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2018年4月27日 (金)

3431 製品ジャンル5

次いでエネルギージャンルについて考えてみましょう。エネルギーのジャンルとしては、大きくは再生可能型エネルギーと非再生エネルギー(いわゆる化石型エネルギー)に分けられます。前者、即ち使っても、自然が主に太陽光を使って再生してくれるものと、後者、即ち使えば目減りしてやがてエネルギーとしての資源が枯渇するものに分けられるのです。悪いことに、後者を使えば、例えば二酸化炭素や放射性廃棄物が排出され、それが地球環境、ひいては私たちの生活の質の悪化(例えば温暖化やPM2.5など)につながる事が、ほぼ証明され、世界中の人達もそれを認識する様になったのです。

具体的な、エネルギージャンルですが、前者としてはヒトの歴史の古い時代から使われてきたものがあります。木材などのバイオマスや水力や風力などです。もちろん、地域的に見れば温泉熱や自然に産するロウや植物油(動物油)なども利用していたでしょう。現代の再生可能型エネルギーは、基本的にはそれらを近代技術を使って効率化や大規模化を図ったものに過ぎません。

後者としては、不味い事にヒトは、歴史の中のある時期に燃える石(石炭)や燃える水(石油)を発見してしまい、更には物質の構造を変えることによる膨大なエネルギーの解放(核分裂や核融合)出来る事も理解してしまったのでした。化石型エネルギーの発見とその利用が始まったのです。これは、私たちの文明や生活を根底から変えてしまった発見でした。車で雨にも濡れずに馬より早く移動し、トラックで牛車より多くの荷物を運ぶ仕掛けが作られ、生活の中でも化石エネルギーから作られた電力を使って、快適で便利な生活を手に入れたのでした。

その意味で、再生可能型エネルギーについても、つい「発電」に注目が集まりますが、最終的に電力の形でなければならないのは、照明とOAと動力程度の筈なのです。実際のところは、エネルギーの多くは熱(或いは冷熱)の形で使われているのです。つまりは、冷暖房(空調)であり調理であり、工場でのプロセス加熱などを考えて貰えばすぐ理解できる話です。ある、家庭やビルの電力量を眺めれば、春秋に比べ夏冬が2倍以上になっている事は、請求書をチェックすれば一瞬で理解できるでしょう。それが、冷暖房にかかるエネルギーなのです。

ならば、熱は熱として再生可能型エネルギーで賄える範囲で賄えば、電力や化石型エネルギーは、取り分け地方では大幅に削減できる筈なのです。熱利用のエネルギー源を、化石型エネルギー(による発電)に依存したまま、徒に大型の太陽光や風力発電だけに頼るのは、やはり筋違いと言うものでしょう。まとまらないので更に続きます。

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2018年4月26日 (木)

3430 製品ジャンル4

移動手段についても考えてみましょう。投稿者は最近、「竟の車(人生最後の車)」を発注しました。もちろん最近の車は、オートマ車で何やら視覚センサーや安全ブレーキが装備されており、お金さえ出せば、高速道路で白線からはみ出さない機能などてんこ盛りですが、投稿者は敢えて一番プリミティブなMT車を選択しました。発進時にクラッチをミートさせるとか、速度に応じてギヤを選択するという運転操作は、実はかなりの運動能力を必要としますから、いわゆるボケ防止にもつながる筈なのです。

オマケに、車重はと言えばオートマ車に比べて50㎏(一人分)軽く出来ていますので、余分な目方を移動させる必要もありません。燃費は、加速時と自重と転がり抵抗の積によって支配されますので、もちろん自重が軽い方が有利でしょう。その意味で、車はもっと軽く作る事ができると思うのです。車メーカーには、もっと大胆に車の軽量化に取り組んで貰いたのです。最低限の動力や運転装置と、最小限の安全装置で、最軽量の車を実現して貰いたいと思っています。たぶんそれは、3輪のバイクに雨除けの車体を乗っけた様なスタイルになるだろうと想像しますが、過去には似たような例が見つかりますが、新しい車のジャンルと考えても良いでしょう。前二輪とするか、オート三輪の様に前一輪とするかは、操縦安定性と衝突時の安全性で判断すれば良いでしょう。

狙いは、軽量化による燃費の画期的な向上です。少なくとも、ガソリン1リッターで50㎞以上、出来れば100㎞も視野に入れて貰いたいものです。車の基本的な性能は、雨に濡れずにドアからドアへ移動したいという「基本的な欲求」に基づいている筈なのです。取り敢えずは安価な鉄でボディーを作り、実用的なレベルまで量産化が可能となったエンジンに、種々の快適装備を乗っけた結果が、小型車でも1トンを優に超えてしまうのが今の車なのです。それで数十㎏の体重の運転者や乗客を運ぶ訳ですから、如何に無駄が多いか分かるでしょう。単車だと二人乗りでも100㎏を超えても知れているでしょう。それに複合材で作られたキャビン付きの三輪にしたとしても、たぶん300㎏以下には抑え込めると思うのです。特に難しい技術に頼らなくとも、普通に作れば、燃費だって50/ℓ程には伸びる筈なのです。ここでは、三輪車と言う新しい製品ジャンルを提案してみました。

