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2019年3月30日 (土)

3572  悪夢の再来

B社のベストセラー機の連続事故で思い出した事故例があります。それは、94年にK牧空港で起きたC華航空機事故です。この機体は、B社製ではなくAバス社製だったのですが。思い出した理由は、今回の連続事故もC華航空機の事故も、いずれも自動操縦装置(MCASまたは類似のシステム)とパイロット操作の「相反」の結果、機体の姿勢が異常に下げ、または上げの状態になって墜落に至ったという類似性なのです。水平尾翼は、翼後端についているいわゆる「エレベータ」と言う補助翼で機種上げ、または下げを操作できるほかに、翼の付け根自体に軸があって、水平尾翼の固定部分ごと回転する様にもなっているのです。水平尾翼全体の操作は、自動操縦装置と結びついている様で、これがMCASとパイロットの操作が相反する結果となっている様なのです。
B社の事故では、センサーが上昇角(仰角)が過大であると間違って検知し、結果として失速を防ぐために水平尾翼全体が機首下げの方向に動き、エレベータで必死に機首上げを操作したパイロットの意志に反して急激に機首を下げて地面に激突したのでした。一方C華航空機事故では、着陸態勢に入っていた同機が、パイロットの着陸操作をした際に、自動操縦のスイッチを切り忘れて、MCASが急激な機首上げを指示してしまい、同機はほぼ垂直に急上昇した後にキリモミ状態で地面に激突したのでした。
この2つに事故に共通するのは、パイロットと自動操縦装置の相反(喧嘩)であるという点です。つまり、自動操縦装置はパイロットの操作を支援するものに留めるべきであるのに、そうではなくて操作の相反を招いてしまったという点が、「悪夢の再来」と書いた所以なのです。MCASは、操作の相反を検知した場合は、自動操縦モードを解除し、パイロットの操作を優先すべきだったのです。今回の事故につながったB社のソフトウェアの誤設計は、C華航空機事故に学んでいなかったという点で厳しく糾弾されるべき事例だと言うしかないでしょう。

 

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2019年3月28日 (木)

3571  空飛ぶ車を嗤う

自動運転車の次は、空飛ぶ車だそうです。人間の欲望は一体何処まで膨らむのでしょうか。先日、出張で空の便を使いましたが、帰路は前線の影響で酷い乱気流に巻き込まれて寿命が少しばかり縮まってしまった様です。移動手段には、古くからある鉄道、その後急速に普及した車、20世紀に入ってからの発明である飛行機がありますが、その飛ぶ車とは翼の浮力に頼らない、それを飛ぶパーソナルな移動体という事になるのでしょうか。
しかし、鉄道を線路上といういわば1次元の自由度を持つ乗り物、車を広がりを持つ道路網を2次元の自由度を持って移動する乗り物、飛行機や空飛ぶ車を3次元の自由度を持つ乗り物、と単純には定義できないのは、リスクを考える上では、リスクを次元の自由度の累乗、つまりは鉄道のリスクの3乗程度という想定は明らかな間違いだと言うしかないのです。というのも、確かに空間の自由度は2次元から3次元への展開なのですが、それを飛ぶためにメーカーなり運航者がどれだけ神経をすり減らしているかを考えてみれば単純ではない事が理解できるでしょう。飛行機を運行するためには、単なる空路という空間の交通整理だけではなく、気象条件という人間にはコントロール出来ないファクターが最大のリスク要素となって立ちはだかるのです。
ベテランのパイロットであれば、気象の急変にもある程度は対処できるでしょう。しかし、積乱雲やダウンバーストや地形に伴う乱気流などに遭遇して、事故を起こしてしまった例は、数多存在する筈なのです。
それを、気象に関する知識も無く、3次元の操縦にも習熟していない素人ドライバーが、空飛ぶ車に乗り込むなど、まさに自殺行為以外の何者でもないでしょう。どうしても、空中に浮き上がりたいのであれば、数センチだけ浮き上がるホバークラフト型の車でも作れば良いのです。ホバークラフト型だと、構造上「ゴム製のスカート」が必要なので、衝突事故の際でも被害はかなり軽減できそうです。空飛ぶ車が、たとえ数メートルでも飛び上がる事が出来て、それが時速数十㎞の速度を出して移動すると仮定した場合、事故を起こした場合は、人命に関わる事故になるのは不可避でしょう。安全上からも、空飛ぶ車は絶対実用化されないと断言しておきます。砂漠や、海の上でレジャーととして遊ぶ分には、他人を巻き込まない範囲でなら自己責任でどうぞと言うしかありませんが・・・。

