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2018年8月13日 (月)

3489 休題(遠征雑感)

仕事出張のついでの、栃木・群馬の山遠征で感じた事を少しまとめてみます。今回、栃木の男体山から始めた遠征では、改めてこの国の山々が、激しい火山活動で形造られてきたことを強く感じました。コニーデ型の男体山と、火山活動の結果谷がせき止められて中禅寺湖が出来、華厳の滝が現れた古代の激しい景色を想像すると、ある種の感慨を禁じ得ません。引き続き登った、奥白根山でもやはり粘性の高い溶岩で出来たと思しきドーム型の山頂とそこに出来た爆裂の跡は印象的なものでした。

一方で、今回最後に登った至仏山では、山が出来てからそれが自然の中に同化していった姿を見る様で、尾瀬ヶ原と共に植物・動物が、岩だらけの自然に入り込んで行った様子が興味深かったです。最初は胞子で増えるコケ類やシダ類が、次いで鳥たちが種子を運んでくれた高山に適応できた植物たちが根を張り、やがてそこに昆虫や小動物が暮らす様になったのでしょう。そこに、何万年の月日が流れたのかは知りませんが、いずれにしてもヒトの歴史よりは十分に長い期間である事は間違いありません。

高い山々は、冬に深い雪を戴き、それが水源となって作物が水を必要とする初夏まで里に水を供給し続けます。しかし、近年の極端な降り方をする雨は、それらの雪(雪渓)を急激に減らし、山間の棚田でも渇水の危機に瀕する事も多い様なのです。やはり、地球全体の気温が上昇した結果、大気中の「絶対的な湿度」が上昇した事にその原因があると見るしか無さそうです。遠征の途中に出会う、道路脇の小規模な沢の崩落を目にするにつけ、ちっぽけな人間に何が出来るのだろう、と考え込んでしまいます。

雄大な自然に分け入るという事は、改めて自分の(人間の)ちっぽけさを実感する体験でもあります。大自然の大きさと、それを形成した悠久の時間に比べ、人間の非力な事と、長くても百年弱の人生を比べてみる時、人間はもっと謙虚に、自然に同化する形で暮らさなければ、と改めて感じた短い遠征でした。

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