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2018年9月29日 (土)

3506 H・O・C・N 

この地球上の生き物にとって重要な元素を挙げれば、たぶんこの4つになるでしょう。炭水化物もタンパク質も基本的にはこれらで構成されているからです。しかも、これらの元素は比較的原子量が小さく、しかも他の元素と結びつき易く、結果として水圏や大気圏を比較的早いサイクルで循環もしています。例えば、水素と酸素と窒素は、前者は液体(水)として、後者は大気中で約2割と8割と大きな割合を占める気体として大量に存在し、かつ循環しています。炭素については、木材や古くは太古に固定された「化石燃料」として地上や地下に大量に存在し、一方で大気中にはCO2として微量(400ppmを少し超える程度)含まれ、しかし光合成の原料として活発に循環を繰り返してもいます。

動物に関して言えば、朝に食べ物として取り込んだ炭水化物は、昼間の活動によってかなりの部分が呼気の中のCO2として、大気中に放出されているでしょう。その呼気を草や木や作物がその日の内に取り込んで、再度利用しているかも知れません。一方で、窒素Nは大気中に多量に含まれてはいますが、そのままでは植物も動物も直接的には利用できません。植物が利用するためには、それを根から吸い上げる事ができる様に、例えば水に溶ける硝酸態窒素としてから取り込む必要があります。取り込まれた窒素はタンパク質として固定され、それを昆虫や動物が食べて自分の体の材料や遺伝子やホルモン様物質として利用しているのです。

しかしながら、今私たち人類は、これらの元素の「自然の循環」に介入し、それをかき乱している様に見えます。例えば、化石燃料の使い過ぎによるCO2増加により、海水中や大気中の割合が急増しています。同時に、結果として進んだと思われる温暖化で、例えば広大なツンドラ地帯の凍土が夏場に溶解し、そこに含まれている膨大な量の有機物が分解され、例えばメタンガス(CH4)やSxNxとしての窒素酸化物として大気中に放出され続けてもいるのです。私たちは、これらの物質の循環バランスの崩れともたらされる結果に関してはまだ十分な知見を持ってはいないのです。残念ながら。

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2018年9月27日 (木)

3505 CO2濃度

地球環境におけるCO2濃度も、とっくに400ppmを突破し、上昇を続けていますが、今日は私たちが呼吸する室内や自動車内などのCO2濃度の話題です。さて、屋外では400ppmを少し超えた程度のCO2濃度も、密閉された室内や空間では、実は人間の呼吸によって、CO2濃度は増加を続けるのです。例えば、比較的狭い会議室に10人ほどの人が集まって会議をする場合、会議室内のCO2濃度は、あっという間に1,000ppmを突破し、長い会議では2,000ppmを超える事も珍しくは無いでしょう。ましてや、冬場に室内で石油暖房機で灯油を燃焼させている場合は、事務所全体が2,000ppmを超える濃度になっている可能性が大なのです。

CO2濃度が、2,000ppm前後に上昇すると、実は人間の生理状態に大きな影響が出てきます。直接的には、体の代謝が不活発にになり、眠気を催します。退屈な会議や授業で、居眠りする人が多くなるのも仕方がない事だと言えるでしょう。CO2の上昇により、脳としてはさながら入眠状態に相当する状態に移行しようとしているのです。車の事故がどの位の割合で「居眠り運転」に起因するものかは手元にデータがありませんが、間違いなく多くのケースの原因になっていると想像しています。先行車の排気ガスの臭気が不快であるとか、冷暖房効果が悪くなるのを避けるために、多くの人が空気を再循環(Recirculation)に設定している人が多いと思いますが、最近の車は密閉性が良いので、室内のCO2濃度はかなり上昇している筈です。ましてや、複数の人が乗車している場合は尚更です。ドライバーに2時間を目安に、休憩を推奨しているのも、ドアを開ける事によって室内空気のCO2をリセットする意味もあるのでしょう。

CO2は、大気中には僅か0.1%以下しか含まれてはいない気体ではありますが、植物の光合成の原料?として直接的に関わっているのは当然としても、温暖化にも私たち動物の生理現象にも大きな影響力を持っているのを忘れてはならないでしょう。

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2018年9月22日 (土)

3504 命の重さ(若者チュー)