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2018年4月24日 (火)

3429 製品ジャンル3

メーカーの現状の情けなさについて言いっ放しでは無責任なので、来たるべき時代に投入すべき製品ジャンルに関して、想うところも考えてみます。製品(ハードウェア)ジャンルを考えるに、大きく分ければインフラ依存型と非依存型に分類できそうです。インフラ依存型とは、ガソリンスタンドや家庭用電源や携帯(スマホ)用の無線通信回線を使わなければ役に立たない製品群があります。そうではなくてそれを持っているだけで独立して使えて役に立つ製品、例えて言えば、太陽光や手動のダイナモで充電できるラジオや懐中電灯、或いは自転車や各種の工具や道具類、或いは携帯用音楽機器などが非依存型に該当するでしょう。

インフラ依存型は、インフラの充実と相俟って開発が進んできた筈で、逆に言えば災害などでインフラが寸断された場合には、無用の長物となる様なシロモノです。一方、非依存型は、使いこなすのに面倒で、多少の熟練やコツが必要ではあるものの、使い込むほどに所有者の愛着も湧いてくるというのが大きな特徴になりそうです。

さて、投稿者が推奨するのは、言わずもがなですが後者のインフラ非依存型製品で、何かしら人の基本的な欲求に強く訴えかける製品の提案なのです。所有する喜び、それを使いこなす喜びが感じられる製品が必ず提案出来る筈だと思うのです。その際に、必要な事は、いずれがより人々の基本的なニーズにより近いか、と言う吟味でしょう。テレビとラジオと新聞のいずれがよりプリミティブかを考えれば、それは自明でしょう。災害が起きた時、先ず復旧したのが、避難所の壁に貼られたお知らせ(壁新聞)であり、次いで比較的軽微な設備でスタート出来たラジオ(災害FM)であり、最後にテレビだった筈です。ならば、新聞に関わる人達は、メディアの変容による新聞の発行部数減少を嘆くだけの対応は改めなければならないでしょう。

今の新聞の形態が定着したのは、瓦版があったかなり古い時代に遡るのでしょうが、新聞の役割や面白さを見直せば、まだまだ面白いメディアであり続ける可能性だってある筈なのです。例えば、紙面の中に種々の情報をバーコードの形で埋め込んだ、タブロイド判かそれより小さいサイズの新聞はどうでしょう。人々は、バーコードにスマホをかざして、文字情報に加えて、写真や映像や音声データ等の追加情報を受け取る訳です。新聞は、情報社会のガイド役であり、入口役としての役割を担う事になるでしょう。つまりは、情報に関して言えば、PCやスマホの様にインフラにベッタリ依存するのではなく、紙媒体としての存在感を拡大させるという方向です。更に続きます。

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2018年4月23日 (月)

3428 製品ジャンル2

この国のメーカーからも、かつていくつかのヒット商品が生まれました。一時的なブームで終わらなかった定番商品として頭にすぐ浮かぶのは、SニーのWォークマンやHンダのS-パーカブなどですが(もちろん他にもたくさんありますが・・・)、それらに共通するのは、いずれも新分野を切り開いたという点と、同時にそれらが人々の基本的ニーズに寄り沿っているという点でしょうか。人々が、音楽を気軽に聞ける環境が整った時、彼らは「音楽を持ち歩きたい」と言う欲求を強く待ちました。しかし、その時代録音メディアとして最もコスパが良かったのは、磁気テープ(カセットテープ)であり、それを前提とした時にそのカセットとほぼ同じサイズのS社のテープレコーダが爆発的に売れたのは当然の結果だったでしょう。

一方、生活が豊かになるにつれ、人々の移動する機会は増えるものの様です。先ずは、買い物や物流、ついでレジャーや旅行などでの移動です。この国では、鉄道の歴史は古いのですが、パーソナルレベルでミニマムの移動手段は、自転車⇒バイク⇒車と言う順番でニーズ=市場も拡大していったのでした。そこに、起業初期のHンダが目を付け、原動機付き自転車(モーペッド)と言うジャンルを切り開いたのでした。もちろん、モーペットはHンダの発明品ではありませんが、それを大衆化したという点では功績は大きいでしょう。もちろん、ライバルのY社やS社やK社との切磋琢磨があった事は、この国のバイク産業にとっては幸運だったことは間違いありませんが、Hンダはカブの形態に拘り、未だにモデルを継続している事は超ロングテール製品と言う意味合いで驚嘆すべき事実でしょう。

今後、どの様な新製品が生まれるかは予測しようもありませんが、いずれにしても人々の基本的な、しかし根強いニーズに軸足を置かない事には、一発で終わりの「花火製品」に終わる事は明白です。そのためには、人々の日々の「困り事」に着目する必要があるのは言うまでもありません。「あれば便利」レベルの製品は、すぐ飽きられる事は自明です。一度手にしたら、二度と手放せないレベルを狙うしかないのです。その意味で、背景に携帯電話やタッチパネルと言った、要素技術が成熟しつつあったとはいえ、スマホの発明者であるS.Jブスの新分野開拓のセンスこそ、全ての開発者のバイブルとすべきものでしょう。