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2019年3月27日 (水)

3570  線路上の空間利用

渋谷に乗り入れているS部の本社ビル跡地の活用され、線路を跨いだ形で高層ビル建設されたと、小さなニュースになっていました。考えてみれば、線路も道路も交通量の増加に伴って、幾度となく拡幅され、鉄道と道路の締める日本の国土に占める面積は、たぶん数%にも達するのではないかと想像しています。しかし、その鉄道インフラや道路インフラの上の空間は、全くと言って良い程利用が進んでいないのも事実でしょう。道路に関して言えば、都市部では多くの地下埋設インフラが通っていますので、上空利用のために基礎工事を行うのはかなり困難かも知れません。しかし、鉄道に関して言えばその地下は殆ど利用されてはいない筈なのです。地震国の日本でもあり、このビルでも、鉄道を跨ぐ基礎部分と、上に載るビル部分との間に免震構造を入れて、大地震にも耐えうる仕組みにしている様です。
これが出来るならば、特に都市部では、鉄道インフラの上の膨大な面積を、種々の目的で活用するのは今後の国土利用の目玉に出来るのでないかと思っています。駅近くでは、線路の真上にビルを建てて、その中に商業施設と住宅を同居させれば、それこそ駅から徒歩0分の良質な住宅が供給できるでしょう。住宅に隣接した線路上空間には、ビルと同様に線路を跨ぐ基礎を作り、公園や運動施設にすれば、駅前商店街ではなく「車の入る事が出来ない」駅上商店街にする事も可能でしょう。この街では、人々は専ら徒歩で移動しますので、いわゆる車対人の交通事故は皆無になるのです。
人口の割に、狭い国土しか持たないこの国では、私たちは地震の発生を懸念しつつも、生活のインフラを立体的につくり込むしか方策が無いのです。これまでの開発と言えば、街の郊外の丘陵地を削り、それで海や谷を埋め立てた、軟弱地盤に一戸建ての住宅地が野放図に拡大するというパターンでした。しかし、上記の様に鉄道インフラの上に、強固な基礎をを築き、その上に免震構造を入れた人工地盤の上に街を作れば、来たるべき大地震での被害への懸念も大幅に軽減できる事でしょう。これは自分ながら、なかなか良いアイデアだと思うのですが・・・。

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2019年3月24日 (日)

