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2019年2月26日 (火)

3560 WBGT計

仕事先で省エネの相談を受けたので、冷暖房に関して輻射温度について少し解説しておきます。温度と聞くと、先ず普通の温度計が示すいわゆる「気温」が思い当たるでしょう。気温は、空気分子が熱振動の度合いを示す指標だと定義できます。勿論、固体や液体であっても絶対零度以上になれば、振動していますので、温度計で温度を計測する事が出来ます。当然の事ながら、普通の棒温度計で計測できる温度範囲は限られてしまいますので、高い(低い)温度は例えば「熱電対」式の温度計でないと計測は出来ないでしょう。

一方、輻射温度という概念もあります。つまり、絶対零度以上の物質は全て熱振動をしていますので、その温度に対応した波長の赤外線を放射している事は、日頃はあまり意識されません。日常でそれを感ずる事が出来る例として、焚火や薪ストーブなどに近づいて手をかざすと、何かしら暖かさ(熱さ)が実感できるでしょう。つまり、これは手のひらにある赤外線センサー(温点とも呼びますが)が、焚火やストーブから発せられる赤外線を感知しているからに他なりません。

人間の暑さ、寒さという感覚は、結局皮膚の表面にあるセンサーから、赤外線が入ってくるか、或いは逃げるのかによって決まってくるといえるでしょう。前者の場合暑さを感じ、後者の場合に寒さを感ずる訳です。その意味で衣服には、体に地番近い肌着の温度が一番近い物質の輻射温度になるため、その温度が体温に近く保つ機能があるのです。

さて、人間のいわゆる体感温度は、気温とこの輻射温度を足して2で割った値になると言われています。つまり、気温が30℃になっても、部屋を冷房して壁や床の温度が20℃に下がっていれば、冷房を切ったとしても体感温度は25℃となる筈なのです。WBGT計(輻射温度計)とはその輻射温度を計るための計器なのです。

結局冷暖房の本質は、寒い時に如何にして体から壁や窓を通して逃げる輻射熱を遮断するか、或いは暑い時に、如何にして体から出る輻射熱を放散させるかに掛かっていると言えるでしょう。その意味で、冬にはしっかりした断熱窓にして壁や床の表面の温度を例えば30℃前後に保つ暖房が、夏には壁や天井の温度の表面温度を15-6℃程度に保つ冷房が理想だと言えるでしょう。今主流のエアコンは、冬は部屋の空気を50℃以上の熱交換器に通して暖め、或いは夏には5-6℃に冷やされた熱交換器に空気を通して冷房する、非常に効率の悪い方法だと言えるでしょう。冷暖房の熱源としては、冬は太陽熱で得られるぬるい温水、夏は井戸水程度の少し冷たい水で十分なのです。結局私たちは、冷暖房で随分エネルギーを浪費しているのだ、と言えるでしょう。

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2019年2月25日 (月)

3559 なげる

ここ秋田を含め、かなりの地域ではモノを捨てる事を「なげる」と言います。投げ捨てる、投棄するにも投げるが含まれますので、語源は同じでしょう。さて、時間があれば堤防道路を散歩しますが、雪解の季節になると土手に投げられたモノ=ごみが目ってきます。多くは、空き缶や瓶やPETボトルなどですが、中には長靴や鍋など大きなゴミも含まれています。興味深いのは、その多くが土手のかなり下まで、散乱している事で、つまりは捨てた人は、足元ではなく出来るだけ遠くに放り投げた事になります。人は、不要なモノを出来るだけ遠くに放り投げ、自分の目には見えない(見えにくい)所に捨てがちな動物の様です。

ごみは、持ち主にとって不要になったものを捨て去る事によって生まれます。よくテレビで、モノを捨てられない人が取り上げられますが、それを指して「ごみ屋敷」などと呼ぶようですが、一面ではそれらの部屋の主は環境を汚さない殊勝な人達だとも言えるかも知れません。しかし、ごみを「適正」に処理したとしても、そのモノ(物質)が雲散霧消し消えて無くなる訳ではないでしょう。それらは、集められて燃やされるか、燃えないモノであればゴムシートを敷いた「管理型処分場」に埋め立てられる運命にあるからです。たとえ燃やされたとしても、ごみを構成していた物質は熱分解されて二酸化炭素や二酸化窒素などのガスになって大気に拡散し、灰分は灰となってやはり処分場に埋め立てられる事になります。つまり、ごみを燃やすという行為は、ごみの嵩を減らすための「減容」に過ぎない訳です。