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2018年4月20日 (金)

3427 製品ジャンル

この国のメーカーが市場に投入する製品を眺めていて、気が付くことがいくつかありますが、その最たるものは、新しいジャンルの製品が少ない事でしょうか。投稿者が長く関わった航空機分野でも、M社のリージョナルジェットなどは、間違いなく「3匹目のドジョウ」を狙った製品でしかないと断ずるしかありません。既にCナダのB社や、BラジルのE社が手掛けていて、一定の市場を形成していた分野だからです。もし、この国が例えば70年代に、ターボプロップのYS-11に引き続いて、少し大型のリージョナルジェットを開発していたら、この国の航空機産業は、たぶんB国、欧州に次ぐ確固たる地位を獲得していた筈なのです。

Hンダのビジネスジェットは、デザインや性能で注目を集めて、それなりに売れてはいる様ですが、このジャンルにしたって、この国では過去にM社が性能の高いビジネスジェットを開発し、300機ほどは販売した実績もあったのですが、売り方やメンテナンス拠点の作り方に失敗し、結局ビジネス自体をB国のメーカーに売り渡してしまったのでした。YS-11にしても、ビジネスジェットにしても、時代がやや早過ぎたきらいはありますが、それにしてもこの国のメーカーは、「技術で勝ってビジネスで負ける」という轍を何度踏めば気が済むのでしょうか。

投入した時代が早過ぎたとしても、信念を持って取組み、「新たなジャンルを切り開くのだ」といった気概を持ち続ければ、本当にそれが新ジャンルになってしまう例も多いと想像しています。この国のメーカーも、他の国(欧州やB国の場合が多いのですが)で売れているものを手本にして、その性能や品質を高めてシェアを取りに行く、と言う作戦を放棄すべき時期に差し掛かっていると思うのです。航空機で言えば、リージョナルジェット(RJ)やビジネスジェット(BJ)ではなく、飛行場が不要な、水上機や飛行艇などを得意分野にして前に進めば、値段が高過ぎてRJBJが買えない途上国などでも、新ジャンルでのシェアが取れる可能性も高まる筈なのです。家電でも、車でも、世界がアッと言う様なジャンルの製品を開発してみよう、と言う気概のあるメーカーは、シュリンクしつつあるこの国の産業界からは最早出現しないのでしょうか。

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2018年4月19日 (木)

3426 航空機エンジン考

一日当たりで言えば、世界で10万便程が飛んでいると言われる旅客機ですが、旅客運賃低減競争に直接的にインパクトを与える燃費競争も激しく、日々改良や技術的チャレンジが進んでいる様です。いる様です、と書いたのは、投稿者は最早この業界の現役では、単なる傍観者だからです。燃費競争の中では、たぶんエンジンの改良に追うところが大であるのは間違いないでしょう。具体的には、同じジェットエンジンでありながら、かつてのエンジンと今のエンジンでは見かけからして別物の様に見えます。昔のエンジンは、エンジンの後ろから出る排気ガス(ジェット流)が推進力の大きな部分を占めていましたが、現在のエンジンはエンジンの前の部分にあるファンを回す事によって生ずる空気流(バイパス流)が殆どの推進力を受け持っているのです。従って、ジェットエンジンは小型機に採用され燃費も良いターボプロップエンジンに近い考え方に収束されてきた様なのです。さながら、ターボプロップエンジンでプロペラが何段にも重ねられ、それがエンジンダクトの中に納められたといった構成です。

またプロペラ(ファン)は、回転数を上げ過ぎるとスリップが多くなり効率が低下するので、出来るだけ大径にして、ねじり角を大きくし、低回転化を進める方が有利なので、高速化するガスタービン部との間に減速ギヤを入れる構成が主流になりつつあります。これをギアードファンエンジンと呼びます。さらに後段では、耐熱合金の性能向上に伴ってガスタービン部分の燃焼温度はますます上昇させ、高速回転化を進めていますので、これが熱効率の向上を更に後押してもいます。

しかしながら、これは製造技術や品質管理の上では、ますます困難の度を増し、リスクも大きくなってきたとも言えるでしょう。機体やエンジンに最も負荷かが掛かるのは離陸時と着陸時或いは、乱気流に巻き込まれた際ですが、設計条件が厳しい程、条件によっては部材がデッドゾーンに飛び込んでしまう可能性も増加してしまうでしょう。機体に対しては、軽く、しかし剛性が高いという矛盾する要求を、エンジンに関しては低速回転で大径のファン部とますます高温の燃焼温度と高速回転を要求されるタービン部との、これも矛盾する要求を同じ1本の軸上で実現しなければならない訳です。ですから、製造上の僅かな瑕疵が、エンジンブレードの飛散などという重大事故を引き起こすのです。安全性と性能とは、基本的には矛盾するものだと言うしかありません。飛行機に乗る際には、出来ればエンジンの真横の席には座りたくないものです。

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2018年4月18日 (水)

3425 バトルロイヤル?

