしょうが、残念ながらこの様な「社会の指揮者」は今のところ見当たらない様なのです。

識者は、自身の専門分野という狭い立場から物事を眺めますし、今の政治の世界には、政治を商売にする「政治屋」しか見当たらないのが実情なのです。なにしろ国レベルで見ても、○○ファーストというエゴが堂々とまかり通る時代なのですから。国レベルのパートナーシップ、都市レベルのパートナーシップ、コミュニティレベルのそれを生み出すのは、まさに至難のワザだと言えるでしょう。

ではどうするかですが、現在の社会のリーダー(っぽい人達)に期待していては、千年待っても何も変わらないでしょう。先ずは個人レベルで他者を慮(おもんばか)る小さなパートナーシップを積み上げ、徐々に遠い他者をも慮る、「遠慮(遠き慮り)」を増やして行かなければならないのでしょう。もちろん、その道は千里に及ぶのでしょうが、先ずは一歩から始めるしかないのでしょう。

以上、SDGsの17個の目標を一応舐めてみましたが、いずれも一筋縄ではいかない課題を抱えているどころか、それらが複雑に絡み合っていて、さながら固く結ばれた乱麻に、更に水がぶっかけられた状態に似ている様に思えてきました。乱麻に掛けられた水とは、即ち人間の欲であり、それを具現化した「行き過ぎた経済活動」である事は間違いないでしょう。人間は、一度表出した欲を引っ込めるのは苦手な生き物であるからです。地球のため、他者のために欲を捨てる事を、仏教では「喜捨」などと表現するのでしょうが、全ての人がこの境地に到達するのは、たぶん夢のまた夢なのでしょうが、少しずつでもこの様な考え方が広がって欲しいと、投稿者としては夢見ています。SDGsに関しては、一旦筆(キーボード)を置きます。目標達成のための良いアイデアが浮かんだら、追加投稿する事にします。

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2018年1月10日 (水)

3389 目標16 平和、正義と充実した制度機構

投稿者が想像するに、今の世界が必ずしも平和であると言い難いのは、国やコミュニティ間にある「疑心暗鬼」に原因がありそうなのです。例えば、B国の社会では銃の所有が認められていますが、これは正当防衛で銃を持つ犯罪者に対抗する手段として合法化され続けているのでしょう。核爆弾には核爆弾で、ミサイルにはミサイルで対応するのも同類です。北の隣国も、周りの国々を全く信頼しておらず、周りの国々も同様に若い指導者の正気を疑っているのです。

これは、とりもなおさず国と国、人種と人種の交流が薄い事に原因が見つけられそうです。B国やアフリカ大陸の南端の国などでは、長い間人種差別が横行していて、現在では水面下に見えなくなりつつあるとは言っても、根絶された訳ではないでしょう。しかし、例えば投稿者も暮らしたブラジルなどでは混血が進んで、アフリカ大陸から連れてこられたブラックピープルの子孫も欧州やアジアから移り住んだ人々の子孫も、明確な人種の線引きは最早不可能となっています。数十年前五輪などで活躍した、ブラックピープルの血を濃く引きついでであろうサッカー選手がいましたが、国民から多大な尊敬を受けていた事でもそれが分かります。

その意味では、人々は人種に分かれて、モザイクの様に暮らすべきではないと思うのです。A国人でもB国人でもC国人でもない、地球人が増えれば、最早人種差別やそれに起因する(人種間)格差も霧散する筈なのです。もちろん、そんな社会でも才覚のある人とそうでない人との間に格差は生ずるのでしょうが、少なくともスタート時点の(人種に起因する)格差は無くなる筈です。

その上で、解決すべきは宗教戦争でしょうか。信教の自由は確保されて然るべきですが、それを根拠に他の宗派や他宗教の人々を差別したり、迫害したりするのは論外です。それにしても、同じ聖地から出発した筈の複数の宗教を信仰する人々が、数千年に亘って、互いに憎みあったり戦争したりするのは、やはり投稿者の想像をはるかに超えてはいます。ここでの結論としては、時間は掛かりますが、人種同士がしっかりと混ざり合って滑らかな人種のグラデーションを作る事しかなさそうだ、となりました。もちろん、その際の「正義」とは、地球上のヒトを含む全ての生き物とそれを取り巻く環境の「持続可能性」になるのでしょう。

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2018年1月 9日 (火)

