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2019年4月28日 (日)

3582  シーズよりニーズ

続きです。技術に自信がある企業ほど、自社製品を市場に送る事に熱心です。それは、市場に送るというより「市場に押し込む」という行為にも見えてしまう事も多いのです。市場は、既にゲップを出しているにも関わらずです。カラカラに乾いた大地に雨が降れば、雨は土壌に浸みこんでいきます。しかし、雨が続いた後では、雨は地表に浮き、低い場所を求めて流れるだけになるでしょう。この国にはモノが溢れていると思うのです。街中の商店街にあった、小売店の多くはシャッターを降ろしましたが、それらは大型スーパーや郊外型のSCに取って代わられ、その隙間を埋める様に数万店のコンビニが乱立しました。
その結果、人々は食べたいモノや日用品を、少し歩くか車を転がせば、好きな時間に手に入る様になったのでした。つまり、私たちは最早欲望を抑えるとか我慢する必要が無くなってしまった国民なのです。だから、若い人達に尋ねても、たぶん今欲しいモノなど無いなどと答えるでしょう。欲しくなったらすぐ手に入るモノは、意識の「欲しいモノリスト」にすら上らないのです。
さて、考えてみなければならないのは、市場の「ニーズ」でしょう。マズローによれば、人々の欲求は5段階に分けられるのだとか。モノに対する欲求は、その中でも当然低いレベルのものなのですが、一方で今後は高次の欲求、即ち「承認の欲求」や「自己実現の欲求」といったものがクローズアップされるだろうと想像できます。その背景で、市場のニーズを見直す必要があると思うのです。つまり、そのモノやサービスを購入することによって、自分が(世間的に)承認(評価)されたという感触が得られるものに注目しなければならないでしょう。更に、そのモノやサービスを購入することが、自己実現につながるものであれば、更に理想に近づく筈なのです。
具体的に考えてみましょう。マズローによれば、承認欲求以下のレベルは、欠乏欲求で、自己実現欲求だけが、成長欲求なのだとか。だとすれば、市場のニーズの将来を見据えるならば、自己実現のためのモノやサービスに注目せざるを得ないのです。移動手段で言えば、単に車を作って売るというビジネスモデルは、破綻せざるを得ない様に見えます。自己実現というKWで言えば、投稿者はある時期に自分に「日本百名山踏破」という目標を課しました。しかし、百名山は広域に分散しているので、夫々の山の間を移動する手段に苦労しているのです。もし鉄道や飛行機やレンタカーやその他の移動手段を組み合わせ、最短の時間で、しかも安い費用で移動できるサービスがあれば、是非利用したいと考えているのです。更に続きます。

 

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2019年4月25日 (木)

3581  技術よりデザイン?

3580の続きです。それでもなお、この国のメーカーの中には(モノを大量に安く作る)技術さえ磨けば、何とか生き残っていけると考える経営者が多いと想像しています。さて、3580では、市場やそこからのニーズが最重要であると書きましたが、それだけでは十分ではない事もまた事実です。そこに加えるべき要素としては「デザイン」ではないかと思っているのです。例えば、家電で言われるところの技術とは機能を形として具現化したもので、例えばパソコンでの処理スピードであるとかメモリー容量であったりする訳です。また車で言えば、原動機の馬力であるとか乗車定員の数とかいった性能になるでしょう。
しかし、良く考えてみると、私たちはその様な性能や諸元だけで購入を決めているのでない事は自明でしょう。最後の決め手は、たぶんモノの形(デザイン)だと思うのです。モノの形には、それを使う人達の好き嫌いがはっきりと反映している事でしょう。スポーツカーのテイストの車が欲しい人に、ファミリーカーのデザインはアピールしない事は明白です。逆に、子供が居る家族には、二人乗りの車は全く選択肢に入らない筈です。
この国のメーカーが、デザインを軽視している事は、例えば欧州製の車や家具や家電を見る度に感ずる不満です。本当にデザインが良い製品には、だれしもつい手に触れてみたくなるものなのです。良いデザインの製品を購入すれば、消費者が必要な機能を得ることに加え、所有する喜び、使う喜びなども得られる事でしょう。残念ながら、この国のメーカーが作った製品に、所有することが自慢になるモノは殆ど見当たらないのは残念な事実です。もちろん、数は少ないのですが、いくつかの工芸品に中には、何年待っても入手したいモノがいくつかあるのは事実ですが、わゆる工業製品の中にはその様なモノは殆ど見当たりません。そもそも、この国には、NYにある近代美術館の収蔵品の様に、カテゴリー毎にデザインが優れた製品を展示し、顕彰するという文化さえ無いのです。
それどころか、この近代美術館に収蔵されて初めて、あの電化製品は実は優れたデザインだったのだ、と「評価が逆輸入される」始末です。この国で、工業デザイナーが、やや幅を利かせているのは、たぶんモニュメント的な建物の設計や自家用車の外観デザインの分野程度ではないかと想像しています。悲しい事に、実用的な技術屋であった投稿者にも、デザイン的なセンスは殆ど無い事を告白しておきます。

