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2019年6月12日 (水)

3602 この国の行く末

自分の人生の行く末が、だいたい見えてくると、どうしても自分の子供達を含む残された人達が住み続ける事になるこの国の行く末が気になるこの頃です。今の政治のリーダー達には、たぶん10年後の将来像も描けていないのではないかと訝ります。当面の選挙、その前の政局にしか興味が無さそうに見えるのです。野党はと言えば、大同団結どころかますます細切れに分裂し、弱小化に歯止めが掛かっていない様です。その結果、現リーダーや閣僚たちの言葉尻をつかまえて、非難を浴びせかけるのが精々です。
残念ながら、これらの非難も、国会で絶対多数を占める現政権には、さながらカエルの顔にション何とか程度にしか感じていないのでは、と想像しています。その結果、戦後一番だか、憲政史上一番だかの長期政権の存続を許し、閣議決定とやらで決められる、民主主義とはかけ離れたやりたい放題に歯止めが掛けられないでいるのです。おっとっと、このブログは批判を目的にはしていませんでした。
さて、この国の行く末です。寂しいのは、70年近く生きてきて、その間のリーダー達からこの国の将来に関するビジョンが殆ど聞かれなかった事でしょうか。もちろん、少数のリーダーからは、例えば「所得倍増計画」だとか、「列島改造計画」だかの花火が打ち上げられたこともありましたが、この国の在り様は将来どうなる(する)べきかと言ういわゆる将来ビジョンを聞く事はなかったわkです。国の国際的な位置取りはどうすべきか、その国で企業スタイルや国民のライフスタイルはどの様な方向に進むべきか、その中で子供たちの教育の中身は、あるいは個々人はどの様に振舞うべきか、といったビジョンなり指針はついぞ聞かれる事はなかったと記憶しています。
少なくとも政治家(残念ながら今の議員のほとんどは政治屋です)を志したからには、少なくとも「国家百年の計」の旗印を掲げるべきでしょう。しかし考えてみなければならないのは、この言葉は元はと言えば中国の古典からの引用なのですが、それが安易な「政治用語」として安易に利用されてはならないという点でしょう。
そうではなくて、百年の計を巡らすには、先ずは将来を担うべき子供達や若者の教育から着手すべきだと思うのです。またまた批判ぽくなりますが、B国に買わされる多額の武器(戦闘機やイージス何とか等)の調達費用で、Fクシマの廃炉や除染がどのくらい加速出来、加えて一体どのくらい立派な教育環境を整える事が出来るのかを想像すると、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。続きます。

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