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2018年12月29日 (土)

3540 SDGs18:結論として

長い出張から戻って、投稿再開です。さて、ここまで、SDGsを考えてきて、これら17のターゲットとは、結局はターゲットでも目標でも何でもなく、人類のあり方を問う「見果てぬ夢」ではないかと思えてならないのです。人類は、繁栄と衰退(滅亡)の歴史を繰り返してきました。かつて、社会科の歴史で習った大河のほとりで栄えた四大文明も、南米のインカ帝国も、国内の〇〇文化と呼ばれる多くの権力も、結果としては全て衰亡したのでした。直接的な原因としては、長期の繁栄を支える、人・モノ・カネと農地を含む資源の枯渇が挙げられるでしょう。

しかし、実際はそれらの裏で文明の再生を促す陰の力が働いていたのかも知れません。陰の力の具体的なイメージとしては、例えば文明・文化に対する「飽き」、「倦怠感」の様なものになるのかも知れません。あるいは、文明・文化を享受できる「持てる者」とそれを不満を持って眺めている「持たざる者」との電位差?の様なものが蓄積され続け、最終的にそれがスパークして、革命なり下剋上が湧きあがるというイメージになるのでしょうか。そういう意味では、一つの文明は、やがて崩壊し、置き換わるべく運命づけられているのかも知れません。

さて、現代の文明です。19世紀の科学技術が成熟し、それを活用した産業革命、更にそれを下から支えた化石燃料と鉄(金属資源)が今の文明を形作っている、この現代文明です。その崩壊の影がちらついている様なのです。少なくとも、崩壊の入口に歩を進めているのは間違いないでしょう。今回の文明崩壊は、しかしかつての古代文明の崩壊とは明らかに異なります。古代文明の崩壊は、例えば周辺の利用できる森林の皆伐や、使い過ぎて枯れた水源など、ローカルな問題で起こった筈ですが、現代文明の崩壊は、資源の乱用お結果、悪化した「地球環境」が引き金になると予想されるからです。しかも、その崩壊は一気に進むのではなく、真綿で首が締まる様に「ジワジワ」と進行すると考えられるのです。気密性の高い部屋に閉じ込められた人が、部屋の酸素を使いながら呼吸し、やがて自分の呼気に含まれるCO2によって部屋の空気が汚れ、やがて低下した酸素濃度によって自分が苦しめられる状況に似ているでしょう。その部屋で、より長く生き残るためには、ベッドに横になって出来るだけ安静にする事によって、代謝レベルを最低限に保つしかないのです。

SDGの本質とは、結局は自分(現世代)の欲望を徹底的に抑制しつつ、それを持たざる人々や次世代の人達に残そうとする努力にあると思うのです。そのためのキーワードとしては、単に「勿体ない」と言うだけではなく、更に進めて「徹底的に始末(節約)する」まで行かなければならないと思うのです。SDGsも詰まる所、この国の伝統的な価値観に行きつく様です。

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2018年12月18日 (火)

3539 SDGs17:パートナーシップで目標を達成しよう

この表題については、投稿者の体験談を綴ってみます。投稿者は、50代に入ってすぐ、自分の内側の諸事情を勘案して、いわゆるサラリーマンを卒業しようと決心しました。しかし、それでは生活に困る事は目に見えていたので、中小企業に籍を移す事にしました。中小企業を選んだのは、たぶん大企業ではできなかった「身の丈サイズ」の技術が駆使できるのでは、と思ったからでした。いくつかの新製品の開発を進める中で、大学や高専、他の中小企業、或いは公設試や大企業の研究者まで、間口の広いパートナーシップを拡大していったのでした。

パートナーシップとは、結局は「隣は何をする人ぞ」の興味を持って、新たな人との繋がりを紡いでいく行動だと思うのです。30年以上大企業に在籍してる間に交換した名刺は、たぶん300枚を超えない程度だったと振り返っています。しかし、中小企業に移っての3年あまりで、その数倍の名刺の山が出来たのです。完全にサラリーマンを卒業してからは、更にその枚数が積み上がったのでした。名刺には、会った場所や日付をメモしていますので、個人や中小企業に関して、特に環境問題に関してどの様な立場でどの様な動きをしているのか、といったデータベースは、現在も着実に増えています。