 

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2019年4月24日 (水)

3580  技術よりビジネス

この国には、技術さえ優れていればモノは売れる、と言う根強い神話がある様です。しかし、モノを作ってそれを売る前に、考えなければならない重要な事がいくつかあると思うのです。先ず第一には、マーケット(市場)の存在でしょう。市場は、既にそこにある市場=既存市場と、まだ目に見える市場が形成されていない潜在市場がありそうに思えます。市場が拡大しつつある局面では、メーカーはその市場に向けて、安くて品質の良い製品をドンドン押し込めば、やがて市場のココロを掴み、売り上げは伸びていく筈です。
しかしながら、現代の様に成熟した市場ではどうでしょう。メーカーは、激しいシェア争いを繰り広げ、忙しいけれどしかし儲からない苦しい経営を余儀なくされるハメに陥ります。利益なき繁忙です。それもこれも、既存の市場に分け入って、シェアを得るという苦しい戦いを選択した経営戦略の所為だと言うしかありません。もちろん、まだ影も形も無い潜在市場を開拓するのは既存市場に切り込むのとは違い、リスクも大きいでしょうし、何倍も苦しいことでしょう。
しかし、この国の企業、特にメーカーはこのリスクや苦労を回避し続けてきたと言うしか無さそうなのです。例を挙げましょう。民間航空機市場の一分野として、RJ(リージョナルジェット)があります。国内の地方路線を担う、比較的小型のジェット旅客機の市場だと言っても良いでしょう。この分野では、欧州の中規模メーカー、カナダの航空機メーカー、ブラジルの航空機メーカーが先行し、市場を形成してきたという経緯があります。そこに、この国ではメジャーな航空機メーカーであるM社がMRJを引っ提げて参入した訳です。参入発表当時は、確かにMRJの性能は、先行していた他社の機体に比べれば、例えば燃費性能などで上回っており、注目もされたものでした。しかし、YS-11から50年もの時間が空いてしまい、新規機体の開発経験者が居なかった事もあり、スケジュールがべた遅れになり、その結果として、既存メーカーによる技術的追い上げで、追いつかれてしまったのでした。市場は、常に高いコスパとタイムリーな市場投入時期を求めます。その結果としてMRJは市場から見放されたと言われても仕方がない状況に陥ったのでした。
では、この国の航空機産業はどう行動するべきだったのでしょうか。一つの回答は、水上飛行機または飛行艇の市場投入でしょうか。多数の離島を抱える、この国や東南アジアの多くの国々や太平洋の島嶼国では、離島間の移動は船に頼っているケースが多い事でしょう。しかし、これらの島々を水上機でリンクさせれば、人の移動、取り分け観光業の興隆に多大な効果が期待できる筈なのです。水上飛行機の市場は、まだ十分には開発されては居ない、いわば潜在的な市場だと言えるでしょう。その市場に、J衛隊に採用されている飛行艇の技術を民間に転用した機体を送り込めば、新たな市場の拡大に寄与することになる筈なのです。これが、技術よりビジネス(市場)と投稿者が主張する、一例となるでしょう。続きます。

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2019年4月22日 (月)

3579  大きい事は良い事?