最近のこの国のマツリゴトを眺めていると、何度目かの既視感に襲われます。派閥と野党が入り乱れて、リーダーの追い落としに熱中するという構図です。この環境ブログでは、マツリゴトは取り上げないルールを掲げていますので、深くは立ち入らず単なる既視感の表明に留めておきますが、ライバルの弱点を、週刊誌(もちろん誰かがタレこんだに決まっていますが)も巻き込みながら、叩き合うという作戦(椅子取りゲーム)に終始するという、例のパターンを何度も何度も見る事になります。いずれにしても、何時まで経っても「進歩の無い」人達ではあります。

既視感と言えば、世界情勢にも同様な既視感を抱きます。つまり、暴れん坊リーダーが座っている国を、寄ってたかって潰そうとする動きの事です。少し前ですが、例えばLビアやIラクと言った国が想い起されます。双方とも、核疑惑があり荒っぽいリーダーが軍をテコに独裁的に国を牛耳っていたのでした。さて、北の隣国のリーダーが簡単に白旗を揚げるか、或いは悪知恵を駆使して国際社会をかき回すのかは注目ですが、いずれにしても資源もあまりない小国ですので、今後とも十分な大国の後ろ盾が得られなければ、たぶん今の体制は長続きしないでしょう。

国内情勢にせよ国際情勢にせよ、あらゆる諍いは、人間の不信感や欲望の結果巻き起こされた「渦」であるのは間違いなく、小さな渦はやがて消えて無くなりますが、水面下の流れはまた新たな渦のタネを準備している事も間違いないでしょう。かつて、人々は部族や信条に従って、モザイクの様に分かれて暮らしていましたが、私たち人類は、地球環境が許容する人口レベルをとっくに超えてしまったと見るしか無さそうなのです。その結果、あらゆる価値観が入り乱れての、人と人、或いは人と環境のバトルロイヤル(少し古い言葉です)が繰り返される結果になるのでしょう。人と経済のグローバル化の加速は、その混戦に大量の油を注ぎ続けているのでしょう。今日は短く。

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2018年4月16日 (月)

3424 スタンダード(旗印)

このタイトルでの投稿は2回目かも知れません。さて、JISISOJASなどの頭文字でもおなじみの「S:スタンダード(Stanndard)」は、日本語では「標準」などと訳されていますが、本来の意味は軍隊などが先頭で掲げる「旗印」であった、という事はあまり知られていません。その割に、この言葉は、たとえば「国際標準(グローバル・スタンダード)」と言った言葉の中に、さも昔から決まっていた「標準」であったが如きの文脈で使われ続けてきました。ISOは、確かに各国から集まったISO委員が、長い時間を掛けて話し合って決めた国際「標準」なのでしょう。しかし、マスコミなどで使われる文脈での国際標準とは、例えばB国標準であったり欧州標準に過ぎない場合が殆どだと見ています。

では、この国のスタンダードは何であるかと考えてみても、にわかに思い当るものはないのです。伝統的な価値観だと思われている仏教でさえ、輸入宗教の一つに過ぎないですし、八百万の神々を敬う素朴な神道イズムでさえ、ある時期以降は軍や極右の思想と融合し、色濃く染められてしまったではありませんか。阪神や東日本の大震災で、せっかく生まれかけた「絆」や「結」と言った互助の風潮も、結局この国の文化の深い場所に根付く事もなく、やはり人々の日々の注目はグルメや景気の行方や政治ごっこやスポーツの結果程度にしか集まっていない様に見えます。

その人やその国の人々の価値観は、結局のところ掲げるべき「旗印」によって決まってしまうと思うのです。たとえ、それが「本音」ではなく「建前」だとしてもです。言わずもがなですが、もし人々や国々が本音を旗印にして進むとなると、恥ずかし過ぎるか危険過ぎるでしょうから、それを掲げる事はそもそも出来ない相談でしょう。旗印は、理想であって構わないどころか、まさに理想そのものであるべきだと思うのです。理想は理想であって現実とは乖離しているのが普通ですが、かといって旗印を降ろしてしまっては、その人や国の存在自体の意味が失われてしまうでしょう。投稿者は、50代のある時期以降、自分の旗印を「環境」を含めたものに書き換え、それを掲げて人生のコースを方向転換してみました。その後に考えた事どもは、このブログに縷々書き連ねてきたつもりですが、2006年夏に投稿をし始めて10数年経過してしまいました。その間、旗印は変えたり、降ろしたりすることは無かった事はすこし胸を張れそうです。

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2018年4月13日 (金)

3423 開発と言う名の破壊

「環境カウンセラー事務所」を開設し、勝手に環境カウンセラー業となって以降15年ほどが経過しました。想い起せば、1960-70年代にいわゆる「公害事件多発時代」を目撃し、その後の地球規模の環境悪化が指摘され続けてきた時代と共に歳を重ねた身としても、「環境」と言うキーワードは、既に体の一部になっている様な気もします。私たちの感覚では、自分と言う人間が居て、それを取り囲む形で環境があると思っていますが、Y老孟司が「自分の壁」の中でも指摘している様に、自分=環境と言う認識が正しいと、投稿者も賛同しています。

