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2019年6月15日 (土)

3604 この国の行く末3

何事にせよ批判からは何も生まれません。与党が多数をカサに着て好き放題をやり、それを野党がいくら言葉で批判したとしても、何も変わらないのです。さて、変えるための行動です。変えるためのやり方にはいくつかの方法があるのでしょうが、ここでのキーワードとしては「チリも積もればごみの山になる」と「着眼大局、着手小局」を挙げておきましょう。
最初のKWです。最近、砂浜の海岸を歩く機会がありましたが、今問題になっているプラごみが何メートルもの幅で漂着している光景に出合い、ショックを受けました。多くは、ハングルやC国語の表記があり、日本海流に乗って南から流れ着いたものと想像されます。一つひとつのごみは、誰かが何気なくポイッと捨てたものなのでしょう。しかし、その誰かが何十人、何百人、更に何万人と重なるにつれて、ごみの量も手に負えなくなってくるのです。ごみの山が、一つひとつの積み重ねであるならば、その対策はその逆にする必要があるでしょう。
その対策の具体策が、二番目のKWになりそうです。つまり、個々人がごみを少しずつ捨ててしまったとすれば、それを回収する側も少しずつ拾い続ける必要があるという事です。1万人が捨てたごみが海岸に打ち寄せられている場合、それを例えば千人のボランティアが拾い集めると仮定すれば、一人当たり10個ずつ拾う事によってそのエリアの海岸はクリアになるのです。しかし、それにたった一人で立ち向かう場合は、毎回10個拾うとすれば、その海岸に1000回通わなければならない計算になります。しかし、たとえ一人でごみ拾いを行うとしても、少なくとも少しずつではありますが、その海岸のごみは減っている筈なのです。海岸を広く眺めて(着眼大局)ごみの山に絶望したとしても、ごみを拾い集めるのはまず目の前の一個から始める(着手小局)必要があるという事です。
この国の行く末を大局で眺めて、山積する問題の多さや大きさに絶望するのでなく、先ず自分の手で何が出来るのかを考え、それが良い方向に向かう確信が持てるのであれば、迷わずそれを始めるのです。たとえ一人からでもです。その活動の輪が、徐々に広がってムーブメントになれば、この国や地球環境の行く末にも光が差す筈なのです。この表題ではひとまず終了します。

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