人の命は地球より重い、と言ったのは誰だったでしょうか。それにしても、最近の命の軽さには深く考え込まざるを得ません。若い人が交番を襲撃した理由が、自分が撃たれて殺して貰いたいから、と供述するに至っては、発すべき言葉を失ってしまいます。地震や水害や交通事故で、将来ある子供や若い人が亡くなるに至っては、惜しくて惜しくて身悶えてしまいます。ましてや、交通事故を引き起こした人が、運転をすべきではない年齢に達していた場合、二重の意味で残念に感じます。何も、そこまで生きて人を殺さなくても良かったのに・・・、と言った残念さです。命の重さがますます強く叫ばれる現代社会で、実際はその重さが逆に年々軽くなっていると感じているのは、投稿者ばかりではないでしょう。

さて、そうなっている理由は一体何なのでしょう。一つの理由は、たぶん自己チュー人間の増加にあるのは間違いないでしょう。大分前の記憶ですが、かつて年配者(高齢者)は、社会の第一線からは少し退き、若い人の背中を押す側に回るという「奥ゆかしい」人が多かった様に振り返っています。もちろん、その時代は高齢者の体力も急速に衰え、見るからに「年寄り」といった様子にはなっていたでしょう。然るに今の年寄りと言ったら・・・、です。見かけの若さもさることながら、行動自体が若ぶった自己チューのものになっているとしか言えない状況です。定年にでもなったなら、退職金を注ぎ込んで、何度も海外旅行に出かけたり、或いはキャンピングカーを買い込んで、日本国中を走り回ったり、兎に角自己チューに動き回って余生を楽しむのです。

このブログは、批判をご法度としていますので、これ以上自己チュー批判は抑えますが、いずれにしても社会は、自己チューではなく、若者チューでなくてはならないと思うのです。年寄りは、若者安全を確保し、そのの背中を(若者に気付かれない様に)陰ながらそっと押し続ける存在に徹するべきだと言っておきます。自分自身の反省も込めて・・・。

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2018年9月21日 (金)

3503 ESG経営2

更に、ESG経営に向けたキーワードを考えてみます。巨大化・集中化を諦めて分散化し、地域密着企業になったからと言って、それだけでESG経営体質になったと言い切る事は出来ません。それに加えて、原料から工程まで環境に配慮したものに代えていく事が実現出来たとしても、まだ十分ではありません。投稿者は、更に「お金が地域で回る仕組み」も不可欠だと思うのです。例えば、地方のメーカーが主として中央の市場で消費される製品を作っていると仮定してみましょう。原料を、例えば海外から仕入れ、自動化で定評のあるメーカーの設備を使い、少ない人数で工場を動かし、毎日大量の製品を市場に向けて出荷している状況を想像してみてください。

地元に落ちるお金はと言えば、誘致の際優遇を受けた僅かな税金と、10人足らずの工場の「オペレータ」と数人の事務職に支払うだけの「労務費」だけになってしまうのです。これでは、その企業が永く存続出来たとしてもESG経営としては及第点は取れないでしょう。

そうではなくて、可能な限り地元にもお金が回る仕組みを考えて、それを経営にも組み込んで行かなければ、真のESG経営には近づかないのです。例えば、原料を安易に他の地域や輸入モノに求めず、持続的に供給可能な地元産の原料に替えていくべきでしょう。投稿者が住む東北の町でも、例えば木材や稲わらやモミガラなどは潤沢に手に入ります。木材は、化学製品の原料にもなり得ますし、建築資材にも紙にも、端材は燃料になり、その灰はカリ分を含む肥料にさえなるのです。稲わらやモミガラにしても同様でしょう。事実、投稿者の記憶の範囲内でも、稲わらは「わら半紙」の原料になっていた筈です。木材を圧縮して極限まで密度を高めれば(つまりは圧縮木材にすれば)理論上は、アルミニウムレベルの強度が得られるのです。つまり、アルミニウムインゴットを、カナダなどから輸入し国内で、合金したり圧延したりして原料を作り、それを使って種々の製品を作る代わりに、しっかり圧縮した木材を使えば、強度的にも問題が無い製品のフレームでさえ作る事ができる筈なのです。

例えば、原料の一部を地元に求め、顧客の細かいニーズに応えるカスタマイズを容易にするために「人が関わる工程」を増やし、製品の一部はしっかり地元にも出荷し、意匠にも地元の伝統工芸の要素を加え、製造だけではなく開発もしっかり行えば、地元からの若い人の雇用も増え、お金のかなりの部分が地元に還流できる事になるでしょう。ESG経営の一つの形の完成です。