3388 目標15 陸の豊かさを守ること

3387で述べた海の豊かさを支える栄養塩類は、ごく一部は人間が出す排水にも含まれますが、当然の事ながら殆どは、陸地を潤した雨水が海に運び込んだものであるには自明です。渓流や河川や氷河が山地を削ったり、溶かしたりした塩類や鉱物、あるいは植物の朽ちたものから滴り落ちる水に含まれている有機酸などが最終的には海に流れ込むのです。鉱物で量が多いのは、雨水に溶かされ易いカルシウムやケイ素分、有機酸で代表的なのは、フミン酸やフルボ酸なのですが、それを供給する落葉樹が茂る里山の下流に広がる海域(里海)で、海の幸が豊富であるという事実がこれを裏付けてもいます。

つまり、海の豊かさを担保しているのは、陸(里山)の豊かさである、と言い切っても良いでしょう。しかし現実はと言えば、陸では天然林が農業や燃料とするために焼き尽くされたり、皆伐されたりしている事実には悲しいものがあります。森林を消し去っても、目先の食糧を得なければならない程、地上には人類が満ち溢れてしまったのです。陸上の可耕地は、反収(利益率)の高い単一の作物で埋め尽くされ、しかも灌漑のために、化石水と呼ばれる地下水を、持続不可能な形で使い尽くそうともしているのです。

その意味では、私たちは今陸の豊かさを守るという行動とは全く逆方向に突っ走っていると言うしかないのです。先ずは、木を植えられる場所には、何は無くともその土地気候や土壌に合った樹木を植林し、農地についてもその土地が供給可能な量の水で潤せる程度の農業を営み、かつ肥料についても可能な限り有機肥料の割合を増やすという動きが不可欠でしょう。その前提として、農産物は家畜(肉牛など)に食わせる量を減らし、人間がそれを直接食糧とする動きが欠かせないでしょう。なにしろ、牛を1㎏肥えさせるためには、その10倍以上の穀物量が必要とされているのですから、ざっと言えば穀物飼育の(美味な)牛肉を諦めれば、同じ耕地面積で10倍近くの人が生存できる筈なのです。

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2018年1月 8日 (月)

3387 目標14 海の豊かさを守ること

海の豊かさの源は、大部分は海水に含まれる「栄養塩類」の多寡にあると考えられます。この栄養塩類とは、海中に漂う植物性プランクトンの肥料に当たるものだとも言えるでしょう。植物系プランクトンが増えれば、当然の事ながらそれをエサとする動物性プランクトンやオキアミなどの小さな甲殻類が増え、それをエサとする魚やクジラなども増えるといういわゆる「食物連鎖」が続くのです。

つまり、ごくごく簡単に言えば、海の栄養塩類を適当な濃度に管理してやれば、海の豊かさを維持する事は可能だと言えるでしょう。しかし、内海や湾などの閉水域で既に経験している様に、人間の活動から出る廃水は、栄養塩類だけではなく、植物プランクトンなどの海洋生物にとっては有害な物質も多く含まれています。特に重金属は、かつて水俣病などの公害病でも明らかになった様に、食物連鎖の中で「濃縮され」、その頂点に立つ人間にもっとも過激に攻撃してきたのです。

結局は、例えば人間のし尿や生活排水なども、排水する環境に応じて「(完璧ではなく)適度に処理」して放水する事によって水域の栄養塩類を適正に保てるでしょう。一方、それらにとって、ひいては人間にとって有害な(人工)物質(豊洲の有機溶剤等による土壌汚染やかつてのPCB汚染を思い出してください)や重金属などは徹底処理して排水から除去してやる必要があるでしょう。私たちは、かつての公害や鉱害の痛い経験から、排水処理の技術を磨いては来ましたが、経済的な理由からあまりあるいは全く処理しないまま、水系に放流する途上国の何と多い事でしょう。その意味では、お隣のC国も立派な途上国でもあります。

海は、地表の2/3の面積があり、深さも最深部では10,000メートル以上もあり水量は無限の様に見えますが、閉水域や海溝には、既に人間の工業生産や生活活動から出る有害物が、既にかなりの量堆積している事が想像できます。海水中に溶け込んでいる有害物も、ざっと言えば1千年単位の海洋循環(熱塩循環)によって、今後海洋生物に悪さを及ぼす可能性も否定できません。平凡な結論となりますが、地道ではあっても、水の重要性、取り分け河川や海域の水質には、今後とも敏感であり続ける必要があるのでしょう。

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2018年1月 6日 (土)