3569  分断社会2

ここでは、都市と地方の分断について考えてみます。近年で都市と地方の分断が始まったのは、たぶん戦後の高度成長期だと見ています。つまり、大量生産・大量消費の社会の仕組みは、都市に人々が群れて暮らす方が、断然効率が良いからで、その流れの中で田舎の人口は、ドンドン都市に吸収されていったのでした。国の機関や金融機関はもちろん、大学などの教育機関や企業の本社も都市に集中していますから、都市への人口集中はますます加速していった訳です。
その流れに乗れなかった田舎は、川の中に取り残された洲の様に、オイテケボリとなってしまったのです。つまりは都市と田舎の分断は、流れに乗れたものと、置き去りにされたものとの間に生じたものだとも言えそうです。この(都市への)流れは、実はまだ止まってはいない様なのです。投稿者の住むA田県では、毎年1万人ずつ人口が減少していますが、一方東京都では増加が続いている様です。地方の人口減には、少子化と高齢化による自然減が主な理由ですが、それにしても3月末ともなれば、数千人規模で田舎を出る若者による流出源が止まりません。田舎には、彼らの十分な職の受皿が無いのがその理由です。
では人口の流れが止まるのを、(物騒な想像ですが)次の関東や東南海の大震災が起こるまで待たなければならないのでしょうか。確かにそれが起これば、人々は最早都市に住むのを諦めて、縁故を頼りに田舎に回帰せざるを得ないのでしょう。一度大震災が関東・東海を襲えば、地震の建物への直接的被害の他に、埋立地の地盤のいわゆる液状化により、地下埋設のインフラ(水道や下水など)は壊滅的な被害を受け、長く人が住めない状態が続く筈なのです。
今必要な対策は、都市人口を地方へ誘導する実質的な政策でしょう。ささやかな地方交付税程度ではなしに、都市と地方で税金に大きな傾斜を付けるのも良いかも知れませんし、都市型震災の怖さを声高に喧伝するのも効果がありそうです。いずれにしても、人々の心に「都市は全く住みにくいし、大災害の時には住み続けられないかも知れない」という感情を形成しなければならないのです。不謹慎ですが、あまり被害が大きくない「小震災」程度で泰平の眠りを貪っている都市を少しだけ揺さぶって欲しいものだと願っています。人口の流れが地方に還流すれば、都市と地方の分断も少しは緩和されるものと期待しています。

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2019年3月23日 (土)

3568 分断社会

近年のこの社会や世界のKWを上げるとすれば、それは多分分断でしょう。分断が起こる最大の要因は、たぶん二者択一という事になるのでしょう。都市か地方か、保守か反保守か、H野古埋め立てかそれに反対か、海外に目を転ずれば、Iスラムか反Iスラムか、EUに留まるのか離脱するのか、Tランプか反Tランプかといった、多くの国や社会で分断が起こっている様に見えるのです。二者択一という仕組みを良く考えてみると、投票による多数決という、一見民主的なプロセスが、皮肉にも分断の原因になっているという側面は見逃す事が出来ないでしょう。
つまり、AかBかという選択が、図らずもA派とB派の分断を生んでしまっているのです。EU離脱か残留かという国民投票に、もしどちらとも言えないという第3の選択肢を作っていたら、離脱派が過半数を取る事はなかったかも知れないのです。それでも、過半数に届いたのであれば、それは本当の多数決となるのでしょう。つまり、どちらとも言えない派の半分が、どちらかと言えば離脱賛成で残りがどちらかと言えば反対であったと仮定すれば、離脱賛成の気持ちが傾いていた人がが2/3程度に達することになる訳で、多数決の原則に沿った決定になったかも知れません。しかし、二者択一システムではたった1票の差で、重大な事項が決まってしまうかも知れないのです。
分断を回避する最良の方法は、A派とB派だけを作るのではなく、AB派あるいはC派も作るべきなのです。つまり二大政党は真の理想ではなく、三大政党かそれ以上の政治システムこそが理想と思えるのです。その中で、政策毎に連立を組む事が出来れば、分断によって賛成か反対かという噛み合わない議論ではなく、「ではどうするのが理想に近いか」という、実のある議論が出来る様に思うのです。A派もB派も第三勢力がどちらに与するかによって、自分たちの立場が良くも悪くもなる訳で、絶対多数に胡坐を組んで、何でもカンでも「閣議決定」や「大統領令」で物事を進める事が出来なくなるでしょう。そもそも、この国も彼の国も政治システムの設計が間違っていると断ずるしかありません。

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2019年3月21日 (木)