しかし、問題はその関係を如何に具体的な行動に繋げるかという点である事は間違いないでしょう。NPOはやや軽い組織と言えるのでしょうが、何らかのビジネスを展開する法人を立ち上げるとなるとかなりのパワーが必要でしょう。ですので、ここでの提案は、先ずは「個人事業で如何でしょう」というものです。個人事業で、先ずは自宅で、口コミで広がる程度のミニビジネスを開くのです。その後、同様な個人ビジネスと連携するとか、或いはNPOと連携するとか、最終的には行政に認識して貰う中で、「地方発の小ビジネス」として認知度を上げる様な動きが理想だと思うのです。その際に、いわゆる人脈というパートナーシップが「ものを言う」のでしょう。SDGsで言うパートナーシップ、つまり県を跨いであるいは国を跨いでのパートナーシップは、その後に広がっていくものだと思います。

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2018年12月17日 (月)

3538 SDGs16:平和と公正をすべての人に

今時代の流れは、表題の平和へも公正へも逆行を強めている様に見えます。この国も、その流れの中で防衛費を膨らませようとしていますし、隣国との関係もなにやらギクシャクする場面が多くなってきました。B国にすこぶる強気の大統領が現れて、自国第一主義を掲げて以降、今のところはこうしたギクシャクも経済問題に留まってはいますが、今後武力紛争に発展しない保証はどこにもありません。一方、欧州でもEU崩壊の始まりかも知れない動きや、Fランスでの騒動など平和とは逆行する動きが気になります。

経済に素人の投稿者が大雑把に括るなら、モノや人の行き来をそのままにして、経済だけ時刻主義を唱えても、決して上手くはいかないという結論になります。EUは壮大な社会実験ではありましたが、今のところ種々の縛りで、加盟国の不満は抑え込んでいる様には見えますが、経済問題(不景気)や難民問題の渦巻いている国々ではいつ爆発が起こってもおかしくないでしょう。つまり、自国第一主義を唱えるなら、人の流れもモノやお金の流れも絞って、軽い「鎖国政策」をしなければならないという事でもあります。確かに、南蛮貿易しかなかった江戸時代を通じて、この国は最も平和な時代が続いていたのでした。

一方、全ての人の公正を担保するのは、ひどく込み入った「多元連立方程式」を解くような作業になるでしょう。なにしろ、何が人々にとって公正なのかの定義そのものが困難だからなのです。全ての人々が、均等にお金を持っている社会を想定しましょう。上手く立ち回れる人は、手元の小金を元手に商売を展開し、利益によってやがて金持ちになるでしょう。一方才覚に恵まれない人達のお金は、使ううちにドンドン目減りしていく事でしょう。何処まで行っても、社会は、一握りの政治や経済のリーダーとそれに引っ張られる「サイレントマジョリティ」と、そこにも入れない底辺の人々に階層化され易いのです。これを、世界中の国々に敷衍しても同様でしょう。

この国は、憲法で「最低限」の教育や生活レベルを保証しようとはしていますが、最低限のレベルを引き上げない事には、不公正を均す事は叶わないでしょうし、これに類する「世界憲法」でも出来ない限り、飢えに苦しむ国々や人々は減らない事は明白です。結局人々は交易などは減らして、それそれの国境の内側に閉じ籠って、ひっそりと平和に暮らすべきなのかも知れません。船や飛行機の無かった古の時代の様に。もちろん、今の時代に於いては見果てぬ夢に過ぎませんが・・・。

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2018年12月16日 (日)

