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2019年6月28日 (金)

3616 比喩

初期の頃のこのブログで、投稿者は今の世の中をいくつかの比喩で説明しようとしました。その一つが、登山との比喩でした。それを思い出して採録すると、以下の様になります。つまり、現代文明を高山に挑戦する、いくつかの登山隊(=国)に喩えたのでした。いくつかの裕福な登山隊(先進国)は、近代的な装備を備えて、グングン高度を稼いでいきます。隊員の体力を、例えば酸素吸入器やその他の装備でカバーしますので、地元のシェルパ達が担ぎ上げてくれた大量の装備や豊富な食糧で高山に挑んでいるのです。
しかし、山の中腹にはあまり装備が充実していない登山隊(中進国)がいくつも登ってくるのです。その更に下には、今まさに山に登ろうと準備を始めた登山隊(途上国)が蠢いてもいるのです。
しかし、高山の頂上に何があるかを冷静に考えてみると、そこは荒涼とした岩場しか無く、人工の山小屋があり、そこで使われる物資は全て麓から運び上げなければならない環境だったのです。ヘリコプターなど、近代的な装備が使える金持ちパーティ(登山隊)は、燃料がある限り何の問題も無く山小屋生活をエンジョイできるでしょう。しかし、まだまだ頂上が遠い途上国は、それを眺めて羨ましく、妬ましく思い、早く頂上に立ちたいと無理にペースを上げるのです。
この比喩では、人類のゴールは岩だらけで緑も無く、人工物で固められた頂上ですが、これを現代社会の近代的だけれども無機質な都市と考えれば、この比喩の合点がいくでしょう。そうです、現代社会における人々のゴールは、モノが溢れ、エネルギーが潤沢に使える、便利な山小屋生活を送る事なのです。お金持ちは、ヘリや航空機を雇って、他の山々を観光して回る事も可能でしょう。しかし、お金の無い登山者は、麓近くでその周りで手に入る資源や農作物で暮らすしかなく、何時まで経っても頂上の(都市の)便利な生活には近づけないのです。
しかし、考えてみれば高山の麓は、緑に覆われ牧歌的で不便だけれども、自然が豊かな環境を満喫できる筈なのです。もし、麓から頂上の山小屋(都市)へのエネルギーや食糧や日用品の供給が止まれば、山小屋の生活は1週間と持たないでしょう。大きな災害の度に、都市のスーパーやコンビニの商品棚がたった数日で全て空っぽになった映像は、幾度となく目にしてきた筈なのです。都市部では、地震による液状化現象で、水道管が破裂し下水管が浮き上がってしまうだけで、炊事も出来ず、トイレも使えないのです。
私たちは、山小屋生活に見切りをつけ、ソロソロ下山の準備を始めなければならないと思うのです。混み合った山小屋(都市)の住人たちは、1-2世代前まで親や祖父母が暮らしていた麓(地方や田舎)に回帰すべきだと思うのです。麓には、緑の大地があり、あまりお金を使わなくとも「ココロ豊かに」暮らせるノンビリとした生活が待っているのです。都市に住んでいる人達は、何らかの形で体やココロを病んでいるのではないか、とお節介ながら憂えます。

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