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2018年9月20日 (木)

3502 ESG経営

小旅行から戻り、投稿再開です。さて、略語キーワードが続きますが、ESGは言わずもがなですが、環境、社会、ガバナンスの頭文字を集めたものです。少し前は、CSRというキーワード、即ち「企業の社会的責任」が強調されていた訳ですが、SDGsに集約されている持続可能な社会に向けては、それだけでは十分ではないとの風潮が、企業の背中を押している様な気がします。ESGを、単にCSRE(環境)とG(ガバナンス)を加えただけと考えるのは、正しくないでしょう。

それどころか、実際上ESGに明確なゴールなどと言うものは存在せず、企業が存続する限り、全てに優先して「持続可能性」の追求が求められると定義した方が適切でしょう。もちろん、企業が持続可能に存続するためには、利益も従業員の福利厚生も重要でしょう、それも含めての持続可能性である事は言うまでもありません。正しいESG経営のためには、例えばその企業がメーカーである場合は、先ず使用している原材料や資材が持続可能なものである事の吟味が欠かせません。つまり、その原料が例えば数十年で枯渇してしまう様な地下資源や環境を大きく改変した人工的な農地で作られる「単作作物」などを原料としている場合は、それらが「持続可能ではない」という理由でアウトと判定されます。

同様に、エネルギー源も持続可能性を追求したものである必要もあるでしょうし、例えば経営者や従業員もやはり世代を超えて持続可能に繋がっていく必要もあるのです。その結果、地域の雇用や経済も回っていくのが、まさに持続可能な社会の条件であると言えるでしょう。その意味で、企業の合併による巨大化・集権化は、ESG経営とは主旨を異にする流れであると言うしかありません。少し例の筋は違いますが、電力の集中化が津波や地震に弱い事は、既に東日本の震災に加え、今回の北海道の地震限らず国内外の多くの過去例でも証明されているところでしょう。ESG経営の一つの重要なキーワードは、ここでの結論としては、地域密着の分散型経営にあると言っておきます。続きます。

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2018年9月10日 (月)

3501 SBTとは2

北海道では、主力発電所の再稼働までの長期化が懸念されており、需要家には節電が迫られています。目標は、稼動中の発電能力の積み上げ値があるので、この場合20%以上の節電、と明確になっています。一方、需要家が「単に2割削減すれば良いのか」と安易に考え、例えば照明を2割間引いただけ、或いは4基あるエレベータの内の1k基を止めただけで安心してしまうと、この目標には全く届かないでしょう。つまりSBT的な行動とはなっていないのです。

何故なら、照明電力は普通の事務系ビルでは、電力全体の約3割程度しか占めていないので、これを2割削減したとしても、6%程度しか節電に繋がらないのです。同じく事務系ビルでは、OA関係が3割前後、空調関係が3割程度、残りがエレベータなどの共用部分の電力となっている様です。つまり、残りのOAや空調電力も総じて2割削減を達成しなければ、全体としての2割削減は達成できないのです。ここでのSBT的な考え方としては、先ずはビル全体の電力の使途を「科学的に分析」した上で、それぞれに対して具体的に対策を打つ必要があるのです。例えば、もしOA関係での削減が10%しか見込めないのであれば、その分を照明や空調関係で補わなければ、全体としての2割削減は達成できません。

結局、SBT的な行動のためには、先ずは「科学的な計測」ありきであり、それを「分析」した上で、具体的な行動計画を立てる必要があるという事になります。従って、今回の北海道の様に削減値が明確な場合は、それを依頼する国や電力会社としても、具体的な行動としてお願いする必要がある筈なのです。例えば、照明電力では、通路等は少なくとも半分に間引き、居室の照明も2割以上間引き(できれば蛍光灯スタンドなどに切り替え)、OA関係では流石に仕事中に本体の電源は切れないにしても先ずは使っていないモニターの電源だけはその都度落とし、本格的な寒気が降りてくるまでは空調は送風だけに絞り、公共交通機関では電車の本数を出来るだけ間引くなどの、社会全体としての努力が必要なのです。

しかし、これを実践し、結果が出せればこの国の将来にはやや明るい光が差す筈なのです。つまり、2030年に2013年比26%のCO2削減という目標値も、間違いなくSBTの裏付けが可能となるからです。今回の災害を「不便を強いられる」とネガティブに捉えず、むしろSBTのためのチャレンジケースとしてポジティブに捉えるべきなのでしょう。