3537 SDGs15:陸の豊かさも守ろう

この表題に関しては、ある時期放送大学の大学院で、学問として考えた事がありました。その時の結論は、例えば生物多様性の根源は、結局は自然環境の多様性、具体的に言えば人工と手つかずの天然自然(今は殆ど残っていないのですが)の間の、滑らかなグラデーションだというものでした。つまり、徐々に変化する環境のグラデーションは、その中に生きる植物や昆虫や動物相を豊かに保つと思うのです。もし、人工的な都市の周りが、全く手の入らなくなった藪と草ぼうぼうに放置されていたとすれば、里山の多様性は失われ、シカやイノシシの天下になってしまうでしょう。

そうではなくて、環境のグラデーションは適度な人手の介入によって、自然とグラデーションを持つ「半人工」が混在する「緩衝帯」を設ける必要があると思うのです。程度に樹木や藪が間引かれ、日の差す様になった里山には、山菜やその他の多様な(在来)植物が育ち、それを目当てに人も適度に立ち入り、昆虫も集まり、結果として小動物が出没する代わりに、自分の姿が人間に見え易くなる結果、大型動物(しばしば害獣と呼ばれます)は、里山にはあまり立ち入らなくなる筈なのです。

陸の豊かさは、実は山の豊かさからもたらされると断じても良いでしょう。それは、その土地の気候に適した、多様な樹木や植物相によって担保されなければならないでしょう。一方で、戦争で禿山にされた各地の山々は、材や紙として利用しやすいスギやヒノキやツガが植えられた「単相林」に代えられてしまったのでした。その結果、落葉樹の落ち葉がつくるフカフカの林床が失われ、僅かの針葉樹の落ち葉の下には、土壌が見えている様な貧相な山林ばかりになったのでした。この国の山林面積は、国土の2/3にも達しているのですが、その半分は人工の単相林であり、それも間伐すら行われていない為に、樹木の生長が極端に遅い、ヒョロヒョロの「貧相林」になり下がったいるのです。見かけだけは、緑に覆われている様に見えるこの国の国土ですが、私たちはやはり山に分け入って、そこで何が起こっているかを確認すべきなのです。陸の豊かさは、実はこの国でもピンチに直面しているのです。

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2018年12月14日 (金)

3536 SDGs14:海の豊かさを守ろう

これは、非常に重要なターゲットである事は間違いないでしょう。日本近海で沖縄などよりはかなり緯度が高い地域でも、温暖化の影響で海水温が上昇した結果、魚の住み処である藻場が消え、暖かい海の生き物であるサンゴが進出してきている様なのです。海の豊かさは、山の豊かな森林、取り分け照葉樹林から流れ出る栄養分(フルボ酸、フミン質やミネラルなど)によってプランクトンが増え、結果として小魚やそれを捕食する回遊魚も増える連鎖がある訳です。中でも、海のジャングルとも呼ばれる豊かな藻場は、まさに魚や海藻をエサとする海洋生物の揺り篭なのです。

海中に、例えば屑鉄などを沈めておくと、やがて溶出する鉄分の効果もあり、やがてそこは藻場となり、漁礁となる事は、沈没船の海中写真などを見ても明らかでしょう。しかし、それも海水温が限度以下である事が最低条件となるのです。つまり、海の豊かさを守るには、先ずは地球温暖化を防止する事が先決で、結果としてまたSDG13の気候変動の防止≒温暖化防止ターゲットの話に戻り、出口の見えない堂々巡りに陥る事になるのです。

