« 3454 休題(戦後民主主義) | トップページ | 3456 休題(平和ボケ) »

2018年6月 7日 (木)

3455 休題(見ない事に)

休題が続きます。この国の人々に通底する性癖として日頃感ずる事があります。それは、3454で述べた(特に政治的)無関心です。つまり、自分の利害に直接的に関係する事柄には、当然の事ながら興味を示しますが、そうでないものには極端過ぎる程無関心かあるいは無関心を装うのです。それが、古の時代からの習い性なのか、或いは長年の鎖国の時代の遺物なのか、或いは民族性なのか、正確な事は分析はできませんが、間違いなくその傾向は指摘できるでしょう。

それがどこから来るものなのか、私たちはよくよく考えてみる必要があると思うのです。この国では、戦前は軍の支配のもと(もっと古くは封建支配者のもと)、戦後はいわゆるGHQの支配の下、私たちの行動や言論はコントロールされ続けても来ました。その中で、人々は目立たない様に振舞うには、マツリゴトに無関心になるか無関心を装うしかなかったのでしょう。しかし、最初は意識しての表面上の装いであったにしても、装うにもそれなりのストレスを感じた筈なのです。しかし、それが無意識の「習い性」となれば、人々はストレスも小さく暮らせるようになるのでしょう。

その意味で言えば、私たちの社会は、「国体論」で、S井も指摘する様に、古の頃から今も変わらずに、何らかの支配社会であるのかも知れません。S井は、国体論の中でこの国の国民を「気の狂った奴隷」とまで呼んで蔑みますが、声なき被支配者はやはり「奴隷」と呼ぶしかないのかも知れません。

この国は、戦後70年以上も経過しているとはいえ、今日に至ってもB国の呪縛の中で動かされているとしか思えない政治の局面を頻繁に目にします。例えば、この国のリーダーは、リーダーになった途端(間髪を入れず)に訪米している筈です。そこで、B国のリーダーとの会見で、見かけ上の、First name bassisで呼び合う事を確認してやっと、帰国してからのマツリゴトに安心して取り組める立場に納まるのです。もちろん、移民の国であるB国では、自己紹介の後は誰とでもFirst nameで呼び合う暗黙の前提なので、それが国のリーダー同士の関係であっても同じになるだけの単純な話なのですが、Sンタローなどと下の名前で呼ばれた瞬間に、この国の人達は、何か特別に親しくなった様な錯覚に陥る様なのです。

さて「見ない事に」です。特に戦後の人口ピラミッドのコブである、いわゆる団塊の世代は、生まれてから現在に至るまで、大勢の同世代の人達の中で、One of them.という立場に、あまりにも馴らされ過ぎたと言うしかないと思うのです。その世代を、すぐ後から追いかけてきた投稿者には、それが痛い程理解できるのです。しかし、この国で相変わらずのマンパワーを持つ世代は、このまま黙して時代から消える訳にはいかないとも思うのです。奴隷から脱するためにも、声を上げて行動を始めるしかないのです。

|

« 3454 休題(戦後民主主義) | トップページ | 3456 休題(平和ボケ) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 3455 休題(見ない事に):

« 3454 休題(戦後民主主義) | トップページ | 3456 休題(平和ボケ) »