3386 目標13 気候変動に具体的な対策を取ること

実はこれが17個の目標の中で、対策の実現が一番困難なものかも知れません。何しろ、問題が目には見えにくい上に、国境をまたいで地球規模で広がっている事と、この問題が世代を超えて長い時間を掛けて顕在化した、複雑な気候変動(例えば温暖化現象や気象の激烈化など)に関する問題であるからでもあります。しかも、化石燃料という「戦略物質」でもあり、全ての産業や社会セクターとも利害が絡むモノや、人間社会の格差問題等も抱合してもいるのです。まさに、この問題は「固く絡み合った乱麻」であるとも言えるでしょう。

その乱麻を解きほぐしたいのであれば、例えばヨーロッパでの実験の様に、地球規模で一枚岩の経済圏を作って、その中で利害を調整するしかないのでしょうが、残念ながら国々には資源の偏在、人口の密集度、産業力や経済力の格差などがあり、経済統合のためには、先ずは国と国との間のレベル調整や向かうべき社会の方向合せが必要でしょう。これは、多くの文明が生まれても、いずれの文明でも成功できなかった難題でもあり、その解決方法については糸口さえも未だに見つかっていないのです。それどころか、国々のレベル差はますます拡大している様にさえ見えます。従って、単一の経済圏を作って国々の利害を調整しつつ、気候変動を抑え込むという対策は、現段階では見果てぬ夢に過ぎない言うしかなさそうです。

そこで、京都議定書やパリ協定の様な国際間の枠組みで、各国のレベルに合わせて「それなりに努力する」といった程度の努力で、お茶を濁している状況に留まっているのです。しかし、考えてみれば、国々の利害を調整するよりは、国々にあって、個々人が環境保全に向けての活動を始め、その様な人々(投稿者の様な環境人間)を増やしていく方が、近道であるのかも知れません。それには、○○ファーストという国や個々人の「エゴ」を捨て、地球環境の保全に寄り沿うと言うココロを育む「環境教育」しかないのではいかと思っています。

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2018年1月 5日 (金)

3385 目標12 責任ある消費と生産

この表題で思い当るのは、例えば「グリーン購入」です。どうせ買うなら、環境負荷の小さな製品なり商品を買う、という行動を指します。では、いったい誰が誰に責任を持つかですが、それは「人間」が、「地球環境の持続可能性」に対して感ずるべき責任の事であるのは自明でしょう。逆説的ですが、残念ながら特に20世紀を通じて、私たちはその「責任」に鈍感に暮らしてきました。そのツケが、真綿の様に徐々に私たちの首を絞め付けつつあるのは間違いのないところです。それは、単に気候変動(温暖化や気象の過激化や砂漠化)のみならず、焼き畑農業による森林破壊などにおいても、その破壊のスピードに鈍化がみられません。それは、21世紀末までも増え続けると予測されている「人口圧」と、途上国に住む人々が、より物質的に豊かな生活を送りたいという強い願望の掛け算の結果であるのは間違いないでしょう。

責任ある消費と生産とは、結局「足るを知る」という言葉に集約される様に思うのです。人は欲深いので、どうせ手に入れるなら、それが余ると分かっていても出来るだけ多くのモノを手に入れよう行動します。それが、豊かな国にカウントされるこの国でも、廃棄食糧の割合を押し上げているのでしょう。足るを知るとは、どういう行動なのか考えてみると、先ずは食べ物で言えば、一度に食べきれるだけの量の食糧を買い、調理すると言う行動でしょうか。そのためには、材料をしっかり計量する事も必要かも知れません。エネルギーに関して言えば、お湯を沸かす際に、先ずカップに水を入れ、それをヤカンに移して沸かせば、最小限のエネルギーでお茶にありつけるでしょう。企業においても、在庫や造り貯めを最小限に抑えれば、物質消費やエネルギーの消費も最小限に抑えられるでしょう。

食べ物に関して一般的に言えば、先進国では食べ過ぎによる肥満が問題になっています。それは、お腹も減っていないのに、三度(かそれ以上)の回数の食事をしてしまうからでもあります。必要な量(と質)の食べ物をお腹がすいたタイミングで摂っていれば、生活習慣病と言われる病の大きな部分を無くせる筈なのです。同様に、エネルギーだって必要な量を吟味して、大切に使えば、エネルギー使用量の3割減だって、難しい数字ではないのです。生産者も、消費者も、鼓動を起こす前に、改めて「持続可能性に対する責任」を思い起こすべきだと言っておきます。

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2018年1月 4日 (木)

