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2019年8月24日 (土)

3646  自然とのかい離

3645で述べた様に、私たちは森(自然)からドンドン離れながら、化石燃料に頼って今の文明を栄えさせてきたという事でしょう。それを絵として描き表わすとすれば、人間が作った人口環境(例えば都市空間)と自然環境の間がくっきりと分かれている構図になるでしょう。少し昔に遡れば、それはシームレスで繋がっていた筈です。環境がグラデーションを描きながら、連続しているイメージの構図です。例えば、都市と里との間には農地が広がり、里と森林の間は里山で繋がっているイメージでしょうか。つまり、人々は日常的に自然に分け入って暮らしていた訳です。
しかし、今私たちは都市と言う完全に人工的な環境を作り、その中だけで暮らしているのです。自然に触れるためには、登山などで分け入るのですが、それとて誰かが作ってくれた「登山道」を歩くだけの限定的な経験に過ぎないとも思うのです。そんなアウトドアの趣味すらない多くの人達は、人生の殆どを人工環境で暮らす事になるのでしょう。Y老孟司は、直線で構成された都市空間を「人間の脳が作った」と表現しましたが、そこで生まれ育った人達は、自由曲線(面)で構成されている自然の造形物(例えばヘビなどです)を指して、気持ちが悪いと感ずるのです。
自然と乖離する距離が大きければ大きい程、私たちはその自然の破壊に鈍感になるのは当然の成り行きでしょう。事実、私たちは自分達が出したごみが、山間や人工島の埋め立て地に運ばれて、投棄されそれが埋立て場を埋め尽くしていくのを、興味を持ってみる事は殆ど無いでしょう。それも当然で、行政や業者はそんな自然を冒涜する現場を、人々になるべく見せない様に努力しているからなのです。つまり、現代社会では人工環境と自然環境を出来る限り乖離させるのが良いとされる風潮が続いているのです。
そうではなくて、私たちは今こそ人工社会を出来る限り自然環境に近づける努力が必要だと思うのです。少なくとも、地下資源から得てそれを使った後に廃棄する人工物の量を可能な限り減らし、人工環境の周縁を可能な限り自然環境に近づける努力が絶対に必要です。海岸や河岸はコンクリートで覆うべきではありませんし、都市の周辺はシームレスに自然環境に溶け込んでいるべきなのです。それが、ヒトがヒトらしく生きる唯一の方法だと思うのです。

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