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2018年2月26日 (月)

3406 デジタルデクテータ

最近IT化の加速が気になって仕方がありません。そうした中、「デジタルデクテータ」或いは「デジタル経済」という言葉を耳にしました。デクテータとは、言わずもがなの独裁者ですが、デジタル業界で成功してしまったB国のM社や、F社や、G社や、二つのA社や、あるいはC国の2社など何社かの「デジタル巨人」が、お金で決済されていた実体経済を超えて、デジタル経済を寡占し始めているとの危機感を表した言葉でもあります。デジタル化の背景には「情報」の寡占も存在する筈です。その情報が、完全に誰でもアクセスできるならば民主化されたデジタル社会も実現できるのでしょうが、例えばC国やRシアの様に、或いはたぶんB国でも何らかの形で、情報の囲い込みや監視、更には情報操作が、国の権力の元に行われているに違いありません。

もし、それが国々のエゴや、時のリーダーが悪意によって操作されたら、デジタル経済何ぞというシロモノの操作や世論といった揺れやすいものも簡単に歪められるでしょう。つまり、勝手に数字(デジット)を弄るか、或いは勝手なフェイクデジットを差し込む事によって、情報などと言うものは簡単に操作可能だと思うのです。間違いないと信じて疑わない「写真」や「映像」でさえ、それはフィルムに焼き付けられた物的証拠ではなく、メモリーの中のデジット情報である訳です。デジタル映像である限り、その加工は今や素人でも出来てしまうのです。デジタル空間に溢れる、超美形の写真はどの程度実体を写したものなのでしょうか。

私たちは、デジタルデータに依存し、それに100%寄りかかった社会を作ってはならないと、投稿者は思ってしまいます。デジタルとアナログと実体を程よくミックスしながら、しかもシステムの中に人間が介入できる余地を残しながらの仕組みを模索すべきでしょう。今や、国も企業もIT化やデジタルデクテータの波にすっかり飲み込まれてしまっている様な気がするのは杞憂でしょうか。デジタル経済=実体経済「ではない」と何時誰が声を上げてくれるのでしょうか。と言いながら、今日もデジタル社会の掲示板に投稿するのでした。但し自戒を込めながら・・・。

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2018年2月25日 (日)

3405 設計ミスか製造ミスか

新幹線台車の亀裂の解析がかなり進んできた様です。中間的な情報では、製造時の部材の削り過ぎが原因と考えられている様です。幸いな事に今回は人身事故にはつながらなかったので、外野の勝手な当て推量も許されるでしょう。凡そ事故原因は、モノの破壊がきっかけになるものと、ヒトの操作・運行ミス(ヒューマンエラー)によるものに分けられるでしょう。もちろん、地震や突風などの転変地異は除外しての話です。ここでは、モノの破壊原因についてだけ考える事にしましょう。もちろん、設計ミスにしても施工ミスにしても広い意味ではヒューマンエラーではありますが、先ずはモノ自体に着目します。

さて、設計ミスの多くは、モノ(製品)の動的な挙動の解析が不十分なところに起因する場合が最も多いと推定しています。静的な荷重であれば、教科書に載っている公式で、或いは現代では、コンピュータを使った数値解析(CAE)で容易に設計可能でしょう。しかし、動的挙動の解析は必ずしも簡単ではありません。鉄道で言えば、線路地盤の歪みなどで、台車には想定外の力が力や振動が加わっている可能性があります。そこで想定されるのが「安全率」ですが、安全率を大き取り過ぎると製品が重くなり、経済性で見れば不利になるでしょう。そこで、ホドホドの値とするのですが、瞬間的な衝撃力によるピーク値は、時としてそのホドホド値を超える事もあり得るでしょう。また、気象(極低温による脆性)や、塩分による腐食環境(による減耗や応力腐食割れ=SCC)も設計者想定のホドホド値をオーバーさせる危険性を孕んでいます。

一方製造ミスは明確です。要は、モノが図面通りの寸法になっているか、更に溶接などの加工によって表面からは見えない「内部欠陥」が残っていないか、という確認(寸法検査と非破壊検査)が着実に行われてさえいれば、殆どの施工ミスは発見できる筈です。しかし、問題は最近報道を騒がせている「手抜き検査」の横行でしょう。あるいは、不良率を下げるため、施工者が検査員の目をごまかす「不良隠し」も懸念される事態です。今回の事故の教訓と対策は、当たり前過ぎますが、どんな場合でもモノ造りのAtoZの基本に忠実に従うことと、隠し立てのない真っ当な検査しかなさそうなのです。

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2018年2月23日 (金)

3404 水は高きから低きへ?