B国民は何でも大きなモノが好きな様です。この度は、世界最大の航空機が試験飛行に成功したと事。翼のスパンが100mを軽く超え、ジャンボジェット機用のジェットエンジンを6基も取り付けて、なんと宇宙ロケットを吊り下げて高高度でローンチさせる目的を持つ機体なのだとか。確かに、使い捨ての打ち上げロケットでペイロードを打ち上げる従来のロケットに比べれば、何百トンもの重量のロケットを、例えば20000mの高度まで持ち上げるにはこの航空機を使えば良い訳で、随分ロケットの小型化・軽量化には寄与できそうではあります。
しかし、閑変えてみなければならないのは、そもそもこれらのロケットで打ち上げるべき起動の過密度合でしょう。静止軌道(約3600㎞の高度)はどんな静止衛星を打ち上げる場合でも使わざるを得ない訳で、この起動は年々過密の度合いを高めているのです。公にされている通信衛星や観測衛星の他、軍事上の理由で、秘密裏に運用されている軍事衛星の数は、民需用よりははるかに多いのでないかと想像しています。と言うのも、軍事・偵察衛星は戦後の冷戦期のかなり早い時期から、両陣営が競って打ち上げたでしょうし、寿命が尽きても誰もそれを除去しなかった筈だからです。つまり、衛星のなれの果ての宇宙ごみ(宇宙デブリ)の増加です。
上記の様な超大型の航空機を作り出す前に、宇宙デブリを増やした張本人の一人(一国)であるB国には、是非静止軌道を掃除する「宇宙空間掃除ロボ」を開発して貰いたかったのです。建物などのインフラを作るに当たっては、よく「スクラップ&ビルド」と言うKWが聞かれます。新しいインフラを作る前に、先ずは古いインフラを破壊し、取り除くという準備をしておくわけです。そうでなければ、新しいインフラの間には、使われなくなった古いインフラが残ってしまい、見た目も悪く機能上も邪魔になってしまう訳です。
その上で、新たに作るインフラとしても、大きくなく、小さくないピッタリサイズのものとする事が求められるでしょう。この国の様な人口減少社会においては、冗長なインフラは投資額が嵩む一方、将来的には余剰部分が邪魔者にさえなってしまうからです。大型のインフラ投資こそ、そのインフラのライフサイクルを見通した上で、無駄の無いものとしたいものです。ところで、その意味でリニア新幹線などは如何なものでしょうか。

 

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2019年4月17日 (水)