ヒトは、自分の目に入らない(見えない)モノは「存在しない」と見做す様で、ごみをなげたり、焼却してしまうと、それらの存在を完全に忘れてしまう様なのです。その証拠に、温暖化に歯止めを掛けようと毎日の様に国際的なキャンペーンを打つ一方、日々電力を使い、車を転がし、大量にモノを生産・輸送・消費・廃棄を繰り返しているのです。このブログでも、繰り返しこの事に警鐘を鳴らし続けてはいるのですが、残念ながら歯止めが掛かる兆候は全く感じられません。次の世界的な「オイルショック」が必要なのかも知れません。以上、堤防の土手のごみからの連想でした。

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2019年2月21日 (木)

3558 統計のウソ2

3557の続きです。政府が公開する統計データには、継続性が求められます。もし、サンプリングデータが入れ代わった場合、処理した結果には何らかの「段差」が生じて違和感が出てくるはずです。その違和感が、政府(時のリーダー)に有利なものであればたぶんそのままパスされるかも知れませんが、もしそれがネガティブな結果であれば、リーダー(達)はお役人に命じて、恰好がつくように補正(補悪?)させるでしょう。勿論、それを書いたもので指示する様なポカミスはしない筈ですので、然るべきレベルのチャンネルを通じて「口頭で」指示されるでしょう。

もっとも、お役人としてもそのまま出せば上司に「叱られる」様な分析結果をそのまま報告する筈もなく、それなりの理窟をこねた上で、前回のデータと辻褄を合せる様に、(都合の良いデータに)修正せざるを得ないでしょう。いわゆる「忖度統計」です。かくして、この国の統計データには、間違いなく為政者に都合よく脚色されたものが公表されるという悪しき伝統が根付いたと想像しています。

しかしながら、統計データのウソを見抜くのは簡単ではありません。現実的なチェック方法としては、別の複数の統計データを突き合わせる事でしょうか。異なるサプリングの母集団を用いて、異なる手法でデータを処理した結果が3つ以上存在すれば、より数字の近い2つが真実に近いと思われますし、3つの平均を取る事も良い方法かも知れません。いずれにしても、統計はあくまで統計であって、決して真実ではない事は改めて銘記すべきでしょう。ましてや、それを自分の手柄にしようとあがく政治家が統計データをチラつかせる場合には、大いに疑って掛かるべきでしょう。統計学は、全く地味な学問であり、それを専門にする人達も少ない事も、統計の素人がだまされ易い原因にもなっている様です。残念ながら投稿者も、学生時代は統計の授業が大嫌いだった統計素人の一人ですが・・・。今回も、どうやら為政者側がお役人に指示して、統計結果に手を加えさせたらしいのですが、言葉を失います。

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2019年2月19日 (火)

3557 統計のウソ

ラジオから流れてくる、聞くともなく聞いている統計国会で、答弁する側の歯切れが悪いのは、統計というものはそもそもウソをつく道具である事から来るものだと見ています。統計でウソをつくのは簡単です。先ずはサンプリングのウソです。悉皆調査には、非常な手間暇が掛かるので、通常はサンプリングでデータを集めます。この際、「都合の良い集団」のデータを集めれば、統計データを良くしたいと目論む輩には、都合の良い結果が期待できるでしょう。逆の結果が欲しければ、サンプリング集団を変えるだけで、操作が可能です。

一方で、サンプリングデータを集計・分析する論理(ロジック)にも注目すべきでしょう。つまり統計は、あくまで推計であり事実ではない訳ですから、結論を出すためには何らかの数字の操作が必要です。多くの場合は、データ処理のためのロジックに基づいた論理式を使って分析結果を導くのですが、そこに何らかの「係数」を持ち込めば、論理式で導かれる結果もかなりの程度操作が可能となる事でしょう。

この他、統計には内挿や外挿といった様な、過去データからの推計値も使われるので、統計データを使えば統計の専門家でもない庶民をだますのは、赤子の手をひねる様なものでしょう。残念ながら、統計データの公開に当たっては詳しいサンプリング集団や推計式がガラス張りに公開される事は殆ど無く、役所の密室の中でしかそれを確認する事は出来ません。つまり、庶民は統計の結果を鵜呑みにするしかないのです。統計結果に接する時には、眉に唾をべったり塗って掛かる必要があるでしょう。今日は短く。

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2019年2月16日 (土)