自分の体を構成している、原子や分子や細胞のどれ一つとして、自分で創り出したものなど無く、全ては環境からの「借り物」である事に異を唱える事は出来ないでしょう。しかし、悲しむべき事に私たちは、開発と言う名の下で、如何にすさまじい規模で環境を破壊し改変しているかに気付いていないのです。新しい道路を通すには、先祖伝来の美田をつぶし、里山を削ってその土で谷を埋め、或いはトンネルを穿ち、橋を架けるでしょう。その全てが、環境の破壊であり改変である訳です。その意味で、今の家を建てる際には、結構悩みました。と言うのも、買った土地が田んぼを埋め立てた土地だったからです。埋め立てられる前から、その土地は耕作放棄地で草ぼうぼうだったことは知っていましたので、少しだけで済みましたが、やはりココロは痛んだものでした。

私たちが、何か行動を起こしたり、或いはモノを作ろうとすれば、必ずや環境に何らかの変化を与えずには置かないのです。車を少し走らせただけで、人間が呼気から出す量の、何ケタも大きな量の莫大なCO2を排出してしまうでしょう。ましてや、それが旅客機である場合は更に2桁くらいは大きな量となる筈です。歩いたり、自転車で移動しない限り、私たちは地球大気の組成を改変しながら移動を重ねることになるのです。もちろん、環境改変を全くストップさせる事は、人が生きている限りは不可能です。生きていくだけで、少なくとも屋根の下に住み、衣服をまとい、食糧を口にし、排せつをする必要はあるからです。しかし、環境改変を最小限に留める努力は不可欠でしょう。そうでなければ、私たちの子孫の生活の質が著しく劣化せざるを得ないからです。現世代のエゴは、出来る限り抑え込んでしまう必要があります。それが、このブログの一貫したテーマでもあるのですが・・・。

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2018年4月12日 (木)

3422 負の遺産

「遺産」には、もちろんそれを受け取る子孫にとっては、何かしら棚ぼたの様なプラスのイメージがある筈のものです。労せずして、親や親族が残した財産(や権利)を継承できるからです。しかし、考えてみれば遺産はプラスのものだけではありません。それが「負の遺産」です。瀬戸内海の真ん中に懸けた瀬戸大橋が、架橋後30年を経過したそうですが、鉄で出来ているこの構造物は、残念ながら年々劣化が進んでいる筈です。少なくとも鉄は放っておけば錆びる素材だからです。それを食い止めるためには、錆が出たらそれを落として、ペイントを塗り直さなくてはなりません。いわゆるインフラのメンテナンスです。適正なメンテナンスのためには、設備やインフラには、毎年取得価格の2-3%の費用を掛ける必要があると言うのが常識です。瀬戸大橋の寿命を何年に設定しているのかは承知していませんが、100年以上も維持することは多分無理でしょう。

見回してみれば、私たちの周りは先輩や自分達が関わって、作ってしまった遺産に取り囲まれている事に気が付きます。高速道路、鉄道、橋梁、トンネル、港湾施設、各種のプラント、原発を含む発電所・送電網、ダム、河川工事云々かんぬんです。しかも、それらのインフラは、皆結構なお年頃になってメンテナンス費用の嵩む年代に差し掛かってもいるのです。問題は、多くのインフラは建設時にはメンテナンスの事など殆ど考えられずに設計され、建設されているという点です。メンテナンスは、それが出来てから改めて考えるという後追いになっている訳です。それも当然で、建設時の積算費用にはもちろんメンテナンスのための仕掛け(例えば点検用の足場)は、コスト競争に勝つためには除外せざるを得ず、それは使用者が運用の中で考えるべき事項に押し込まれてしまっているからです。

前出の長大橋にどれだけメンテナンスのための仕掛けが施されているか、詳細には知りませんが、もし橋げたの下部の点検・補修のために仮設の足場を掛けなければならないとしたら、海上部だけで10㎞もあるこの橋の場合、その費用だけでも天文学的な金額になる筈なのです。その費用は、メンテナンスに関わる世代へ、先輩世代から贈られた「負の遺産」の典型例と言えるのです。架橋による便益は、今の世代が受取り、崩落しない様にお守りをする費用を次世代に先送りする、といった例の何と多い事でしょう。もちろん、原発はその極端な例である事は論を待ちません。出るのはため息だけ・・・。

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2018年4月11日 (水)

3421 文明の逆転

この歳になると、やはり自分の歩いてきた道と、それを取り囲んでいた時代を振り返る事も多くなってきました。その中では、時代や文明は前に進むものであって、基本的には逆戻りはしないものである、と言った風潮が支配的であった様な気がします。先の戦争に負けて以降、戦後の焼け野原から出発したこの国は、B国の核や軍事力の傘の下で、彼らの顔色を見ながら、ひたすら経済力を高めるために注力すれば良かった時代が長く続きました。その「根性」は、現在でも色濃く息づいているとも言えるでしょう。この国のリーダーの「B国と完全に価値観を共有する・・・」と言った発言にもそれは読み取れます。すぐ北の隣国との関係を考える際に、先ず遠く太平洋を隔てた国の意向を確認しなければ、何も進められない情けない国だとも言えるでしょう。