3578 巨大インフラのリスク

熊本の震災に関連して、熊本出身のK尚中の想いに共感してしまいました。彼の、良く考えられたコメントには、日頃から賛同することも多いのですが、今回のものは大きなインフラや便利過ぎるインフラが内在するリスクに関するものでした。彼の意を汲み取って、投稿者なりに例を挙げてみるなら、例えば海岸に築かれた防波堤が思い浮かびます。かつて、海岸に防波堤など無かった時代には、人々は大きな地震が襲った際には、全てを投げ打って一目散に高台をめがけて非難をした事でしょう。それが、過去の災害で犠牲を出した経験からの先祖の教えでもあった訳ですから。しかし、数メートルのコンクリートの壁が築かれてしまうと、人々は海岸のすぐそばまで家を建てる様になってしまったのでした。地震や津波が、その堤防の設計時の想定を超えてしまうと、防波堤など何の役にも立たない事は、先の東日本の震災でも証明されてしまったではありませんか。
同様なリスクは新幹線やこれから本格化するリニア新幹線などの高速大量輸送インフラにも内在されている事でしょう。なにしろ、地面に設置された線路やガイドウェーそのものが地震で揺さぶられる訳で、脱線やあるいは磁気浮上時のガイドウェーとの接触事故のリスクはかなり大きいと見なければならないでしょう。新幹線の場合は、特に上下列車相互の接触や衝突事故も懸念される事態です。もし運悪く対面衝突にでも至った場合は、相対速度は走行速度の倍になる訳ですから、ただでは済まないでしょう。
それより、何よりここまで密集してしまった都市インフラの方が深刻な問題の様に見えます。記憶に新しいのは、先の東日本大震災で生じた大規模な液状化現象の結果、埋立地の地下インフラが滅茶苦茶になってしまった事態です。水道やガスや地下送電線や下水と言ったインフラがズタズタに切られて、その復旧には非常に長い期間を要したのでした。水道が使えても、下水管が繋がっていない限り、何処の仮定でもトイレや風呂や台所では水を使えない訳です。もちろん、田舎の個別浄化槽ではこんな事態は起こり様はありません。
インフラの大規模化は、一見効率的で利便性も高い様な印象を受けるのですが、半面では非常に脆い側面も内在している点は改めて認識して必要があると思うのです。対策としては、やはり都市の超過密を、地方への分散と言う手段で軽減していく事しか良いアイデアは無さそうなのです。

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2019年4月 9日 (火)

3577 サスティナビリティの指標2

3576での提案の様に、環境の持続可能性を測るには、二値ではなくグラデーションを描く指標が必要だと思うのです。例えば、植生で言えば樹林帯か砂漠化ではなく、樹林帯から灌木のある草原地帯へ、更には草原(ステップ)へ、更に半砂漠へのグラデーションを指します。もちろん、砂漠と言っても年回降水量が殆ど無い純砂漠もあれば、雨季には草も生える砂漠もあり得る訳です。
その意味では、いわゆる精密な定点観測こそが最必要だとも言えるでしょう。例えば、温度や湿度を℃や%で計測するとして、整数の表示では、微妙な変化が見えていませんが、それが小数点以下まで計測できる場合、数年単位の比較的短期の温暖化や湿潤化のトレンドが読み取れる可能性があります。当然の事ながら、計測条件を厳密に揃えることと、十分な精度の計測器を用いることは基本の「き」ではあります。
さて、環境(持続可能性)を確認するに良い指標ですが、3576に述べた「ダニ指標」の他に、植物相指標も上手く設計すれば良い指標になるでしょうが、では物理量の指標なるとなかなか良いものが見当たりません。無ければ、作るしかないのですが、気温や湿度などを厳密かつ精密に計測出来たとしても、時間毎あるいは日々の変化(日較差)が大きく、何らかの数学的処理が必要です。以下の様なものはどうでしょう。それは、例えば温度変化の蓄積が記録可能な媒体です。これは、電池を内蔵した記録媒体で、環境に放置して毎分温度や湿度を計測し、記録できるものです。これを定期的に回収して、コンピュータに記録させ分析を加えるのです。観測点を多くして、地図上に落とせば、地域的な環境変化も可視化できるでしょう。配置や回収は、有志のボランティアを募れば、費用もあまり掛からないでしょうし、人々の環境への関心も高まる事につながる筈です。更に続きます。

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2019年4月 8日 (月)

