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2019年2月25日 (月)

3559 なげる

ここ秋田を含め、かなりの地域ではモノを捨てる事を「なげる」と言います。投げ捨てる、投棄するにも投げるが含まれますので、語源は同じでしょう。さて、時間があれば堤防道路を散歩しますが、雪解の季節になると土手に投げられたモノ=ごみが目ってきます。多くは、空き缶や瓶やPETボトルなどですが、中には長靴や鍋など大きなゴミも含まれています。興味深いのは、その多くが土手のかなり下まで、散乱している事で、つまりは捨てた人は、足元ではなく出来るだけ遠くに放り投げた事になります。人は、不要なモノを出来るだけ遠くに放り投げ、自分の目には見えない(見えにくい)所に捨てがちな動物の様です。

ごみは、持ち主にとって不要になったものを捨て去る事によって生まれます。よくテレビで、モノを捨てられない人が取り上げられますが、それを指して「ごみ屋敷」などと呼ぶようですが、一面ではそれらの部屋の主は環境を汚さない殊勝な人達だとも言えるかも知れません。しかし、ごみを「適正」に処理したとしても、そのモノ(物質)が雲散霧消し消えて無くなる訳ではないでしょう。それらは、集められて燃やされるか、燃えないモノであればゴムシートを敷いた「管理型処分場」に埋め立てられる運命にあるからです。たとえ燃やされたとしても、ごみを構成していた物質は熱分解されて二酸化炭素や二酸化窒素などのガスになって大気に拡散し、灰分は灰となってやはり処分場に埋め立てられる事になります。つまり、ごみを燃やすという行為は、ごみの嵩を減らすための「減容」に過ぎない訳です。

ヒトは、自分の目に入らない(見えない)モノは「存在しない」と見做す様で、ごみをなげたり、焼却してしまうと、それらの存在を完全に忘れてしまう様なのです。その証拠に、温暖化に歯止めを掛けようと毎日の様に国際的なキャンペーンを打つ一方、日々電力を使い、車を転がし、大量にモノを生産・輸送・消費・廃棄を繰り返しているのです。このブログでも、繰り返しこの事に警鐘を鳴らし続けてはいるのですが、残念ながら歯止めが掛かる兆候は全く感じられません。次の世界的な「オイルショック」が必要なのかも知れません。以上、堤防の土手のごみからの連想でした。

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