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2018年3月15日 (木)

3411 煮詰まる

Y老孟司の近刊に、時代が「煮詰まる」という表現が何度も出てきます。バブル後失われた数十年があり、その間に人口減少が始まり、それに輪をかけての「少子高齢化」社会が加速し、震災や原発事故に見舞われ、社会の隅々に何とはない「閉塞感」が充満している現代を、流石に上手く表現していると感心します。

しかし煮詰まっているのは事実としても、その事をはっきりと認識するためには、誰かが画策して煮詰めているのか、或いは文明の汁気(可塑性)が失われて、自ら煮詰まっているのか、分析してみる必要はありそうです。その分析は投稿者には荷が重すぎるのですが、感想程度であれば何か書けそうです。結論から言えば、前者もあるのでしょうが、主には後者の比重が大きいと見ています。それは、曲がりなりにも今の文明の一員として現代文明が、経済や物質的豊かさを追求し続けてきた結果、文明が必要とする文化や宗教などといった「ココロ」の問題を置き去りにしてしまった、との後ろめたさがあるからなのです。「人はパンのみにて生くる者に非ず」とは、あの宗教者の最強のスローガンですが、まさにパンの偏重が、現代文明の「煮詰り」を加速したとみているのです。

この「煮詰り」を回避するためには、何は無くとも私たちはモノをドンドン捨てて(喜捨して)、精神的な満足に拠り所を見出すべきなのでしょう。これは、言うは易しで、実行はかなり困難である事は分かり切っています。人は、一度手に入れたものを手放すことが、本当に苦手な生き物だからです。動物であれば、目の前のエサを腹いっぱい食べた後は、たとえ好物のエサが目の前に現れても、興味を示さないでしょう。しかし、私たちは死ぬまでには使い切れない、或いは処分しきれないモノや財産を貯め込んでしまう生き物の様なのです。それもこれも、凡人は死を恐れ、死期が予測できないがために、必要以上のモノを手元に置こうと、それにしがみつくのでしょう。ココロを重視した、ユルユル文明の時代はいったい何時来るのでしょうか。

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