3576 サスティナビリティの指標

環境問題に関して最重要なKWは、と言えば「サスティナビリティ(持続可能性)」である事は論を待たないでしょう。温暖化問題にしても、結局は温暖化と言う気象変動(環境悪化)が、環境の持続性に黄信号を点灯させるからであって、それは持続可能性問題のたた一つに過ぎない訳です。しかし、考えてみればこの持続可能性に関しても、何らかの尺度は必要だと見ています。
さてその尺度としては数多くの提案が出ている様に思います。例えば、海洋の温暖化に関して言えば、北極海の浮氷面積があるでしょうし、南洋の海ではサンゴの白化現象も指標になりそうです。陸上に関して言えば、草原地帯(ステップ)の砂漠化や針葉樹林帯の北上などの植物相の変化、それに伴う動物相の変化などもあるでしょうし、南洋の島々では海進による水没なども大問題でしょう。大気に関して言えば、大気中のCO2濃度の右肩上がりの変化、気象の激烈化に伴う豪雨災害の多発、あるいはフロンガスによるオゾン層破壊の結果として紫外線増加などが頭に浮かびます。
しかし、浮氷が解ける0℃の上か下かと言う基準もそうですが、動物が居るか居ないかなどという、いわゆる「二値の基準」では、変化の度合いを捉えるのに適当な指標だとも言えないでしょう。環境変化がゼロか1かではなくて、0.1か0.9かが知りたい訳です。それで思い出したのが、環境指標としての「ダニ指標」です。ダニは、日本で知られて(分類されて)いるだけでも600種類以上はあるそうで、ダニはとりわけ土壌(表層)の環境変化に敏感で、僅かな変化、例えば平均温度や平均湿度、あるいはpHや有機物の割合などが影響を与えるでしょう。その一方、土壌の変化率は一般的に言えば緩慢である事も事実でしょう。土壌でも数センチの深さともなれば、気象の影響も平均化されて緩和されるからです。
その土壌に蠢くダニを採取して数と種類を分析すれば、環境の中期的変化が定量的に評価できそうに思うのです。しかし、大きな問題は地味なダニの研究者が、非常に少ない事でしょう。ダニの分類に熱心な昆虫学者は少ないながら存在するのでしょうが、ではそれがどの様な環境変化の指標になるのか、などという更に地味な研究を行っている人は、寡聞にして知りません。このでは、ダニ指標を考えてみましたが、更にいくつかの別の指標も考えてみる事にします。続きます。

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2019年4月 6日 (土)

3576  決算の重要性

出来るだけお金に関わらない様に生きてきたつもりの「お金の素人」としても気になる事があります。国会の予算員会は、それなりの頻度で中継されている様ですが、その中での予算の仕分けやカットもさることながら、より重要なのは実は決算の内容でしょう。この国の「最も悪しき風潮」は、たぶん喉元過ぎれば熱さを忘れて「水に流してしまう」ことではないかと疑っています。つまりは、過ぎ去った事をじっくりと反省することが少ないと思うのです。
予算だけを吟味しても、結局この国の基本制度は単年度予算制なので、予算執行開始(例えば7月頃)から、予算の締め(たぶん翌年の2月頃)までは、正味7-8か月しかない訳です。そのため、期末が近付くにつれて、「予実の帳尻合わせ」のために、余った予算を無理やり「消化」してしまう事が常態化しているのです。神様でもない限り、綿密で完璧な計画の下に予算案を作り、その予算通りに執行するのは多分大変な労力をかけたとしても困難でしょう。だからこそ、余った予算は余ったままとし、予算が足りない場合は工夫とやりくりで何とか乗り越える事が必要で、なおかつそれを決算段階でしっかり「反省」することが肝要なのです。
もちろん、帳簿上だけの数字を眺めていても、無駄使いや予算編成の抜けを見つけることは難しいでしょう。実際の予算執行を監視する組織こそが不可欠でしょう。これまでも、いわゆるオンブズマンと言うグループが、ローカルの自治体ではささやかに活動していた実態はある様ですが、国政レベルでは、千人あまりの少ない人数の「会計検査院」が、国と地方自治体の両方に、弱いながら睨みを効かしている程度です。問題は、この組織も所詮は「国の行政機関」であるという点で、役人が役人を監視しているという「甘さ=目こぼし」や人手不足による「抜け」が懸念されるところです。
であるならば、民間が別の組織を作って、予算執行の工事現場や予算のムダを、専門家の目でチェックできる様にすべきでしょう。民間の会計事務所は、たぶん春先は民間企業の決算で多忙でしょうが、それを過ぎると能力にも余裕が生まれるでしょうし、現場を良く知る専門家は、退職したベテランを探せば、人材には事欠かないでしょう。ベテランは、子孫に財政赤字のツケを回さない様に、税金の使いみちにもっと強い責任を感ずるべきなのです。野党は、彼らの実態により近い報告書を元に、税金の無駄使いを更に強く指摘できることになります。もちろん、この民間組織のささやかな活動費は、膨大な税金のムダの中から楽々捻出できる筈です。投稿者は、自営業なので、不十分なりに毎年の青色申告時に、ムダ使いへの反省を重ねてはいます。