3556 北極振動

太平洋を隔てた隣国のリーダーが、強烈な寒波を引き合いに「ほら見たことか、地球温暖化なんてフェイクニュースだ。」と言ったとか言わなかったとか。これは彼が、如何に物事を深く考えては居らず刹那的なコメントする人物かの証左でしょう。寒波は、北極気団を包み込む気流(ジェット気流)の凸凹の張り出しによって齎されるという事実は古くから知られています。勿論、冬期にその気団が強い場合には、ジェット気流も強く従って、ある緯度以北は非常に強い空気に覆われ、ジェット気流以南は比較的温暖な冬となる筈です。

しかしながら、温暖化によって夏場の北極海の浮氷の多くが消失し、太陽光によって海水が暖められ、冬場の寒気団が弱まります。その寒気の吹き出しが、コリオリの力によって西風のジェット気流になるのですが、寒気団が弱いとその気流も弱まり、結果として蛇行が始まる訳です。今回の寒波の様に、蛇行が酷くなると最早蛇行とも言えず、北米と東アジアに二分化され、寒波が低い緯度まで下りてきたのでした。

これを冬場に見られる温暖化の影響と言わず何をそう呼ぶのでしょうか。その証明は、毎年の夏場の集中豪雨の多発や、逆に別の地域の酷い旱魃被害のニュースを眺めるだけで十分でしょう。長期的な、平均気温の上昇トレンドも雄弁ですが、百年単位での1℃程度の上昇の影響は、一見穏やかな変化と見られがちです。しかし、投稿者としては温暖化は、ある閾値を超えると、途端に気象の激変となって牙を剥くのだ、と思っているのです。気象の激変とは、冬場には一見温暖な気象でありながら、時として数十年に一度の寒波が来襲するとか、夏場に平均以上に暑い日々が続き、時としてこれも数十年に一度の嵐や豪雨に襲われる、という近年の傾向を意味します。一方で、米国や豪州やブラジルやユーラシア大陸の、海洋から距離のある内陸の穀倉地帯は酷い旱魃に襲われる頻度が高まる結果にもつながるのです。

まったく、50年後100年後の子孫の暮らしは、一体どうなる事やら、戦後の高度成長期を通じて温暖化傾向の原因を作ってしまった世代の一人としては、ココロの痛みが続きます。

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2019年2月10日 (日)

3555 どう作るかより何を作るか

前職の関係もあり、頼まれれば航空機関係のモノ造りのノウハウを教える機会があります。その際、何時も感ずるのは、どう作るかより先ずは「何を作り、誰に、どう売るか」を考えなければならないという点です。たった、今は確かに国を跨ぐ観光客も多く(というより多過ぎます)押し寄せて、航空旅客数も伸びてはいるでしょう。しかし、既に飽和状態のインバウンド観光客数が、更に伸びて4000万人になる姿は想像できませんし、何より来年の五輪でピークを打つ事は、素人が考えても明らかでしょう。

一方で、手軽で安いバスツアーに客を取られて、地方空港には閑古鳥が声高に啼いています。つまり、今更航空機関係の下請け仕事を狙ったところで、人材を育成し、設備投資が終わった頃には、需要そのものが下火になっている可能性が髙いのです。なので、投稿者の立場では、この分野に参加を画策する企業の背中を押すには、かなりの躊躇があるのです。

では何を作るかですが、それはこのブログでも何度も書いている、再生可能型エネルギーに関連する技術を磨くしかないと思うのです。石油や電力は、エネルギー自体の密度が非常に高いので、使うにはそれほど難しい技術は要らないのです。古い技術である、内燃機関や外燃機関或いは電気モーターの技術を磨けば何とかなるでしょう。後はコストの問題が残っているだけでしょう。しかし、再エネは違います。賦存する原料、太陽光や水力や風力やバイオマスなどの密度が元々低い上に、エネルギー利用効率そのものが低いからです。

しかし、知恵を使えばそれをカバーする技術は多く存在するのです。一番有効なのは、エネルギーの多段階利用(カスケード利用)だといえます。つまり、太陽光を太陽光発電「だけ」で利用せず、太陽熱利用即ち植物栽培促進、暖房、給湯などエネルギーのポテンシャルに応じて、多段階で利用すれば、各ステージの効率の足し算になるので、システム全体としてのエネルギー効率は十分に高く出来るのです。しかし、実際にこのシステムを形にするには、かなりチャレンジングな技術やモノ造りが求められるのも間違いないでしょう。各企業は、今こそその技術を磨くべき時でしょう。航空機は、既に過去(20世紀)の技術でしかない、と切り捨てておきます。

