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2018年11月21日 (水)

3526 SDGs4:質の高い教育を皆に

常々教育を小中高や大学での「座学」に還元するのは間違いだと感じています。つまり、本や教科書の「知識」を詰め込んでも、若者が人生を上手く生き抜けるかは甚だ疑問である事は明らかです。上手く生きていくためには、知識の他に状況の変化に対応する知恵や、知恵を行動や形にするためのワザだって必要な筈なのです。知識だけを詰め込んで、他人と上手く付き合うための「形だけのコミュニケーション能力」を教え込んだとしても、果たして彼らが上手く世間を渡って行けるかを保証出来ないでしょう。学校で教える見かけのコミュニケーション能力だけで上手く行かない事は、イジメのタネが尽きない事でも明らかでしょう。

それは、人と渡り合うための知恵を身に付けさせていないのと、場合によってはそれが苦手な人は、それとして例えばワザで生きていく「職人」や自然が相手の「農林水産業」だって立派な生き方だと教える事も出来る筈なのです。ITOAAIの知識をいくら詰め込んでも、それで自動的にモノが作れる訳ではないでしょう。それらは、ビジネスやモノ造りの効率を上げるための補助的手段ではあるのでしょうが、主役ではありません。工場では、主役は設備であり、それを作りオペレートする人である訳です。全てのビジネスは、もちろん人が相手ですから、主役は当然の事ながら人でなければ務まらないでしょう。

従って、質が高い教育の大前提としては、より質の良い社会を築いていくために資するもの、という事が前面に押し出されなければならないのです。この時代、実はどの様な社会がより質が高いかという基本的な議論が横に置かれているのは残念至極というしかありません。何か、景気が良くなって皆が、潤沢にモノが流通しさえすればそれでヨシという風潮が蔓延してしまっている様なのです。それは、単なる物欲=消費行動ありきの拝金主義に他なりません。

そうではなくて、質の高い教育の目指すものとは、質の高い社会を実現するための、「実学」でなくてはならないのです。単に、IT教育やコンピュータ教育だけが質の高い教育などと吹聴し、社会全体をそれに染めるのは、明らかに間違いだと断ずるしかありません。

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