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2019年4月 5日 (金)

3575 三大政党制?

マツリゴトにあまり興味はありませんが、最近の体たらくを見るにつけ、腹が立ち、やがて悲しくなってきます。少し前、M主党がまだ勢いがあった頃、二大政党制がクローズアップされた時代がありました。これは、たぶん議会制民主義のお手本であった、E国の議会を意識したものだった筈です。しかし、その御本家でさえ最近はEU離脱を巡って「決められない政治」を露呈してしまっているのです。
これを打開するためには、投稿者としては三大政党制を提唱したいところなのです。つまりこれは、議会にそれなりの勢力を持った政党が3つあり、その他の小さなグループがチラホラある、と言った状況を指します。大きな政党2つが手を結べば、過半数を取る事が出来、マツリゴトを決める事が出来るのがポイントと言えるでしょう。しかし、政策毎に手を繋ぐ相手が変れば、マツリゴトにも俄然緊張感が生まれる筈なのです。今の政局の様に、クジラの様にデカい政党があり、それにコバンザメの様な小政党がくっついている状況はやはり「異常」でしょう。かと言って、野党もまとまりが無く、細かく分裂している状況では、クジラの動きを変えることなど叶わないでしょう。
このクジラのエサはと言えばそれはもちろん「利権」です。票と利権の交換は、長くこの国のマツリゴトを汚してきた黒い歴史です。地元に大きな公共インフラを呼び込むなどが象徴的な利権誘導ですが、記憶に新しいところでは、教育産業や土地転がしやさらには外国人労働者の導入に関してまで利権が絡んでいるようです。マツリゴトの闇は一体何処まで深いのでしょうか。出るのはため息ばかりです。以上、元技術屋で今環境屋の短い愚痴でした。

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2019年4月 2日 (火)

3574 何をどう作るか2

必要なモノを必要な時に必要なだけ作るJITと言う考え方には賛同できますが、現実の世界ではそれはやはり理想に過ぎません。材料や部品が、必要なタイミングで必要量確保できるのであれば、その理想は成り立ちますが、現実にはそうはいかないでしょう。仕方なく、JITを目指すモノ造りでも、必ずどこかに「在庫」を置かなければならないのです。車に関して言えば、車体を形作る鋼板の在庫は、製鋼メーカーの工場のどこかに倉庫があるでしょうし、数日分の小さな倉庫は車メーカーも持っている筈です。一方で、部品の在庫はもちろん部品メーカーに押し付けられている事でしょう。車メーカーには部品在庫は置かないのが通常だからです。そのために、部品メーカーでは翌日に組立ラインで使われる部品は前日に発送しますが、そのトラック便は高速道路のSAで夜明けを待って(時間調整をして)始業前の車メーカーに滑り込む訳です。
そこまで考えると、やはり私たちは何らかの形で在庫を持つ必然性はありそうです。在庫を圧縮する方法はいくつか考えられますが、やはりサイクルタイムを適正化する方法が王道でしょう。1時間に10個しか出来ない部品メーカーと、同じ部品が同じ時間で100個作れる能力のメーカーがあったとして、毎日100個納品すると仮定すれば、前者は1日10時間稼働してやっと翌日分を発送できますが、後者は僅か1時間の設備稼働で1日分の出荷量が確保できる勘定です。
どちらがJITの理想に近いかを考えれば自明でしょう。車メーカーではその部品が使われる車種を、1日に100台生産している訳で、超自動化された最新の部品工場ではサイクルタイムが短すぎて設備余裕が大き過ぎるムダがあるのです。前者のやや古い工場は、実は今のJIT生産のサイクルタイムに同期していて、理想に近いのです。
その考え方を極限まで突き詰めたのが、「1個流し」でしょうか。車1台が組み立てられる間に、それに使われる部品1個を作れば全くの在庫のムダ無しに、生産が続くでしょう。問題は、部品や素材の輸送手段です。もちろん部品を1個ずつ個装して、バラバラのタイミングでトラック輸送するには多大な輸送エネルギーのムダが発生します。それを避けるには、部品を車メーカーのすぐ近くで生産するのが理想です。多数の部品を、下請けに分業させ、大量に作らせてそれを集める今のモノ造りは一見効率的な様でも実はムダが多い手法なのです。もし、組立工場内で部品を作るのが現実的ではないならば、車のデザインを変えて車をユニット化し、そのユニットをいくつかの企業が分担して生産させ、最後に車メーカーでそれを結合させれば良いのです。かくして、ほぼ理想的なJIT生産も実現に近づける訳です。ここでのK/Wとしては、「製品のユニット化の追求」と言うことになります。今後車のEV化が加速すれば、その実現はあっけない程容易でしょう。