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2018年9月 9日 (日)

3500 SBTとは

SBTとは、Science Based Targets(科学的根拠のある目標値)の事ですが、お国も含め、多くのこの国の企業の目標は、「頑張ります目標」になっているのは否定できません。例えば、お国の目標の一つである、2030年に2013年度比のCO2排出量を26%削減するというターゲットを考えてみましょう。26%削減という数字を作るに当たっては、もちろんお役人は数字を積み上げます。それが彼らの仕事だからです。何を何時までにどの程度削減するかという数字です。とは言いながら、それはあくまで「頑張ります目標」に過ぎないもので、具体的な「科学的根拠」に基づいたものでない事は素人にも想像できるでしょう。

例えば、一方で原発を減らすと言いながら、その原発を廃炉にする原子炉政策とは必ずしも連動していないし、まだ実用化には程遠い「水素技術」を大幅にカウントしているのです。つまり、この目標は経産省が「勝手に」作成したものであり、農水省(バイオマス政策)や科技省(原子炉政策)などとの横連携は殆ど取れていない筈なのです。太陽光発電を増やすためには、農地や林地転用なども問題もあり農水省との調整が必須でしょうし、一方で農水がバイオマス発電を増やすと宣言しても、ではその電気を誰が買うのかという問題では経産との調整が不可欠なのです。

つまり、SBTを作成するためには、非常にややこしい「連立方程式」を解かなければならないし、そのためにはお役所、企業の横連携が不可欠なのです。この国が最も苦手とするのは、まさにこの点で、長期的な視点に立った青写真を示した上で、それが示すターゲットに向かって、科学的根拠のある数字を、(省庁間で連携を取りながら)積み上げる、という息の長い行動なのです。それもこれも、殆どの予算が単年度で組まれ、実行計画も実行も同じ年度で「消化」しなければならない行政制度に起因すると見ています。

科学的根拠などと言うものは、行政の都合でズタズタに切り刻む訳にはいかないのです。科学は、天才の閃きで一気に加速する一面もあるのですが、普通は地道な理論と検証実験の積み重ねで成り立っている学問分野なのです。お役所の作る数字も、その意味では科学の進捗の手堅いマイルストン(行程)に基づいて、実現可能性の高いものでなければならないのです。続きます。

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2018年9月 8日 (土)

3499 国栄え、地方廃れる

政治家(屋)は、口を開けば、国家、国民のためと言って、政策を声高に叫びます。しかし、そもそも、国家がありきという訳ではないでしょう。それぞれの住み易そうな場所に集落(ムラ)があって、それらが似たような気候風土や地勢的な理由で地域(藩や県)としてまとまり、その地域がまとまって国を形成しているという順番になる筈なのです。その地域が、今疲弊しているのです。理由は、「国」の都市偏重政策の結果だと断ずるしかありません。

もし完全な成り行きに任せれば、途上国の様に人々は、貧しい農村生活に絶望し、仕事を求めて都市に殺到する事でしょう。事実この国でも、戦後の復興期に人々は、集団就職列車を仕立てて都市に殺到した訳です。その都市でも、今や郊外の団地はすっかり高齢化してはしまいましたが、それでも若者は未だに地方の学校を卒業すると同時に都市を目指すのです。この様な、社会的インバランスを修正するのが、政治(行政)の役割でなくて、何が政治と言えるでしょうか。国を形成する際の「暗黙の約束」とは、短く言えば「国民となった人々の公平を担保すること」以外には考えられないでしょう。もし国の中に看過できない不公平が存在するなら、国の中には不満が蓄積し、政治は不安定になってしまう筈なのです。実際、多くの途上国ではそれが起こってもいるのです。

国の中央だけが栄え、地方が廃れていく現実を放置すれば、その国の存続自体に警鐘が響き亘るでしょう。都市は多くの税収や、中央省庁が存在する事による多くのメリットも享受できるでしょう。交通網も整備され、全てに便利には出来ていますが、多くの都市型災害の歴史が示す様に、これらの便利過ぎるインフラが機能しなくなった時、都市は無力に陥るのです。例えば、超大型台風や大地震が東京湾を襲った場合には、液状化によるインフラの破壊や高潮によって海面より低い臨界地域(ゼロメートル地帯)には信じられない様な惨状が広がる事でしょう。今や田舎には、空き家があり放置された農地も広がっています。農家の後継者も不足し、人手不足により企業の存続も危ぶまれ、同じく人手不足で高齢者を守る仕組みも全く不十分です。この不公平・インバランスに対し、今政治の手を打たなければ、この国の形は近い将来には崩壊してしまうかも知れません。全く望ましくはありませんが、次の壊滅的な都市型の災害しか、このインバランスを解消する力は期待できないのでしょうか。

