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2019年7月 1日 (月)

3618  比喩3

現代の社会や世相を航空機に喩えたのは、現代の、特に大都市における生活が、自然(地面)から完全に乖離し、浮いている様に見えているからに他なりません。都市は、全てが人工的なインフラの上に構築されていて、殆どの地面も建物や舗装道路に覆い尽くされていますので、自然が見えないのです。自然ぽく作られている公園でさえ、全て人工物で覆われ、そこに申し訳程度に植えられている植栽さえ、その土地に自生していたものでなく、他の場所で育ててから植えられた、その土地にとっての外来種になっているのです。
さて、投稿者のもう一つの現代社会の比喩としては、お祭りに喩えたものがあり、気に入っています。それは、現代社会の世相は、もしかして高度成長以降、長くながく続いている「お祭り」なのではないかという素朴な疑問から生れました。投稿者が子供の頃、戦後の延長で貧しい時代でしたが、田舎でしたので食べ物は、海のものも山のものも一応不自由なく手に入りました。一方、甘いものなどいわゆる嗜好品は、親戚からお土産を貰ったり、遠足などの行事でもない限り、口に入る事は殆どありませんでした。甘いものといって思い出すのは、正月のお汁粉や彼岸の際の牡丹餅程度です。
現代社会ではどうでしょう。スーパーを覗けば、嗜好品が山と積まれているのに改めて驚きます。まるで、毎日が「お祭り」であるかのようにです。つまり、取り分けこの国は途中に失われた20年が挟まっていながらも、高度成長期以降長い期間に亘って、お祭り状態が続いているとも言えそうなのです。歌の文句ではありませんが、祭りが終わった後のうら寂しさは、子供の頃も何度も感じたものでした。この国が人口減少の局面に入って十数年経過しましたが、政府は「祭りの後宣言」も出来ないので、さながら経済の拡大が続いていて、景気も「悪くはない」と言い張っていますが、実体は果たしてどうなのでしょう。
私たちは、ソロソロ「祭りの後モード」への準備を始めなくてはならないと思うのです。そのモードに入るためには、先ずは騒ぎ食べ散らかした周辺の後片付けから始めなければならないでしょう。祭りの行事に使った衣装は洗濯し、道具類もきれいに掃除して、格納場所に戻さなければなりません。その後に待っているのは、「日常生活」に他なりません。私たちは、もしかして「必要かつ十分な」日常生活のレベルを改めて定義し、そこに戻るためのトレーニングを始めなければなりません。それは、トレーニングというより、もはやリハビリに近いものかも知れませんが・・・。

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