3567 変更点管理

前職で航空機産業に関わっていた事もあり、B国のB社の旅客機が引き起こした連続事故を心配しています。投稿者は、単なる元構造屋であり、その中でも一生産技術者でしかない立場で想像するだけですが、この事故は、たぶん変更点管理の問題に還元できるのでないかとみています。変更点とは、それまで作っていた製品に何らかの理由で、ある時点から変更を加えるポイントを指す言葉です。つまり、それまでとそれ以降の製品の間には明確な違いがあると言う意味なのです。
変更には、何か問題があってそれを修正するもの。車で言えば1)リコールがそれに当たりますが、その他にも2)市場価値を上げるための改良、3)製造コストを下げるための「カイゼン」などが考えられるでしょう。今回問題を起こした旅客機のケースは、2)に該当すると想像しています。つまり、これまでの機材に比べて燃費を向上し、パイロットにとっては自動化率を高めより操縦し易くする等、多くの改良を加えた機体だった筈です。
しかし、安全性を特に重視する旅客機の場合、実は一足飛びの改良には、大きなリスクも絡んでいる筈なのです。例えば、表面に現れない「潜在的不具合」が、確率の問題で何万回かの飛行でしか出現しない、稀なケースである場合が例示出来るでしょう。巷間噂される、仰角センサーの誤動作が原因であるにせよ、事故を起こすまでは誰もそれに注目することは無かった訳です。しかし、新型機になって操縦システムの自動化率が上がった事は事実であり、それはとりもなおさず重要な「変更」でもあった訳です。
B社が、新型機を競争相手であるA社に先駆けて、いち早く市場投入しようと焦り、確率的な不具合の発生(例えばセンサーの特性のバラつきやシステムのソフトウェアバグ)に思い至らなかったとすれば、それは明らかに変更点の管理が不十分であった、という誹りを甘んじて受けなければならないのです。車の不具合は、最悪でも動かなくなるだけなのでしょうが、旅客機の場合は一時に多くの人命が失われる事故につながる事を私たちは再度銘記すべきなのでしょう。

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2019年3月20日 (水)

3566 徒然に2

このブログも大分煮詰まってきた様な気がしています。思い返せば、十数年前になりますが、かなり早期にサラリーマンから脱皮し、「環境人間」目指した頃に投稿を始めた「環境ブログ」だったのですが、今はフリーランスとしての立場から振り返っても、脱皮は良い選択だったと思っています。この間、環境屋としての知識や実績もそれなりに積み上げては来ましたが、かといってそれが満足すべきレベルであったがどうかを問われると、忸怩たる思いも残ります。
このブログのゴールは、一応3,650題に置いています。つまり、毎日書き続けて丸10年分という事です。その間に、自分が考える高いレベルの実績が出せれば、突然満了を宣言するかも知れませんが、目の前の忙しさに紛れ、なかなか「それ」に取り組むまでには至っていないのが残念です。定年までサラリーマンを続けて、毎日が完全な日曜日になっていたらそれが達成できたのか、今でも時々夢想する事もありますが、それはあくまで「もしも~」の話でしかありません。
現在は、前職の関係で航空機関連の勉強会の講師、環境カウンセラーとしてのボランティア的な活動、企業の環境経営の審査、省エネルギーの指導、バイオマスエネルギーの普及活動、それと余暇の登山が仕事の様なものですが、もちろん自分の経験や知識が役に立つのであれば、ボランティア仕事であっても厭わず引き受けるつもりでいます。取り分け、Uターンした東北の町での人口減少や高齢化、地場産業の衰退にはココロを痛めていますので、ここに歯止めを掛ける活動には手弁当でも協力したいと思っています。毎日が日曜日になった時には、是非時間の100%を地域の活性化のために使おうと心に決めているこの頃です。その日が待ち遠しい・・・。

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2019年3月17日 (日)

3565 徒然に

ハシゴ酒ならぬハシゴ出張から戻って投稿再開です。さて何を書きましょうか。この1週間は出張でした。行先は、郡山と米子でした。いずれも前職である航空機関係だったのですが、実はあまり気の進まない仕事でした。というのも、この国の航空機産業の行く末にあまり期待をしていないからです。それどころか、行き先は暗いと思っているからなのです。航空機産業自体は、確かに10年分くらいの受注残を抱えて忙しく回っているのですが、一方この国では専らB国のB社の下請け仕事に黙々と取り組んでいるだけなのです。勿論、M社が国産リージョナルジェットのプロジェクトを立ち上げましたが、未だに一機も納入されていませんし、これまでの受注機数もかなりの低水準に留まっているのです。つまり、忙しくそうには振舞っていますが、航空機業界の実情は利益無き繁栄と言うしかない状態で推移していると言うしかないのです。

