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2018年6月16日 (土)

3462 刹那的社会

最近のニュースを眺めていると、背景が浮き上がってくるような気がします。キーワードとしては、「あまりに刹那的」でしょうか。つまり、前後の見境なく行動してしまって、様々な事件を引き起こすのです。ムシャクシャして、或いは収監されたいからという理由だけで人を殺傷する、社会に大きな混乱を与える形で自ら命を絶つ、僅かな金品を奪う目的で必要も無いのに相手を傷つける、ちょっとした事に腹を立てて危険な煽り運転を繰り返すなどなど、一体この国はどうなっていくのだろう、と心底心配になる事件が頻発しているのです。

それよりなにより、日々報道される世界情勢や国内のマツリゴトだって、決して自慢できるものではないでしょう。何より鼻につくのは、リーダー達の自画自賛です。痛いところを突かれれば、全く同じ言い訳を何度も繰り返す一方、少しでも手柄らしきものを立てれば、針先の様な中身でもを棒や大木の様に喧伝するのです。そして、いわゆる世論調査による支持率に一喜一憂し、それを1%でもアップさせる事に汲々とするのです。その際には、過去の野党の状況と比較し、少しでも上回っていれば、さも自分の代になってからの手柄の様にひけらかすのです。

刹那的と別な言葉で言い表すなら、動物的あるいは幼児的と言っても良いかも知れません。動物も、幼児も「今を生きる存在」だからです。どちらも、過去の自分を振り返ったり、或いは10年後の自分を想像して、今の行動を軌道修正する事などできないのです。情勢は、時々刻々変わります。その中に居て、10年一日の如き、産業の活性化と経済成長や景気対策しか口にしないリーダーを支持は出来ません。政治家なら、先ずは国家百年の計を論じて貰いたいものです。その上で、バックキャストした結果、今何を為すべきかを考えて行くべきでしょう。もちろん、百年後にどれだけの経済規模にしたいかなどという「低次元」の計では意味がありません。それは、国民の価値観や幸福感や達成感の問題であるべきなのです。

経済的に豊かになった結果、ほぼそれに相関する様に刹那的になったのだとすれば、私たちは額に汗して働いて、幸福度としてはマイナスの方向に走ってきたのかも知れないのです。必要な事は、立ち止まって足元を見つめてみる事でしょうか。その上で、視線を50年後100年後に向けて、この国を、ひいては世界をどの様な社会にしていきたいのかを、いま真面目に議論する必要があると思うのです。

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