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2019年4月 1日 (月)

3573  何をどう作るか

無責任な話ですが、現役をほぼ卒業し、頼まれ仕事を細々と引き受けている身の上でも、この国や世界の行く末をそれなりに案じて、このブログでも種々の提案を続けてきました。元生産現場にいた技術屋の端くれとしては、やはりこの国は何を作って・売って国を支えていくのだろうと言う点が心配でなりません。モノが不足していた時代は、何か便利で目新しいモノを作れば、片端から売れてきた時代もありました。それは、年号で言うなら先の大戦の戦後から続いた昭和の時代です。しかし、平成に入って少しして、いくつかの経済ショックと言う地震で、経済地盤が液状化現象を起こし、結果として地盤が引き締まってしまい、経済的な停滞期が未だに尾を引いている状況なのです。
昭和の時代に起こった大ショックと言えば、いわゆる二度のオイルショックでしたが、これはモノとしての石油の需給ひっ迫が引き起こしたショックでした。しかし、バブル崩壊やリーマンショックは、形の無い債権や架空のお金(や価値)への不信が引き起こした、精神的なショックであったとも言えるでしょう。つまり、イケイケドンドンの強気で木を登ってきた人々が、ふと下を見下ろした時の恐怖感(ビビリ)による「足のすくみ」が長い平成の停滞期に通底していた筈なのです。
しかし、どの様な時代でも人々の衣食住は不可欠でしょう。贅沢は戒められなければなりませんが、Minimul sufficient(必要最低限)は確保されなければなりません。
今後は、そのMinimul sufficientを元に、何をどの程度作らなければならないかを決める必要があるのでしょう。大量生産、大量消費時代の問題点は、生産態勢の「慣性」が非常に大きいので、需要に応じた柔軟な生産が出来ない事でしょう。そのため、素材や部品の在庫、更には製品の在庫を抱えて、いわば押し出し型の生産を余儀なくされたのです。それが、経済的に効率的だと信じられていたのです。しかし、今後は生産規模の最小ユニットが追求されるべき時代になったと言うのが投稿者の見方です。具体的に言えば、かつての家内工業が、いにしえの最小生産ユニットとすれば、製品が複雑化した現代では部品調達もある程度のまとまりが必要でしょうから、例えば月産数十~数百と言った生産数量が頭に浮かびます。いわゆる、中小企業が得意とする数量範囲です。完成車を買ってきて、ボンネットやフェンダーを自社デザインのものに付け替えて付加価値を付けて売るビジネスを考えた北陸のM岡自動車を思い浮かべています。続きます。

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