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2019年8月 1日 (木)

3633 農学と工学

工学と農学(植物学を含む)の違いについて時々考えます。何より、両者のアプローチの方向が全く異なるのは間違いないでしょう。農学は、そもそも植物というものが存在し、その挙動を学ぶ事によって、植物がより元気になって、結果として収量が増える様に彼らの「ご機嫌取りの方法」を学問として固めたものでしょう。一方で工学とは、物理現象の原理を利用して、それを人間の役に立つ形で学問に仕立て上げたものであると言えるでしょう。
既に何億年もの進化の歴史があり、ほぼ完成形態の植物に学ぶ農学と、高々産業革命後の数百年の歴史しかない工学をそもそも比べることもおこがましいのですが、特に欠陥だらけの工学を学問と呼ぶ事にさえ抵抗感を感ずるのです。残念ながら、投稿者は道を間違えて「工学者(技術屋)」としてのキャリアを積んでしまったのですが、50歳過ぎにそれを反省して、取り敢えず技術屋はドロップアウトしたのでした。では何者になり得るのかを考え、模索を続ける中で、森羅万象を対象とする「環境学」にたどり着き、放送大学でこの方面の勉強をする事になったのでした。
環境学も、農学同様既にある地球環境について、その仕組みを学び、通底する原理やルールを学ぶ中で、ほぼ完成形態で存在する「(地球)環境」に学ぶべき事は多く、少しは真実に近づく事が出来たのでは、と感じています。
それに比べ、科学・技術で作り上げた近代文明は、それを作ってきた人間の浅千恵もあるのですが、完成形態とは程遠い欠陥だらけの間に合わせの感が拭えないのです。もし、今の文明が享受している科学・技術が完璧で完成されたものであると仮定すれば、世の中で起こっている製品に起因する事故などは起こり様がない筈なのです。ヒューマンエラーだって製品さえ完璧であれば、いわゆる「ポカ除け(フールプルーフ)」の仕掛けによって、未然に防止できる筈です。
繰り返しますが、両者の違いはアプローチの方向なのです。既に完成された自然の事象に学ぶ学問と、まだ確立されていない技術を、経済や利便性などの論理だけで安易に製品に仕立てて、使ってしまうと言う新しい(未完)の学問とはアプローチの方向が全く逆向きなのです。より重要なのは、前者である事は間違いないでしょう。そう思って、投稿者は技術屋を早めに卒業したのでした。今では、投稿者としては、科学・技術にはある種の疑いを抱きつつ接する様になりました。

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