水は高きから低きへ流れるのは自然のコトワリでしょう。しかし、そこに人間が絡むと、その自然の摂理通りにはいかないものの様です。例えば、人口です。殆どの時代を通じて、しかも洋の東西を問わず、都会は田舎から人を吸い出し、それを飲み込んで拡大してきました。もちろん、例えば首都東京の中心部は、オフィス街となっており、従って夜間もそこで生活をしている人口は少なく、殆どは臨界のタワマンか郊外の住宅地域に住んでいるのでしょう。その意味で、昔はまとまった駅周辺の街以外は田園風景が広がっていた関東平野は、今や市街地の間を住宅地が埋め、さながら一続きの「関東圏都市」の様相を呈しているのです。

何故、人々は住み良い田舎を出て、緑も少なく窮屈な都会に群れて住みたがるのでしょう。学校を出て、就職口を探そうとした場合、望んでいる(給料を支払う)職が都会にしかない、というのが一つの理由かも知れません。しかし、住居費が殆ど掛からない広い田舎の家に住み続けようと決意さえすれば、都会の半分程度の給与でも田舎では十分暮らしは成り立つ筈なのです。少し昔を思い起こせば、田舎では3世代や4世代が身を寄せて暮らしていました。時と共に各世代は歳を取るので、働き手とそれに支えられる世代が一緒に暮らす事によって、いわゆる介護の問題もあまり目立たなかったのです。人は、住み慣れた我が家の畳の上で生涯を終えるのが仏だった訳です。しかし、まるでブラックホールの様な都会が、そんな社会をすっかり「個の社会」に変えてしまったのです。都会は、「人は結婚して家庭を持つ」という基本的な生活スタイルまで変えようとしています。独身世帯の猛烈な増加です。

都市化の底に横たわる真の原因を考えてみるに、そこには「経済論理」がありそうなのです。都市(とその近郊)は、大量生産の拠点でもありますし、同時に大量消費の市場でもあるからです。つまり、都市化は、経済活動(経済効率)にとっては理想的な環境であるとも言えるのです。都市化の中で犠牲になっているのは、いわゆる人間らしいライフスタイルだと言うしかありません。国も経済界も、経済(GDP)拡大を目指し、経済効率を追求する限り、都市は吸引力を維持し続け、その「引力圏」から抜け出せない捉われ人の数は増え続けるのだと見ています。どうやら人は、高きから低きへ(人口過密地帯から田舎へ)流れるのではなく、逆に経済力という引力によって引き付けられる存在の様なのです。

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2018年2月22日 (木)

3403 野菜メーカー?

いわゆる「家電メーカー」などが、異業種とも言える例えば「野菜工場分野」へ進出する動きが加速している様です。昔の事を思いだせば、鉄が売れなくなった時代に、製鉄屋さんが養豚業などの異分野に手を染めた事などが頭に浮かびます。残念ながら投稿者は、それが正しい戦略なのか否かについて議論できる程「ビジネス」を熟知している訳ではありませんので、単なる感想に留めますが、やはりメーカーとしては、消費者のニーズに寄り沿わなければならないのだ、との思いが強くなります。しかも、そのニーズは根強く、基本的なものを重視しなければならないという事です。

確かに家電は、便利で快適な生活を演出するものではありましたが、ある家電が無かったと仮定しても、生活に大きな支障は出ないでしょう。炊飯器が無くとも、土鍋でもっと美味しくコメを焚くことは出来るでしょうし、エアコンが無くとも石油ストーブやコタツでも寒さはしのげる訳です。しかし、食欲だけは電化製品だけでは満たす事は出来ません。現代のどんな科学技術を駆使したとしても、人間が、水と炭酸ガスと太陽光だけで食糧を合成する芸当は出来ません。食糧生産は、植物にしか出来ない芸当である事実は受け止めなければならないのです。あらゆる動物は、その植物の生産物に依存して生きている訳です。

だからこそ、メーカーは仕方なく、植物(今は葉物野菜程度ですが)が成長しやすい環境を、つまりは電気を使って実現する「電化畑」という仕組み作りにまい進しているのでしょうか。結局、電気仕掛けのカラクリ(Gadget)には限界があり、私たちは自然の摂理の理解に努め、必要かつ最小限のニーズに向かい合う必要があるのだと、投稿者としては改めて認識を強くしている次第です。野菜は、無菌化された野菜工場で育てるべきではなく、一握りの土の中に数えきれない程蠢く土壌菌群の中で、逞しく育てるべきだと思うのです。野菜工場で出来るのは、無菌化された「まがい物の野菜」に過ぎないでしょう。何故なら、植物は土壌(の土壌菌や微量元素)と共に生き延びて進化してきた存在だからです。

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2018年2月21日 (水)

