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2018年4月11日 (水)

3421 文明の逆転

この歳になると、やはり自分の歩いてきた道と、それを取り囲んでいた時代を振り返る事も多くなってきました。その中では、時代や文明は前に進むものであって、基本的には逆戻りはしないものである、と言った風潮が支配的であった様な気がします。先の戦争に負けて以降、戦後の焼け野原から出発したこの国は、B国の核や軍事力の傘の下で、彼らの顔色を見ながら、ひたすら経済力を高めるために注力すれば良かった時代が長く続きました。その「根性」は、現在でも色濃く息づいているとも言えるでしょう。この国のリーダーの「B国と完全に価値観を共有する・・・」と言った発言にもそれは読み取れます。すぐ北の隣国との関係を考える際に、先ず遠く太平洋を隔てた国の意向を確認しなければ、何も進められない情けない国だとも言えるでしょう。

今読んでいる新書にF沢諭吉の「文明論之概略」が取り上げられていますが、明治の初期に、彼が文明や国(体)について巡らせた思索の余りの深さに驚嘆させられます。ぜひ原文を読んでみたいと思ったものでした。その中で、F沢は文明とは国の独立を保証するための「手段」ではあっても、決して目的ではないと言い切っているのです。文明と言う言葉を、例えば経済や科学・技術や政治と言った言葉に置き替えても、彼の指摘は全く当てはまると思うのです。つまり、私たちはこの国を、鎖国状態の極東の島国から、海外に向けて開いて以降、殆どの時代に置いて、海外の文明を取り入れて、それを丸呑みする事に熱心であり続け、それを消化・吸収する努力を怠ってきたのだ、と断ずるしか無さそうなのです。

投稿者が生きてきた戦後の60数年に限って考えても、長く勤務した某重工でも戦後は殆どの分野で技術導入を行っての「ライセンス生産」から始め、その中で生産技術を養って、やっと今日の立場を確保したのでした。しかし、生産技術の改良は言わゆる「カンバン方式」の高みに到達さえたとはいえ、結果としてこの国から何か世界にインパクトを与える画期的な新原理や新技術なりの発見・開発があった訳ではなく、単なる「改良」に留まってきたことは銘記すべきでしょう。私たちは、明治以降の「文明開化?」の歴史を紐解き、必要によってはそれを巻き戻して、不味かった点を反省し、出来れば正しいピースに差し替えなければならないとも思うのです。文明(科学や経済や政治の仕組み)は、手段ではあっても決して目的ではない。目的は、たぶん「より正しかろう価値観を持った独立国となる」事にあるのでしょうから。

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