さて、常々感じている事ですが、この国の産業はこれまではブレる事の無い「プロダクトアウト」の姿勢から変わる事がなかったと分析しています。つまり、先ずは市場があって、そこのシェアを少しでも伸ばすために、コストを引き下げるために量産技術を磨き続けるという呪縛に支配されてきたと思うのです。そのためには、品質、コスト、納期(いわゆるQCD)で他社をリードできれば、シェアは後からついて来る式の経営で突き進んできた訳です。少し厳しい言葉で言えば、これはビジネスでも何でもない単なる猪突猛進経営と呼ぶしかないでしょう。航空機市場で言えば、狭い国土でありながら、それでなくとも旅客数の少ない地方県に、複数の空港を作ってしまい、日に数往復しか便を飛ばせない状況を作り出しているいるのはビジネスでも何でもなく、単なる行政の失策と断ずるしかないでしょう。

そうではなくて、ビジネスのスタートラインとは、真に市場が求めているニーズを把握すること、いわゆる「マーケットイン」の徹底)、更に踏み込んで言えばこれまでには無かった(見えなかった)潜在市場を掘り出す事だと思うのです。最近、地方のミニ新幹線の中でも、大きな荷物を抱えた外国人観光客を見かける様になり、奈良・京都の様な有名観光地ではない「ディープな地方観光」が盛んになってきている様です。外国人の家族連れや数人のグループが、ガイドも無しに田舎深くに足を運んでいるのです。彼らは、たぶんカネも暇もある富裕層ですから、列車やバス移動ではなく、地方の湖や大きな川の河口や波静かな湾を使った「水上飛行機便」は人気が出ると思うのです。しかし、その様なマーケットがこの国に出来る兆しは1ミリも感じられません。たぶん彼らは、今後もプロダクトアウトの「アリジゴク」の中で必死にもがき続けるのでしょう。

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2019年3月 7日 (木)

3564 地産地消

この表題では、それこそ何度となく投稿しましたが、改めてその重要性を記しておきます。地産地消は、最初は食糧に関して唱えられたと記憶しています。その土地で採れた、コメや野菜などの産物を、徒に長距離輸送せずに、その地域で消費する事によって、無駄な輸送や廃棄を減らそうとする無駄減らしの動きだった筈です。その後、この考え方はエネルギーの地産地消等にも拡大され現在に至っていると思っています。

モノにせよ、食糧にせよ、エネルギーにしたって、遠くに運んで使うに当たっては、輸送のためのエネルギーを消費するでしょうし、送電にしても大きな送電ロス(変電損失や送電線からのジュール熱としての損失)が避けられません。何より、運んだり送ったりする事によってモノや食糧や電力そのもの価値は1円だって増えないでしょう。これからの時代、大量生産、大量輸送、大量消費そして結果としての大量廃棄は、高度成長期の負の遺産と考えなければならない筈なのです。

では、地産地消に最も大切な仕組みは何だと言えるか考えてみます。投稿者は、それは小規模化、小型化、分散化だと思うのです。大規模化は一見、効率は高そうにも思えてしまいます。そのプラントや機器単体で考えれば、そうかも知れません。しかし、夜間や季節要因で負荷を下げたプラントの効率はガクンと下がりますし、何より輸送エネルギーや送電ロスをカウントしての、全体的なシステム効率は、小型のシステムと比較しても決して高いとは結論できなくなるのです。それどころか、例えば災害時などに大規模システムがダウンした時、そのシステムを利用しているユーザー全体が影響を受ける羽目にも陥るのです。