3402 ガラスビル

都会に出て、何時も不安に感ずるのは、背の高い「ガラスビル」を見上げる時です。ガラスビルとは、ビルの外壁に殆ど全面ガラスが貼ってある様に見えるビルの事です。ガラスビルは、全面ガラス張りで見た目も美しいのですが、ガラスは熱の出入り量も多いでしょうから、冷暖房効率からみても、あまり良い選択肢とも思えません。またもし、この様なビルが強い地震に遭遇した時、当然の事ながらビルの構造が歪み、最悪の場合は嵌めてあるガラスが割れて、地上に落下するでしょう。怖いのは、ビルの高さです。例えば、100mの高さから、割れたガラスが落下する事を想像するだけで、肌があわ立ちます。ガラスの破片は真っ直ぐ落下する訳ではなく、たくさんの破片がヒラヒラと広がりながら落ちてくるでしょう。

たとえ、重さが数キロしかない破片であっても、鋭い破断面を持つ分厚いガラスが地上付近まで落ちてきた時の破壊力は、想像をはるかに超えるでしょう。ガラスビルの壁の真下に、屋根も無い歩道が広がっている場所では、そこで起こるかも知れない阿鼻叫喚を思い浮かべずには居られません。昼時などには、当然の事ながら帽子もヘルメットもかぶっていない人々が群れて歩いている筈なのです。

ではどう対策するかですが、たとえ、不細工ではあってもガラス壁の真下には、万が一ガラス片が落下してもその衝撃を受け止めるだけの強度を持つ強靭なガードを取り付けるべきでしょう。陽光にキラキラと輝くガラスビルの外観だけに目を奪われてはならないのです。今日は短く。

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2018年2月19日 (月)

3401 利雪

窓の外の雪景色を眺めながらの投稿です。以前も考えた様な気もしますが、あまり良いアイディアを書けなかった様な気がするので、改めて利雪(雪の有効利用)を考えてみる事に致します。その前に、雪の持つ特徴を整理してみましょう。1)冷たい(氷温である)、2)嵩高い(少なくとも水より比重が小さく嵩張る)、3)まとまって降る(ドカッと積もって長く居座る)、4)放っておけばやがて解ける、5)空気を抱え込み保温性がある、6)地域の偏在が非常に大きい(北陸以北の日本海側)、7)年度によって降雪量に大きな変動がある、8)締まって固まるとひどい厄介者になる。9)雪温によって性質が大きく異なる(パウダースノウからツユダクの雪まで)、などでしょうか。

さて、その利用法です。現在の対処方法は、兎に角屋根に積もった場合にそれを落とし、雪を集めて、邪魔にならない場所に捨てる事です。山間の雪深い地域には、流雪溝があり、住民は家の前の水路に小分けにした雪を放り込んで流します。また、北陸の一部地域には道路に地下水を散水して、雪を解かしていたりもします。この後者の地下水の活用は結構有望です。地下水は、冬でも十分10℃以上の温度を保っていますので、これを屋根のてっぺんから流す事により、屋根の雪は少な目で抑えられそうに思います。各戸では、地下水を汲み上げるための井戸を掘り、ポンプと散水パイプの設置という設備投資が必要となります。これはどちらかと言えば、雪下ろしを楽にする克雪対策にはなりますが・・・。

利雪で言えば、やはり1)と5)に注目する必要があるでしょうか。雪寄せのためには、どこかに雪を寄せて、道路や通路を確保する必要があるのですが、毎年の事なので、いっそその雪を放り込んでおく部屋(雪室)を準備しても良いでしょう。雪室は、古くからの先人の利雪の知恵の一つでしょう。雪室は天然の「氷温冷蔵庫」になり得るからです。雪室の中では、モノは凍結せずお0℃前後の温度に保たれる訳で、食糧の保存や種や球根などの発芽の季節調整には非常に有効な方法なのです。

氷温は、果物やコーヒーや酒などの熟成にも有効だと言われています。植物は、氷結を防止するために「糖分」を作り出すため、甘みを増すメカニズムを備えていますので、コメや野菜などの貯蔵にも適しているでしょう。雪室として使うには、普通のスチール物置ではやや強度に不安がありますので、既存の入れ物では間に合わないでしょうから、強度が高い中古のコンテナに断熱を施すのがベストでしょう。雪室があると、苦痛な雪寄せが、楽しい雪集めになりますので、冬の楽しみが増えることにもなります。雪に苦しむのではなく、考え方を変えて雪を利用するのです。

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2018年2月15日 (木)

3400 列島の裏表(克雪・利雪)