もう一つ、海の豊かさを大きく毀損するするものとして、いわゆるマイクロプラスチックスがあります。投稿者は、東北の日本海側の町に住んでいますがそこには長い砂浜が続いていて、たまに散歩をすると信じられない量と種類の漂着物が打ち寄せているのです。その多くは、PETボトルなどの容器類である事は多分想像通りでしょう。容器には空気が入っているので、当然浮いており、大陸側で投棄されれば海流や季節風によって、日本海側の海岸に流れ着く事になるでしょう。しかし、想像してみなければならないのは、漂着物よりずっと多い筈の壊れたプラスチック製品の行方なのです。海岸線は砂浜ばかりではなく、岩礁が続く海岸では、波で岩に打ち付けられた容器は壊れ、破片となって海中を漂う事になるのです。その量は、漂着量より一桁も二桁も多い筈なのです。プラスチックスは、いわゆる毒物ではないにしても、海洋生物に取り込まれ、体内濃縮されて、やがてそれを人間が摂食するでしょう。プラスチックスを構成する高分子は消化されないにしても、含まれる可塑剤などは緩効性の有害物であるとも言えるのです。海は、地球上で最も低い場所であるが故に、陸で投棄された有害物は、全て海に流れ下って、蓄積を続ける事になるのです。残念ながら。

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2018年12月12日 (水)

3535 SDGs13:気候変動に具体的な対策を

言葉では短いですが、17個のゴールの中では最も重たいテーマでもあります。なにしろ、これほど多数の人類の利害が絡むテーマは、地域紛争などを除けば他に見当たらないからです。石油資源やその利権の恩恵に与れるいわゆる産油国や先進国では、温暖化に関わるCO2排出抑制に真面目に取り組んでいる様で、実は過去に湯水の様に使ってきた犯人でもあります。もちろん産油国はオイルマネーを使って、この世の春を謳歌してきた事でしょう。化石燃料は、いわば20世紀を通じての「基軸通貨」でもあったということで、21世紀に入っても状況にそれほど変化は起きていないのです。

一方で、この恩恵に殆ど縁が無い、非産油国で且つ他の資源産出の少ない、貧しい国々では、出来ればこれから経済成長を果たして、エネルギーをもっと潤沢に使いたいと考えているのは間違いないでしょう。なにしろ彼らは、目の前であるいはメディアを通じて、化石燃料を潤沢に使う先進国の状況を見ている訳で、自分達もそんな生活するスタイルを真似したいと考えるのも当然でしょう。

基軸通貨としての化石燃料、取り分け石油が地域的に極端に偏在しているのは、20世紀を通じての人類の不幸でした。この事が、地域紛争や世界大戦などの争い事の背景に存在し続けたからです。しかし、太陽光は逆に貧しい国々にも等しく、むしろ手厚く降り注いでいます。太陽光は、太陽熱やあるいは植物を育てるエネルギー源ともなっている訳で、太陽光、太陽熱、バイオマス、風力や波力などの太陽をエネルギー源とする多様な再生可能型エネルギーの割合を増やす事は、石油資源の偏在やその利権によって生じた、いわゆる「南北差」を縮小する事に寄与するのは間違いないでしょう。先進国は、そのための技術開発し、途上国への技術・資金支援を積極的に行うべきでしょうし、その結果としてCO2発生量の抑制につながるでしょう。

しかし、これが気候変動の速度をやや弱める事につながるにしても、解決策でないのは悲しい事実でもあります。つまりは、地球は今、温暖化や気候変動に関する限り、赤熱しており、小手先の対策では正に「焼け石に水」状態なのです。結局、人類は自ら排出した温暖化効果ガスで、苦しくなって多くの犠牲者が出るまで、まるで常習性のあるドラッグの様に、化石燃料を燃やし続ける様に見えます。残念ですが・・・。

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2018年12月10日 (月)

3534 SDGs12:つくる責任 つかう責任

SDGsのこの表題の「ココロ」は、あくまでも「持続可能性を高める事」にあります。従って、ここでのつくる側とつかう側の責任もその点にフォーカスを置くべきなのです。

先ずつくる側ですが、先ずはその製品の原料が持続可能なものである必要があります。例えば、プラスチック原料であるナフサ(石油)は、地下から汲み出せばやがて枯渇する資源であり、またその廃棄物処理でプラスチックを燃やせば、多量のCO2を出す訳で、決して持続可能性が髙いとは言えません。また、違法に投棄されたプラスチックは、やがてマイクロプラスチックスとなり、環境や野生動物の体内に入って彼らを汚染する事にもつながります。従って、もし飲料容器にPETを使いたいのであれば、厚手のビンを作って20回程度再使用すると共に、用済みになった際も完全に回収してPETに戻す完全なマテリアルリサイクルシステムを作らなければならないでしょう。それがつくる側の責任でもあり、当然の事ながらつかう側もその費用負担を引き受けなければならないのです。もちろん、全ての製品やその容器・包装の原料やリサイクル方法に関して明示し、消費者が環境に配慮した行動が出来る様にしておく必要もあるでしょう。

