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2018年4月16日 (月)

3424 スタンダード(旗印)

このタイトルでの投稿は2回目かも知れません。さて、JISISOJASなどの頭文字でもおなじみの「S:スタンダード(Stanndard)」は、日本語では「標準」などと訳されていますが、本来の意味は軍隊などが先頭で掲げる「旗印」であった、という事はあまり知られていません。その割に、この言葉は、たとえば「国際標準(グローバル・スタンダード)」と言った言葉の中に、さも昔から決まっていた「標準」であったが如きの文脈で使われ続けてきました。ISOは、確かに各国から集まったISO委員が、長い時間を掛けて話し合って決めた国際「標準」なのでしょう。しかし、マスコミなどで使われる文脈での国際標準とは、例えばB国標準であったり欧州標準に過ぎない場合が殆どだと見ています。

では、この国のスタンダードは何であるかと考えてみても、にわかに思い当るものはないのです。伝統的な価値観だと思われている仏教でさえ、輸入宗教の一つに過ぎないですし、八百万の神々を敬う素朴な神道イズムでさえ、ある時期以降は軍や極右の思想と融合し、色濃く染められてしまったではありませんか。阪神や東日本の大震災で、せっかく生まれかけた「絆」や「結」と言った互助の風潮も、結局この国の文化の深い場所に根付く事もなく、やはり人々の日々の注目はグルメや景気の行方や政治ごっこやスポーツの結果程度にしか集まっていない様に見えます。

その人やその国の人々の価値観は、結局のところ掲げるべき「旗印」によって決まってしまうと思うのです。たとえ、それが「本音」ではなく「建前」だとしてもです。言わずもがなですが、もし人々や国々が本音を旗印にして進むとなると、恥ずかし過ぎるか危険過ぎるでしょうから、それを掲げる事はそもそも出来ない相談でしょう。旗印は、理想であって構わないどころか、まさに理想そのものであるべきだと思うのです。理想は理想であって現実とは乖離しているのが普通ですが、かといって旗印を降ろしてしまっては、その人や国の存在自体の意味が失われてしまうでしょう。投稿者は、50代のある時期以降、自分の旗印を「環境」を含めたものに書き換え、それを掲げて人生のコースを方向転換してみました。その後に考えた事どもは、このブログに縷々書き連ねてきたつもりですが、2006年夏に投稿をし始めて10数年経過してしまいました。その間、旗印は変えたり、降ろしたりすることは無かった事はすこし胸を張れそうです。

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