今読んでいる新書にF沢諭吉の「文明論之概略」が取り上げられていますが、明治の初期に、彼が文明や国(体)について巡らせた思索の余りの深さに驚嘆させられます。ぜひ原文を読んでみたいと思ったものでした。その中で、F沢は文明とは国の独立を保証するための「手段」ではあっても、決して目的ではないと言い切っているのです。文明と言う言葉を、例えば経済や科学・技術や政治と言った言葉に置き替えても、彼の指摘は全く当てはまると思うのです。つまり、私たちはこの国を、鎖国状態の極東の島国から、海外に向けて開いて以降、殆どの時代に置いて、海外の文明を取り入れて、それを丸呑みする事に熱心であり続け、それを消化・吸収する努力を怠ってきたのだ、と断ずるしか無さそうなのです。

投稿者が生きてきた戦後の60数年に限って考えても、長く勤務した某重工でも戦後は殆どの分野で技術導入を行っての「ライセンス生産」から始め、その中で生産技術を養って、やっと今日の立場を確保したのでした。しかし、生産技術の改良は言わゆる「カンバン方式」の高みに到達さえたとはいえ、結果としてこの国から何か世界にインパクトを与える画期的な新原理や新技術なりの発見・開発があった訳ではなく、単なる「改良」に留まってきたことは銘記すべきでしょう。私たちは、明治以降の「文明開化?」の歴史を紐解き、必要によってはそれを巻き戻して、不味かった点を反省し、出来れば正しいピースに差し替えなければならないとも思うのです。文明(科学や経済や政治の仕組み)は、手段ではあっても決して目的ではない。目的は、たぶん「より正しかろう価値観を持った独立国となる」事にあるのでしょうから。

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2018年4月10日 (火)

3420 着地点2

何事にせよ始めるのは楽で、終わらせるのが難しいのは日常的にもよく経験する事です。例えば、自分の人生が間もなく終わるとして、それまでに契約している保険やローンや各種の加入案件を、短い期間でピリオドを打つのは至難のワザでしょう。最近「終活」と言う言葉が注目されていますが、今の社会が急に終わる訳ではないでしょうから、少なくとも全ての社会状況が安定する着地点を見定める「着活?」は今から始めておかないといけないのだと思います。

日本の人口ピラミッドを眺める限りにおいては、団塊世代と団塊ジュニア世代の突出を除けば、1年代当り大体100万人前後の出生で落ち着きそうな感じがします。それらの人が、80数年前後生きるとして、事故や病気もあるでしょうから、たぶんそんな時代の(安定)人口は、5-6千万人前後で推移すると想像できます。もちろん、人口当たりのGDPを考慮すれば、この国の経済力の順位は、たぶん10位前後かそれ以下に落ちてしまう事になる筈です。しかし、たとえそうではあっても、私たちが狙うべきは量より質であるべきだと思うのです。

さて、幸福度の問題です。ヒマヤラの麓に、国民の幸福度世界一と言う国がありますが、この国も一度物質的には頂点を極めた先進国の一つとして、エネルギーや物質を必要最小限レベルまで下げた上で、国民の幸福度はどこまで高められるか、と言う実験がたぶん必要なのでしょう。それによって、この国の、そして多分今の文明の着地点も少しは見えてくる筈なのです。物質(≒お金)やエネルギーは、基本的には人々の暮らしを安定させ、楽(快適)にするために使われてきましたが、今やそれらは「手段」としてではなくそれ「自体が目的」になってしまった感さえあるのです。つまり、原発が安定的なエネルギー源として位置づけられた時代は確かにありましたが、原発推進派にとって、今や原発の存続自体が目的になってしまった、というのがその一例として挙げられるのです。私たちは、一体何処の地平に着地できるのでしょうか、それとも無理やり飛び続けて、最後は大地に叩きつけられる「ハードランディング」しかないのか、このブログでは引き続き考えていきます。

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2018年4月 9日 (月)

3419 着地点

これは多分愚痴になるでしょう。今から10年ほど前、このブログのごく初期の頃、今の(石油)文明を飛行機に喩えて、飛び立った飛行機は有限の燃料の続く限りは飛び続けられるが、最終的には着陸しなければならない、と書いた様に記憶しています。これは、投稿者が若い頃読んだ、ローマクラブの「成長の限界」に影響を受け続けている投稿者の憂慮を表したものでした。あれから10年を経過して、その憂慮(心配)はますます強まっていると振り返っています。

心配の最たる点は、この国のマツリゴトを行っているリーダー達の劣化です。リーダー達とは決して政治家だけを指すのではありません。高度成長期においては、政治のトップに誰が座るかなどあまり問題ではなく、力のある官僚がしっかりした計画を立て、政治家(屋)はそれに乗っかってさも舵を取っている様な風を装えば国は前に進んでいたのです。この時期の計画は楽でした、世銀から借金をしてでもインフラ投資を行い、民間には利子補給をしながら経済を鼓舞し、景気の良さを煽り立てれば、団塊の世代がこの波に乗ってサーフィンをしていた時代だったからです。然るに、今の体たらくです。政治家は、国会の場を使って、さながら小競り合いの如き「何とか問題」での責任のなすり合いを繰り返し、官僚は尻尾を出さない様に(良い天下り先を得るために)保身に汲々とする、嘆かわしい時代になってしまった様なのです。