一方で、使う側も単に安くて便利であることを求めるのではなく、環境への配慮もコストの一部であるとの認識が浸透させなくてはなりません。例えば、再使用を前提としたガラス瓶を多用していた時代には、一升瓶やビール瓶、或いは牛乳瓶と言った容器が、ほぼ100%回収されて再使用されていた筈です。回収率を上げるために、商品は瓶代を上乗せした金額で売られ、瓶を返却した際には少額の瓶代が返却されていたものでした。(デポジット制度)同じことが、PETボトルでも出来ない筈はないでしょう。自動販売機の隣に、自動瓶回収機を置けば済むのです。PET瓶は回収され、洗浄滅菌され、外側のプラスチックフィルムのみ剥がされ新たな商品に使われる容器となる訳です。そのためには、先ずはPETボトルの規格を統一する必要がありますが、この国の行政はこんな面倒な事が大嫌いの様で、規格化については全く手つかず状態だと想像しています。欧州では10年以上前から統一規格を作っていたと言うのに、です。つくる側もつかう側も果たすべきその責任に関しては、「死んだふりをしている」としか見えないのです。残念ながら。

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2018年12月 9日 (日)

3533 SDGs11:住み続けられる街づくりを

長い出張から戻り投稿再開です。表題は、実は非常に重要なゴールの一つでもあります。つまり、一度故郷を出た人が、最終的には生まれた町に戻るのが普通の社会を作るという事でもあります。田舎の町は住み良い筈です。何より、山や川や海などの自然が近い、或いは自然に囲まれているからです。当然の事ながら、昔ながらの農林水産業が残っていて、贅沢さえしなければ(むしろ地産地消は贅沢?)食費だって抑えられるでしょう。若い人達にとっての問題は、産業、直接的にはいわゆる勤め口が少ない事でしょうか。従って、地元あるいは都会の学校を卒業した若者の多くは、地元を離れて都会で職を得ようともがくのです。

卵が先か、或いはニワトリが先なのか、いずれにしても田舎では人口減少が加速し、結果として昔存在した産業も何時しか廃れてしまったのです。人口が減って商売が成り立たないのです。しかし、考えてみれば高齢者人口は増えているとも言えます。少なくとも、人口に占める割合は急速に増加している筈です。しかし、社会構造が大量生産・大量消費のままでは、地方の行政がお経の様に口にする「企業誘致」や「観光客の誘致」だけで、田舎が賑やかになる筈もありません。有名な観光地を除けば、田舎の町には売りに出来るものは「何も無く」、掛け声が空しく響くだけなのです。

持続可能な社会の実現のためには、人口の移動は最小限に抑えるのが理想でしょう。若い時に都会に出たとしても、結婚してからの子育ては絶対田舎の方が良いでしょうし、親世代(ジジババ)からのサポートにより、経済的にも楽になるでしょう。ゆくゆくは同居でもすれば、介護問題だって住宅問題だって生じない筈です。人は歳をとってからは、病院でチューブを繋がれながらジタバタと延命治療で生き長らえずに、自分の寿命を受け入れて自宅の畳の上で静かに人生を終える事が理想の筈なのです。自分が生まれ育った土地が、一番住みやすく住み続けられる場所である事は間違いないでしょう。もし、そうでなかったとしたら自分達自身で理想に近づける様に努力するしかないのです。このまま、人口の都市集中が続き、考えたくはありませんが次の大震災が大都市を襲った場合、国としての存続も危うくなる様な気がするのです。

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