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2018年9月 7日 (金)

3498 人工光合成

夢のある話もたまには必要でしょう。いま、夢のある研究開発が盛んに行われています。それは、人工光合成です。光合成とは、植物が葉緑素を使って、太陽光をエネルギー源として、糖などの炭化水素を合成する仕組みですが、今研究されている人工光合成は、CO2を吹き込んだ水槽から、電力を使って電極からO2とメタンやエチレンなどの「炭化水素」を発生させるというものです。電力を太陽光発電で賄えば、一つの「人工光合成」の形であるとも呼べる訳です。もしこれが、工業化レベルで実現できれば、石炭やLNGなどを使った火力発電所から出る大量のCO2を、再度メタンなどとして再利用する仕組みが出来るので、単なるCO2回収・貯留(CCS)に比べれば、温暖化防止が効果が非常に高くなる訳で、投稿者としては密かに期待しているところです。

さて、やや古い話になりますが、光触媒が盛んに持て囃された時代(たぶん今から30年以上前)、その光触媒を使って水を直接分解して酸素と水素を発生させる実験が成功したのですが、残念ながらその技術が大きく発展される事もなく現在に至っています。それは、残念ながら分解の効率が低い事が注目されなかった原因だったのですが、酸化チタンと他の触媒を組み合わせれば、実用的な技術に化けたかも知れないので、誰かがそれを生き返らせるのを期待しています。これも人工光合成の一つの形と言えるかも知れません。

さて、本物の人工光合成とは、もちろん植物の様に水と炭酸ガスから、常温で効率良く固形の炭化水素を作るものですが、これは人間にはまだまだ手の届かない技術の一つだと言うしか無さそうです。しかし、バイオテクノロジーを使えば、植物の光合成の効率を更に高める事も十分可能だと思うので、人工葉緑素を作るなどという見果てぬ夢を追うよりは、ずっと実現可能性は高くなるでしょう。

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2018年9月 3日 (月)

3497 7世代後の幸福2

3496の続きです。言葉で、7世代後の幸福と書くのは簡単ですが、では将来は「祖先」になるべき私たちは、まだ見ぬ「子孫たち」のために今何を為すべきなのでしょうか。もちろん、何を為すべきかの中には、何を為さざるべきかも含まれる事は自明です。今行っている、例えば資源の浪費や廃棄物の放置は、急速に抑制し無くすべきででしょう。つまりは、資源・エネルギーの浪費生活は、止めるべきなのです。

為すべき事は明らかでしょう。豊かな資源や財産を、将来世代のために蓄積し、温存し、それを残しておく事でしょう。使ってしまった、地下資源は回復する事は叶わないのでしょうが、例えば伐採して裸になってしまった山に木を植え、森林を回復する事くらいは可能でしょう。再生可能型エネルギー源の割合を可能な限り増やし、代わって危険な原発や化石燃料をがぶ飲みする火力発電所も計画的に減らして行かなければなりません。今、国が建てているエネルギーミックスの計画は、単にそれぞれの割合を示しているだけで、絶対的な数値目標とはなっていません。政治主導という名の「無計画」は、ソロソロ止めにしなければならないでしょう。一方で、右肩上がりの時代には、確かにお役人は手腕をふるっていましたが、彼らの能力は右肩下がりの時代には殆ど無力です。というのも、彼らが得意とするのは外挿法、即ち今年の実績に係数を掛けて、次年度以降のの計画にする掛け算に過ぎないからです。

そうではなくて、私たちは先ず7世代後のあるべき社会の理想を掲げなければならないのです。7世代と言えば、たぶん200年後くらいにはなるのでしょうが、少なくとも200以上前のご先祖様の中には、「国家百年の計」を掲げていた政治家も居た筈なのですが、残念ながら今その様な演説を行う政治家は皆無です。その結果、7世代後どころか、次世代の生活の質の低下さえ危ぶまれる時代になってしまったのです。現世代のための景気回復など○○喰らえ、と叫ぶしかありません。必要な行動は、100年後、200年後の子孫のための「持続可能な社会の仕組み」を考え、構築していく事だけなのです。

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