難しいのは、入口政策ではなく、出口政策である事は論を待ちません。何本だかの矢を放ったとしても、そのストーリーの完結編を書かない事には、やりっ放しの無責任の誹りは免れないでしょう。結局この国の最大の心配事は、少子高齢化の人口減少社会となっての、社会の着地点が全く見えない点なのです。リニア新幹線が開通しても、国民全体の幸福度を上げるとはとても思えませんし、観光客が4千万人来訪したとてもそれは同じでしょう。マツリゴトのリーダー達(ここでは高級官僚を指します)は、それぞれの分野において、国家百年の計を示し、それに向かってのステップとしての中短期計画を引いて貰いたいのです。政治屋は別として、政治家には単年度の予算の使いみち、ましてや「何とか問題」に徒に1日何億だか掛かる国会の時間を費やすのではなく、もっと国の行く末についての議論を深めて貰いたいのです。投稿者としては出来れば、「着地点国会」を開いて貰いたいくらいなのです。たぶん、そんな望みもこのブログの「独り言(愚痴)」に終わるのでしょうが・・・。

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2018年4月 7日 (土)

3418 省エネ技術・今更ですが2

3417でも言及した様に、エネルギーのベストミックスを云々する前に、先ずは省エネこそが最重要課題でしょう。その中で、住宅や建物の冷暖房に関わるエネルギーをもっともっとやり玉にあがるべきでしょう。通常、この国の家屋やビルのエネルギー消費量を1年間に亘って観察すると、間違いなく夏と冬に大きなピークが立つことが分かるでしょう。春と秋には、冷暖房負荷が殆ど無視できるので、そこからのエネルギー使用量の立ち上がりは、夏は冷房、冬は暖房にかかる負荷である事は自明です。何故、冷暖房負荷が大きくなるかは、結局は建物の断熱性能の低さに還元される筈なのです。もし、魔法瓶の様に完ぺきな建物があるとすれば、夏場に建物内の気温を上げるのは、換気で外から入れる空気と人の出入りの際に一緒に入ってくる熱気だけになる筈です。

従って、冷房負荷は外から持ち込まれた熱量を追い出すだけの微々たるエネルギーで済むでしょう。換気の際に、熱交換型の換気扇使えば、殆ど無視できる程度の小さなエネルギー負荷で、快適な居住空間が実現できるのです。然るにこの国の建物の粗末な事と言ったら・・・。薄い壁、単板ガラスで熱が自由に出入りする窓、日射熱や室内の暖気が出入りする屋根、湿気を抜くために開放的な床下も冬は外気と同じ程度まで気温が下がるのです。かくして、夏は熱く焼けた外壁や屋根(天井)、冬は床面も含め、部屋を構成する部材全てが10℃以下に下がる建物構造の所為で、私たちは莫大なエネルギーを冷暖房に費やす事になる訳です。

最近のこの国家屋は、長くて50年のサイクルでスクラップ&ビルドを繰り返している訳ですが、建屋コストを1-2割アップさせるだけで、冷暖房負荷を2-3割下げることは十分実現可能でしょう。更に断熱のためのコストを掛ければ、冷暖房負荷を今の半分以下に圧縮する事も問題なく実現できる筈なのです。見てくれだけを良くした、薄壁住宅がこの国の省エネを妨げる元凶だと断言しておきましょう。

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2018年4月 3日 (火)

3417 省エネ技術:今更ですが・・・

どんな団体かは知りませんが、D力広域的運営推進機関(OCCTO)の予測によれば、2021年にはこの国の予備電力率8%が確保できない状況になるのだとか。この報告が誰に向けてされたものかは承知していませんが、どうせ原発推進派が「再稼働やむなし」のムードを高めるために利用されるだろうことは容易に想像できます。その報告書を読んではいませんが、もしその結論が「もう一段の省エネが必要」となっているのであれば、OCCTOを評価する事は吝かではありませんが、そうでなく単に危機感を煽っているだけであるなら、きっと天下りの受け皿となる業界団体の一つに過ぎないのでしょう。

さて、投稿者は省エネ指導を仕事のカンバンに掲げていますので、上の報道に接して、ここで再度省エネの重要性に言及しない訳には行きません。省エネ(=ネガワット)の最大のメリットはと言えば、そのための投資が(殆ど)不要であるという点です。また、発電所を増設したり、再稼働のための安全設備の増設などを実行するためには、莫大な投資と工事期間が必要ですが、省エネは決断さえすれば、あまり役に立っていない照明や設備のスイッチをポンと切るだけで、瞬間的に実行可能なのです。