3384 目標11 住み続けられるまちづくり

これは、多くの社会で意外に軽視されがちなポイントです。人に年齢に応じたライフステージがある様に、街にもその様なものがありそうです。この国でも、高度成長期の産業構造の変化によって、ある時期に田舎から街へ大量の人口移動が生じ、街の郊外にいわゆるニュータウンや大規模団地が造られ、人々の住み処を提供してきた訳ですが、いまその団地は建物が老朽化し、住人の高齢化が極端に進んでしまいました。一方で、人口を送り出した田舎でも、家主の居なくなった家屋は放置され、朽ちるに任せている状況なのです。

結果として、高度成長期の産業や人の住み処の変化は、世紀単位の時間的経過の中では、決して「持続可能ではなかった」事が、いみじくも露呈してしまったと言えるのでしょう。急激な構造変化の下では、住宅も街も急造の「間に合わせ」となる事は仕方がなく、結果としてそれらは急速に「劣化」が進むのです。劣化した住宅は、最早人が住むには耐えられず、更地にするか、それが出来ない場合は、放置されるしかないのでしょう。一方で、頑丈に作られた田舎の住宅でさえ、十分なメンテナンスが為されなかった結果、構造が朽ちてしまい修復の限界を超えてしまうのです。

このブログでも、何度か構造がすこぶる頑丈な100年住宅を提案してきた様な気がしますが、構造だけは、大地震が来ても、水害に襲われてもビクともしない様に作って置けば、内装に手を加えるだけで、住み手のライフステージに応じて、住み続ける事が可能でしょう。地震が殆ど無いとはいえ、頑丈なヨーロッパのレンガや石造りの住宅が、数百年も存続し続けている所以です。コンクリート造も半世紀程度の寿命しかありませんので、地震や水害が多いこの国では、たぶん勘定で太い鉄骨造りが現実的なのかも知れませんが、ハウスビルダーには一層の工夫が求めらえるのは間違いありません。この国でも、人口は減少過程に差し掛かり、産業構造も落ち着いてきている事もあり、ここらでこの国の街(や村)のあり方も真剣に見直す必要があると思うのです。

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2018年1月 2日 (火)

3383 目標10 人や国の不平等をなくすこと

何故、国や人々の間に格差や不平等が生まれるかですが、最大の原因としては、間違いなく資源や富の「偏在」にあるでしょう。極端な例では、砂漠しかない国々でも、そこから潤沢に石油や天然ガスが採取できれば、世界でもトップクラスの金持ち(国)になり得るでしょうし、MSやG-グルやAマゾンの様に、世界的にトップシェアが取れる様な商品やサービスを持っている個人や企業もまた、世の中の富を効率的に集める事も容易でしょう。

残念ながら、たぶん現在の経済の仕組みでは、手をこまねいていても、今後国や個人の格差が縮まるとは思えません。むしろ、その逆で拡大しそうな予感すらします。その理由は自明で、現在の世界で価値を認められているのは、化石燃料であり、情報であり、何よりお金(Moneyや債券)であり、それらが極端に偏在しているからです。なにしろ、これら(資源やマネーは)あるところには唸るほどあり、無いところには殆ど無いのですから。

投稿者の様な凡人がいくら集まって議論しても、そこで生み出せる浅知恵では、この格差は如何ともしがたいのですが、希望は持っています。つまり、資源やマネーの価値が相対的に低下し、代わって「生き甲斐」や「幸福度」や「土地土地で作られる食糧」といった必需品の価値が向上すれば、経済地図も変化してくると思うです。というより、経済活動の重要性が低下してくると見ているのです。その様な社会では、地産地消のエネルギーや食糧といったものがクローズアップされ、いくらお金を持っていても欲しいモノ(必需品)が手に入りにくくなる筈なのです。

さて歴史を振り返ると、人類が農業で食糧を手に入れる様になって以降、余剰の食糧はストックされて「富」なり、それらを売り買いする中で、いわゆる(貨幣)経済活動も拡大していったのでした。地産地消経済では、余剰(ストック)は必要最小限に抑えられる事が予想できますので、富の偏在もかなりの程度抑えられるのではないか想像しています。ここでの結論は、格差を無くすためには、地産地消を推進することとしておきます。太陽光(エネルギー)は、今は貧しい南の国々では豊富に手に入りますから、化石エネルギーの入手が経済的に難しくなるにつれ、それを多量に消費している先進国が困窮し、相対的に途上国が豊かになるという筋書きです。

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