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2019年4月 1日 (月)

3573  何をどう作るか

無責任な話ですが、現役をほぼ卒業し、頼まれ仕事を細々と引き受けている身の上でも、この国や世界の行く末をそれなりに案じて、このブログでも種々の提案を続けてきました。元生産現場にいた技術屋の端くれとしては、やはりこの国は何を作って・売って国を支えていくのだろうと言う点が心配でなりません。モノが不足していた時代は、何か便利で目新しいモノを作れば、片端から売れてきた時代もありました。それは、年号で言うなら先の大戦の戦後から続いた昭和の時代です。しかし、平成に入って少しして、いくつかの経済ショックと言う地震で、経済地盤が液状化現象を起こし、結果として地盤が引き締まってしまい、経済的な停滞期が未だに尾を引いている状況なのです。
昭和の時代に起こった大ショックと言えば、いわゆる二度のオイルショックでしたが、これはモノとしての石油の需給ひっ迫が引き起こしたショックでした。しかし、バブル崩壊やリーマンショックは、形の無い債権や架空のお金(や価値)への不信が引き起こした、精神的なショックであったとも言えるでしょう。つまり、イケイケドンドンの強気で木を登ってきた人々が、ふと下を見下ろした時の恐怖感(ビビリ)による「足のすくみ」が長い平成の停滞期に通底していた筈なのです。
しかし、どの様な時代でも人々の衣食住は不可欠でしょう。贅沢は戒められなければなりませんが、Minimul sufficient(必要最低限)は確保されなければなりません。
今後は、そのMinimul sufficientを元に、何をどの程度作らなければならないかを決める必要があるのでしょう。大量生産、大量消費時代の問題点は、生産態勢の「慣性」が非常に大きいので、需要に応じた柔軟な生産が出来ない事でしょう。そのため、素材や部品の在庫、更には製品の在庫を抱えて、いわば押し出し型の生産を余儀なくされたのです。それが、経済的に効率的だと信じられていたのです。しかし、今後は生産規模の最小ユニットが追求されるべき時代になったと言うのが投稿者の見方です。具体的に言えば、かつての家内工業が、いにしえの最小生産ユニットとすれば、製品が複雑化した現代では部品調達もある程度のまとまりが必要でしょうから、例えば月産数十~数百と言った生産数量が頭に浮かびます。いわゆる、中小企業が得意とする数量範囲です。完成車を買ってきて、ボンネットやフェンダーを自社デザインのものに付け替えて付加価値を付けて売るビジネスを考えた北陸のM岡自動車を思い浮かべています。続きます。

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