この季節に列車や車で日本列島を移動していると、いわゆる裏日本(日本海側)と表日本(太平洋側)の気候の大きな違いに改めて気づかされます。列車だと、例えば新潟から関東平野に入った途端、車移動だと上越から妙高高原の豪雪地帯を抜けて長野県に入った途端、周りの風景や空模様がガラッと変わるのです。日本列島の中央部にでんと居座る山並みと、冬場に暖かく湿った日本海を渡ってくる大陸育ちの季節風(冬将軍)の襲来が、世界でも稀に見る積雪地帯を生んでいる訳です。

なので、今は死語となってはしまいましたが、太陽光が差す太平洋側を「表」、冬場は日が差す事もメッキリ減って、暗くジメジメしてしまう日本海側を「裏」と呼んできたのでした。

しかし、考えてみれば、日本海側は大陸からの冬将軍の攻撃を「矢面」に立って食い止めている最前線ではありませんか。裏どころか、なんと矢面(表)の前線なのでした。そこで大切な事は、実は冬将軍様の寒波攻撃を如何に受け流すかという知恵なのだと思います。具体的に言えば、冬場は寒波攻撃の置き土産でもある雪の始末でしょうか。雪は、当然の事ながら水が凍ったものですが、実はその「嵩」によって、全く性質が異なるのです。つまり、気温が低くサラサラのパウダースノウの状態だと、強い風でも吹けば一度積もっても、やがてどこかへ持ち去ってくれるでしょう。

しかし、気温が比較的高い(0℃前後)時に降る湿り雪や降った雪が昼間の暖かさで一部溶けて「締まった」雪は、全く処置に困るシロモノに化けるのです。雪は、春になれば自動的に解けて水になって流れ去るのですが、それまで待っていては生活が成り立たなくなるのです。その原因は、実は車への依存度の高さにあるのでしょう。子供の頃の風景を思い起こせば、雪が積もってもめったに除雪車など来ないので、道路は凸凹で歩きにくくなっていたものです。仕方がないので、人々は食糧や暖房用の薪を貯め込んで「冬籠り」するしかありませんでした。町の中心で立つ「市」に品物を運ぶ主役は「箱ぞり」だったのです。その意味で、人々は雪に負けながらもしかし降伏はしていなかったのでした。重機を使って雪を蹴散らす事ができるのは、今が石油が比較的安くて何とか重機を動かせる幸運な時代なだけなのです。続きます。

 

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2018年2月11日 (日)

3399 トンネル列島のリスク

10日ほどの長い出張から、またドンヨリとした鉛色の空の自宅に戻りました。その間、車で岐阜まで移動し、その後列車で中国地方まで移動しました。その時お世話になったのが「トンネル」です。車であれば、長野道の長短のトンネル群、中央自動車道であれば8㎞強もある恵那山トンネル、新幹線であれば、トンネルに挟まれた新神戸駅をはじめ、全路線の1/3がトンネルだらけという山陽新幹線など、トンネルの話題には事欠きません。

しかし、それを利用する立場で気になるのはトンネル壁、正確にはコンクリートの劣化です。これまでも、トンネル内でのコンクリート剥離事故が何件かニュースになっていますが、そのニュースの陰には、たぶん数十件か数百件の微小剥離事故が隠れていると想像しています。もちろん、コンクリートの劣化は表面剥離だけではないでしょう、漏水や酸性水によって生ずるコンクリート自体からのいわゆる「脱灰」によって、コンクリート強度は大きく低下するでしょう。結果として、内部に隠れている鉄筋も錆びて膨張し、コンクリートに亀裂を作るでしょう。これは、亀裂と漏水と脱灰まさに悪循環です。多くのトンネルは、この国に多数刻まれている断層帯(破砕帯)を貫いて掘られてもいます、もしその断層が再び大きく動いた時に、それを貫通しているトンネルの健全性は全く保証の限りではない筈です。

その意味では、私たちはコンクリートの健全性に関して、非破壊で正確に診断する方法をまだ手にしていないと言えるのかも知れません。超音波で、「間接的に」内部を診断する事は居尼でも可能でしょう。しかし、コンクリートからどれくらいの割合で石灰分が抜け、その結果強度がどの程度低下しているかを知る定量的な方法はまだ見つかっていないと見ています。もちろん、あるトンネルが造られた時期に、同時に試験片も作り、経年劣化試験は実施されてはいるでしょう。しかし、それは試験場の環境での劣化試験に過ぎません。実際のトンネルと同じ、土壌、気象条件下で行われている経年劣化試験は、殆ど行われていないと想像しています。実物トンネルでの耐久性試験は、たぶん東海道線の「丹那トンネル」が嚆矢となるのでしょうか。このトンネルが開通して80年以上経過していますし、大規模な破砕帯を貫いていて、今でも大量の漏水に耐えてもいます。超過密な東海道線のダイヤを一度完全に止めてでも、「転ばぬ先の」大規模な劣化検査を実施すべきだと、建設のド素人は憂えています。

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