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2019年2月 3日 (日)

3554 万物斉同

やや難しそうな表題です。これは荘子の説く、「道から見れば、万物は等価である」という教えの一つです。浅学でもあり、そもそも、荘子の言う「道」なる概念を理解するのも難しいのですが、単純な頭の投稿者は、それを「真実」と言い換えて理解しています。本当はもっと広く、深い意味があるのでしょうが、それは理解を超えるので諦めます。

さて、真実は一つである事は、たぶん間違いのない「事実」なのでしょうが、世に複数の(或いは数えきれないほどの数の)宗教が存在し、数えきれないほどの神様が崇められているという事実は、一体何を物語るのでしょうか。それは、同じタイトルのニュースなのに、それを報ずる立場によって、全く意味が異なるという事に似ているのでしょうか。それは、とりもなおさず道=真実(と信じれらていること)が、人や民族や宗教によって異なるという事を意味するのでしょうか。その問いに対する投稿者の見方はYESです。人々がその集団の中で信ずる「真実らしきもの」と、絶対無比の「真実」とはきっと異なるものなのでしょう。

では、何が真実で何が事実なのかという問には、たぶん人類は永遠に答えられない様な気がするのです。そうでなければ、何千年にも及ぶ宗教間の軋轢や利害の対立が背景にある、戦争や紛争が無くならない歴史の説明が出来ないのです。どうやら、私たちは荘子の様な賢者の再登場を期待するしかないのかも知れません。是非その賢者には高い立場から、この世界を眺めてもらい、公平な目でコトの善悪を判定して貰いたいのです。しかしながら、「古典的な賢者」の目は、現代社会を眺める上でもヒントにはなり得るのでしょうが、そのまま現代社会に当てはめる事にはかなりの無理がありそうです。現代には、現代の賢者が必要だとも思うのです。その現代の賢者の出現までは、たぶん「百年河清を待つ」事になるのかも知れませんが・・・。

今日から、長期の出張のため、10日ほど休稿です。世の中には何の支障もありませんが・・・。

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2019年2月 1日 (金)

3553 ゼロサムゲーム

ゼロサムゲームとは、ゲームで勝ち負けを合算して均せば、プラスマイナスゼロになっているゲームを指します。ゲームでは、誰かが勝ち、誰かが負けますが、地球全体で見た経済(ゲーム)もあまり変わりがないでしょう。特に、株や債権の様な「権利」としての価値は、誰かが儲ければ、誰かが損を蒙る様になっている筈です。それでも、経済規模が拡大するのは、誰かが最初に地中から資源を掘り出すか、又は土壌+水+太陽光(+肥料+農薬)を利用して作物を育てるなどの活動の結果、地上にある資産が増えているためなのです。

一次産品を加工する人、それを運ぶ人、売る人、取引に必要なお金を印刷して、それを扱う人、それを買って2次加工したり、消費したりする人、その結果出た廃棄物を処理する人などが関わって経済という仕組みが出来上がっていますが、この仕組みの中で全ての人が何らかの利益を得て、毎日のオマンマにありつき、誰も損をしていないと仮定した場合、結局損をしているのは、資源を略奪され、廃棄物の捨て場所になっている地球(環境)だけだと言う変な結論になってしまいます。

現実は、かなり異なるでしょう。資源をコントロールできる立場の(特に先進国のメジャーと呼ばれる企業や資源国の特権階級)の手元には、使い切れないほどの資産(モノを買う権利)が集まっている事でしょう。一方で、資源の草刈り場にされてしまっている途上国や資源すら持たない国々とそこで暮らす人々には、全く不十分な分け前しか与えられていないのです。これは、悲しい不平等というしかないでしょう。貧しい国々では、食糧生産を抑えてでも先進国に売れる「換金作物」を育てるか、或いは先進国に出稼ぎに出るか、或いは安い賃金で軽工業と呼ばれる産業、衣料など先進国への輸出商品を作るか、さもなくば喰うや喰わずの生活に耐えるかといった選択肢しか残されていないのです。更に悲しいのは、途上国の産業は多くの場合先進国の資本で興され、利益の多くが先進国に持ち去られている言う事実でしょう。

結局、地球が蒙る損(環境負荷)を除けば、世界の経済は人口増加程度しか拡大していないゼロサムゲームであるにも関わらず、勝者(Winner)と敗者(Loser)の格差は、日々拡大し続けている様なのです。これに歯止めを掛ける知恵を、まだ人類として発明出来ていないのが残念至極です。

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