原発再稼働を回避するためには、先ずはピーク電力をカットする事が肝要です。発電所の規模や送電線の容量は、ピーク電力(たぶん夏場の晴天の日の昼下がりに発生)に合せて準備されますので、これをカットできれば、予備電力の余裕も生まれてこようと言うものでしょう。盛夏の電力ピークは、間違いなくガンガン使っている冷房機の電力消費によって生じていますから、それをカットするためには、いくつかの工夫や努力や少しの投資も欠かせないでしょう。冷房効果を上げるためには、建物の断熱や遮熱は必須です。建物の改修には大きな投資が必要ですが、遮熱シートや遮熱ペイントならば、メンテナンス費用の一部としてカウントできるでしょう。冷房機(エアコン)の冷媒にも工夫の余地があります。フロンより少ないパワーで圧縮できる炭化水素系の冷媒が普及すれば、それに入れ替えるだけで2-3割の省エネが実現できる筈なのです。蓄熱(蓄冷)も省エネやピークカットに効果の大きい技術でしょう。負荷が小さい時に、熱や冷気を蓄積しておき、必要な時間帯にそれを放出する訳です。たぶん続きます。

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2018年4月 2日 (月)

3416 超高齢化社会

投稿者が今住んでいるA田県は、少子(人口減少)高齢化社会の「トップランナー県」なのですが、最近の予測では、人口減少と高齢化に更に拍車が掛かり、2040年前後には高齢者の割合が、なんと50%を超えるのだとか。住人の二人に一人が65歳以上という社会は、なかなか想像できませんが、人口ピラミッドで今生きている人達の状況は変えようがありませんので、この予測は実際にも当たってしまうのでしょう。

もちろん、その時期まで投稿者が生きているとは思えませんが、予測はどうにも変えられないにしても、今から何らかの対策は考えておかなければならないのでしょう。さて、どう考えるかですが、少子化にはある程度の歯止めが掛かるにしても、姥捨て山でもない限り???、高齢化は医学の進歩もこれありで、ますます加速すると想像されます。その様な時代に必要な事こそ、「生涯現役」というキーワードでしょう。ピンピンと生き、コロリと居なくなるのが理想なのでしょうが、ヨロヨロしても良いので、或いは這ってでも、死ぬまで自分の力で動ける状態を維持するしかないでしょう。そのために、年寄りこそ「肉をほおばり」、活動的に動き回って、死んでも?ロコモティブシンドロームに陥る事を阻止しなければならないのです。

年寄りが寝込むきっかけは、多くのケースで転倒し、足を骨折してしまう事ですが、その対策は喫緊の課題でしょう。骨の再生を助けるサプリや食材の提案、更に骨に振動や適度な衝撃を与えて骨密度の低下を妨げる運動や機器の開発などなど、活動レベルを低下させない仕組み作りが不可欠です。

同時に、(僅かな額でも収入につながる様な)高齢者の働く場が絶対に必要です。その仕事やサービスは、それを受ける側から感謝されるものである必要もあるでしょう。いくつかの例を示すなら、例えば公園や街の清掃作業が考えられます。また、公園や街路の緑化維持・推進なども良い仕事になる筈です。田舎においては、異常な勢いで増加し続ける「空き家」や「耕作放棄地」の再生も重要な仕事になり得るでしょう。建物構造が寿命を迎えているのであれば、解体もやむなしでしょう。筋肉労働において、高齢者の弱った体力を補完するためには、素人でも扱える重機やロボットスーツの開発も必須でしょう。

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2018年4月 1日 (日)

3415 超ロングテール製品

B社のB737型旅客機の引き渡しが既に10,000機を超え、総受注数では14,000機を超えたとか。この世界では、500機程度を売り上げれば、開発費が回収でき、それ以上の売り上げで、徐々に利益が出ていくと言われており、数千機を売り上げれば、成功プロジェクトと評価されるのです。B737は、当初短距離機、いわゆるRJとして開発されましたが、特徴はそれ以前の機体の設計を生かす形で、単通路ながら336列キャビンとした事でした。いわゆる胴が太い寸胴タイプで、従って燃費もあまり良くなかった筈です。しかし、結果として、その後のエンジンの低燃費化、胴体延長型や長距離型の派生型機のラインアップで、顧客のニーズに応えて来たのでした。

その後、見かけ上は同じでありながら2代の代替わりを経て、設計的には全く異なる新世代のNGタイプへと進化を続けたのでした。今では、LCCが多用するやや大型のRJタイプから、200数十人が乗れる中型領域の機体、更には200人程度を乗せて、大陸間を行き来できる長距離タイプまで品ぞろえを増やした結果、最初に述べた様に「超ベストセラー機」となったのでした。

しかし、ここで強調したいのは、この機体は開発されて以降、数多くの改良や新設計を繰り返しながら、50年以上の長きに亘り第一線の機体として売れ続けている「超ロングテール」製品でもあるという点です。例えば、‘70年代を代表する旅客機でもあるB747B767などは既に製造中止に追い込まれていますし、AアバスA300シリーズを除けば、競合機種は全て市場から駆逐されてしまったのです。ロングテール製品に育てるには、非常に粘っこい努力が必要である事は言うまでもありません。それは、例えば家電や車などの耐久消費財や更に言えば日用品や加工食品の世界でも同じでしょう。○○と言えばXXといった様な「商品イメージ」をユーザーや消費者に植え付ける事に成功した製品・商品のみがその栄冠を手にする事ができる筈です。新製品の開発合戦も結構ですが、(高齢化した)消費者の目が肥えて、成長率も低い成熟した今後の市場で狙うべきは、「超ロングテール製品」以外あり得ないでしょう。その意味でB737は理想的なお手本と言えそうです。

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