地産地消の基本である、小規模化、小型化、分散化のシステムは、上手く設計しさえすれば、効率の低下は限定的ですし、逆に輸送エネルギーが不要であること、災害に強い事などメリットも非常に大なのです。何より、地産地消はビジネスユニットが小さい結果、中小企業や小規模事業所、或いは個人にも手が出しやすい筈なのです。地方再生の切り札は、新しい事業の創出などではなく、産物やエネルギーなどの地産地消の追求であると思うのです。勿論、そのためにも地産地消に全く逆行する都市への人口集中はどうにかしなければなりませんが・・・。

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2019年3月 5日 (火)

3563 堂々巡り

何度も書くように、このブログは環境ブログであり、何にせよ批判を書くつもりはありません。しかしながら、国のマツリゴトの堂々巡りに関して言えば、市民の我慢の限度をかなり越しているので、ホンの少しだけですが書くことにします。問題の根源は、やはり同一政党の一人勝ちにあると言えるでしょう。いずれの局面(政局と呼ぶようですが)においても緊張感が見られないのです。カケ蕎麦、だったかモリ蕎麦だったかの追求ではかなり盛り上がった様な気もしますが、一つの国会が閉会すると、その話題もすっかり影を潜めてしまいました。まさにこの国のポピュラーな諺、人のウワサも75日が正鵠を得ている証左の様です。

国際情勢が流動化する中、この国の舵取りをどうするのか、喧々諤々の議論をしなければならない局面だと思うのですが、いわゆる閣議決定された「大盤振る舞い予算案」の重箱の隅をほじくるのが国会論議の中身なら、これほどの数の議員など全く不要だと断ずる事が出来そうです。最近読んでいる、N羽宇一朗の新書の中で、一介の元経営者でさえ国の将来を激しく憂えているのに・・・です。野党が為すべきは、先ずは反J民の旗印への結集でしょう。一政党に2/3の勢力を許している現状こそ強く反省すべきだと思うのです。

一方で、マツリゴトとは別に国の予算を2/3に圧縮するための方策と同時にこの国将来の青写真を作るための作業を、若者を含む有識者と政治家が汗をかいてまとめ上げるべきだとも思うのです。その中で国際的に尊敬される国になるための方向性も打ち出されて然るべきですし、そこに向けて子供や若い人達も希望を抱きながら行動を起こせる様にして貰いたいものです。いずれにしても、必要な動きは省庁の壁を取り払った、柔軟な横連携でしょう。それ無くしては、新しい何かを始めるには、現在の既得権者たちとのヒト、モノ、カネの取り合いに陥るからです。

国会の開催に掛かる費用は、議員の歳費を含めると、一日当り数億年にも上るそうですが、国のリーダー自ら発する品の無いヤジと与野党議員からの怒号など、一国民としてはあまりも情けなくてため息しか出ないのです。諦めが大半ですが、これからの世代のためにも愚痴をこぼさずには居られないのです。以上は、あくまでこのブログでご法度の批判ではなく、あくまで愚痴なのでした。

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2019年3月 4日 (月)

3562 中小企業にも手の届く技術

年間何度かの展示会を冷やかします。元々は修理屋、その後はモノ造り屋で今は環境屋・再エネ屋に変身したつもりなので、殆どの展示物に興味が湧きます。展示会での展示で感ずるのは、それらの多くが夫々に「大き過ぎる」という点でしょうか。使われている技術も複雑過ぎますし、実際の製品サイズ自体も大き過ぎると思うのです。つまりは、大型化や大規模化による高い効率を狙っての方向性が強すぎる様な気がします。

しかし、効率を云々する上で考えてみなければならないのは「部分負荷時の効率」でしょう。例えば、折角大きなサイズのバイオマス発電所を作ったとしても、夏冬や昼夜の負荷変動によって、ある時期や時間帯に2-3割程度の低負荷で運転せざるを得ない事もあるでしょう。全てのプラントは、例えば80-90%の負荷時に最大効率(例えば発電所の熱効率で言えば40%)が発揮できる様に設計されている筈ですから、2-3割程度の低負荷では、効率が大きく落ちてしまう羽目に陥るのです。

