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2019年5月20日 (月)

3592 知・情・意・・・・

文庫本の、M野隆司の「脳は何故心を作ったのか」を何度目かの読み直しをしています。この人の「突き抜けた」結論が好きで、あまり同じ本を再読はしないのですが、Y老孟司のいくつかの本と共に、これを手元に置いて時々拾い読みもしています。何が突き抜けているかと言えば、筆者は私たちの行動は全て脳内に居る「小人」達の多数決による「受動的」なものだと言い切るのです。私たちが、自分の意志で行動していると思っている行動も実は錯覚であり、何らかの外部からの刺激によって喚起された、受動的な行動だと言うのです。
私たちが、自分は自分であると感ずるのは、脳内の小人たちの行動は、個人によってかなり個性が偏るので、彼らの行動を常に観察してきた自分は、自分として小人たちの個性やある状況下の行動をかなりの程度知っているため、それがあたかも自分の個性だと錯覚してしまっているのだとか。この考え方だと、実は私たちの気持ちはかなり軽くなる様に思うのです。何かトラブルが飽きた時、他人の所為にするのが一番安易で気楽だと思うのですが、自分(だと思っている個性)の行動が、脳内に居る小人たちの多数決によって決まっていると考えれば、間違った事も「奴ら」の仕業だと責任を転化できるからです。
ここで、筆者が小人と呼んでいるのは、言わずもがなですが、脳内にあるニューラルネットワークの単位(ユニット)を指します。それらのユニットには、表題の知・情・意の他、記憶と学習などもありますが、いずれにしても私たちは、自分の意志だと思っている行動でも、外からの刺激に反応したこれらのユニットからのアウトプットでそれを起こしている様なのです。
例えば、昼に昼食のために食堂に入ったとします。それは、まさに自分の意志で食べたいものを決めた上で、入るべき食堂を決めたと思い込んではいますが、実は血糖値が下がった結果、食べ物を補充すべきという信号が脳に飛び、その結果目に入ってきたいくつかの食堂候補の内の一つの入り易そうな、あるいは空いていそうな外観に刺激されてフラフラと入ってしまったというのが実情でしょう、つまりは、蛾が誘蛾灯に導かれてその周りに群がるのと、あまり差は無い様なのです。この本を読む事によって、唯一無二だと信じている自分という存在が、実は小人劇場の観客に過ぎないと思う様になり、その比重がかなり軽くなり、生きる上で気楽にもなっていきます。一読をお勧めします。

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