それを防ぐには、小さな規模のユニットを多数(複数)組み合わせて、部分負荷時には運転する台数を減ずるという方法が有効です。その意味では、メーカーにはユニットの最小サイズを見極めるという作業をお願いしたいのです。つまり、実用的(経済的)に実現可能な最小サイズは一体どの様な大きさになるのかの見極めです。例えば、バイオマス発電ですが、大型のものは例えば数千キロワットの出力を持つものが普通ですが、経済的に運転可能な数kwから数十kw程度のユニットが開発可能であれば、1台を使った家庭用から10台位を組み合わせた企業の自家発電所までカバーが可能となるのです。現状はと言えば、大規模な木材加工場では、廃材を活用した部分的な自家発電と熱併給システムが実用化されてはいますが、プラント価格が高い方の数億円に上りますので、多額の公的補助金に頼らなければ、経済的には成り立たないプラント設計となっているのです。

大量生産によって、小型プラントの価格を下げて、台数を徐々に増やしながら必要な台数の導入が可能となる枠組みが是非必要でしょう。その結果、夫々の技術が「中小企業にも手が届く技術」となり、この国全体としても技術力の底上げが可能となると思うのです。中小企業が、部品の下請けに留まっている限り、この国の産業の未来は暗澹たるものになるでしょう。

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2019年3月 1日 (金)

3561 取引

B国とNK国の話し合いが物別れに終わった様です。B国のリーダーは、取引の専門家の様ですが、そもそも取引とは何なのか、彼はあまりご存知ではなさそうです。取引とは、価値と価値との「等価交換」を指す言葉です。彼がこれまで磨いてきたのは、たぶん不動産価値とお金の交換などが主なものだったでしょうから、その駆け引きには熟達していたかも知れません。つまり、取引で得た価値の多くは、その後値上がりしたのでしょうから、その結果彼は億万長者になれたわけです。しかし、国際交渉に当たっても、取引が成立する条件はやはり「等価交換」ですから、何処から見ても交換する価値がほぼ同じである事が求めらます。事前の話し合い(Negotiation)は、交換する価値が等価であるかどうかの確認の詰めなのですが、モノとお金の交換ならまだしも、安全保障と人道支援などと言う、見えないものと見えるモノとの交換などは、普通に考えても容易である筈はないのです。

さて、当事者同士の話し合いがつかないのであれば、仲介者(Mediator)を間に立てるのが得策でしょう。勿論その仲介者は、両者に全く利害を持たない人(国)である必要があります。その意味で、この国やC国はその任には適さないでしょう。利害がある場合には、公平な価値判断を邪魔するからです。さて、安全の価値と例えば人道援助額と言った価値は比較できるのでしょうか。安全保障にはコストが掛かります。もし、仮想敵国などが全く無いのであれば、防衛費はゼロに出来る筈です。必要なのは、災害時の緊急出動程度でしょうから、名前さえ今のJ衛隊ではなく、災害救助隊などに変えた方が良いでしょう。その安全のためのコストと経済援助額を考えれば、当然後者が小さいのは自明でしょう。高価な武器に比べれば、食糧や生活物資などの価値など著しく低いからです。

国々の間を忙しく動き回り、互いの緊張感を解く人物や国の存在が、今ほど求められている時代は無いでしょう。北の国は、絶対に迎撃出来ないミサイルを開発していると宣言していますし、中東やアジアでは、戦闘もどきも頻発しています。C国の覇権は、近隣諸国を脅かしていますし、B国は最早世界の警察官の役割を放棄しています。真のノーベル平和賞に値するのは、この様な緊張を解くための知恵と交渉力を持った人や国や団体の筈なのです。悲惨な被爆に見舞われ惨めな敗戦を経験し加えて近年の震災や原発事故まで経験した、この国こそ永世中立を宣言し、世界のMediatorになる資格を全て持っていたにも関わらず、その意味での戦後の向かうべき方向を間違えたと言うしかありません。なにしろ諸外国から「B国の金魚のフン」に喩えられる様な国になってしまった訳ですから・・・。喩えがあまりに適切過ぎて笑うに笑えません。

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